森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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 雲行きの怪しいのを気にして乱法師の足の運びが自然と早まる。
 降り始める前に仮御殿に到着すると直ぐに信長の元へ行くようにと命じられた。

 庭に面した廊下を歩いている途中で、雨がぽつぽつと降り始めた。
 
 乱法師が直々に呼ばれる時には信長ただ一人の場合が多いのだが、此度は数名の家臣達が側に控えていた。

 筆頭家老柴田勝家に次ぐ織田家宿老の丹羽長秀、古参の側近菅屋長頼、猪子兵介、秀才と評判の掘秀政、お馴染みの万見重元、長谷川秀一、祐筆の太田牛一等。

「乱、近う」

 手招きされて腰をすっと上げ、顔を少し伏せ気味に優美な挙措で移動する。

「良く似合っている」

 唐突に信長から掛けられた言葉の意味が分からず、はっと顔を上げた。

「その小袖じゃ。華やかでそなたに良く似合うている」

 唐紅と桜鼠の片身変わりに意匠化された鬱金や白緑色の大輪の菊花が咲き乱れ、袖や腰の辺りは菱形紋様に扇形というど派手な小袖に麻織りの袴は舛花色(くすんだ浅葱色)。

 本日の華やかな装いが、どうやらお気に召したらしい。

 信長は屈託無い笑みを浮かべているが、二人きりの時ならいざ知らず、重臣達が集う公の席で衣装を褒められ気恥ずかしかった。

 重鎮丹羽長秀の表情は穏やかに見えたが、菅屋、猪子、万見、掘、太田の側近衆の面持ちからは特別な感情は読み取れない。
 ただ一人、長谷川秀一は不快な空気を漂わせ、極力目を合わせぬよう皆が座す場まで移動した。

 年上の家臣達の輪に加わると、華やかで良いと、つい口から出てしまった気持ちも分かろうというものだ。
 安土桃山時代の小袖は男性のものでも非常に柄が斬新で華やか、南蛮文化の影響からか紅色も好まれた。

 元服前の極めて美童の彼が派手に装えば更に艶やかに、その場にぱっと華が咲いたようになる。
 信長を中心に両脇に座した彼等の末席に控えめに着くと、中央に地図が置かれているのが目に入った。

「乱、そなたはそこにいて良く見て聞いておれ」

 地図は軍議で使われるもので、誰を出陣させ何処に配置し、どの砦を攻めるかなどを協議する為のものであろう。

 諸国からの報せに応じて武将や側近衆を随時召集し、素早く決断しなければならない。

 乱法師は今此処に己がいるに相応しい人間なのだろうかと不安になったが、真剣に皆のやり取りに耳を傾け理解するように努めた。

「先ず、安芸の毛利輝元」

 閉じた儘の扇で地図上の安芸を指し示す。

 摂津の石山本願寺は表向き静かに籠城を決め込んでいるように見えるが、織田方は本願寺と毛利を繋ぐ木津砦を制圧出来ていない。

 恐ろしいのは毛利の水軍である。

 昨年、本願寺への兵糧搬入を阻止しようと木津川口で毛利水軍と九鬼嘉隆を総大将とした織田方の水軍が激突した。

 結果は毛利勢の圧勝で、九鬼水軍は壊滅的打撃を被り信長は報復を誓った。

 この木津川口を制圧しない限り本願寺の息の根を止める事は出来ない。
 情報では本願寺の顕如上人は、再び毛利に水軍を要請しているという。

 次に扇は備後の鞆《とも》を指した。

 備後は毛利家の領地であり、信長により都を追われた十五代将軍足利義昭が庇護されている土地でもある。
 それ故に『鞆幕府』と人々は呼んでいた。

 如何に凋落したりと謂えども、朝廷から任じられた正式な将軍は未だ義昭である。
 彼を旗頭として攻め上り、信長こそが簒奪者故討ち果たせと諸大名に号令されたら厄介だ。

 毛利を撃退し木津川口を制圧すれば、本願寺に兵糧を運び込む道は絶たれる。

 その秘策を信長は語った。

 船が燃えない為にはどうすれば良いかと水軍を指揮する九鬼嘉隆と頭を捻って考えた結果、鉄での造船を思い付いたのだ。

 扇の先は、機内から遠く離れた越後に動いた。
 越後の龍、上杉謙信。

 昨年信長との同盟関係を破棄し、将軍足利義昭の仲介で本願寺と和睦している。
 織田家筆頭家老で北陸方面軍の司令官、柴田勝家が越前や加賀で起こる一向一揆の平定を任されていた。

