後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

文字の大きさ
上 下
2 / 184
一章 姉の仇

2、七歳もごまかすのは、無理がある

しおりを挟む
(絶対に姉さんの仇を打ってやる)

 二十二歳になった翠鈴ツイリンは、硬い寝台で目を覚ました。

 艶のある黒い髪と、抜けるほどの白い肌。黙って微笑めば、百合のような清楚な美しさがあるのに。とにかく目つきが悪い。
 後宮で他の宮女と目が合えば、相手は凍りついて立ち尽くし。猫と目が合えば「シャーッ」と威嚇される始末だ。

(しょうがないじゃない。後宮なんて、誰も信用できるわけないし)

 新杷国しんはこくの都である杷京はきょう宮城きゅうじょうのさらに奥、後宮で翠鈴は暮らしていた。

 近くの街に、国王の遣いが宮女となる娘を集めに来るとの噂を聞いた。翠鈴は、ようやく機会が巡ったと村から街へ走ったのだ。
 ただ、宮女である限りは結婚もできないし、女の園だから虐めも多いと聞く。好んで宮女になりたがる娘は多くはない。

 それでも、どうしても後宮に入らねばならなかった。
 姉を捨てた元婚約者は、今はこの後宮にいるのだから。

 そして翠鈴は宮女となった。
 それが今から一年前のこと。

「翠鈴ったら、顔、こわーい」

 隣の寝台で目を覚ました宮女の由由ヨウヨウが、膝を抱えて翠鈴に視線を向けた。幼さの残る由由は、まだ十四歳。宮女になるには妥当な年齢だ。むしろ翠鈴のような年を取った新人などいない。

「急に寒くなったよね」

 けほけほと小さく由由が咳きこんだ。

「仕事で夜風に当たるから、余計にね。のどを痛めると、風邪をひくよ」

 翠鈴と由由は灯りを管理する司燈しとうを仕事としている。後宮には宮が多いので、ふたりは蘭淑妃ランしゅくひの住まいである未央宮びおうきゅうを担当している。

 寝台から降りた翠鈴は、棚から布の小袋を取りだした。ほんのりと甘く爽やかな香りがする。

「これを煎じて飲めばいいわ」
「これ、なぁに?」

 てのひらに載せられた袋は、上が紐で結んである。由由が開いてみると、かさかさに乾いた茶色のかけらが入っていた。

陳皮ちんぴよ。蜜柑の皮を干したもの」
「腐ってない? 陳皮はうちでも飲んでいたけど。こんな色じゃなかったわ。もっと色がきれいだったもの」

 鮮やかな橙色ではない。くすんだ茶色でごみにしか見えない。由由は顔をしかめた。

「陳皮は古いほどいいのよ。十年や十五年経ったものが、よく効くわね。咳に効くんだけど、いらないなら返して」
「の、飲むわ」

 また咳きこみながら、由由は返事した。熱でも出して寝込もうものなら、そのぶん給金が減らされてしまう。

「ありがとうね、翠鈴」
「いいのよ。もう秋だし、蜜柑の皮はいくらでも手に入るから。時間があれば、陳皮を作っておくわ」

 この未央宮には、蜜柑の木が生えている。実が色づくと、鳥が集まって先に食べられてしまうので、ある意味競争だ。
 人は、鳥が冬を越せるようにと枝に果実を残すが。鳥は、人に対して配慮はしてくれない。

 翠鈴は夜着を脱いで、白い長袖の長衣をまとった。さらに厚めの若草色の上着を羽織る。髪は頭の上の方でひとつに結ぶ。
 その様子を、寝台に座ったままで由由は眺めていた。

「やっぱり大人っぽいわね。翠鈴は。何を食べたら、そんなに背が伸びるの?」
「え? あ、そうね。たぶん、背の高い家系なのよ」

 いけない。翠鈴はあわてて猫背になった。
 背筋を伸ばせば、身長の高さが際立ってしまう。
 二十一歳の宮女の新人など採用されない。ならば、年齢を詐称すればよい。

 翠鈴は今年二十二歳になったが。今は、自称十五歳だ。

(さすがに七歳もごまかすのは、まずいかと思ったけど。案外、平気みたい)

 胸が小さいのと、肉付きの悪さが幸いしたようだ。

 とはいえ宮女を指導する女官の方が、翠鈴よりも若いし、背も低い。姿勢の悪さをよく女官には叱られるが。ふつうに立てば、女官は背伸びをしながら翠鈴を怒らないといけないので、しょうがない。

「翠鈴は文字だって読めるし、薬の知識もあるもの。すごいわ」
「あら。由由は愛らしいし、縫物が得意でしょ。わたしは不器用な方だから、羨ましいわ」
「えへへ、そうかなぁ」

 同じ時に宮女となった由由のことを、翠鈴は妹のように可愛く感じている。姉の明玉も、自分のことをこんな風に見ていたのかと思うと。嬉しくて、少し切ない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

玉の輿を狙う妹から「邪魔しないで!」と言われているので学業に没頭していたら、王子から求婚されました

歌龍吟伶
恋愛
王立学園四年生のリーリャには、一学年下の妹アーシャがいる。 昔から王子様との結婚を夢見ていたアーシャは自分磨きに余念がない可愛いらしい娘で、六年生である第一王子リュカリウスを狙っているらしい。 入学当時から、「私が王子と結婚するんだからね!お姉ちゃんは邪魔しないで!」と言われていたリーリャは学業に専念していた。 その甲斐あってか学年首位となったある日。 「君のことが好きだから」…まさかの告白!

処理中です...