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第18章 亀裂

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 羽柴秀吉は五月七日、備中の高松城を囲み、軍師黒田官兵衛の案により水攻めを開始した。

 高松城には毛利方の武将、清水宗治が五千人弱の兵と共に立て籠っていた。

 山城が多かった当時、高松城は珍しく低湿地を利用した平城で、沼城でもあったと云う。

 秀吉軍に宇喜多勢も加わり、凡そ三万の大軍になった。

 山城とは異なる利点を持つこの城は、騎馬戦法や鉄砲の攻撃にも強かったらしい。
 
 秀吉側は低湿地であるという利点を逆に突いた奇策を用いたと言えよう。

 長い堤防を築き足守川の水を塞き止め、梅雨の降り続く雨で川は増水し、さながら高松城は湖に浮かぶ孤島のようになってしまった。

 時を同じくして、信長は四国の長宗我部討伐軍総大将を三男の信孝とし、出陣を命じる朱印状を発した。

 この朱印状の中で、四国の内讃岐は信孝に、阿波は信孝の養父となった三好康長に与え、土佐と伊予については信長が出馬してから決めると記している。

 そして三好康長を主や父とも思い敬うようにともしたためた。
 
 最高権力者信長の三男の養父として完全に優位に立った三好は、長宗我部元親の息の根を止めるべく、九日先陣として阿波の勝端城に入城すると、諸城の攻略を開始し戦いの狼煙が上げられた。

─────
 
 五月十日に浜松から徳川家康と穴山梅雪が安土へ向けて出立したとの知らせが届き、饗応役に任じられた光秀は持て成しの準備で忙しかった。

 端から見れば、信長の弟分である大事な客人を持て成す重大な役を命じられ、充実しているように見えたかもしれない。

 趣向を凝らし客を持て成すのは得意で、坂本城に堺の商人や身内とも呼べる武将を招いて何度も茶会を催している。

 都や堺にも近い安土の地で、しかも信長の名前を出して呼び掛ければ集まらぬ物も人もない。

 宴を催す座敷を華やかに飾る細々とした調度品の調達にも指示を出し、家康と梅雪や、随行する家臣達の人数を確認し、宿所の手配にも余念がなかった。
 
 贈り物として当時高価な物といえば舶来品だったが、ありきたりであると考え、興福寺に盃臺《はいのう》や酒の手配を依頼する事にした。

 信長や秀吉が愛飲した金剛寺の天野酒だけでなく、興福寺などの歴史ある寺では酒の醸造が盛んであり、特に美酒といえば奈良が評判であったからだ。

  酒以外に光秀が依頼した盃臺《はいのう》とは、現代では盃台と呼ばれる工芸品の事だ。
 
 文字通り脚付きの幅45cm、奥行き35cm程の木製の台の中央に酒を呑む時に使用する盃を置く為の盃台である。

 ただ面白いのは、盃を置く中央を取り囲むように一刀彫で彫られた人形と木々、花々、建物などが配され、人の生活や物語の場面が台の上に生き生きと再現されているところだろう。

 美しく彩飾を施された盃台は贈答品としても珍重されたが、宴の席で客人の前に次々と並べれば、目を楽しませつつ酒を呑んで貰えるという点で、持て成す側にも大変好まれたようだ。

 忙しく手配に奔走していれば、気も自ずと紛れるというもの。

 既に四国討伐の朱印状が発っせられ、九日に三好が阿波に進み、長宗我部方の城の攻略が始まっており、総大将信孝が出陣の準備を進めている事は耳に入ってきている。

 ぼんやりと暗い思いに囚われるよりはましだが、まるでそんな己の気持ちを見透かすように饗応役を命じたようにも思えてくるのだ。

 主君の意向を踏まえつつ準備を進めなければならないのが正直辛い。

 常に忙しい信長の都合に合わせて直接会って話をすれば、言われた通りにやっても直ぐに気が変わり、やり直したり、思い付きであれもこれもとともかく注文が煩かった。

 そもそも信長が約束を違えたから長宗我部との関係が悪化したというのに、結局こちらの懇願を振り切り討伐を決行し、討伐軍に加えてくれと頼んでも蚊帳の外。

 いつの間にか秀吉が働き者の忠臣で、己は全く悪くないのに使い途がないからと側近のように扱き使われている。

 斎藤利三の出奔については十年も前から把握していた癖に、稲葉から訴えが出た途端ころっと態度を変え、今頃になって稲葉に戻らねば処罰を下すと言い出す身勝手さ。

 以前とは違った意味で信長と顔を合わせるのが苦痛で仕方がなかった。

 そういえば家康の饗応役が終わったら、信長の上洛と茶会が控えている。

 茶会に関しては堺の茶人達、堺や都の代官も勤めた側近兼茶人の松井友閑や武井夕庵に話を付け、上洛については京都所司代の村井貞勝に告げれば諸々の事も含め、特に自分が動く必要はないと考えた。

 あくまでも自分は提案しただけなので、せいぜい茶会を何処で催すかを決めるぐらいで良いだろう。

  今のところは上洛時の宿所として改築した本能寺邸と考えていた。

 城のように石垣と堀で囲まれ、見事な武家邸として生まれ変わった本能寺は、昨年の馬揃え以来使用されておらず今度の上洛で漸く二度目となる。

 茶室も敷地内にあるが、茶の湯の良いところは道具さえあれば、どこでも茶室になり得るところだ。

 茶釜を据える炉などなくとも緋毛氈を敷き風炉を用いて、気候の良い春や秋は、桜や紅葉を楽しみながら野立も実に風雅である。

 そういえば今月始めに勅使が安土を訪れたと聞いているが──

 吉田神社の神官で昇殿も許されている吉田兼和との篤い親交により、都の公家衆の大きな動きは直ぐに耳に入ってくる。

 なので勧修寺晴豊が四月二十五日に京都所司代の村井貞勝邸を訪れ、信長の官職推任について話し合った経緯についても把握していた。

 武将達が探るのは敵の情勢だけではなく味方、特に信長の意向、動き等。
 それらに関して逸早く情報を得たいと思うのは当然の事だ。

 信長を中心とした安土周辺で起こる出来事、朝廷の動きに対しては特に敏感になる。

 分かりやすく言えば羽柴秀吉は信長の側近衆から己にとって不利となる動きも有利となる動きも直ちに知り得ている。

 政情の動きを探るのは武将だけではなく、公家や商人達、宣教師までが含まれる。

 独自の人脈を駆使し、誰よりも早く深く確実な情報を得ようと皆が躍起になっていた。

 信長の動向を早く知りたいが故に、武将も公家も側近衆の御機嫌取りに勢を出すのだ。

 吉田兼和や側近衆から得た情報によれば、官職の推任に対して直接の回答を避けた為に、申し出を受けたのか辞したのか誰も知らないとの事だった。

 何らかの回答が両御所に宛てた書状に書かれていた筈だが、現時点で誰も知り得ていないという点と、勅使が都に戻った七日、勧修寺は信長からの返事を村井貞勝に渡したそうなのだが、明確な動きが見られないという点から、先延ばしにする形で断ったと推測した。


 光秀には理解出来ない。

 此度は表向き三職に推任という異例の勅使ではあったが、乱法師の問いに対する勧修寺晴豊の返答が『将軍に』であったのだから、朝廷の本音は将軍に、であるのだろう。
 
  信長の本心が何であるにせよ、昨年と同じく官職に就くのは、あくまでも天下統一を果たしてからという気構えでいるなら、ある意味立派だとは思う。

 だが現実には足利幕府の義昭は未だ存命であり、都を追われたとはいえ官職を剥奪されない限り、この国の正統な将軍は足利義昭なのだ。

 現在、足利義昭は備後にある鞆《とも》城で毛利家の庇護の下暮らしている事から『鞆幕府』と呼ばれていた。

 軍事力、財力、権力、どれをとっても信長には及ばないが、朝廷から与えられた官職というものは思いの他効力を発揮し、反信長勢力にとっては強力な大義名分、旗頭となり得る危険な存在だ。

 将軍職を剥奪されていないという事は、与えられた特権は未だ手の内にあり、都を追われたばかりの頃はしきりに信長を逆賊として、討伐の号令を諸国の大名に発していたものだった。

 毛利討伐の為に信長が出馬すると聞いたら、義昭はどう感じるだろうか。
 
 武田が滅びた今、毛利家の庇護を受けている己を今度こそ踏み潰すつもりと考えるのではないか。
 
 朝廷の武家伝奏、勧修寺晴豊の口から『将軍に』との言葉が出たのだから、任官すれば足利義昭から全ての権力を奪い、同時に与する者達から大義名分を奪う事も出来るのにと思う。

 毛利を討伐する前に名実共に信長が将軍となれば、義昭の名で反信長勢力に呼び掛ける事は出来なくなる。

 四国、或いは中国に向かう前に上洛するのは、任官についてはっきりとした返答を用意しているからではないか、やはり既に両御所や村井貞勝には任官する旨を伝えてあり、将軍職を受ける為ではないかとまで考えは及んだ。

