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 光秀は亀山城の北東に位置する愛宕山の頂上を目指していた。

 家臣達以外に、今日は十三歳の嫡男光慶も伴っている。

 先ず山頂を目指すのは戦勝祈願で愛宕神社を詣でる為だ。

 だが、実はもう一つ目的があり、それは同じく山頂にある白雲寺にあった。

 神社と寺が同じ山の上にあるのは、まだこの時代は神仏が分離されておらず神仏習合だったからだ。

 権現というのは仏が神の姿を借りて現れる事を言い、愛宕権現とは白雲寺の勝軍地蔵が日本神話の女神いざなみに化身した姿を言い表す称号のようなものである。

 いざなみは万物を産み出す神として崇められているのに愛宕権現は軍神だ。

 勝軍地蔵がいざなみの姿に化身した愛宕権現が何故軍神となるのかが正直良く分からないが、勝利の神として武士の信仰を集めていた。

 「本日、儂は白雲寺に参籠し、夜を徹して戦勝祈願を致す!明日は里村殿もお越しになる愛宕山での連歌百韻興行が楽しみじゃな。」

 山道を登りながら常よりも気合い十分に、力強く語る父の姿を見て嫡男光慶は違和感を覚えた。

 備中に出陣するのは確かに大事ではあるが、一晩中参籠(おこもり)して戦勝祈願する程、力を入れる気持ちが今一分からない。
 光慶は光秀に良く似た公家のような細面に身体つきも華奢で色白の、美少年と評すべき容姿をしている。

 少し不審に思ったものの、深く考えずに別の不安を口にした。

 「……父上、私は連歌は未熟でございますので、明日の連歌は参加を遠慮しとう存じまする。」

 十三歳の光慶が怖じ気づくのも無理はない。

 連歌は数人で長句(五、七、五)と短句(七、七)を交互に読み連ねて完成させる長歌である。

 和歌ならば一人で詠むのだから下手くそでも構わないだろうが、連歌の場合はそういう訳にはいかない。

 光秀は既に達人の領域であるし、他の参加者ときたら、連歌師里村紹巴にその門弟達など技術に長けた年配者ばかりだ。

 連歌は細かい決まりがあり、始めの発句も大事だが百句も続けるのだから、前の句の世界観を壊さずに転回する高度な技術も求められる。

 「ははは!儂の倅が連歌の一つも詠めぬでどうする?情けない事を申すなと言いたいところじゃが、そなたは余りにも年少故、最後の一句のみ詠めればそれで良い!」

 光秀は息子の顔を愛しげに見つめ笑いながら励ました。

 父の言葉に光慶の顔に安堵の笑みが広がる。

 連日の雨で湿った草や葉を踏み締めながら山道を歩いて行くと、黒門が見えてきた。

 黒門を過ぎれば漸く愛宕神社に至る。

 幸い今は雨は止んでおり、晴れていれば眺めも良いが生憎の曇り空だ。

 愛宕山は亀山城からも望め、特に武士が戦勝祈願に訪れる山でもある。

 丹波丹後を平定し、亀山城を領してから何度も登っている光秀にとっては、愛すべき山、そして景色なのだ。

 都の方角を見ると桂川が流れていて、帝の住まう御所を見下ろすなど何と畏れ多い事かと当初は考えた。

 その気持ちは今でも変わらないが、亀山城を見て、また都の方角を見ると、城から本能寺までは六、七里くらいの距離と見定める事が出来た。

 一里が人が歩いて約一時間の距離と考えれば、夜遅くに亀山城を出ても、本能寺には明け方近くに到着出来る計算になる。

 光秀の顔は自ずと引き締まり、愛宕神社を目指した。

 神社に着き、光秀も随行した光慶も家臣達も皆手を合わせて拝む。

 その後、籤《みくじ》を引いた。

 光秀は最初凶が出て、再び引くとやはり凶で、三度目で漸く吉が出たと伝わるが、これが創作であれ真実であれ、籤を引く時点で既に決意が固まっているという、こんなに信心深い時代も今も変わらぬ心理なのだろうか。

 結局は神の正体も鬼の正体も己自身なのかもしれない。

 望む籤《みくじ》が三度目で漸く出た光秀の表情は和らぎ、木に結び付けた。

 その晩、光秀は一人で愛宕神社に参籠した。

 神仏に、信長を討ち果たせるようにと一心不乱に祈った。

 暗闇の中、時が経つのも忘れ、少しずつ空が白み始め、部屋に光が射し込んできても気付かぬ程に祈った。

 「……ときは…いま…ときは…いま…ときはいま……ときは…」

 いつしか唱えていた経は、己自身に言い聞かせるような暗示の言葉に変わり、とうとう疲労でどっと床に倒れ込んだ。


 「…殿……殿…」

 己を呼んでいるのだと夢現の境で気付き目が覚めたのは、疲労困憊して寝入ってから大して経っていない時の事であったようだ。

 「皆様、御見えになっておられまする。」

 家臣の言葉に本日は大事な連歌の会であったと慌てて起き上がり、身支度を整える。

 百韻連歌興行に参加する者は九名。

 明智光秀、嫡男光慶、家臣の東行澄、連歌師里村紹巴、里村紹巴門弟の昌叱、同じく心前、愛宕西之坊威徳院住職の行祐、愛宕上之坊大善院住職の宥源、猪名代家の連歌師の兼如。

 五月二十八日、百韻連歌の会は以上の九名で催された。

 髭も剃り髪もきちんと整え、睡眠不足の疲労感は表向き上手く取り繕われていた。

 百韻連歌の場合は四枚の懐紙を二つ折りにし、表と裏を合わせて八面を使い、句を順番に書き記していく。

 一枚目の紙を初《しょ》折りと言い、表に八句、裏に十四句、二、三枚目は表も裏も十四句、最後の紙を名残折りと言い、表に十四句、裏に八句、合わせて百句を記す。

 一番始めの句を発句と言い、その会の主賓が詠む決まりになっていた。

 「では、十兵衛はん宜しうお願い致します。」

 愛宕山の白雲寺西之坊威徳院の住職で連歌の会の主催者行祐が光秀を促した。

 「ときは今、雨が下しる五月哉。」

 梅雨の時期に相応しく雨の情景を雅やかに詠み上げながら、『ときは今』と始まるところに勢いと潔さが感じられる見事な発句であった。

 発句の次の句を脇と言い、主催者が詠む決まりなので次は行祐の番となる。

 「水上まさる庭のまつ山。」
 (雨の勢いで水が流れ込む庭の松山である事よ)

 この日は雨が酷く降っていたのだろうか。

 三句目は宗匠(達人)里村紹巴の番である。

 「花落つる流れの末をせきとめて」
 (水の流れをせきとめるように花々が散り落ちていますね。)

 昨日、籤で求める吉を漸く引き当てた光秀は、更に謀反の決意を固めるべく参籠した。

 迷いは失せ、当に『時は今』、神仏の加護を得たような強い心持ちで連歌の会に挑んだ。

 発句に自身の心情を詠み込もうと意図的に用いた訳ではないが、今の光秀を奮起させる言葉は『時は今』であり、無意識に発句として口から出たのである。

 とはいえ、何よりも愛する連歌の席にあっても、頭の片隅には常に信長の姿があり、気持ちを固めたつもりでいても、小波のように迷いが生じる瞬間がある。

 己が尊敬する連歌の師匠里村紹巴の詠んだ第三句は心を揺らした。

『花落つる流れの末をせきとめて』

 己の無謀な企てを諌め、今なら引き返せると、そう訴えているように感じたからだ。

 無論、それは光秀の願望であり、いくら親しいからとはいえ連歌の師に謀反の企てを打ち明ける程愚かではない。

 故に、里村の詠んだ句に深い意味などない事は光秀が一番良く分かっている。

 誰か止めてくれ──
 もし、今強く彼を止める者がいたら、引き返せたかもしれない。
 それは籤や神仏の啓示と同じく願望であり、受け止める側の心の均衡により、白にも黒にも見える危うい幻想であった。
 仮に連歌に深い意味が込められていたとしても、進退を決めるのは光秀自身であり神仏ではないのだ。

