森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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「笑っておる場合ではない!乱が凄い熱で苦しんでおるのじゃ!何とか致せ! 」

 作り笑いをしたら却って怒られ顔が引き攣る。

『また、あのひ弱な若衆か。やれやれ……』

 尻を叩かれるように乱法師が寝ている側に急かされ、脈を取り顔色を見る。

「やはり勤めはまだ早かったか」

『だから言わんこっちゃない。医者の言う事聞かへんからや』

 だんだん心中で愚痴をこぼすのにも慣れてきているなという自覚があった。

「貴様が医者として止めておればこんな事にはならなかった。反省致せ! 」

 信長の理不尽さに一瞬絶句するも、こんなに言われ放題でこき使われては当代一の名医として釘を刺してやりたくもなる。

「普通のお勤めで、こないに熱は出えへん思います。前の見立てではお元気どしたさかい、お乱殿の負担になるような何かがあったんどすか」

 然り気無く己の診断を正当化しつつ、乱法師の首筋に残る薄紅の跡について信長を責めるでも無く、ちらりと視線を向ける。

「──早く薬を処方致せ」

 道三の問いを無視し、信長は低い声で命じた。

 解熱効果や滋養を高める薬草、一般的な風邪症状に効く丸薬等を一緒に乳鉢で擂り潰し粉状にする。
 目は虚ろだが取り敢えず意識はある乱法師を信長が支え、薬を飲ませる。

「熱下がり易いように水を良う飲ませて差し上げ、後は額に乗せた布は熱なったら変えとぉくれやす」

 後ろに控えていた射干は、己の役目とばかり大きく頷いて見せた。

────

 彼は夢と現の狭間を彷徨っていた。
 目覚めているのか眠っているのかさえ定かでは無いのに、夢を見ている時が現実のように思えるという不思議な状態だ。

 そんな風に感じるのは、夢の中では目覚めているからなのだろうか。

 どうやら夢でも熱いと苦しみ、冷たい川の水に浸っているのを寝ながらぼんやり眺めている己は、それを羨ましいと感じた。

 但し他者として『眺めている』というのは単なる感覚に過ぎず、水の冷たさを感じている己の姿が見えていないという事は、肉体と一体化せずに内側から外を眺めているというややこしい状況なのであろう。

 つまり誰かの身体の中で意識を保ちながら、己で無い者の行動と感情を共有していた。

 おのれおのれ──女ああ

 火脹れした皮膚が更にひりつき眉を顰めた。
 怒りや憎悪が体内に雪崩れ込んでくる。
 女だけでなく凡そありとあらゆる者に対する蔑みが染み渡る。

 言葉が全て真実とは限らない。
 それが真実では無いと本人ですら気付いていない場合もある。

 底無しの淵の奥の奥に『信長』への憎しみが渦巻いていた。
 更に奥に『お・づ・の』と──

───

 信長は主だった側近、安土にいる重臣等を集め軍議を凝らしていた。

「先ず天王寺砦の状況、松永の謀反の意思を確かめねばなるまい」

「では、誰を? 」

「そうじゃな」

 信長はその場にいる者達の顔をぐるりと見回し即断した。

「松井友閑、貴様が行け! 」

「ははっ! 」

 松井友閑は元幕臣、官位は宮内卿法印で正四位下と織田家の中では老齢で抜群に地位が高い。
 信長の祐筆であり、茶会では茶頭も務め堺の豪商等とも交友があり、松永久秀の説得に向かわせるには適任であった。

 天王寺砦を発ったのは、金色に輝く満月の美しい夜。
 それから四日は既に経過している。

  城名人と呼ばれる松永の斬新な着想はこの信貴山城にも見られるが、用心深い彼は戻った翌日から補強の為の工事をさせていた。

 標高凡そ400m。
 麓から見上げれば、四層の天守が堂々たる姿で四方を睥睨している。

 松井友閑は使者である旨を告げ、松永への面会を申し入れた。
 謀反という事態が一体何処まで浸透しているのか疑問に思う程の温い対応に面食らう。

 大手道側にあるという松永の屋敷に向かう
途中、曲輪の数に圧倒された。
 伝わる所によると凡そ百二十もあったとか。
 曲がりくねった道に空堀、堀切、さぞや攻めあぐねるだろうと老齢の友閑の息が上がる。