 ここまで考え、ふと我に返り、何故自分はそんな事を気にするのだろうかと思った。
 
 皆が『上様』と呼んでいる時点で、任官していなくとも、この国の将軍として既に認知されているのは明白だ。
 
 いくら鞆幕府などといったところで、このまま織田家が順調に軍を進めれば、天下は間違いなく信長の物となり、足利義昭の出る幕はこの先ないだろう。

 元幕臣だった己ですら、義昭に対する忠誠心など疾うに消え失せている。

 義昭を見限り、織田の家臣となったからこそ今の己があるのだから──

─────

 鎌十字の槍は乱法師の顔がはっきりと映る程に磨き抜かれていた。

  穂先の鋭さを示すように、反射した光りが部屋の壁に映る。

 敵と戦場で槍を交えた事がない為、己の槍術が実戦でどれ程役に立つかは分からないが、技量がどうであれ凄まじい破壊力が手の平から伝わってくるようだった。

 中国四国に遠征しても、実際に使用する事はないだろうが、信長から拝領した腰刀と同じく手にしているだけで力が湧いてくる。

 腕の良い関の刀工に打たせるとは聞いていたが、まさか『元関の刀工』とは思わなかった。

 鎌十字の槍の銘を見て驚いた。

『若狭守氏房』と彫られていたからだ。

 若狭守氏房の氏は、今川氏真から賜ったとも伝わるが、信長の目に止まり今はお抱え刀鍛治として安土に住んでいる。

 兄からの文には笑った。

『人間無骨』が二代目兼定、通称之定の作だから、四代目兼定に打たせようと考えたのだが、会津の葦名氏に引き抜かれて関には既にいなかったとの事だった。

 それ故、織田家のお抱えとなっている若狭守氏房に信長の許可を得て打たせたのだと。

 そして人間無骨のように、好きな名前を勝手に付けて銘を彫れとも。

 若狭守氏房ならば申し分ない。

 早速、巻き藁と畳で試し斬りならぬ試し突きをしてみる事にした。

 蒸し暑いので、片肌脱いで槍を構え巻き藁を突く。
 家臣達も興味深げに見守った。

「──ぃいィっヤァああァァーー。」

 掛け声と共に鋭い突きを繰り出すと、驚く事に槍の柄部分まで巻き藁を貫いた。

 鎌十字故に、突くと斬るを同時に行う恐るべき凶器。

 巻き藁は突かれながら横刃で斬られた為、上部が両断されて下に落ちた。

 家臣達の間からは感嘆の声も上がったが、真の人であった場合の惨劇を考えると、その斬れ味に傅役の伊集院藤兵衛の顔は少し青褪めた。

「凄い!敵の具足も突き破るぞ!」

 恐ろしい得物を手にしながら勇ましい事を口走り、白い肌に少女のような容貌の乱法師が額に汗を滲ませ軽やかに笑う。

 所謂戦国時代の主な武器は槍であった為、剣術を磨く事はあまり重視されていなかったとも云う。

 特に大将たる者、足軽のように矢面に立つ機会はないので尚更なのだろう。

 ところが、意外な大将の面々が剣術に優れていたとも伝わっている。

 信長の嫡男信忠、徳川家康、足利義輝。

  死ぬまで敵と剣を交える必要がなさそうな面子だが、織田信忠は疋田陰流、徳川家康は複数の流派を会得し、足利義輝は剣豪塚原卜伝から免許皆伝を受けた程の腕前だったとか。

 徳川家康は生涯自らは戦わなかったと伝わるが、足利義輝は三好と松永に攻められた時、予備の太刀を十本程も床に刺しておき、敵を斬って斬って斬り捲って奮戦したという。

 如何に剣の道を究めていようと、人を直接斬るのは多分生まれて初めてで最期の事だったのではないだろうか。

 地位が上がれば上がる程自ら戦う必要がなくなるのだから仕方がない。

 乱法師は新しい槍の破壊力に満足すると、今度は畳を重ねて何枚ぐらいまで突き通せるか試したいと言い出した。

 せっせと運ばれてきた畳が縦に置かれ、いざ貫こうとした瞬間、「乱法師殿。」と呼ばれて振り向くと母の妙向尼が立っていた。

「見事な突きでございますね。その槍は?御屋形様の槍に似ておりますが……」

「はい、兄上から金山城主となった祝いにと贈って頂いた品です──母上、何か御話でも?」

 母の様子に何か話したい事がありそうな気配を感じ取る。

「いえ……鍛練の邪魔をしたくありませぬ故、後程……」

「これは鍛練ではなく、ただ槍の強さを試しているだけでございますので御気遣い無きよう──」

 そう言うや諸肌脱いで上半身にだけ水を浴びせると、手拭いで身体をさっさと拭いた。

「母上の御話しとは仙の事でございましょう?」

 僅かな間で小姓勤めを解任されてから、今後の身の振り方が決まるまで安土の邸に置く事にした。

 問題を起こした当初は厳しく叱りもしたが、小倉松寿から大方の訳を聞いて以来冷静に接している。

 しかし本人の落ち込みは酷く、暗い顔をして食欲も無く、部屋で塞ぎ込んでばかりいる。

 どんな事を言われたにせよ、激情を抑えきれないのは良くない事と、反省の意味も含めて余り触れないようにしていた。

 だが身の処し方をそろそろ決めねばなるまい。

 兄にも相談した結果、僧侶にすべきと返答があった。

 乱法師もそう思っている。

「却って哀れな事になってしまいました……」

 母の言葉は末っ子に対する甘さとは思ったが、結末を見ればそういう事になってしまうだろう。

  僧侶になる覚悟でいたものを信長の好意に甘えた結果がこれだ。

 仙千代にとって良かれと思い、小姓として差し出す事が信長に対する恩返しになると思ったのだ。

 浜松から来る家康と梅雪を迎える為の持て成しの準備に、四国や中国への遠征、そして上洛も控えている矢先の身内の騒動で、益々己の元服願いなど言い出せる状況ではなかった。

 だが四国中国への出陣前には伝える覚悟でいる。

 元服は討伐から戻ってきたらと願い出るつもりだ。

「母上は仙をどのように為さるべきとお考えでございますか?」

 答えは聞かずとも分かっていた。

「仏門に入られるのが宜しいと考えておりまする。」

 乱法師は、仙千代を小姓にという申し出を妙向尼が反対しなかったのは、一重に信長に対する恩義からだと気付いていた。
 
 いつの時代も母親の本音は変わらない。
 息子が戦で死ぬ事も戦いで人を殺める事も、心の底から受け入れた事は一度としてなかった。

 武士の娘、武士の妻、武士の母となり、仕方無く諦めているだけ。

 長可のように戦場で血を浴びた事のない、顔立ちにあどけなさを残す乱法師が、同じ形状の槍で巻き藁を突く様子を複雑な気持ちで眺めながらも思い描いた。

 亡き夫可成が息子の側に寄り添い嬉しそうに肩を叩き、槍の突き方を教える姿を。

 女であるから武器を持つ息子の姿から目を逸らしつつ、男である夫ならば屈託無く『見事な突きじゃ』と褒め讃えてやれるのだろうと感じたからなのか。

 しかし、夫と嫡男の命を奪ったのは乱法師が手に持つ槍なのだ。

「母上、御安心下され。兄上も私も同じ気持ちでおりまする。」

 妙向尼は、それを聞いて安堵した。
 
 己だけがそう考えていたら──
 もし長可が陣営に加える事を望んだらと思うと気が気ではなかったからだ。

「後は本人が皆の意向を受け入れてくれるかどうかだけ──」

 長可も乱法師も妙向尼も意見が一致したのは、兄弟全てが武士である必要はないという思い。

 家名を残す為に、後に真田家が兄弟で敵味方に分かれて戦ったように。

 全員が死なずに済むように、兄弟のうち一人を僧侶にする。

 天下統一は目前に迫り何かが起きるとは思えないが、此度の事を天命と考え、やはり仙千代は仏門に入れるべきという考えに至ったのだ。

「母上、私が仙に言って聞かせまする。」


─────

「仙、入るぞ!」

 仙千代の部屋の前まで来ると障子の前で声を掛けた。

「…………」

 応えがなかったが兄の特権で開けてしまう。

 一応は身繕いを整え文机に向かい書物を読んでいる姿が目に入り、少し安堵した。

 小姓を解任されたばかりの頃はもっと意気消沈していた。

「ん?何を読んでいるのじゃ?」

 書見台に置かれた書物に目を落とす。

 開かれた項には、唐の時代の白居易が詠んだ漢詩が記されていた。

「白居易か。蝸牛角上何事《かぎゅうかくじょうなにごと》をか争う。石火光中《せっかこうちゅう》この身を寄す。富に随《したが》い貧に随いて且《しばら》く歓楽せん。口を開いて笑わざるは是痴人《これちじん》」

 乱法師は声に出して漢詩を詠んだ。

 白居易の『酒に対す』という漢詩である。
 (人々は蝸牛の角の上のような狭い所で一体何を争っているのか。火打ち石の火が光り消えてしまうような、一瞬の間だけ人はこの世に在るのだ。故に富める者は富める者なりに貧しい者は貧しい者なりに分を弁えて、しばらく楽しめば良いではないか。口を開いて笑わない者は馬鹿だ。)

「儂も白居易は好きで幼い頃から良く読んだものじゃ。あまり偉そうな事を言わないところが良い。口に出して読むと心が晴れ晴れとしてくる。」

 乱法師の言う通り、白居易の漢詩はともかく万人にも分かるようにと、先ず老婆に読み聞かせ、意味が理解出来るまで作り直した程だとか。

「兄上、何用で参られたのですか?」

 文机に目を落とした儘、顔も向けず仏頂面の仙千代が言った。

「今後のそなたの身の処し方について話し合う為にじゃ。」

「ふん!皆の御好きなように為されませ。どうせ儂の意見など──坊主に戻るか、上杉と戦えと言うなら戦いましょうぞ。それとも今度は商人ですか?」

 乱法師は弟の投げ遣りな態度に軽く溜め息を吐いた。

「兄上も母上も儂も、そなたを仏門に入れたいと考えている。分かってくれるか?」

「分かるも何も!始めから仏門に入るつもりでございました!いえ、仏門に入るつもりはなく最初は武士で、本願寺との和睦の条件でいきなり頭を丸めろと言われ、嫌だと言う事も許されず!家の為と修行に励んでいたら今度は小姓じゃ!気持ちを切り替えたつもりで出仕したら──あんなあんな……下品な……小姓には向いてないから、やっぱり坊主になれと、そう仰せなのですね!!」

 家の為、という弟の言葉に、出仕して間もない頃の己の行動を省みた。
 家臣に告げず桑名の湊に向かい、小姓の勤めを放棄し掛けた事を思い出し、少し居心地が悪くなった。
 家の為どころか、後先人の迷惑も考えずに行動してしまった自分は弟以下であるし、兄の長可は更に酷い。

 本当のところ強く言い返せるものではなかったし、家族全員が末っ子の仙千代を守りながらも彼の意志を悉く無視してきたのは確かだ。


 とはいえ無理矢理縛り上げて出仕させた訳でもないのだし、信長が任を解くと決めた以上、小姓として出世する道は断たれた。

「ならば、そなたはどうしたいのじゃ!そなたに言い分があろうとも、聞かれた時に言えなかったのだから仕方ないではないか。いつまでも女々しく家族を恨み、梁田を責めたところでどうにもなるまい。これからの道を考えて行かねばのう。白居易の詩にもあるではないか。富に随《したが》い貧に随いて且《しばら》く歓楽せん。口を開いて笑わざるは是痴人とな。時を無駄にするな。塞いでおっても何も始まらぬ。僧侶になるならないは今決めずとも良いが、心に鬱憤が溜まっておるのならば全て申せ!あの時、何を言われ何をされたかを男らしく包み隠さず兄に言うのじゃ!」

 仙千代は、乱法師が部屋に入って来てから一度も目を合わせようとしなかったが、漸く兄の顔を見た。

「……あの時……受けた恥辱……侮辱…口に出して言いたくはありませぬ。ですが口に出さねば心の内で言葉がぐるぐると回り、何度も何度も悔しさが甦ってくるのです……何故、あの時…挑発に乗ってしまったのか…もっと上手く言い返してやれば良かったのにと……」

 目を赤くする弟の両肩に乱法師は手を置いた。

「人は誰でも失敗するものじゃ。まだ十三歳なのじゃから、これからではないか。失敗から学んで行けば良い。孔子の言葉にもある。」

 そして今度は孔子の論語を諳《そらん》じる。

「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず、とな。孔子ですら十五で学問に志しを立ててから、三十で漸く自立したと言っているのじゃ。今こそ良い機会と思い、志しを立てたなら今度こそ惑うな!そなたの志す道が僧侶でなくば、儂から兄上と母上を説得してやろう。」

 心強い言葉に仙千代は目尻に浮かんだ涙を指で拭い、全てを吐き出す決心をした。

─────
 
「畳じゃぁーー畳を持って参れえェーー!沢山持って来いっ!!巻き藁も用意致せ!!」

 滅多に聞く事のない乱法師の苛々した怒声に家臣達は慌てふためいた。
 
 常に鷹揚とした佇まいで凛として冷静で、ゆったりと過ごす姿に見慣れていた為、酷く声を荒げ明らかに怒り心頭の様子に誰も訳を聞けず近寄れなかった。

 貰ったばかりの無銘の槍をぶんぶん振り回していたからという理由もあったのだが。

 何枚も重ねられた畳に向かい、激しい怒りに任せて思いきり槍を突き出す。

「──うゥぅおおォのれえーーはっせぇえぐがわぁああーー!ぉおおぅりゃあーーー!」

 畳全てを貫通し、貫かれた箇所の破損振りは凄まじく、更に乱法師が槍を回転させ手元に引き戻すと、井草は四方に飛び散り、数枚の畳はぼろぼろと半ば砕けた。

 兄の言葉に素直に従い梁田に言われた事を何もかも吐き出したおかげか、仙千代は翌日から表情も随分晴れやかになったのだった。

────

「──うーむ!何が良いかのう。ありきたりでは詰まらぬからのう。」

 忙しい合間のほんの一休憩と、乱法師の膝を枕に身体を横たえながら信長は呟いた。

 このような時このような主の姿に殊更愛しさが胸に込み上げてくる。

 幾度も愛を交わした者同士の馴れ合いで、乱法師の指を弄びながら一生懸命頭を悩ませているのだ。

「御手ずからと御考えなのでしょう?十分ではございませぬか?日向守殿が用意された献立は豪華に過ぎて、却って……」

 苦笑しながら最後まで言わなかった。

 安土に向かう家康一行の為に信長は大いに張り切り、光秀に手配させている饗応の膳の食材がまだ不十分であるとせっついていた。

 乱法師が気にするのは徳川は最早織田家の臣下である為、あまり豪華過ぎるのもどうかという点なのだ。

 ただ甲府からの帰路、金蔵を空にするかのような盛大な接待を受けた信長は、己の立場を忘れ、すっかり家康を持て成す計画に夢中になってしまっている。

 主のそんな幼児のように純粋で無邪気な様子が愛しくて堪らない乱法師であった。

「どんなに豪華な食事を用意したところでありきたりじゃ。分かるか?乱、相手に馳走するというのは、自ら走り回る事を言うのじゃ!」

「──ゥっふ……では御自ら浜松様の為に走り回られるおつもりですか?」

 最早愛しさを通り越し、覇王たる信長を可愛いいとさえ感じ、つい笑ってしまう。

「笑うな──日向守一人を奔走させて良しとしたくないのじゃ。命じて銭を出しただけで家臣達に膳を運ばせ、「おお、良う来た!」などと上座から言っているだけでは有り難みが全くない。人の心は銭だけでは動かぬ。儂自身がどれだけ心を砕いたかを三河に示したいのじゃ。」