 しかし本願寺と和睦した事により、一向一揆の抵抗が無くなった上杉謙信が織田領の加賀に進攻し、能登の七尾城を現在包囲中なのである。
 これらの軍事行動は、本願寺、毛利、足利義昭、上杉で連携して行われており、偶々では無く手を結んでの事だ。

 つまり第三次信長包囲網が形成されつつある危険な状況で、織田家が一丸となり一糸乱れぬ行動で事に当たらねばならなかった。

 ところが七月に柴田勝家と羽柴秀吉が軍議で衝突し、羽柴秀吉が戦線離脱するという重大な軍規違反を犯し、北陸方面の足並みは既に乱れていた。

 それと忘れてはならないのが甲斐の武田勝頼である。
 言わずとしれた甲斐の虎、武田信玄の息子で、長篠の戦いで織田徳川連合軍の鉄砲隊の攻撃に大敗を喫している。

 その後、勢いは弱まったが、毛利の力を借り都への帰還を目論む足利義昭が勝頼を誘わぬ訳が無かった。

「此処までで何か意見はあるか! 」

「高天神城は徳川軍が包囲しておりますから、武田勝頼は動けぬでしょうな」

 丹羽長秀の言葉で扇は遠江と駿河の国境にある高天神城という支城の上に置かれた。
 高天神城は要地の為、武田と徳川との間で激しい争奪戦が繰り広げられ、現在は武田の所有となっている。

 長篠の戦い後、徳川家康は高天神城を奪還すべく数多の付け城を築き、武田方の武将への調略を密かに行っていた。
 徳川方の付け城が高天神城への補給路を塞ぎ、折角手に入れた城の維持に勝頼は苦戦を強いられている。

 乱法師は戦況を分析する信長に一瞬見惚れてしまった。
 連日の鍛練や野駆けで日焼けした、きりりと引き締まったやや浅黒い顔と、家臣達と今後の対策を練る信長の真剣な面持ちは、彼が憧れる強い武将の心像そのものであった。

 このような場に若輩者の自分をわざわざ参加させてくれる寛大さに感動し、心の奥を柔らかく摘ままれたようにきゅんとなってしまう。
 そんな乱法師の気持ちを他所に、扇は次なる標的を指した。

 紀伊国、雑賀。
 本願寺に力を貸す鉄砲傭兵集団雑賀衆。

 本願寺の主力であり、その鉄砲による攻撃力は脅威である。
 雑賀衆は紀伊国の五つの地域の地侍によって構成されており、大名家に属さない共和国的自治体であった。

 本願寺の戦力を削ぐ為、信長は今年の二月から三月に大規模な紀州討伐を行っている。

 雑賀衆は全部で五組。
 地域は宮郷、中郷、南郷、雑賀荘、十ヶ郷。
 そのうち十ヶ郷の鈴木孫一と雑賀荘の土橋守重が強い力を有していた。

 雑賀衆には一向衆徒も数多いたが、他宗派もあって、宗教的事情で本願寺を支援したい者と、単純に信長に対する反発で本願寺に与する者、それ自体に従いたくない為に信長に対して恭順の意を示す者とがいた。

 そこで雑賀の融和的な三組を引き入れて後、軍を進め、あくまでも反抗する残り二組、雑賀荘と十ヶ郷を叩いた。

 やがて織田軍の攻撃に根を上げ、十ヶ郷の鈴木孫一と雑賀荘の土橋守重等が連署した誓紙を出して降伏した。

 だが、そんな紙きれ一枚など何時でも反古にされてきた時代である。

「雑賀荘と十ヶ郷は必ず動くであろう。この儘大人しくしている筈が無い」

「鞆の公方様(将軍足利義昭)が諸大名に御内書を発し呼び掛けております故、誓紙を交わしてから半年も経ってはおりませぬが、本願寺方に付く恐れはありますな。特に注意せねばなりますまい」

