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 十一月になると、甲斐の武田家の人質となっていた信長の五男、織田勝長が信長の元へ送り返されてきた。
 
 「御坊(勝長の幼名)を戻すじゃと?」

 信長は少し驚いた。

 五男の勝長が武田の人質になった経緯も、今頃織田家に戻された経緯も些か複雑であった。

 だが、勝長本人の心情が一番複雑だったのかもしれない。


 美濃の岩村城主は遠山景任という男だった。
 遠山氏は立地上、元々は武田と織田の両家と敵対する事なく中立を保っていた。

 信長は叔母のおつやの方を遠山景任に嫁がせていたのだが、景任が病死し跡継ぎがいなかった為、五男の勝長に継がせた。
 
 遠山景任の未亡人おつやの方が城代を務め幼い勝長の後見人となったが、女子供の守る城を武田がほおっておく訳がなく、武田方の武将秋山信友の攻撃を受け元亀三年に落城した。
 
 その時に、おつやの方は敵将秋山信友の妻にされ、幼い勝長は人質として武田信玄の元へ送られてしまったのだ。
 
 三年後に岩村城は織田軍が奪還するのだが、信長は敵将秋山信友だけでなく、自分の叔母のおつやの方も姦婦として逆さ磔で処刑する程の苛烈さを見せた。

 女だろうが叔母だろうが全く容赦無かった。
 
 武田の人質となってから九年の時が経過している。
 
 乱法師に至っては、御坊丸様だの勝長様だのと言われても無論顔も知らないし、存在すら良く認識していなかった。
 
 今頃になって武田が織田家に人質を返してきたのは、和睦、恭順を示す為。
 
 信玄亡き後の長篠の戦いから徐々に勢いは弱まり、今年徳川軍に高天神城を包囲され援軍を送れずに見捨てた事で、武田勝頼の力無さを周囲が知るところとなり家臣達の間で信用は失墜した。
 
 命懸けで主家の為に戦っても、最後は見捨てられる。
 
 裏切りたくて裏切っているのではない。
 
 見捨てたくて見捨てている訳でもない。
 
 必死に戦い生き残る為に知恵を絞ってもどうにもならねば、個々に生き残る方法を模索するしかない。
 
 主が守ってくれないのならば、新たに守ってくれる主に仕えるしかない。
 
 そんな風に甲斐の武田は水面下で綻びを見せ始めていた。
 
 織田御坊勝長が父への挨拶の為に安土城を訪れた。

 勝長は既に武田家で元服を済ませている。
 故に勝頼の勝に信長の長で勝長と名乗っていた。

  己の父の名を諱の二字の下の字に使うのは人質ならではの屈辱。

 徳川家康が人質時代に今川家で元服した際、今川義元の元に康(康は祖父や叔父の名に使われている)で、松平元康と名乗っていた事と同様である。

 勝長は乱法師と同じ歳くらいに見えた。

 礼儀正しく名乗り、父である信長に挨拶をする様子は、織田家の一員として申し分ない程堂々としていた。

 顔立ちは、確かに親子である事を如実に物語っている。

 が、挨拶をする息子と父たる信長の間に、涙を誘うような再会の感動も情愛も感じられない。

 信長は、目の前の息子と名乗る者の記憶を辿った。

 幼い時に息子として岐阜にいた時ですら、殆んど言葉を交わす機会がなかったように思う。

 九年の時は少年の面差しを変えるには十分な時間だろう。

 声は低く背丈は伸び、通常の親子ならば立派になったと、無事で良かったと抱き締め感涙に咽ぶ事だろう。

 ところが信長は真っ先に思った。

『面差しは変わってはおるが、確かに御坊じゃ。偽者を寄越した訳ではなさそうじゃな。四郎(勝頼)もいよいよ虫の息。和睦どころか、これで心置きなく武田討伐が出来る。甲州攻めには御坊を連れて行けば、敵地を良く知り得る上に首実検でも役に立つな。』

 非情な考えではあるが、情愛は無くとも血を分けた者同士、息子と認め、小袖や刀、鷹や馬や槍を勝長に贈り、犬山城の城主にすると申し渡した。

 武田勝頼の苦肉の策は意味を成さなかった。

 もう既に武田を討つ決意は固く、遠山友忠をして武田の家臣達に対する調略が進められていたのだから。
 
 「無事に織田家に戻った事、真に目出度い限りじゃ。だが、この儂の倅であるのに諱が勝長では可笑しいのぅ。これより源三郎信房と名乗るが良い!」

 「はは!」

 親子の九年振りの再会は、終始淡々と親しげな会話も抱擁もなく終わった。

 「乱!御坊をどう見た?」

 勝長改め信房が退出した後、信長が傍らの乱法師に問う。

 「さすがは親子にございます。上様に良う似ておられました。源三郎様も我が家に漸く戻って来られたと安堵された事でございましょう。」

 我ながら、当たり障りのないつまらぬ答えと思った。

 「そなたの本音を聞いておる。儂が聞きたいのはそのような事ではないと分かっておる癖に!」

  乱法師は仕方無いというように首を竦《すく》めて答えた。

 「赤の他人の空似と御心配であれば、湯殿で身体の特徴まで調べさせる手もあるかと。長い間、離れておられたせいか、上様を御父上と実感される御気持ちは薄いように感じました。どのように接してよいかというような……であるからこそ、余計に策を含んでいるようには見えませぬ。もし、上様の懐に入り込めと言い含められた刺客であれば、きっと泣いてみせた事でしょう。」

 「ふふ──さすがは乱じゃ!そなたも悪よのぅ。」

 からかうように言われて言い返す。

 「戯れ言を仰せになられる。これくらいの事は誰でも気付きまする。それよりも、本物であっても長く武田にいたせいで、気持ちが未だ武田にあるやもと懸念されておられるのでは?」

 「多少はのう。じゃが、いずれにせよ、そなたの言う通り織田に敵意あらば、親しげな素振りを見せた事であろう。暫くは伴家を使って見張らせよう。中々、実の親子でも他所他所しい限りじゃ。それにしても──」

 言葉を止め、乱法師を力強く引き寄せ膝の上に抱き抱える。

 何かを言おうとした途端に手が伸びて額に優しく置かれ、次に首筋に触れた。
 
 そして最後に頬に触れる。

 「何やら浮かぬ顔をしておる。心配事でもあるのか?それとも風邪か。身体は熱くないから熱はないようじゃが。」

 セミナリヨで演奏を聴いていた時に、頭に浮かんだ白鷹の飛翔する情景が、その後もふとした拍子に度々彼の心を占めるようになっていた。

 自由に悠々と空を飛ぶ鷹はどこまでも雄壮で心地良さそうなのに、それを地上から眺める自分は、時折胸が締め付けられるような切ない気持ちになる。

 自分は鷹になりたいのだろうか。
 鷹のように空を飛びたいのだろうか。

 白鷹の情景が心に浮かぶ度に自問自答するのだが、答えが出ない。

 いや──答えを出すのが怖いのだ。

 「武田を討伐される時には、中将様(信忠)を総大将にされるのかと……」

 浮かぬ顔と言われて、咄嗟に思い付いた。

 信長は首を傾げたが、即座に合点がいき溜め息混じりに言った。

 「──やれやれ、何じゃ!そなたまで!松姫の事か?どいつもこいつも甘っちょろいのぅ。ふん、何も松姫を討ち取れと申している訳ではあるまい。」

 「はい、確かに甘い考えとは存じますが、中将様の御気持ちを考えると、つい……」

 「今の松姫には大した利用価値はない。が、腐っても名門武田の姫。女の身一つ。逃げるというなら逃げれば良い。追ったりはせぬ。だが、軍勢が進む途上におれば容赦はせぬがな。」

