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第17章 弟よ

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 諏訪を出立し先ず目指したのは甲斐の台ヶ原だった。

 今や信長の行く所、通る道全てに歓待の場が設けられ、宿所の前には献上品を携えた者達が列を成すのは見慣れた光景である。

 小田原の北条氏政は捕らえた雉五百羽以上も献上した。

 皆が競って信長の前に頭を垂れ恭順の意を示し、威光に縋りつくように膝を折る。

 前に進むだけで道端の花は我先にと蕾を開き、通る街道は小石一つないようにと掃き浄められ、腰を据えた途端に酒と旨い食事と献上品が運ばれてくる。

 常に傍らに侍る乱法師は、強大な傘の下で、降りしきる雨からも照り付ける陽射しからも、ずっと守られてきたのだと強く感じた。

 台ヶ原の宿所から五町(550m)ばかり進むと、甲斐は山が多い為上の方だけだが、山々の間に、頭は白く下方に青い裳裾が広がる、現代も変わらぬ富士山の姿が見えてきた。

 一行から感嘆の溜め息と歓声が湧き起こり、この国の誰もが知り一度は拝みたいと願う、絵に描かれた物ではない真の富士を見た感動で、皆が遠征の疲れを暫し忘れた。

 「駿河や遠江からは山麓まで見えるであろう。噂に違わぬ美しい姿じゃ!」

 信長自身も生まれて初めて間近で見る富士山の姿に賛嘆しきりであった。

 道中の歓迎振りに加え、日本一の富士山を見た事で、天下は我が物との確信を更に強めた事だろう。

 甲斐の強敵武田を征伐し、国中の下々の者までが、天下に最も近い者として信長を認識している。

 最早、日の本に信長を倒せる者などいないと──

────

 富士山の神々しい姿に畿内から出陣した者達が口を開けて見惚れている、当にその頃。

 
 戦はまだ終わっていなかった。

 諏訪に駐留している信忠の軍勢が恵林寺を取り囲んだのだ。

 甲斐にある恵林寺の歴史は古い。

  快川紹喜、又は快川和尚として知られる高僧が、信玄に招かれ恵林寺の住職となり信玄の菩提寺になったという。

 何故、織田軍に包囲されたのか。

 対抗勢力を次々と討ち滅ぼし天下平定に向け邁進してきた信長だが、永緑の頃、三好氏と手を組み行く手を阻んだのが六角氏である。

 結果六角氏は敗北するが、六角善賢の息子は逃げ延び武田を頼り、反信長勢力としてしぶとく活動を続けていたようだ。

 その息子、六角次郎を恵林寺が匿っていた事が織田方に知れ、引き渡しを要求したが拒絶した為、囲まれる羽目に陥ったのだ。

 寺は聖域として敵も味方も関係ないという理屈で拒んだようだが、父信長は比叡山を、息子信忠は諏訪大社を焼き払っているのだから、そんな理屈が通用する相手ではなかった。

 寺の者、小僧、稚児まで余さず櫓形の山門に集めて二階に登らせ、下に草を積み火を点けた。

 始めは黒煙で見えなかったが、煙りが収まると焼き殺される人々が下からの炎の熱で苦しみ、躍り跳びあがる様子が見えたという生々しい記録が残っている。

 さながら網で魚を焼くかのようだ。

 有名な『安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し。』という言葉を快川和尚が発したのがこの時である。

 朝廷から円常国師という称号を賜った程の名僧らしく、炎に炙られながらも、この場面に相応しい言葉を遺し生きながら焼かれた。


 快川和尚以外にも著名な長老も含め、この日百五十名余りが焼き殺された。
 
 匿った側がこんな無惨な目に合いながら、六角次郎はまたもや逃げ延びたらしい。

 恵林寺は諏訪から見ると、信長がいた台ヶ原よりも十里程先に位置していた為、諏訪の信忠の元に戻る途中で、駿河に移動中の信長に焼き討ちの様子が知らされた。

 六角次郎を捕らえる目的で為された事であるのに、次郎の逃亡を耳にしても信長は特別な指示は与えなかった。

 逃げたければ何処までも逃げろという事だ。

 六角次郎を匿えばこうなる。

 それを知らしめれば充分なのだ。

 乱法師は荒木村重の縁者達の処刑を思い出し、暗澹たる気分になった。

 富士山に目を遣り、街道に咲く菜の花に視線を向ける。

 黄色い菜の花と、遠くに見える富士の白と青の爽やかな彩りの夢から、僅か一日で血生臭い現に舞い戻ってしまった。

  乱法師にとっては戦こそが日常だ。

 平和な世を知らない彼は、それを嘆く事すら考え付かない。

 幼い頃の木刀での打ち合いは幼児の遊びではなく、やがて戦場に赴き命を奪い、命を奪われない為の訓練であった。

 だが、良く整備され人々が笑顔で過ごす安土の城下町を、信長の小姓となり天守閣から見渡した時、戦の無い世とはこういうものであろうかと心で感じたものだった。

 そして、先程まで春の景色に心癒され、当に平和とはこういうものであろうと考えていたところだったのだ。

 
 安土は愛する第二の故郷だが、帰れば更なる雑務に追われる身でもある。

 信長は毛利を討伐する為に、腰を落ち着ける間もなく出陣するだろう。

 無論、己も従う事になる。

 今がどれ程貴重な時間であるかに思い至り、辛い現を忘れ束の間の夢を楽しもうと考えた。

『上様には、安土に戻ってから申し上げよう。』

 胸の痛みを堪えて、最も向き合いたくない現を頭の隅に追いやる。

 台ヶ原から甲府に向かい、武田勝頼の新府城に行き焼け跡を見た。

 焼け跡を見ると武田が滅びたとの実感が沸くが、今月の事とは信じられぬ程、既に時が経ったように感じられる。

 武田信玄といえば躑躅ヶ崎館が有名だが、勝頼が燃やしてしまったので、その後に信忠が立派な仮御殿を建てており、そこに暫く滞在し、ゆっくりと過ごした。

 しかし、そこにいる間温泉三昧だったかというと決してそういう訳でもない。

 信長の四男で秀吉の養子秀勝の初陣の補佐として備前に出陣すると秀吉から報告があったり、昨年の馬揃え以来、一年も上洛していない為先伸ばしになっている様々な朝廷の要件についての返答の示唆。

 ただし悪気なく先伸ばしになっている案件は、朝廷にとっては最優先事項だろうが、信長にとっては後回しにしても良い事柄ばかりであった。

 それは帝の譲位、信長に対する官職推任、暦の件についてだ。

 故に朝廷は信長の上洛、又はせめて安土への帰城をかなり待ち望んでいた。

  武田の残党を捕縛したという報告も相次ぎ、勝頼の側近であった秋山万可斎、秋山摂津守は、小山田信茂と共に武田を裏切り潜伏していたところを捕らえられ長谷川秀一が処刑した。

 地元の農民達が恩賞目当てで探し当て捕縛、或いは殺害して首級を直接届けてくる場合もあり、武田の残党は根こそぎ始末された。

────
 
 そんな折り、兄長可の統治する信濃で一揆が起こった。

 海津城に入った長可が禁制を発令し、所領安堵を信濃の国衆に行い、統制を始めたところ、旧武田家臣の芋川親正が恭順の意志を見せなかった事から端を発する。

 上杉討伐の兵を芋川に命じるが拒絶。

 それどころか芋川は、織田に反旗を翻し上杉に従う事を決め、信濃の反信長勢力と一向衆徒を煽動して一揆を起こしたのだ。

 女子供を含めた数だが、八千程の兵をかき集め、廃城となっていた大倉城を占拠し徹底抗戦の構えに出た。

 おまけに水内郡の長沼城主、島津忠直まで仲間に引き込み、守りが一番手薄と見て織田方の稲葉貞道の守る飯山城を包囲した。

 甲斐の躑躅ヶ崎館跡にも知らせは届き、乱法師は案じていた通りになったと敵の旧領地を支配する難しさを改めて感じたが、長可の動きは素早かった。

 一揆勢は大倉城より守備力の堅い長沼城に移動しようとしたが、長沼城は先手を打った森軍により既に攻略されていた。

 逃げ場を失った一揆勢は、此処で千人以上が討たれ、次に大倉城に攻め寄せ陥落させると女子供も容赦なく虐殺した。

 散り散りに逃げる残党達を追撃し、二千人以上が討ち取られると、さすがに芋川親正は抵抗する力無く上杉を頼り落ち延びていった。

  こうして飯山で起こった一揆は、たった二日で制圧され、信長は長可の比類ない働き振りを評価し、稲葉貞道を力不足と判断したのか、飯山には森軍を駐留させるようにと命じた。

───
 
 甲府や信州には信玄の隠し湯と伝わる良質な温泉が多く今も涌き出ている。

 躑躅ヶ崎館より近いところでは一里程離れたところに、湯村温泉、積翠寺温泉などがあった。

 湯村温泉は当時、志磨の湯と呼ばれていたようだ。
 
 風呂好きの信長がこの地に滞在し、しかもほんの僅かな距離に信玄の隠し湯があると聞けば入りに行かぬ筈がない。
 
 僅かな小姓と馬廻りを引き連れ、先ず志摩の湯に行く事になった。

 村人達が道案内の途中、志摩の湯の由来を話すのに興味深く耳を傾ける。

 弘法大師が旅人の通行を妨げていた大きな石をどかそうと呪文を唱えたら、石のあった場所から湯が噴き出してきたという言い伝えである。

 岩に囲まれた温泉は、武田の者達が良く利用していた名残で木で作られた屋根が設けられ、脱衣出来る小屋も建っていた。

 周りには自然の草花が繁り、四方見渡せど山ばかりの甲斐国らしい眺めである。

 信長は供の者達は控えさせ、乱法師と二人だけで湯に浸かった。

 男色が当たり前の時代とはいえ、乱法師自身は風呂という場面で同性に裸を見られるのに羞恥などないのに、彼の肌を他の者達に見せたくないという信長の思いが伝わり、つい可笑しくなる。

 周りに見える山々のうち北の方角に見えるのが日本一美しい渓谷と言われる御岳昇仙峡だ。

 時折何かの鳥の鳴き声も聞こえ、自然と一体化した風呂の心地好さを、信州や甲斐ですっかり堪能している二人であった。

 「武蔵守は反乱が起きぬように国衆から人質をかき集めているらしいな。山の中まで毎日入って村人を見つけたら村に帰るように命じておるとか。早速、新しい土地で良い働きをしている。」