「……上様……」

 説得力ある熱い言葉に乱法師は感激した。

「御自ら膳を運ばれる…と御考えでいらっしゃいますから、それ以上の御持て成しとなると……御手づから何か御作りになられるのは如何でございましょうか?」

 それを聞いた信長は膝からむくりと頭を起こした。

「手作り──か。それは良いぞ!だが刀は握った事はあっても包丁は握った事がない。上手く作れるかのう。」

「……あっゥはは…いえ、その…私も包丁など握った事はございませぬ。ですので包丁を使わずに簡単に出来る…菓子ならば……ぅック……」

 信長が包丁を握った姿を想像してしまい、笑いを堪えられず手を口に当てて何とか凌いだ。

「うむ。菓子か!良い考えである。」

 肩を震わせ笑う乱法師の事など意に介さず、楽しそうに顎髭を撫でながら、信長の瞳は少年のようにきらきらと輝いていた。

────
 
 サアサアと雨音が聞こえてきた。
 梅雨の時期である。

 今朝はどうにか曇り空だったが、やはり雨が降ってきたかと、打ち合わせの為信長の入室を部屋で待つ間、光秀はぼんやり考えた。

 空気も部屋も着物も何となくじめっと湿っぽい。
 いつまでも慣れないのは信長の入室を待つ時間だ。

 家中の者達皆、あの宿老柴田勝家ですら信長の前に出れば恐怖ですくみ上がる。

『儂が格別小心な訳ではない。』

 雨音に耳を澄ましたり、そわそわと襖絵を眺めてみる。

『何度も熟慮し確認したのじゃ。御叱りを受けるような手抜かりは何一つとしてない。』

 緊張で震える身体を何とか落ち着かせようと苦心しているうちに、信長が乱法師と小姓を伴い部屋に入って来たので慌てて平伏する。

「どうじゃ!準備は捗《はかど》っておるか?何か入り用の物があれば儂に申せ!」
 
 信長の機嫌はすこぶる良く、光秀の不安は杞憂に終わった。

「大方、食材は揃いましてございまする。朝、夕の御膳共に山海の珍味を取り揃えましたので必ずや御満足頂けるかと。こちらに予定の献立を記載致しました。調理方は料理人に任せておりますが、上様の御希望があれば、そのように伝え変えさせまする。」

 光秀は頭を下げた儘、饗応膳の料理を記した紙を差し出す。

 乱法師が受け取り信長に手渡した。

 御抱え料理人とも相談して選び抜いた、中々口に出来ない高級食材ばかりだ。

「ふむ。これは旨そうじゃ!これ程豪華な料理は儂でも一度に食した事はないやもしれぬ。」

 饗応の献立は二日分の朝の膳、夕の膳と計四回分記されていた。

 全てに菓子が付き、五膳から最大で七膳も供される豪華さだ。

「五魚三鳥か──三河は鯛が好物じゃからな。先ず始めの膳で鯛の焼き物を出すのか。喜ぶであろう。実に気が利いておる。」

 光秀の細やかな心配りに満足そうに頷く。

 饗応役を命じられた時点で、即座に家康の好物を調べ上げた。
 
 五魚三鳥とは、魚は鯉、鯛、鱸《すずき》、真鰹、鮒、鳥は鶴、雉、鴨の事で美味なる物とされていた。

 縁起物として目出度い宴の席には欠かせない為、此度は贅沢に、五魚三鳥全てを取り入れている。

 如何に好物とて食べ慣れた物ばかりでは面白味がないので、遠路遙々やって来る家康一行に安土名物をと、琵琶湖で捕れる鮒を使った料理も何品か考えた。

 接待は数日に及ぶと思われるが、初日と翌日の二日間が肝心なので、特に豪華な献立にしてある。

 信長の満足気な様子に安堵したその時。

「刺身はないのか──」

 側に静かに控えていた乱法師ははっと主の顔を見た。

 ただ感じ、思うが儘を言っただけ。

 信長にとっては軽い一言であっても、大きな武功での挽回が期待出来ぬ今、極僅かな隙も見せまじと熟考を重ねた光秀には重い言葉だった。

 刺身を用意しないのは無論考えあっての事。

「……畏れながら、近頃は雨が多く蒸し暑い時期なれば、刺身を献立に加えるのは些か……生物は腐り易く、膳を御出しする時に生臭うなっていてはと考え、敢えて刺身は止めた次第にございまする。」

 冷蔵庫などない時代では至極尤もな意見であろう。

「たわけ!都や堺に近い上に、儂がいる安土で銭さえ出せば、誰が手配したとて大抵の物は揃うのじゃ!」

  その言葉を無慈悲と思いながらも、青褪めた顔を隠すかのように、深々と頭を下げる。

 必死に期待に応え、何とか家中における地位が低下せぬようにと考えてばかりいる近頃の光秀にとっては、ほんの些細な一言が胸に突き刺さる。

 そんな彼の不安を余所に、信長は無邪気に言い放った。

「高価な食材を並べ立てるなど馬鹿でも出来る。この時期に刺身を出すからこそ相手は感じ入るのじゃ!馳走とは走り回る事なのじゃ。日向守、貴様の知恵で新鮮な刺身を用意致せ!」

『馳走とは走り回る事』という言い回しが、すっかり気に入っているようだ。

 膝枕をさせ、一生懸命家康を喜ばせようと思案していた憎めぬ姿を見ているからこそ、乱法師は信長の言葉を無慈悲とは感じない。

 信長は周りにだけ厳しい人間では決してない。

 厳しい事を要求する時には、己にはもっと苛酷な責務を課している場合が殆んどなのだ。

『こんな蒸し暑い時に刺身じゃと?その日の朝に獲れた魚を生かした儘運ばせ、宴に合わせて調理する、か?何故そこまで無茶をする必要があるのじゃ。帝を御迎えする訳でもあるまいに。所詮三河の田舎侍共…舌の肥えていない連中には今の儘でも充分過ぎる程じゃ。難癖を付け、出来ぬとなったら叱責して領地を取り上げる御つもりか?儂の知恵でなどとおだて上げ、いざ刺身が生臭く、食して腹痛など起こされたら結局責められるのは儂であろう。それ故刺身は止めておいた方が良いと申しましたなどと言っても後の祭りじゃ。万が一傷んだ刺身を食べた者が死にでもしたら……領地没収どころか……切腹!』

 光秀の思考はまたどんどん悪い方悪い方へと進んで行く。

 そんな思いに気付かぬ二人は寧ろ微笑みを交わし、信長は念を押すように命じた。

「出来るな!日向守!」

 心に脹れ上がった不満を押し隠しながら、承知する他なかった。


「新鮮な刺身とは……浜松様はさぞや上様の御心遣いに感激される事でしょう。それにしても日向守殿が妙案を思い付かれると良いのですが──後、二日もすれば安土に御到着されるかと。」

 光秀が退出した後、少し心配そうに乱法師が言った。

「日向守が承知して出来ぬ事などあろうか。あやつ程何をやらせても失敗のない男はおらぬ。筑前(ちくぜん)と較べて見よ!筑前が上手いのは失敗した時の猿芝居ばかりじゃ。あっはっはっは!」

  信長は乱法師の杞憂を快活に笑い飛ばす。

 刺身の件はあながち無茶とも無慈悲とも言えない。

 戦略においても秀吉と競うように無理難題に見事応え、織田家の為に多大な貢献をしてきた。
 
 だからこそ古参の重臣を押し退けて今の地位があるのだ。

 ただ、信長の結末から見て大誤算というべきは、その無くてはならぬ重臣二人が水面下で鬩ぎ合い、牽制しあっていた事に気付かなかった事だろうか。

 光秀は己に失敗を許さず、慎重に熟慮を重ね常に完璧を求めた。
 故に心身が疲弊しきっていたのかもしれない。

 光秀が退出した後、乱法師が思い出したように言った。

 「筑前殿と言えば、高松城が包囲され、毛利勢がそろそろ動きを見せても良い頃ではないでしょうか。」

 「うむ──大きく動くか小さく動くか─近い内に動くであろうがな。」

 「……」

 「どうした?」

 一瞬の沈黙を不可解に感じ信長が尋ねる。

 「…その……いよいよかと…」

 「ふっ─いよいよじゃな。」

 薄く笑いながら乱法師を抱き寄せ耳元で囁いた。

 「それよりも、何の菓子を作るかを考えるのが先決じゃ。そなたも考えよ。」

 「……はあ。」

────

 五月十四日に家康と穴山梅雪一向は近江の番場に到着した。

 随行人数は五十名にも満たなかったとも伝わるが、実際はもっと多かったのかもしれない。

 いずれにせよ、彼の身分ならば多数の家臣が随行するのが当たり前だが、招かれたとはいえ名目は駿河拝領の礼なのだから、ぞろぞろ引き連れて来たら色々な意味で失礼になると控えたとは思われる。

 後は信長や家康に見られる、ある種の器の大きさと度胸の良さであろうか。

 安土に少人数で行く事に対し反対する家臣も無論いたが、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という諺のように、どこか運を試すような天命に任せるような心持ちで挑んだのかもしれない。
 
 道々茶や酒で至れり尽くせりの接待を受けながら近江の番場に着くと、丹羽長秀が建てた仮の館で一夜を過ごし、翌日十五日、安土に到着した。

 この時家康に従った主な重臣寵臣は、今川家の人質時代にも供をした股肱の老臣酒井忠次、ともかく勇名と武功には事欠かない猛将本多忠勝、言わずと知れた伊賀の忍び服部半蔵、家康の寵が過ぎ二十二歳で未だ元服を許されない後の徳川四天王、美形の小姓井伊万千代等。

  一行の宿所は大宝坊とし、家臣達を遣わし一先ず案内させた後、安土城に招いた。

 到着を心持ちにしていた信長は、広間の上座ではなく、安土城の黒金門の辺りで出迎える程の歓迎振りだった。

 駿河を拝領した礼で訪れ、織田の家臣になったというのに、賓客を迎えるかのような気の使いように、純朴な三河武士達は戸惑うばかりだ。

 そんな彼等の様子は意に介さず、礼を述べようとする家康や梅雪に、堅苦しい挨拶は抜きじゃと急かし、強引に自ら接待を始めてしまった。

『本日の饗応膳の豪華な事。』

 乱法師は献立を頭に浮かべながら、年の近い家康の小姓、顔馴染みの井伊万千代や永井伝八郎と世間話を楽しんでいた。

 「今年こそ共に鷹狩りをしたいものじゃ。」

 「ははあ、また吉良で致しましょうぞ。」

 共通の趣味を持つ主二人は鷹狩りの話ですっかり盛り上がっている。

 一昨年まで毎年のように吉良で鷹狩りを楽しんでいた仲だから、此度随行した徳川の家臣達の殆んどが良く見知る顔触れであった。

 先月も信州と浜松で会って別れたばかりなので、家臣同士も仲良く打ち解け、すっかり話が弾んでいる。

 徳川の小姓達と楽しく話しながらも頭の片隅にあるのは、本日の献立に含まれる、ある食材の事だった。
 
 その食材は他と比べ取扱いが群を抜いて難しい。

 だが光秀が要求に見事に応え、それが目の前に運ばれてきたら──

 間違い無く家康は感激するだろう。

 乱法師はその場面を想像し、少しわくわくしてきた。

 信長自らが膳を運び、それぞれの前に据えるという演出は数日後を予定している。

 今日は疲れて空腹であろうから、特別な演出は止めてともかく豪華な上手い料理を沢山食べて貰おうと考えていた。

 つまり本日の目玉は饗応膳であり、信長の求める『馳走』を象徴するのが、その食材なのだ。

 準備が調ったとの知らせで、一同は四季の草花、雉や鶴などが描かれた豪華な金の襖絵の大広間に移動した。

 家康、梅雪、それぞれの重臣達が着座すると、美々しい衣装の小姓達が次々と膳を運び込む。

 こうした宴は式三献から始まるのが常だが、酒の肴ではなくいきなり料理の膳が運ばれてきたので、不思議そうに顔が見交わされる。

  本膳が真ん中に据えられ、菓子も含めれば膳の数は全部で六つ。

 他に飯を入れた櫃と酒の盃台が美しく据えられる。

 料理を載せる器や膳も実に美しく華やかだ。

 金銀に極彩色の、城の襖絵と同じく濃絵が描かれた器。

 料理に刺された串までが金で塗られ、皿の上の甲立《かわたて》(皿の上に敷かれた金箔の紙)や、から花(檜で出来た造花)と全てが眩い。

 さて肝心の料理はというと、本膳には茹で蛸、青菜のすめ味噌汁、高級魚鯉のなますワサビ酢仕立て、味噌の漬け物、近江名物鮒寿司、そして真ん中に家康の好物である立派な鯛の焼き物という品揃えだ。

