『森蘭丸伝 花落つる流れの末をせきとめて』

春野わか

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─────

 「随分と男前になったのう。」

 大きな手を伸ばすと優しく、そっと乱法師の頬の腫れに触れた。

 「痛むか?」

 労《いたわ》るように問われると、頬の痛みに反して心は幸福感で満たされる。

 「もう、さほどは痛みませぬ……上様…」

 主の気遣いに再び詫びようとすると、素早く顔が近付いてきて唇を塞がれた。
 
 あくまでも軽く触れるだけで、優しく言葉を遮る。
 
 「詫びはもう良い。いい加減に致せ。」

 愛おしくて堪らないという気持ちを隠さず抱き締め、耳や頬に唇を押し当てる。

 素直に凭《もた》れていると、信長の好みの伽羅の香が着物から薫り、その高貴な芳《かぐわ》しさに包まれ陶然となる。

 ずっと、その香りと温もりに身を埋めていたかったが、思考がふと現実に戻ると居ても立ってもいられなくなった。

 
 「上様、私も本願寺に参りたいと存じまする。」

 「ならぬ!」

 即座に一蹴された。

 「…………」

 ここまで断固として反対されるとは予期していなかった為、抗議の言葉も出てこない。

 信長からすれば、腫れた頬を再び引っ張るか、引っぱたいてやりたいくらい愚かな申し出だった。

 和睦の話は門主自ら願い出てきた事。

 素直に明け渡すとは思いたいが、必ず起こるのが仲間内での意見の食い違いだ。

 顕如の息子の教如は強硬派。

 父であり門主である顕如の決断を拒み、和睦を結ばせない為に強硬な手段を取ろうとする可能性はある。

 「そなたが参らば捕らえられ人質、もしくは和睦を邪魔する為に殺される恐れすらある。」

 怖い顔で厳しく叱りつけた。

 心の内に激しい感情を隠し持つ乱法師からすれば、それこそが望むところだった。

 母や叔父よりも、織田家直臣の己が説得に向かった方が、顕如だけでなく教如の心も動かせるのではないか。

 命を危険に晒す事を承知の上で、本願寺側に人質として留まれば、より説得に耳を傾けるかもしれない。

 使者でさえ、ましてや調略役であれば尚更命の危険はつきまとう。

 荒木村重を説得しようとして伊丹城に幽閉されたのが、かの有名な黒田官兵衛である。

 彼は危険な敵地への使者など務めた事は一度もなく、いつも味方への褒賞の下賜をする役ばかり。

 別に不満という訳ではないが、戦で命の危険は付き物。

 敵が弱り最早虫の息などと言ってみたところで、そこから一年も降伏まで時間を要す事もあるのだから、一度始まった戦が終結するのは容易ではない。

 荒木の妻子達が処刑されたのは昨年なのに、まだ荒木当人との戦いは花隈城で続けられている。

 「ふぅ──」

 思わず信長の過保護さに溜め息を洩らした。

『命の危険があるから駄目と言われてしまえば武士らしい働きなど出来ぬではないか。』

 信長はといえば、先日の切腹騒ぎ以来、彼の無鉄砲さに呆れ用心するようになっていた。

 容姿の可憐さと私的な寵愛故に、過保護になってしまうのは仕方ないとしても、普段落ち着いた佇まいの彼が思い切った行動を取ると余計に衝撃は大きく、益々心配になってしまう。

