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一章 姉の仇
2、七歳もごまかすのは、無理がある
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(絶対に姉さんの仇を打ってやる)
二十二歳になった翠鈴は、硬い寝台で目を覚ました。
艶のある黒い髪と、抜けるほどの白い肌。黙って微笑めば、百合のような清楚な美しさがあるのに。とにかく目つきが悪い。
後宮で他の宮女と目が合えば、相手は凍りついて立ち尽くし。猫と目が合えば「シャーッ」と威嚇される始末だ。
(しょうがないじゃない。後宮なんて、誰も信用できるわけないし)
新杷国の都である杷京。宮城のさらに奥、後宮で翠鈴は暮らしていた。
近くの街に、国王の遣いが宮女となる娘を集めに来るとの噂を聞いた。翠鈴は、ようやく機会が巡ったと村から街へ走ったのだ。
ただ、宮女である限りは結婚もできないし、女の園だから虐めも多いと聞く。好んで宮女になりたがる娘は多くはない。
それでも、どうしても後宮に入らねばならなかった。
姉を捨てた元婚約者は、今はこの後宮にいるのだから。
そして翠鈴は宮女となった。
それが今から一年前のこと。
「翠鈴ったら、顔、こわーい」
隣の寝台で目を覚ました宮女の由由が、膝を抱えて翠鈴に視線を向けた。幼さの残る由由は、まだ十四歳。宮女になるには妥当な年齢だ。むしろ翠鈴のような年を取った新人などいない。
「急に寒くなったよね」
けほけほと小さく由由が咳きこんだ。
「仕事で夜風に当たるから、余計にね。のどを痛めると、風邪をひくよ」
翠鈴と由由は灯りを管理する司燈を仕事としている。後宮には宮が多いので、ふたりは蘭淑妃の住まいである未央宮を担当している。
寝台から降りた翠鈴は、棚から布の小袋を取りだした。ほんのりと甘く爽やかな香りがする。
「これを煎じて飲めばいいわ」
「これ、なぁに?」
てのひらに載せられた袋は、上が紐で結んである。由由が開いてみると、かさかさに乾いた茶色のかけらが入っていた。
「陳皮よ。蜜柑の皮を干したもの」
「腐ってない? 陳皮はうちでも飲んでいたけど。こんな色じゃなかったわ。もっと色がきれいだったもの」
鮮やかな橙色ではない。くすんだ茶色でごみにしか見えない。由由は顔をしかめた。
「陳皮は古いほどいいのよ。十年や十五年経ったものが、よく効くわね。咳に効くんだけど、いらないなら返して」
「の、飲むわ」
また咳きこみながら、由由は返事した。熱でも出して寝込もうものなら、そのぶん給金が減らされてしまう。
「ありがとうね、翠鈴」
「いいのよ。もう秋だし、蜜柑の皮はいくらでも手に入るから。時間があれば、陳皮を作っておくわ」
この未央宮には、蜜柑の木が生えている。実が色づくと、鳥が集まって先に食べられてしまうので、ある意味競争だ。
人は、鳥が冬を越せるようにと枝に果実を残すが。鳥は、人に対して配慮はしてくれない。
翠鈴は夜着を脱いで、白い長袖の長衣をまとった。さらに厚めの若草色の上着を羽織る。髪は頭の上の方でひとつに結ぶ。
その様子を、寝台に座ったままで由由は眺めていた。
「やっぱり大人っぽいわね。翠鈴は。何を食べたら、そんなに背が伸びるの?」
「え? あ、そうね。たぶん、背の高い家系なのよ」
いけない。翠鈴はあわてて猫背になった。
背筋を伸ばせば、身長の高さが際立ってしまう。
二十一歳の宮女の新人など採用されない。ならば、年齢を詐称すればよい。
翠鈴は今年二十二歳になったが。今は、自称十五歳だ。
(さすがに七歳もごまかすのは、まずいかと思ったけど。案外、平気みたい)
胸が小さいのと、肉付きの悪さが幸いしたようだ。
とはいえ宮女を指導する女官の方が、翠鈴よりも若いし、背も低い。姿勢の悪さをよく女官には叱られるが。ふつうに立てば、女官は背伸びをしながら翠鈴を怒らないといけないので、しょうがない。
「翠鈴は文字だって読めるし、薬の知識もあるもの。すごいわ」
「あら。由由は愛らしいし、縫物が得意でしょ。わたしは不器用な方だから、羨ましいわ」
「えへへ、そうかなぁ」