 湯を手で掬い顔を浸しながら、満足気に言った。

 上杉と国境で接し、反勢力が滅ぼされた残党と結び付き、戦を仕掛ける余地を残す信濃が危険な地域である事を長可は重々肝に命じたようである。

  一揆が再び起こらぬようにと信濃中から人質を掻き集めた事が、長可の命を救う事になるのは、日本を揺るがす大事変の後の話である。

 「はい、味方の被害がほとんどなく二日で収束して良うございました。」

 諏訪で足軽達の大半を先に帰国させたのに始まり、最近では丹羽長秀や堀秀政等にも休暇を与え、別経路で安土に戻る者達が徐々に増えてきている。

 「上様、金山城を賜りましたからには城に入り兵を募り、城下町や土地の様子を改めて調査したいと存じますが、此処より金山城に参る事を御許し下さいますか?」

 乱法師の言う事はもっともであった。

 兄の旧領を引き継いだだけとはいえ、城主になったからにはやるべき事は沢山ある。

 とはいえ、安土に戻れば側近としての仕事が山積みは必至、金山は遠く、一先ず帰る前に寄っていけないだろうかと考えたのだ。

 だが、信長の口から出た言葉は意外なものだった。

 「必要ない!城代を置いておけば良い。兵庫(森家家老の各務兵庫)辺りが良いか。武蔵守に申して兵庫を金山に置いておこう。」

 「ですが──私は──」

 キュッキュー キュイキュイ
 近くの木に止まったつぐみが、葉を揺らしのどかに鳴いた。

 「そなたは儂の近習であるのじゃから今までどうり傍にいれば良い!」

 こともなげに言う信長の言葉に呆然とした。

 そういえば、今頃気付いたのも呑気だが、岩村城を任された団平八は信忠の側近なのだ。

 岩村城は岐阜城から少し離れているとは言っても、せいぜい十里(30kmから40km程度)。

 一日で移動出来る距離だ。

 安土から金山城までは三十里以上あるから、考えてみれば側近の仕事と金山城主を兼任するのは至難の業ではないのか。

 領地を任されれば、その地で暮らすのが普通で、長可もすぐに海津城に入っている。

 秀吉が姫路城を毛利攻めの拠点とし、今は近江長浜には城代を置いているが、いずれ堀秀政が引き継ぐと内々の噂であった。

 菅屋長頼は越前府中を前田利家から引き継ぐ事が決まっているが、彼の場合は側近とは言え、以前にも越前で政務を執り、監察官として七尾城の城代を勤めた事もあり、乱法師のように信長の傍を常に離れずという訳ではない。

 ならば自分も側近の立場にありながら金山で暮らし統治するのかと考えてみたが、『城代を置いておけば良い』という言葉から、今までと違う事を要求される気配は全くなさそうだった。

  城に入らず城代を置いておいたら、また長谷川辺りに『名のみの城主』と陰口を叩かれる事だろう。

 武功を立てていないばかりか、菅屋長頼のような古参の側近衆のように政でさえ重責を担った事もないのに、城代に任せっきりでいたら、確かに『名のみの城主』以外では有り得ない。

 団平八のように、いずれ信忠に付けるつもりだろうか。

 しかし己に対する情愛を思えば、言葉通り傍から離すつもりはないように思う。

 ならば当座金山城主に任じておいて、やがて近江の城を誰かから引き継ぎ国替えとなるのだろうか。

 いずれにせよ、武田という驚異が無くなった今、金山城は軍事的前線基地で無くなったのは確かだ。

 「……あ……此処からも山の間から富士の山が……」

 思わず何故、自分に金山城を与えたのかと尋ねようとしたが、信長の口から聞くのが怖くなり話題を変える。

 信長は笑いながら富士の方角を見やった。

『何と御答えになられるのだろう。』

 そう思いながら、『何故そんな事を聞くのじゃ?そなたには分かっているであろう。』と言われそうであり、確かに心の奥では聞かずとも分かっていた。

 今まで与えられた物全てが信長の愛そのものであり、それ以外では有り得なかったのだから──

 常に、彼に与える理由は愛でしかなかった。

 信長は与えたいと思う物を与えてきた。

 此度はそれが城であっただけの事──

 父や兄の代で整備された町並み、改築されたばかりの城。

 敵の驚異もなければ信濃に上杉の危険が迫ったとしても、援軍として出陣を命じられるのは他の武将なのだろう。

 そう思うと城を与えられて嬉しい半面やはり複雑な気持ちになってしまう。

 西国に出陣する際も軍勢を率いる事なく従軍するだけ。
 再び安土に戻る時には大方毛利や九州の事は片付いているやもしれぬ。

 戦う事も人を斬る事もなく生涯を終えるのか。

 天下が平定されれば、子や孫の代には己以上に戦を知らない事が当たり前の世となっているのだろう。

 子───か。

 元服の時には信長が烏帽子親となり偏諱を賜り、信長が選んだ妻を娶り、子を成せばまた信長が名付け親となるのだろうか。

 元服をしても何も変わらない。

───生涯、信長に守られ生きていく運命《さだめ》。

 『力は力だ。』

 兄の言葉が甦った。

『そうじゃ、これが力なのじゃ。何を迷う……贅沢な悩みじゃ。余計な事は考えまい。上様の仰せに従っておれば、戦のない世で家族が幸せに暮らせる日がやって来るであろう。槍働きではなく政でお助け申し上げれば良いだけじゃ。』

 乱法師は心中で自分に言い聞かせた。

 「乱、そなたの弟の仙千代の出仕は五月に入る前、四月の終わりで良かろう。安土に戻れば上洛と毛利、それに長宗我部を討伐する為の軍を出さなければならぬ。儂も此度のように出陣するつもりでおるから、早々に仙千代を出仕させねば随分先の話になってしまうからな。」


 「忝のう存じまする。仙千代も小姓としてお仕え出来る日を心待ちにしておりまする。」

 「ふふ──坊主の方が良かったなどと申さぬと良いが。そなたの弟とて容赦はせぬ。厳しく躾る故覚悟致せと申しておくが良い!はっはっ。」

 戯れ言めいた信長の言葉に、本願寺の一件でどれだけ森家に対して寛容さを示してくれたかを思い出す。

 父の代からずっと森家を厚遇してくれた。

 此度の加増もそうだが、僧侶にする筈だった仙千代まで小姓にしようと言ってくれたのだ。

 御寵愛に応えねば──

 出来る限りの力で上様を御助けすれば良い。

 上様が御求めになられる限り、ずっと御側で──

 己から元服したいと願い出るのは、やはり我が儘なのだろうか。

『御求めになられる限り』閨での御寵愛を賜り、上様の御心を御慰めするのが成すべき事なのだろうか。』

 
『──乱──今度会う時には、お前の姿は変わっているんだろうな。』

 別れ際の兄の言葉が甦る。

 兄は決して乱法師の在り方を否定しなかった。

 人は己自身で掴み取る運命よりも、己の力では抗う事の出来ぬ運命という大河に流され、思わぬところに辿り着く場合もあるのだ。

 故に辿り着く場所は選べなくても、その場所を受け入れ前向きに生きようとすれば、運命を自身で切り開く力をやがて得る事も出来るだろう。

 これからは与えられた力を己のものとし、運命を切り開いていけば良いのだ。

 「乱、そろそろ上がるか。身体も温まり解れた。流石に信玄も入った湯じゃ!すっかり疲れが取れたぞ。」

 安土に戻ったら言わねばならぬ。

『もし、御許し下さらなかったら?』

──────

  四月十日に甲府を発ち、笛吹川に架かっている橋を渡ると随所に徳川家康の驚くべき配慮が見受けられた。

 その数々の細やかな心配りを上げれば切りはないが、例えば兵の担いだ鉄砲が竹や木に当たらないようにと切り払い、街道を広げ石を取り除き、砂埃が立たぬようにと水を撒き、道の左右に隙間無く警護の兵が立っていた。

 十日は右左口《うばぐち》に陣宿となったが、将兵達の為の小屋まで千軒以上も建ててあったので、野営とはならず、朝夕の食事まで用意されているという徹底振りだった。

 乱法師は陣屋の褥で信長の傍に臥しながら、大小様々悲喜交々な思いが心に浮かんでは消えたが、気になりながら中々聞けずにいたある事が心の中でぴたりと止まった。

 閨に持ち込むには無粋な話と思いながら、軽い世間話の態で尋ねてみた。

 「上様、やはり長宗我部は従わぬと御判断されたのでございますか?」

 信長の傍で何度か光秀とのやり取りを聞いていた限りでは、まだ交渉の余地はありそうに思えたのだが。

 「無粋な事を申すな──と言いたいところじゃが、安土に戻ればすぐに四国に派兵するつもりじゃ。」
 
 「日向守殿は既に承知されておられるのですか?申し訳ございませぬ。確かに無粋な事……」

 周りに千軒以上もの将兵達の陣屋も建てられているが、たまに警護の者達が囁く声や動く音が聞こえてくるくらいで静かな夜であった。

 「まあ良い。日向守には安土に戻ってからじゃ。あやつが承知する必要などない!再三、交渉しても条件を呑まぬのであれば何時までも待ってはおられぬ。」

 信長の言う事は厳しいがもっともであった。

 最早、今の信長に逆らう事自体が、どんなに正しい言い分があろうとも愚の骨頂であると、家康の過剰な接待が証明している。

 元同盟者で織田の家臣とは一線を画していた家康ですら、臣従の意をこれでもかというくらい示し、頭を地に擦り付けているくらいなのだ。

 徳川家の金蔵を空にする程の接待が、『気配り』や『心遣い』などという生易しいものでない事は誰の目にも明白。

 長宗我部も光秀も早く気付くべきだった。

 信長は、正しい言い分を述べたところで、対等な立場での交渉が成り立つ相手ではないという事に。

 従うか従わないか、二つに一つ。

『日向守殿は四国討伐をお耳にされたらどのように思われるであろうか。』

  そんな事を己が考えても仕方がないと、すぐに頭から消し去った。


 翌日山中に入ったが、そこでも通りやすいように大木が伐られ、警護の兵達が道にずらりと並び、次の宿泊所の周りには、またもや将兵達の為の陣屋が千軒以上も軒を連ねていた。

 本栖(山梨県都留郡辺り)を出発すると、いよいよ裾野で思う存分富士の全景を間近で見る事が出来た。

 空気は真冬のように冷たく澄みきって、神聖な富士の姿を背景に、年若い小姓達は馬を乗り回し大騒ぎしてはしゃぎ回る。

 乱法師も馬で駆け回り、身体はすぐに暖まった。

 浅間神社に向かうと境内に宿泊所が建てられており、たった一泊なのに金銀で装飾を施すという贅沢三昧。

 浅間神社から和歌で有名な田子の浦を通り、神原、由比、興津、三保の松原と進んだ。

 どこもかしこも風光明媚な見応えのある名所ばかりだが、三保の松原から見える富士山は真に美しく、左に松、右に波を置いて富士を中央に見れば、絵師の手による一枚の名画のようであった。