 家康は膳が運ばれてきた時から感嘆しきりで、大好物の鯛の焼き物に目が釘付けになる。

 二膳目は、うるか(鮎の内蔵と卵の塩辛)、宇治丸(鰻の酒と醤油たれの丸焼き)、ほやの冷や汁、ふとに(干しナマコのほしこに長芋を入れたすめ味噌煮)、丸ごと鮑、鱧、鯉汁。

 この時代、まだ醤油は貴重だったと云う。

 三膳目は、胡桃酢で焼いた雉肉、鶴汁に山芋、真ん中にはかざめと呼ばれていたワタリガニが丸ごと、にしがいの壷煎、すずき汁。

 与膳目の料理は巻きするめ、鴫壺(しぎ肉を詰めて柿の葉で蓋をして藁でからげた)、琵琶湖で獲れた鮒汁、椎茸煮物。

 老臣酒井忠次の身体は震えっぱなしだった。
 彼は生まれてこの方こんな豪華な料理を目にした事がなかった。

 だが、それを言うなら家康とて他の家臣達とて同じ事。

 震えたのは恐ろしいからだ。
 
 武田討伐の武功に対して駿河を拝領した為、信長の物見遊山道中で極めて礼を尽くした主君家康。

 そこで終わるどころか、人の好い主は礼を尽くし過ぎたせいで安土に招かれ、またもや駿河拝領の礼の為と言って参上したのに、却って過剰な歓待を受けてしまっている。

 またもや返礼をする気ではなかろうか。
 一体いつまで返礼合戦は続くのかと不安になってしまった。

 家康の表情を盗み見ても、料理に対する無邪気な興奮しか感じられず、隣の本多忠勝などは当に単純そのもので、余程腹が減っているのか食べる事しか頭にないように見えた。

 酒井忠次だけが不安を感じる中、五の膳と菓子を載せた最後の膳が据えられた。

 『かっ菓子まで付いてきたぞ──!』

 最早家臣を労う接待などでは断じてなく、信長の心の中では未だ同盟者家康の儘で、切り換えが全く出来ていないのだと感じた。

  基本の本膳料理は、三つの膳に精々少し菓子が付くくらい。
 
 それだけでも身分が上の者から持て成されれば畏れ多いところを、五の膳まであり一つ一つの料理の食材が豪華過ぎた。

 菓子は羊皮餅、大豆に飴を絡めた豆飴、美濃柿、花形に切り抜いた煮昆布。

 盛り方までが彩り見目麗しく、飾りのから花まで添えられていたが、皆が特に目を見張ったのは五の膳の料理である。

 煮ごぼう、削り昆布、鴨汁。

 そして、真魚鰹《まながつお》の刺身。

 艶やかに生き生きと照り、先程まで生きていたかのような新鮮さに家康は驚嘆した。

 「──これは!まながつおの刺身、でございますか。」

 だから式三献を省略したのかと納得する。

 真魚鰹の旬は初夏から夏で、特に産卵前で身が張っているのが旨いと云われる。

 内陸部で海の魚を、この蒸し暑い時期に生で食すのは大変な贅沢だ。

 主な漁場は瀬戸内海で、特に鮮度が落ち易い魚の為、関東で新鮮な刺身を食べるのはほぼ不可能であった。

 まながつおは学鰹、まなは真名という意味でもあり、関西では鰹を生で食すのが難しかった事から、まながつおこそ真の鰹という変な対抗意識で名付けられたとも。

 常温ではあっという間に鮮度が落ちてしまう為、現代では急速冷凍で鮮度を保ち出荷される。

 関東では口にする機会がない、関西で珍重される旬のまながつおを刺身で食べて貰いたい。

 信長の思いが通じ、家康は僅かに涙ぐんだ。

 今朝、光秀は大阪湾で獲れたまながつおの中でも、特に味の良さそうなものを生かした儘運ばせた。

 他の方法も懸命に考えてみたが、確実に鮮度を保つにはそれしかないと判断したのだ。

『ふう、やれやれ。明日のすすぎ(鱸)の刺身は琵琶湖で獲れるから心配はなさそうじゃな。全くここまでの持て成しをしたら、主従の関係が曖昧になってしまうではないか。』

 何とか難題に応えて見せたとはいえ、素直に喜べず、信長の張り切り振りにはつい首を傾げてしまう。

 家康一向は、この日は昼前に安土に着いたので、夕にも少し膳の数を抑えた料理が振る舞われる手筈になっている。

 「さあ!活きの良いうちに食べなければ旨味が落ちてしまう。旬の真魚鰹は本当に旨いのじゃ!浜松に戻ったら中々口には出来まいぞ!」

 信長に勧められ、刺身を箸で挟み生姜酢を付けて口に運ぶ。

 「旨い!」

  家康は一言発すると、口の中でとろけるような柔らかさ、程好い脂身、得もいわれぬ甘味を堪能し舌鼓を打つ。

 「──ああ──真に真に美味でございますな。今まで食べた刺身の中で一番美味でございます。何という御心遣い。これに勝る幸せはございませぬ。この家康、これ程の御持て成しに対して、どのような形であれ御返しを致さねば某の気が済みませぬ。」

 興福寺の美酒に旨い料理、家康の昂った真心から出た言葉に酒井忠次の身体がびくっと強張った。

 『やっぱり──やっぱり言ったぁ!』

 先月、甲府から浜松までの道中の持て成しにどれ程の金と人を動員したか。
 天竜川への舟橋の設置は気が狂う程の困難を極めたのは語るまでもない。

 何故なら、その舟橋を一目見た信長の心は大きく揺さぶられ、此度の臣下に対するとは到底思えぬ過剰な饗応となったのだから。

 信長が徳川を思う気持ちは真であり、大事な客人として扱われ嬉しくない筈がない。

 だが臣従を誓った立場で『身に余る』持て成しを受け、果たして『有り難き幸せ』の一言で辞して良いものか。

 老臣酒井忠次の心に再び不安が芽生え、泳いだ視線が隣の本多忠勝と合った。
 
 こちらを見て機嫌良く、にこにこと笑っている。
 大方、旨い料理で腹が膨れてすっかり御機嫌なのだろう単純な奴めと今度は家康に目を移すと、同じくこちらを見てにこにこと笑っているではないか。

 はっとして信長を見ると、やはりこちらを見て微笑んでいた。

 乱法師が酒井忠次の側に来て告げた。

 「酒井殿、上様の御所望にございまする。」

 「……はっは?ご、御所望とは…」

 突然言われ、話が見えず狼狽える。

 「浜松で見せて頂いた、あの海老掬いを今一度御覧になりたいと仰せでございます。是非とも!」

 意味を理解した忠次は一気に脱力した。

『海老掬い』とは忠次の単なる宴会芸であり、興に乗ってくるとたまに披露する剽げた踊りに過ぎない。

 名前から察するに高尚な踊りとは思えず、多分どじょう掬いと似たようなものだろう。

『御所望』される程のものではないが、何分の一かでも己の拙い芸で返礼が出来ればと気合いを入れて踊り、場は大いに盛り上がったのだった。

────

 二日目も朝から五膳で、更に朝と夕の間に点心(おやつ)まで出された。
 
  饗応膳では当時高級とされていた食材というだけでなく、武将にとって験を担ぐような縁起物が多く使われていた。

 つまり縁起物が高級品であった、或いは高級品であるから縁起物となっただけかもしれないが。

 慶事に鶴やスルメ、のし鮑は分かりやすいのだが、十六日の夕飯に出されている鯨汁は、鯉よりも鯨の方が上級とされていただけでなく、大きな鯨を呑み込む事が国を吸収する、或いは鯨の咆哮を鬨の声に重ね戦に勝つという意味で、ややこじつけた感はあるが武将に好まれたようである。

 百菊焼き(鳥の砂肝の味噌焼き)などという料理は酒に良く合いそうだ。

 からすみ、和えくらげや、ばい貝、つぶ貝、みる貝、さざえ等の貝類も多く出され、現代では馴染みが薄いが鶴と共に好まれた雁の汁は極めて美味だったとか。

 饗応三昧の間に城内を信長自ら案内したり、あっという間に二日が過ぎ、明日以降は総見寺で能と幸若舞の鑑賞、都と堺見物を楽しんで貰いながらの一流の茶人による茶の湯で接待と、この儘恙無く進みそうに思われた。

────
 
 「上様、浜松様がこんなに御酒を召されたのは久しぶりじゃと申されておりましたね。二日とも膳を美味しそうにぺろりと平らげられ、すっかり御満悦の御様子でおられました。真魚鰹は特にお気に召されたようですが、浜松では刺身は無理じゃと残念がられて──真魚鰹の刺身を口にされるのは生まれて初めてだそうで、上様が如何に御心を砕かれたかを感じ取られ、感激されておられましたから御苦心の甲斐がございましたね。」

 嬉しそうに話す乱法師の言葉に、側にいた饗応役の光秀の指が膝の上で僅かにぴくっと動いた。

 その小さな動きと光秀の表情が少しだけ歪んだ事に気付いた者は一人もいなかった。

 信長の側に控えていたのは乱法師と光秀以外に丹羽長秀、菅屋長頼、長谷川秀一。

 光秀の心に一瞬さざ波のように立った動揺は、『信長が苦心した』という無邪気な言葉に対してであるが、以前の彼ならばそんな些細な事に不快感を示したりはしなかった。

 ましてや信長は主であり、命じられた事が難題であればある程、家臣として名誉と奮起し、奔走して認められたいと嘗ては考えたものだ。

 だが人は己の苦労が報われていないと感じた時、主にすら不満を抱き、苦心したのは自分だと強く主張したくなる。

 確実に光秀の心は信長から離れ始めていた。

 「明日は、浜松様はもっと驚かれる事でしょう。御家中の方々もきっと──」

 「うむ…三河が真魚鰹を生まれて初めて食べたのなら、こちらは菓子を作るなど生まれて初めてじゃからのう。上手く出来るかどうかだけが心配じゃ。上手く作れなかったら持て成しではなくなってしまうからのう。ははは!」

 信長の手作り菓子は明日振る舞う事になっている。

 簡単で子供でも作れるような菓子だが、それでも料理人に手順を確認している様子が微笑ましく、今も信長の言葉に胸を高鳴らせ、密かに周りに人がいなければ良いのにとさえ思った。


『馬鹿馬鹿しい。何故誰も何も意見せぬのじゃ。天下人たる上様が御自らただの国主にここまでするのを──』

 若い乱法師と菓子作りについて楽しそうに話す信長を、彼が批判的な目で見てしまうのは、最早やる事為す事に共感出来なくなっていたからだろう。

 そして家康のような底知れぬ器を持つ者が同盟者ではなく、家臣として己と同じ土俵に立つ事にも焦りを感じていた。

 息子程年の違う乱法師に強い憤りを感じる事は滅多にない。

 信長に対して一途で、どんな事にも批判の心がないのは若いのだから仕方ないとも思う。
 だが逆に、ひたすら素直で従順で世間知らずだからこそ、力を与え側から離したくないのだろうと冷ややかな目で見てしまう。

 若者が純粋で忠誠心が高いのは当たり前だ。

 特に乱法師のように寵を独占し、可愛さ余って城まで与えてしまうような家臣ならば批判などあろう筈がない。

『理屈っぽい年寄りなど不要か──』

 身体が弱い訳でもないし年の割には元気な方なのかもしれないが、近頃は疲れ易く思うように動けないと感じる事が増えた。

 そのせいで焦燥感に駆られ些細な事で落ち込み易く、気持ちが悪い方向に向かってしまうのではと自覚はあった。

 「上様。」

 側近の掘秀政が書状を携え部屋に入ってきた。

 部屋にいる者達の顔触れを確認し、問題ないと判断したのか信長に告げた。

 「備中の羽柴筑前守より書状が届きました。」

 信長を含め、その部屋にいた者達全員の顔つきが変わる。

 「寄越せ!」

 内容は備中高松城救援の為、毛利軍が進軍して来たという知らせに違いない。

 己の目で素早く信長は書状の内容を確認した。

 「──さて─どうするか。」

 書状に目を通すと、脇息に凭れた儘信長は思案した。

 「上様、筑前は何と?」

 重鎮丹羽長秀が尋ねた。

 「毛利輝元、吉川元春、小早川隆景の軍勢がとうとう出てきよった。」

 「では、いよいよ。」

 「うむ。向こうから出て来てくれたおかげで余計な手間が省けるな。毛利勢を踏み潰し、その儘九州まで平定してやろう!菊(掘秀政)!筑前に書状で指示を出す故、そなたが使者として備中に向かえ!」

