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第10章 美しき使者

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 妻子を処刑された荒木村重は未だにしぶとく生き残り、伊丹城を捨てて逃げ込んだ城、尼崎城から更に逃げ、花隈城に立て籠っていた。

 花隈城攻略を命じられたのは古参の重臣、信長の乳兄弟池田恒興で、娘が長可に嫁いでいる事から森家と池田家は縁戚関係になっている。

 長可は恒興の事を「親父殿」と呼び慕っていた。

 池田家嫡男の元助、次男の輝政も出陣し、激しい乱戦の中、若年の兄弟は勇敢に戦い手柄を立てた。

 「池田の小倅共が良い働きをしたようじゃな!確か上の元助はそなたと同い年であろう?」

 信長が悪気なく側にいた乱法師に声を掛けた。
 森家と池田家が縁戚で仲が良いと思っているからだ。

 「真に──まだ、お二人共にお若いのにご立派な事にございまする。」

 同じくらい若い乱法師は動揺を見せず、最も信頼する側近らしく鷹揚とした態度で答えた。

 実際とても仲が良いのは確かで、幼い頃は互いの城に行き来があり遊んだ事さえあるのだから。

 池田家が統治する犬山城は尾張と美濃の境にあり、金山城からは木曽川を舟で行く事が出来る。

 木刀で打ち合ったり、城の虎口や物見櫓、米蔵で隠れんぼや探検をして遊んだ仲だ。

 確かに上の元助とは同い年。
 今でも会えば親しく言葉を交わすからこそ、手柄話を聞くと心安からぬ気持ちになってしまう。

 常に信長の側にいて、まるで己だけは別格と、安全な場所から同じ年頃の若者の手柄を評するのは妙な気分である。

 摂津の伊丹城詰めの番や、各地で続く陣中の検使役等、刃は交えずとも、せめて身体を使い汗水垂らし、もっと近くで戦に関わりたい。

 武将達の苦労を、もっと肌で感じてみたい。
 己だけ楽をして涼しい顔をしていると思われたくないのだ。

 「私も汗水垂らし身体を使い、戦場の苦労を味わいとうございまする。」

 「良い心掛けである。ぴったりの仕事があるぞ!」

 珍しく駄目と言われず瞳が輝いた。

──────

 それは土木工事だった。

 安土城の南に地面を掘って水路を作らせ入江を埋め立て町を作ったり、琵琶湖の岸には船着き場を何ヵ所か設ける等、大規模な工事が行われていた。

 期待していた「汗水垂らして身体を動かす」事とはかなり違うと落胆はしたが、元来生真面目な彼は前向きに受け止めた。

 何しろ坊丸、力丸を含む小姓衆、馬廻り衆も多く駆り出されていたからだ。

『斯様な時に上様の御側に儂ばかり残っていたら、それこそ涼しい顔をしてと思われてしまう。よし!汗水垂らして頑張らねば!』

 と、気持ちを切り替えているところ、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 「おや!お乱殿ではござらぬか。」

 振り返ってみると長谷川秀一が立っていた。
 正確には他に堀秀政、菅屋長頼もいたが、彼の目には長谷川しか映っていなかった。

 死ぬ程嫌な相手に会い一瞬顔色が変わったが、安土に来てから彼も成長したのだ。
 背丈と声だけが変わった訳ではない。

 「これはお竹殿。私は上様に工事に携わるように言われてこちらに参ったのでございます。」

 嫌悪感を隠し爽やかに答える。  

 「何と!何と!お乱殿が?我等に交じって汗まみれ土まみれになられると?信じられぬ。そなたは上様の御側で常に美しく着飾り、涼しいお顔をされているかと思っておりましたのに。」
 
 「上様の仰せなのですから存分に働いて見せましょう!さあ、奉行はどなたですか?」

 腹芸がただでさえ不得意な彼は、内心の苛立ちを隠しきれず長谷川の嫌味に言い返す。

 「儂と久太郎(堀)殿と九右衛門(菅屋)殿の三人でござるよ。上様御寵愛のお乱殿のありがたい仰せ、たっぷり働いて頂こうではないか。」

 長谷川が勝ち誇ったように言う。

 それを聞き死ぬ程後悔したが努めて平然と言い放った。

 「もちろん!私の持てる力を見せて御覧にいれましょう。何でも仰って下され。」

『小僧、強がりおって!お竹も大人気ないのう。』

 堀秀政は火花を散らす二人の様子に呆れ、どちらの味方をする訳ではないが、心根は善人なので助け船を出してやろうと口を挟んだ。

「お乱殿!では、儂の持ち場で手伝って頂きたい、堀割や埋め立ての指図を──」

「なーんと!指図などとは!せっかくのお力が発揮出来ぬではないか。儂の持ち場に来て下されば汗水垂らし、存分に身体を使って頂けますぞ!お乱殿、是非!是非!我が持ち場に!」