 そして結局、彼は進む決断をしたのだった。

 その後も連歌は続いてゆき、心前の九十九句目「色も香も酔をすすむる花の本」を受けて、最後の百句目を嫡男の光慶が緊張の面持ちで詠んだ。

 「国々は猶のどかなるころ。」  

 光秀から始まり、嫡男の光慶で締めくくられた愛宕百韻は戦勝祈願も兼ねて神社に奉納された。

 まる二日掛けて戦勝祈願をした光秀は改めて決意を固め、下山して亀山城に戻った。

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 槍の刃を紙で丁寧に拭う。

 まだ人を殺めた事のない刃先には刃こぼれ一つ無く、顔が映り込む程に光を放つ。

 武具の中でも槍や刀の手入れは重要だ。
 いざという時に使い物にならないようでは困る。

 紙で古い油を拭った後は、砥石を細かく砕き粉状になったものを紙でくるみ、更に絹でくるんだ『打ち粉』で刃を軽く叩いていく。

 それが終わると今度は打ち粉を拭う。

 綺麗に拭い終えると、刃が錆びぬように今度は丁子油を塗り込んでいくのだ。

 明日はいよいよ信長の上洛である。
 その後続いて備中に出陣するからには、使用する可能性は低くとも手入れに熱が籠る。

 鎌十字槍の柄を回し全体を見て磨き具合を確認し、乱法師は満足すると槍を壁に架けた。

 しかし彼の作業はこれで終わらなかった。

 刀架から朱鞘の腰刀を取ると丁寧にゆっくりと鞘から引き抜く。

 嘗て、信長の愛刀であった不動行光だ。

 信長自身が所有していた頃から派手な朱鞘の飾り刀だったが、乱法師が持ち主になってからもそれは変わらない。

 彼が派手な拵えの不動行光を腰に差すのは、信長の使者、上洛の供、出陣など、少し余所行きの時であった。

 贈られた品々の中でも、特に信長の愛と信頼を感じられる物として、身に付けると身体が熱くなり胸の内が幸福感で満たされる。

 この名刀を賜った時は本当に子供だった。

 鞘の刻みの数当てなど──

 少し大人になって、気付いた時には笑いが込み上げた。

 他愛ない信長の意図と、それに気付かなかった幼い自分に対して。

 そんな未熟な自分に大事な愛刀を授けてくれたのだ。

 この刀で生涯上様を御守りする──

 信長その人を抱くように、愛しげに胸に刀を押し当て誓った。

『明日こそ、明日こそ申し上げる。必ず──』

 更に柄を強く両手でぐっと握り締めると、軽く刀に口付ける。

 美しい刀身を反して検分した後、槍と同じように紙で丁寧に拭い入念に手入れを始めた。

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 二十八日に愛宕山から下山し亀山城に戻った光秀を待っていたのは、斎藤利三からの知らせであった。

 「三七信孝の軍勢が安土城に参り、摂津に向かったそうでございます。四国に渡る為の船の準備が整うのも時間の問題。摂津からの知らせによれば、おそらく渡海は六月二日を予定しておるとか!」

 「六月二日──それまでに討たねばならぬ。信長の上洛は明日じゃが、家康は堺を見物中で、六月一日にも茶会の持て成しを受けると聞いておる。」

 「ならば明日?今宵出陣すれば信長父子を揃って討ち果たす事も出来ましょうぞ!」

  光秀の額に皺が寄り、熟慮する時の癖で部屋中を歩き回った。

 「いや……待て、信長が都に滞在する以上、信忠も共にいる筈。やはり家康の上洛も待った方が良いであろう。茶会は六月二日に催されるに違いない!その日を狙おう!」

 「では──六月二日!」

 「うむ、明後日六月一日の夜に亀山を出て都に向かう!」
 (この年は五月は二十九日まで)

 日にちを決めてしまうと光秀の心は少し軽くなった。
 
 もう迷わず、その日を待つだけ──

 その時、利三が一呼吸ついて無言で光秀に書状を差し出してきた。

 訝しげに眉を潜めて受け取ると、既に書状は開封されており、差出人は堀秀政となっていた。

 差出人を見た途端に光秀の顔色は変わり、急いで開いて文面に目を通す。

 「な……那波直治は稲葉家に戻し、斎藤内蔵助は、猪子兵介の取り成しにより……自刃は免じる……」

 光秀ははっと利三の顔を見た。

 「申し訳ござらぬ。殿が御不在の時に無断で書状を開いてしまい申した。おそらく、件《くだん》の裁決が書かれていると思いましたので──」

 申し訳ないと口では言いながら、主に宛てられた書状を無断で盗み見た事に対して少しも悪びれていない。

 光秀は静かに書状を畳み、半分に破り、重ねてまた破り、それを何度も繰り返し、細かくなった紙切れを屑籠に捨てた。

 物事には時機がある。
 その時機を少し逸してしまっただけで手に入る物も手に入らず、失ってしまう事もある。

 光秀の行為は、待ちに待っていた筈の書状が、最早紙屑同然である事を物語っていた。

 「大義を成そうと決した我等には、不要である。」

 静かな声で利三に告げた。
 しかし、その瞳は本当に良いのか、と尚も問い掛ける。

 主の瞳を見つめ返した利三の顔は少し微笑んでいた。

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 「他に入り用の物はございませぬか?暫く戻って来られぬのでしたら厚手の物も今少し持って行かれた方が宜しいのではございませぬか?」

 安土から見れば当事は遠国であった備中に出陣する三人の息子達を案じ、妙向尼はあれこれと侍女や中間に指図していた。

 「母上、長旅であるからこそ全てを持って行ったら大変な荷物になってしまいまする。入り用の物は現地で調達致しますから大丈夫でございます。」

 坊丸や力丸の呆れた声には耳を貸さず、道中小腹が空いた時用にと尚も細々とした菓子類まで詰めさせている。

 本能寺で数日茶会を催してから向かうのであるから真に優雅な出陣もあったものだが、乱法師にとっては上洛してから茶会が終わるまでが戦場である。

 形式通り勝栗、打ち鮑、昆布を朝飯と共に食べたが、具足も身に付けず、小袖に肩衣の平装である為、信州に遠征する時よりも出陣という趣がなかった。

 「……今日も曇り空で都までの道中雨が降りそうでございますね。次郎左、皆の事宜しくお願いします。くれぐれも気を付けて行って参られませ。」

 森家の家臣でもあり、乱法師達の姉の夫で義兄の青木次郎左衛門に妙向尼は念押しした。

 宜しくと念押しされても、精々雨が降ったら簑を着せてあげるくらいしか気を配る事も無さそうだがと青木次郎左衛門は思ったが、親が子供を送り出す際の常套句と受け止め神妙に頭を下げた。

 「仙!儂等がいない間はそちが邸の主と思い、留守をしっかり守るのじゃ!良いな!」

 「承知致しました。兄上達の御武運お祈り申し上げます。」

 乱法師の言葉に仙千代は頼もしく答え、馬上の兄達の姿が小さくなるまで見送った。

 安土城の留守居役を蒲生賢秀等に命じ、此度随行しない馬廻り衆等精鋭の者達に、「報せがあり次第、備中に直ぐ出陣出来るように支度をしておけ!」と命じ、信長は五月二十九日総勢百五十騎程を引き連れ都に向かった。

 百騎、多くても百五十騎とも伝わる人数の内訳は、小姓衆三十名程、侍女や中間も含めての数と思われる。

 信長の出馬の供と考えたら少ないのだろうが、上洛だけが目的ならば手薄という数でもない。

 だが小姓はまだしも、侍女は完全に非戦闘員である。

 都では信忠が五百から千の供を従え父信長を待つと知らせて来たのだから、あながち油断とも言えないだろう。

 黒人侍の弥助は信長の荷物や武器を持ち、中間という身分ではないのに、どうしても騎馬が不得手なので徒歩で列に付き従っていた。

 日本人と比べ体格も良く力も強いが、何よりも凄いのが足の速さであった。

 引き締まった筋肉の発達した脚は余程走るのに適しているのか、家中の俊足の者達と競わせても、弥助には到底敵わなかった。

 安土城を出立した頃は幸い曇り空で、順調に馬の歩を進めて行く。

 琵琶湖に架かる瀬田の唐橋を渡りきった辺りで小雨が降り始め、雨宿りがてら民家で休憩となった。

 休憩していると、吉田兼和が出迎えの為に山科の辺りまで出向いてずっと待っているとの知らせが入った。

 「乱、わざわざの出迎えは無用と伝えて参れ!」

 「はっ!」

 このような時こそ簑である。
 
 簑は着た時の見た目こそ今一だが、中々優れた雨具だったようだ。

 ナイロンやビニールと違い通気性に優れ、雨は表面を伝い落ちていく。

 ただし大雨の場合は、伝い落ちるどころか叩き付ける雨が隙間から入り込みびしょ濡れになってしまったらしい。

 この場合は小雨だったので簑で事足りた。

 雨の中、颯爽と馬を走らせ山科まで行くと、吉田兼和を見つけたので手を振った。

 笠を被って簑を纏った乱法師の姿に始めは気付かなかった兼和も、はっと誰かが分かり緊張する。

 「上様の使いで参りました。出迎えは無用であると。」

 「おお!上様は今どの辺りにいらしゃいまするか?」

 「この道を真っ直ぐ行った先にある民家で御休みでいらっしゃいます。此処におられるのは兼和殿だけでございますか?」

 「いえ、この先の粟田口では勧修寺晴豊様が待っておられまする。」

 「では、戻られるついでに勧修寺様にも出迎え無用と伝えて下さいませ。御免!」

 「──っあ!お乱殿、お待ち下され!上様に御伝え頂きたい事が──」

 用件だけを伝え、素早く馬に跨がり信長の元に戻ろうとするのを慌てて呼び止める。

 馬上から振り向く彼に兼和は告げた。

 「明日の六月一日は私は神事がございまして本能寺には参れませぬ。上様の久しぶりの御上洛なれば、今すぐにでも御目にかかりたいところでおじゃりますが……長い間御待ち致しましたのに……戻れと言われれば致し方無く…明日の件宜しう御伝え頂けましょうや?」