「うむ、雑賀が動いたら筒井順慶を出陣させよう」

 雑賀衆には今のところ動きはなかったが、織田家に一旦は臣従した筈の畿内の豪族達の寝返りが昨年から相次いでいた。

 将軍の御内書には威力があるのだ。

 諸国の敵の動きに対する対策の話し合いが一先ず終了すると地図は畳まれ、割り当てられた任務をこなす為に重臣達が退出していく。

「では私も──」

「待て!そなたは此処に残れ! 」

 乱法師が腰を上げると若干予想していたが、やはり引き止められた。

「聞いていてどうであった?良く理解出来たか? 」

 信長は脇息に凭れた気楽な姿勢だが、乱法師は顔を強張らせ畏まり、座り直した。

「はっ!私のような若輩者に同座をお許し下さり恐悦至極に存じまする。非常にためになる──」

「違う!駄目じゃ、近う参れ! 」

 乱法師の言葉は何故か突然遮られた。
 何が違うのかさっぱり分からず、失言をしてしまったのかと狼狽える。

「早う近う参れ! 」

 物言いはぶっきらぼうで、怒っていないのに、そう見える時がある。
 答えが意に添わなかったのかと、びくびくしながら側に行くと、ぐいっと手を引かれ腕の中に抱き込まれてしまった。

「実に堅苦しい。そのような畏まった返答は望んでおらぬ」

「申し訳ございませぬ。私のような役立たずの若輩者には有難い思し召しにて。つい、気が利かぬ事でございました」

「誠に役立たずと思えばそなたを呼び寄せたりはせぬ。これからの織田家を支える大事な家臣と思うておる。堅苦しい物言いはそなたには似合わぬ。もう一度聞くぞ!どう思った?どのように感じたのじゃ?分からぬ事があれば教えよう」

 肩を抱き寄せ、俯き加減の彼の顔を覗き込む様子は軍事について語り合おうという場面には到底見えない。

 触れ合った身体から体温が伝わり、鼓動の音まで響いてくる。

 信長は型通りの返答は望んでいない。
 素直に思った儘を答えよと言っているのだ。
 それに、この距離では誤魔化しは一切通用しない。

 乱法師は己の心に問い掛けた。

 地図を見ながら、先ず何を思ったかを。
 それを思った時、身体が細かく震えた。

「多くの敵を……非常に強大な敵を抱えておられると感じました……」

 小姓として信長の身の回りの世話をするのを第一と心得、その狭い世界で見ている分には神とも思える強い主である。
 朝廷から右大臣の官職を許され、築きつつある安土城は、この国の王に相応しい巨大さだ。
 ところが改めて各地の戦況を地図上で知れば、命を脅かす敵の何と多い事か。

 信長の指が温かい涙をそっと掬った。
 涙の意味は問わなくても分かっている。
 無垢な魂が注ぐ忠誠心と優しい愛からだと言う事を。
 小賢しい意見などよりも、本音を言えば余程一粒の涙の方が嬉しかったが、敢えて心中に留めた。

「くく、全く懲りぬ奴等じゃ!愚かな公方も、それに与する輩もじゃ。それに本願寺!神仏を盾に民を操る不届き者共めが。あ奴等になぞ神仏は断じて力を貸さぬと思い知らせてくれようぞ! 」

 窮地に立たされれば立たされる程、闘争心が燃え上がるのか、何処か楽しげに目が生き生きと輝きを増してくる。

 それに引き換え乱法師は、情けない事にすっかり衝撃を受けてしまっていたのだ。
 無邪気に主の『強さ』に心酔していたが、現実を知り、まだ天下統一は遥か遠くにあるのだと。

 道は厳しく険しいのに、ずっと戦い続けながら気力を失わない覇気の凄さに感動した。

「そなたは、この戦況をどう見る?確かに敵に囲まれておるが、いきなり打破するのは流石に無理じゃな。はっはっは! 」

 やはり楽しんでいる。

「本願寺こそが最大の敵と考えまする。信仰の本体である石山の力を削ぎ根を上げるよう仕向けるには、兵糧を絶つという手しか考え付きませぬ。それには木津川口を押さえて毛利を入れぬ事、雑賀衆を叩くか味方に引き入れる事。上様は雑賀がまた本願寺に与すると仰せでしたが、それは雑賀荘と十ヶ郷でございましょう?全ての雑賀衆が一丸となれば脅威でございますが、後の三組は引き続きこちらに味方するでしょう。他の敵に対するのに、先ず意見の異なる近郷を攻めなければならない。そこが彼等の弱点と感じました」