 堀の言葉を長谷川が強引に遮り挑発する。

 「もっっちろん!でござる!儂の力を是非とも、お竹殿の持ち場で発揮して御覧に入れようではないか!」

 堀はこんな分かりやすい挑発に引っ掛かる者がいるとは思わなかったから、乱法師の言葉を聞いて愕然とした。

『何と愚かな小僧じゃ!兄の武蔵守と中身は変わらんな。やれやれ。』

 対抗心を剥き出しにし、頭に血が昇っている彼に何を言っても無駄と諦め、堀秀政は肩をすくめ首を振り振り行ってしまった。

 頭にはきりりと鉢巻き、たすき掛けもした。

 命じられたのは堀割で掘った土を使い、田を埋め立てるという作業だった。

 「ここを埋め立て、バテレン達に屋敷地としてお与えになられるとの事。大事な作業じゃ!お乱殿頼みましたぞ!」
 
 
 馬廻り衆や小姓衆も駆り出されていても重臣の子弟が多く、汗水垂らして土運びというより、下級武士に指図をしたりするのが彼等の役目である。

 下級武士に混じり土運びまでする彼の姿は明らかに浮いていた。

 一心不乱に土運びをしていると、またもや聞き覚えのある声が話し掛けた。

 「……お乱殿?このような所で何をされているのですか?」

  少年の細い声音に振り向くと、そこにいたのは二歳年下で同じく小姓の小倉松寿であった。

 父の小倉実房は六角氏に攻められ、元亀元年、乱法師の父可成と同じ年に自害して果てた。

 乱法師と松寿が何処か似た境遇なのはこれだけではない。
 松寿の母は実房の死後、信長の側室となり「お鍋の方」と呼ばれ、信長の子供、二男一女を産んでいる。

 つまり二人は信長の閨房を通して繋がっているのだ。
 
 側近達の間には、それとなく派閥がある。
 派閥というと大袈裟だが、要するにウマが合う合わないだ。

 母が側室なので松寿にとって信長は義父となり、信長の子息の兄上様となる。

 二人とも特殊な立場故、遠巻きに扱われている感があるからか、松寿が乱法師を慕うようになったのは自然な成り行きだった。

 「土を運んでおるのじゃ!松もか?」

 「いいえ、私は……お乱殿が?自ら?」

 周りを見回すと菅屋長頼の伜の角蔵や金森長近の嫡男、義入、他に美濃の久々利城主、久々利頼興の伜亀千代等、小姓達が指示を出す姿が目に入った。

 久々利頼興は美濃で力を持つ森家の家臣扱いなので亀千代も乱法師派の小姓である。

 「儂とて常に上様の御側で涼しい顔をしておる訳ではないのじゃ。」

 ちらっと長谷川の姿を探すと、長谷川派の小姓、梁田河内守と話をしていて、こちらには気を配っていないようだった。

 ムキになり慣れない作業に熱中し過ぎて疲れたので、松寿を誘って一休みする事にした。

 「ふぅー疲れた。」

 春の陽射しは温かで、身体を動かすのが好きな乱法師の気分は、長谷川の事さえ考えなければ爽快だった。

 松寿が気を遣い水の入った竹筒を差し出してくる。
 つぶらな黒々とした小動物のような瞳が心配そうに見つめていた。
 
 竹筒を受け取る時、松寿の中指に触れ一瞬胸がときめき慌てて目を逸らす。
 
 「最近……どうじゃ?」

 湧き上がった疚しい感情に戸惑い、何を聞きたいのか分からぬような問いを投げかける。

 「特にこれといって……私は大丈夫ですが、お乱殿は?土運びは、まさか──」

 つぶらな瞳が長谷川の方を探るように泳いだ。

 「儂がやりたいと申したのじゃ!」
 全くその通りだったので力強く言い切る。

 「なら良いのですが。お顔の腫れは、すっかり引かれたのですね。良かった。」

 確かに信長に殴られた顔の腫れと痣はとっくに良くなっているが、何故今更と訝しく思った。

 松寿は乱法師の雰囲気を察し話したものかと思案し、声を潜めた。

 「梁田殿にしつこく聞かれたのです。」

 梁田の名前が出て察した。

 梁田河内守は長谷川派の小姓であるから此方の弱味を探らされていたのだろう。

 せっかく身体を動かし松寿と話して心安らいだのに、靄々とした鬱憤が再び溜まってくるのを感じた。

 目の前に影が出来たので顔を上げると、長谷川が薄ら笑いを浮かべて立っているではないか。

 「おやおや、もう休憩とは。致し方ないのですかなぁ?やはり上様の御側で涼しいお顔をされているのがお似合いなのでしょうなぁ。所詮、我等に交じって汗水垂らして働くなど馬鹿馬鹿しゅうて、早くも高見の見物ですかな~?」

 キレのある嫌味が長谷川の持ち味だ。

 「やれやれ!お竹殿の目は節穴ですか?儂が休んでいるように見えるなど。笑止千万!暫し皆の様子を見ていただけでございます。まだまだ、これからこれから!儂の真の力はこれからじゃ!節穴でなくば、その目を開けて篤と御覧じよ!」