『全く武蔵守よりも達が悪い。成長して前よりも言う事を聞かなくなってきている。』

 まるで反抗期の倅に対する親の心持ちで、そう思った。

 いくら女子のように優美でも、所詮中身は血気盛んな十代の若者、親の心子知らずと諺《ことわざ》にある通り、危険を省みず突っ走ってしまう。

 心は焦れて仕方がないが、断固とした厳命に、直接出向いて調略にあたる事は諦める他なかった。

─────
 
 三木城は二年にも渡る籠城戦で疲弊仕切っていた。

 兵糧攻めで餓死者が出ている程である。
 一族に連なる身分の者達ですら、少ししか食料を口にしていない現状で、勢いに乗る織田勢に叶う訳がなかった。

 そもそも別所氏が叛いたのは別所吉親と羽柴秀吉との不和にあったと云う。

 加古川での評定で、成り上がり者の秀吉が総大将である事が、名門意識の強い吉親の意に沿わなかったのだと。

 だが本当のところは分からない。
 
 謀叛とは、家族や家臣達も巻き込み危険に晒す一大決心である筈なのに、叛いた理由の決め手が曖昧である事が多いからだ。

 ただ、吉親が秀吉の身分が賎しい事を嘲っていたのなら、此度の戦で意趣返しをしてやった事になるだろう。

 吉親は織田軍に抗しきれず、鷹の尾を捨てて三木城に逃げ込んだ。

 秀吉は三木城攻めの最後の仕上げに取り掛かった。

 別所重宗は長治の叔父でありながら、織田に味方し秀吉の与力になっていた。
 
 重宗は三木城内にいる小森与三左衛門を呼び出し、別所長治に降伏を勧める書状を届けさせた。

 書状の内容は、『荒木村重の一族や、八上城の波多野三兄弟のような最期を迎える事になったら、後々までの笑い種です。潔く三名は切腹された方が宜しいでしょう。』というものであった。

 別所長治は切腹の覚悟を決め、返書をしたためた。

 「私共三名(長治、友之、吉親)は切腹致しますので、どうか今まで忠義を尽くしてくれた家臣達の命はお助け下さい。」

 秀吉は嘆願を受け入れ、酒を二、三樽城内に送り届けた。

 長治、友之は神妙に受け入れ、家老職の主だった家臣達と今生の別れの盃を酌み交わした。

 ところが余程秀吉に従いたくなかったのか、吉親だけが首が晒されるのが嫌だと屋敷に火を付け、己の死体が秀吉に渡るのを拒 もうとした為、家臣達に押さえ付けられ切腹させられた。

 
 別所長治は享年二十三歳だったと伝わる。

 幾多の小城が乱世の攻防の中滅び、落城の数だけ伝わる悲話があるのだろうか。

 長治は膝の上に三歳の幼子を座らせ刺し殺し、若い奥方も抱き寄せ刺し殺した。

 弟の友之は弱冠二十一歳、まだ花の盛りの十七歳の奥方を刺し殺すと、真っ白な死に装束の胸から朱が広がり弱々しく倒れ伏す。

 幼き子や若妻達の血に染まった骸の様は、無惨に花びらをむしり取り散らしたようで、美しくもあり哀れでもあった。

 長治と友之の若い兄弟は手を取り合い縁に出ると、家臣達に礼を述べ、長治が切腹した後、同じ刀で友之も腹を切って果てた。

 戦っている時には二年も手こずらせた憎い敵だったが、潔い死に様を聞けば、これ程の若さでありながら織田軍を相手に良くぞここまで持ちこたえたと賞賛する者もいた。

 
 人が人を喰らい、生き残った者もまた喰われる運命《さだめ》。

 別所氏も多くの弱き者を攻め滅ぼし、喰らってきたのだ。

 そして別所氏を喰らった者もいずれは──

 長治、友之、吉親、三名の首は検分の為に安土に送られた。

 「手厚く葬ってやれ!」

 長い戦がまた一つ勝利に終わり、信長は満足気に頷いた。

 今まで強敵の首を何度実検してきた事か。

 戦に勝利して嬉しくない者などいない。

 しかし信長は常に戦の中に身を置いてきたせいか、敵の首を前にすると安堵と共に虚しさも込み上げてくる。

 今川義元の首、浅井長政の首、さんざん己を苦しめた強敵も、対面する時は小さく物言わず、戦っている時には熱く滾《たぎ》る血も、首を見れば『このような顔であったか』と、鬼ではなく当たり前の人の顔に却って気持ちは沈む。

 人は所詮死んでしまえば皆同じ。

 そして心のどこかで次は己だと、己も誰かの前に首だけの姿で据えられる時が来るのだと、そう思わずにはいられないのだ。

 安土に巨大な城を築き、ほぼ天下を手中に収めた今でも、それは変わらない。

 謂わば長年の習性のような物かもしれないが、油断を戒める気持ちもありながら、敵を屠っても屠っても満たされぬ心は既に血に膿み、どこか病み疲れているのかもしれなかった。