 己の本音を誤魔化したいから松姫の話を出しただけだったが、出来る事なら命だけは助けたい。

 父に似ず、優しいところがある信忠の純粋な思いが成就する事を心より祈っていた。

 それにしても、弟の源三郎が甲斐から戻ってきた事を知っても信忠は喜ぶどころか、武田といよいよ決戦かと複雑な気持ちになるだろう。

 九年振りに会った父との間には違和感しかなく、源三郎の居場所がない事を少し哀れに感じた。

 「それはそうと、そなたの一番下の弟は、確か仙、と言ったか。今、何をしておる?」

 乱法師の唇を、顎を支えた手の親指で軽くなぞりながら問いかける。
 
 「仙は今、金山の森家に縁ある寺に預け立派な僧侶になるべく修行中にございます。」

 本願寺との和睦を信長が呑む条件として、仙千代が僧侶になるという約束を森家と交わしていた。

 若年の為、未だ有髪で熱心に修行に励んでいると耳に入ってきている。

 「その仙千代じゃが、そなたに異論なくば、来年小姓として召し出そうと考えておる。」

 信長の突然の言葉に耳を疑う。

 「ですが──仙千代は、本願寺との和睦の証として──私は無論、有り難いお話ですが、森家の者ばかり小姓に取り立てられ…いえ、それよりも仙を僧侶にする事は上様との約束でございまする。良いのですか?」

 「ふ、そなたの下に弟が十人もいれば全て取り立てるのもどうかと思うが、後一人くらいどうという事もない。来年、早いうちに召し出してやりたいが、髪は剃っておるのか?」

 「いえ、有髪の儘でございまする。兄と母にも伝えねばなりませぬ。本人は喜ぶかと存じますが、末っ子の甘ったれでお役に立てるかが心配です。」

 信長の気持ちを心底有り難いと勿論思った。

 兄に異存はない筈だ。
 
 心配なのは母の複雑な思いだけだ。
 息子達の手柄話や出世が嬉しくない訳がない。

  なれど、武士として出世するとは即ち人を殺め、また己の命も失う可能性があるという事に他ならない。

 僧侶としての生き方は華やかではなくとも命の危険は少ない。
 母の本音では仙千代が僧侶になるのが望みであり、此度の話をどう思うのか。

────
 
 堅固な城、鳥取城を落城させ勢いにのる秀吉は、伯耆で吉川元春の進撃を退け、淡路島を池田恒興の嫡男元助と協力して平定した。

 やがて十二月になり、各地で勝利し続け着実に領土は拡大し、天下平定まで後一歩という歳の暮れが近付く頃、遠近問わず各地の諸大名から信長に献上される歳暮の品々が引きも切らず列を成し、乱法師は地獄のような忙しさに追われていた。

 列を成すというのは比喩ではなく真に言葉通りで、歳暮の品を携えた諸国の小大名達の使者、或いは本人達で安土の門前はごった返していた。

 品々は金銀、舶来物、衣服、特産品、名酒等々。

 信長の権力と威光を改めて目にする思いだったが、奏者番として献上した者の氏名と品名を読み上げていたら、さすがに声が掠れてしまった。

 珍品奇品を含めた品々はどれも素晴らしかったが、今までに散々献上されてきた、いずれも信長が所有する品ばかりであった。

 この歳暮の挨拶には、因幡の鳥取城を落とし、伯耆では毛利の武将吉川元春を退け、更に淡路島を平定し、これからも中国四国で多大なる武功を上げるであろう羽柴筑前守秀吉も献上品を携え参上した。

 中国に長く在陣し、安土城から近い長浜城も秀吉の居城であるが、今は播磨の姫路城を拠点として出陣したり退いたりを専らしている。

 小柄な体躯に人懐っこい笑みを浮かべ、大袈裟な口調にわざとらしくも親しげな態度で、あっという間に長く対面のなかった信長との溝を埋めてしまう。

 そして今、家中一乗りに乗っている男はとっておきの見世物を用意していた。

 乱法師は献上品が記された紙を渡され仰天した。

 献上品の数がとてつもなかったからだ。

 量が多くて運び込むのに時間を要するから最後にして欲しいと言われていたが、長く書き連ねられた品数を見て、思わず間違いではないかと確認する。

 「筑前守殿、真に、この品々を全て本日上様に献上されるという事で間違いござらぬか?」

  秀吉はにこにこと愛嬌たっぷりの笑顔を信長と乱法師に向け堂々と答えた。

 「某、中国に長く在陣し、御尊顔を拝す機会が中々持てず、久しぶりにお会い出来ると胸躍り、上様に対する畏敬崇敬を形に現そうと致しましたら、これだけの数になってしまい申した。実は御側室方、お付きの女房衆、御小姓衆、お乱殿始め御近習の方々の分までございますので御納め下さりませ。」

 これ見よがしの追従にわざとらしい賛辞、信長周辺の者達にまで及ぶ呆れる程の胡麻擂り三昧。

 秀吉がすると全く嫌味に見えないから不思議だ。

 無論、見た目と剽げた態度によらず、非常に頭がきれるこの男は、胡麻擂りをする時と場所も心得ての事である。

 「何と!我等の分まで?しかし、これだけの数の品を一度に運び込むのは…」

 追い風だから意味がある。

 向かい風の時では、それこそ卑屈な胡麻擂りになってしまう。

 中国攻め、四国攻めで多大なる功を上げている今だからこそ、より効果があるのだ。

 「長浜の城から順に運び込ませておりまする。」

 目の前に次々運び込まれる品々に呆れ顔で音を上げたのは信長の方だった。
 
 運ばれる、品名を読み上げるの繰り返しで、しかもたった一人の大名から一度にこれだけの品数が献上されるのは前代未聞。

 「──うあっはあーーはは!何じゃ!筑前よ!悪ふざけは――くはっ!いい加減に致せ!どこまで続いておるのじゃ。」

 信長の派手好みと悪戯心を刺激する壮大な演出にとうとう吹き出した。

 「まだまだ序の口序の口!最後の品がやっと長浜の城を出た頃でございましょう!」

 「何じゃと!この剥げ鼠が大言壮語しおって!いくらなんでも、そこまで列が長い訳がなかろう。」

 「ではでは。天守閣から下をご覧あれ!嘘か真か!是非是非!」

 その言葉に早速面白そうに天守閣の最上階に登って下を見下ろす。

 「────これは!はは!何たる眺めじゃ!筑前、真に続いておるわ!ははは、真に長浜まで続いておるのか?こりゃあ、たまげたのぅ。筑前!!貴様は大気者じゃ!」

 確かに列は、長浜の城まで続いているのかと思わせる程に果てしなく長かった。

 この日献上された品は、小袖だけでも二百枚。

 ど派手な演出に信長はすっかり満足し、皆の前で秀吉の中国での武功を賞賛し捲り感伏状まで与えた。

 今や信長に手に入らぬ物などない。
 
  いくら高価な品を贈ったとて、数多ある品々に埋もれ、信長の心を掴めなければ意味がない。

 この日、登城した大名達は秀吉にしてやられたと心の内で悔しがったに違いない。

 信長を畏敬する姿勢を取りながら、己の力と存在感を他者に見せつける。

 歳末という時期と歳暮を贈るという場面を利用し、さりげなく他の武将達を牽制する。

 秀吉に対する信長の賞賛に異を唱えられる武将は誰一人としていなかった。


───この様子に冷ややかな視線を送る者がいた。

『筑前め!相変わらず下品で大袈裟な男じゃ!上様だけでなく、近習や女房衆にまで媚びへつらいおって──儂が気付かぬと思うか。お前の腹黒い素顔に──』

 明智光秀である。

 以前から持って生まれた気質の違う秀吉に対し多少の反発はあったものの、今のような激しい嫌悪感を抱く事は無かった。

 土佐の長宗我部への信長の態度が硬化して以来、こちらはすっかり向かい風だ。

 丹波丹後を真っ先に平定し、信長の覚えめでたく、佐久間信盛の失脚を機に、家中一多くの与力を任され、京での馬揃えを成功に導いた立役者として順風満帆だった筈なのに。

 いつの間にか風向きは変わっていた。

『長宗我部の事とて、三好を焚き付けたのは筑前ではないのか?奴ならやりかねん。面と向かって長宗我部との交渉は如何でござるか?などと良くも抜け抜けと聞けるものじゃ。どこまでも面の皮が厚い男よ!お前が邪魔しおって交渉が上手くいく筈がなかろう!』

