森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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「この刀で首筋を打ったのじゃ。弾き出したというより気を失っておる故、心を操られ無いというだけであろう。目を覚ませば分からぬ」

 六助は信長の腰刀に目を移した。
 朱で塗られた漆に斜めに金を被せた派手な拵えの鞘に細かく刻みが入り、柄巻まで金色と、眩ゆ過ぎる程である。

「その御刀? 」

「 藤三郎行光なる刀工が鍛えし刀でのう。二百年は遡るであろう古の名刀じゃ。刀身に不動三尊が彫られている故、いつしか不動呼ばれるようになったのだろう。見てみるか? 」

 鞘を払って刀身を先ず見せ、持ってみるようにと柄を差し出す。
 藤兵衛は仰天した。
 抜き身の刀を素性の賎しい、いや、それ以上に良く知りもしない相手に差し出したからだ。
 刀の切っ先が信長の方を向いている状態で。

 純朴な六助は畏まり不動行光を手に取った。
 殆ど飾り刀として腰に差しているだけなので、一度も人を斬った事は無い。
 所有する名刀は五百本とも伝わるが、専ら蒐集しているだけである。

 六助は刀を手に持った瞬間、清浄な気が体内に流れ込むのを感じた。 
 並みの人間であれば力が漲るようなと曖昧に捉えるところ、六助ははっきりと刀と共鳴するような感覚を覚えた。

 刀身に浮き彫りされた不動三尊。
 不動三尊とは、不動明王と、その眷属である矜羯羅童子《こんがらどうじ》と制多迦童子《せいたかどうじ》を加えたものを言う。

 不動明王像は右手に三鈷剣《さんこけん》、左手に羂索《けんさく》を持ち、迦楼羅焔《かるらえん》を背負った姿で多くが描かれている。 
 三鈷剣で魔を祓い人々の煩悩を断ち切り、羂索は悪を縛り煩悩に迷う人々を縛り吊り上げ、半ば強引に救い出す為の縄。
 迦楼羅とは口から火を吐く神の鳥で、仏教において煩悩の象徴とされる毒蛇を食らう事から、人々の煩悩を消し去る霊鳥とされ、吐く炎は不浄を焼き尽くすと云われている。

 刀身に彫られた不動明王を眺めているうちに、目の前に座す信長の姿と重なる。
 
 如何にも恐ろしげな憤怒の形相は、手段を選ばず衆生を救うという激しい決意の表れであり、その根底にあるのは慈悲の心なのである。

「見事であろう。だが不動行光である故に術が破れたという訳でもあるまい? 」

「──へっえ、まあ、それにしても見事な御刀でごぜえますな」

 唐突に信長の声が上から降ってきたように感じられた。
 柄を信長に向け刀を返す。

 つい口ごもってしまったのは、信長は妖や霊魂の存在に対して否定的である為、直接話しをする機会は滅多にあるまいが、もしあった場合呉々も気を付けよと三郎や藤兵衛から釘を刺されていたからだ。

 『不動行光である故に』という信長の問いに対する答えは実は是である。
 それに邪心を弾き飛ばせたのは不動行光の力だけでは無い。

 如何に優れた道具であっても、それを使いこなす、或いは引き出す能力が無ければ宝の持ち腐れという訳なのだ。

 並みの術師では果心を退ける事は出来ない。

 専ら祈祷を生業とする者が専門の法具を用いてさえ難しい事を、信長はやってのけたのだ。
 日頃神仏に祈る事さえしないというのに。

 六助には信長から立ち上る強い気が見えていた。
 生まれながらにして並みの者とは違う。
 やはり果心は信長を恐れている。
 それに対して自分を恐れないのが憎くて仕方ないのだろうと確信した。

「乱が目覚めぬ。強く打ち過ぎたか」

 信長は再び乱法師の寝顔に目を移し、心底心配そうに呟いた。

「息遣いも穏やかでございますし、朝には恐らく目覚めるのでは無いかと」

 果心を圧倒する覇気に満ち溢れた人間と同じとは思えぬ気弱な様子に、三郎が慰めの言葉を掛けた。

 不動行光に魔を祓う力があっても、身に付けているだけで確実な護符の役割を果たす訳では無い。
 それは、常に携えているのに、信長自身が都で襲撃を受けた事でも明らかだ。

『若様は上様の御側にいるべきじゃ。果心の魂を弾き飛ばせたのは無意識で偶々じゃろうが。げに大事に思うていなさるがやろう。守ろうという強い思いが不動行光の力を引き出したに違いねえ』
 