 丹羽長秀の言葉に力強く頷きながら、先ず最初の指示を掘秀政に与えた。

 「大軍が出て来たところで最早高松城は虫の息。こっちは更に大軍勢を送り込んでやる!」

 そう言い、その場にいる掘以外の者達の顔を見回した。

 丹羽長秀、菅屋長頼、長谷川秀一、乱法師、そして明智光秀。

 秀吉の救援に、先ず誰を向かわせるか。

 真っ先に丹羽長秀と乱法師は除外した。

 今、長宗我部討伐の為、四国渡海の準備をしている三男の三七信孝の後見役を丹羽長秀には既に命じてある。

 年若い乱法師は側近中の側近で、彼の務めは何を置いても信長の側にいる事なのだから端から論外だ。

 残るは菅屋長頼、長谷川秀一、明智光秀。

 この中で適任なのは、誰がどう見ても光秀であった。

 「日向守!饗応役は丹羽、菅屋、長谷川にやらせる故、貴様は筑前の後詰めの準備を致せ!」

 その命令は妥当であり、不服に思う者はいなかった。
 一人を除いて──

 乱法師には隣にいる光秀の身体が小刻みに震え顔色も悪く、額に汗が浮き出ているように見えた。

 具合でも悪いのかと思わず声を掛けようとするより早く、信長が畳み掛けるように言った。

 「聞いておるのか?貴様は坂本城に戻り備中に出陣する準備を致せと申しておる。」

 皆の視線が己に集中するのを感じながら、光秀は懇願するように言葉を発した。

 「……今…今すぐ……でございますか?」

 信長は光秀の不満気な問いにほんの少し怪訝そうに首を傾げる。

 「三河には儂から申しておく故案ずるな。戦支度は早い方が良かろう。本日から饗応役は免じて坂本城に戻って良いと申しておるのじゃ。」

 律儀で生真面目な質故に、いきなり本日から饗応役を務められなくなっては家康に申し訳なく躊躇したのだと捉えた。

 「……う……ははぁ……」

  そこにいた者達は皆、密かに光秀の様子を訝しく思った。

 しかし同時に各々が独自の理由を付けて、勝手に納得してもいた。

 例えば乱法師は『やはり疲れておいでなのではないか。』、丹羽長秀は『全く真面目じゃのう。』、そして長谷川秀一は『ふん、羽藤(秀吉)の後詰めに回されるのが余程嫌なのか。随分と意気消沈しておるわ。』と言った具合にだ。

 この中で光秀の心情を一番良く言い当てていたのは、間違いなく人の弱味を見抜くのに長けた長谷川秀一であったろう。

 今、最も顔を見たくない秀吉の救援として出陣しなければならないという屈辱で、確かに心は打ちのめされていた。

『何故!儂があやつが手柄を立てる手助けをしてやらねばならぬのか──あやつを助けるくらいならば、毛利か上杉を助けた方がましじゃ。』

 この時彼が抱いた感情は意外と分かりやすいものだった。

 そして、敵を助けた方がまだましだという表現は比喩的でありながら、秀吉を敵よりも憎いと思う気持ちは、この上なく真実であった。

 唇を噛み締め必死で堪える。
 
 織田家の重臣として私怨を捨て、やるべき事をやらねばならぬと感情を抑え込もうとした、その時。

 「おお、そういえば日向守!興福寺に頼んだという盃臺(盃台)はどうなっておる?」

 不意に思い出したように信長が尋ねた。

 光秀は食材を揃えるだけでなく、それこそ馬揃えの時のように深い知識や美意識で拘り抜いた食器や座敷の調度品、装飾を、全て自分で見立てて確認し配していた。

 饗応役の任から外れる事になったとはいえ、精巧な盃臺こそ持て成しには相応しいと思い付き、興福寺に依頼したのは光秀である。

 盃臺(装飾盃台)が届き、この目で確認するまでは任を外れたくないとの感情が湧き起こり訴えた。

 「盃臺は本日中、いえ遅くとも明日までには届くかと。それまでは、せめて安土にいたいと存じまする。」

 この訴えには二つの思いが込められていた。

 一つは盃臺に飾られた人形の出来を、供する前に己自身で確認したいという美意識の高い彼らしい思い。

 それは、どんな仕事を任されても、例え途中で外されようとも、自分が関わった以上は完璧でありたいという尋常ならざる潔癖さとも取れた。

 もう一つは任を外された後に客人の前に並べられ、一同から感嘆の溜め息が洩れる時、その場にいないという僅かな悔しさ。

 主人の機嫌を損ねる事が死に直結した時代、クビになる事は文字通り首になる事。

 饗応役でも日常的な業務においても、失態を犯せば主には家臣の命を奪う権利があった。

 「別に構わぬ。では本日中は貴様が饗応役を務め、明日から交代して坂本に戻るが良い。」

 今日秀吉から書状を受けたからと、突然光秀を饗応役から外せば、家康に対して確かに非礼になるやもしれぬと考え直し了承した。

 坂本城は安土から極めて近い為、そこまで焦る必要もないとも考えた。

 かくして──盃臺は届いた。

 献上品として届けられた以上、披露するのは乱法師の役目だ。

 「何と見事な!美しい人形でございますね。」

 大和で造られる木彫りの人形の素晴らしさは知っていたが、権力者に献上される程の品だけあり贅と粋を凝らし、目を奪われてしまう程の出来栄えだった。

 「ふぅむ。木で出来ているとは思えぬのう。手の指の部分なぞ細かいところまで良く彫ったものじゃ──ん?これは──日向守──ならぬ!一乗院に突き返せ!」

 献上品は興福寺の大乗院と一乗院の双方から贈られ、大乗院からの献上品はいたく気に入り絶賛した。
 ところが、一乗院から献上された盃臺は『御意に叶わず』だったようだ。

 (盃臺というのが、大きな奈良人形そのもの或いは人の形をした盃台、人形が台の上に設置された四角い盃台を指すのか良く分からないので、ここでは四角い足の付いた盃台とする。)

 この盃台の人形も含めた木彫りの装飾は、能や狂言の物語りに登場する人や動物を多く題材としていた。

 張良や鞍馬天狗という、能や幸若舞で人気の演目を題材として作られていたようだが、信長は鞍馬天狗が気に入らなかったのではと多門院日記を記した多門院英俊は推測している。

 「……何故にございますか?見事な出来栄えにございますが……」

 光秀が造った訳ではないのだから、献上されたうち信長の意に添わぬ品があったからとて格別気にする事もないのだが、理由が分からず狼狽える。

 ただし献上品が返されるなど良くある話で、最近では北条氏政、以前には宣教師からの贈り物も返品されていた。

 宣教師から贈られた品を全て受け取らなかった理由が信長らしい。

 自分が持っていても仕方が無い品だからだというのがその理由だった。

 逆に己が熱心に安土城の様子を緻密に描かせた屏風は、いらなかったら返して貰っても構わないと告げたところも信長らしい。

 ただ、大抵は御目がねに叶わなかったからだ。

 何が気に入らないのか乱法師にも分からなかった。

 「儂が平氏である事を失念しておるのか?鞍馬天狗は源氏の舞ではないか。しかも鞍馬天狗の謡いには、驕れる平家を西海に追下とある。張良は祝いの舞なれば構わぬが、仮にも儂に献上する品に、平家を追いやる能を題材にして作るとはな。これから毛利を討伐する為に中国に遠征しようという時に、この盃臺を据えて三河と酒を酌み交わせと申すのか。縁起が悪い!下げさせよ!」

 信長は神仏や呪い、迷信を信じていないが、武将として出陣前には打ち鮑、勝栗、昆布を欠かさず食べている。

『敵に打ち勝ちよろ昆布』という、音でこじつけた意味を込めて食してから出陣するのが武家の慣わしである。

 戦いに挑む武将は特に験を担ぎたがる為、饗応の膳の鯨汁のように、馬鹿々しくとも祝勝と戦勝祈願を兼ねて品を贈るならば、もう少しは気を遣って欲しいという信長の考えなのだ。

 「……これは、真に気がつきませぬ事で申し訳ございませぬ。」

 興福寺からの使者も居心地が悪いが、依頼した饗応役の光秀も、そこまで気が回らなかった事を迂闊だったと後悔した。

 乱法師は信長の言葉になるほどと納得する。

 信州への途上、立ち寄った金山城で兄弟三人が幸若舞を披露した際、平家を名乗る信長の為に源氏が主役の曲目を避けたのは、天真爛漫な彼の思いつきみたいなものだったが、側近として彼が重用されるのは、ふとした時に嫌味でない程度に良く気が回るからというのもあるだろう。

 信長は大して怒っていた訳ではないが、光秀は立場がないと感じた。

 せめて坂本城に戻る前に面目を施したいと思ったのに、却って後味の悪い結果になってしまったと落ち込む。

 今日一日の接待と、明日総見寺で上演される能と幸若舞の座敷の装飾の確認の為に部屋から退出する途中、心の中に、丹羽長秀と己の役目を替えて欲しいという強い思いが再び沸き起こってきた。

『鞍馬天狗の謡いが平家を貶めている事に気付かないというならば、御自身はどうじゃ!儂が立場を無くしたのは筑前のせいではないか。なのに、よりによって儂を備中への後詰めとされるなど、人の心が分からないにもほどがある。』

 近頃は己に対する理不尽な振る舞いが多いと感じていたが、信長という人間は基本的に誰に対しても理不尽であり我が儘で、特別今に始まった事ではなかった。

 物事の歯車が上手く噛み合わないから信長の言動に不信感を抱き、過剰に労苦が報われていないと感じてしまうのだろう。

『申し上げねばならぬ。上様が気付いておられぬならば申し上げねばならぬ。それにしても平家に拘るのは、やはり将軍に任官されるおつもりなのか?ならば今度の上洛で将軍に?』

 様々な思いが身内を駆け巡り、強い決意を胸に秘め、踵を返して信長のいる部屋へと向かった。

─────
 
 「御上洛はいつになさいますか?吉田兼和殿から書状を頂きました。御公家衆も久しぶりの御上洛を心待ちにしておられるとか。」

 乱法師の軽やかな言い様だと遊びに行くようにも聞こえるが、公家衆が上洛を待つ理由なら腐る程あった。

 決着を付けるのは先ず暦の件か任官か、譲位か。
 暦の件はともかくとして、任官と譲位に関しては毛利が片付いてからの方が時期的に都合が良いと考えていた。

 武田のような家臣達の寝返りはなくとも、毛利討伐にも大した時間は要さないだろう。

 長宗我部を討ち滅ぼし四国の支配は三男の信孝と三好に任せる。

 毛利を撃退したら中国に秀吉の領地を増やし、近江の長浜城は堀秀政に与える。

 長い間戦いに従事してきた秀吉は少し休ませ、九州の平定には光秀に働いて貰う。

 「心待ちにしておるのは儂の方じゃ。無論、白粉共の顔を見たい訳ではないがな──」

 言葉を切り乱法師の顔を見てにやりと笑った。

 「楢柴肩衝《ならしばかたつき》、でございましょう?」

 信長が喉から手が出る程欲している天下の名物茶器、三肩衝の一つ。

 初花、新田は既に手にしているから、楢柴肩衝で漸く三つが揃う。

 「白粉共が大挙して押し掛けてきたら邪魔臭いのう。」

 「ふふ……浜松様には明後日安土を発たれ、都と堺を見物して頂くのでございましたら、本能寺にも呼ばれるおつもりですか?」

 三十八種の名物茶器をわざわざ都の本能寺まで運び込むのは、贅沢な事に楢柴肩衝を所有する博多商人島井宗室ただ一人の為だったと言えるかもしれない。

 九州を制圧し統治する為には先ず博多の豪商達を味方に付ける必要があった。

 そして島井宗室自身も九州の大名大友氏が島津氏に圧され、大友氏の庇護下にあった立場が微妙なものとなり、早急に信長の力を必要としていた。

 互いの利害が一致しているのだから島井宗室に否《いな》はなかったが、天下の楢柴肩衝をただ献上するのではなく、名物茶器を披露する名目の茶会を開いた上で譲り受けた形にした方が体裁が良いと、光秀の進言に従い『茶会』を催す事となったのだ。

