森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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第12章 追及

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 二間から三間(4mから6m)はあろうという広い道幅に良く整備された街道である。

 天正三年、安土山への築城に伴い、信長は城下から京へ上る下街道及び機内周辺の道の整備に着手した。

 上街道の中山道に対しての下街道という名称であるが、他にも彦根道や京道、琵琶湖畔を通る事から浜街道なる別名で呼ばれる事もある。
 安土城下から京方面に向かえば、やがて中山道と合流する。

 関所撤廃という施策以外に、中山道では無く、この下街道を利用せよとの触れを発令したのは安土の発展の為であった。
 側溝を設けている為水捌けも良く、近頃の雨降りの割には泥濘んでいない。

 様々な身分の老若男女が行き交う中、笠を被った武士二人が馬を歩ませていた。

「おお、桔梗の花が!我が家紋なれば幸先良し!お仙殿、連歌など致しましょうぞ」

 明るい声を出したのは今や織田家中出頭第一の明智日向守光秀である。

「多少ならば」

 そして頭に被った笠を手で軽く押し上げ仏頂面で答えたのは、信長の近習万見仙千代重元であった。

 これから辿る道筋は、琵琶湖から通じる淀川を下り、八軒家浜から陸路に切り替え熊野街道を通って摂津の天王寺砦が終着点となる。

 『果心、天王寺砦に現る』との射干からの報せで、信長の命を受け守将松永久秀に真偽を問い質す為の道中にあった。
 六十近い光秀と二十代後半の万見の組み合わせは、信長なりの考えあっての事だ。

 それにしても見上げれば、重なり合う雲が陽光を遮り灰色の空がずっと続いているが、連歌好きの光秀には道々聞く物目にする物全てが御題となるらしい。

 その時、鼻の頭に冷たい感触を覚え、頬や手にぽつっと水滴が落ちた。
 大きな雨粒が衣類を濡らし始め、手近な茶屋兼宿屋に避難する。

 のんびりしている訳にもいかず、簑を借りて二人は先を急ぐ事にした。
 
 そんなこんなで舟で淀川を下り、八軒家浜で再び馬に乗り換え、熊野街道を通り天王寺砦に着いたのは、安土を出てから二日後の事であった。

──

「熱くはございませぬか? 」

「寧ろ温いくらいじゃ。もっと据えてくれ」

 天王寺砦内の居館の一室で、俯せで横たわる松永の身体から細い煙が立ち上っていた。
 ここ数日、腰に重点的に灸を据えさせているのは、先夜弓削三郎との激しい交合の後、痛めてしまったからだ。

 そもそも養生を心掛け、名医曲直瀬道三に性の指南書を書かせた意味が無いではないか、と囁き交わす者達もいた。

 しかし彼は耳に入ったところで意に介さず、寧ろ浅薄な考えと笑いさえしただろう。
 性は生なのだ。
 性は生きる糧となり気力を奮い起こさせ、生きる目的となるのである。

 やや屁理屈のようでもあるが、そもそも七十近い老人を戦の最前線に駆り出す信長が狂っているのだ。
 こんな砦に長期間駐留し、老い先短い己が家臣を叱咤激励する覇気を保つには、そうした楽しみも必要なのである。

 細い指先が、新たな灸に火を点けた。
 じんわり伝わる熱が何とも心地好い。
 心身が和らいでいく。

「殿!安土の上様よりの御使者が参られました」

 寛ぎの一時を破る報せを小姓が声高に告げた。

 明智光秀と万見が到着すると、上使として軍議を行う広間の上座に案内される。
 表向きは軍目付か検使役と言ったところか。

 出された茶を啜りながら待つと松永は直ぐにやって来た。

「お役目御苦労に存ずる。此度はどのような御用向きで参られたのですかな? 」

 形式的な前置きや挨拶など『尻を拭く時の枯れ葉程も役に立たない』とは、口の悪い主の言葉であるが、それを念頭に置きながら万見は松永を観察した。

 顔立ちは年齢相応だが、肌艶が良く張りのある声と笑顔が若々しい。
 へりくだった態度だが、卑屈という程でも無い。
 つまり現段階では疚しさは感じられず、極普通の対応に思えた。