 光秀が不快に思うのは当然で、何とかして納得させようと交渉している最中なのを知りながら、 素知らぬ振りで敵対する三好方の城を支援して対抗させているのだから。

 そのような理由で益々長宗我部の態度は硬化する一方だ。

 毛利征伐には、三好氏の助力が必要。
 
 一にも二にも、秀吉はそれを理由にしているが、更にこの理由を使って家中一の与力を持つ光秀より抜きん出ようとする姑息さが伝わってくるのだ。

 心で感じる勝敗は、端から見ると馬鹿馬鹿しい時もある事はある。

 此度の歳暮にしても皆が秀吉の独壇場だと思い、本能的に負けたと感じた。

 可笑しな話ではある。
 順列を付けようが無いものの勝敗にこだわり、屈辱を感じるなど。

  とはいえ、目に見えて分かりにくい勝敗が、発言や行動に意外と強く影響をもたらす場合もある。

 実際、光秀の心の焔は燃え上がっていた。
 自尊心が強い彼は、秀吉に負けたと感じ屈辱を覚えた。

 誇り高き者程、順位無き順位にこだわるものだ。

『見ておれ!筑前。儂を舐めるな!お前の小賢しい胡麻擂りなどに翻弄される儂ではないわ!大量の献上品で上様のお心を繋ぎ止めたと思ったら大間違いじゃ!長宗我部との交渉が上手くいかずとも──』

 そう心の内で罵る光秀には、ある秘策があった。

──────

 「では、仙の事。母上に御異存はないのでございますね。」

 自邸で乱法師は仙千代を小姓に取り立てるという信長の申し出を母に伝えた。

 火鉢の中で炭が赤く燃え、妙向尼は手を翳しながら言った。
 
 「上様の御心遣い…異存など。確かに仙千代殿だけは僧侶にと一度は思いはしましたが、兄弟四人までも御近習にとは嬉しい申されよう。真に御心の大きな御方じゃ。ただ、本願寺との和睦の条件とした事をいくら上様からの仰せとはいえ、その儘受けるのは心苦しゅうございます。」

 翳していた手は直ぐに温まり、部屋の冷気も和らいでいた。

 「確かに、それは私も……上様の御優しさに甘えてばかりはいられませぬ。やはり約束は約束。仙の話は御断りすべきではないでしょうか?」

 温まった手を頬に当て妙向尼は暫し思案した。

 「上様の御恩に報いるのは私達の勤め。仙千代殿を小姓にと望まれておられるのです。従いましょう。ただ、森家として上様との約束を守る事も勤め。なれば仙千代殿以外の者を僧籍に入れれば、約束を違えた事にはならないでしょう。」

 「ですが、我等兄弟の中に僧籍に入れられる者など一人もおりませぬ。姉上達の子等の中からという事でしょうか?」

 「嫁ぎ先なれば他家にはなりますが、森家に縁のある者に違いはありませぬ。関家に頼んで見ようかと思っています。」

 長女は織田信忠の家臣、関成正に嫁していた。

 「……ふふ……」

 「母上、どうされたのですか?」

 先程まで二人で、申し出を受けるか受けないか真剣な顔で悩んでいたというのに、突然妙向尼が笑い出した。
 
 「つくづく、贅沢な悩み事じゃと思ったのです。上様は約束はもうどうでも良いと仰せなのですものね。こちらがあくまでも守りたいと頑なに悩んでいるだけの事。」

 「真に心より感謝せねばなりませぬ。私は思うのです。上様が例え過酷な処罰を下され、世間から鬼と言われる事があっても、森家だけは常に上様を御助けし、どんな事があろうとも決して、決して裏切るような事があってはならないと。」

 「はい、母もそのように思います。息子達、五人も上様にお仕えし、天下平定の為に力を貸す事が出来るなど母の誇りです。誠心誠意御奉公致さねば罸が当たりましょう。」

 「今年も、もう後僅かでございますね。一年があっという間に過ぎていく気が致しまする。色々ありましたが、来年もきっと良い年になると良うございますね。」

 「ええ、必ず良い年になるでしょう。」

 母子は顔を見合わせて楽しそうに笑った。


────天正十年、元旦

 昨年も一昨年も在陣中の武将が多かった為、年始の挨拶に来る者は少なかったのだが、今年は人が多過ぎて死人まで出る始末だった。

 まさか年始から挨拶に来て、死ぬ羽目になるとは思わなかったであろう者達の死因は、総見寺まで登る山裾に積み上げてあった石垣が多人数の重みで崩れ、落ちた事に因る。

 此度信長は、挨拶に来る者大名小名問わず、祝い金百文を持参しろと堀秀政と長谷川秀一に触れを出させていた。

 天守閣の白州に控えさせて、織田家一門、諸国の大名小名、安土在勤の者達と順に挨拶を受けていたが、「白州では寒いだろう。」と、そう言って訪れた者達を座敷に招き入れ、新しく造った江雲寺御殿を見せると言い出した。

 御殿の座敷は全て金で装飾され、襖にはお気に入りの絵師狩野永徳により様々な風景が描かれている。

 金がふんだんに使われ眩ゆ過ぎて普通なら落ち着かないような気もするが、次々に上がる感嘆の声に信長は実に満足気だ。

 すっかり気を良くして帝を迎える御幸の間にも案内する。

 全て檜皮葺で設《しつら》えられ、四方にはこれまた金箔を貼り付け、絵の具を厚く塗り、盛り上げる事で立体的に見える障壁画が格段に豪奢な造りである。

 金具には唐草が彫られ、組み入れ天井に、帝の御座所には御簾が下がり芳香が立ち込め、やはり金尽くしだった。

 一通り見終わると元の白州に戻り、今度は「台所口の方に参れ!」と命じられる。

 皆でぞろぞろと行くと、信長がにこにこ笑いながら厩に向かう入り口に立っていた。

 そこで自ら持参を命じた百文を受け取り、後ろに賽銭箱があるかのように投げ入れていく。

  差し詰め先程の御殿と御幸の間の拝観料といったところだろうか。

 「ははは!愉快!愉快!」

 終始にこやかで、かなり上機嫌な信長だった。

 この日、出仕した者の中には、畿内を掌握する大名明智光秀もいたし、その与力で大和の郡山城主の筒井順慶もいた。

 参賀に訪れたのは武将だけではない。

 堺の豪商で茶人の今井宗久、千宗易、山上宗二、津田宗及等、名だたる者達が我も我もと献上品を携え、安土に集っていた。

 明智光秀は秀吉への不信感を募らせ鬱々としていたが、この日の信長の己に対する態度に溜飲が下がる思いだった。

 上機嫌で笑顔を向けてきただけでなく、家臣の中では一番に御幸の間に通る事を許された上、鷹狩りで捕らえた瑞祥の象徴とも言うべき生きた鶴まで賜った。
 勿論、このような栄誉は光秀と他数名の者達だけだ。

『やはり、上様の儂に対する御信頼は篤い。あのような小狡い鼠がちょろちょろと小細工したところで見え透いておるのじゃ。いくら献上品を長く連ねたとて、その場限りの猿芝居よ。上様とて、その時には興じられても、お手にしてしまえば常日頃献上される品と何ら変わらぬ在り来たりの物ばかり。量より質なのじゃと思い知らせてくれるわ!』

 と、信長の態度に気が大きくなる。
 
 四国の事は四国の事。
 己に対する信頼は変わらないのだと。

 だが、やはり光秀は失敗を厭い、常に念には念を入れておきたい用心深い質だった。

 織田家一門、日頃話す機会のない大名達に堺の豪商まで、ずらりと勢揃いしたこの機会を利用しない手はない。

 光秀が狙いを定めたのは堺の茶人。

 「これは宗易殿ではござらぬか。何月振りでござろうか?そちらに居られる津田宗及殿や山上宗二殿には、我が城での茶会に何度も足を御運び頂いておりますが、宗易殿とは近頃お会い出来ず残念に思っておりました。」