 
 何だそんな事かと乱法師は思った。

 だが兼和の口振りだと、逆に兼和以外は全員本能寺に来るようにも聞こえる。

 嫌な予感がして思わず尋ねた。

 「因みに、明日はどなたが本能寺に参られるか御聞き及びでいらっしゃいますか?」

 「はあ……全ての御方の御名前申し上げたら大変な事になってしまいますが……えーっと…関白様、前の太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、前の関白、前の内大臣ですやろ。他は……何しろ多過ぎて、つまり堂上(昇殿を許された身分の高い公家)の方々は大体全員御挨拶に参られる筈どす。」

 それを聞いて一瞬馬上で吐き気を催しそうになった。

 「殿上人(堂上に同じ)が何十人も。承知致しました。兼和殿が明日参られないのは神事の為故と、上様にはしかと申し伝えまする。」

 乱法師の涼やかな微笑みに、兼和は心底胸を撫で下ろした。

 後で何故貴様だけ挨拶に来なかったと責められたらたまったものではない。

 馬で走り去る後ろ姿を見ながら兼和は思い出した。
 そういえば、六月一日に兼和も本能寺に挨拶に出向くのかと、光秀がやけに気にしていた事を。
 都での信長の動向を逐一教えてくれと頼まれているから、また報せてやろうと考えた。

 雨がしとしとという風情で降り続け、出迎え無用の通達のおかげか、信忠だけが手勢の何分の一かを率いて父を守るように本能寺まで同行した。

 信長の久しぶりの上洛にしては閑散としていた。

 申の刻(15時から17時)頃の到着だったようなので、本能寺に入ったのは17時頃であろうか。
 晴れた日であれば陽が沈み始める夕暮れ刻の事である。

 そのような感じだったので、信忠や五男の信房、真向かいに邸を構える京都所司代村井貞勝のみが挨拶の為に本能寺を訪れていた。

 京都所司代の村井は老人と言っても良い年齢だが、都に邸を構え治安維持に良く努めている。

 都に在住している事から公家衆とは懇意にしており、朝廷側の橋渡し役勧修寺晴豊とは良く連絡を取り合っていた。

 「明日、勧修寺晴豊様と権大納言甘露寺経元様が上様の御上洛祝賀の為、両御所様の勅使として参られます。」

 村井が明日の予定を伝える。

 「勅使だけでなく堂上の者共が一斉に訪ねて来ると耳に入って来たが、ただの挨拶ではなく本題は任官か譲位か、暦か?奴等の言い方は回りくどい。先に用件を聞いておこう。」

 信長が乱法師の顔をちらっと見てから単刀直入に切り出した。

 「暦……でございましょうな。」

 天下統一を成し遂げた暁に世の中を合理化せんと改革を目論む上で、朝廷は実に古臭い存在である。

 だからといって、それを完全に排除するのもまた合理的ではないと言えよう。

 武力による戦いのように明確な勝敗は無く、水面下での小競り合いは表からは見え辛く、真に女の戦いのように柔やわと気色が悪い。

 顔に笑みを張り付かせ、強敵に一人では立ち向かえない故に大挙して押し寄せる殿上人が腹に一物も抱えていない訳もなく、狙いは一体何なのか。

 互いの関係は男女の仲のように、時に離れ擦れ違い、抱き合い睦み合い、決して相手を滅せず共存していくしかないのかもしれない。

 暦は世の人々に時を知らせ、生活に無くてはならないもの。
 そして、時を支配する者は世も支配する。

 武力による天下統一の後の更なる統一事業。

 地域によって異なるからこそ経済を潤す特産品もあるが、暦、貨幣、秤、物の単位、言語、統一される事で経済や生活が発展していくものも多々あるのだ。

 「長門守(村井貞勝)!明日、訪れる公卿からの進物は一切受け取らぬ。不要と通達せよ!」

 乱法師はほっとした。
 村井の口から纏めて通達して貰えれば個別に断る手間が省ける。
 出迎えと御茶と菓子を出すくらいならば、小姓と侍女達で充分回るだろう。

 「やはり暦か。明日はどうなるか。楽しみじゃな。起こるか起こらぬか。起こったら奴等の白い顔が益々白くなるのう。ははは!」

 朝廷が定める宣明暦と信長が産まれ育った東国で使用されている三島暦、今後どちらの暦で統一するかという戦いである。

 実はこれを戦いと呼ぶべきかは疑問だが、結果として信長が一枚噛んでしまった為に戦いのようになってしまったというのが正しい。

 当事は太陰太陽暦が用いられ、方言と同じく地方により暦にもばらつきがあった。

 宣明暦と三島暦で、正月が一ヶ月もずれてしまうという問題が発生した為、信長が大きく関わる事態となってしまったのだ。

 白黒はっきり付けたい信長は、一月には陰陽頭、暦博士まで交え議論の末決着が付かず、二月に再び陰陽頭に加え医聖と称される程の名医曲直瀬道三を召集し、再び議論させた。

 何故、暦の話に医者かというと、医学と易と算術の関わりが重視されていた為、つまり月や星の動きを見る天文暦学の知識があるから呼ばれたという訳だ。

 そして宣明暦の方が正しいという結論が出て、信長は武田討伐に向かったのだが──

 要は正しく理に敵っていれば良いだけなのだから、宣明暦が正しいと結論が出た事を敢えて蒸し返そうと思っていた訳ではない。

 しかし朝廷の保守的な在り方に一石を投じる良い機会であるのは確かだろう。

 任官と帝の譲位に明確な返事をしないのは、朝廷側が望むそれらの事が、保守的な態度を崩す切り札にもなると考えていたからかもしれない。

 暦を作る場合の規則と算定法によると、計算により出される数は嘘を付かない為、やはり宣明暦の方が正しかったようだ。

 既に白黒付いている暦の戦いだが、明日その勝敗を覆すかもしれない事態が起こると三島暦は告げていた。

 公卿衆が勢揃いする中で、それが起こったら面白い事になると信長は考え薄く笑った。

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 「本能寺に入ったそうじゃ。」

 燭台の灯りが室内を柔らかく照らし出している。

 光秀の前には、斎藤利三ただ一人が座していた。
 
 つまり、この企てを知る者はまだ二人しかいなかった。

 他の者達に、いつ知らせるべきか──

 備中に向かう筈の軍勢を都に向けて進軍させたら流石に不審に思うだろう。

 家老職ともいうべき地位にいる義理の息子の明智左馬助秀満、光秀の従兄弟の明智次右衛門光忠、藤田伝五行政、溝尾庄兵衛茂朝。

 この者達には誤魔化しはきかない上に、協力を得られなければ本能寺を包囲する事は不可能だ。

 軍勢を二手に分け、本能寺と妙覚寺を同時に囲む。

 「雑兵共に何と伝えさせるか考えたのでございます。いくら雑兵といえども、都に向かい本能寺を囲み、いきなり攻撃せよと命じても戸惑うばかりでございましょう。」

 「何とする?」

 利三の意見はもっともである。
 都に向かうだけならまだしも、信長を討ち取ると告げた途端に逃げ出す者が出るやもしれぬ。

 「上様の御命令で家康を討つ事になった……では如何でございますか?」

 「ふむ、なる程、それならば──」

 それにしても五人の重臣以下、更にその下の階級の兵を率いる地位の者達が、出陣後に信長父子を討つと告げられ従い、雑兵達は家康を討てと突然言われ従ったのは、この時代ならではの武士の特異な心の在り方であろう。