 だが乱法師にはこの『茶会』が道具立ては前代未聞なのに、現時点でもかなり成り行き任せのように感じ、些か戸惑ってはいた。

 信長の三茶頭、千宗易、津田宗及、今井宗久は、この後堺見物をする家康を持て成す事になっている。

 要は権力者信長が堺の茶人達に声を掛け、名物茶器を取り揃えた豪華な茶会を準備させた筈なのに、主な招待客は今のところ島井宗室だけだった。

 本能寺で数日催される予定なので、家康の接待が終わり次第、三茶頭を都に呼び寄せるつもりなのだろうが──

 因みに公家衆は呼ばずとも押し掛けてくるだろうが、招待する気は全くないようである。

 家康が堺にいる間に茶会が催されるとしたら、誰が茶を点てるのかと考えるに、信長が点てるとしか思えなかった。

 「ははは!三河にはまだ内緒じゃぞ!あやつは三十八種の茶器を並べて茶会を催すなど知らぬからな。先ず堺で普通の茶会を楽しんで貰い、儂が上洛した後、三河を本能寺に呼んで茶器を披露してやる。いっそ儂が茶を点ててやろうかのう。せっかくの機会じゃから、本能寺での茶会を最後の持て成しとして浜松に帰って貰おうと思っておる。」

 「なるほど、そのようなお考えでいらっしゃったのですね。最高の土産話を携えて意気揚々と浜松に戻られる事でございましょう。」

 第一に信長の予定を把握し、諸将や公家、商人も含め、必要とあれば連絡を取り合い、予定と意向を確認した上で謁見の要望があれば取り次ぎ、予定が詰まっていれば調整し、信長の指示を伝達するなどが乱法師の主な役割である。

 分かりやすく言えば個人秘書だ。

 予定が曖昧過ぎては困るので、さりげなく計画が聞けて安堵した。

 更に信長は続けた。

 「城之助や源三郎(信長五男)、松井友閑、天王寺屋宗及も呼ぼう。後は、日向守と筒井順慶もじゃ。」

 今、安土周辺にいる武将達は一部の留守居役を除いて、皆西国への出陣命令を受け戦支度に取り掛かっているところだ。

 上洛と出陣の日程が合えば、都に立ち寄る事が出来る武将は他にもいるだろう。
 
 多忙過ぎる主の日程を把握する事も、ひっきりなしに届く書状や献上品の内容を確認したり、返信や礼状書きで腕が痛くなる時もあるが、今は遣り甲斐を感じている。

 「あれはどうした?」、「いつ会う予定になっていたか?」などと、彼に聞けば何でも分かると思っているのか、我が儘な主は気軽に聞いてくるが、そうして頼られる事にこそ幸せを感じていた。

 自ずと微笑んでいたらしく、信長の手が伸び乱法師を膝の上に乗せるように抱き寄せる。

 主に近付けば近付く程公私の境が曖昧になるのは、この時代に限らず自然な成り行きで、彼の仕事は信長に愛が無ければ、それも極めて格別な愛が無ければ到底務まるものではなかった。

 「城代の各務兵庫から何か報告はあったか?」

 「格別こちらから指示するような事は今のところございませぬ。」

 指で髪を梳く信長に申し訳なさそうに言ったのは、未だに城代に任せきりで一度も城に入っていないというのに、先月賜った五万石に加え、更に一万石を加増されていたからだ。

 「先日のような事があればすぐ申せ!」

 先日の事というのは、引き継いだ領土の現在の正確な石高を城主として知っておくべきと思い、各務に命じて検地を行わせた事を言う。

 実際の石高を計測するというのが、そもそも難しい。

 領土の中に当然ある米を作らない畑や屋敷地、農産物、海産物などの価値を米に置き換えたらどれくらいの収穫量となるかという測定方だからだ。

 年ごとに収穫量は変わる上に、実高が少なくとも表高が五万石であれば、表高に見合う税や軍役を課されてしまう為、少な目に申告する傾向はあった。

 そういう意味で乱法師が利口だったからなのか彼だからなのかは分からないが、実高を報告したら即座に一万石加増して貰えたのだ。

 一石は米の重さだと約150kg に相当し、成人男性がほぼ一年間に食べる量に該当する。

 六万石あれば、六万人の男性を養える計算になるのだが、そんなに単純にはいかない。

 年ごとの米の収穫量が天候や立地に左右され一定でないのは勿論の事、領地が増えれば家臣も増え、その家族の生活費や土地の開拓、河に橋を架けたり城下町の整備、城の修繕費などを捻出しなければならない為、その儘六万人の兵力を有するとはならないのだ。

 一万石で兵力動員数は凡そ250人なので、六万石ならばざっと1500人という事になる。

 しかし、中々の兵力を有する筈の彼の場合は、西国に出陣する信長に相変わらず随行するだけなので、諸費用の中で一番負担が大きいであろう、石高に見合う軍役を此度も課せられていなかった。

 そんな彼を見て人々は、『無垢な顔をして案外要領が良い御仁』と思うのかもしれない。

 
 
 「上様、日向守殿が御話しをし忘れた事があると戻って参られましたが、お通ししても宜しいでしょうか?」
 
 力丸が襖を少し開け、遠慮がちに告げた。

 「ん?構わぬ、通せ!」

 特別深く考えずに光秀を通すようにと力丸に伝えた。

 「言い忘れた事とは何じゃ!早く申せ!」

 信長は元々性急で短気、前置きを嫌う上に多忙な身である。

 言い忘れた事があるという時点で気に入らず、光秀が入ってくるなり少し苛々して急かした。

 光秀が先ず最初に発した言葉は驚くべきものだった。

 「先ず、お人払いを……」

 信長は首を傾げ見回したが部屋には乱法師しかいない。
 光秀の様子や言動が少しおかしいと乱法師も感じた。

 「──人払いとは乱の事か?」

 明らかに不機嫌な口調に変わる。

 寵愛する彼を退出させろと言った事に対する感情的なものだけではない。
 信長の手足となり、その言葉を方々に伝える役割を担う彼が部屋にいれば、後で話す手間が省けるからだ。

 つまり人払いをしたとて結局後で伝えるのだから意味がない。

 無論必要な情報でなくとも、当に一心同体とも言うべき乱法師を退出させる理由がなかった。
 常に心も身も寄り添い、まるで自身の一部であるかのように意思を理解し、何があっても裏切らない最愛の家臣。

 そうなるように育ててきたのだ。

 頻繁に優しい言葉を掛け、何処に行くにも連れ歩き閨で愛で、時には食も共にし深く心を通わせてきた。
 一人の人として向き合い、歳の差や立場を越え、出来る限り対等であろうと努めた。
 
 無論、全く対等という訳にはいかなかったが。

 「言い忘れた事とは一体何じゃ?乱がいたら申せぬような事か!」

 光秀の態度に不快感を覚え、少し嘲るような口調になる。

 「……はっ、上様にだけ聞いて頂きたい御話しなのです。側に人がいては話しにくい内容でございます。後で、お乱殿に話されるかどうかは上様に御判断頂きたく……」

 そう言いながらも、今の光秀は乱法師の事さえ信用出来なくなっていた。

 秀吉や三好康長は己を追い落とそうとする急先鋒で間違いないが、彼等に情報を与え力を貸す側近衆も最早、敵──

 乱法師は彼等に属してはいないが、光秀が失脚したら喜ぶであろうという点では所詮同じ穴の狢と勝手に思い込んでいる。

 信州では、義理の息子の細川忠興が言った事をここまで気にしていなかったのに、近頃俄に現実味を帯びてきていた。

『坂本城が欲しい』と既にねだり、約束されているのではないのか、と。

 仮にまだだとしても、己が失脚すれば坂本城を手にするのは乱法師以外考えられない。

 と、言う事は彼も失脚を喜ぶ立場にあり、場合によっては秀吉に付く可能性がある危険人物と捉え始めていた。
 今まで自分は案外人を信用し過ぎていたのではないか。
 秀吉の事とて以前は悪い奴ではないと思っていたではないか。
 皆が己が堕ちるのを待っている──

 但し、あくまでも光秀の心の内でだけ勝手に膨れあがった疑念に過ぎない。 

 信長は道理に合わぬ事も指図される事も言い返される事も大嫌いだった。

 ただ案外これは誰にでも共通する事で信長が特別な訳ではなく、彼の有する権力からすれば当たり前と言えば当たり前。

 光秀の言葉は筋が通っているようでいて筋が通っていないと感じ、苛立った。

 乱法師は信長の分かりやすい苛立ちを感じながらも、光秀の不気味な覚悟も感じ取っていた。

 信長の意に添わぬ事はしない。
 これは家臣として仕える以上は、誰もが遵守すべき最低限の心得であろう。
 意に添わぬ事をしてしまったと感じたら直ちに引き下がり頭を垂れる。

 それが出来なかった者達は、すべからく堕ちていった。

 周囲との融和を常に心掛ける乱法師はこの場を上手く収めようと、信長の感情が昂る前にすかさず口を開いた。


 「上様、私は次の間に控えておりますれば、日向守殿と先ず御話しをされては如何でございましょうか?何かございましたら御呼び下さいませ。」

 主の目を真っ直ぐ見詰めながら、優しく柔らかな声音で訴えた。
 張り詰めた空気になど、まるで気付いていないような和やかな風情である。

 「──では、日向守、言い忘れた事とやらを手短に申せ!」

 乱法師の声音でやや毒気を抜かれた信長は渋々承知した。

 話を聞かずに退けるも人払いを拒むも信長の気持ち次第。
 敢えて主の機嫌を損ねるのを承知の上で戻って来たのだから、余程の覚悟があるのだろう。
 それを感情に任せて退ければ、互いの心に大きな痼《しこり》を残してしまう。

 乱法師は常と変わらず優美な物腰で退出する際、素早く光秀の全身に目を走らせた。

『いくらなんでも、流石にそれはないか。』

 腰刀は所持していれば嫌でも目に付くが、短刀ならば隠し持つ事も出来る。

 微かに不安を覚えたが、目通りを願い出る時点で刀を預けてから通されるものだし、短刀を隠し持っているような不自然さは無いと判断し、部屋の外に出た。

 と、同時に襖に耳を押し当てる。

 兄の不思議な行動に、部屋の外で待機していた力丸は思わず声を発した。

 「兄者、何をしておるのじゃ。」

 「──っし!」

 唇に指を当て黙るように制すると、部屋の中の様子に全神経を集中する。

 おっとりとした力丸も、ただ事ではないと感じ身体を緊張で強張らせる。

 部屋が広い為、大きな声しか聞き取れぬかもしれぬと舌打ちすると、重ねた懐紙をそっと出し、襖の間に差し込み僅かな隙間を作る。

 話は始まっているようだが普通の声の大きさでは内容までは分からない。

 ごく細い隙間から覗く限り、不穏な空気は今のところ感じられなかった。

 
 「丹羽五郎左殿(長秀)と某の役目を変えて頂きたいのです。」

 主の短気な気性を弁え単刀直入に光秀は切り出した。

 「役目というのは五郎左(丹羽)に代えて、貴様を四国に遣わせと言いたいのか?」

 このような話であると、信長にも大方予想はついていた。

 「はっ!やはり某には納得出来ませぬ。取り次ぎを長くして参りましたのは某にございます。内情にも詳しく、石谷、斎藤の兄弟は長宗我部の城に入り、対面した事さえ何度もあるのです。縁戚として深い対話をしてきた仲なれば、五郎左殿ではなく、某にお任せ下されば内と外から揺さぶりを掛ける事も可能でございます。ほんの今少しだけ猶予を頂き──」

 「貴様もしつこいのう。今少し、今少しと──武田攻めがなければ今頃長宗我部は滅びておるというのに。信州に遠征した時に三好を四国に遣わしたが、あの時兵を割いて長宗我部を滅ぼしてしまっても良かったな。武田は容易く滅びた故なあ。逆に聞くが、何故長宗我部にそこまで肩入れする?石谷、斎藤の妹が元親に嫁いでいるから哀れと思っている訳でもあるまい。そんなに哀れと思うならば、妹を離縁するよう説得した方が手っ取り早いであろう?」