 威勢良く啖呵を切ったように見えるが、単に分かりやすい挑発に再び頭に血が昇っただけで、鼻息荒く作業に戻ろうとする。

 「お乱殿……」

 慌てて松寿が声を掛けるので振り向くと、懐から手拭いをさっと取り出し、「お顔に土が……」と言って、顔の汚れを優しく拭ってくれた。

 またもや頭に逆流しかけていた血の流れが、ふわんと和らぐのを感じた。

 黒曜石のような瞳から視線を逸らし気合いを入れて土運びを再開すると、傍らに松寿が来て、何も言わずに土運びをせっせと手伝い始める。

 思わずはっとして顔を向けると、こちらを見てにっこりと花が綻《ほころ》ぶように微笑む。

 身体が妙に火照るのは怒りのせいなのか土運びのせいなのか、はたまた松寿のせいなのか分からなくなっていた。
 
  長谷川の持ち場にいた下級武士だけでなく馬廻り衆や小姓衆達も戸惑い、恐れおののいた。

 信長の性格は短気で性急、そして異常なまでの成果主義である。
 工事を早く終わらせれば当然喜び、遅いと判断すれば叱咤されるのは分かりきっている。

『お乱殿にまで直に作業をさせるとは。余程上様は埋め立てを急いでおられるのか。』

 皆がそう思い必死に土運びをし始めたので尋常ならざる程作業ははかどった。

──── 

 「随分、竹(長谷川)の持ち場は作業がはかどっておるようじゃな。早く埋め立てが終わればバテレン共も喜ぶであろう。さすがは竹じゃ!手際が良い!」

 結論としては長谷川秀一の手柄になったという訳だ。
 
 「上様、バテレン達は賜りました地に教会を建てるのでしょうか?」

 そういえばバテレン達は土地を与えられて一体何を建てるつもりなのかと気になった。

 「セミナリヨと申していたな。」
 「せみなりよ?とは何でございますか?」

 「神の教えを更に人々に広める者達を育てる場じゃ!バテレンを作る学校という事じゃ。」

 つまり神学校を建てるというのだ。

 キリシタン大名である高山右近が治める高槻では改宗する者は数多く、神学校が各地に建てられ、宣教師が育っていけば益々キリシタンは力は増すように思われた。

 仏教勢力が強い都での迫害を恐れ、庇護を求めて安土に建てる了承を得たのだ。

 信長からすれば仏教勢力に対する牽制にもなる。

 改宗するつもりは全くないが、バテレン達の熱心さと情熱にはほとほと感心する。

 この国の僧侶達が忘れてしまった神に対する純粋な信仰心と、人々が救われる事を心から願う、聖職者としてのあるべき姿に対してだ。


 「私は本日も埋め立て作業に携わりとう存じまする。」

 願い出ると今度はあっさり却下された。

 「もう良い!そなたにはそなたの務めがある。作業は他の者に任せておけ!」

 心の中に松寿の顔がふっと浮かんだ。

──────
 
 信長が良く口ずさんだと伝わる小唄の中に、あまり知られていないものもある。
 
  良く知られているのは『死のうは一定』の小唄や、幸若舞の『敦盛』の一節、乱法師に与えた名刀『不動行光』の自作の唄だろうか。

『人の若衆を盗むよりしては首を取らりよと覚悟した。」
 この唄も機嫌が良い時に好んで口ずさんでいたと伝わるものだが、周りで聞いていた家臣達は、どうやら心穏やかではなかったようだと「犬つれづれ」に記されている。

 小唄の意味は、このような物だとか。
 
 (人の若衆(男色相手の少年)を寝盗ってしまったからには首を取られる事も覚悟した)

 男色の絆は強いから恋人を寝盗ろうと思ったら命賭けという意味だが、逆に言えば手を出したら只では置かぬという意味にも取れる。

 或いはそのような真似をした事された事が過去にあったのか、今日も信長は機嫌良く口ずさんでいた。

 この時代の上臈達(身分の高い女性)は顔を隠すのが常である。

 片や男達は顔を曝し様々な場所に出向き人と接する。
 
 男色の絆は強かったが、浮気をしようと思えばする機会は数多くあったようで、身分や立場が下である事が多い少年側の浮気の逸話も残っていたりする。

 美少年達は念者がいると分かっていても、思いを寄せられ誘いも多かった。

 だが乱法師は全く言い寄られた事がない。
 宣教師ルイス・フロイスの言葉を借りれば、皆が『狂暴な獅子』の如く恐れている信長の寵童に手を出そうとする愚か者などいよう筈がなかったからだ。