 先日まで肩を組み酒を酌み交わしていても、その数日後に敵として討つ事に、違和感や躊躇いはなかったのだろうか。

 「左馬助、次右衛門、伝五、庄兵衛にだけは、明日出陣前に告げようと考えている。」

 謀反の企てを告げる時機が悩みどころだ。

 利三以外の四人は信頼出来る忠実な家臣達であるが、果たして心を一つにして従ってくれるのだろうか。

「殿、いつ告げたところで必ず反対する者は出てくるでしょう。反対するだけなら良いのですが、逃亡しようとしたら。いつ告げるかよりも、従わなかった時、彼等を斬る覚悟があるかどうか──」

 己はとんでもない道を選ぼうとしているのではないのか。

 それに、その行動は矛盾しているのではないか。

 大事な利三を失いたくないという気持ちと、己も含めた明智家の者達の未来を守りたいという気持ちが此度の大それた企てを強く後押ししたというのに。

 従わないからと斬り捨てたら、結局信長と変わらないのではないか。

 いや、こうするしかないと決断し、神仏に誓ったのだ。

 強く頭を振り、弱い心を払いのけて思った。

『間違い無く神仏が味方してくれていると強く感じる。それでなくば、これ程の好機を御示し下さる筈が無いではないか。時は今じゃ!時を支配する者こそが天下を取るのじゃ!神仏が今こそ信長を討ち、儂に天下を取れと告げておる!時を過たず、好機を逃さない者こそが勝利を手にする事が出来る。今は退く時ではない!進む時じゃ!』

 そう己に言い聞かせると、身体がまた揺るぎない自信で満たされていく。

 「兵達を都に向かわせる為の良い理由を考え付いた。」

 光秀は懐から一枚の書状を取り出した。

 「──?それは一体誰の文にございますか?」

 利三が身を乗り出す。

 光秀が書状を手渡すと、急いで内容に目を通した。

 その文は、乱法師から光秀に宛てられた本能寺での茶会の知らせで、六月二日に催す為、出陣前に光秀にも出席するようにと信長の命を伝えるものであった。

 「それは本日届いたものじゃ。その儘使う事は出来ぬが、お乱の署名、日付、花押があれば、備中に向かわずに都に向かったとて怪しまれぬ。」

 「……しかし、この内容ですと軍勢を動かすには、ちと……茶会に行くだけなのに一万以上の大軍を率いて都に入るのかと不審に思われるのでは?」

 「確かに、そちの申す通りじゃ。使うのはお乱の署名と日付、花押だけじゃ。あくまでも怪しまれた場合に念の為というだけの事。内容などいちいち誰が読むものか。」

 「……ならば……」

 灯明の周りに集まった小さな羽虫が一匹、火に近寄り過ぎてじじっと音をたてて焼け、焦げた臭いが漂ってきた。

 「皆には、こう告げる。京の森お乱より飛脚があり、備中出陣前に我等が軍勢の様子を上様が御覧になりたいと申されている為、これより京に向かう事になったと。」

 利三の目が大きく見開かれた。

 「それならば!恐らく怪しまれますまい。」

 「内容は、書き変えた方が良いと思うか?」

 「あくまでも都に入り、本能寺に向かう間までの事なれば、それには及びますまい。」

 「──うむ。いよいよ明日か──」
 
 光秀は唇を噛み締め拳を強く握りしめた。

─────

 湯殿の中は白い湯気で少し霞み、入り口からだと中の様子が良く見えない。

 ただ、若かりし頃からの気に入りの小唄、『死のうは一定、しのび草には何しよぞ。一定語りをこすよの』を信長が心地良さそうに口ずさむのが聞こえてくる。

 小姓が先程まで信長の湯殿での世話をしていたのだが下がらせ、公的な話しや他愛ない話しをして湯殿の入り口に控えていたら、いつの間にかそこに残って結局小姓の役目をする事になってしまった。

 乱法師の立場を分かりやすく言い表すなら、差し詰め若妻といったところだろうか。

 この時代の男性は意外と女性の役割を尊重し大事に扱っていたようだが、何分現代と比べ同じ空間を共有する時間が極めて少ない。
 敵国に嫁いでも親が決めた相手でも、男女の間に確かに愛は存在した。

 だが、男同士は親が決めた訳でも生殖の為でもなく、同じ空間を共有する事で生まれた自由恋愛である。

 単純に異性愛と同性愛の愛情の度合いを比較するのは難しいが、乱法師のように同じ空間を長い時間共有する者との間に、性愛を超越した絆が生まれるのは自然な成り行きであった。

 信長が湯殿から上がると当たり前のように浴衣を着せ掛け、水と汗を吸い取るように上から押さえたり着替えを差し出したりと甲斐甲斐しく世話を焼く姿は、やはり家臣というよりは妻のようだ。

 「後で寝所に参れ。」

 自然に側に寄り添う彼に信長が声を掛ける。

 常の事であるのに、乱法師は微かに身を強張らせた。

『時間がない。寝所に行くなら寝衣に着替えて行かねば変に思われてしまう。今日申し上げると誓ったのじゃ。なれど、お休みになられる前に申し上げるのは気が咎める。ああ、明日はまた忙しく時間がない。やはり、これから……でも寝所に寝衣に着替えて行き、元服の御許しを頂くのは……しかし、何も今日いきなり元服させて欲しいと願い出る訳ではないのじゃから。』

 彼の心を外に出して表すならば、当に身悶えるような風情であったが、幸い信長はとっとと先に行ってしまったので勘づかれずに済んだようだった。

 
 寝衣に着替え庭に面した廊下を歩いて行くと、今日の昼頃から降った雨は既に止んでいた。
 明日は月変わりの六月一日で朔日であるから、夜明け前に目にした月は糸のように細い形をしていた。

 明日はまた新月で姿を拝めぬが、二日に有明の月を都で見れたなら、中々雅な事だと涼しい風を頬に感じながら寝所に向かう。

 「暦か……」

 美濃で生まれ育った彼に馴染み深いのは三島暦であるから、明日の暦に何が記されているかは無論知っている。

 正月が一ヶ月も都と地方でずれてしまうのは確かに大問題だ。
 どちらも同じ月の満ち欠けで作暦しているのに、深刻なずれが生じるのは単に計算間違いなのだろうか。

 武家社会において明日の予測は然程大きな問題にはならないが、朝廷にとってはそれが予測出来なければ伝統に支障をきたしてしまう事になる。

 しかし彼にとっては明日の事より、寝所に歩を進める方が今は大事だった。

 一歩進むごとに息苦しくなってくる。

 襖をゆっくり開けると、寝所の前に不寝番の小姓が一人座していたので、もう一つ手前の部屋に下がらせた。

 「上様、乱法師にございまする。」
 
 声を掛けると応えがあったので、中に入り襖を静かに閉じた。

 日頃忙しいのも理由の一つだが、周りに人が居て話せる内容でもなく、しかも二人っきりになると途端に甘い雰囲気になってしまい話せず今日に至ってしまった。

 白い寝衣で二人寝所で向かい合っていれば、自ずと淫靡な空気が漂い始める。

 その空気に呑まれぬうちに口に出そうとした瞬間。

 「早く側に参れ。」

 褥の上に身を横たえ衾の片側を跳ね上げ、腕の中に来るようにと甘い声で誘われる。

 「───上さまあーーぅ、ぉお願いが──どうか!元服を──う……ぅ、くう──」

 力が抜けそうになるのを堪え、何とか全身から声を絞りだした。 
 一瞬目を丸くした信長は何も問わず、彼を優しく抱き締め、乱法師はしゃくり上げ嗚咽した。

 優しくされる程に決意が揺らぎそうになるが、そんな時でも彼らしく「お許し下さい」とは言わずに「申し訳ありませぬ。」と何度も繰り返し懇願した。

 信長の体温を感じながら、元服してしまったらこのように抱き締められる事も許されないのだろうかと頭の片隅で考えると急に寂しくなってしまう。

 信長が何も言わないので、乱法師も静かに目を閉じ抱かれていた。

 唇に信長の唇が触れるのを感じ、此度も駄目なのだろうかとぼんやり考えながら抗わずに身を任せ、少し顔を上げて信長の瞳を見た時、許されたのだと悟った。

 その途端にまた涙がどっと溢れてくる。

 頬の涙を拭うように手が触れ、親指が涙の雫を掬う。

 「──自分から申しておきながら、泣くのはおかしい──」

 穏やかな声で諭され、必死に涙を堪えようとしたが出来ずに嗚咽していると、今度は優しく頭を撫でられた。

 「──私は──ずっと御側にいたいのです──」

 「無論じゃ──そなたを側から離しはしない──」

 「……上様を……真の父のように…心の内で…いえ、上様が私の父であるという……夢を見た事があるのです。真の父であったらと、目覚めて思ったのです。何と無礼な事を……と。」