 
 江尻から久能山の城を巡り江尻で泊り、駿河の府中の休憩所で千本桜の由来を聞き、丸子から宇津の谷峠を越え、田中の次は藤枝から大井川を渡り、諏訪の原を通って、掛川で泊った。

 掛川を未明に出発すると、相変わらず行き届いた事に休憩所が所々に設けてあり、必ず酒肴が用意されていた。

 信濃から流れる川が集まって出来た天竜川の幅は広く、水の流れは大変な勢いであった。

 橋のないところを大勢で渡る場合、いちいち舟で渡ってなどいられないので、舟と舟を縄で繋ぎ、その上に板を置いて作られた舟橋を渡るのだが、このような幅広く水量の多い川に舟橋を架けるのは容易ではない。

 しかし家康はやってのけた。

 今までの千軒以上もの陣屋の建設や道々での酒肴も凄かったが、この大河に舟橋を架けたのには信長も驚嘆した。

 国中の者を総動員し、数百本の綱で舟をしっかりと繋ぎ止め、その上を多数の人馬が渡れるようにする為には相当の労苦があった事だろう。

 信長にこれでもかと畏敬の念を表し臣従を誓う態度を見せながら、己自身の器と能力を同時に示してみせる。

 どこか秀吉を彷彿とさせる、信長の気性、派手好みを熟知したやり方だった。

  本当に色々な所を沢山見て回った。

 戦に明け暮れ気の休まる暇とてなかった信長にとって、生まれて初めて心安らぎ心ゆくまで物見遊山を楽しみ、思う存分羽を伸ばせた夢のような時間であったに違いない。

 天竜川を渡り、いよいよ浜松城に向かうと家康が出迎えた。

 二人はまだ少年だった頃、共に遊んだ旧知の間柄だが、出会った頃家康は人質という立場だった。

 桶狭間の戦い以降から織田家と同盟関係を結び、二人が二十代の頃からだから、かれこれ二十年以上もの付き合いになるだろう。

 その間、多少の緊張を孕み、関係が全く揺らがなかったといえば嘘になるが、互いの立場をそっくり捨てる事が出来たなら、親友とさえ言えたかもしれない。

 何しろ趣味の鷹狩りでも意気投合し、吉良の辺りで何度も共に興じた仲だ。

 戦国武将で鷹狩りを好む者は多いが、その中でも一、二を争う二人だった。

 早速、城に向かう馬上でも話が弾む。

 「三河殿と御呼びすれば良いか。それとも浜松殿の方が宜しいか。」

 「上様の御好きなように呼んで下さりませ。」

 端から見ると、意外と大した事のない話題から始まった。

 険しい山中ですら大層な持て成し振りであったのだから、城内では更に至れり尽くせりの歓待が待っている筈だ。

 此処で驚くべき事に信長は、馬廻り衆、小姓衆全員に帰国を許した。

 御弓衆と鉄砲衆は引き続き供をしろとの事だったが、最も側で身を守る馬廻り衆と日常的な世話と護衛を兼ねる小姓衆を全て浜松で帰してしまうというのは、家康を信用している証を示した事にもなるだろう。

 数々の接待は、される側が大人数であればある程大変だからという気遣いもあったかもしれないが、金に糸目を付けずに臣従を誓う家康の心を信じる事が、ある意味最高の返礼であったのかもしれない。

 家臣にとって主の信用を勝ち得る事は最重要事項である。

 多くの者達は能力で、ある者は生まれ持った性格で、それが無い者達はひたすら媚びへつらい贈り物で関心を得ようとする。

 そして主の信用度で家中での地位と権力が決まってくる。

 それには見える形と見えない形とがあり、意外と見えない方が扱いに厄介なのだ。

 「乱、そなたはどうする?」

 唐突に信長は尋ねた。

 唐突な上に、余分な言葉を省いた問いには慣れっこである。

 『どうする?』というのは、浜松から直接帰国したいかという意味であると即座に理解した。

 彼は他の者達と異なり、信長の関心を惹く事も信用をこれ以上得る必要性も感じてはいない。

 主が自分の前で常に喉元を晒し熟睡する姿を何度も見ているからだ。

 問いに対する答えは、本音を言うならどちらでも良かった。

 浜松を過ぎれば数日で安土に着くだろう。

 一日二日ならば休めるが、まとめて休暇を取る機会は中々ない為、信長に先んじて道々帰るのも良しとは思う。

 されど、そなたは残れと言われればそれも良しだった。

 信長は何気無く聞いただけで乱法師を試そうとした訳ではない。

 「私は上様の御側に残りたいと存じまする。」

 彼は迷いを面に出さず言った。

 「好きに致せ!」

 案の定、信長は少し嬉しそうな顔になった。

─────
 
 浜松城での宴で出された料理は極めて豪華で、信長と家康は話題尽きる事なく楽しい時を過ごした。

 信長は用意していた兵糧八千俵を必要なくなったからと礼として徳川の家臣達に分配し、早朝に浜松を出立した。

 「三河殿、是非安土に参られるが良い!今度は儂が持て成そう!」

 「これは勿体ない。もし御許し下さるのであれば、是非とも素晴らしい安土の御城をこの目に焼き付けたいと存じまする。」
  
 二人は言葉を交わし、再会を約束し別れた。

 浜松城を出た後、今切りの渡しに御座舟が用意され、舟の中でまたもや酒肴が供された。

 それこそ、信長の生涯でこんなに頻繁に酒を呑むのは諏訪から安土への帰路だけであったろう。

 酒を殆ど嗜まないと思われるようになったのは、桶狭間の戦い以降からかもしれない。

 ほろ酔い気分で舟に揺られ、好きな小唄『死のうは一定』を口ずさむ。

 乱法師も勧められ、ほんの少しだけ酒を呑み、余程機嫌が良いのか信長の小唄は一つでは終わらず、次から次へと唄い始めたので舟の中で家臣達による手拍子まで始まった。

 四月十八日まで家康の家臣による警護も兼ねた名所案内は続いたが、十九日には古巣の清州城に入り、二十日には岐阜城に戻って来た。

 「安土まで後もう一息じゃ!いっそ、此処から皆で誰が一番早く安土に着くか競ってみるか?」

 しかし、そんな戯れ言は実行されず四月二十一日に安土に帰城し、長い長い旅は終わった。


─────

 「稲葉?ああ、そのような話は確かに聞いた覚えはある。ふむ、長宗我部の命運は決まったも同然じゃが、上様の御気持ちが変わらぬうちに──念には念を──じゃな。」

 茶室とおぼしき室内で、海老茶色の袖無し羽織を着た男は少し身を乗り出し、目の前に座るもう一人の男の意見に賛同した。

 「稲葉を焚き付ければ足止めくらいにはなるかと。上様の出兵の御意志は固く。ただ、長宗我部が斎藤兄弟の説得に応じてしまえば厄介な事に。その前に手を打ち、出陣してしまえば──最早、明智日向守にもどうする事も出来ますまい。」

 もう一人の黄鼠色の肩衣袴の男の方が立場は下のようだが、強く己の策を勧める。

 「中々、良い策やもしれぬ。我等双方にとって。長宗我部は滅ぼされ、日向守は蚊帳の外。四国討伐から外されれば、織田家中で働きを見せる機会はなかろうな。せいぜい九州で力を見せられるか。くれぐれも我等の名前は出ぬようにな。」

 「無論の事。うまく日向守が上様の御機嫌を損ねてくれれば、中々面白い事になりましょうなあ。ははは。」

 策がうまくいく事を想像し、黄鼠肩衣は可笑しくて堪らないというように笑う。

 「あの融通のきかぬ気性では──立ち回りが下手な御仁じゃ!儂などより頭は切れるのじゃがのう。何故、今頃になってと悔しがるであろうな。」

 「全く、策士でございますな──」

 海老茶羽織はにやりと笑みを浮かべ、面白そうに反論する。

 「そなたに言われとうはない!上手く立ち回らねば出自卑しい儂のようなものが生き残れるものか。御互いに首尾良く上様の御子息の養父となれたのう!上様は諏訪を出立されたらしいから、そろそろ手を打つとするか。」

 密談には、つくづく茶室が向いていると海老茶羽織は思った。

 茶の湯はあくまでも武家の嗜みで、茶室を持つのは財力と権力の象徴と割りきっていたからだ。

────

 一月以上も留守にしていた安土城に戻ると、二、三日後に弟の仙千代の謁見が叶う事になった。

 既に乱法師邸に到着していた仙千代は、寺での修行の成果か少し大人びて見えた。

 眉毛が太く大きな目は長可に似て力強く、他の三兄弟の繊細で華奢な面立ちにはあまり似ておらず男らしい顔立ちだ。

 まだ十三歳なので頬が少しふくよかで幼さを残す。

 顔立ち通り、長可に似て気が強く短気だった。

  そこが、前持って兄達の心配するところではあった。

 「仙、小姓の仕事は簡単に申せば上様の御身の回りの御世話じゃが、上様を御守りするのも我等の仕事。それに御側におれば様々な事を耳にするが心穏やかに過ごし噂に流されず、軽々しく外で漏らすような事があってはならぬ。」

 乱法師が小姓としての心得を諭すと、仙千代は神妙な顔で頷いた。

 「そちも大人になったようじゃな。安心したぞ!兄が三人もいるからと甘えて貰っては困るぞ。妙な失態を犯せば儂等一同連座で処罰されかねん。」

 坊丸の脅しにも素直に頷く。

 「それにしても、まだ十三歳なのに忙しいな!生まれたばかりで父上が討ち死にされ顔も知らず、幼い頃は岐阜で人質、突然坊主になれと言われて修行に励んでいたら、坊主は止めて小姓になれじゃからのう。さすがに、小姓の次は商人になるとかはないじゃろう。ははは。」

 呑気な力丸が笑うと仙千代は顔をしかめ、末っ子の苦労を訴える。

 「常に私のせいではないではありませぬか。せっかく坊主になると覚悟を決めておりましたのに。」

 「何じゃ?坊主が良かったのか?そちが喜ぶと思ってこの話を御受けしたのに。では、上様に申し上げて──」

 弟の本音が分かっていながら敢えて乱法師が仙千代をからかう。

 「あっ!いえ、やはり私は小姓になりとうございまする。坊主は読経ばかりでちっとも楽しい事がないんじゃ!」

 「仙千代殿、母はそなたが仏道に入られる御覚悟を見せられた時、真に嬉しゅうございました。なれど大恩ある上様がそなたを小姓にと望まれた事も大変な名誉。戦のない世の中になれば武士でも人を殺めずに生きる事も叶いましょう。兄君達が上様の御心に叶う働きをしているからこそ、此度の出仕が許されたのです。僧侶も小姓も楽しい事ばかりではありませぬ。気を引き締めて御奉公致されませ。」