 目に見えぬ力の効果は思いの強さによっても左右される。
 時に呪術の心得の無い者が、一流の呪術師を凌駕する事があるのは、そうした思いに依るのだ。
 しかし、そうした力は意図して出せるものでは無く、不動行光を持つ信長の力を常に当てには出来無い。

「乱が心を操られた事も、儂に対する奴の憎悪も。度々乱のみが襲撃を受けている事や理由は他言無用じゃ」

 三郎も六助も藤兵衛も、その意味を重く捉え顔を引き締める。

 心配な事が二つあると言っていた、そのもう一つ。
 やはり信長はそれに気付いた。

 天下を撹乱し己の存在を誇示したいという自己顕示欲もさることながら、あくまでも美しい乱法師に対する邪な欲望から端を発している。
 それを織田家の家臣達が知ってしまったら、罪なき乱法師を元凶として責めたて、贄とする事を進言する者も出てくるかも知れない。
 三郎の予想通り、乱法師を守る事を優先させてくれた事に胸の奥がじんと熱くなった。

「六助!何か妙案があれば申せ!儂に出来る事なら力を貸そう! 」

「奴の正体を掴み掛けちゅーんや。以前の名は覚信。そこまでは分かっちょりますけんど。奴は、えっとそのぉ神の力を手に入れ、己を神言いゆーんでございます」

「ふん、たわけた事を!何が神じゃ、気味の悪い不細工な面をしおって! 」

「へえ、それでその、術を解くには奴が力を借りちゅー神の名を突き止める必要があるきございます」

 あくまでも幻術を破る為に神の名が必要なのだと伝わるよう言葉を選ぶ。

「では、名を突き止める為に情報を集めるとしよう。他には何かあるか? 」

「果心はこれからも若様を狙うて参りましょう。ですので出来るだけ安全な場所に」

「何処に置くのが安全なのじゃ? 」

「上様の御側でごぜえます」

「小姓として側に置くのでは無く、常に側に置けという意味か? 」

 捉えように依っては、やや色っぽい意味にも思えてしまう。
 一日中、しかも特に夜半過ぎが望ましいと六助は言っているのだ。

 無論、同衾する事こそ望んでいるがと此処まで考え、六助の純朴な顔を見ながら、ふっと自嘲気味に笑った。

「この邸に住まわせる為の部屋を与えよう。この邸で寝起きさせれば滅多な事では近付けまい。警備も万全じゃしのう。二度と不埒な真似をしようとしたら儂が只ではおかぬ」

 愛しい者が弱る姿を見ているのは切なくもあるが、仄かな幸せを時に感じる事もある。
 弱っているからこそ距離は縮まり、元より近ければ更に寄り添う。
 甲斐甲斐しく世話を焼けば相手の信頼と愛は嫌が上にも高まるというものだ。

 愛しい者の甘えた瞳が、己のみに向けられる至福の一時。

「忝のう存じまする。我が主の為に左様な御心遣い。この藤兵衛、感激の余り、涙が……うぐ……うう……」

 伊集院藤兵衛も信長の意外な優しさに触れ感涙に咽ぶ。

「ぜってえ朝に来ねえとは言えねえけんど、可能性は低い思う。仮に来たとしても若様には指一本触れさせねえき上様はどうか休んどーせ」

 信長は六助の瞳を見詰め、次に乱法師の寝顔に目を遣り、再び六助に戻す。

「相分かった。乱を頼んだぞ! 」

「へえ!お任せ下せえ」

 満足気に頷き信長が部屋から去った途端、随分部屋が広くなったように感じられた。

「上様に申し上げて真に良かったのであろうか? 」

「上様が我等に力をお貸し下さるなど心強い限りではございませぬか」

 三名は夜が明けるまで気持ちを張り詰め警戒を怠らなかった。

───

「殿、摂津より報せの者が参っておりまする」

 小姓が声を掛けた時、順慶は伸び掛けの坊主頭を、同朋衆(貴人の身の回りの世話をする僧体の者)の木阿弥に剃らせているところだった。

 静かに瞑想しているかのように閉じていた瞼を僅かに開き、少し待てと伝える。
 髭も綺麗に剃り角盥の水で顔を洗い浄め、木阿弥に渡された鏡で頭の剃り具合を確認した後、漸く先程の小姓に命じた。

「通せ! 」

 因みに、この同朋衆の木阿弥には、順慶の父順昭が病死した際、声が似ていた事から影武者を務めたという逸話がある。
 幼かった順慶の成人と共に影武者は不要となり、元の身分に戻った事から『元の木阿弥』という諺が生まれたのだと云う。