 「儂はそなたの父にはなれぬ。」

 きっぱりとした信長の言葉に乱法師は少し傷付いた顔をした。

 「……はい……申し訳ございませぬ。真に……御無礼を……」

 「──じゃが、真の父以上にそなたを慈しみ、愛してきたつもりでおる。」

 「…………」

 「前にそなたは申したであろう?親子は一世、夫婦は二世、主従は三世と。ならば儂とそなたは親子や夫婦にも優る絆で結ばれているという事であろう。それでは嫌か?」

 信長の胸に顔を埋めながら小さく首を振る。

 「──いいえ──いいえ──」

 今一番の願いはと問われたら、今この瞬間で時を止めてくれと迷わず答えただろう。

 古の王者達の中には永久に己の権勢が続く事を願い、不老不死を追い求めた者達も数多いた。

 ところが彼を抱き締める王は、時を止める事は不可能であると知り、過ぎ去るからこそ美しいのだと諭す。

 永久不変の物などこの世には存在しないのだと。

 その代わり、彼を抱き締める腕からは力強く揺るぎない愛が伝わり、限りある時の中で誰よりも深い愛を与える事を誓ってくれた。

 「まさか今すぐに元服させよと申すのではあるまいな。」

 腕の中ですっかり大人しくなった乱法師の顔を覗き込み、真顔で聞いてきた。

 他の家臣達が決して見る事が出来ないであろう信長の表情に、思わず涙が止まった。

 「その……出来ますれば中国に遠征し、毛利や長宗我部や九州の事が片付き安土に戻って来てからと考えておりますが、何じゃ今すぐでないのか、意気地が無い奴じゃと呆れておいででございますか?」

 不安そうに問い掛けながら顔を上げると、強く強く抱き締められ息が詰まりそうになった。

 「ふう……それなら良い。金山では突然言われて驚いたが、結局此度も驚かされた。安土に戻って来てからなら先の話しではないか。儂にも心の準備というものがあるのじゃ。」

 少し嬉しそうな様子に安堵して、おずおずと聞いてみた。

 「烏帽子親をどなたにお願いすべきかと──」

 元服する男子の頭に烏帽子を被せ、通常は諱(元服後の正式な名前)を付ける役の者を烏帽子親と言う。

 「烏帽子親は儂がやるに決まっているであろう。他の者にさせる訳がない。」

 勿論信長がなってくれると信じていたが、男色関係の終わりを意味する元服を自分から言い出した上に、烏帽子親まで願い出るのは気が引けてしまったのだ。

 「ああ──上様にして頂くなどこれに優る栄誉はございませぬ。」

 涙ぐみ感謝すると信長は言った。
 
 「武蔵守の烏帽子親も儂が務めたが、そなたのように涙まで流さなかったな。それにしても元服は安土に戻ってからと言うのであれば、気持ちも変わるやもしれぬ。元服をしたくなくなったら遠慮なく申せ!何時でも取り止めにしよう。」

 半分戯れ言めいた本音を語る信長を改めて愛しいと思い、涙に濡れた瞳で見詰め熱く訴える。

 「……私の心は生涯上様ただ御一人のもの……そして……」

 そこで言葉を切り、僅かに顔を赤らめ伏せた睫毛を震わせながら小さな声で言った。

 「元服するまで……私の身体は……上様ただ御一人の……」

 信長は乱法師の一途な愛の囁きを唇で受け止めた。

 優しく触れた熱が離れ、頬に触れ、耳元に移っていく。

 顎髭の柔らかい感触が少しくすぐったかった。

 耳下から首筋をなぞる唇は優しく、止めていた息を大きく吐き出すと甘い喘ぎ声が同時に溢れる。
 信長の背に回した手に力が篭り、褥に倒れながら互いの視線が絡み合う。

 首筋をさ迷っていた唇が乱法師の唇を求め重なり、更に深い繋がりを求めて熱い舌が入り込んでくる。

 それに応える舌先が信長の舌に触れ、上下に重なり激しく絡み合う。

 小鳥を愛でるようだった優しい手が、やや乱暴に腰紐をほどき、襟元を荒々しく左右に開いて、露になった白い胸に愛撫を施す。

 片頬を褥に押し付け喘ぎながらも、これ以上声を出すまいと身をよじる可憐な姿に、白い肌のそこかしこを強く吸い、所有の印を次々と散らしていく。

 寝衣を脱がせながら、右手が乱法師の背を滑り降りた。

 腰まで下げた衣を一気に剥ぎ取り、臍の周りに舌を這わせつつ下帯の紐に指を掛けると、抑え難い悪戯心が沸き起こってきた。

 「そなた──父上と申してみよ。」

 甘やかな愛撫に陶然となり、少し頭がぼおっとなりかけていた乱法師は耳を疑い聞き返した。

「父上と?今、でございますか?何故……」

 「儂の事を父上と呼んでみよと申しておるのじゃ。」

 乱法師に顔を近付け真顔で命じる。

 「ですが、このような場で……」

 抱かれている最中に主を父上と呼ぶなど酔狂にも程があると、顔を赤らめた儘目を逸らして黙ってしまう。

 だが信長は許さず、耳朶に唇を寄せて囁いた。

 「──早く申せ──」

 「恥ずかしゅうございます……」
 
 こうなると何としてでも言わせたくなる。

 「父上と早う呼ぶのじゃ。」

 首の下に腕を回し、額に浮かぶ汗や首筋に流れる汗をそっと吸い、添い臥して乱法師が乱れていく様をじっくりと堪能しながら堕ちるのを待った。

 「ぁあーーちち……うえ……」

 とうとう乱法師は我が儘な主に屈し、観念して身を反らせた。

 「──良い!──殊の他愛らしい──さあ、もっと申してみよ。儂をずっと父と呼ぶが良い。」

 嗜虐心が高まり裸身を完全に重ね合わせ、どこか無邪気な声で羞恥を煽る。

 禁忌を犯す事は、何と人に甘美な蜜を与えるのだろう。
 特に淫欲は、毒を口に含めば益々昂り、二人の場合は愛の期限を定めた事で更に燃え盛った。
 互いの熱で身も心も溶けていく。
 この夜の閨の叫びを耳にする者があったならば、とんでもない背徳行為を想像し、恐ろしさに震えた事だろう。 
 背に回した乱法師の指が、汗で湿る信長の肩甲骨を強く掴んだ。

 絶頂を迎えた後も、繋がった儘暫く抱き合っていた。

 漸く離れても褥の上で指を絡ませ口を吸い合ううちに萌し、互いの昂りを重ね擦り合わせて再び果てた。
 当に精も根も尽き果て、抱き合った儘二人の瞼が閉じ掛けた時、乱法師が小さく呟き先に夢に落ちた。

 「……上……様……」

 「上様ではなく、父上じゃ──」

 まだ戯れを止めない己の言葉が、最早寵童の耳に届いていない事を覚ると諦め、枕に頭を沈めてふと考えた。

 乱の名前は何が良いか──

 だが心地好い睡魔に襲われ、それは明日以降考える事にした。

────

 翌朝、六月一日は晴れだった。
 
 信長が会う事を待ち望んでいた博多の商人島井宗室が朝から本能寺を訪れた。

 三茶頭や家康、光秀を始めとした畿内の武将達を呼び寄せての正式な茶会は明日開かれるが、それに先立ち、持ち込んだ名物茶器三十八種の目録を早速渡し、遠い博多から来ているのだから、今からでも茶器を見せて秦ぜようと信長は大いに張り切った。

 しかし予告通り、勅使として勧修寺晴豊と、権大納言甘露寺経元が訪れると、時を見計らったように殿上人達がぞろぞろと馬を連ねてやってきた。

 近衛前久父子、関白の一条内基、前関白九条兼孝、前内大臣二条昭実、鷹司信房等、摂家、清華家を筆頭に凡そ四十名以上の公卿がずらりと居並ぶ。

 帝と親王こそいなかったが、その儘本能寺が清涼殿であるかのような豪華な顔触れは、信長の比類無い権勢を象徴し、圧巻の眺めであった。

 久しぶりの上洛を賀す為、或いは遅れ馳せながら武田を討伐し関東を平定した事を祝す為という目的で集ったにしても、これ程の面子を揃えながら、ただ祝辞を述べ、世間話だけして帰ったのでは、両御所に顔向けが出来ないといったところだろう。

 先ずは勅使として罷りこした勧修寺晴豊と、権大納言甘露寺経元が祝いの言葉を述べ、他の主だった公卿からも挨拶を受けると、小姓衆や侍女達の手で茶と茶菓子が運ばれ、少し砕けた雰囲気となった。