 そして乱法師は自ら恋をした場合、成就させる方法を知らなかった。

 強引に帯を解かれ、秘奥に隠された、まだ固い悦楽の実を無理矢理解され、いつの間にか権力者の閨に身を供していたのだから。

 美少年にありがちな、性に関して受け身で奥手な彼は、少しぼんやりと鈍く、激しく性急な信長に鷹が空から獲物を狙うように、身も心も啄《ついば》まれてしまったのだ。

 彼の心を波立たせる信長の存在はあまりにも大きく、松寿に仄かなときめきを感じても、信長との情愛に比べればさざ波のように淡く、まるで幼子の恋に等しかった。

─── 
 各地の戦況は順風満帆で、羽柴秀吉も播磨但馬の両国を平定し、柴田勝家からも加賀平定との喜ばしい知らせが相次いでいた。

 そんな折の事、河内長野にある由緒正しき金剛寺から献上品が届けられた。

  天野山金剛寺、宗祖はかの有名な空海と伝わり、本山は京の御室仁和寺である事から宗派は真言宗御室派となる。

 同じ真言宗でも本山が醍醐寺であれば真言宗醍醐派となるが、教義に特別な違いがある訳ではない。

 ほとんどの仏教宗派は女人禁制、女犯を禁じているが、一向宗は妻帯を許し、天野山金剛寺は高野山と異なり女人の参拝を許していた為、女人高野と呼ばれていたのだとか。

 ただ真言宗の教義では、この時代の仏教らしく女犯はやはり禁じられていた。

 乱法師は奏者番として献上品名を読み上げ、金剛寺から贈られた物として披露した。

 品物は酒樽と酒の肴。

 「天野酒か!金剛寺に礼状を出そう。」

 信長は酒好きという訳でもないが、飲めばそれなりに飲めるし決して嫌いな訳ではない。

 戦に明け暮れ陣中にいる事が多かった為、敵に対する用心として自ずと慎むようになったのだ。

 では何故酒が贈られてきたかというと、金剛寺では『天野酒』と呼ばれる世にも名高い美酒が造られており、様々な珍味に肥えた権力者達の舌を唸らせる程の味わいだったと云う。

 酒を造る環境として寺院は最適で、他の名だたる寺院でも名酒が造られ、総称して『僧房酒』と呼ばれていた。

 黄金色でまろやかな甘味と、女子供も好みそうな癖のない口当たりで、一口呑めばまた更に進み、五臓六腑に染みわたる旨さでなのある。

 舌でじっくりと味わうのも良いが、ぐいぐい飲んでも悪酔いせずに楽しめる。

 そんな信長も好む名酒をせっせと献上したおかげで、金剛寺は破壊されずに済んだと伝わる程だった。

 礼状を佑筆に書かせると乱法師に命じた。

 「乱、礼状を持って金剛寺に行け!品は有り難く受け取ったとな!」

 「はっ!」

   「河内までは少し遠いから気を付けて行って来るのじゃぞ。」

 「はい!一日で戻って参りまする。」

 信長は満足そうに頷くと、愛し気に彼を見て念を押すように付け加えた。

 「美々しゅうして行け。」

 名代として礼状を携えて行くのであるから身なりを華やかにするのは当然と思い素直に受け止め、翌日天野山金剛寺に向けて出立した。

  美々しい装いでと言われ悩んだが、純白の綸子に扇模様、模様の中は鹿の子絞りで色とりどりの花の刺繍、安土桃山時代に愛された辻が花染めで木々や実までが藤色、水色、若葉色で鮮やかに染め抜かれた小袖を選んだ。

 肩衣には森家の鶴丸紋、袴共に萌黄色である。

 安土桃山時代の小袖の柄や色は、男性が身に付けるものでも大変華やかで、片身変わりは着物の身頃の左右で柄を変え、肩裾は肩と裾に柄をあしらったものを言う。

 段々模様とは市松模様のような四角に様々な柄を入れるのだが、一枚の着物の中に刺繍や縫い箔、刷り箔、辻が花染めに鹿の子絞りとふんだんに技法を多用している物も多く見られた。