 堺の豪商で茶人、後に千利休の名で知られる宗易に先ず話し掛けた。

 「日向守殿、儂とて貴方様の茶会の御持て成しの風雅な事、耳にしてます。また、茶会の御予定ありますか?是非、次回は参加させて貰いまひょ。」

 以前にも茶会で同席し、打ち解けた間柄である。

 「勿論!是非、是非!──そういえば博多の島井宗室殿が今ちょうど堺におられるとか。せっかく遠い所から来られているのですから御一緒に御招きしたい。上様は毛利を攻め取られ、次は九州もというお考えでおられる。島井宗室殿が堺におられると知れば喜ばれ、会いたいと思われる筈。お目通りの取り次ぎを某が致しましょうと宗室殿にお伝え頂きたい。城での茶会は正月の七日を予定しておりますが如何がでこざるか?上様から拝領した八角釜を用いるつもりでおります。」

 所有する名物茶器の披露を兼ねて茶会が開かれるのは良くある事だった。

 「ああ、あきまへん。正月は用事が偉い詰まっとります。一月終わり頃か、二月なら空いてるんやけど、そやかてええでっか?宗室殿には聞いてみーへん事には分かりまへんが偉い喜ぶやろうな。儂の事はかまいまへん。堺におるさかい何時でも城にはお邪魔出来るさかい。」

 島井宗室は博多の豪商、光秀と親交深い津田宗及、千宗易とは、商人の顔と数奇者としての両面で昵懇の仲だ。

 光秀は堺の商人達を通して宗室と繋がっている。

 実は信長に取り次ぐという餌をちらつかせるのは、九州での宗室の立場を知っての事だ。

 島井家は日朝貿易で財を成し、九州の大名、大友宗麟に軍資金を調達し、その見返りとして商売における様々な利権を得てきた。

 ところが、天正六年の耳川の戦いで大友氏が島津氏に大敗してしまった。

 大友氏の庇護下で利権を貪ってきた島井家には、実に雲行きが怪しい展開となってしまった訳だ。

 今、島井家は大友氏に代わる庇護者を求めている。
 同じ庇護なら、より強い者が良いに決まっていた。

 「それでは残念ですが、宗易殿とはまた日を改めて。実は城での茶会などつまらぬ物と思える程、某に大きな謀《はかりごと》があるのです。」

 「どんな謀ですやろ?」

 光秀の態度は謀という言葉に相応しい緊迫感がなく寧ろ楽しげな様子で、宗易は興味をそそられた。

 「政の話で申し訳ないのですが、島井宗室殿はお困りの御様子。それ故、上様に取り次ぐと申したのですが──つまりお目通りし、大きな傘の下に入りたいと御望みならば、それ相応の物が必要になるかと。」

 「──ははあん、なるほど。つまり、楢柴肩衝《ならしばかたつき》を献上しろと言う訳ですな。」

 「左様──」

  天下一品とも評される茶入れ、楢柴肩衝《ならしばかたつき》。

 たかが抹茶を入れる小さな壺だが、現代の価値で凡そ数億円以上とも言われる名品である。

 肩衝とは、壺の肩に当たる部分が角ばっている形状をいう。

 世にいう天下三肩衝の茶入れとは、一つは初花肩衝、二つ目は新田肩衝、三つ目が楢柴肩衝である。

 初花と新田は、茶器狂いと言われるくらい蒐集に熱を入れている信長が既に所有している。

 天下一品と言われる残りの一つ、楢柴肩衝を手に入れれば全て揃うのだ。

 つまり、信長が喉から手が出る程欲しているのは明らか。

 「ですけど、宗室殿の秘蔵の茶入れ。なんぼ上様が御所望でも簡単に手離すやろか?それが、日向守殿の言われるおっきな謀ですか?」

 千宗易は目に見えて落胆した様子である。
 
 それでは全くの政の話で、宗室や光秀にとっては利になる話かもしれないが、己には大して面白い話ではないだろうとかなり臍を曲げているのが伝わってきた。

 「いやいや、楢柴肩衝程の名物を所有されておれば武力で奪い取ろうという輩はこれから沢山出て参りましょう。上様はいずれ九州も手中に収められる。その時では遅い。日の本一の権力をお持ちの上様に、今こそ自ら献上した方が良いと御理解頂ける筈。 」

 宗易は当人ではないから何とも言い様はなかったが、確かに光秀の言う事はもっともであるとは理解した。

 博多でも再三、大友宗麟から大金を出すから譲って欲しいと何度も請われ、断り続けるのが大変とぼやくのを宗室から聞かされていたからだ。

 金で買い取るなど良心的で、その気になれば武力で脅して奪い取るという方法もあるのだ。

 島井宗室が生涯所有し続けるのは困難だろう。

 いずれ信長は必ず楢柴肩衝を所望する。

 所望されて断れる筈はないのだから、己から献上して商売の庇護を求めた方が心象が良くなるのは確かだ。

 「そうやな、言われてみれば確かに説得したら意外と簡単に承知しそうですなぁ。ですけど儂にとっては持ち主が代わるだけの事ですさかい大しておもろない話です。」

 千宗易とて数多の武将に師事する身。
 武将や商人達にとって茶会がある意味政治の場となる事は受け入れてはいる。

 だが純粋に茶会の話で盛り上がっていたつもりだったのに、政めいた話に変わってしまい興醒めだった。

「話は勿論これだけではござらぬ。せっかくの名物献上なれば、その舞台を派手に設えたいと考えておるのです。」

 白けた場の空気を察して、すかさず興味を惹くような話に切り替える。

 「派手な舞台でっか?」

 「一流の茶人や大名、公家衆を招いての大茶会など面白かろうと思うのです。宗室殿には茶会にて楢柴肩衝を披露して頂く。皆が見守る中、献上されれば宗室殿の御名も高まるでしょう。某の考える茶会の目玉はこれだけではござらぬ。上様が所有される名物茶器の数々を、この機会に披露されては如何がかと申し上げて見るつもりでおります。名付けて、名物茶器揃えでございますよ。あっはっはっは!」

 生真面目であまり感情を面に出さず、戯れ言など言いそうにない光秀の快活な態度に、千宗易は目を丸くする。

 話を聞けば確かに面白い企てだが、島井宗室にも信長にも、まだ了承を得ていない点だけは気になった。

 「──えっええ─確かに確かに、それが実現したらおもろいとは思います。大茶会。ほんまに、楢柴肩衝だけでのう上様の名物まで一堂に介したら結構な見物やろうなぁ。あれですなぁ。御馬揃えやなしに、御茶器揃えですなぁ。」

