森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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第16章 千尋

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 クィートは結局『叔父さんがとても元気だと確認できたからそれでいい』などと言い残して屋敷まで行かずに、忙しいバルクと共にそのまま帰って行ってしまった。明らかにヴィオにちょっかいを出していた様子だったので、後で問い詰めてやろうと思っていたが、先に察して逃げられた形だ。
 昔から悪い奴ではないが何かと間が悪く、人との距離の取り方が早急で大胆なクィートにセラフィンは久しぶりにかき回された結果となった。

 その晩のこと。セラフィンはヴィオが湯を使っているのひと時、二人の寝室として使われている眺めの良い客間のテラスで風に吹かれながら、軍の寮で起こした事件から今までの日々を思い起こしていた。

 先週軍に所属する若者が多く住まう寮で起きたオメガによるヒート未遂事件はオメガの人権にかかわる問題であると同時に軍も絡んでいるため、新聞やラジオで大きく報道されるようなことはなかった。多くの怪我人が出たがそもそもは鍛え上げられた若者たちであったため、骨にひびを入れたセラフィン意外に重篤な怪我人はいなかったということがまずは大きいだろう。
 責任が問われるべきはヴィオがオメガであると知っていて寮に招き入れ、監督責任を怠ったカイということになるが、あらかじめ従弟のヴィオの入室許可は取っていたということ、ヴィオの不意の発情で不安定になった彼のフェロモンにより偶然カイがラット(オメガフェロモンに誘発されるアルファの錯乱状態)を起こしていたと認定されたため罪に問われることはなかった。
 オメガの発情は初期には非常に不安定なもので制御しきれるものではないというのが見識者による意見だったからだ。実際には事実とは異なるが、警察官であるジルと親族の後ろ盾が多い軍にも大きな繋がりを持つモルス家の兄のバルクの二人が暗躍してくれていたことは間違いない。しかし応援を呼び軍と共に現場を収集してくれた功労者のジルとはあの日以来会えていない。なんとなくセラフィンと距離を置こうとしていると察して、あえてセラフィンも連絡を取ることを控えていた。

 そして今日、バルクはカイと面談した内容をセラフィンに知らせに来てくれたのだ。

 不問の部分も多いとはいえ、それでも大暴れして滅茶苦茶にしてしまった寮のロビーの片づけなどを含めて一週間の謹慎を余儀なくされたカイと会ったバルクは、彼がよく知る男に似た端正な面差しに苦悩に滲ませていた。

『あの子の気持ちが俺にはないのにどうしても手に入れたくて……。アルファとフェル族の本能に負けて、ヴィオを傷つけてしまったことを後悔してもしきれない。俺がこの先ずっとヴィオから拒絶されたとしてもそれは自業自得だ。今さらヴィオが誰を選ぶかに口出しなどできる立場ではないとはわかってる。だがドリの里にとってはヴィオが大切な子である事実は変わらない。ヴィオに無理強いをした俺が言えた義理ではないが、ヴィオの後悔がない様に慎重に導いてやって欲しい」

 もはや身体にはセラフィンとの格闘のダメージすらないカイだが、心はセラフィンが懸念していたとおり、愛するものを傷つけた事実と向き合い、静かに己の所業を悔いていた。それでも年長の従兄弟らしくヴィオをよろしくお願いしますと、バルクとその向こうにいるセラフィンに深々と頭を下げてきたのだそうだ。

(カイ、俺だってお前の気持ちはよくわかる。そしてお前が言うこともよくわかる。ヴィオが背負ったものはドリの里の長い歴史そのもの。山深い里で皆が守り抜いてきた伝統と文化。それをここですべて霧散させてしまってよいものなのか)

 もちろんセラフィンはヴィオが背負っているものすべて一緒に負う覚悟で彼に手を伸ばした。ヴィオはその手を取ってくれた。
 これからヴィオに起こることの全ては二人の問題だというのに、ヴィオは今だ胸の内の全てはセラフィンに明らかにしてくれていない。

(今日こそ……。ヴィオの気持ちを全て聞き出してやりたい)

 セラフィンは部屋の中を振り向いたが、ヴィオはまだ戻ってはきていないようだ。
 二人の寝室ということになっているこの明るい色調の愛らしい部屋はかつてセラフィンとソフィアリの子供部屋だった部屋ではなく、ヴィオが来るというので慌てて用意され彼が一人で使っていた客間でもない。新たにジブリールがマリアと模様替えを施した客間である、やや気恥しいほど少女趣味な愛らしい額も描かれた色鮮やかな花々の絵画も、淡いクリーム色に花々がデザインされた壁紙に大きな天蓋付きのベッドも、もはや新婚夫婦の部屋のような設えで、最初にこの部屋に入った時はあまりに綺羅綺羅しい空間に男二人で絶句してしまったものだ。

 今ヴィオは事実上セラフィンの婚約者として扱われ、今まで以上に丁重にモルス家でもてなされる。そのことは掛け値なしに嬉しいことであるので二人は母たちの心遣いをありがたく受け取ることにした。

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