「砦の様子を直に見て参れとの御達しでござる。故に案内を御願いしたい。具に見て報告せねばなりませぬ。軍備は万全であるかなど」

 それに対する万見の返答も、砦の視察、主からの伝達といった普通の用向きを越える内容では無かった。

「おお!抜かりあれば遠慮無く御指摘下され。本願寺は未だ沈黙を保っておりますが、支援する者達が押し寄せれば、また騒がしくなるでしょう。御指示があれば従いまする」

 万見には松永が、光秀には重臣の岡国高がそれぞれ付き添い、分担して兵糧、櫓、武器、弾薬、土塁や柵、兵士達の様子等を視察する事になった。

───

 褥を囲むように置かれた燭台の火が獣達の情交を照らし出す。
 
 すすり泣く三郎を抱き抱えた儘、何度目かの精を放つと、松永は彼の上に巨木のように倒れ込んだ。

「ああ─まだ足りぬぅ。三郎──」

 目を背けたくなる程の狂態振りである。

「もう……お止め下さいませ。お身体に触りまする……」

「案ずるな!あ奴から貰った薬を舐めれば直ぐに回復する。この身内から漲る力は何じゃ!まるで三十、いや四十も若返ったようじゃ」

 くくく──

 深更に奏でられる狂気の睦言と卑猥な笑い声の不気味な不協和音。

(良い加減にしておけ……)

 組み敷かれていた三郎の気怠げな眼差しが一変して油断無く闇を睨む。
 しかし、お馴染みの声ばかりで一向に姿を現す気配が無い。

「何処におる?何故姿を見せぬ? 」

(あな……嬉しや…いつも姿を現せば厭うような素振りというに……声だけの方がいっそ良いのでは無いか?)

 言われてみれば確かにその通りだが、声だけでも十分不気味であったし、何時にも増して亡者染みた陰鬱な声だけの方が幾分ましという程度だ。

「ふん、ずっと覗いていたのか。相変わらず下衆な性根である事よ。」

(何を言う…我が友を案じての事じゃ……ほどほどにしておけ……神の力は只の人には強過ぎる……まるで女を知ったばかりの若造のようでは無いか……)

「説教をしに来たのか?それとも儂等の交合う様を覗きに来ただけか! 」

(分かったであろう?信長がそなたを如何に信用していないと言う事が……)

「使者の事か?姿を見られていたとは。神を名乗る果心居士ともあろうものが気付かなかったとはな」

(無論気付いていた……儂の事を言う前に……信長の間者はそなたが砦に入る前から探っていたのだ……愚か者め…)

「───」

(最早……叛意を隠せるものでは無い……雑賀も動いた……上杉も毛利も……そして本願寺も息を吹き返す……何時まで牙を隠している…若衆を抱く為だけに力を与えたのでは無いのじゃぞ……)

「お前に言われずとも儂の気持ちは変わらぬ!まだ、その時では無いと思っているだけじゃ」

(ならば何時動く?そなたと三郎の交わり……結構な見物であったが色に溺れているようにしか見えぬ……怖じ気付いておるのではあるまいな…我が力を無駄に使うな……)

「黙れ!神と宣うならばお前自身が信長を絞め殺せば良いでは無いか!それこそ信長の小姓の乱法師を使い、殺させれば良いだけではないか! 」

(おお……上に立つ者が代わるだけではならぬのじゃ。数多の血を人間共に流させる。無論信長の血も含まれておる……神を畏れ敬う心を人間共に再び取り戻させる為にはそなたのような者の野心が必要なのじゃ……儂はそなたを好んでいるのじゃぞ……急げ弾正……信長を侮るな……時を過てば仕損じるぞ……)

「何を焦っている? 」

(焦ってなど……おらぬ……ともか…く……信長を天下の……座から……引き摺り降ろすのじゃ…そなたにしか出来ぬ……反逆の狼煙を上げた時こそ儂の真の力…見せてやる……)

 声がやけに小さく弱々しく途切れがちになる。
 容姿の醜さを気にする半面自己顕示欲の強い果心が姿を見せないのは、やはり妙だと感じた。

「お前に言われずとも決意は変わらぬ。あの生意気な若造を儂の前に跪かせてやる!その後で八裂きにしたくば好きにせよ。天下を狙うには焦りは禁物じゃ!儂には漲る若さがあるのじゃからな。」

 三郎が情交の汗で額に張り付いた松永の白髪を細い指で掻き上げてやる。

(三郎……余り弾正を刺激するな……いくら力を得たとて使いこなせねば毒と同じ……そなたも弾正に今死なれては困るであろう?度々服用すれば命が削り取られる……良いものを見せて貰った礼に教えてやる……女じゃ……そなたには分かっていよう。次に見える時は……信長の敵となっておれよ……)