 そして紅が男性にも好まれ良く用いられていたようだ。

 男性の着物ですら派手な色使いなのだから女性は更に艶やかだが、此度選んだ装いは彼が身に纏うと姫君と見紛うばかりの麗しさだった。

 河内長野にある金剛寺は、安土からだと直線で十五里程の距離にある。

 道は整備されているので安土の城下町を抜ければ馬を駆って行けるだろう。

 若い乱法師であれば休憩しながらでも一日で行って戻って来られる。

 森家から護衛の侍を一人随え、馬を駆った。

 空は雲も少なく青々として、雨が降る兆しはない。

 途中で馬を休ませたり並足で進ませ道々の景色も堪能したが、それでも巳の刻頃には金剛寺の門前に着いていた。

 さすがに歴史ある古寺という風格と荘厳な静けさ、禁欲的で清らかな空気が漂い、信長の名代であるという役務に、生真面目な彼は身が引き締まる思いがした。

 寺の門を潜り抜け、安土から使者として参った旨を庭にいた坊主に告げる。

 「お、おぉう、うっう、は、はいーー」

 坊主はこちらを暫く凝視すると慌てふためき、鬼から逃げるように走り去った。

 「・・・・・・」
 
 酷い慌て振りに唖然とし、口を開けた儘立ち尽くす。

 逃げ去る後ろ姿を追いながら、ちゃんと用件を伝えて貰えるのかという危惧と共に、あのように驚いたのは信長の使者と告げたからであろうかと首を傾げた。

 坊主が走り去ってしまったせいで案内もされず、真に無礼極まりない態度とはいえ、礼状を携えた名代として怒る訳にもいかず勝手に奥へ進む事にした。

  参道の脇には小川が流れ、せせらぎの音が静寂の中に微かに聴こえ、初夏の陽光で鮮やかな緑の葉が透けて見える。
 
 そよ風が木々の枝を揺らすと若葉の音がさわさわと鳴り、頬を撫でる風の心地好さに目を細めた。

 全くもって神秘的且つのどかな風情に腕を大きく広げて深呼吸し、清冽な空気をいっぱいに吸い込む。

 三日くらい泊めてもらい、のんびりと境内を散策し、美酒を思う存分味わいたいところだ。

 金剛寺には多くの見所がある。
 四季折々の彩りが楽しめる素晴らしい庭園、見事な大日如来像、歴史ある貴重な宝物等々。

 「その昔、主上(天皇)も行幸され、この寺を仮宮にされたそうじゃ。月を御覧になられたとか。」

 清々しさに和み供の侍に声を掛ける。

 「帝の御名は何と申されるのですか?」

 「確か、うーん……」

 帝の名を思い出そうとしているうちに、楼門に着いたので潜り抜ける。


 「う、うふぁーーあ、はあはあ……はぁふーー」

 先程の坊主よりも明らかに高位で、しかも年老いている僧侶が三名慌てて走って来て、乱法師の前で荒く息を吐いた。

 「・・・・・・」
 
 乱法師は口を開いた儘言葉が出てこなかった。

『ここの僧侶達は皆このように落ち着きがないのか?安土からの使者の来訪に怯えているのであろうか?』

 信長の今までの神社仏閣に対する所業の数々を思えば無理もないが、下っ端の坊主であるからと思っていたら、格も年も上の僧侶もこの有り様かと流石に呆れた。

 先程までは寺の荘厳さ、自然の美しさに心洗われる思いで実に爽快だったのに、今や心は冷え冷えとしていた。

『気の短い兄上ならば、僧侶達の首は疾うに飛んでおるであろうな。』

 並外れて血の気の多い兄の事を思い出し可笑しくなった。

 「うぅ……お、御使者殿、こ、これは、はぁはぁ、何と勿体ない、私は……ごほっごほぅ、上座(じょうざ)の准慶、こちらは寺主(じしゅ)の栄覚、そして都維那(ついな)の浄雲でございます。以後、お見知りおきをっほ、げふぅ。」

 「・・・・・・」

 今度こそ完全に言葉を失う。

『この者達が歴史ある金剛寺の三綱(さんごう)じゃと?』

 三綱とは分かりやすく言えば、寺を管理統括する上位三名の僧侶の事である。

  何よりも驚いたのは、先程逃げ去った下っ端の坊主だと思っていた者が都維那(戒律などを監督する者)だと知ったからだ。

 だが己は主の名代として礼状を持参した身である。
 こちらの立場が上であっても非礼があっては断じてならぬと気を取り直し、凛とした面持ちで名乗った。

 「此度は金剛寺様よりお贈り下されました品々に対し、主の信長より礼状を預かって参りました。私は近習の森乱成利《もりらんなりとし》と申しまする。以後、お見知りおき下さりませ。」