 側で静かに兄弟のやり取りを聞いていた妙向尼が口を開いた。

 それにしても、僧侶になると決意させられた時にも寄って集って上手い事言って丸め込まれたというのに、今度はまた家の都合で小姓になれというのだから随分勝手な家族である。

 武家の六番目に生まれた男子など意志など持たず兄達の言いなりになるしかないのだ。

 小姓に取り立てられるなど他家の六男坊に比べればましな方ではないか。

 と、仙千代なりに割り切ってはいたのだが──

  緊張の面持ちで謁見に臨んだ仙千代だが、既に顔を見知り、信長にとって森家からは四人目の小姓である上に、かなり忙しかったので恐ろしく短時間で終わった。

 「四人目か。」

 「はっ!」

 「忠勤に励め!」

 「はは!」

 と、こんな具合であった。

 仙千代の場合は兄が既に三人も小姓故、何の不安もないように思われた。

『全く目障りな童どもめ!何とか退治する方法はないものか。儂の手を汚さずに──』

 長谷川秀一は仙千代の顔をじっくりと見ながら考えた。

 そして良い策でも思い付いたのかにたりと笑った。

 
──乱法師は、無事仙千代の謁見が終わり、小姓として仕える事が叶った旨を、海津城にいる長可に知らせる為の文をしたためた。

 恙無く日々が過ぎ、もうすぐ五月になろうとしていた。

────

 安土城に呼ばれた光秀は、身体に鉛でも入っているかのような重苦しさを感じていた。

 呼ばれた理由は長宗我部の処遇についてに違いない。

 光秀や石谷頼辰、斎藤利三の交渉役の兄弟にとって、少し長宗我部の態度が軟化したように感じていた矢先の信長の呼び出しである。

 軟化したのは短期間で甲斐の武田を織田があっけなく滅ぼした事から、逆らい続けるのは愚かと頑なな態度もさすがに弱気になった為で、もう一押しの説得でうまく行きそうな気配だった。

『もし、長宗我部を討伐されるという御話ならば、もう少し上様に御待ち頂くようお願いする他あるまい。』

 光秀は安土城の埃一つ落ちていない綺羅びやかな廊下を歩きながら大きな溜め息を吐く。

 近頃は溜め息ばかりとの自覚はあった。 

『何故、儂を四国に遣わして下さらなかったのじゃ。わざわざ甲州信濃まで遠征したのに戦は既に終わっており、一月以上もの間、上様の物見遊山に付き合っただけではないか。それだけの時間があれば、長宗我部を上手く説得出来たやもしれぬと言うのに。』

 何故という疑問と共に、主に対する不満が膨れ上がる。

 考えが纏まらぬうちに御殿の謁見の間に着いてしまった。

 上段の前で平伏して待つと、信長が堀秀政と小姓一人だけを従え入ってきた。

 やや邪魔な側近達が大勢いないのは、光秀にとってはありがたい事だった。

  出来れば完全に人払いして欲しいくらいだと何気無く小姓の顔を見ると、新参であろう筈なのに、どこかで見た顔だと思い、すぐに気付いた。

 『武蔵守の末弟か。最近小姓として召し抱えられたと与一郎が憎々しげに言っておったが。たかが小姓と侮るなかれ。お乱に内容が筒抜けではないか。確かに、側仕えに森家の者が四名もいるのは脅威じゃな。森家のうち誰かが必ず上様の御側にいるという事か。』

 「貴様を呼んだ訳はいくつかあるが、長宗我部を討伐する為に来月、三七(信長の三男の信孝)を出陣させる事にした。」

 「──それは──」

 覚悟はしていた。
 だが目の前ではっきり言われると今までの苦労は何だったのかと悔しくもなる。

 「──では……四国討伐軍に私を加えて下さるという事でしょうか?」

 光秀は一縷の望みを掛けて尋ねた。
 せめて討伐軍として出陣すれば体面は保たれる。

 長宗我部を我が手で討ち滅ぼしたいという思いからではない。

 戦は攻めるばかりではない。
 討伐軍に加われば、降伏勧告や和睦、寝返りを含む調略を継続して行う事が出来るからだ。

 「いや、貴様は討伐軍からは外す。」

 だが、信長の返答は無情なものだった。

 「それは…何故にございますか。長い間、長宗我部の取り次ぎ役をしてきた私こそ適任では?お任せ下されば味方の被害を出来るだけ少なく、こちらに有利な条件で降伏するよう説得も出来まする。」

 信長は少し不快な表情を浮かべた。

『長い間取り次ぎ役を』という部分に奢りを感じたからだ。

 長い間取り次ぎ役をしてきた結果、交渉に失敗しているではないか、と。

 いや、交渉が上手くいかないのは元々の政策を大幅に変えた己にも責任はあると心の内では承知している。

 立場上、『儂が悪かった』などと思っていても口には出さないが──

 情勢に応じて政策が変わるのは、光秀のような経験豊富な老臣ならば特別騒ぐ事態ではないだろうと思っている。

 「貴様は討伐軍からは外す。何度も言わせるな。長宗我部の降伏、和睦も如何な条件でも受け入れるつもりはない。三七を三好孫七郎(康長)の養子とする事にした。故に後見役として三好を四国に出陣させる。」

 「……そんな…養子……三七様が三好の養子に?」

 驚愕の決定に光秀は愕然とし、声が震えた。

  今まで三好と長宗我部は四国の領土を取り合い、信長の支援を得る為、ほぼ五角に鬩ぎ合ってきた。

 それは、その儘秀吉と光秀の立場にも影響をもたらした。

 信長の言葉は、その均衡が完全に崩れた事を意味する。

 敵対する三好康長を、信孝の養父というお墨付きを与えて四国に出陣させるという事は、長宗我部の命運は決まったも同然だった。

 毛利と対峙する秀吉と四国討伐軍の三好、そして信孝の連携。

 四国制圧と共に毛利を討ち破れば、秀吉の評価は鰻登りになるだろう。

 そして己の地位は長宗我部の滅亡と共に地に堕ちるのだ。

 そう思うと目の前が真っ暗になった。

 大袈裟な事ではない──

 少しずつ少しずつ、こうなるように仕組まれたのだ。

 一体誰が?
 
 決まっておる。腹黒い鼠じゃ──

 三七様の養子縁組みも奴が考え、御膳立てしたのではなかろうか。

 何しろ己に子がおらぬのを逆手に取って、上様の四男秀勝様を養子にしておる抜け目ない奴じゃからな。

 立ち回りばかりが巧みな鼠がちょろちょろと這い回り、笑顔を浮かべて気付かぬうちに人の腹を食い破る。

 くそ──くそ──くそ──

 悔しいのは、信長が水面下で光秀と秀吉が牽制し合っている事に気付いていないという点だ。

 信長からすれば未だにどちらも有能な家臣であり、秀吉には秀吉、光秀には光秀なりの能力を高く評価しているつもりでいる。

 長宗我部との関係が拗れたからといって切り捨てるつもりは毛頭ないし、これからも器用で多才な光秀には様々な場面で役に立って欲しいと考えているのだ。

 なのに何故、光秀は焦燥感に駈られ、不安で心締め付けられるのか。
 秀吉に四国の一件のみで敗北感を味わったとて、他に才能を発揮出来る場面はいくらでもあるではないかと人は思うかもしれない。

 だが三番手四番手で生きるには、幸か不幸か能力が高過ぎた。

 生まれ持った能力、気質で最初から三番手であった者と、一番から三番に転落した者とは違うのだ。

 秀吉に水面下で牽制されながら結果追い越され、この先生きていくなど屈辱でしかない。

 信長の四男秀勝を養子として、側近衆の大半を懐柔している秀吉は、この先何があっても磐石で、年端のいかぬ息子がいるからこそ不安を抱える光秀とは大違いだ。

  能力のみで出世した者達は、古参の者よりも己の立ち位置に敏感なものだ。

 それは三番でも四番でも良いと低い地位に甘んじれば、名門、古参の者のようにその地位に留まる事すら出来ずに転落する可能性を秘めているからだ。

 天下人たる今の信長には、下の者達の焦りや不安、鬩ぎ合いは見えていない。

 その目の先には、常に天下統一があるのみ。

 時として心弱き者が、疑心暗鬼に囚われ思わぬ行動に出るなど予想もしていない。

 「日向守、話はこれだけではない。菊(堀秀政の幼名)から申せ!」

 光秀は顔を上げた。

 まだ、何かあるというのか。

 「日向守殿、そなたの家老の斎藤内蔵助(利三)の事でござる。」

 余程、光秀の顔が不安そうに見えたのか、斎藤利三の事だと堀秀政はそう前置きした。

 「……内蔵助の事で何か?」

 この場にいる光秀ただ一人が空気を重苦しく感じ、腋からは汗が流れた。

 信長も堀も涼しげな顔でいる。

 「確か、明智家筆頭家老の斎藤内蔵助(利三)は、元々稲葉家の家臣であったと聞き及んでおりますが、相違ござらぬか?」

 「確かに──その通りでござるが──」

 光秀は堀の問いに違和感を覚えた。

 斎藤利三が稲葉家の家臣であったなど遠い昔の話で、いつ明智家に入ったかなど覚えてすらいない。

『何故、今頃内蔵助の名前が出るのか?』

 「実は、稲葉家から訴えが出ておるのじゃ。」

 「……は?」

 益々理解出来なかった。
 斎藤利三は主の稲葉一鉄と折り合わず、稲葉家を飛び出して十年以上は経っている筈だ。

 その間、一度も斎藤家から戻って来いと訴えられた事はなかった。

 更に利三が稲葉家の者であった事を信長も承知している。

 「訴えとは……まさか今になって内蔵助に戻って来いと?」

 堀はちらりと信長の顔を見てから言った。

 「いえ、戻って来いと訴えが出ているのは那波直治《なわなおはる》の方でござる。」

 その名を聞いて漸く光秀は合点がいった。


────それにしても、小姓とは中々に厳しい仕事であると仙千代は信長の背後で思っていた。

 ここにいる者達全てが、己の存在を忘れる程大人しく息を殺すように、人形か地蔵のように控えているが、耳をそばだてずにいられない程、興味深いやり取りがされているではないか。