 普段、茶の湯に関して侘びだの寂びだの言っているが、茶の湯は趣味で本業は堺の商人である。

 口先は軽く、生まれ持った気性は侘びしくも寂しくもなかったから、つい光秀に釣られて調子づく。
 
 茶の湯に対する美意識と独特の世界観を持ち、茶杓を手作りする程のこだわり振りだが、素直に天下の名物茶器は手に取り眺め、実際に使用してみたいと思うのが茶人の性。

 「もし、この茶会、無事開かれる運びとなりましたら、宗易殿にも御参加頂けましょうか?」

 「勿論でございます。参加するだけでのうて、儂からも上様や宗室殿に働きかけまひょか?ははは、確かに中々ええ謀でっせ!力になれる事があったら言うて下され。」

 すっかり乗り気になった宗易とは、和やかに世間話をして別れた。

 数日後、島井宗室から快い返事を貰い信長に伝えると、思った通り目を輝かせた。


 七日の私的な茶会は島井宗室は都合がつかなかった為、二十五日に坂本城に招く手筈となった。

 京の本能寺で茶会を開く事にした信長は、上洛を二十八日に決め、松井友閑から堺衆に書状が出され、三十八点もの信長秘蔵の茶道具を島井宗室に見せる事を約束した。

『三十八種!三十八種!凄い!何と豪気な──これは、素晴らしい茶会になろう。末代までの語り草よ!上手く事が運んだ!』

 とんとん拍子に話しが進み、光秀は小躍りした。

─────

 七日には予定通り、坂本城に津田宗及、山上宗二を招き朝茶会を催した。

 己に対する寵と、如何に畏敬しているかを見せつけるかのように、拝領した信長直筆の書を床に掛けた。

 茶室の間取りは床の前に貴人畳がある。

 畳には客畳、手前畳など、座る者の立場を表す名が付けられている。

 貴人畳とは主客が座る特別な場所。

 床に直筆の書を飾った事で、あたかも信長を招いているかのような心境となり、実際にこの場にいる堺の茶人二人を座らせたのは、ただの客畳だった。

 「ほお、こちらが上様の御直筆。達筆でいらっしゃいますなぁ。雄壮で剛毅な御気性その儘の筆致の中に、知性と優美ともいうべき細やかさも感じられる。いや、素晴らしい!」

 客の二人は城の主たる光秀を立て、更にその主信長の達筆さを褒めちぎる。

 あながち世辞でもなく、粗野で荒々しい印象とは裏腹に、信長の筆致は思わず見入ってしまう程に巧みであったのは確かだ。

 いよいよ茶会が始まると、炉にはこれまた信長から拝領の八角釜が据えられ、湯が沸かされる。

 「八角釜で沸かした湯で茶を立てて頂けば、さぞかし妙味でございまひょな。それにしても斯様な名物を上様から賜るやら日向はんの事、余程信頼されてるんやろうなぁ。」

 どんな釜で沸かそうと味に変わりなどなさそうだが、光秀は得意の絶頂だった。

 実は秀吉の大量の歳暮に対して、何と十二種もの茶器が下賜されていた。

『あの下品な鼠面が!名物を賜っても宝の持ち腐れじゃ。使い方も分かるまいに!家中で一番に茶会を開く事を許されたのは、この儂じゃ!』

 湯気が上る八角釜のように光秀の心は熱く沸き立つ。

 そして目の前にいる、当に二人の客人そっくりその儘、一月十八日に姫路城で開かれる秀吉の茶会に招かれているのは当然耳にしていた。

 その茶会に先立ち、拝領品二つを用いたのは無論意図がある。

 姫路城での茶会が、下賜された十二種の茶器を披露する為のものであるのは明白だ。

 そこに二人が招かれれば、秀吉は必ず坂本城での茶会の様子を聞いてくるに決まっている。

  秀吉に深い嫌悪を抱くようになってからというもの、まるで愛する者のように却ってその心情が分かり過ぎてしまい、時折吐き気を催す程だ。

『風向きは変わったのだ───』

 光秀は己に言い聞かせた。


 全ては順調で思惑通りに進み、温かな風がまた己を包み、勢い良く背中を押してくれるかに思えたのだが──

─────

「どうしても…か。」

 今や明智光秀にとってなくてはならぬ重臣、斎藤利三の報告に愕然とする。

「こちらには上様から頂いた四国は長宗我部の切り取り次第とする、という朱印状があるのだと、その一点張りで……」
 
 
 七日の茶会で高揚した気持ちが、再び奈落の底に突き落とされたような心境だった。
 
 四国の長宗我部に土佐と阿波半分の領有しか認めないという信長の決断を了承させる為に、石谷頼辰と斎藤利三の兄弟をして説得を試みているのだが、交渉決裂は最早決定的である。

 本来の領地、土佐と阿波の半国だけでは、力で切り取った領地は全て返せという事になってしまう。

 信長から賜ったものではなく、戦で勝ち獲って得たのだから断るとの一点張りらしいのだ。

 「もし従わねば攻め滅ぼされると言ってもか?この儘では軍を進める事になるのじゃぞ──それでもか?」

 光秀も乱世の武将、長宗我部の言い分も信長の言い分も、どちらの気持ちも理解出来る。

 約束を違えたと信長を責める事は出来ない。
 結局は強い者に従うしかないのだ。

 信長を説得し長宗我部に四国切り取りを認めさせるなど、毛利攻めを視野に入れれば、例え三好と秀吉を台頭させる結果になろうとも決して許せる事ではない。

 戦を回避する為には、長宗我部が折れるしかないのだ。

 斎藤利三の実兄、石谷頼辰の姓が石谷なのは、長宗我部元親の家臣、石谷光政が母の再婚相手だからだ。

 兄弟二人は長宗我部元親の義兄であると同時に長宗我部元親の家臣の義理の息子でもあった。

 やや複雑な縁戚関係である為、長く取り次ぎをしてきた石谷頼辰、斎藤利三兄弟の心境は複雑だが、どうしても交渉が上手くいかなければ戦もやむ無しと覚悟はしている筈だ。

 光秀は丹波平定後、大きな戦に携わっていない。
 長宗我部の討伐軍からは、明智は深く関わり過ぎた為、外される可能性は高い。

  外されないのも困るが家中一の軍団を従える身でありながら、戦働きをせずに馬揃えや茶会の手配など、まるで側近のような仕事ばかりで、近頃身も心も腐りそうだった。

 頭がきれる彼は吏僚としても優秀には違いないが、今の儘では無用の長物に成り下がるのではと危惧していた。

 毛利攻めでも四国攻めでも手柄を秀吉に掠め取られる上に、最も嫌いな相手の援軍としてのみしか用途がなく、駒として使われる屈辱を味わうやもしれぬ。

 定めた明智家軍法の最後に、『上様から莫大な軍勢を任されているからには、軍律を正さなければ国家の殻つぶしで、公の物を掠め取るに等しい。きっと周りに嘲られる事になるだろう。』と記したにも関わらずだ。

 「孫九郎(石谷頼辰)を四国に遣り、石谷光政を使って説得させよう。まだ諦めてはならぬ。」

 光秀は拳を握り締めた。

────

 二十五日、堀秀政を通して伊勢神宮の上部大夫が、三百年来途絶えた式年遷宮を執り行いたい為、費用を援助して欲しいと信長に願い出た。


 「如何程あれば足りるのか?」

 「千貫ございますれば...その他は勧進で賄えるかと……」

 いくら遷宮の費用でも、信長に直に費用の工面を依頼するのは恐ろしかったのか、遠慮がちに答える。

 「一昨年の石清水八幡宮の修繕も三百貫で済むかと思ったら千貫掛かった。此度もそうなって、民の負担になってはいかん。三千貫寄進しよう。」

 それ以上掛かるようなら、その都度申し出れば寄進してやるとの太っ腹な信長の言葉に感謝して、上部大夫は帰って行った。

 信長は翌日、乱法師に命じた。
 
 「乱、岐阜へ発て!」

 「はっ!!」

 色事と人の悪意には薄らぼんやりしたところがある彼だが、他の事には大人びた気働きと鋭い知性で反応が早い。

 彼は既に情報を得ていた。
 伴家の忍びから、武田の家臣木曾義昌が寝返ると知らされたのは昨夜。

 忍びの情報は何処よりも早かった。
 岐阜の信忠の元には知らされている筈だが、他の家臣にはまだ一切漏れていない。

 この時点で信長は二十八日の上洛を取り止める事を決めていた。
 だから乱法師を岐阜に遣わす事にしたのだ。

 表向きは以下のような理由だ。

 「岐阜城の土蔵に一万六千貫を入れておいた筈だが、綴った縄が腐ってしまうから綴り直して、遷宮に必要ならば、そこから銭を渡してやるように。」

  真の目的を知らなければ、少し首を傾げてしまうような使者の役目だ。

 指示の内容は、銭の穴を綴る紐が腐らないうちに取り換えろという、ただそれだけ。

 土蔵にある銭から三千貫持って帰ってくる訳でも、遷宮の費用の担当奉行として銭を管理する訳でもない。

 書状一つで済む話だ。

 上洛を二日後に控えた今、乱法師を使者として派遣しても怪しむ者は誰もいなかった。

────時は一日遡る。


 二十五日は博多の豪商で天下の名物、楢柴肩衝を所有する島井宗室を坂本城に招き、京での豪華な茶会の打ち合わせをする楽しい場となる筈だった。

 表には見せず殊更明るく振る舞う光秀の心は暗かった。
 
 四国の長宗我部との交渉がうまくいかないように、明らかに邪魔する者の存在を感じると、以前から交渉役の石谷頼辰が口にしていた。

 ひたすら讒言を繰り返す者の存在が、信長の態度を硬化させているのは歴然としている。

 信長の要求を素直に呑み、自分達の領土から撤退させるのではなく、交渉が決裂し攻め滅ぼされる事こそ彼等の狙いなのであろう。

 彼等とは無論、阿波や伊予の三好康長を始めとする四国の大名達。

 そして彼等を勢いづかせているのは、秀吉と息のかかった信長側近衆だ。

 「何と見事で美しい御城じゃ。安土の御城とはまた違った趣で美しい……琵琶湖の眺めも素晴らしゅうございますな。お招き頂いた事もそうですが、上様へ御取り次ぎ頂けるとか。真に忝のう存じます。こちらが楢柴肩衝にございます。どうぞ御手に取って御覧あれ。」