 信長の口調は静かだったが、その瞳の奥にぎらぎらと燃え立つ怒りが垣間見えた。

 核心を突く言葉に一体どう言えば、己の立場を有利に、そして望む方向に持っていけるかと思案しながら言葉を選ぶ。

 「仰せの通り、長宗我部は我が明智の重臣斎藤内蔵助と石谷頼辰兄弟の縁戚。さすれば某にとっても縁戚のようなもの。ただ、だからと言って討伐を命じられ、あくまでも臣従せぬと申すのならば、如何に身内とて容赦は致しませぬ。」

 信長は顎髭を撫でながら光秀の矛盾した言葉を聞いていた。

 「ふん!容赦はせぬ?長宗我部は重臣の内蔵助(斎藤)の縁戚であるから己にとっては縁戚のようなものじゃと?貴様が言っている事が分かっておるのか?老境に入って腑抜けになったか。」

 だから四国討伐軍に光秀を加えたくないのだと思った。

 「既に此所まで返答を待ち、貴様等が説得し首を縦に振らぬ者をこれ以上まだ説得すると申しておる時点で──くっふはは──充分容赦しておるではないか。しかも重臣の内蔵助が縁戚なれば己にとっても縁戚じゃと?左様な事を言う者に四国討伐を任せられるか。」

 「それは──つまり。」

 上手く反論出来ない。

 背中を伝う汗を感じながら、己が熱心に長宗我部の討伐を阻止しようとすればする程、深入りし過ぎているから益々任せたくないと信長が考えるのだと理解した。
 
 何が何でも長宗我部を踏み潰すと信長が決意したのには他にも理由がある。

 長宗我部は四国を制圧するのに躍起になる余り、三好対抗策として、よりによって毛利と手を組んだのだ。

 毛利は織田の敵である。

 信長にしてみれば利用価値無く野心ばかりが強い長宗我部など、この先説得に応じ臣従を漸く誓ったとて、土佐一国すら与えたくない相手となっていた。

 言葉に詰まる光秀を更に容赦無く攻め立てる言葉が続いた。

 「内蔵助か──内蔵助は何と申しておるのじゃ。貴様ですら此所まで肩入れするのであるから、さぞかし貴様の『大事な重臣』の内蔵助は討伐に反対なのであろうな──ああ、成る程、また四国の件を蒸し返したのは内蔵助であろう。」

 話が斎藤利三の事に及び、『大事な重臣』と含んだ言い方をされ、光秀は嫌な気分になった。

 「内蔵助に焚き付けられたというのは違いまする。内蔵助なりに戦を避けたい一心で説得に奔走して参りました。四国討伐の朱印状が発せられ非常に残念であると申しております。」

 「ふむ。内蔵助が長宗我部と通じ何か画策をしておるという事はないのじゃな?」

 光秀を見る信長の目は笑っていなかった。

 「──っな!通じる?通じるとは──あまりな仰せにございまする。」

 思いがけない成り行きに思わず声が大きくなる。

 乱法師は襖の外で拳を握り締めた。

 大きな声は乱法師の耳にも届いた。

『やはり、あまり良い流れではない……退出すべきではなかったか……』

 後悔の念が湧いたが、退出せねば光秀は引き下がらず、退出すれば激し易い短気な信長と光秀が一対一で直接ぶつかってしまうのだから全く弱ってしまう。

 同席していれば場の空気を読みながら話の流れを変える事も出来るのだがと唇を噛み締める。

 「ところで兄者、何故兄者はこんなところで聞き耳を立てておるのじゃ?部屋に入れば良いではないか。」

 力丸が今頃になって訊ねてきた。

 「たわけ……部屋にいられるくらいならとっくにそうしておるわ……」

 何処まで鈍い奴かと自分の事は棚に上げ声を潜めて答える。

 「え!ならば、部屋から出て行けと言われたのか?」

 「しっ!声が大きい。上様に言われた訳ではないが……ともかく後で話すから静かにしておれ!」
 
 
────

 憤りと屈辱で光秀の身体が小刻みに震えた。

 「分かっておるのか?儂が討伐すると決めた以上長宗我部は敵なのじゃ!内蔵助と縁戚である事など最早関係ない。勝手に説得に当たるならば内通と見なすぞ。貴様や内蔵助、石谷も含め、この件に関わる事は一切許さぬ。前にも申したと思うがのう。さて、質問に答えておらぬな。何故、貴様が長宗我部にそこまで肩入れするかじゃ。」

 「断じて、断じて織田家を裏切るような真似は──肩入れをするという見方は筋違いでございましょう。我等はただ、無益な戦を避けたいと考えているに過ぎず、一日も早い天下統一をと心より願っているだけ。それを、内通や裏切りと捉えられていると知ったら、内蔵助が余りにも哀れ…もしや、また上様に讒言する輩でもいたのでございますか?」

 「また?」

 信長の片眉がぴくりと動いた。

 「また──とは、どういう意味じゃ。」

 腑に落ちぬ様子の信長に、光秀は心で渦巻く己の疑念を絞り出すように話し始めた。

 「内蔵助(斎藤利三)の事を悪く吹き込む輩がおるのでございましょうが、その者達の言葉を決して信じてはなりませぬ。」

 「悪く言う者とは、稲葉の事か?稲葉が内蔵助の事を悪く言ったのは那波を引き抜こうとした件についてだけじゃ。それとも他の者の事を申しておるのか?」

 「某には此処一年、合点がいかぬ事ばかり。那波はともかく、何故内蔵助の名前が今更稲葉の口から出てくるのか。稲葉の裏で手を引いている者がおるのでは?交渉が上手くいかぬようにと画策し讒言を重ね、長宗我部を悪く言うだけでは飽きたらず、交渉役の内蔵助の汚点を上げ稲葉を焚き付け、邪魔をしておる者の事にございます。」

 光秀はずっと心の中でもやもやと溜まっていた鬱憤を吐き出すと饒舌になった。

 「ふん──!貴様の言うその者とやらは一体誰の事じゃ。申してみよ!」

 切実に訴える光秀の期待に反し、頭の可笑しな者でも見るかのような、冷たく侮蔑に満ちた目であった。

 冷静さを欠き膨れ上がる黒雲のような疑念に支配された心は、それ以上口にすべきではない言葉を、明らかに己に不利な方向に流れる場の空気を読み切れず、終に口にしてしまった。

 「三好康長と羽柴筑前守秀吉でございまする。」

 「三好が、長宗我部は野心一方ならず、この儘四国切り取り次第の約束を守れば、他の領主は悉く泣き、四国全土を手に入れた暁には必ずや野心を募らせ叛くに違いないと申してきたのは確かじゃ。貴様が讒言と申すのはそうした事か?」

 「ははっ!左様にございまする。そのような事ばかりか、己の立場を優位にする事ばかり企み、おおよそ他にも根も葉もない事を──」

 「黙れ!!」

 信長の良く通る怒りの声に、襖の外にいた乱法師と力丸の肩がびくっと跳ねた。

 短く分かりやすい言葉が大きな声で発せられている部分のみ良く聞き取れる。

 信長の機嫌を損なうような意見を言ってしまった事は確実だが、別にそれだけならば問題ない。

 信長の側に侍して五年、ありとあらゆる立場の武将や公家、商人も含め、叱責される場面を度々目にしてきた。

 無論、光秀も含めてである。

 そのような時、光秀は動じず静かに頭を下げ、嵐が過ぎ去るのを畳の目を数えながらやり過ごしていた。

 淡々と聞き流す素振りは、大袈裟に怯え泣き真似をして赦しを乞う秀吉とは対極だった。

 あの程度の信長の怒りようは日常の範疇で、素直に引き下がれば直ぐに収まる。

 そう判断し、襖の外で成り行きを見守る事にした。

────
 
 「たわけか!讒言とは無い事も殊更膨らませて悪し様に言う事であろうが!三好からも筑前からも、他の者達からも長宗我部の行状については散々聞いておる。儂の朱印状を盾にして横暴三昧であるとな。じゃが、儂はあやつらの意見のみに左右され、討伐を決断する程愚かではないわ!」

 信長が先ず腹を立てたのは、讒言に惑わされる暗愚であるかのように言われた事に対してだった。

 「……では、内蔵助の事は如何がでございますか?今まで十年もの間、何も申してこなかったのに、那波の出奔が内蔵助のみの悪事のように申し立て、今──よりによって今──内蔵助を稲葉に戻せとの上様の御裁決を狙っておるとしか思えませぬ。それは、つまり長宗我部との交渉に関わる事を阻止する動きとしか思えず──裏で糸を引いているのは三好と手を組み交渉を阻止し、上様に従わぬ者として長宗我部討伐の大義名分を戴き、取り次ぎ役の某さえ、ついでに追い落とそうとする筑前の深い企みではありませぬか!」

 それまで脇息に凭れ聞いていた信長はとうとう立ち上がった。

 「讒言を申しておるのは貴様ではないか!思い通りにならぬからと交渉を邪魔しておるだの、ぐだぐだと!筑前が裏で手を回した証拠でもあるのか!大体、長宗我部にしても内蔵助にしても身から出た錆であろう!交渉役を長く務めてきた故、五郎左に代えてというところまでは言い分もあると耳を貸したが、己の意見が通らぬとなったら根拠の無い讒言を言いよるか!筑前を見よ!大敵毛利と対陣し身も心も磨り減らして働いておるわ。貴様を陥れる算段など気が回らぬ程にな。筑前が三好と手を組んだのは毛利を倒す為ではないか。それを長宗我部を討伐する為の画策と申すか!画策しておるのは長宗我部であろう。毛利となど手を組みおって───!」

 信長の顔は怒りで朱に染まり、仁王立ちで激昂する様子はさながら阿修羅のようであった。

 「それは、なれど……」

 「黙れ!黙れ!どこまで儂の決断に口を挟むつもりじゃ!貴様は備中に出陣する準備を致せ!多くの与力を任せておるのじゃ!ごちゃごちゃ世迷い言を申さず手柄で訴えて見せよ!筑前のようにな!」

 最早、襖近くどころか襖を越えて怒声が響き渡り、乱法師のいる部屋に続く別部屋にいた小姓までが顔を覗かせた。

────
 
 「くっっ──」

 「内蔵助に申し伝えよ!稲葉家に戻れと。やはり元の鞘に戻すべきじゃな。これを許せば、また揉め事の種になる。内蔵助が稲葉に戻り、那波の事も解決する。筑前と三好が裏で手を引いているなどという猜疑心も消えるというものじゃ!」

 「そんな──内蔵助は明智にとっては最早無くてはならぬ家臣でございます。本人も稲葉に戻る事は望んでおりませぬ。某が如何様に説得したとて首を縦に振るとは思えず──強いて命じれば自刃すると言い出すやもしれませぬ。」