 この逸話の信憑性にはかなり疑問がある。

 順昭が亡くなった時、順慶は僅か二歳。
 成人した為に木阿弥が用済みとなったのなら、少なくとも十年以上も声だけで周囲を欺いていた事になるからだ。
 ともかく、木阿弥は順慶の幼い頃から筒井家に仕え盲目で老齢でもあったので、小姓が伊賀者を連れて来た時も人払いはしなかった。

「果心が弾正(松永)の元に現れたのか」

「は!それが人の姿では無かったと。しかも己を神と名乗っていたらしいのですが……」

「どんな姿をしていたと言うのじゃ? 」

「蛇にございます」

 人を驚かせるのに長けてはいたが、今度は蛇に化け己を神と宣うとは。
 蛇の姿は酔狂に過ぎず、そこを追及するのは時間の無駄と思い、最も肝心な点に絞る事にした。

「奴は弾正とどんな話しをしていたのじゃ」

「幻術を見せ、上手くその気にさせたようにございます。それで、どうやら気持ちはかなり傾き、恐らく時期を見て謀叛を起こす気であろうと」

「してやったり!!網に引っ掛かりおったか!」

 実年齢より老成して見られる事が多い順慶だが、実は死ぬ程の負けず嫌いで流れる血潮は熱い。
 顔を紅潮させ、計略が思惑通りに進んでいる事に興奮を隠しきれず、大きく膝を叩き拳を突き上げる。

  時期を見てというのは、松永単独で信長に歯向かっても勝ち目は少ないので、織田の敵対勢力と手を結び呼応して動くという意味である。

「今度こそ完全に息の根を止めてくれようぞ」

 五年前にも謀叛を企て此度で二度目となれば、流石にあの信長が簡単に降伏を赦すとは思えない。
 しかし脳裏に松永が所有する天下の名物茶器の名が浮かび、歓喜で膨れた気持ちが僅かに萎む。

 死んでも平蜘蛛は信長に渡すまいと誓う程に、憤懣を掻き立てる必要がある。
  
「どのような幻術を見せ、弾正をその気にさせたのであろうか? 」

 謀叛の意志が真に揺ぎないのかが気になった。

 「多聞山城の破却に鬱憤を募らせ、謀反を起こすのではと殿と信長公が御話しされている所を幻術で見せたそうでございます。それを見て大層立腹し、謀叛の決意が固まったようでございます」

「何故、奴がそれを知っている。何処かから見ていたというのか」

 順慶は背筋に薄っすらと寒気を覚え、いきなり立ち上がると部屋中のそこかしこ、天井に至るまで見回さずにはいられなかった。

「上様の御小姓を操り、その者の目を通してと申していたらしく。それも決意を固める理由の一つになったようでございます」

「つまり筒抜けという事か。その小姓は己の意思で知らせていたのか?その者の名は? 」

「恐らく本人は気付かずに反間(二重スパイ)として使われていたのでしょう。名は森乱法師、金山城主武蔵守の弟にございます」

「存じておる、その者の名は。良くぞ突き止めた!流石は月読。お乱は上様のお手付きである。これはまずい、まずいぞ! 」

 乱法師に語り掛ける信長の口調と表情の優しく甘やかだった事をまざまざと思い出した。
 成る程、寵童を上手く操れば暗殺すら可能と思ったか。

 今のうちに上様に言うか?いや、儂の企みまで知れたらまずい。
 それに疑いのみでは罰せぬ。
 弾正には謀反を起こして貰わねばならぬ。

 『乱法師という間者』の存在がそれを後押ししているならば、今告げれば決意が鈍ってしまう。
 だが松永の天下になるのはもっとまずい。
 たかが小姓一人、始末しようと思えばいつでも出来る。
 反乱の狼煙を上げてからじゃ。
 それまでは秘密にしておかねば。

「お乱を見張れ!本人は無意識だから厄介じゃが、上様に危害を加えるような動きがあれば始末せよ」

 そうまでして松永を葬り去りたい。
 筒井城を奪われた、あの時から誓ってきたのだ。
 絶対に大和の主権、松永にだけは奪われまじと。
 両雄並び立たず。
 もう年寄り故そなたに御譲り致そうなどと大人しく隠居する玉では無い。