 「上様、三木城も落ち、筑前守殿も漸く御苦労が報われ真に良うございました。次は但馬でございましょうか。」

 懊悩の無い瞳も肌も澄み、乱法師が無邪気に明るい声で語りかける。

 相手と場面によっては呑気なと怒りを誘う事もあろうが、彼が持つ緩やかな雰囲気は感情を宥《なだ》める力があるようだ。

 殊に信長の心は、己に向けられる無垢な瞳に一瞬空虚になりかけた心に活気が満ち、確かに勝利し喜ぶべきなのだと身内に血の気が戻った。
 
 秀吉の功を褒め称え、使者に言付け三名の首級を返してやった。


─────そして、二月になった。
  
 二十一日、信長は京に上洛し妙覚寺に入った。

 二十四日は一乗寺、修学寺、松ヶ崎山と場所を移し、一日中鷹狩りを楽しんだ。

 以前の信長は様々な鷹を使い狩りを楽しんでいたのだが、昨年遠野孫次郎より白鷹を献上されて以来、余程気に入ってしまったのか、専ら白鷹ばかりを用いていた。

 飛翔する姿は見惚れる程美しく、雪を欺くような汚れのない真っ白な翼で羽ばたき獲物を捕らえる様は、いつ見ても見応えがあった。

 獲物をまたもや捕らえ、見物人から歓声が上がる。

 一旦腕に止まらせ柔らかな羽毛を撫でてやると、くいっくいっと首を傾げて喜ぶような仕草をする。

 「少し疲れた。休むとするか。」
 
 間に休憩を取る事とし、手近な民家に入った。
 
 鷹狩りの際民家を休み処として利用するのは一般的で、娯楽という目的以外の利点の一つが民の暮らしを知る事だった。

 土間に腰掛け小姓が差し出す竹筒の水で喉を潤すと、家の者に気軽に話し掛け寛ぐ。

 旧暦の二月は既に春めき桜の蕾も綻び、信長でさえ欠伸が出る程のどかな陽気であった。

 
 「何者じゃ!」

 暫し気楽な時を過ごしていると外で誰何《すいか》する声が突然聞こえ、乱法師や馬廻り衆に緊張が走る。

 警護の者は多数いるが、鷹狩りは多くの勢子を狩り出し屋外で行う娯楽の為、怪しい者が入りやすく命も狙い易い。

 
 その者は伴家の忍びであった。
  
 「お人払いを。」

 民家の中は信長と乱法師だけになった。
 
 二人共に本願寺についての知らせであると察した。

 鼓動が早まる。
 良い知らせか、悪い知らせか。

 「顕如は本願寺を退去する事に応じました。」

 「──良かった!明け渡す事に応じたのじゃな!」

 喜びかけたところで忍びが再び言葉を続けた。

 「ただ……明け渡すのではなく、退去に応じたのみにて……」

 「それは?顕如が退去するという事は明け渡すという事であろうが!」

 「教如か?」

 信長が問う。

 「は!本願寺は顕如と教如で完全に意見が割れ、父の顕如が和睦の道を説いても頑として聞き入れず、教如は従わずに戦をまだ続けるつもりでおりまする。」

 「そんな!そんな──」

  乱法師は悲痛な声を上げた。
 せっかく命がけで懇願してやったというのに、恩知らずな奴等じゃと怒りが込み上げてくる。

 「顕如は愚かな伜よと親子の縁を切り、和睦派と共に退去する覚悟でおりまする。」

 「ふん!教如は若いな。門主の顕如が退去した後の教如にどれ程の力が残っているというのか?」
 