 白地に金襴、鉄線花と菱形の紋の袋の濃浅黄の紐を解き、楢柴肩衝を宗室が取り出す。

 目に入った瞬間、鬱々とした気持ちは吹き飛び、震える手で楢柴肩衝を取り上げると、無我夢中で賞玩する。

 肩衝にしては撫で肩で、濃い飴色の釉が掛り、口付きには筋が二つ入っている。

 特に印象的なのは、肩と腰部に近い辺りに二箇所、釉の掛かりが薄いところが何かの形のように見えるところだ。

 茶入れなので大きな物ではなく、高さは三寸足らず。

 手に取るとすっかり魅了され、一瞬この名物を手に入れたいという欲望が湧き起こり、馬鹿馬鹿しいと我に返る。

 「このような名物を御手に取られたら、さぞかし上様の宗室殿に対する御信頼は高まるでしょう。では、床の四方盆に据えさせて頂きます。」

  此度の茶会では風炉が置かれ、今度は信長から拝領の平釜が掛けられていた。

 「いや!これが上様から拝領された平釜でございますか?素晴らしい!」

 一月七日の茶会の時と同じような賛辞に光秀は満面の笑みで応える。

 だが心は空虚で、何故か満足感が全く湧いてこない。

『儂の望みは一体何なのか?真に見せたい物は平釜なのか?他に……と問われても何も思いつかぬ。上様が儂を深く信頼されている証ではないか……何故、今……心満たされないのか。己の城も茶器も手にし、様々な賞賛と賛辞に財力も軍団もある。この世の春ではないか。何故こんなに……』

 言い様のない迷いが心に生じ、何に惑うているのか分からず益々不安に押し潰されそうになる。

──気を取り直し思った。

『京での茶会を成功させねばならぬ──』と。

─────

 乱法師は中仙道を通り、岐阜城に向かっていた。
 安土から岐阜城までは往復四十里はある為、勿論一日で戻っては来れない。

 乱法師が使者、或いは信長の供として行くのは都から西方ばかりだ。

 金山城から安土に向かった時に通ったくらいで、久しぶりに故郷美濃の方角に向かう為、気分は高揚していた。

 道は多くの人が行き交い、商人が多いように思われた。

 道を通るだけで銭を支払うのでは物や人の往来が滞ってしまうと考え、織田家支配の領土の関所は撤廃されている。

 安土の城下町は楽市楽座で新参の商売人達が多く集まってくる。

 人も商品も銭も、関所の撤廃と座の廃止で潤滑に流れる様子が己が目で見て良く理解出来た。

 道を行く人々の顔は活気に溢れ、締め付けられた不満も、道々の治安に対する不安も感じられなかった。

『戦のない暮らしとは、こういうものであろうか?』

 今、目にする光景は日の本の一部だが、人々の顔に信長の治世の正しさを見出だし、天下が遍《あまね》く平定されれば、このような光景が当たり前のものとなるのだと確信した。