 勅使二名の衣冠束帯以外は、穀織《こめおり》(夏用紗)、三重襷《みえだすき》(菱文模様)の濃二藍、縹か浅黄色の直衣を召した公卿達が左右に座し、上段に信長、傍らに乱法師が控え歓談が始まった。

 武田を討ち滅ぼした際の話を信長がし終えると、中国四国遠征の話に切り替わる。

 「武田の家臣達が、皆戦わずに城を放り出して逃げて行きよったとは。やれやれ、甲斐の武田といえば勇ましい武者揃いと聞いておりましたに、上様の御出馬にいよいよ戦う気力も失せてしまったんどすやろなぁ。ですが毛利は結束が固く水軍も従え、武田よりは些か手強そうでおじゃりますのう。」

 勧修寺晴豊が四国、中国の事を気にするのは、単なる追従ではなく、戦が片付かない事には信長の手が空かず、朝廷にとっての一大行事、譲位と即位に着手してもらえないと思っているからだ。

 これから出陣という時に譲位の日取りや任官についての具体的な話に持っていくのは難しいが、これだけの公卿が揃いながら信長の胸の内を全く探れずに、五月初旬安土を訪れた時のように追い返される訳にはいかなかった。

 「くっ!はははは!手強い?如何程の事もない。畿内の武将達は出陣の準備を着々と終え、各々の城で待機中である。水軍じゃと?毛利や長宗我部など取るに足らぬ。それよりも、これだけの者共が一同に会したのであるから、儂の秘蔵の茶器を拝んでいくが良い。」

 信長の合図で、美々しい小姓達により名物の茶器が次々と広間に運び込まれた。

 六月一日の茶会は、『茶会』と聞いて想像するような茶会ではどうやらなかったようだが、取り合えず会して茶が出され、茶器は披露されたのだから一応は茶会だった。

 茶頭のいない『茶会』で振る舞われた茶は小姓達の点出しで、公卿達を自ら招いた訳ではなかったが、来たついでに見て行けとばかりに三十八種の茶器を並べさせる。

 武家の茶道、公家の茶道、庶民の茶の趣は異なっていた。

 煎茶を急須に入れて飲むようになるのは江戸時代からで、庶民の茶の飲み方であったようだ。

 公家が茶の湯や茶器を好まなかった訳ではない。
 寧ろ茶会にしても茶器に対する関心にしても古く平安時代から浸透し始め、本茶か非茶かを当てる闘茶が好まれ、室町時代には台子《だいす》の茶事も催されていたようだ。

 つまり台子(茶器を置く棚、台子を使用した点前は秘伝化している)は公家文化から始まったのに、戦国時代に茶会を楽しんだのは圧倒的に武家で、公家は招かれるのみで積極的に開いている様子が見受けられない。
 
 茶道といえば千利休。

 利休が追求した侘び茶は武家には愛好されたが、華美な公家文化と相容れなかった為、戦国時代の公家達に茶の湯が然程受けなかっただけなのかもしれない。

 公卿達を招く気配がなかったのは、そんな背景があったからなのだろうか。

 しかし公家は美しい物には目が無い為、並べられた茶器の洗練された芸術性には素直に感嘆し溜め息を洩らした。

 「これは弘法大師の....千字文ではございませぬか。」

 茶器ではなく、調度として持ち込んだ弘法大師真蹟千字文の屏風に声を上げたのは、乱法師と仲の良い、内大臣だけでなく右大臣も兼任するようになった自由奔放な近衛信基である。

 相変わらず右大臣まで務めているとは思えぬ軽々しさだが、後に書道史に名を残す程の能書家なだけあって、千字文に目を止め食い入るように見詰めている。

 乱法師が側に行き話し掛け、振り向いて彼の顔を見た信基の口が大きく開き、その儘の形で固まった。

 それは、いきなり乱法師の顔が陰ったからだ。

 「……あっ……」

 「始まったか!」

 急に部屋の中が暗くなり、一部の公卿達が動揺して立ち上がる。

 言経卿記によれば六月一日は晴れていた。

 やがて曇り、雨が一時的に降り、やがてまた晴れたようだ。

──────日蝕。

 正確には六割程が欠ける部分日蝕。

 字の如く日を蝕む日蝕を、占いで物事を決める迷信深い公家が好む訳はなかった。

 月に蝕まれている日を見る事も、僅かな光りに当たる事も穢れと感じるのか部屋の奥の方に移動する者達もいた。

 朝廷では、その日に公務を行わないばかりか、帝を穢れから守る為、御所を菰《こも》(まこもで編んだ筵)で包む風習まであった。

 動じる公卿達を冷ややかな目で眺めながら、迷信を一切信じない信長は微動だにしない。

 この日が曇り、又は雨であれば日蝕は見られなかった訳だが、公卿達がこの日に多数訪れたのは単なる偶然であろうか。

 少なくとも、伝統に従うばかりの者達に言って聞かせるよりは、実際に目を通して見せる方が効果がある事は確かだ。

 「座れ!」

 信長の一喝に公卿達はびくっと震え上がり、元の位置に座した。

 「京の暦には、日蝕が起こるとはなかった。三島の暦には記されていたが。これを説明出来る者はおるか。」

 一同を見回すが、暦の糾明に関わった土御門久脩でさえも答えられない。

 「日蝕を予期出来なかったという事は、本日御所を菰で包んでいないという事であろう?京の暦が正しいと聞いていたのに、これでは大事な帝の玉体を御守りする事は出来まい。その方共は帝に御仕えする者達である。この事態をどう考えるのか。」

 「……確かに…日蝕を予測出来なかった事は重大時。暦者を集め何故予測出来なかったのかを糾明した上で間違いを正し──」

 「遅い!今何月じゃと思うておる。今年の師走の後に閏月を入れるべきではないのか?」

 勅使でもあり武家伝奏でもある勧修寺晴豊が代表して答えた言葉を信長が遮った。

 今年の十二月の後に閏十二月を入れるのが三島暦、来年の一月の後に閏一月を入れるのが宣明暦。

 もう六月であるから、どちらにするにせよ早く決めなければならない。

 「……畏れながら、それは無理にございまする。暦は朝廷の定めるべきものにて、上様の仰せでも変える事は出来ませぬ……」

 結局、こんな時の為に公卿が大勢いて助かったと晴豊は思った。

 公卿達皆が揃って暦の変更には断固として反対した為、結局信長も無理強いはしなかったようだ。

 ただし、ぞろぞろと退出する公卿達を見送りさえしなかったと云う。

 上洛を途上で出迎えようと長い時間待っていた者達を追い返し、用意した進物すら受け取らないと通達し、茶と茶菓子を出しただけで数刻の歓談の後、見送りもしなかったというのは、あまり友好的な態度とは思えない。

 公卿達が大挙して押し寄せた少し後に、本能寺を訪ねてきた嫡男信忠が最後に残った。

 「父上、私は一旦妙覚寺に戻り、後程また本能寺に参ります。」

 「うむ。都中に分宿している者達も呼び寄せ酒宴を致そう!六月四日の出陣に向けての景気付けじゃ!」

 信長も信忠も公卿達の前で見せる顔とは異なり、彼等が帰った途端に表情が和らぎ、楽しげに笑顔で言葉を交わす。


 「そちも今宵は妙覚寺に泊まるのか?」

 信忠に随行してきた親友の団平八に乱法師が尋ねる。

 本能寺も妙覚寺もかなり広大な敷地である為、五百人以上は手勢がいる信忠側ならまだしも、百人程の信長の家臣達なら、全員が泊まれる程の充分な広さを有していた。

 しかし、たった百人にも満たない家臣達にも各々役割が決まっており、小倉松寿や古参の馬廻り衆湯浅甚助等は、本能寺内ではなく町家に宿泊し、都内に怪しい者が入り込んだ場合に備える事になっていた。

 本能寺でも組を分け、馬術の達人矢代勝助、相撲大会で取り立てられた伴正林 、村田吉五、他に中間衆等は厩番衆として厩に詰め、信長の寝所となる御殿から最も近い表御堂では、乱法師を始めとした残りの小姓達が警備の役を担う。