 松永の屋敷に着くと賓客用の部屋に通された。

 茶や菓子等出されて丁重に饗されるが一向に松永が現れる気配は無い。
 焦れて何度も言い方を変え、信長の用件を取り次ぎ役に伝えた。
 
「どのような子細あっての事か。思うところがあれば申せ。望みを叶えようと使者が申しておりまする」

「ふん! 」

 松永は大きく鼻を鳴らした。
 弓削三郎は無表情の儘、主を見詰める。

「暫く待たせておけ」

 それだけを近習に命じ、蝿のように手で追い払う。

「何と御答えになられるおつもりですか? 」

「ふふ、どう答える?そなたならば」

 問いに敢えて問いで返す。

「何も──」

 それに対し美麗な眼差しを真っ直ぐ向け淡々と言い放った。

「わっは、あーははは」

 松永は突然笑い出し三郎を強く抱き締めた。

「我が意を得たり! 」

 三郎がもたらす官能に、松永は早くも勝利したような境地に昇った。
 あの傲慢な信長に此処まで妥協させるとは。

 二度も謀反を起こした男の望みを叶えようとは何たる卑屈。
 いっそ大和守護の地位をねだってみようか。

 三郎の小袖の襟元から手を入れながら、そんな考えが浮かんでくる。

『いや、あの男は承諾した振りをして後で全てを奪うつもりだろう』

 信長の狡猾さに思い至り、火花がぱっと弾けたように目の前が赤くなった。
 突如荒々しい衝動に駈られ三郎を押し倒すと強引に袴を剥ぎ取り、小袖を左右に開ける。

「殿、使者は……」

「何時まででも待たせておけば良い」

────
 
 松井友閑はひたすら待たされた。
 諦めず何度も取り次ぎ役を介し説得を試みた。
 しかし松永は一向に姿を見せず、何の返答も無く一日が経過した。

 松永の復讐である。
 これが返答であると言わんばかりに松井友閑を無視し続けた。

 望む物など最早ありはしない。
 あるとするなら、お前さえ手に入れていない天下だ。
 何故謀反を起こしたかじゃと?
 己の胸に聞け。

 松井友閑は使者としての面目を潰され、信長の怒りを恐れながらもすごすごと引き上げるしか無かった。

───

 額の上がひんやりと心地好い。
 暫くして温くなってしまうと、残念に思う気持ちとして無意識に何らかの意思表示をしているのだろうか。

 それは再び冷たくなって彼の額に載せられる。
 口元が、ふっと緩む。

 ひんやりとした感覚の他に大きく温かい手が頬に添えられたり、彼の手を握る事もあり、それはそれで心地好かった。

 幼い頃、熱を出して寝ていた時の母の看病を思い出した。

 得も言われぬ芳しい香りもする。
 それは彼にとって今、とても安心感を与えてくれる香りになっていた。

『上様──』

 ふと瞼を上げた。
 瞼の細い隙間に誰かの姿があった。

 とても鮮やかで美しい色合い。
 濃紅色、薄紫、萌黄色。

「目が覚めたのかい? 」

 穏やかな女の声で乱法師は緩やかに覚醒した。
 ぼんやりと目に映る射干の笑顔と共に、やはり心惹かれたのは色彩であった。

 枕元の花器に活けられた青紫の桔梗に視線が留まる。

「そちが置いてくれたのか? 」

 彼の最初の問いであった。

「ふふ、置いたのはあたしだけどね。おや、熱は下がったみたいだ。良かった」

 額に置かれた布を取り去り、そっと手を置き熱を確かめる。

 彼は思わず目を細めた。

 母や姉以外の女人に触れた事も親しく話した事も無いせいで、性の対象として認識していないからだろう。
 射干の香りや柔らかな触感は母や姉のような安らぎをもたらした。

「腹は減って無いかい?病み上がりでも何か食べた方がいいよ。只でさえ細いのに益々痩せちまう」

「済まぬ……」

「何が?やたらと謝るのはおよしよ」

「看病して貰って、そちにも迷惑を掛けた。元はと言えば──」

「何だよ!じゃあ逆に聞くけど謝りゃ何でも済むと思ってんのかい?砦にいたあたしに知らせてくれただろ?気を付けろって。そのお陰で助かった。嬉しかったよ」