 その目は常に獲物を狙う鷹のようで、若い順慶よりも余程ぎらついている。

 分かるのだ。
 愛する者以上に頭の中を占める相手だからこそ。
 目の前に血肉をぶら下げれば、喰らい付かずにいられない野獣だという事が。

 仇敵の出世を横目で見ながら心血注ぎ込んだ城を破壊され、為す術無く秘蔵の平蜘蛛を奪われるのも時間の問題。
 命永らえる為だけに全てを搾り取られ、嘗ての栄華を夢で見る事のみを心の支えに、老醜を晒して畳の上で死ぬなど本望ではあるまい。
 寧ろ死に花を咲かせる機会を与えてやろうという慈悲深い行為に思えてきた。

「月読《つくよみ》は他に何か? 」

「どうやら余所の間者が入り込んでいるようだと書いてありました。正体は突き止めていないが間者で間違いなく、その者は女であると」

「くの一か!本願寺か毛利か武田か、或いは雑賀か。気取られてはならぬ。そ奴の目的と正体が掴めれば、利用する事も出来るやも知れぬからのう。月読ならば上手く立ち回るであろう。呉々も用心せよと伝えるのじゃ! 」

「はっ! 」

───

 払暁から降り始めた雨のせいで、時刻は凡そ巳の刻(9時から11時頃)は過ぎているが、未明と紛う程部屋は薄暗い。
 その部屋にいる三人の男達の表情も空と同じくどんよりと沈鬱であった。

 旧暦の閏七月を過ぎ、八月の初旬ともなれば夏の名残りの暑さよりも肌寒いと感じる今日この頃。

 雨も然り。

「まだお目覚めになられぬ」

 重苦しい沈黙を破ったのは、三名の中で最も年嵩の伊集院藤兵衛である。

「上様には……」

「御公務で御忙しい。まだ御伝えせぬ方が良い」

 昨夜信長の刀背打ちで倒れた乱法師は昏々と眠り続けている。
 普段は目覚めは良い方で、何時もなら疾うに起きている頃だ。

 信長の住まう仮御殿の一室である。
 出仕した大勢の家臣達が忙しく働く音や声は、部屋の中まで聞こえてくる。

 繭の中にでもいるように眠る様子は、明らかに尋常では無かった。

「この儘お目覚めになられないという事はよもやあるまいな? 」

 藤兵衛は毎度六助に頼らざるを得ない状況に多少の疚しさを感じながらも聞かずにいられなかった。

「無理に覚ます事も出来る事は出来るろう。やけんど……」

「ならば──」

「何度もこうした事を繰り返せば、そのうち若様の御心が果心に囚われ目覚められんなるかも知れん」

「そんな!それでは死んでしまうではないか!何とか出来ぬのか! 」

 六助の言葉は二人の耳に非情に響き、目を背け続けてきた事態の深刻さを否応なく突き付けた。

「外からでは攻め難いと悟り、内側を攻める事にしたんやろう。つまり若様の魂を」

「今までとは、どう違うのじゃ? 」

「結界で御守りしにくうなるんや。結界は外からの侵入を防ぐもんやき。例えば狐憑きちょか結界の中に入れたち落とす事は出来ん。寧ろ身体の外に追い出したいんじゃき」

 やり口を見極めたと思うと、また違う手で攻めてくる。
 その度に防ぐ手段を新たに講じなければならない。

 信長の元にいれば絶対に安心という迷信は脆くも崩れ去ったが、昼には攻撃を積極的に仕掛けてこないという点は変わっていない。
 しかし夜だけと分かっていたところで心安らかに過ごせる訳でも無く、三名共に果心の執念深さに疲労と鬱憤が積もり積もってきていた。

「一体どうすれば?名を突き止めるのを奴は待ってはくれぬぞ」

「出来るだけ操られんよう魂を御守りせんとならん。今まで通り結界は必要でございます。操られて何か周りに悪させんようにって事じゃけんど」

「この先お目覚めになられなくなるやもしれぬ、というのは何故じゃ」

「身体は若様のものやき、抵抗するに決まっちゅー。互いに鬩ぎ合うてまったい(弱い)方が負ける。こがな内側の戦いじゃあ外から助けんのはえらい事や。呪いでも病でも戦でも、自身の心の強さが必要なんや」

「何故、乱法師様が斯様な目に合わねばならぬ。代われるものなら代わって差し上げたい」

 乱法師に兄のように頼りにされている三郎は、取り分け顔に悲壮感を滲ませた。

「厄介なのは身体は若様やき危害は加えられん事や。昨晩みたいに刀背打ちするとか、果心の邪な魂ごと縛り上げちまうという事も考えたんやけんど、そがな事何回もしちょったら、若様の心がちゃがまって(壊れて)しまわんかって心配で……」