  那波直治は稲葉家の家臣であった。

 斎藤利三のように十年も前に出奔したのではなく、今年から明智家の家臣として召し抱えられている。

 表向きは家臣の引き抜き、主に断りなく出奔する事は禁じられている。

 それを良しとしてしまえば、家臣団の統制が取れなくなるからだ。

 ただ頻繁ではなくとも、家臣同士の人間関係、主君に冷遇されているなどの理由で、主の許しを得ずに他家に仕官する者はいる事はいた。

 あまり表立って訴えが起きないのは、互いにあまり良い感情を抱いていないからこその出奔である為、後を追わないからだろう。

 敵方からの調略による寝返りとは異なるから大きな罪悪感はないし、訴えが出ないのだから処罰される事はない訳だ。

 ただし、訴えが出なければ──

 光秀は油断していた。

 此度稲葉家が訴えを出したのは、どうやら斎藤利三に引き続き那波直治までが主の了承無く、他家の家臣となるのは外聞が悪いからという理由らしい。

 だが、逆にそうであるから訴えを出さないだろうと考えていた。

 後は訴えられた側が相手の言い分が正しかろうとも良い感情を持つ訳がないから、格上の明智に対して格下の稲葉家が訴えを出す訳はないと高を括ってもいた。

 「──では、那波を返せと?しかし本人が稲葉家が嫌だと。それを無理矢理戻すのは──」

 しかしと、敢えて己の旗色が悪いのに反論を試みたのは、結局は人望がないから逃げられるのだろうに、帰れと言ったところで当人が帰りたがっていないのだという心情を強調する為。

 不満があるから鞍替えしたのに、外聞が悪いからと戻されたところで益々居心地が悪いだけだろう。

 「では、返したくないと仰せでござるか?」

 堀がまた信長の表情を窺いながら聞いた。

 「悪は悪である。だが那波が不満を抱えた儘、稲葉家に戻るのも問題ではある。那波の意思を確認した上で追って沙汰する。」

 信長の言葉に光秀は安堵した。

 一方のみを責めるのではなく、公平に判断したのだと、だが──

 「もう一つの問題は、稲葉が此度の事で内蔵助(斎藤利三)に酷く腹を立てておる事じゃ。内蔵助が元は稲葉家にいた事は儂も承知の上であったし、明智の家臣となってから長い間、一度も訴えがなかった事を考えれば今更とも思う。じゃが、己が出奔しただけでは飽きたらず、再び同じ家から家臣を引き抜こうとは質が悪い。」

  発せられた言葉に再び嫌な予感が込み上げた。

 目が霞み、畳に付いた己の手が一瞬、己の手ではないかのような感覚に囚われる。

 「──それは──内蔵助(斎藤利三)が誘ったのではなく、向こうから持ち掛けてきたのでございまする。策を用いて無理に引き抜いたのではございませぬ。那波がその気であったので断るのも哀れと思い、当方で受け入れたまでの事。それを──こちらばかりが悪いかのように訴えるなど。そもそも家臣の扱いが悪いから度々このような事態になるのではありませぬか。こちらでは働きを評し碌を多く与えておりますれば、明智では不満を申すような家臣は一人もおりませぬ。」

 光秀は最初こそ震えていたが、申し開きをしている間に、己が責められる謂われはないと開き直り始めた。

 「日向守!先程も申したように、引き抜きは禁じておる故、那波の意思がどうあれ、稲葉の了承を得ずに明智で勝手に召し抱えた事に変わりはあるまい。正しくは那波の意思を知った時点で儂に報告するか、貴様から稲葉に談判あるべきではなかったのか?稲葉が怒っておるのは、内蔵助の嫌がらせと疑っておるからじゃ。こうした事が、訴えが出ないのを良い事に横行すれば家中は乱れる。」

 光秀は信長の言葉に正しさを感じながらも、小さな悪を犯した者の言い分が頭の中を駆け巡った。

『──くっ!何故儂ばかり──他にも同じような事をしておる者はおるであろうに──何故今、よりによって今こんな訴えを起こすのか?ただでさえ長宗我部の件で旗色が悪い時に──大体、他家の者を引き抜いて咎められるならば──それこそ森武蔵守はどうなるのじゃ!引き抜くどころか斬り捨てても御許しになる癖に!それも一度や二度ではない!家中を乱すというなら森家の方がよっぽど酷い!』

 口に出せない不満を心中で叫ぶと存在を忘れかけていた仙千代の顔が目に入り、長可の顔と重なる。

『結局はそういう事か──所詮、同じ事をやっても処罰される者とされない者とが上様のお心の内で決まっておるのじゃ。それが証拠に手柄などなくともお乱には城を与え、兄弟四人も側に置いているではないか。』

 ほとんど難癖に近い理由で領地を没収された佐久間信盛等、かつての重臣達の事が頭に浮かんだ。

『此度の事は難癖ではないのか?ささいな罪を責め立て領地を没収するつもりでは?これからは能力ではなく立ち回りの上手い者ばかりが生き残っていくのか。鼠──あやつ──まさか──!』

 光秀の思考は悪い方悪い方へと向かっていく。

 ただ、それが光秀の思い込みや妄想に過ぎないかと言えば、そうとばかりも言えまい。

 「稲葉一鉄も子の彦六(貞通)も、内蔵助に相応の処罰を求めておる。」

 心中だけでなく、目の前で起きている現実も雲行きが怪しくなってきたようだった。

 「……」

 口の中が渇ききり、水を一口でも良いから含みたくなった。

 「こうした事が度々起こるのを防ぐ為に、内蔵助を稲葉家に戻した方が良いのではないかとも考えておるのじゃ。もし内蔵助が稲葉家に戻ると了承致せば元の鞘に戻る故、処罰は無しと稲葉を納得させる事も出来るが──どうじゃ?」

 光秀は項垂れた儘考えた。

 斎藤利三は十年も明智家の筆頭家老として光秀を支えた、無くてはならない大事な家臣だ。

 長宗我部との交渉でも、どれだけ石谷頼辰と斎藤利三の兄弟が奔走してくれたか分からない。

 公私に渡り腹を割って話す事の出来る大事な友でもあった。

 
 理屈は分かる。

 せめて、出奔してから二、三年ならば──

 十年以上も筆頭家老として重用した者を今更というのは心情的に承服しかねる。

 那波はともかく、利三が戻ったところで再び冷遇されるだけではないかと思うと胸が傷んだ。

 一度、稲葉家に戻してしまえば利三を救ってやる事は出来なくなってしまうだろう。

 光秀は返答に詰まりながらも答えた。

「……内蔵助に申して戻る気があるかを聞いてみなくてはなりませぬ。折り合い悪く出奔した家に戻りたいと申すとは思えませぬが──説得はしてみたいと存じまする。強いて戻れと申せば、強情になり厄介な事にもなりかねませぬ。」

「では、戻るならば良し、戻らぬと申せば相応の処罰を考えなくてはならぬが良いな!」

 本音は戻す気もないし、利三も戻る気はないだろうと分かっていた。

 信長の言う『相応の処罰』という部分は引っ掛かったが、処罰を受けて明智家に留まる事が出来るのならば、利三も納得してくれるだろうと考えた。

 長い間、信長とて承知の事であったのだから、蟄居、或いは金銭的な解決で済むだろうと。
 
 
  相応の罰は与えたと、稲葉家に対して顔が立ちさえすれば良いのだから。

 「ははっ!」


 とりあえず、この場は承服する他なかった。
 
「そういう事であるから、石谷(利三の兄)にも内蔵助(斎藤利三)にも長宗我部の説得は最早不要と申し伝えよ!貴様に四国討伐の件を伝えたからには長宗我部と書状を今後取り交わす事は一切罷り成らぬ。もし長宗我部の気が変わり、泣き付いてきても返答は無用じゃ!分かったな!」

「ははぁ!」

 何もかもが芳しくない状況の中、救いはないかと考えを巡らす。

 討伐軍を止める手立ては考えつかず、せめて斎藤利三だけは家中に留まらせる事が出来たなら、他の事は天命に任せるしかないのか。


「話は変わるが、正月に博多の島井宗室を招いて茶会を催し、儂の秘蔵の茶器を見せるという約束をしていた件じゃが、四国中国に出陣する前に上洛しようと思っておる。堺の商人達を通じて、茶会の件を今一度手配致せ!毛利の次は九州じゃ。博多の商人共を取り込むには先ず宗室を味方にするのが近道じゃからな。」