 「儂は今宵は妙覚寺に泊まる事になっておる。それでは乱、また後でな!」

 信忠側の随行人数は多い為、都中に散らばり、京都所司代の村井貞勝と共に都の治安に目を光らせるのだ。

 乱法師は団平八に一先ず別れを告げた後、空を見上げた。

 日蝕は既に終わっていたが、少し曇り空で一雨来そうな気配を感じた。

────

 「京の森お乱より飛脚があった。上様が我等の軍勢の様を御覧になりたいと申されておる故、これより京に向かう。」

 光秀は亀山城の広間に隊の頭達を集めそう告げた。

 他の家臣達を下がらせた後、家老職の五人、斎藤利三、明智秀満、明智光忠、藤田行政、溝尾茂朝のみをその場に残し、重い口を開いた。

 「──儂は、備中には向かわぬ──向かう先は本能寺である。」

 斎藤利三以外の重臣達は面食らった。
 先程の指示を繰り返したようにしか聞こえなかったからだ。

 「備中には行かず、本能寺の信長を討つ!」

 己の意図を理解させる為に今一度はっきり言い放った。

 「……う…何故……上様を?」

 既に腹が決まっている光秀と利三にとって重臣達の反応は想定内だった。

 光秀が五人の重臣達に謀反の意志を伝えたのは、亀山城内か出陣してからと伝わっており、いずれにせよ相当ぎりぎりまで隠していたという事になる。

 軍勢を指揮する立場の五人を従わせ、更にその五人の下に位置する勇猛或いは有能な家臣達には本能寺を攻撃する真の目的を知らせる。

 だが、それ以外の雑兵には──

『本城惣右衛門覚書』、本能寺に討ち入った雑兵の生々しい記録によると、本能寺の場所も良く知らず、都に向かうのは家康を討つと信じていたと記されている。

 又、その覚え書きから感じ取れるのは、目的意識を持って討ち入った者とそうでない者との明確な違い。

 但し信長を討つと知っていたにせよ、家康を討つと勘違いしていたにせよ、たった数刻の間に備中の毛利から、万民に恐れられる信長、或いは同盟者家康に攻撃対象を切り替えられるというのは驚嘆に価する。

 本城惣右衛門は家康を討つと思っていたが、『何故』家康を討つのかは知らずに討ち入っている。

 だが突然打ち明けられた四名の重臣達は、主の決断に戸惑い理由を知りたがった。

 光秀は己の心情、長宗我部や利三の自刃の事、この先信長に仕え続ける事への不安について、四名に分かりやすく訴えた。

 四名は、その訴えに納得するところも多々あり、雲の上の存在信長より光秀の心情には確かに共感するところがあった。

 だが最終的に従おうと決断したのは、主の瞳の中に、逆らえば斬るという決死の覚悟を見たからかもしれない。

 いや、それよりも寧ろ、決してその戦略が荒唐無稽なものではなく、勝算があると考えたからかもしれない。

 「細川、筒井の両家を味方に付ければ畿内を制圧出来る!それに傲岸な信長などとは異なり、帝や公卿衆の覚えめでたく、元幕臣でおられたのじゃから、義昭公も憎い信長を討ち果たした殿に御力を御貸し下さる筈じゃ。」

 「確かに!殿は天下を狙える器!信長を憎む者は実に多い!討ち果たせば身を潜めていた者共も、殿の御前に馳せ参じるに違いありませぬ。」

 勝てるか勝てないか──

 天下を覆す力があるかなしか──

 結局人は己に百分の理があっても力無くば逆らえず、一分の理しか無くとも力有る者が正義を名乗れるのだろうか。

 そして申の刻(午後4時頃)、明智光秀の軍勢は亀山城から出陣した。

 一時的に降った雨は止み、道の草花は濡れていた。

 軍勢は亀山城の東の方角柴野に出て、都に向かう為に老の山を目指した。

 柴野には酉の刻頃(午後6時頃)、そして老の山に上った時には既に深更になっていたと云う。

 山崎から摂津に抜け備中に向かうと思っていた本城惣右衛門が、都に行くと知らされたのは老の山に登った時であっただろうか。

 老の山を下り桂川に辿り着いた時には空は少し白みかけていた。

 六月二日、有明の月の微かな影が空に浮かんで見えた。

 「騎馬の者達は馬の沓を切り捨てよ!徒歩の者達は、新しい足半《あしなか》(踵の無い草履)に履き替えよ!鉄砲隊の者達は、火縄を撃ちやすいように一尺五寸に切っておけ!」

 光秀は桂川を渡る前に、兵達に戦闘に備えるよう指示を出した。

 準備を終え完全に臨戦体制に入った軍勢に、五人の重臣達が大声で下知を飛ばし始めた。

 「敵は本能寺にあり!敵は本能寺にあり!」

 本城惣右衛門は、本能寺に敵がいるから、これから都に入って襲撃しろという突然の下知に戸惑った。

 本能寺なんて場所も知らないし、そこに行って一体誰を討てというのか。
 
 しかし数ならぬ雑兵に過ぎない己が、上の者の命令に異を唱える事も、誰を何の為に討つのかと問う事など許されず、只命令に従うのみと覚悟を決めた。

 「本日より我が殿は天下様におなりになられる!下々の者達まで勇み喜べ!これより桂川を渡る。目指すは本能寺!討ち死にしても後の事は案ずるな。手柄の大小によって処遇を決める。」

 この時発せられた言葉を、どれ程の者が理解したのか。

 「おぉーーーーーーー」

 だが、明確な目的を知る騎馬武者達は本当に勇み雄叫びを上げた。

 それに釣られ本城惣右衛門も他の雑兵達も、合わせて一万以上の大軍が水飛沫を上げ、払暁の桂川を渡り始めた。

─────

 六月一日 本能寺の変前夜

 雨が上がり、空が美しい茜色に染まる頃、ぞくぞくと本能寺に織田の家臣達が集まって来ていた。

 嫡男信忠に従い上洛した家臣達が殆どだが、向かいの邸の京都所司代村井貞勝父子も三人揃って訪ねてきた。

 信忠の馬廻り衆、団平八や桶狭間の戦いで今川義元の首級を挙げた古参の馬廻り毛利新介、信長の側近菅屋長頼、猪子兵介、福冨秀勝等は信長に遅れて上洛し、妙覚寺や町屋に分宿していた。

 この夜本能寺の酒宴に集った者達は、信長の血筋の者を除けば、古くからの馬廻り衆や側近、小性衆といった、非常に信長に近しく側に仕える者ばかりであった。

 そして公家社会で中々上手く立ち回れない、異端の摂家、近衛前久父子も酒宴に顔を出した。

 「うーん──美味い!今宵の酒は格別である。」

 やはり己と相性が良く心通じる者達と酌み交わす酒は、ことのほか美味く感じられるものらしい。

 興福寺から差し入れられた僧房酒と、都や堺で手に入れた贅沢な肴に舌鼓を打つ。

 殆ど無礼講の状態で小姓衆まで飲み騒ぎ、興じて踊り出し、信忠までが舞い始めた。

 普段は家督を譲った信忠に対しては厳しい父の顔を見せるが、今宵ばかりは特別と、美酒にほろ酔い信長は機嫌良く息子の舞う姿を眺めていた。

 「中将様は、今宵は随分と御気色良う遊ばされておるが、何か良い事でもおありだったのであろうか。」

 信忠の真面目で優しい気性を良く知る乱法師は、父信長の前で羽目を外す姿を珍しいと感じ、隣の団平八に何げなく話し掛けた。

 「それは……のう…おそらく……」

 平八はにやりと笑い少し声を潜めて耳打ちしてきた。

 「…それは…何と…妙覚寺に……」

 乱法師が驚き、何と言葉を返して良いか戸惑ったのは無理もなかった。

 平八が語るところによると、幼い頃の許嫁で、敵対後も恋仲であった武田信玄の娘松姫の行方を探させ妙覚寺に呼び、既にこちらに向かっているところだというのだ。

 「目出度いというべきなのか。中将様が喜ばれるのは儂も嬉しい。なれど……」

 武田は滅び、織田は松姫にとっては仇、しかも信忠の実質上の正室は塩河伯耆守の娘鈴姫で三法師という嫡子までもうけている。

 ただ、未だ肌を合わせた事もなければ顔も合わせた事もない二人の純愛振りに、先の事はさて置き、数日後に会えると浮き立つ信忠の姿は微笑ましくもあった。

 酒宴は数刻続き、大酒飲みで大食らいの内大臣信基に絡まれ愚痴を聞いたり、弥助の異国の踊りに盛り上がったり、酔った者達の裸踊りに手拍子を打ったりして、その後も楽しく時は過ぎていった。

 やや盛り上がりが収まりかけてきた頃、信長が静かに口を開いた。

 皆心地好く酔っ払い、褌一丁でおどけている者達も数名いたが、信長の言葉には流石に姿勢を正して耳を傾ける。

 「皆の者、聞け!この中には尾張の頃から儂に仕え、共に戦ってきた者達も大勢おる。数々の戦で勝利し、此処まで儂が無事で来れたのは皆の働きのお陰じゃ!そして若き者達よ!天下統一まで後一歩じゃ!これからの織田家の旗の本で、そなた等の力を思う存分発揮し、儂だけでなく城之助(信忠)の事も支えていって欲しい。今まで織田家に忠節を尽くし、命懸けの奉公をしてくれた事に礼を言う!」