同じ時に宮女となった由由のことを、翠鈴は妹のように可愛く感じている。姉の明玉も、自分のことをこんな風に見ていたのかと思うと。嬉しくて、少し切ない。
二十二歳になった翠鈴は、硬い寝台で目を覚ました。
艶のある黒い髪と、抜けるほどの白い肌。黙って微笑めば、百合のような清楚な美しさがあるのに。とにかく目つきが悪い。
後宮で他の宮女と目が合えば、相手は凍りついて立ち尽くし。猫と目が合えば「シャーッ」と威嚇される始末だ。
(しょうがないじゃない。後宮なんて、誰も信用できるわけないし)
新杷国の都である杷京。宮城のさらに奥、後宮で翠鈴は暮らしていた。
近くの街に、国王の遣いが宮女となる娘を集めに来るとの噂を聞いた。翠鈴は、ようやく機会が巡ったと村から街へ走ったのだ。
ただ、宮女である限りは結婚もできないし、女の園だから虐めも多いと聞く。好んで宮女になりたがる娘は多くはない。
それでも、どうしても後宮に入らねばならなかった。
姉を捨てた元婚約者は、今はこの後宮にいるのだから。
そして翠鈴は宮女となった。
それが今から一年前のこと。
「翠鈴ったら、顔、こわーい」
隣の寝台で目を覚ました宮女の由由が、膝を抱えて翠鈴に視線を向けた。幼さの残る由由は、まだ十四歳。宮女になるには妥当な年齢だ。むしろ翠鈴のような年を取った新人などいない。
「急に寒くなったよね」
けほけほと小さく由由が咳きこんだ。
「仕事で夜風に当たるから、余計にね。のどを痛めると、風邪をひくよ」
翠鈴と由由は灯りを管理する司燈を仕事としている。後宮には宮が多いので、ふたりは蘭淑妃の住まいである未央宮を担当している。
寝台から降りた翠鈴は、棚から布の小袋を取りだした。ほんのりと甘く爽やかな香りがする。
「これを煎じて飲めばいいわ」
「これ、なぁに?」
てのひらに載せられた袋は、上が紐で結んである。由由が開いてみると、かさかさに乾いた茶色のかけらが入っていた。
「陳皮よ。蜜柑の皮を干したもの」
「腐ってない? 陳皮はうちでも飲んでいたけど。こんな色じゃなかったわ。もっと色がきれいだったもの」
鮮やかな橙色ではない。くすんだ茶色でごみにしか見えない。由由は顔をしかめた。
「陳皮は古いほどいいのよ。十年や十五年経ったものが、よく効くわね。咳に効くんだけど、いらないなら返して」
「の、飲むわ」
また咳きこみながら、由由は返事した。熱でも出して寝込もうものなら、そのぶん給金が減らされてしまう。
「ありがとうね、翠鈴」
「いいのよ。もう秋だし、蜜柑の皮はいくらでも手に入るから。時間があれば、陳皮を作っておくわ」
この未央宮には、蜜柑の木が生えている。実が色づくと、鳥が集まって先に食べられてしまうので、ある意味競争だ。
人は、鳥が冬を越せるようにと枝に果実を残すが。鳥は、人に対して配慮はしてくれない。
翠鈴は夜着を脱いで、白い長袖の長衣をまとった。さらに厚めの若草色の上着を羽織る。髪は頭の上の方でひとつに結ぶ。
その様子を、寝台に座ったままで由由は眺めていた。
「やっぱり大人っぽいわね。翠鈴は。何を食べたら、そんなに背が伸びるの?」
「え? あ、そうね。たぶん、背の高い家系なのよ」
いけない。翠鈴はあわてて猫背になった。
背筋を伸ばせば、身長の高さが際立ってしまう。
二十一歳の宮女の新人など採用されない。ならば、年齢を詐称すればよい。
翠鈴は今年二十二歳になったが。今は、自称十五歳だ。
(さすがに七歳もごまかすのは、まずいかと思ったけど。案外、平気みたい)
胸が小さいのと、肉付きの悪さが幸いしたようだ。
とはいえ宮女を指導する女官の方が、翠鈴よりも若いし、背も低い。姿勢の悪さをよく女官には叱られるが。ふつうに立てば、女官は背伸びをしながら翠鈴を怒らないといけないので、しょうがない。
「翠鈴は文字だって読めるし、薬の知識もあるもの。すごいわ」
「あら。由由は愛らしいし、縫物が得意でしょ。わたしは不器用な方だから、羨ましいわ」
「えへへ、そうかなぁ」
同じ時に宮女となった由由のことを、翠鈴は妹のように可愛く感じている。姉の明玉も、自分のことをこんな風に見ていたのかと思うと。嬉しくて、少し切ない。
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