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二章
11、無様ですよ【2】
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どんなに説得しようとも、ビルギットはわたしが屋敷に戻らないと悟ったのでしょう。
お父さまも、ご自分でここにはいらっしゃらないのね。
追放は許してやる、帰って来いとご自分が命じれば、わたしが尻尾を振って戻るとお思いなのね。
本当に軽く見られたものですね。
「じゃ、じゃあ。帰ってこないなら、せめてお母さまの形見を返しなさいよ」
交換条件のつもりなのでしょうか。
こちらにはまったく利がないというのに。
何処をどう考えれば、取り引きになると思えるのでしょう。
ああ、本当にこの子とは話が通じないのだわ。わたしは、肩を落としました。
「ねぇ、ビルギット。その価値ある詩集を踏みつけて、台無しにしたのはあなたよ? あんなにも状態の悪くなってしまった本に、今更値が付くと思って?」
「値が下がっても、元が高価だから」
「無理よ」と、わたしは首を振りました。
とれぬ足形、しかもビルギットが乱暴に扱った所為で、ページが今にも外れそうなのです。
わたしは床に膝をついて、妹の頬に手を伸ばしました。
「わたしにとってはお母さまの大事な形見。とても価値あるものよ。でも、あなたにとってはそうではないでしょう? 踏みつけるし、困れば売り飛ばそうとするのね」
「お金が無いのよ。仕方ないでしょう」
「使えば無くなるわ、当然のこと。それすらも分からないの?」
妹と思えばこそ、罵られても馬鹿にされても彼女の豪奢な生活を支えていたけれど。
それはもう過去のこと。
一年前に屋敷を追い出されたその日から、わたしとビルギットは姉妹ではなくなったのです。
きっと、お化粧も使用人にさせていたのね。
久しぶりに見たビルギットの肌は白粉が浮いていて、紅も唇からはみ出していました。
「詩集の価値すらも知らず、お湯も湧かせないあなたが、この森の小屋で一冬を過ごせるかしら。あなたがわたしの代わりにここで暮らすなら、一度くらいは家に帰ってあげてもいいでしょう」
「無理よ、そんなの死んじゃうわ」
「ええ、普通なら死ぬでしょうね。でもあなた達はわたしにそれを命じたわ。きっと凍え死んでも構わなかったのね」
不思議なことに、ビルギットは歯をがちがちと鳴らしています。
今は夏なので寒くはありません。むしろ彼女は汗を額に浮かべて……ああ、これは冷や汗ですね。
「お父さまもあなたも、お金があればわたしが死んでも気にも留めなかったはず。わたしも最初は薪も割れなかったわ。でもね、生きる為ならできたのよ」
「姉さん?」
「あなたもできるわね? 散々馬鹿にしてきたわたしにもできたんですもの」
これ以上は何を頼んでも無駄だと悟ったのでしょう。
ビルギットは床に爪を立てました。ぎりぎりと引っ掻かれる床には、幾本もの筋が刻まれていきます。
「ひどい……ひどいわよ。どうしてわたしを虐めるの? どうしてわたしを見捨てるの?」
ビルギットの弱々しい言葉に、わたしは頭がくらくらしました。
これを虐めというのなら、あなたがわたしにしてきたことは何なのかしら。
傷つけることには鈍感なのに、傷つくことには敏感なのですね。
いいえ、むしろ傷つけて嘲笑していたじゃない。
今更被害者ぶったところで、どうにもならないのに。
「姉さんなら、詩集の汚れを取ってジャムの売り上げで製本し直して、売りに出してくれるはずよ。優しい姉さんなら、家に戻って生活を支えてくれるはずだわ」
「ビルギット……それはね、姉さんではなくて奴隷というのよ」
「奴隷?」
「ええ、気づかなかったの? あなたもお父さまも、わたしを奴隷扱いしていたわ」
わたしの言葉に、ビルギットは眉間にしわを刻みました。
「もういいわよ。分かったわ」
どこにそんな力があったのでしょうか。ビルギットは護衛の手をすり抜けて、一瞬にして立ち上がり駆けだしました。