 重い話ばかりで早く退出して心を落ち着かせたいと思っていたところ、まだ話は終わっていなかった。

 島井宗室が信長の庇護を得る代わりに、天下の名物茶器楢柴肩衝ならしばかたつきを献上する舞台を思い付いた時には心踊ったものだ。

 信長秘蔵の名物茶器三十八点を並べ、天下三宗巧《てんかさんそうしょう》(千宗易、今井宗久、津田宗及)を招いた贅沢な茶会。

 武田討伐で延期された時は肩を落としたが、すっかり忘れてもいた。

 あの時は、己の立場はもっと高いところにあった。

 これは感覚的なものであり、傍から見れば光秀の立場は特に変わってはいない。

 あの時は己の立場を強固にする魅力ある策と思えたが、今は追い詰められ何とか生き残る為の最後の切り札のように感じられ惨めだった。

 とはいえ、目の前の権力者信長の関心を惹く為ならば、どんな事でもする他はない。

 例え以前程、己の立場を守ってくれる盾とはならなかったとしても──

 「はっ……では堺の商人共と相談し、場所を決めた後に、招かれる方々や詳細な日取りを上様に決めて頂きとう存じまする。」

 来た時も部屋から退出する時も、足取りは重かった。

 これからもずっと、なけなしの己の地位を守る為に家中で牽制しあい、信長の顔色を窺って生きていくのか。

────

 仙千代は兄達に、光秀の一件を話し捲った。

 興味深い話しとも思い、仙千代の口からしか聞けぬ話しであるとは思った。

 何故なら、信長との強い絆があっても、乱法師に必要な情報と思わなければ隠すつもりはなくとも、語られる事はないからだ。

『斎藤内蔵助利三。稲葉家とそのような因縁があったとは。』

 若い乱法師は、家臣達の名前は把握していても、織田家中の古い歴史について抜けている事が多い。

 稲葉貞通(彦六)の名は、信濃の飯山城を守っていたが一揆勢に取り囲まれ、長可が救援に駆け付けるという事態に陥り、任を解かれた者という不名誉な印象しかなかった。

 己に関わりがない紛争は却って興味深くはあるが、他の大事に取り紛れ直ぐに忘れてしまった。


────五月に入り、安土に勅使が遣わされた。

 「ただ今、都より勅使が参られました。」

 勅使の来訪を仙千代が告げても信長は特に驚かなかった。

 安土には様々な情報が逸早く寄せられる。

 その為、勅使来訪の目的は前もって知っていた。

 何しろ本日は五月四日であるのに、『その話』が京都所司代の元で相談されたのは四月二十五日の事であったのだから。

 そして『その話』が朝廷で協議され、正式に勅使派遣が決定したのが四月二十七日の事。

 勅使が安土へ出立したのが五月三日の明け方だから、安土に到着するのに一日以上掛かっている。

 せかせかせず、のんびりしているところが勅使であり公家らしいところなのだろう。

 武家のように早馬の使者では、あまり有り難みが感じられないものなのかもしれない。

 派遣されたのは武家伝奏の勧修寺晴豊と勅使の上臈の局、御乳人の局の三名。

 来訪が告げられると正式な勅使である二名の女房衆だけ呼ばれ、勧修寺晴豊は、松井友閑の邸で待機させられた。

 勅使の女房衆は公家の女性らしく非常に物腰柔らかく嫋やかでなよなよと、朝廷からの進物を携えて、帝や親王からの書状を信長に渡した。

 信長がこんな顔が出来るのかというくらい終始にこやかに女房衆と談笑しながら、乱法師を松井友閑邸にいる勧修寺晴豊の元に遣わした。

 ここから信長と勧修寺晴豊の、奥歯に物が挟まったような駆け引きが始まった。

  乱法師は松井友閑邸で勧修寺晴豊と対面した。

 「この度は、どのような御使いの由にございますか?」

 勅使の女房衆は帝と親王の書状を既に信長に渡し談笑中であるのに、この質問は的外れのようにも思える。

 勅使から渡された親王の書状に、これまた回りくどく曖昧だが、此度の用向きが記されていたからだ。

『貴方の働きに朝廷は大変満足しており、戦勝を祝い、望むならばどのような官職でも授けましょう。』といった内容である。

 財力も武力も無くとも、この国の最高権威は朝廷である為、即答も直答も、そして対面での固辞は尚更避けなければならない。

 そして、『いかようの官に任ぜられ』と申し出れば、信長が感激し朝廷に尻尾を振ってくるだろうという、互いの認識の違いがあったのかもしれない。

 勧修寺晴豊は乱法師を見知っていた。

 信長の『気に入りの小姓』だと。

 だが彼を見て、こうも思った。

『また小姓を寄越してどういうつもりじゃ?』と。

 勧修寺晴豊には都の公家らしく、帝から『望む官職、いずれでも与えよう』という勿体ない御言葉を携えて来た勅使であるという自負があった。

 来訪を知らせたのも小姓だったが、用向きを聞きに来たのも、また若輩の『小姓』かと思った。

『いかようの官』とは、後に三職推任問題として未だに決着の付かない議論の通り、太政大臣、関白、征夷大将軍のうち、いずれかと言う意味である。

 安土では小姓から先に進めないのかと憤ったが、わざわざ乱法師を寄越したのは、三職は何れも勿体ない官職である為、自身で選ぶのが畏れ多く己に助言を求めているのではと解釈し、機嫌を直して答えた。

 「関東を制圧なされ、大変目出度い事におじゃりますよって将軍を選ばれるのが宜しいかと存じまする。」

 その返答を受け、その儘を信長に伝えた。

 彼の役目は、この場合余計な意見は言わずに相手の真の意向を引き出す事だ。

 信長は親王の書状で意図には気付いたが、勧修寺晴豊の返答で更に明確になったと考えた。

 そこで書状を乱法師に持たせて、また勧修寺の元に遣わした。

  乱法師は渡された書状の内容は知らない。

 この書状は両御所(帝と親王)に宛てられたものであろうから、勧修寺晴豊も中身を見る事はなかったと思われる。

 そして乱法師の役目は信長からの『御書』を勧修寺晴豊に渡したところで終わった。

 表向きの勅使は女性二人。

 あくまでも付き添いという立場であるが、信長の真意を探るのは男性である勧修寺晴豊。

 上臈の局と御乳母の局という女性達は名前からして政の深いところまで理解して遣わされた訳ではなく、公家社会の慣習によるものだろう。

 勅使に会わないのは礼を欠くが、勧修寺との対面を避けても非礼にはならないだろうとの考えがあったのか。

 十八歳の乱法師が御書を手渡すのみで退出した後、年齢はぐっと上がって六十三歳で信長の祐筆の楠長諳《くすのきちょうあん》が今度は遣わされ、信長からの言葉が伝えられた。

 「上様は、上臈の局と御会いし両御所様からの御書に返事もせずに、権大納言様(勧修寺晴豊)に御会いするのは如何がなものかと申されておられます。」 

 まるで男女の駆け引きにも似て、対面をやんわりと断る。

 都での馬揃えの後、天正九年の三月、同じように勅使が派遣され、その時にはもっと明確に官職に就く事を辞退している。

 その時は左大臣への推任であったから、此度はそれ以外を勧めてきたのだろう。

 一年前に辞退した時は、正親町天皇が譲位して誠仁親王が即位したら官職に就くというのが理由だった。

 天下統一を果たしたらとも言っていた。

 分かりやすい理由に納得し、官職推任は一先ず保留にしていたのだが、武田を滅ぼし関東を制圧したとなれば、何も官職を与えない儘ではまずいだろうとの意見もあり、此度の勅使派遣となったのだった。

 一年経ち、朝廷はこうも考えたのかもしれない。

 天下統一したらと言っているが、左大臣推任が不服だっただけではないのか。

『お勧め』の官職は武家の頭領に相応しい将軍だが、望むならば太政大臣の官職でも授けると言えば応じるのではないかと。

 勧修寺との対面を避け明確な返事をしないのだから、今回も断る気満々なのだと乱法師は感じ取った。

 「いや、何としてでも上様に御目にかかりたいと存じまする。」

 ところが勧修寺晴豊はしつこかった。

 子供の使いではあるまいに、会わずに帰れるものかと。

 戻って来た楠長諳から、勧修寺晴豊が尚も対面を求めて来ているが如何が致しましょうと問われ、信長は思った。

『何てしつこい奴じゃ!せっかく勅使の面子を潰さぬように柔らかく断ってやっているというのに──もしや鈍いのか?良し!こうなったら──』

 と、また帝と親王宛てに書状を書いて渡した。

 断られた側の体面が傷付かぬようにと、我慢強く対応した。

『三職推任』に関する勧修寺晴豊の日記の次の記述は五月六日となり、一日飛んでいる。

 粘って六日に漸く対面が許されたが、信長の返答については現代でも不明である。

 勅使には舟を用意して大津まで送り、表向き波風立てずに三職推任問題は一先ず落着したのだった。

────
 
 信長の周りには常に小姓達が多く侍る。

 常時全員が働いている訳ではないが、勢揃いすれば、ルイス・フロイスの記録によると百人近くはいたらしい。

 小姓とは元服前、元服後に関わらず、一般的に十代の少年達で美形が多いのが特徴だ。

 主な仕事は主の身の回りの雑務と警護だが、長じて乱法師のように政務に深く携わる側近として活躍したり、信長が戦に自ら出陣していた頃は武勇優れた者達は馬廻り衆として重用され、そこから更に河尻秀隆や前田利家のように城を任され大名として出世していく者達もいた。

  小姓に美形が多いという印象を後世の人々が持つのは決して思い込みではない。

 美少年を出先で見初めるなどして、身分賎しかろうと閨に侍らせる目的で召し抱えられた者達も多く存在し、特に好色な印象のない武将もそうした事を当たり前のように行っていたのだから。

 つまり小姓という存在事態が根本的に性の対象である傾向は顕著であり、はっきり言ってしまえば、家中の子弟であっても美形であれば、小姓になる事と男色相手をする事とがほぼ同義だったと言える。

 欲望を剥き出しにせぬよう建前で小姓として召し抱えると言っているだけの事。

 即ち男色の温床である小姓部屋に送り込まれる者達は、必然的に美童が多くなる為、ある程度の容姿でなければ小姓勤めは厳しいものとなっただろう。

 何故なら、智恵や武勇を備えているだけでは、主の寵を得るという点で閨で可愛がられる美形の小姓達に太刀打ち出来る訳がないからだ。

 中に極めて容姿の優れた者がいたら、智恵や武勇よりも、武将達の目が美貌に釘付けになってしまうのが現実なのだ。

 そんな下世話な事情から、主の寵を得られぬ真面目に働く家臣達が世の現実に憤り、家中で争いが起きる事はしばしばあった。

 お手付き小姓の名前が数多く残る信長は、意外にも美形だから見初めて小姓にしたという好色話が他の武将達のように見当たらない。

 男女問わず手近で済ませる傾向が見られ、向こうから飛び込んできた美少年に対しては、忠臣を育成するという目的も含めて、それなりに手を付けてはいたようだ。

 だが最高権力者信長の周りには、かき集めなくても必然的に見目麗しい小姓達が集まってくる。

 小姓なのに不細工というのは許されなかった。
 
 武将達が好んで連れ歩く小姓は美形が選び抜かれ、十中八九男色相手の愛童と決まっていた。

 美形の小姓を側に置く事は兜の前立ての意匠にこだわるのと同じく、武将としての見栄でもあったのかもしれない。

 罷り間違って不細工なのに小姓になってしまったら、すぐに親元に返されるか常に留守居を命じられる事になっただろう。

  そう考えると男色が好みであったと思われがちな信長は実は真面目で、美貌だけでなく才能を愛し、彼等の能力を開花させる事に熱心で、閨から巣立った者達は軒並み優秀な家臣として成長している。

 側近、武将の子弟が多く、容姿だけで召し出された出自の怪しい者は見られない。

 小姓には、働きの優れた家臣達の子弟を召し抱え訓育するという側面と、人質という側面もあったようだ。

 現代でいうところのコネで小姓になった森仙千代は、他の小姓達と座して、兄の乱法師と信長のやり取りを眺めていた。


「上様、浜松の徳川殿から書状が届いておりまする。」

 仙千代は長可に似ていたが決して不細工ではなかった。

 乱法師のように大人びた趣の、艷なる美貌ではなかったが、目がぐりぐりと大きく少しふくよかな頬は柔らかそうで、まだ幼気で可愛げがあった。

 信長は書状を受け取ると自ら目を通し、嬉しそうな表情になる。

「三河と穴山梅雪が、領地を賜った礼に安土に参上すると記してある。律儀じゃのう。こちらから礼を贈ったばかりじゃというのに。」

 甲州から安土に戻って後、道中での並々ならぬ家康の持て成しに感激し、先日その礼として三河と遠江の国衆に兵糧を贈ったのだ。

「あちらに負けないくらいの持て成しをしてやりたいな。饗応役を決めねばならぬ。誰が良いか──」

 頭の中には有能な若い側近達の姿が次々に浮かんだ。

 命じられれば直ちに手際よく準備に取り掛かり、織田家の名を汚さぬ対応をして見せるだろう。

 だが重要なのは手際だけでなく、誰が対応するかという点だ。

 側近達は大抵家康より年若い。

 壮年の側近、菅屋長頼や猪子兵助、子飼いの重臣丹羽長秀ではどうかと考えた。

 そして悩んだ結果、最も失敗のない人物に白羽の矢を立てた。

 「良し!日向守に命じよう。」

 光秀は織田家の重鎮であり、風雅を解し一流の教養人として名高く、年齢は信長や家康よりも年上で落ち着いた対応に好感が持たれる筈だ。

 それに馬揃えの時には細やかな気配りで帝にも賞賛され、敢えて側近ではなく大軍団を率いる重臣を饗応役に任ずれば、家康を如何に重要な存在と考えているかが伝わると考えたからだ。