「ふふん、中々良い意見じゃ。そなたは孔明か」

「お戯れを。先程の軍議で皆様が仰せでございました。戦況を聞いていれば誰でも分かる事で、ただ発言を繰り返しているだけに過ぎませぬ」

 礼儀正しく楚々とした品の良い姿も好みだが、打ち解けた時に見せる生意気な一面も可愛くて堪らない。
 春風を纏うような鷹揚とした風情から、きりりと理知的な顔つきに変わり、鋭い意見を述べるところも愛しかった。

「ふむ、策としてはそうじゃが、雑賀については然程言及しておらぬ。奴等は仲間同士ではないが、雑賀衆と一括りにされる通り、奴等自身が何処かで個々と割り切れぬ所が確かに弱点やも知れぬな」

 信長を包囲する敵のうち『家』では無い集団が本願寺と雑賀衆。
 家長を中心とする家の方が意見は纏り易い。
 例えば本願寺の場合は一つの信仰により結束している。

 だが雑賀衆は時に大名に力を貸し、雑賀衆同士で争う事もあるが敵同士という程対立した存在でも無く、力や金に屈している訳でも無いようだ。

 十ヶ郷の鈴木孫一は一向宗徒である。
 故に本願寺に力を貸している。

 信仰心だけが決め手では無いが、それ以外の宗派が多い郷は味方に付け易いという事になる。

「これだけの敵に囲まれれば孔明とて妙案は浮かばぬであろう。戦に勝つ為には先ず己の置かれた状況に向き合い、冷静さを失わぬ事が肝心じゃ。後は勝機が巡ってくるのを待つしかない。肝を据えておれば大軍に囲まれても活路を見出だす事が出来る」

 乱法師は傅役の藤兵衛にせがんでは、合戦の物語を聞かせて貰った幼き日を思い出した。
 特に好きだったのは信長が桶狭間で勝利した時の話しだった。
 もう少し長じてからは、武田最強の騎馬軍団を鉄砲で打ち破った長篠の戦いの話しに夢中になった。

 亡き父にも今のように膝の上で抱かれながら合戦の話しをして貰ったと微かな記憶が甦り、顔を上げると鼻先に触れる程近くに信長の柔らかい髭があった。

「上様御自ら、御教授頂き真に有り難きしあ──あっ! 」

 そこで信長に思いっきり鼻を摘ままれてしまった。

「いい加減に致せ!堅苦しいのは好かぬと申したであろう。今度そのような言い方をしたら口を塞いでやろうぞ」

 そう言いニヤリと悪童めいた笑みを浮かべたが、直ぐに真剣な顔付きに変わる。
 乱法師の顔を仰向けさせ、桜色の唇を指でそっとなぞると顔を近付けた。

「筒井順慶殿が参られました」

 襖の外から聞こえた来訪の知らせで、信長の動きがぴたりと止まる。

「分かった!此処に通せ! 」

 頬を染めた儘ぼんやりしている乱法師を見て薄く笑いながら、また鼻を摘まんだ。

「こら!順慶が来るぞ!居住まいを正せ! 」

───

 順慶は重い足取りで廊下を進みながら、何度も口角を上げたり下げたりしていた。
 終いには頬を引っ張りつねり叩き、夢中で顔の強張りを揉み解そうと躍起になった。

「順慶殿をお連れ致しました」

 先導した小姓の声で部屋の前に着いてしまった事にはっと気付き、整えるべき髪など無い癖に慌てて坊主頭を撫で回す。
 心の準備が完全に整う前に襖は無情に開かれ、戦場よりも怖い場所へと足を踏み入れた。