「…………」

「粥や汁物だけでも口にしたらいいよ。若いんだから焦らなくても直ぐに回復するさ」

「儂はどれくらい寝ていた?それに上様は──弾正の事は?果心は?」

 焦るなと言われても意識が明確になれば、焦らずにはいられない。

「待って!ともかく上様は無事だし若が寝てる間にそんなに動きは無かったよ。気になるなら上様に直接聞いとくれよ」

 朝餉が運ばれ粥を啜る。
 一口食べると胃袋が刺激され、あっという間に三杯も掻き込んでいた。

 自身でも呆れ、射干はそれを嬉しそうに見ている。
 旺盛な食欲を満たすと、ほっとして白湯を口に含む。

 窓が無い奥まった部屋。
 つい花入れの桔梗の花に再び視線が移る。

「綺麗だろう? 」

「そちも女じゃのう」

 軽口を叩く元気が出て来た。

「上様がね。生けたんだよ。若の気が晴れるようにって」

 ぱっと頬が桜色に染まる。

「ふふふ……愛されてるんだねえ」

 未熟さをからかわれているように感じ、少しむっとする。

「やだ!何怒ってんのさ。天下人にこんなに愛されてんのに。全く──あんな本読んで勉強してんだから実践しないと。上様が腕を広げて待ってるんだからさ! 」

「射干──」

 例の男色本の事を持ち出され、いよいよ乱法師の顔は茹で蛸のように赤くなった。
 率直過ぎる物言いに耐えられず、背を向け不貞寝してしまう。

 彼に勝ち目は無い。 
 これでも成長してはいるのだが、信長の情熱に付いていけないのだ。

「ああ、やれやれ──」

 些細な喧嘩のせいで訪れた沈黙も、雀が囀ずる長閑な風景の一部と化す。

「今日は何日じゃ? 」

 膳を下げに部屋を出て行こうとした射干の気配を察し、後ろ向きの儘問い掛けた。

「十九日だよ」

 射干の返答に愕然とした。

「三日も……」

 漸く欠けた時を取り戻したと思ったら、寝込んでいる間に、また置いていかれてしまったのだ。
 織田家の一大事という時に。

「仕方無いさ。今は食べて寝てるしかないよ」
 
 辛そうに俯く彼を励まそうと、楽天的な射干が明るい調子で声を掛けたのが不味かった。

「そちに何が分かる!!漸く上様のお役に立てると思ったのに!また熱を出した!何と軟弱者よと流石に呆れておられるに違いない。うかうか寝ておれるか」

 突然激昂した乱法師を射干は呆然と見詰める。
 怒り出した事に驚いたのでは無く、信長の与える愛に対して余りに認識が遠いからであった。

「そんな分かるよ。ええと上様はそんな事で呆れたりしないって事ぐらい」

「そちに上様の御心が分かる訳無いであろう」

『まだ言うか。分かるよ!分かって無いのは若だけだろう』

 怒らせると面倒なので心中で本音を溢す。

「そんな風に思ってたら桔梗の花生けたりするもんか。良く見てみなよ」

 射干に言われ桔梗の花に目を遣る。 
 すると熱はみるみる冷やされ怒りは哀しみに変わり瞳に涙が滲んだ。

 気付いていたのだ。
 
 桔梗の花だけでは無い。
 素朴な竹の花入れに、秋薫る庭でそよぐ草花が鮮やかな青紫を邪魔しないように、わざと雑然と添えられている意味を。

 美しい庭の一部が無造作に摘み取られて其処にある。
 
 だからこそ、その気持ちに応えられ無いと己を責める。
 二人の思い合う気持ちが噛み合うのは、まだ先の事なのだと射干は実感し、軽く溜息を吐いた。

「ともかく熱は下がったんだし、あの、つるっ禿げの医者呼んで来てやるよ。御許しが出れば、また勤めにも戻れるんだからさ」

 すっかりしおらしくなってしまった乱法師を置いて射干は部屋を出て行った。

───

 久米田に築かれた支城では、土累を盛り掘を巡らす作業に従事する兵士達の声が騒々しかった。
  早朝から始められた作業は未だ終わらず陽は傾き掛けている。
 連日の雨降りで遅れている為、松明を灯しながら続ける事になるだろう。

