上 下
17 / 32
二章

11、無様ですよ【2】

しおりを挟む
 どんなに説得しようとも、ビルギットはわたしが屋敷に戻らないと悟ったのでしょう。

 お父さまも、ご自分でここにはいらっしゃらないのね。
 追放は許してやる、帰って来いとご自分が命じれば、わたしが尻尾を振って戻るとお思いなのね。
 本当に軽く見られたものですね。

「じゃ、じゃあ。帰ってこないなら、せめてお母さまの形見を返しなさいよ」

 交換条件のつもりなのでしょうか。
 こちらにはまったく利がないというのに。
 何処をどう考えれば、取り引きになると思えるのでしょう。

 ああ、本当にこの子とは話が通じないのだわ。わたしは、肩を落としました。

「ねぇ、ビルギット。その価値ある詩集を踏みつけて、台無しにしたのはあなたよ? あんなにも状態の悪くなってしまった本に、今更値が付くと思って?」
「値が下がっても、元が高価だから」

「無理よ」と、わたしは首を振りました。
 とれぬ足形、しかもビルギットが乱暴に扱った所為で、ページが今にも外れそうなのです。

 わたしは床に膝をついて、妹の頬に手を伸ばしました。

「わたしにとってはお母さまの大事な形見。とても価値あるものよ。でも、あなたにとってはそうではないでしょう? 踏みつけるし、困れば売り飛ばそうとするのね」

「お金が無いのよ。仕方ないでしょう」
「使えば無くなるわ、当然のこと。それすらも分からないの?」

 妹と思えばこそ、罵られても馬鹿にされても彼女の豪奢な生活を支えていたけれど。
 それはもう過去のこと。
 一年前に屋敷を追い出されたその日から、わたしとビルギットは姉妹ではなくなったのです。

 きっと、お化粧も使用人にさせていたのね。
 久しぶりに見たビルギットの肌は白粉が浮いていて、紅も唇からはみ出していました。

「詩集の価値すらも知らず、お湯も湧かせないあなたが、この森の小屋で一冬を過ごせるかしら。あなたがわたしの代わりにここで暮らすなら、一度くらいは家に帰ってあげてもいいでしょう」
「無理よ、そんなの死んじゃうわ」
「ええ、普通なら死ぬでしょうね。でもあなた達はわたしにそれを命じたわ。きっと凍え死んでも構わなかったのね」

 不思議なことに、ビルギットは歯をがちがちと鳴らしています。
 今は夏なので寒くはありません。むしろ彼女は汗を額に浮かべて……ああ、これは冷や汗ですね。

「お父さまもあなたも、お金があればわたしが死んでも気にも留めなかったはず。わたしも最初は薪も割れなかったわ。でもね、生きる為ならできたのよ」
「姉さん?」
「あなたもできるわね? 散々馬鹿にしてきたわたしにもできたんですもの」

 これ以上は何を頼んでも無駄だと悟ったのでしょう。
 ビルギットは床に爪を立てました。ぎりぎりと引っ掻かれる床には、幾本もの筋が刻まれていきます。
 
「ひどい……ひどいわよ。どうしてわたしを虐めるの? どうしてわたしを見捨てるの?」

 ビルギットの弱々しい言葉に、わたしは頭がくらくらしました。
 これを虐めというのなら、あなたがわたしにしてきたことは何なのかしら。
 傷つけることには鈍感なのに、傷つくことには敏感なのですね。

 いいえ、むしろ傷つけて嘲笑していたじゃない。
 今更被害者ぶったところで、どうにもならないのに。

「姉さんなら、詩集の汚れを取ってジャムの売り上げで製本し直して、売りに出してくれるはずよ。優しい姉さんなら、家に戻って生活を支えてくれるはずだわ」
「ビルギット……それはね、姉さんではなくて奴隷というのよ」
「奴隷?」
「ええ、気づかなかったの? あなたもお父さまも、わたしを奴隷扱いしていたわ」

 わたしの言葉に、ビルギットは眉間にしわを刻みました。

「もういいわよ。分かったわ」

 どこにそんな力があったのでしょうか。ビルギットは護衛の手をすり抜けて、一瞬にして立ち上がり駆けだしました。
 お湯の入った桶は重くて持てないと言っていた彼女が、ジャムがいっぱいに詰まった銅のお鍋を持ち上げているのです。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄!! 