「何れ目覚める事さえ無くなると、そういう訳じゃな」

「獣の怨念使うた呪いは中々祓うのがえらいんだ。生半可な呪詛返ししたら全部こっちに呪いが返ってきちまう。そしたら──二度と若様は救えん。」

「蛇憑きって事か? 」

「そこで若様の魂強うする為に上様の御力が必要なんや。互いの思い慕う心。それこそが真の繋がりで絆や。上様が守ろうとする御気持ちが強けりゃ強い程、支配を跳ね返す若様の御心を強うする事が出来る。どんな結界よりも呪いを跳ね返す力を引き出せるかもしれんのじゃ」

 三郎の胸に熱いものが込み上げ、気付くと瞳から涙が溢れていた。
 藤兵衛は信長という心強い味方を得て、疲弊していた心身に再び力が漲るのを感じた。

 理屈では無く、三名は信長という存在に僅かに触れただけで、必ず果心を退け乱法師を救ってくれるという無条件の信頼を寄せるようになっていた。

「上様が参られます」

 その信長が公務の合間に様子を見に訪れるらしく、小姓の声に三名は居住まいを正した。

 部屋に現れた信長は、赤墨、象牙、柿色の連なる大きな菱形紋様で三色に色分けされた小袖姿であった。
 背中心の上部から黄金の大鷹が羽を広げ見下ろし、裾側には、これまた黄金の竜が鷹を見上げるという構図である。
 睨み合う鷹と竜の周りには意匠化された松が金糸銀糸で縫い取られ、袴は着けず着流しで、帯は銀と濃い紅の段々模様。

 信長にしか似合わぬであろう大胆な小袖を纏っていると益々威厳に満ち、登場の瞬間から自然に頭を下げさせてしまう風格が漂っていた。

「乱は──」

 しかし部屋に入った途端、その堂々たる顔つきはみるみるうちに和らぎ、褥の上に横たわる少年の姿に目を留めると、憂鬱な吐息を洩らした。

 即座に褥の側に寄るや乱法師の額に手を置き、体温と息遣いを確認する。
 面にやや安堵の色が浮かんだが、後ろに控える三名の方を見遣る事無く低い声で告げた。

「曲直瀬道三を呼ぶ」

───

 新たな兵糧を運び込んでいるであろう馬の嘶き、男達の騒がしい声。
 噂話に花を咲かせる女達の囁き、笑い声。
 飯を炊く湯気が立ち上り、味噌の香りが漂う。

 織田軍の拠点天王寺砦。
 茶臼山という僅か標高26mの、山というよりは小高い丘に築かれた砦は戦いの最前線にあった。

 一説によると茶臼山自体が古墳として築かれたものと云われ、形状は前方後円墳である。
 かの有名な真田丸を始めとした歴史に残る合戦場となっただけあり、非常に見晴らしが良かった。

 射干こと『お藤』は女達の噂話しに適当に相づちを打ちながら、別の事を考えていた。
 それは弓削三郎と果心との間で交わされていた先夜の話しについてである。
 当に女達の話題に上っているのは弓削三郎の事であり、右の耳から彼に関する有益な情報を拾いつつ、という状況だった。

「昨晩も? 」
「御身体に悪いよ。灸を据えてまで若い男と……」
「あんな美形何処から……得体が知れない……」
「知らないのかい?歴とした大和の武家の……」

「大和の武家? 」

 最後に問いを発したのは射干である。

 毎晩だろうと好きにやっとくれと思うが、彼の正体に関する情報は聞き捨てならなかった。

「あんなに可愛がって側から離さないんだから、いくら美形でも何処かの馬の骨って訳が無いよ」

「それは誰から? 」

「誰かは忘れたけど大和の侍らしいよ。美貌を見初められ小姓にって……ふふ、良くある話しだろ? 」

 信用出来るような出来ないような、殆ど噂の範疇とも言える曖昧な話しだった。
 だが、もし本当なら?

 大和出身ならば敵の者では無いのか。

 三郎は若い。

 射干は素性を偽っているが、大和の出身であるというのは本当だ。
 独特の訛りを、その土地の出身で無い者が習得するのは至難の技だ。

『悔しいけど全く綺麗な肌だった。化粧で誤魔化して無いんだから間違い無く若い筈』

 化粧という手段を使いにくい男性の場合、十代の青年と偽るならば、実年齢との差は五歳程度が限度だろう。
 三郎が大和の出身というのは射干の記憶に依っても辻褄が合う。

 
 

 





















 



 
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