 大和の筒井城主順慶は、櫓の上から家臣と共に作業を見守っていた。

 左隣に立つのは元畠山氏の被官、嶋左近である。
 大和の畠山氏が凋落して後、筒井家に従属するようになった彼は徐々に頭角を現し最も信頼の篤い重臣の一人だ。

「松永弾正は殿の予想通り謀反。なれど上様は寛大な事に使者を遣わされ説得しておられるらしいですな」

「各地で敵対する者どもの動きが激しいというのに、そう簡単にあの堅城を攻める為に兵を割けるものか。御心の内で赦されているとは到底思えぬ」

 順慶は居城である筒井城の方角を眺めた。
 だが此処久米田からより近い、松永が籠る信貴山城が先に視界に入る。

 戦況次第では雑賀と松永に挟み撃ちされ兼ねない。

 仮に今、筒井城に戻ったとしても信貴山城との距離は凡そ三里。
 城攻めの急先鋒となり松永の息の根を止めるのは己であると確信していた。

 彼には桁外れな堅城を落とす策があったが、それは未だ重臣達にさえ明かしていない秘策中の秘策であった。

 長い間練ってきた計画を誰にも邪魔される訳にはいかない。

「果心の名が安土からの知らせにあった」

「此度の謀反以外にという事でございますか? 」

「うむ、以前から探らせていた上様の極めて身辺での事じゃ」

「それは、どのような? 」

 何処まで話すべきかと一瞬躊躇う。

「上様御寵愛の小姓が病で臥せってばかりの役立たずと一部の近習から不満が出ておるようじゃ」

 左近は意味が分からず首を傾げた。

「その病を引き起こしているのが果心の幻術に依るものという噂があるのだ」

「それは、中々──」

 面白い、と思わず続けそうになる。

「寵童を苦しめる事で上様を弱らせようとしているという事でございますか? 」

 そんなに溺愛しているのかと左近はやや呆れ気味に訊ねる。

「いや、それだけでは無い。果心はその小姓の目を通して上様の動きを伝えられると弾正を唆したらしいのじゃ」

「それを御存知無いのでしたら大事ではございませぬか!直ちに知らせ、その小姓を遠ざけた方が──」

「上様は御存知なのじゃ。間違い無い」

  漸く深刻さが理解出来たが主の答えに更に驚愕する。

「何故?進言すべきではございませぬか。今、この状況で馬鹿げた話しじゃ。間者と閨を共にするようなもの。豪胆な色惚け──ごほごほ──いえ、上様の御心が読めませぬ」

 危うくまたもや失言しそうになるが櫓の上には幸い他に人はいない。

「それ故探らせておる。果心は思いの外、上様の最も弱い懐に入り込んでいるやも知れぬという事じゃ。大軍の後詰めよりも恐ろしい」

「分かっていて尚遠ざけぬというのは、つまり、その小姓に鼻毛を──はっ──」

 どうもこうした場合の表現力が貧困であるようだと自嘲する。

「御忠告申し上げても分が悪い。却って儂が遠ざけられてしまう可能性がある。だが万が一内から何かを仕掛けられたら、それこそ松永にとって強力な助けとなるやも知れぬ」

「捨て置く訳には参りませぬな。引き続き安土の動きを探らせるしか無いかと」

  意外と左近の返答は穏便なものであった。
 本心は別にあるのに主の判断に委ね横着しているのでは、と順慶は歯痒かった。

「病がち、であれば突然弱り死ぬ事もあろう。そうは思わぬか? 」

「それは……」

 失敗した場合恐ろしい結果を招くが、それをしない場合の危険を思うと反対も出来ない。
 順慶は以前から乱法師に怪しい動きがあれば始末せよと間者に命じている。
 そうさせ無かったのは彼がいなくなる事で松永の決意が鈍る可能性があったからでもある。 
 だが最早邪魔でしか無い。