 本願寺の驚異は、民から武士まで身分問わずに煽動する力にある。
 教如が再び一揆を煽動しようにも、親子の縁を切られた者に従う者は明らかに減るだろう。

 毛利の支援も望めない状況で、尚も籠城など愚かな事だ。

 若い乱法師は納得いかず憤慨していた。
 教如が本願寺を明け渡さず抗戦を続ければ、和睦も助命の話もなかった事になってしまうのか。

 戦で拗《こじ》れた関係が、共存という形で終結する難しさを痛切に感じた。

 殺るか殺られるかしかないのか。

 「上様、明け渡さずとも、顕如と和睦されるのですか?それとも……」

 「乱!そなたは、無念で仕方がないようじゃが、門主の顕如の退去には大きな意味がある。和睦し助命すれば、そなたの言う通り儂は仏の敵ではなくなるのう。」

 信長は少し面白そうに言った。
 
 さんざん仏敵と罵られてきた為すっかり開き直り、自らを『第六天魔王』と戯れ言めいて称した事もあったと思い出す。

 ずっと人々に仏敵、魔王と思われてきたのだから、つい可笑しくなってしまったのだ。

 「では?顕如とだけ和睦されるのですか?」

 「要は頭じゃ!他は後回しじゃ。和睦、そして次は懐柔じゃ!」

 まだ少し不安気な乱法師を見つめ、強く抱き締め耳元で言った。

 「良くやった!」

 「──上様、私は何もしておりませぬ。」

 ただ取り次ぎ、顕如に書状を書いたくらいだ。 
 だが信長には分かっていた。
 この和睦は乱法師が関わらなければ決して成し得なかっただろうと。

 別所氏の首を見た時と違い、信長はひどく爽快な気分だった。

 長年の敵と和睦出来たからか、相手を虐殺せずに終結させる事が出来たからか。

 信長は自他共に認めるように、善人では決してないし、今更敵を殲滅する事に躊躇いはない。

 では何故こんなにも爽快な気分なのかは自身にも分からなかった。

 「良し!朝廷に使いを出そう!」

 その後も京に滞在し、これから本能寺を宿所にすると決め、二十六日に普請について京都所司代の村井貞勝に指示を出すと、山崎の方まで出向き鷹狩りに興じた。


 三月一日、朝廷から本願寺に信長と和睦をするようにとの勅使が派遣された。

 勅使は、近衛前久、勧修寺晴豊、庭田重保、後は補佐として松井友閑、佐久間信盛。


 顕如は七月二十日までに石山本願寺から退去する事を約束した。

 ついては誓紙に署名したいので、改めて検使を派遣して欲しいと勅使に依頼してきた。

 信長は、虎と呼んでいる側近、青山忠元を検使役として遣わし、三月七日に天王寺にて誓紙の署名を見届けさせた。

 これにより勅使立会いのもと、正式に本願寺との和睦が成立したのだ。

 
 昨日の敵は今日の友。

 顕如側に付いて和睦に応じ署名をした者、下間仲之、下間頼廉、下間頼龍、そして顕如の妻、顕如にも黄金をそれぞれ手渡した。

 助命された上に黄金まで手に入ったのだから無論文句のあろう筈がない。

 戦をしている間は相手をあれ程憎しと思っていても、気持ちが萎え果てていたところに物を与えられると、利口ぶっていたところで何だか突然相手が良い人間のように思えてしまうのだから不思議なものだ。