「──待て! 」

 果心の声が徐々に小さくなっていくのを感じ、咄嗟に松永は引き留めた。
 なれど応えは無く、元の静寂に戻った。

「呆気ない」

 松永に寄り添い、弓削三郎は艶めいた瞳で顔を見つめた。

「そなたはどう思う? 」

 三郎はほんの少し首を傾げ、朱唇に指を当て考えてから、見た目の印象よりも低い声音で答えた。

「姿を見せたとて蛇。触れる事の出来ぬ幻……此度は声だけ。一体何処より現れ何処《いずこ》に去って行くのか。殿は考えた事がおありですか? 」

 問いに問いで返す。
 但し同時に答えでもあった。

「ふふ、そなたの申す通り気儘過ぎる相手は当てには出来ぬ。気にしても仕方ない、か。それよりも、間者の事気付いておったのか? 」

 口調に苛立ちが混じる。
 信用の出来ない老い先短い年寄り故に、最前線に送り惜し気も無く使い捨てにするつもりだったのか、と。

「女子と言われ思い当たる節はありますが──気付いておれば殿に疾うに申し上げておりまする。」

 三郎の身体を強い力で己の腕の中に倒し込む。
 以前から年の割には若く見えたが、今の松永は胸板厚く逞しく、二の腕には筋肉が隆々と盛り上がっていた。

 左手が三郎の太腿の付け根に素早く滑り込んだ。

「もう、これ以上は……」

「果心の申す事など、と、そなたも思っているのだろう?未だ儂の血は滾り、そなたを求めている。」

「は、あ──」

「間者をどうすべきか」

一人言のように呟きつつも手指の動きは激しさを増していく。

「目星が付いていると申したな? 」

「探り……必ず…見つけ…ふ……う…」

「突き止めるだけで良い。泳がせる。此方が気付いている事に気付かれるな。嘘を吹き込み、反間として利用も出来よう」

「はい……しょうち……」

 立った状態で腰を動かす松永の様は、何かに取り憑かれたかのように鬼気迫っていた。

────
 乳鉢に入れた薬草を乳棒で擂り潰していく。
 四角に畳んだ布に良く潰した薬草を塗り付けると、暗緑の渋い色合いに染まる。

 乱法師は褥の上に諸肌脱いで座し、曲直瀬道三の動きを目で追っていた。
 彼の左右の乳首の間に一寸程の癒えない傷があった。

「痛むか? 」

 そう聞いたのは、乱法師の為に都から曲直瀬道三を呼び寄せた信長である。

「いいえ、痛みは然程」

 未だ夢の中を彷徨っているような不安定さだが、身体の損傷は大した事は無さそうだと信長の表情が綻ぶ。

 蟇目も影針も、その場にいる者達にとっては全く心引き裂かれる辛さだが、乱法師の様子から、一応の効果があるようだと六助は結論付けていた。

 六助や三郎、藤兵衛は信長の許可を得て所有する古い書物や文献を紐解き、必死に神の名を探っている。
 今、部屋にいるのは乱法師と信長と曲直瀬道三の三名のみだ。

「傷は大した事はあらしまへん。血が薄いのも前よりは良うはなってはるようですが、良く食べて良く寝る、これしか無いですやろなあ」

 道三は此度も都から這々の体で安土にやってきて乱法師の傷口を見せられた時には拍子抜けした。
  出血こそしていたが、あくまでも表層の傷のみで内臓にまで達する重傷では無い。

 それについての分析は、その後あれこれと為された。

「影針を嫌がった果心が苦肉の策で若様との繋がりを一時強うしたんじゃないろうか」

「それで胸に傷が生じた。ならば果心が更なる痛手を負ったのは間違い無いという事か」

「恐らく」

「影針をすれば若様にも傷が付くという脅しのようじゃな。忌々しい奴め」

  結局、攻めの一手と士気が上がったのも束の間、断念せざるを得なくなったのである。
 因みに度々老体に鞭打って都から安土に駆け付けるのは堪らぬと、曲直瀬道三は暫く安土に滞在する事になっている。

 乱法師の傷は摩訶不思議で、白黒付けたい信長の内でも明確な答えは出ていない。
 だが、それはそれなのである。
 乱法師の体調が以前よりも芳しいという喜びの方が心の内の殆んどを占めていた。
  曲直瀬道三を退らせて後、信長は己の身に彼を凭れさせ二人きりで話しをした。

「道三の見立てでは大した事は無いという事じゃから、一先ず安心である」

 明るい声で語り掛ける懊悩の無い主の表情に比べ、乱法師の顔は暗かった。
 話しの順序がおかしい。
  何故、何があったかを真っ先に話してくれないのだろうか。

  そんな不満を精一杯込め、円らな瞳で訴えてみたつもりが、笑みを浮かべる唇からは答えが発せられる様子は無い。
  ただ愛しそうに髪や額に口付けたり、顎を捉え唇に触れてくるばかりである。



 



 








 

 
 



 
 

 
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