 光秀は信長の袴に取りすがるように懇願した。

 乱法師の目からは激昂しているのは信長のみで、光秀はひたすら赦しを乞い、怒りを鎮める努力をしているように見えた。

 言い争いになれば迷わず部屋に飛び込むが、今はまだその時ではないと判断した。

『上様の御怒りが早く収まれば良いが……』

 襖の隙間に目を押し付け中を覗く乱法師の願いは、信長の次の言葉で掻き消えた。

 「では──自刃させよ。」

 「なっ何と──!何と──そのような事承服出来ませぬ──いや、断じて……断じて…」

 平伏する光秀を冷酷に見下ろし命じた。

 「嫌ならば、何としてでも稲葉家に戻せ!」

 「──やっ!それは何卒何卒御赦し下さいませ─何卒──」

 顔面蒼白の体で我を失い、思わず信長の袴を強く掴んでしまった。

 「───っく、こっの──無礼者めがーー」

 その行為が、ただでさえ頭に血が昇った信長の感情を刺激し、喉元辺りまで込み上げていた怒りが一気に頭頂まで突き抜けた。

 信長は袴を掴んだ手を退けようと、光秀の肩の辺りを強く足蹴にした。

 光秀が無様に仰向けに転がる。

 「──あっっ!」

 襖の上と下から揃って中を覗いていた兄弟のうち、力丸が小さな声を上げてしまう。

 乱法師は冷静だった。

 足蹴にされて転がった様子を見られていたと知ったら屈辱は倍増するであろう。

 「上様、大きな音が聞こえて参りましたが大事はございませぬか?」

 思いきり覗き見していたとは思えぬ、涼やかな張りのある声で襖の外から声を掛ける。

 乱法師の一声で部屋の中の二人の熱が僅かに冷えた。

 「──大事ない!」

 信長は興奮の余り肩で息をしながら仁王立ちで踞《うずくま》る光秀を見下ろし、怒りを抑えた口調で返答した。

 「……う……」

 家中一の大身でありながら、足蹴にされた衝撃で言葉が出てこない。

 亀裂が走ったかのように心が痛んだ。

 お互いに興奮で身体は震えていたが、少しずつ乱れた部屋の空気が収まり始めると、信長が口を開いた。

 「貴様は直ちに坂本城に戻り、備中への出陣の準備を致せ!内蔵助の事も儂の考えは一切変わらぬ。言って聞かねば──貴様の手で成敗致せ!分かったな!」

 「……ははぁ……」

 主の厳命には従う他はない。

 どれ程の言い分があろうとも。

 主従関係にある限り、この先もずっと顔色を窺い、従い続けなければならないのだ。

 ずっと────

 畳に付いた手がいつの間にか悔しさで色が変わる程に握り締められていた。

 「日向守、下がれ!」

 信長の命令は、今の彼にとってはある意味救いであった。

 そして、襖の外にいる森兄弟にとっても。

 光秀が退出する気配を察し、乱法師は即座に居ずまいを正す。

 「御話はもう御済みでございますか?」

 微笑みを浮かべ話し掛けてみたが、録な返答は無く、光秀は憔悴した足取りで去って行った。

 「大事はございませぬか?随分と声を荒げておいででしたが、一体何が──」

 心配そうな顔で詰め寄る乱法師の顔を見た途端、信長はいきなり笑い出した。

 「?上様……?」

 首を傾げる彼の顔に笑いながら手を伸ばす。

 「うっくははは──そなた──しらばっくれるな!顔に──ふふ、襖の痕が付いておるぞ。」

 襖に顔を押し付けて様子を窺っていた事を物語るように、右頬に痕が縦にくっきり付いてしまっていた。

 彼の分かりやすい愛に、信長の激しい怒りがすっかり鎮まる。

 「──あっ、なれど……良く聞こえなかったのでございまする。結局のところ日向守は何を申していたのでございますか?」

 最早敬称抜きで日向守と言う乱法師に、光秀と話した内容を教えてやると、彼なりに考え光秀の気持ちを推測した。

 「日向守は筑前殿を妬んでおられるのでしょうか?四国討伐を止めようとする気持ちよりも後詰めを命じられた事を不服に思っているように感じまする。斎藤内蔵助に対する情は真と思いますが、討伐を食い止めようとする意見には、かなりの私情が入っているように感じますが──」

 信長が感じた光秀に対する不快な感情を、彼は分かりやすく捉えていた。

 全ては私情──

 質が悪いのは若い乱法師のように思考が単純でない分、本音を誤魔化し余計な理屈を捏ね回してしまうところだ。

 正直に嫌なものは嫌、秀吉は虫が好かぬと、例えば柴田勝家のように単刀直入に言えば可愛げがあるのにと思う。

 「己大事が見え透いておる故、浅ましいのじゃ。」

 信長は憎々しげに言った。

「斎藤内蔵助の事は……真に命令を聞かねば成敗されるおつもりですか?」

 斎藤利三に非はあるとはいえ、問題は光秀にとって重い存在であるという事だ。

 さしずめ森家にとっての各務兵庫のようなものかと思う。

 各務が自刃を命じられたら長可は気も狂わんばかりになって、己の命を差し出すとまで言いそうだ。
 下手をすると、自分達弟に対してよりも愛情が深いかもしれない。

 「──やり過ぎと思うか?自刃とまで申せば立場を弁え反省すると思ったのじゃが。それでも、稲葉に戻らぬと逆らった場合──」

 珍しく己の決断に迷いを見せ、意見を求める様子は少し弱気に見えた。

 足蹴にした事も斎藤利三に自刃を命じた事も、やり過ぎたかという後悔の念が少し沸いてきたからであろう。

 真に不用な人間であれば足蹴どころか首が飛んでいた筈であるから、信長にしてはこれでも我慢した方なのかも知れない。

 主の立場で一度発した命令を撤回したり、徒に家臣に謝罪したりするのはすべき事ではないと乱法師は考えた。

 光秀の思いは人として理解出来るが、同じ家中から同じ家中へ、禁じられている引き抜きが二度もされた事について、信長の耳に入ってしまった以上、捨て置く訳にはいかない。

 今更斎藤利三にまで戻って来いと稲葉家から申し入れてきている訳ではないが、那波直治は日が浅い故戻し、斎藤利三は明智の家臣同然なので戻さないというのも筋が通らない。

 「上様、斎藤の件は誰かの取り成しにより自刃は赦されたというようにしては如何がでしょうか?無論、稲葉家に戻り、正式に主の許しを得て明智家の家臣となるのが望ましいのですが……」

 「誰かの取り成しと言うと?」

 「猪子兵介殿では如何がでしょうか?」

 猪子兵介は馬廻り衆として古くから信長を支える側近の一人だ。

 猪子兵介をと言ったのは、吉田兼和とも懇意にしており、側近衆の中では光秀とも親しくしているからだ。

 直ぐに命令を撤回しては信長の体面に関わる為、この件は那波直治の事も含め暫し保留とした。

 
 天正十年五月半ば過ぎた頃であろうか。

 真実かどうかは分からないが、光秀が饗応役を命じられ、その任を解かれるまでの数日間、信長と光秀の間に何かしらの諍いがあった可能性を示唆する記述がいくつか残っている。

 特にその時代に生きたルイス・フロイスの記述は、矛盾があるからこそ妙に生々しい。

『人々が話すところに因れば、彼の好みに合わぬ要件で明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり怒りを込め一度か二度足蹴にした。だが、これは密かに為された二人だけの間の事で』と続くのだが、明らかに矛盾している。

 とは言え、『人々が』『二人だけで為された事』だからと全く知り得なかった筈はないという見方をすれば、却って真実を語っているようにも思えるのだ。

 ルイス・フロイスの著した『日本史』は、神が関わる事以外は詳細に、中々その時代にあった出来事を明確に記述している。

 足蹴にしたという記述は他の書物にも見られるが、天正年間に生き当時の出来事を記録した物として、明智光秀と親しかった吉田兼和の日記も興味深い。

 ほぼ毎日のように几帳面に記されている彼の日記の、天正十年五月十七日から二十日までの四日間が抜けているのだ。

 後に己に不利になりそうな記述を書き換えたり破棄したと伝わる彼の事なので、変更を加えた可能性は否定出来ない。

───そして、十八日は平和だった。

 安土城の華麗な広間は常よりも豪華に飾られ、徳川家康と穴山梅雪は、その重臣達も含め宴に招待されていた。

 当初の計画通り、饗応の膳を運び込む信長の顔は悪戯心を秘め瞳は輝き、微笑みながら家康や重臣達の前に食べ易いようにと膳を置いて行く。

 美しい木彫りの人形で装飾された盃台は、小姓達が運び込んだ。

 信長自ら膳を運び目の前に据える異様な演出に、またもや酒井忠次の全身からどっと汗が吹き出してくる。

 鼻腔に己の汗の匂いがむわっと込み上げたが、信長から招待された宴の席という事で、柄にも無く着物に強い香を焚き染めていて幸いと思ったその時──

 更に驚愕の光景が酒井の目に飛び込んできた。

 家康の前に座った信長の元に臼が運ばれ、何やら挽いているではないか。

『──まさか──!あれは──ふりもみこがし!』

 ふりもみこがしとは炒った米や麦を臼で挽き、砂糖を混ぜた菓子と伝わる。

 粉の儘食べても良いようなのだが、臼を挽いて砂糖を混ぜたくらいでは作った事にはならぬと、実は数日前上手く捏ねる練習までしていた。
 
 挽いた粉になった米や麦に熱湯を注ぎ、捏ねて食べやすい大きさに成形していく。

 信長は真剣そのものだった。

 手早く混ぜないと手に付き、綺麗な形に作れないからだ。

 「さて──こね、こね、こね、こねと。」

 一心不乱に粉を捏ね、菓子作りに没頭する信長の姿に、酒井忠次は最早限界だった。

 湯殿に入った後のように着物がぐっしょりと濡れ、畳にまで汗が滝のように流れ落ちている感触があった。

 この場を退出する時、畳に汗染みがあったら粗相をしたと思われるのではと考えると、益々汗が滲み出てくる。
 
 助けを求めるように隣の本多忠勝に目を遣ると、子供のように瞳を輝かせ身を乗り出し菓子作りを見守っているではないか。

『まさか──自分でも作ってみようと思っておるのでは?』

 視線に気付いたのか、忠勝がぱっと忠次に目を向ける。
 意外とつぶらな瞳が一瞬大きく見開かれ、無言で大判の手拭いを差し出してきた。

 汗を拭けという事らしい。

 今の忠次にとって忠勝の素朴な気遣いは何よりも有り難く、遠慮なく汗を拭き捲ったのであった。

 

 そして信長の手作り菓子に家康が大いに感動した翌日の十九日は、平和という訳にはいかなかった。

 余程激しかったからなのか、衆人環視の中、似つかわしくない場面であったからなのか、いくつかの書物にこの日の総見寺での事件に関する記述が見られる。

 本日は安土城内にある総見寺で能と幸若舞が上演される事になっていて、桟敷が設えられ綾錦の幕などが張られ、寺内とは思えぬ程豪華絢爛に様変わりしていた。

 桟敷の内には家康や梅雪の他に官位を持つ摂家の近衛前久や信長の祐筆、松井友閑や武井夕庵、楠木長譜が座し、土間には家康や梅雪の家臣達と共に、信長の小姓衆、馬廻り衆、お年寄り衆が座し観覧する事となった。

 幸若大夫の『大織冠』、『田歌』の二曲の舞は見事な出来で信長は上機嫌だったようだ。

 次は梅若大夫の能の番で、演じたのは『御裳裾《みもすそ》』と『盲沙汰《めくらさた》』であったと云う。

 選曲に問題があった訳ではなさそうだが余程下手くそであったのか、腹を立てた信長が梅若大夫を折檻したと、同じ日付の記述が複数残されているので、衆人環視の中で行われたようだ。

 常に近侍する織田の家臣達にしてみれば見慣れた光景であったかもしれないが、昨日は自ら機嫌良く膳を運び、菓子作りまでして見せた親しみ易い顔とはうって変わり、鬼のような形相で梅若大夫を叱責する姿に、随行した徳川、穴山両家臣達は震えあがった。

 信長の気性が激しかったのは良く知られるところだが、激怒する度に記録されていた訳ではないにせよ、そんなに頻繁に機嫌を損ねていた訳でもないだろう。

 数名によって同じ記述が存在するのは、それだけ印象に残ったという事であるから、客人同然の家康を持て成す場で激怒したのが、人々の目にかなり奇異に映ったのではないか。

 信長は怒りを爆発させた後、菅屋長頼と長谷川秀一に、出来の良かった幸若大夫にもう一度舞うようにと命じさせた。

 光秀を足蹴にした上に、梅若大夫を客人の前で激しく叱責するという出来事が、たった二、三日の間に起こったのだとしたら、信長と言えども『すこぶる機嫌の悪い数日間』であったと言えるだろう。

 
 「幸若大夫と梅若大夫に褒美の金子を与える故、そなたが使い致せ!」

 幸若大夫が舞い終わると取り合えず機嫌を直し、乱法師を側に呼び寄せ二人に使者として楽屋に遣わした。

 
 二日後の二十一日、徳川家康と穴山梅雪一行は安土での持て成しに感謝し、京と堺、奈良を見物する為に安土城を後にした。

 持て成しは安土城だけに留まらず、家康から献上された馬と鎧三百領のみを受け取り、金子三千両は都と堺を見物する費用に当てて欲しいと受け取らなかった。

 そればかりか案内役としめ長谷川秀一を付け、甥の津田信澄と丹羽長秀に接待を命じた他、嫡男織田信忠がまるで護衛役のように上洛の供をするという極めて異例の待遇が続いたのだった。
 

 
 
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