 少なくとも多分、顕如もその妻も、和睦してしまえば『信長は思っていた程悪い奴ではないのかもしれない。』と感じたかもしれない。

 母も叔父も無事に戻り、本願寺に対する調略の大きな山場を越え、乱法師は安堵し心からの笑みが溢れた。

 そんな様子を見て信長が意地悪く言う。

 「乱、和睦したら森家にも責を負って貰うと儂が申した事、覚えておるか?」

 「──え?」

 不意を突かれ眉を寄せ、長い睫毛を何度もぱちぱちさせて目を大きく見開きじっと見つめる。

 「そんな顔をしても駄目じゃ。約束は約束じゃ。」

 本人は意識してそんな顔をしているつもりはなかったが、喜びが不安に変わり表情が曇る。

 「森家は……如何様な責を負えば?」

 大それた懇願をしたのだから責を負うのは仕方がないが、つい声が震えてしまう。

 「それについては、またそなたの邸で話すとしよう。」

 今度は坊丸や力丸も小姓として同席したが、仙千代は出仕もまだの為外された。

 妙向尼が尋ねる。

 「上様、森家は如何なる仰せにも従う覚悟にございまする。」

 「では申そう。まず一つ目は金山城下に寺を建立せよ。無論、一向宗のな。」

 「それは、一体──」

 寺を建立させる信長の意図が分からず一同呆然としながら、そんな事で良いのかとほっとする気持ちもあった。

 「織田家重臣の森家の領地に一向宗の寺が堂々と建てられれば、内外共に理解するであろう?」

 中々言葉だけでは無学な者、いや無学な者でなくとも伝わらない事はある。

 特に織田家中の一向宗を信仰する者達は安堵するだろう。

 寵臣である森家の領地に、立派な一向宗の寺が建立されれば、本願寺との戦は真に終わったのだと。

 「成る程。さすがは上様!確かに名案でございまする。」

 皆が感心し納得したところで、信長が口を開いた。

「待て!それだけではない!もう一つあるのじゃ。そっちが肝心じゃ!」

「それは──」
─────

 信長は邸を後にする時、見送る仙千代の頭をぽんぽんと叩いて満足気に帰って行った。

───

 
「何故でございますか!納得出来ませぬ!儂は嫌じゃーー嫌ったら嫌じゃ!」

 「これ仙、駄々をこねるのは良い加減に致せ。もう子供ではないのじゃから森家の者として聞き分けよ。」

 乱法師が諭すと、末弟仙千代は顔を真っ赤にして言い返した。

 「何じゃ!森家の為だのと、都合の良い時ばかり大人扱いするな!普段は子供扱いする癖に!兄上達など大っっ嫌いじゃ!大体何故、儂が坊主にならねばならぬのじゃ!」

 信長の森家に課した責とは金山城下に一向宗の寺を建立し、更に森家の者を一人僧籍に入れよというものだった。

 狙いとしては一向宗の寺の住職が森家の者である事により、本願寺との和睦を内外に知らしめる効果が一つ。

 もう一つは本願寺の門主よりも実質的に上に立つ存在として、今後本願寺の動きを牽制していく役割だ。

「そちが頭を丸めれば、全て丸く収まる。」

 坊丸が上手い事を言ったので、仙千代以外は皆笑った。

「中々上手い事言うのう。」

 いつも味方してくれる力丸までが手を叩いて面白がっているので、仙千代は泣きそうになる。

「仙!武家の五番目なんかでおるより、いっそ僧侶になれば皆から敬われ、ひょっとして行く行くは門主様かもしれぬぞ。」

 力丸が現実的に慰める。

 いくら乱世とはいえ、家督相続候補として見なされるのは、せいぜい三番目くらいまで。

 五番目に出番はないと思われているのだ。
 
 兄の長可が若く、跡継ぎの男子がまだいない為、ぎりぎり力丸までが家督を継ぐ可能性がある者といったところだ。

 「そうじゃのう。偉くなってしまって、儂等が頭が上がらぬ程の高僧として後々まで名を残すやも知れぬぞ。」

 「頭の形が良いから剃った方が男振りが上がりそうじゃな。墨染めの衣を翻して歩けば、神々しくて行き交う者達が拝むであろう。特に女子がな。」

 次から次へと兄達におだてられ、少しずつ気持ちが傾きかけた時、妙向尼が口を開いた。

 「仙千代殿、母は真は兄弟皆、仏門に入って欲しいと思っておりまする。なれど、それは叶わね願い。ならば、せめてそなただけでも人を殺めず、また殺められない世界で生きて欲しい。武士として多くの人を殺め、それを手柄とするよりも、人に仏の道を説き、心を救う方が立派な生き様とは思われませぬか?」

 人を殺して手柄を立てたいと思っている兄達はやや居心地が悪かったが、母の切なる思いは仙千代の心に届いた。

 結局は他の息子達は諦めても、可愛い末息子だけは戦に出したくないというのが母心。

「母上の御気持ちは分かりました。私は武士を捨て、仏門に入りまする。」

「良う、申されました……」

 妙向尼は、はらはらと涙を流した。

 そして既に母に諦められている兄達も安堵したのであった。

 金山城下に建立された寺は妙願寺という。
 
 仙千代が忠政と名を改め藩主として金山から津山に転封となり、妙願寺も津山に移される事になるのは後の話。

 
 乱法師は、ふと考えた。

 本願寺との和睦をもっと手っ取り早く分かりやすく知らしめる良い方法がないものかと──
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