 「ぬふうほーーう。」

 都維那《ついな》の浄雲が妙な声を発したが、敢えて視線を合わせないようにし他の二人を見て返答を待つ。

 「森様……では、こちらへ……ご案内仕まつりまする。」

 心なしか上座と寺主の顔が火照り、瞳が異常な程潤んでいるように見えた。

 肌が粟立つような不気味さに、先程まで青々と澄みきっていた空までが、くすみ曇ってきたように感じた。

 金剛寺の境内は、かなり広大だ。
 大日如来像のある金堂、薬師堂の裏には古よりの杉の大木、南北朝時代の後村上帝が月を眺める為に造られた観月亭。

 案内されたのは上客用の客殿であった。
 客殿に移動するまでの間に寺の僧侶達が後をぞろぞろと付いてくる。

 やたらと奇声を発する都維那《ついな》の浄雲がしっしっと、彼等を追い払おうとするが、熱に浮かされたように潤んだ瞳で、まるで魑魅魍魎のように増殖していく。

 
「茶を運ばせますので暫しこちらでお寛ぎ下さいませ。」

 寛ぐような心地には到底なれなかった。

 何しろ襖の隙間、外に面した障子には穴が開けられ、僧侶達がへばりついて中の様子を伺っているのだから。

 それだけではなく、僧侶達の視線は明らかに彼の頭の天辺から爪先までをじっくりと眺め、なめくじが身体中を這い回っているような気味の悪さだった。

 「お……御使者殿は……随分お、お若くていらっしゃるようですが、おいくつでおられるのですか?あ、これはし……失礼な事を……」

 上座《じょうざ》の准慶が頬を紅潮させ興奮気味に尋ねる。

 初っ端から失礼極まりなく、今も不快さはどんどん増すばかりだが、己を取り囲むなめくじのような視線を一瞬でも忘れたいと思い、気持ちを奮い立たせ答えた。

 「十六歳でございまする。」

 「ぬぉー-うっひょひょひゅーひゅー」

 今度は都維那だけではなく、襖や障子にへばりついている僧侶達、上座、寺主までが目を輝かせ奇声を発し膝を叩いた。

 この寺から早々に立ち去りたくて堪らなかったが、茶の一杯も飲まずに辞しては感じが悪いと拳を握り締め耐えた。

 待ちに待った茶が運ばれたので一気に飲み干す。
 口の中がひりひりと火傷して痛んだ。

 「では、用が済みましたので私はこれにて……」

 「ああいやぁーーい!待たれよ!御使者殿!」

 辞そうとする彼を気合いを入れて制したのは寺主の栄覚だった。

 「せっかく遠い所までわざわざお運び頂いたのです。ここには様々な宝がございます。帝の居られた玉座や観月亭。是非お見せしたいのが神々しい大日如来様、立派な杉の大木、素晴らしい屏風絵。奥殿に向かう渡り廊下から見える庭は美しく、残念ながら桜は疾うに散ってしまいましたが、今は緑が青々と鮮やかで、それはそれで見応えがごさいます。森様がお座りになり御覧になられるのでしたら、般若湯《はんにゃとう》をお持ち致しましょう。」

 「般若湯?」

 意味が分からず首を傾げる。

 「酒の事でございます。」 

 寺主が乱法師にこそっと耳打ちした。

 酒造りが盛んだったくらいだから、当然僧侶達は酒を飲んでいる。
 しかし僧侶には戒律があり、酒を飲むのは表向きは禁じられている為、般若湯と隠語を使っているのだ。

 寺主の適度に世慣れた話し口調に少しほっとした。
 奇声を発する坊主達や辿々しい上座のような怪しさはないようだ。

『せっかく来たのじゃ。上様に土産話の一つも持って帰らねば。何も見ずに帰って来たなどと申さば興醒めであろう。帰ろうと思えばいつでも帰れる。』

 そう思い直し、寺主に境内を案内して貰う事にした。

 それにしても相変わらず坊主共は後からぞろぞろ付いて来る。
 なめくじのような視線は変わらず、項の辺りが総毛立つ。

 薬師堂の裏の杉の木に手を当てると、樹齢を重ねた大木から力が流れ込み体内が浄化されるようだった。

 後村上帝が月を眺めたという観月亭にも立ち入らせて貰い、雪見をしながら月を眺め、天野酒を呑んだらさぞ旨かろうなどと夢想する。

 金堂に移動する際空を見上げると、やはり気のせいではなく少し陰ってきていた。

「少し曇って参りましたかな?他にも門外不出の秘宝がございまして中々人にお見せ出来るものではないのですが、貴方様のような御方には是非御覧頂きたい。」

 庭が見える廊下に座を用意されたので、名高い庭園を眺めていると、僧侶達が『般若湯』と呼び習わす天野酒が運ばれて来た。

 全く気味の悪い坊主達と最初は不快で仕方なかったが、金堂の大日如来像は噂に違わず素晴らしかった。

 金色に光輝く像は彫の巧みさに加え、一丈(約三メートル)くらいはあろうかという巨大さで圧倒された。

『上様に良い土産話が出来た。まだ更に秘宝があるのか。中々拝めぬとあらば、是非とも目に焼き付けておかねばなるまい。』

 すっかり美しい庭園と美酒にほろ酔い、秘宝が運ばれてくるのを胸踊らせて待つ。
 
 運ばれて来たのは六曲一双の屏風であった。

 『日月山水図』、その名の通り雄大な自然が描かれており、太々しく力強い筆致は、間近で見ると目の前に迫ってくるような躍動感がある。

 夢中で見入っていると寺主が説明してくれた。

 「私共も見事な屏風絵と思い秘蔵しているのですが、誰が描いたものかは正直分からないのです。ただ見つめていると素朴で深遠な自然の風景の中に、仏の教えにも似た真理が見えてくるような気がして参ります。その為、この屏風を寺での儀式の際に仏具としても使用しているのですよ。」

 「ほお……仏具として。どのような儀式でございますか?」

 この寺に来て、やっと僧侶と会話をしているという厳かな心持ちになり思わず尋ねる。

  「灌頂 《かんじょう》という儀式は御存知でございますか?」

 「概ねは──詳しく作法などは存じあげませぬが。」

 「御存知ないのは無理もございませぬ。灌頂には様々な種類がございますので。」

 灌頂とは、正式に僧侶になる時や、どの仏に守り本尊になってもらうかを決める時に行う、細かい手順を設けた重々しい儀式の事である。

 儀式の内容は、例えば頭の上から水を注いだり、目隠しをして曼陀羅の上に華を投げたりするのだが、簡単に済む事を回りくどくする事で、受ける側は何だか有り難いような、清廉な気持ちになるのだ。