  但し皮肉な見方をすれば、饗応役以外での使い途がない微妙な立場に光秀は立たされてもいた。

「日向守殿ならば適任でございますね。さすれば──」


「──あっあたーーぎゃあーー止せ!──痛たった!止めろーー止めろ!いててってて!」


 乱法師の言葉の途中で小姓達の間から叫び声が上がり、そちらに視線を移した信長と乱法師は繰り広げられる光景に呆然とした。

 直ちに小姓頭である己の立場を思い出し、滅多に出す事のない怒声を発した。

「──そこっ!何をしておる!止めよ!止めぬか!!上様の御前であるぞっ!止めよ!」

─────

 二日前

 
「はあ…それは……ですが…危険ではございませぬか?」

 元服は済ませているが、まだ顔にあどけなさを残す青年は気弱げに言った。

「今やらずして何時やるのじゃ。上様は四国に御自ら御出馬されると明言されておられるのじゃぞ!御出馬の際には、あの忌々しい兄弟を四人も引き連れて行かれるに違いない。今のうちじゃ!力を付ける前に弱い奴から始末せねば!甥や従兄弟まで上様の御側に侍るようになってしまわぬうちに──」

 大層な美形だが、酷薄そうな笑みを浮かべ青年を焚き付ける二十代後半とおぼしき男は長谷川秀一である。

「ですが、うまくいくでしょうか?相手は森家ですよ。どうせ御咎め無しになるのでは?それだけならまだしも…寧ろ、こちらが悪者にされたら…」

「案ずるな。皆が見ている前で事を起こさせれば言い逃れは出来まい。」

「ですが、理由を聞かれたら──」

「理由を聞かれても口に出せないような事を吹き込めば良い。まだ初心な顔立ちをしておる故なぁ。」

 尚も躊躇する青年の耳に唇を寄せ囁く。

 長谷川が青年の唇を指でなぞり頬を手で撫で回すと、青年は顔を赤らめた。

─────

 仙千代は兄の姿に感嘆しきりであった。

 幼い頃に只一人、人質として岐阜城で暮らし、本願寺との和睦の条件として僧侶になれと言われ最近まで修行中だったが、今度は天下人信長の小姓として出仕させるから、やっぱり還俗しろという家族の勝手さに振り回され、何が起きても最早驚くまいと思っていた。

『それにしても何と美しい城であろうか。兄者達はこのような城で、毎日上様にお仕えしておるのか。』

 城に上がって、まだ一月も経っていない。

  先ず城内はあまりに広く豪華絢爛過ぎて、此処に自分がいる事自体が夢のようだった。

 それに城内で部屋を間違えたり、迷ったりしていると皆が優しく声を掛け教えてくれるのだ。

 「お乱殿の弟御であろう?」と。

 ともかく凄いのは兄の乱法師だ。

 金山から安土に向かった時は今の自分と同じく十三歳で、それから僅か五年でこれ程立身出世するとは。

 兄より遥かに年上の重臣達ですら敬語を使い遠慮がちに接する様子を間近で見れば、比類ない権勢を感じずにはいられない。

 言葉を掛けられ御前に出るだけで冷や汗が流れるくらい万民に畏れられる信長と親しげに話す乱法師を眺めていると、信用第一の側近との噂は真であったかと納得する。

 一旦は仏門に入る覚悟であった為、小姓勤めをいきなり勧められても素直に喜べなかったが、今は安土に来て良かったと心底思えた。

『それにしても、どこもかしこも金銀で目映いのう。狩野永徳の何と華麗な襖絵じゃ!全く夢の城じゃ!頬をつねってみないと現とは信じ難い──いてっ─?』

 突然頬に痛みを感じ、当に夢から現に舞い戻った。

 横を見ると隣に座している年上の小姓が、何故か己の頬をつねっているではないか。

「……何をされる……?」

 怒るのも忘れ呆然とする。

「これは御無礼仕まつった。あまりにも、そなたの頬が愛らしく、柔らかそうで、つい……」

「…………」

 口では謝りながらも、爽やかな態度で悪びれない相手の様子に益々呆気に取られてしまった。

『こやつの名前は確か…梁田。』

 まだ小姓全員の名前を覚えきれていなかったが何とか思い出した。

 信長がいる部屋で、このような戯れを『つい』する事が許されるのか。

 仙千代はまだ城仕えの日が浅過ぎて、安土での小姓達の在り方の基準が分からなかった。

 乱法師が言っていた事をふと思い出す。

『上様を徒に恐れる必要はない。日頃は戯れ言など良く申され、我等を笑わせて下さる寛容な御方じゃ。肩の力を抜け。』と。

『成る程、ではあまり固くなり過ぎるのも良くないのじゃな。家臣同士、たまにはふざけ合うくらいの緩やかさも大事という事か。儂があまりに強張った顔をしておった故、梁田殿は頬をつねったのやもしれぬ。』

 そう納得すると自身の両手で頬を揉みほぐして梁田に向かい、にかっと笑って見せた。

  梁田は不思議そうに仙千代の顔を見つめ返すと、何も言わずに姿勢を正し信長と乱法師に目を移した。

 仙千代も姿勢を正し、同じように再び主と兄の方を見る。

「そなたの兄上は全く凄い──」

 梁田は囁くように言った。

「それは嬉しい事を申される。弟として兄のどのようなところが凄いのか伺いたい。梁田殿は兄のどんなところが凄いとお考えなのでござるか?」

「やはり上様の並々ならぬ御寵愛に応える時の熱い──御声ですかな。」

「──?声?」

 首を傾げる仙千代に尚も声を潜めて続ける。

「そのうち、そなたも不寝番を勤めれば分かるでしょう。兄上の御声の凄さが──あっああん…ああはっァあ……」

 言っている事の意味が分からず戸惑った。

「御声の麗しさだけでは中々、あれ程の上様の御信頼を勝ち得る事は出来ますまい。残念ながら我等は蚊帳の外なれば、兄上の御声で推測するしかございませぬが──口に上様御自身を含み舌で清められるのが巧みな御様子で──ああ、もっともっとと良く聞こえて参ります。当に上様の御褥の上が戦場であるが如く激しく声を上げられ、こちらは耳を塞ぎたいやら聞いていたいやら──兄上の勇ましい乱れように叶う小姓は一人もおりますまい。」

「…………」

 仙千代は口を閉じるのを忘れて梁田の言葉を聞いていた。

「兄上は戦場で槍を振るうよりも、御褥で尻を振るのが御得意なのでござろうな。なれど閨の技だけではなく──某が察するに、生まれもった身体付きも素晴らしいのではあるまいか。やはり、こう──ぐっと良く締まって。」

 梁田は言いながら、両手で丸く形を作りぐっと縮めたり広げたりして見せた。

 さすがに、ここまで露骨な表現をされれば閨事の経験がない仙千代にも理解出来た。

 その手の話に奥手で薄らぼんやりしていた以前の乱法師に比べれば、仙千代の方がまだましだった。

 膝の上に置いた手は、いつしか固く握り締められていた。

「そなたも兄上を見習って、武術よりも締まりを良くするような鍛練をされた方が良いのでは?まあ、上様が好まれるような賢そうな美形ではおられぬが、この頬の辺りの幼い愛らしさが上様の御目に留まれば、兄弟仲良く御褥の上で、うーわんわんわん。」

  怒りでわなわなと震える仙千代に止めを刺すかのように手が伸び、頬を無遠慮に撫で回してきた。

 仙千代の身体中に闘志が沸々と湧き上がる。

 先祖を辿れば歴とした清和源氏、八幡太郎義家の子の義隆が森氏を称した事から始まり、初代義隆を始めとして討ち死にした者は数知れず、森家に生まれたからには畳の上で死ぬなどもっての他、戦場で花と散れとは言い過ぎかもしれないが──

 これ程侮辱され、大人しくされるが儘でいるなど到底我慢出来なかった。

「恥辱を受けて黙っているなど武門の名折れ!おっのれぇぇーー如何わしい口を塞いでくれるわ!」

 腰に手をやり紐に挟んだ物を掴んで、梁田の頭に打ち降ろしたが、幸いにも扇子だった。

 「いってーいてて!」

 扇子とはいえ固い骨のところで思いきり叩かれ、逃げようとするのを襟首掴んで打ち据えると、さすがに額から血が流れた。

 完全に頭に血が上った仙千代は兄の制止の声が耳に届かず、他の小姓に取り抑えられ漸く大人しくなった。

─────

「……真に申し訳ございませぬ。」

 乱法師は信長の前で手を付いて謝った。

『小姓勤めに上がってから何度も同じような事をしている気がする。』
 
 他家と比べた事も考えた事もなかったが、出仕してから僅か五年の間に、次々と問題ばかり起こす家族はまともではないのではなかろうか。

 他の側近衆や小姓達がいる中で頭を下げなければならない恥ずかしさ。

「前代未聞じゃ!よりによって上様の御前で他の小姓を殴るとは!」

 長谷川秀一は声を大にして言った。

 それに言い返せる訳もなく、ただただ頭を下げて謝るばかり。

「大体、誰に責任があるとお思いか。小姓頭であるばかりでなく、実兄の御乱殿の指導に問題があったとしか思えませぬな。上様の御側に控えておる時の心構えが全くなっておらぬ。御前で乱闘など、扇子で良かったが──相手を殺めていたら年少でも切腹ですぞ!」

「──くっっ。」

 大嫌いな長谷川に言われ放題な悔しさで唇を噛む。

 それに『切腹』という言葉には胆が冷えた。

「控えよ!竹(長谷川の幼名)。ただで済ますか済まさないかは儂が決める。先ず、あのような事をした訳を聞こう。殴ったのは許せぬが、訳次第では両成敗である。二人を此処へ呼べ!」

  二人は別々の部屋で別の意味で頭を冷やしていた。

 梁田は額の腫れを冷しながら、如何に仙千代が凶暴であったかを周囲に訴えていた。

「もう、あっという間の出来事でござった。某が、仙殿があまりにも初々しい様子で畏まってござったので、少し気持ちを和らげて差し上げようと頬に手を触れたら、鬼のような形相できっと睨み返すや扇子でいきなり打たれたのでござる!」