お湯の入った桶は重くて持てないと言っていた彼女が、ジャムがいっぱいに詰まった銅のお鍋を持ち上げているのです。
お父さまも、ご自分でここにはいらっしゃらないのね。
追放は許してやる、帰って来いとご自分が命じれば、わたしが尻尾を振って戻るとお思いなのね。
本当に軽く見られたものですね。
「じゃ、じゃあ。帰ってこないなら、せめてお母さまの形見を返しなさいよ」
交換条件のつもりなのでしょうか。
こちらにはまったく利がないというのに。
何処をどう考えれば、取り引きになると思えるのでしょう。
ああ、本当にこの子とは話が通じないのだわ。わたしは、肩を落としました。
「ねぇ、ビルギット。その価値ある詩集を踏みつけて、台無しにしたのはあなたよ? あんなにも状態の悪くなってしまった本に、今更値が付くと思って?」
「値が下がっても、元が高価だから」
「無理よ」と、わたしは首を振りました。
とれぬ足形、しかもビルギットが乱暴に扱った所為で、ページが今にも外れそうなのです。
わたしは床に膝をついて、妹の頬に手を伸ばしました。
「わたしにとってはお母さまの大事な形見。とても価値あるものよ。でも、あなたにとってはそうではないでしょう? 踏みつけるし、困れば売り飛ばそうとするのね」
「お金が無いのよ。仕方ないでしょう」
「使えば無くなるわ、当然のこと。それすらも分からないの?」
妹と思えばこそ、罵られても馬鹿にされても彼女の豪奢な生活を支えていたけれど。
それはもう過去のこと。
一年前に屋敷を追い出されたその日から、わたしとビルギットは姉妹ではなくなったのです。
きっと、お化粧も使用人にさせていたのね。
久しぶりに見たビルギットの肌は白粉が浮いていて、紅も唇からはみ出していました。
「詩集の価値すらも知らず、お湯も湧かせないあなたが、この森の小屋で一冬を過ごせるかしら。あなたがわたしの代わりにここで暮らすなら、一度くらいは家に帰ってあげてもいいでしょう」
「無理よ、そんなの死んじゃうわ」
「ええ、普通なら死ぬでしょうね。でもあなた達はわたしにそれを命じたわ。きっと凍え死んでも構わなかったのね」
不思議なことに、ビルギットは歯をがちがちと鳴らしています。
今は夏なので寒くはありません。むしろ彼女は汗を額に浮かべて……ああ、これは冷や汗ですね。
「お父さまもあなたも、お金があればわたしが死んでも気にも留めなかったはず。わたしも最初は薪も割れなかったわ。でもね、生きる為ならできたのよ」
「姉さん?」
「あなたもできるわね? 散々馬鹿にしてきたわたしにもできたんですもの」
これ以上は何を頼んでも無駄だと悟ったのでしょう。
ビルギットは床に爪を立てました。ぎりぎりと引っ掻かれる床には、幾本もの筋が刻まれていきます。
「ひどい……ひどいわよ。どうしてわたしを虐めるの? どうしてわたしを見捨てるの?」
ビルギットの弱々しい言葉に、わたしは頭がくらくらしました。
これを虐めというのなら、あなたがわたしにしてきたことは何なのかしら。
傷つけることには鈍感なのに、傷つくことには敏感なのですね。
いいえ、むしろ傷つけて嘲笑していたじゃない。
今更被害者ぶったところで、どうにもならないのに。
「姉さんなら、詩集の汚れを取ってジャムの売り上げで製本し直して、売りに出してくれるはずよ。優しい姉さんなら、家に戻って生活を支えてくれるはずだわ」
「ビルギット……それはね、姉さんではなくて奴隷というのよ」
「奴隷?」
「ええ、気づかなかったの? あなたもお父さまも、わたしを奴隷扱いしていたわ」
わたしの言葉に、ビルギットは眉間にしわを刻みました。
「もういいわよ。分かったわ」
どこにそんな力があったのでしょうか。ビルギットは護衛の手をすり抜けて、一瞬にして立ち上がり駆けだしました。
お湯の入った桶は重くて持てないと言っていた彼女が、ジャムがいっぱいに詰まった銅のお鍋を持ち上げているのです。
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