 「貴方様のような御方に、是非お教えしたい灌頂がございます。」

 外でぴかっと稲妻が光った。

 「その儀式でこちらの屏風を使われるのですか?さぞや厳かな式なのでしょうな。」

 「稚児灌頂と申しまする。」

 寺主の目がぎらっと光ったように見えたのは雷光のせいなのか。

 「雨が降って参りましたな。止むと良いのですが。」

 「一先ず中にお入り下され。通り雨であれば、すぐ止みましょう。他にも滅多に人に見せた事のない秘宝もございます。」

 「稚児灌頂とは、どのような儀式なのですか?」

 若い好奇心が掻き立てられて仕方がない。
 先程の屏風絵は素晴らしく、まだ門外不出の秘宝があるというのだから。

 「稚児(寺の場合は剃髪していない少年)は灌頂を受けると、観世音菩薩の化身となり、慈悲をもって一切衆生を救う存在と成り得るのです。非常に有り難い儀式でございますので、稚児の作法、僧侶側の作法が細かく決まっておりまする。稚児灌頂を受けて初めて稚児は僧侶の煩悩を受け入れ、その炎を消し去る事が出来るようになるのです。」

 「観世音菩薩となり煩悩を消し去るというのは具体的にはどのような?稚児にそのような得を授ける事が可能なのでしょうか?」

 無論、生身の人間が観世音菩薩となるというのは仏教的な表現と思われるが、修行を積んだ得のある高僧が衆生を救うというなら話は分かるが、剃髪もしていない稚児が一体どのような方法で僧侶達の煩悩を消し去る事が出来るというのか。

 寺主の顔は乱法師との会話ですっかり興奮しているのか、頬を紅潮させながら答える。

 「僧侶の無明火《むみょうか》を、稚児の法性花《ほっしょうか》にて消し去るのです。」

 「無明火?法性花?」

 全く意味が分からず美しい瞳を瞬かせ、無邪気に首を傾げる。

 「言葉では中々ご理解頂けないかと存じまする。今からお持ちする書物は秘宝中の秘宝。あまりにも貴重で有り難いものですから、他の寺からも譲って欲しいと言われるのですが、これだけは譲れませぬ。何度も申し上げますが、僧侶以外の方にはお見せした事はないのです。貴方様は我等にとっては特別な御方でございますから、書物を見ながら先程の言葉についてご説明致しましょう。」

 重々しい寺主の話し振りに期待は嫌が上にも高まる。

 外の雨が激しくなってきた事と、障子の外から様子を窺う僧侶達の不気味さは気になるが、何としても秘宝中の秘宝とやらを目に焼き付けて帰りたいという気持ちが勝った。
 
  書物が運ばれてくると、寺主や上座、都維那の目が一層爛々と輝き出したように感じた。

「どうぞ、開いて御覧下さいませ。」

 胸踊らせ書物を早速開いてみる。

『一体どのような書物なのか。しっかりと目に焼き付けて──ん?棒──?』

 文字だけと思っていたら意外な事に挿絵入りであった。
 
 僧侶と稚児が向き合い、お互い棒を持っているように見えた。
 稚児灌頂とやらの儀式をしているところなのか、二人は素っ裸だ。

 良く良く見ると、棒と思った物はそそり勃つ男根であった。

 「・・・・・・・・・・・・・」

 裸の稚児は両脚を大きく開き、意外と立派な男根が棒のように勃っている。
 対する僧侶の男根も棒のように固く勃ち、誘うように脚を広げる稚児の肛門に今しも挿れようとしている絵図であった。

 口を開け呆然とする彼の肩に、寺主はさりげなく手を置き、口中が渇くのかしきりに舌で唇を舐めながら説明を始めた。

 「これは、我が寺に古くから伝わる稚児之草子という秘本にございまする。(本当は京都醍醐寺が所蔵しています。)これが無明火。そして……こちらを法性花と呼ぶのでございます。」