 仙千代は別の部屋で坊丸や力丸、そして乱法師に好意的な小姓の小倉松寿に囲まれていた。

「一体何があった?何をされた?」

「言いたくない……」

 震えるような怒りは収まったが、言われた事を思い出しただけで不快さに吐き気がしてくる。

「森仙千代!上様が御呼びである。すぐに参れ!」

 小姓が厳しい口調で呼びに来た。

 二人の心配そうな兄達と小倉松寿を後に残し、信長のいる部屋へと向かう。

 部屋には信長と乱法師、仙千代に打たれた梁田と小姓が数名、そして長谷川秀一がいるのみであった。

「さて、仙!何故、扇子で叩いたりしたのか訳を聞こう。」

 信長の言葉に震えながら、言える範囲で仙千代は述べた。

「座っていたら、いきなり頬をつままれ、止めて下されと……その…また頬を撫でられ頭にきてしまい申し訳ございませぬ。」

 言っているうちに悔しさで涙が込み上げる。
 悔しいのは己が受けた恥辱はこんなものではないのに、全てを言えない辛さだった。

「仙の申す事に相違ないか?」

 今度は梁田の方に問い掛ける。

「……はっ…大方は相違ございませぬが、仙殿は某が頬に触れたら始めは笑っておられました。嫌そうな素振りも嫌とも言わず、それ故つい戯れたのでございます。そうしましたら、いきなりあのような──その時の様子はそこにいる者達が見ている筈でございます。」

 部屋の隅に控える小姓を指して言った。

 指差された小姓が今度は申し述べた。

「何を話していたかまでは存じませぬが、仲良く見えましたのに、いきなり仙殿が扇子で叩いたように見えました。」

 乱法師の方に少し申し訳なさそうにちらりと目を遣る。

「仙、もう一度聞く。他には何かされたり、言われたりはしておらぬのじゃな?隠さずに申せ!」

 今度は乱法師が弟に詰問した。
 無論、必死だ。

  梁田の行いは褒められぬ事とはいえ、怒りに任せて相手を叩く程の事ではないという場の空気を感じたからだ。

 仙千代は涙を目に浮かべ首を振った。

「…うっ…うう…私が……悪うございました。申し訳……申し訳ございませぬ。」

 乱法師はそれを聞き、身体の力が脱けるのを感じた。

「二人共、下がれ!処罰は追って沙汰する。」

 信長は二人を下がらせ、更に小姓達まで下がらせると、二人の側近に問うた。

「そなた達はどのような罰を与えるべきだと考えるか。」

「御前での乱闘なれば、厳しく死罪──」

 乱法師を見ながら表情を変えずに長谷川は言った。

 乱法師の顔からさっと血の気が引く。

『何と気分が良い!お乱のこんな顔を見れるだけでも胸がすくわ!』

 
「乱、そなたはどう思う?」

 信長は穏やかな声で尋ねた。

「…身内なればと……御思いになられるかと存じますが、子供のような戯れから争いが生じ……不埒な事とは申せ、相手を殺めた訳ではない年少の者を、死罪とは些か厳しいかと存じまする。暫く蟄居か謹慎が妥当なところかと……」

 身内のした事ゆえに、第三者とは言えぬ立場で処罰について聞かれるのは辛い。 
 
「儂も流石に死罪にまではしようとは思っておらぬ、が。ふむ──竹、下がれ。乱と二人で話がしたい。」

 長谷川はかなり不服そうだったが、命令なので仕方無く退出する。

「仙はまだ子供じゃのう。」

 信長は二人きりになると静かに言った。

 短い言葉は重く心に響き、主が何を訴えようとしているのか分かるような気がした。

「小姓勤めはまだ早い──」

 乱法師を気遣うように言う声音が殊更に身に沁みる。

 こんなにも愛を与えてくれるのに、また恩を仇で返してしまった。

「……申し訳ございませぬ……」

 小姓で年少といえども勤めは勤め。

 我慢出来ねば小姓勤めは無理。

 嫌がらせを受けたからと、いちいち腹を立てていたらこの先やっていけない。

 信長は此度の騒動に根深い何かを感じていた。

 家臣同士の妬みやいがみ合い。

 乱法師を愛するが故に彼は妬まれ、同時に守られてもきた。

 だが、どんなに強い力で守ろうとも自身の忍耐がなければ、また同じ事が繰り返されるだけだ。

 戦場では強さとなる事も、城内では弱さとなる。

  仙千代には必要なその強さが未だ備わっていない。

 一度弱味を見せ、またそこを突かれたら何度も庇いきれない。

「仙千代は本日をもって小姓の任を解く。金山で養育し直すか、僧侶にするかは森家の判断に任せる!」

「…は……ははっ……」

────

『やった!やった!上手くいった!鬱陶しい小童を一匹減らしてやったぞ。』

 長谷川は心の内で小躍りせんばかりに喜んだ。

 端から死罪など期待していない。

 森家に対して、そこまで厳しい処罰を下す気がないのは長可の甘い例でも分かっていた。

 始めに死罪という厳しい言葉を出せば、そうならない為に妥当な処罰を下す方向に信長の心が傾くと思ったからだ。

 乱法師に皆の面前で恥をかかせただけでも小気味良いのに、小姓解任とは思惑以上の結末だった。

──────

 「ああぁーーー小姓として出仕してから何日で解任じゃ?十五日くらいか?不祥事を犯した小姓衆の中で歴代最短であろうな。ははぁ──やはり坊主になるか、それとも商人でも目指して見るのはどうかのう。」

 力丸は呆れながらもどこか可笑しげで相変わらず緊張感が足りない。

「全くのう。もう少し上手くやっておればのう。色々仕返しの方法はあるのになあ。表でやらずに裏でやれば良いものを。草履の上に馬の糞、着替えの中にも馬の糞、鬱憤ばらしには茶に唾を吐く。酢をたっぷり入れるのも御勧めじゃ。櫛に糊を付けておくとかな。荻野源左衛門に恋文を送りつけるのも良い手じゃぞ。まあ、今更言っても遅いがのう。」

 坊丸は小姓の裏の心得を仙千代に教えておけば良かったと後悔した。

 荻野源左衛門とは、身の丈六尺に厳つい痘痕面で、口臭も体臭もきつい上に男色狂いの厩番の事だ。

「兄上に文を書かねば……」

 生真面目な乱法師は一人、暗い顔をしてぽつりと呟くと、文机に向かい海津城で上杉景勝の動きを牽制する長可への文を書いた。

 先日無事謁見が済み、小姓としての奉公が日々順調である旨を伝えたばかりなのに、もう解任されたと知ったら、兄は何と返信を寄越すだろう。

『儂の指導が至らぬ故と言われそうじゃな。ああ……弟よ…全く…はあ……』 

 仙千代の今後の処遇についても相談しなければならない。

 やはり僧侶にするべきか、武士として育てるのか。

  武士として生きるなら、小姓の道は断たれても兄の陣営に加わるという手もある。

 いずれにせよ未熟な末弟であるからこそ、しっかり道筋を作ってやらねばなるまい。

 長可は乱法師からの書状に目を通すと、手近な家臣に言った。

「仙が同僚の小姓を叩いて小姓を解任されたと書いてある。」

「何と!小姓として出仕されたのは先月の末頃ではございませぬか。一体何故……」

「まあ、仙が儂の弟という事だけは間違いなさそうじゃ。他は良く腹違いか養子かと言われたものじゃが。昔から言うではないか。すまじきものは宮仕えとな。仙は小姓には向いておらぬ。」

 至って冷静に弟に対する寛容な理解を示したのであった。

────

「あの、お乱殿…」

 控え目に声を掛けられ振り向くと、力丸と同い年の小姓小倉松寿が立っていた。

「松、ではないか。どうした。」

 健気に自分を慕う松寿の瞳に対する時、一瞬声が上ずり胸がときめくのを悟られぬように、わざと低い声音で答える。

「……その、余計な事とは存じますが...仙殿の事で....お乱殿に伝えたい事が……」

 乱法師は手近な納戸の中に松寿を招き入れ襖を閉めた。

「仙の事とは?」

「あの後、私は納得がいかず、仙殿を問い詰めたのです。他にも何かされたのではと…」

「何をされたと言っていたのじゃ!」

「されたのではなく言われたのだと。聞き捨てならぬ事を……それは、その…」

 全てを聞かずとも、僅かに顔を赤らめた松寿の様子で察しは付いた。
 己に関する下世話で下品な噂を吹き込まれたのであろうと。

「お乱殿、どうなされるのですか?」

「──どう─とは──?」

 意外と呑気な返答に松寿は眉を潜めた。

「悔しくはないのですか?仙殿を無理矢理怒らせるように仕向けたに違いありませぬ。あの梁田という奴は良く長谷川殿の側にいる者ではありませぬか。此度の事とて絶対に長谷川殿が──!」

 乱法師は松寿の唇に人差し指を当てて静かにさせた。

「しっ声が大きい…長谷川がした事とて、もう処分は終わったのじゃ。確たる証拠が無いものを再び騒ぎ立てる訳にもいくまい。」

「なれど、この儘泣き寝入りで良いのですか?あちらは、ただの謹慎なのですよ。」

 「例え何を言われたとて御前で乱闘騒ぎが罪である事に変わりはあるまい。」

  再び申し立てるという事は、信長の裁決に異を唱える事。

 松寿の言う通り長谷川が仕組んだ事なのかもしれない。

 だが、それを知って暴いて何になる。

 長谷川を葬ったところで次の長谷川が出てくるだけだ。
 人と人との足の引っ張り合いと奪い合いは永久に終わらない。

「相手の非を訴え、仙を小姓の任に戻して貰おうとは思わぬ。長谷川の仕業であるなら、尚更そのような者達のいる場所に未熟な仙を戻す事は出来ない。扇子ではなく刀で斬り付ければもっと重い処分となったやもしれぬ。松、そなたの気持ちは有り難い。愚かな兄と思うやも知れぬが、仙を守る為でもあるのじゃ。」

 信長もそのような思いで処分を下したのではないかと考えた。
 忙しい信長の手を煩わせ、これ以上温情に甘えたくはない。


 松寿は心底残念そうに項垂れた。
 乱法師に伝えれば信長に訴え、きっと仙千代の処分が取り消しとなり、小姓として復帰出来るのではと考えたに違いない。

「…松…」

 名を呼び、顔を上げた松寿の唇に迷わず己の唇を重ねた。

 一瞬だった。

「あ…」

 すぐに唇を離すと、襖を開けて素早く外に出た。

 森家から四人も小姓は必要ないのだ。

『仙の処遇については、安土の邸に置いた儘で、少し時間を頂きたいとお願いしよう。』


 一本の幹から枝が無数に分かれる様子が似ているからか、兄弟の事を連枝《れんし》と称する。

 同じ腹から産まれても同じ道を辿ろうとしても、いつの間にやら枝のように分かれていく。

 人の運命は思わぬところで枝分かれし、右に行くのか左に行くのかで大きく変わる事もある。

 故に悩むのだ。

 果たしてどちらが極楽、そして地獄へ続く道なのかと──

 


  









 



 




 

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