 信長が知っているのがせめてもの救いだが、それでも側に置いているのだから豪快に腑抜けるにも程がある。

 本来なら信長が始末すべきなのだ。
 断じてそうすべきなのだ。

 己自身の秘策もそれと似たようなものだから尚更である。

 獅子身中の虫。
 猛き獅子を内側から食い破る小さな虫。
 計画を遂行する為には虫は排除すべし。

 順慶の腹は決まった。

───
 
 松井友閑は報告を終えると、顔を上げずに信長の返答を待った。
 続く沈黙が、その場にいる者達にとって酷く長く感じられた。

 それは松永から何の返答も得られ無かった松井友閑にとってだけでなく、思わぬとばっちりを受け兼ねないという恐れからである。

「弾正め」

 漸く吐き捨てるように信長が言った。
 そして再び沈黙する。

「人質を──」

「まだ早い! 」

 絶妙な間を計り、近習の掘秀政が案を出そうとするが直ぐに却下された。

 人質というのは松永の孫に当たる十二歳と十三歳の少年二名の事である。
 年齢を思えば酷だが、松永が決意を変えなければ処刑される事となるが、それは疾うに覚悟の上での行動だろう。

 兵力には限りがある。 
 一つ決断を間違えれば全てが瓦解する。

「能登の七尾城は落ちるな」

 居並ぶ重臣達がはっと顔を上げた。

 七尾城は日本屈指の山城だが、城主は僅か五歳の畠山春王丸だ。

 越後の上杉勢に昨年から包囲され、織田に援軍の要請があり、重臣の柴田勝家を向かわせたが上杉と和睦した本願寺が一揆を煽動し進軍を阻んでいる。
 五歳の幼児に家中の諍いを収める力は無い。

 戦の場合、城には多くの領民も避難している。
 兵糧の問題も当然出てくるが七尾城を特に苦しめたのが糞尿であった。
 大量の糞尿の処理が追い付かず、城内で疫病が蔓延しているというのだ。

 その結果、幼君春王丸は病に倒れ、重臣の間で意見の相違による内紛が起きているらしい。

 その威容から天宮と呼ばれた七尾城は内側から崩壊し始めていた。

「弾正の説得を続けよ」

 今は積極的に信貴山城を攻める時では無いと信長は判断した。
 
「はっ!! 」

────

「熱は確かに下がってますけど今は昼やさかい、油断すると夜には上がる可能性もあるんや。暫く大人しゅう寝とってください」

 過保護と言えば過保護な診断だが、曲直瀬道三は信長が恐ろしくて堪らない。
 医者としての判断そっちのけで、乱法師の顔色よりも信長の顔色を窺う方に熱心な有様だった。

「何時まで寝ていれば宜しいのですか? 」

 乱法師の声にも顔にも不満が滲む。

「熱完全に下がって、上様のお許しが出たら、やろうな」

 取り敢えず信長の許しが無ければ勤めに戻れないのは確かである。

 道三が退出した後、何もしないでいる事の苦手な乱法師は六助を呼ぶ事にした。

「射干さん、此処に居られたんですね」

 開口一番、六助は嬉しそうに射干に笑い掛けた。

「ああ、のんびりさせて貰ってるよ。大した事して無くて申し訳なくなっちまう」

「そがな!とんでもない。えらい御活躍やったんやき。射干さんがおってくれりゃあ安心や。やけんど何かあったら儂に言うとーせ。直ぐに駆け付けるき」

「頼もしいねえ。惚れちまいそうだ」

 艶やかな流し目に色っぽい声で褒められて、六助の顔は猿の尻のように真っ赤になった。

「六……」 

 完全に無視されている奥手な乱法師にも、六助の顔を見れば大凡感じる所はあった。

「六! 」

「へ!!!へえーー若様、何時から其処に? 」

「六……此処は儂の部屋で、儂が此処以外の場所にいる事の方が少ないと思うが。そちを呼んだのは他でも無い」

「あっ!ああ、申し訳ござらん。そう言やあそうやった」

 慌てて顔を赤らめた儘、ぼりぼりと頭を掻きながら詫びる。

「以前に申していた儂の記憶を探る方法があるならば、今直ぐ行って欲しい」

 怒るでも無くからかうでも無く、そんな六助を鷹揚とした態度で受け止めながら本題に入った。

「え?今?これから?射干さんの前で? 」

 乱法師の性急な要求に再び狼狽える。

「準備が必要なのか?射干がいてはならぬ理由でもあるのか」

 乱法師が首を傾げる。
 やはり少し鈍い。

「いや、別に準備とかないけんど、射干さんの前だと緊張しちまう」

 六助は何処までも正直な男だった。





 





 

 

 

 
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