 寺主は僧侶の男根を指し無明火と言い、稚児の肛門にねっとりと指を触れ法性花なのだと教えた。

 「僧侶の無明火(男根)を稚児の法性花(肛門)が受け入れ、稚児の仏性が開顕《かいけん》されるまでが稚児灌頂なのでございます。」
 
 兄の長可であれば間違いなく即座に坊主共の首を悉く刎ねているだろうと思った。

 そして兄だけでなく彼の主も大方そのような人柄で、極めて血の気の多い者が二人も身近にいる乱法師なのだが、あくまでも名代として感情を抑え込み平静を装う。

 「大変貴重な物を拝見し、楽しい時を過ごさせて頂きました。帰りが遅くなっては主に叱られてしまいますので、私はそろそろお暇つかまつ……」

 そう言いながら障子を開けた。

 どドっドびしゃードーどっドっぶしゃっードど---びちゃっぶしゃーードドー

 いつの間にか外は滝のように叩きつける水飛沫で、視界が遮られる程の豪雨であった。

 己の怒りに身を任せてしまえる兄を、今程羨ましいと思った事はない。

 だが彼は兄や主と違い、周りの迷惑も後先も考えずに激昂し、人を叩っ斬ったり出来る人間ではなかった。

  雷鳴が轟き、僧侶達の顔を不気味に照らし出す。

 「これはこれは。いつの間にかこんなに雨が。このような中、大事な貴方様にお帰り頂く訳には参りませぬ。今日はこちらにお泊り下さいませ。存分にお持て成し致しまする。」

 そう、猫撫で声で宥める。

 死ぬ程帰りたいが、この雨では馬が嫌がり前に進む事すら出来ない。

 とはいえ、こんな如何わしい坊主達の寺に一晩泊まるなど考えただけでも虫酸が走る。

『風呂に入れば覗かれ、褥の中にまで潜り込んで来そうで落ち着かぬ。助平坊主共!』

 そんな淫らな真似をしようものなら、それこそ叩っ斬るしか身を守る術はないが、名代としての責務と立場が生真面目な彼に重く伸し掛かる。

 僧侶達の欲望をかわし、穏便にこの場を上手く収める方法を考えついた。

 出来る事なら、その方法だけは使いたくないのだが。

 そんな風に心の内で迷い逡巡していると、寺主が後ろから上ずった声で耳に息を吹き掛けるように囁いてきた。

 「真に貴方様は稚児灌頂など受けずとも観世音菩薩の化身のようじゃ。都維那の浄雲は貴方様が参られた時、あまりのお美しさに観世音菩薩が来たと騒ぎまして……今宵は私の無明火を貴方様の法性花で消し去って頂きたいものです。さすれば貴方様の仏性が開顕──ひ、でっぶあわびゅぅ!!」

 乱法師の手刀が寺主の鼻に炸裂し、奇妙な悲鳴を上げて寺主がよろめく。
 
 我慢の限界だった。

「──な、何と姿に似ず気の荒い若衆じゃ!」

 寺主は鼻から血をだらだらと流し、周りにいた僧侶達も少し怯み退く。

 少し気は晴れたが彼に出来るのはここまでであり、これ以上事を荒立てる訳にはいかなかった。

 残された方法は一つしかない。

 「これは、ちと手が滑ってしまったようで大変申し訳ございませぬ。虫が飛んでいたように見えましたので。雨は、まだ止まぬようでございます。せっかくのお心遣いに甘え、一晩泊めて頂きたいとは存じますが──」

 その言葉に再び僧侶達の目が輝き出す。

 「なれど主は中々気難しく、戻らねば叱られてしまうやもしれませぬ。」

 「ですが上様とて、この雨の中を強いて戻って来いとまでは、さすがに申されぬのでは?」

 「その……主は常々片時もそなたを離したくはないと閨で言うのでございます。そなたを抱かねば寝覚めが悪いとも。此度も早く戻って参れと何度も言われました。一晩こちらに泊めて頂いたら、他の男に身体を許したのではないかと疑われてしまうのが心配でなりませぬ。主の怒りが貴方様方に向かわねば良いのですが……何しろ怒ると手が付けられぬ御方故……」

 誇り高い彼にとっては口にするのは生々しく気恥ずかしかったが、背に腹は変えられなかった。
 
 乱法師の真が半分嘘が半分くらいの言葉に、僧侶達の顔は一斉に蒼白となり、何やらしゅるしゅると音を立て、股間の『無明花』も萎え萎んでしまったようだった。

 「そ、それは確かに!確かに──あの信長公であれば──さ、では御使者殿、もうお帰りになられるのですかな?雨の中難儀とは存じますが、信長公の仰せとあらば仕方がない。」

 と、今度は厄介払いでもするかのように追い返そうとし始めた。

 乱法師は静かに立ち、障子を開けて外の様子を見ると、大分雨足は落ち着き小雨になっていた。

 「雨も少しずつ小さくなって参ったようでございますので、笠と簑をお貸し下されば、この儘帰る事が出来るかと。」

 「おお!おお!勿論、お貸し致しまする。」

 寺主と僧侶達は嬉しそうに顔を見合わせる。

 「忝のう存じまする。では、皆様方の御親切や御もてなしの数々。戻りましたら必ずや主に伝えまする。」

 乱法師は何事も無く何も見なかったかのように真っ直ぐ寺主を見つめた。

 寺主の目は右に左に随分泳いだ後、真ん中に止まると泣きそうな顔で懇願した。

 「どうか……どうか……信長公には、私共の事、よしなによしなにぃーーどうかぁ。」

 深々と頭を下げる僧侶達に別れの挨拶をすると、供の侍を連れ寺を後にした。

 馬で駆けているうちに少しずつ雨は止み、却って豪雨の後だけに、やがて空は晴々としてきたのであった。

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