「順慶、畏まってないで早う近くに参れ!何じゃ随分顔色が良いではないか!酒でも飲んできたか。あっはっはっは! 」

 順慶の怯懦を嘲笑うような機嫌の良さで出迎えられる。
 頬を揉み解しておいて良かったのかどうか。

「お戯れを。御前に罷り越すのに酒など、決して決して──」

 勢いに圧されながらも、そこは断固として否定した。

「くっっは戯れ言じゃ!まあ座れ! 」

 順慶は謁見用では無い、やや私的な部屋に連れて来られた意味が分かり安堵した。
 信長は機嫌が良く、深刻な話しをするつもりは無いようだ。

「多聞山城の木材や石、壁も中々良い状態の物が多い故、安土の城造りに役に立っている」

 城を建てるには相当量の石や木が必要となる。
 廃城の建材や、罰当りに思えるが、石仏などを石段や石垣に使用する事も珍しく無かった。

「多聞山城の石や木を用いて、更に壮麗で絢爛豪華な城が出来上がるのが今から楽しみでございまする。安土の御城こそが日の本一の城とたちまち諸国で評判となる事でしょう」

 然り気無く部屋には乱法師しかいない事を見て取ると、こちらから果心の事を持ち出すべきかと空気を窺う。
 順慶の心中は穏やかで無くとも、表面上は和やかに話しが進んでいくが、どんなに会話が弾んでいても必ず間が生じるものだ。
 その間が、いちいち辛い。

 信長が「それはそうと」「さて」などと前置きする度に「果心の件は申し訳ございませんでした。」と頭を下げてしまいたくなる。

 しかし主君である信長が聞きたい事を聞き、それに答える形で進んでいるのに、いきなり話しの腰を折る訳にもいかず、向こうから言い出すのを待つしか無かった。

 ちらっと乱法師の方を盗み見る。

「それはそうと雑賀の動きはどうじゃ」

 謁見が始まってから何度信長の口から『それはそうと』という言葉が発せられただろうか。

「配下の伊賀者に探らせておりますが怪しい動きは見えませぬ。そ、それはそうと上様……」

 思わず己の口から積極的に話題を変える言葉が出てしまった事に動じる。

「何じゃ、早く申せ! 」

 信長はともかく短気でせっかちである。
 体裁を取り繕おうと勿体ぶる姑息な前置きと無駄な追従が、蛆虫よりも嫌いだった。
 そんな事に時間を費やすならば、有益な意見を述べる事に頭を使えと思ってしまうのだ。

 能力を示せる者ならば少しぐらい無礼があっても気にしない。
 乱法師のような者は信長から見て非の打ち所が無かった。
 控え目に見えるが意思が強く、はっきりと己の考えを述べるのに無駄な事は言わない。

 取り繕う事無く心身共に清々しく、利発であるのに少しも偉ぶったところが無い。
 素直で物腰優雅なのに勇敢で、年の割には腕も立つ。
 これ程側近に相応しい者がいるだろうか。

 一度信長の前で発した言葉を、再び呑み込む事は許されない。
 順慶が唾を嚥下すると、ごくりという音が耳の奥で響いた。

「実は多聞山城の破却に対し、松永弾正殿(久秀)が臍を曲げておると摂津から聞こえて参ったのでございます」

「──であるか」

 言うべきかどうか悩んだ末にという順慶と比べ、返答は拍子抜けする程あっさりしていた。

「私の申し上げたいのは毛利、上杉、雑賀が動けば、弾正殿も……もしや……という危険性について──」

 順慶は言わんとする事が上手く伝わらなかったのではと言い直そうとした。

「承知しておる。従わせる、というのは中々どうして難しいものじゃ。貴様は家臣を試した事があるか?無理難題を言って、何処まで己に従うかと」

「まさか!上様は弾正殿を試しておられるのですか? 」

 乱法師も思わず瞠目する。

「そういう訳では無い。が──従う事を選んだ以上、腹の内ではどのように不服であっても従って貰わねばならぬ。確かに貴様の申す通り松永は危険な男よ。世間は一度叛いた者故にと言うやも知れぬが、逆にそのような者の方が叛きにくいのでは無いかと思っておる。だからこそ、多聞山の破却を命じた。大事な物を失う苦しみと、従うという事がどういう事かを教え込む為にな。もう一度叛けば、もっと大事な物を失う事になるという事じゃ」

「つ、つまり……」

「脅しじゃ」

「松永が謀反を起こしたら今度は何を差し出して命乞いをするかのう」

『平蜘蛛の釜。まさか、その為に弾正を追い詰めるような真似を? 』

「───それはそうと順慶」

 信長の声が妙に低くなったように感じたのは気のせいなのか。

「は……」

「果心の事じゃが、どうなっておる」






 



 


 






 




 









 



 
 
 




 

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