 いくら関所が撤廃されたとはいえ、怪しい者が入り込まぬようにと検問くらいはある。

 もっとも信長の書状まで携え、森家の鶴丸紋の入った羽織り姿の乱法師が、咎められる事は一切無かった。

 岐阜城を目にすると幼い日の記憶が甦ってきた。
 
  末弟の仙千代のように長く人質となった経験はないが、父が亡くなり兄が家督を継ぐにあたり、家族総出で信長に謁見した。


 その時に信長に頭を撫でて貰い、顔を上げると優しい瞳が見つめていた。

 今も自分に向けられる瞳は変わらず温かい──

 急峻な山に聳え立つ岐阜城は難攻不落であると同時に、嘗ての信長の居城らしく、魅せる城でもあった。

 特徴は山頂にも天守、山麓にも天主があり、音で聞くとややこしいが、字を変える事で目的を明確にしていたのかもしれない。

 山頂の天守はその名の通り軍事の為、山麓の天主は住まう場所である。

 信長自身は山頂の天守に住んでいたと仙千代が言っていた。

 信忠は山麓の天守にいる筈だ。

 人の背丈程もある巨石を脇に見ながら進むと、夢のように美しい御殿に辿り着いた。

 それは四層でありながら四階建てではない御殿だった。

 急な斜面に平坦な地を互い違いの階段上に作り、そこに御殿が四つ建っている。

 城下から見れば四階建てに見えるが、実際は四層に切り分けられ廊下で繋がる斬新な構造であった。

 庭園と池、それに小川が脇を流れ、建物の背後の岩盤から滝のように流れ落ちると水飛沫が上がり、真に目を楽しませる工夫が成されている。

 
 来訪を告げると即座に最も格式の高い広間の上座に通された。

 通常の使者である為上座にいるのは心苦しいと、下座に移動しようとしたところに信忠が飛ぶような勢いで入って来た。

 余程父親が怖いのであろう。

 名代として褒美を下賜する時のように格式張り、乱法師の前に平伏する。

 「中将様…此度は名代としてではなく、ただの使者として参りました。どうか御顔をお上げ下さいませ。」

 乱法師に言われ、顔を上げるとまじまじと見つめて言った。

「おお、そうであったか。して父上は何と?」

 乱法師は式遷宮の費用の依頼があった件をかいつまんで話し、岐阜城の土蔵の銭の縄を綴り直すようにという信長の指示をその儘伝えた。

「──?それで……つまり、今は結局──綴り直すだけで良いのか?」

「はい!左様にございます。」

 信忠は少し首を傾げた。

「父上は他には何か言っておられなかったか?」

「いいえ!それだけでございます。」

「……銭の縄を綴り直せという、ただそれだけを伝える為に、岐阜まで、わざわざそなたを遣わせたのか?」

 一瞬、父に試されているのかと不安がよぎる。

『銭をこっそり使い込んでいると疑われているのであろうか?それとも家中の者の不正の噂でもお耳にされたのか?』

 信忠の深読みは益々進んでいく。

「良し!これから、そなたの前で銭を数えて縄を綴り直そう。父上にしっかりと報告を頼む。」

 表向きの使者の役目も果たしているところを他の家臣達にも見せた方が良いと思い、素直に土蔵に従った。

 銭の数は帳簿と正しく一致し、問題無く綴り直され信忠は安堵した様子だ。
 すっかり乱法師の事を監査役か何かと勘違いしている。

 銭の数と帳簿が合っていた事と縄が綴り直された事は、信長に一応報告しようと思いながら信忠に囁いた。

「中将様にだけ御話ししたき儀があります。」

 二人は他の家臣を遠ざけ、書院で密談を交わした。

「父上にはもう御存じでいらっしゃったという訳か。これから使者を送り御指示を仰ごうと思っていたところじゃ。」

 木曾義昌の調略に当たっていた苗木城主、遠山友忠から寝返る意志は昨日伝えられたばかりで、信長が知ったのと殆ど変わらない。
 
 因みに木曾義昌は武田勝頼の義弟であり、武田勝頼の正室は遠山氏の血縁の娘を信長の養女として嫁がせ、更に信長の姪は遠山友忠の正室である。

 三家の縁戚関係は複雑に縺《もつ》れ合っていたのに、ほどけるのはいとも簡単だったようだ。

「上様は、二十八日に御上洛される御予定でしたが取り止めると仰せです。」

「つまり御出馬されるのじゃな。して、それはいつを御考えじゃ。」

「総大将と先陣については中将様にお任せすると。上様の御出馬は後にございます。出陣は、まず木曾義昌の内通の意志をもっとはっきりさせてからとの事です。」

「はっきりとは?」

 乱法師は微かに沈鬱な面持ちになる。

「一つは木曾義昌に人質を出させる事。もう一つは……木曾義昌の人質が処刑される事。」
 
 臣従の証として、家族を人質に出すのは戦国の習い。
 それ故に仙千代も岐阜城にいたのだ。

 小姓として仕える己も人質のようなものだった。

 木曾義昌は勝頼に長男、長女、母を人質として預けている。
 裏切りが知れれば処刑される上に、織田方からは新たな人質を要求される。

  寝返りは朗報だが、謀であった場合は挟み撃ちになる危険性もある。

「戦支度をしておけと。但し木曾の裏切りが武田に知られるのは遅ければ遅い方が良いですから、あまり目立たぬようにとの事です。主力は尾張と美濃の軍勢。上様の陣備えは後日、留守居役も含めて全ては二月になってからとの仰せでした。敵の動き次第ですが、木曾義昌から人質を取るのは二月一日、遠山の軍勢を向かわせ人質を受け取れと既に伝えてあります。遠山の軍勢の動きは勝頼のすぐ知れるところとなるでしょうから、人質はそれまでに救い出せねば処刑されます。」

 最後の言葉は、やや感傷的だったかと乱法師は思った。
 人質は処刑されても救い出されても、木曾義昌の裏切りの決意を強固にする。

 武田勝頼に裏切りが知れる前の時間は織田にとっては戦支度、木曾にとっては人質を救い出す為の猶予になる。

 「先陣は、そなたの兄と団平八に申し付けるつもりじゃ。いよいよ、武田征伐か!」

 「兄も平八も、先陣と聞けばさぞかし奮い立ち、お役に立ちましょうぞ。」

 そう言いながら、血の気の多い二人の事だから、張り切り過ぎて役に立つどころか足を引っ張るような真似をしないか不安になった。
 武田討伐の総大将として湧き立つ闘志を感じながら、信忠の顔が一瞬曇ったのは、勝頼の妹の松姫の身を案じたからかもしれない。

 それぞれが心に複雑な思いを秘めた儘、大きな戦が始まろうとしていた。

─────

 安土城に呼び出され、光秀は気が重かった。

 交渉が難航している事を伝え、長宗我部の処遇についての指示を仰がねばならぬと思っていたところ、先に呼び出されたからだ。

 足取り重く信長の前に平伏する。
 
 周りには側近も小姓もいない事を訝しんだが、その方が光秀にとっては気が楽だった。

『お人払いをされているのは、長宗我部とは別の用件であろう。』

 とは、当然考えた。

 「喜べ!木曾義昌が寝返った。」

 「おぉ、それは!。」

 光秀にとっても、それは朗報に違いなかった。
 
 「では?いよいよ、武田の征伐に──」

 と言いかけ、上洛はどうなるのだと不安になったところ、案の定信長が言った。

 「二十八日の上洛は取り止めじゃ!楢柴肩衝は武田が滅びるまで御預けじゃな。」

 常であれば素直に喜び、予定が変わった事など気にも止めなかっただろう。

  だが言いづらい事を腹に抱え、信長の機嫌を取る為の餌を無くし妙に心細くなる。

 逆にこうも考えた。
 今、信長の頭の中は武田征伐で一杯だ。

 ならば四国の件は後回しになり、まだまだ交渉を続けさせるか政策を転換させる機会もあり得るのではないか。

 甘い考えを巡らしていたところに鋭い問いが発っせられた。

 「長宗我部の件はどうなっておる?」

 まだ肌寒いというのに額に汗が滲む。

 「……それが…中々…その…」

 光秀の覚悟の無さが返答を歯切れの悪いものにした。

 覚悟が無いというのは、己は悪くないという思いと、悪くないのであれば誰が悪いと言う事の出来ない中途半端な心持ちの事だ。

 そして、歯切れの悪さを嫌う信長は明らかに苛立った。

 「貴様!中々とは何じゃ。長宗我部が要求を呑むか呑まぬか、どっちじゃと申しておる!」

 怒りの牙は光秀に容赦無く向けられた。

 「…はっ!それは…朱印状があり、上様に賜ったものではなく、己の力で切り取ったものを何故返さねばならぬのかと、頑固に言い張り…」

 「たわけがーー!!欲張るのも大概に致せ!真は淡路も平定され、三好が味方に付いた今、長宗我部など用済みなのじゃ!方々から悪い話ばかり耳にするのを聞き流してやっておれば良い気になりおって──」

 今度は歯切れ良く正直に言い過ぎて怒りに火を点けてしまったようだ。

 手近にあった梨地金蒔絵漆塗りで仕上げた豪華な高杯を、荒々しく蹴飛ばす。

 高杯は音を立て、光秀の傍らに転がった。

 「申し訳──申し訳ございませぬ。今、石谷と斎藤の兄弟で説得しておりますれば、今少しの御猶予を。」

 頭を床に擦り付けながら思った。

『儂は悪くないのに何故謝らねばならぬ。そもそも約束を違えたのは上様。儂には交渉を命じておきながら、筑前が阿波の三好を助けるのを平気でお許しになる──敵対する三好を積極的に支援するわ、約束を反故にするわ、そんな織田に従う気になる訳がなかろうが──』