 信長の思いがけない労いの言葉に、涙を流さぬ者はいなかった。

 特に桶狭間の戦いで今川義元の首を上げ、ずっと馬廻り衆として信長を守り続けてきた毛利新介は、涙ぐむどころではなく号泣していた。

 しかし興に乗り過ぎ、良い年をして褌一丁だったので少し滑稽ではあったが──

 乱法師も目頭を抑え、溢れる涙をしきりに拭った。

 それから思い出話に花が咲き、やがて酒宴は御開きとなった。

 「では、また明日!」

 そう言い交わし、各々宿に下がって行く。

 妙覚寺に帰る団平八に別れを告げ部屋に戻ると、夜更けて暗い室内に燭台の明りだけが妙に寂しげで、皆が帰った途端に本能寺は閑散とし、無人であるかのような静けさに包まれていた。

 とはいっても先程と比べればなので、耳を澄ませば小姓達や侍女達の話し声が聞こえてくる。

 乱法師が信長の元に戻ると、明日の茶会の主賓である島井宗室と話しをしているところだった。
 
 上洛してから二日、人の出入りが激しく、招いておきながらゆっくり話も出来ずに申し訳ないと謝り、今宵は本能寺に泊りゆっくりしていけと小姓に案内させ、島井宗室が部屋から退出すると信長と二人きりになった。

 「御酒を過ごされましたか。」

 信長の赤い顔を見て、乱法師が微笑んだ。

 「──ふふ、見た目程酔ってはおらぬ。」

 酒に強い乱法師から見ると信長はあまり強い方ではない。

 「水を持って参りまする。」

 日頃、そんなに酒を嗜まない主を案じて水を汲んで来ようと立ったところを腕を引かれて抱き寄せられた。

 「……相変わらず御元気でいらっしゃる……」

 呆れ顔の乱法師の鼻を摘まみ信長が笑った。

 「儂はそなたほど好色ではない。今日は疲れた──寝る前に話しがしたいだけじゃ。そなたがどうしてもと、儂を欲するなら話は別じゃが──」

 からかうように言われて少し鼻白む。

 「──私も上様が思われている程好色ではございませぬ。どうぞ、御話をされて下さりませ。御話だけならば御付き合い致しましょう。」

 向きになる様子に益々興じて笑うが、真顔に戻り、ぽつりと言った。

 「金蘭之交《きんらんのこう》。」

 信長の顔をはっと見て、すかさず後を続ける。
 
 「二人心を同じくすれば、その利《するど》きこと金を断つ。同心《どうしん》の言は、その臭(かおり)蘭のごとし。」

 二人が心を同じくすれば金を断つ程の鋭さを発揮し、心を通わせた者同士の言葉は蘭のように芳しい香りがするという意味である。

 中国の古書、易経の繋辞伝に載っている文言で孔子の書いたものとも伝わるが定かではない。

 『金蘭之交《きんらんのこう》。』 とは、乱法師が続けたように、主に男同士の絆の強さを称える中国の熟語であるが、何故今そのような事を言い出すのかと不思議に思った。

 「夫蘭當為王者香(それらんはまさに おうじゃのかおりたり。)」

 次に口から出たのは、まさしく孔子の言葉で、再び乱法師が後の句を続ける。

 「今乃獨茂(いますなわちひとりしげり)、與衆草為伍(しゅうそうとごとなす。)」
 
 (蘭こそは王の側で芳しく香るのが相応しい王者の香りなのに、今、他の草花と共に谷にひっそりと咲いている。)

 諸国を巡り、己の理想とする思想を説いても受け入れて貰えず、谷にひっそりと他の草花に混じり茂りながら、高貴な香りを放つ蘭草に己の姿を重ねて孔子が詠んだ詩である。

 「やはり、そなたは蘭である。」

 意味が分からず、ぽかんと口を開けた儘信長の顔を見詰める。

 「そなたの名じゃ!元服を願い出てきたから名前を考えてやったというのに。全くその呆けた面は何じゃ。」

 蘭は中国の長い歴史の中で日本でいう桜のように愛されてきた。

 しかし桜と異なるのは、悠久の歴史の中で、蘭はまるで中国の王朝の名前のように変化してきたという事だ。

 孔子は現代から遡れば、凡そ千五百年も昔に生きた人物である。
 
 そして彼の愛した蘭は、蘭花ではなく蘭草だった。

 姿形ではなく香りを愛でる香草、芝蘭。
 
 日本では平安から鎌倉時代頃に当たる宗の時代より、現代でも馴染みある春蘭が栽培されるようになり、香りだけでなく美しい花の姿も愛されるようになったようだ。

 蘭、竹、菊、梅の持つ美徳を君子に準え四君子という。

 中国における『蘭』が草から花に変化したとはいえ、香りと姿の高貴な美しさは聖人君子、或いは美女を称える比喩として多く用いられた。

 宗の時代から花を愛でられた春蘭は、戦国時代にも南蛮貿易で日本にも伝わっていたであろうとは思うが、蘭草である藤袴は秋の七草として、又は優れた人柄を例えるものとして日本でも親しまれてきた。

 「字《あざな》は蘭丸、諱は──」
 
 そこで信長はわざわざ墨を含ませた筆を紙に置き、書き終えると乱法師に手渡した。

 「森蘭丸長定《もりらんまるながさだ》……」

 乱法師は口に出して読んだ。

 「どうじゃ?そなたは人品優れ、心の清らかなる様はまるで蘭のようじゃ。容姿も美しいが──真に王の側で香るに相応しい。長定の長は、無論信長の長じゃ。三左が与えた乱の字を変えたくなくば──」

 信長が最後まで言う前に強く抱き付き号泣した。

 「そなたは──全く泣き虫じゃのう──」

 「──う─ううっくゥ─毛利─ゥ──新介殿ゥえっく─とて大泣き──しておられましたァあーっううう。」

 溢れる涙を拭いながら必死に反論する。

 「ああ、褌一丁でな!ははは!泣いていないで良いか悪いか申せ。先の話しであるから気に入らなければ考え直そう。」

 「そんな……斯様な素晴らしい名を私の為に考えて下さるなど……嬉しうございます…父も母も喜んでくれるに違いありませぬ……ゥっうー」

 涙で濡れた長い睫毛に縁取られた瞳は、どこまでも純粋で可憐だった。

 「そのような目で見るな、また、そなたを抱きたくなってしまう──」

 乱法師は否とも応とも言わず、信長に抱かれた儘ただ幸せそうに微笑んだ。

 信長の顔が近付き乱法師の顔に重なると、二人の唇が優しく触れ合わさり、少し離れては近付き、深く長く重なり合った。

 暫く唇を重ね、静かに抱き合い過ごしているだけで互いの心が満たされた。

 「蘭、今宵はあまり気を張り詰めずゆっくり休め。都中に家臣達が散っておる上に、何かあれば長門守(京都所司代)が駆け付けて来よう。」

 乱法師は素直に頷いた。

 まだ酔いの残る信長を支え、寝所として使用している納戸の内まで送り、声を掛ける。

 「上様も、ゆっくりお休み下さいませ。」

 主が褥に臥すのを確認した後、納戸の戸をそっと閉め、表御堂に向かった。

────

 都が近付いてきた。
 本城惣右衛門は必死に走った。

 「町に入る潜り戸は開いている筈じゃ!潜って扉を押し開けよ!幟や旗指物に気を付けて潜れ!軍勢を早く引き入れるように町の扉をどんどん開けていけ!一団となって進まずとも良い!各々が本能寺の森、さいかちの木、竹藪を目指して進め!進め!」

 斎藤利三の下知に従い、早い者達から潜り戸を抜け、町の扉を内側から開けていく。

 本能寺を各々目指せと言われても、場所も知らない本城惣右衛門は、斎藤利三の息子の後に従った。

 本能寺に近付くと北側と東側とで分かれて進み、堀の橋のたもとにいた番兵を先ず血祭りに上げた。

 斎藤利三、明智秀満に率いられた兵達が徐々に集まり、広大な本能寺の周囲を取り囲んでゆく。

 門に手を掛けると難なく開いた。

 
 黒い甲冑に身を包み、手に手に槍や鉄砲を携えた厳めしい明智の侍達が、数多の者達の命運を狂わせる巨大な奔流となって、本能寺にどっと押し寄せた。


 



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