❄️冬は つとめて
恋愛
国王主催の卒業生の祝賀会で、この国の王太子が婚約破棄の暴挙に出た。会場内で繰り広げられる婚約破棄の場に、王と王妃が現れようとしていた。

【完結】私がお邪魔だと思われますので、去らせていただきます。

まりぃべる
恋愛
アイリス=トルタンカン伯爵令嬢は、自分の屋敷なのに義母と義妹から隠れるように生活していた。 やる事が無くなった時、執事のタヤックに提案され、あることをしながらどうにか過ごしていた。 18歳になり、婚約しなさいと言われたのだが義妹が駄々をこね、お父様と義母様までもが…? 仕方がないので居場所がないアイリスはお屋敷を去ることにした。 そこで…?

婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした

アルト
ファンタジー
今から七年前。 婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。 そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。 そして現在。 『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。 彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。

【完結】キズモノになった私と婚約破棄ですか?別に構いませんがあなたが大丈夫ですか?

なか
恋愛
「キズモノのお前とは婚約破棄する」 顔にできた顔の傷も治らぬうちに第二王子のアルベルト様にそう宣告される 大きな傷跡は残るだろう キズモノのとなった私はもう要らないようだ そして彼が持ち出した条件は婚約破棄しても身体を寄越せと下卑た笑いで告げるのだ そんな彼を殴りつけたのはとある人物だった このキズの謎を知ったとき アルベルト王子は永遠に後悔する事となる 永遠の後悔と 永遠の愛が生まれた日の物語

彼の過ちと彼女の選択

浅海 景
恋愛
伯爵令嬢として育てられていたアンナだが、両親の死によって伯爵家を継いだ伯父家族に虐げられる日々を送っていた。義兄となったクロードはかつて優しい従兄だったが、アンナに対して冷淡な態度を取るようになる。 そんな中16歳の誕生日を迎えたアンナには縁談の話が持ち上がると、クロードは突然アンナとの婚約を宣言する。何を考えているか分からないクロードの言動に不安を募らせるアンナは、クロードのある一言をきっかけにパニックに陥りベランダから転落。 一方、トラックに衝突したはずの杏奈が目を覚ますと見知らぬ男性が傍にいた。同じ名前の少女と中身が入れ替わってしまったと悟る。正直に話せば追い出されるか病院行きだと考えた杏奈は記憶喪失の振りをするが……。

妾の子である公爵令嬢は、何故か公爵家の人々から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
私の名前は、ラルネア・ルーデイン。エルビネア王国に暮らす公爵令嬢である。 といっても、私を公爵令嬢といっていいのかどうかはわからない。なぜなら、私は現当主と浮気相手との間にできた子供であるからだ。 普通に考えて、妾の子というのはいい印象を持たれない。大抵の場合は、兄弟や姉妹から蔑まれるはずの存在であるはずだ。 しかし、何故かルーデイン家の人々はまったく私を蔑まず、むしろ気遣ってくれている。私に何かあれば、とても心配してくれるし、本当の家族のように扱ってくれるのだ。たまに、行き過ぎていることもあるが、それはとてもありがたいことである。 ※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

玉の輿を狙う妹から「邪魔しないで!」と言われているので学業に没頭していたら、王子から求婚されました

歌龍吟伶
恋愛
王立学園四年生のリーリャには、一学年下の妹アーシャがいる。 昔から王子様との結婚を夢見ていたアーシャは自分磨きに余念がない可愛いらしい娘で、六年生である第一王子リュカリウスを狙っているらしい。 入学当時から、「私が王子と結婚するんだからね!お姉ちゃんは邪魔しないで!」と言われていたリーリャは学業に専念していた。 その甲斐あってか学年首位となったある日。 「君のことが好きだから」…まさかの告白!

処理中です...