 交渉を明らかに邪魔し讒言している者の存在は棚に上げ、己ばかりを責める姿勢に理不尽さを感じ歯を食い縛る。

 度々讒言を繰返すのは四国の大名達で間違いないが、裏で糸を引いているのが秀吉と知ったところで、下手に悪く言えない悔しさが込み上げた。

  信長からは、秀吉は中国で粉骨砕身し、毛利勢に対峙し必死に戦う健気な家臣に見えるのだろう。

 現状、戦に従事している者は明らかに有利だ。
 
 戦っている者は、吏僚に比べ己の働きを派手に誇示し易い。

 それに有力な側近衆を味方に付けているのだから、表でも裏でも彼を貶めるような発言は危険である。

 歳暮の行列は見え透いているが確かに効果はあったと認めざるを得ない。

 多くの家臣の中に埋もれるだけなら良いが、失態を犯した場合は大きな武功を上げるか、別の形で償うしかない。
 
 秀吉とて過去に失態は犯したが、持ち前の愛敬と武功で償っている。

 
 楢柴肩衝──

 茶会が武田討伐の後になったとて、己の立場を少しは有利にしてくれる道具とはなろう。

 だが、それは己の望む本来の形ではない。

 「日向よ!石谷に伝えよ!儂が支配を認めるのは土佐一国だけじゃとな!」

 非情な声が上から降ってきた。
 最初は土佐と阿波半国だったのを更に減らしたのだ。

 「しかし──それでは更に──」

 「黙れ!最後の猶予じゃ。木曾が寝返って良かったのぅ。そうでなくば、とっくに兵を進めているところじゃ!三好を四国に出陣させる。」
 
 「そんな...では私も四国に……」

 三好に長宗我部を討伐させるのかと思い嘆願した。

 「案ずるな!まだ猶予はやると申した。三好を遣るのは阿波を守らせる為じゃ!貴様は武田討伐の戦支度をせよ!」

 「はっ……では石谷には...そのように伝えまする。陣容はどのように?」

 「畿内の軍勢は儂と共に出陣じゃ!此度は城之助(信忠)が総大将を務める!先陣は尾張や美濃の若い奴等になるじゃろう!若者に手柄を立てさせてやらねばな!」

 甲斐や信濃からの距離を考えれば、尾張美濃の軍勢が主力になるのは当然である。

『武田討伐でも武功は期待出来ず、四国を討伐する際も軍から外され、九州にしか力を発揮する場がないとなったら己はまるで大宰府に左遷された菅原道真のようではないか。』

 従五位の下という官位と共に、惟任《これとう》という九州の名家の姓まで賜った時には誇らしかった。

 今となっては、運命を暗示していたのかと悪い方に考えてしまう。
 戦いで平定した者が、その領地を賜り治めるのが自然な流れ。

 今、己が畿内を掌握しているのは丹波丹後を平定した功績に因る。

  帝や信長の御膝元から近い丹波丹後、大和など国の中心地で大軍団を任されている事が誇りでもあった。

 国替えは誰にでもある事で、本領安堵の上、遠国の支配を任される。
 もしくは他の家臣に譲り渡され、完全に国替えとなる場合もある。

 いずれにせよ手柄を立てた上での事であれば領土は増えるのが常だから、遠国であっても一国一城の主になれた者には喜ばしいだろう。

 信頼されて任されるのと、使い途が他にないから回されるのでは、気持ちに大きな開きがあるのは当たり前。

 最悪九州に国替えとなっても初めて城主になり、心血注ぎ込んで普請した美しい坂本城だけは畿内の拠点として安堵して欲しいと願った。

────

 二月一日に苗木城主遠山友忠は軍勢を差し向け、木曾義昌から弟の義豊を人質として受け取った。

 裏切りはすぐに知れ、木曾義昌の長男千太郎、十三歳、長女岩姫、十七歳 母七十歳が新府城で磔に架けられ処刑された。

 勝頼父子、勝頼の従兄の信豊は一万五千の兵を率いて新府城から出陣すると諏訪上原に陣を敷いた。

 この動きに対して信長は、駿河の徳川家康、関東の北条氏政、飛騨の金山長近に出陣命令を出した。
 織田信忠軍は先陣として森長可と団平八が尾張美濃の軍勢を率い、木曾と岩村の両方面に軍を進めて行く事となった。

 それ以外の陣容は二月九日に朱印状で、畿内の軍勢は遠路であるから、少数精鋭で挑み兵糧が持つようにと発令した。

 
────
 
 さて、信長は家臣達に出陣を命じて己も出馬するつもりではいたが、それは少し先の事になる。

「はっは──そんなに慌てておったのか──銭はそっくりその儘あったのじゃな。やはり、遷宮の追加の費用の依頼があらば、岐阜から出させよう。岐阜城は特に変わっていなかったか?」

 軽く問いかけたものの、乱法師はそもそも岐阜城を良く知らないだろう事に思い至った。
 これが亡き父の可成であれば思い出は沢山あっただろうが。

 「岐阜城の事は幼き日の記憶にて、細かな変化には気付きませなんだが、御殿の美しさがこれ程であったかと…安土に参ります時に通った道は以前よりも整い、人の数も多いと感じました。道々この者達はきっと安土の城下町を目指しているのかと思うと楽しくなり、それに金山から参った時を思い出し、懐かしくなりました──」

  微笑みを浮かべた優しげな瞳と、天真爛漫な受け答えに気持ちが和らぐ。

 乱法師の目を通して見れば、同じ景色も彩り豊かで、何処か楽しげなのだろうかと思った。

「そうか、金山から来て、もう五年になるのか。早いものだ──」

 物腰優雅な佇まいの彼と過ごしていると、つい触れたくなり、艶やかな前髪に手を伸ばす。

「金山に帰りたいと思う事はあるのか?」
 
 我ながら聞いても仕方がない事を尋ねているとは思った。
 彼を慈しみ、側近くに置いておきたいばかりに金山に返さないのは自分なのに。

 そして返すつもりもないのに


「安土に来たばかりの頃は、懐かしく思い出す事はありましたが、今は文で様子を聞き、頭の内で思い描いて満足しておりまする。安土がすっかり私の故郷のようで、最初の頃は上様は恐ろしい方じゃと方々から噂に聞き、このように御情けが深い御方と知れば益々御側を離れたくないと存じまする。」

 健気過ぎる言葉の中には、本音が穏やかに散りばめられていた。
 
 やはり、生まれ育った城が懐かしいのだ。

「そなたから見て、どんなところじゃ。金山は?」

 何気なく、口にした言葉だった。
 話では聞いているが、信長も実際には行った事がなかった。

「安土の御城や岐阜の御城を御覧になられた後では格段に見劣りは致しますが、木曽川が近くを流れておりますので、物にはあまり不自由せず、海で捕れた魚なども食しておりました。堺や都の商人から、各地の噂話も良く耳に入り──」

 話の途中で信長に鼻を摘ままれた。

「それで、そなたは儂の恐ろしい噂ばかりを耳にしておったのじゃな!」

 鼻を摘ままれた儘、困ったように首を竦める。

 そんな様子を見て、ふと思い付いたかのように彼の髪を弄びながら呟いた。

「一度見てみたいのぅ。そなたの生まれ育った城を──」

────
 
 暦の変更を信長が武家伝奏の勧修寺晴豊を通じて朝廷に要請したのは一月の終わり頃の事。

 この時代には朝廷が定める宣明暦と地方で使われている、いくつかの暦があった。

 一つの国にいくつもの暦があったのだから今までにも問題になった筈だが、この年、特に大きな矛盾が生じ、濃尾の暦者が訴えた事が発端となったと云う。

 天下統一に向け、国の統制を考えれば暦の問題はその儘にしておく訳にはいかないと信長は考えたのかもしれない。

  現代は四年に一回、二月の日数を一日増やして調整するが、この時代は三年に一回同じ月を増やすという方法だったようだ。

 朝廷が定める宣明暦に対して信長が勧めたのは、三島暦という東国で使用されていた暦だ。

 信長にとっては三島暦の方が馴染み深かったのだろう。

 因みに、この年に暦の問題が大きく取り上げられたのは、三島暦では今年の十二月の後に閏十二月を入れるのに対し、宣明暦では翌年一月の後に閏一月を入れるというもので、元日が一ヶ月もずれてしまうという理由からだ。

 信長という恐るべき相手からの要請に、伝統と権威のみの脱け殻のような朝廷は慌てふためいた。

 暦を決めるのは長く続く朝廷の特権であり伝統である為、安土からの要請でも変える訳にはいかないとの考えが第一にある。

 一方、暦の変更に関しては、信長の考えでは伝統だからではなく、先ずどちらの暦が理に叶っているかが優先される。

 合理性を好み変化を厭わない信長は、朝廷を屈伏させたい訳でも権利を奪いたい訳でもなかった。

 問題が提議され議論され、古い物が淘汰され、新しい方向に変化していく、それだけを当初は望んでいた。
 
 ただ、そもそも朝廷の存在そのものが淘汰されるべき存在である可能性に、両者は気付いていなかったのかもしれない。

 「はてさて、公卿共は暦の事で大騒ぎよのぅ。」

 と最初は呑気に構えていたが、煮え切らぬ朝廷の態度に、白黒はっきり付けたくなる性分に火が点き、濃尾暦者の唱門師、賀茂在政と、都の土御門久脩とを呼び、安土で裁決させようとしたが決着が付かなかった。

 この結果により話が段々大きくややこしい事になってくる。

 近衛前久に都の暦仕者を招集して、糾明を行うようにと信長は命じたのだ。

 七名の暦仕者を召集し、糾明しても決着は付かなかった。

 というより、朝廷側の答えが常に従来の宣明暦通りであるのに信長が納得がいかなかったというのが正しいのか。

 変えたい信長と変えたくない朝廷。

 時の基準がまちまちでは人の生活に支障をきたす場合もあるという事と、時を支配するという意外と重い権利を水面下で争っていただけなのかもしれない。
 
 双方があれこれと正当性を主張した結果、勝負はもう少し先に持ち越される事になる。


────

 二月十二日に、総大将として岐阜から信忠が出陣した。

 十四日には岩村に到着し、先陣部隊の森長可、団平八と合流し布陣すると、信長から滝川一益、河尻秀隆、毛利河内守等が派遣された。

 これらの者達は、軍隊の目付け役であると同時に若い総大将を補佐する役も担っているのだ。

 十四日に信州松尾城主、小笠原信嶺が寝返ると、森長可と団平八が先陣をきり、木曽峠を越えて進軍を開始。


 甲斐の武田との戦いの火蓋がいよいよ切って落とされた。
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