森蘭丸外伝─果心居士

第８章 依代

　安土に向かう馬上で揺られながら、乱法師は近頃類を見ない程爽快な気分を味わっていた。
　信長は屏風を手放し、強力な呪術師六助が必ず守ると誓ってくれたのだから。

　果心が実は生きていて、天下を覆そうと企んでいると信長に認識させる事が出来た。
　狙われている本人が無自覚では守るのはそれだけ難しくなる。

　乱法師は六助とのやり取りを思い出した。

　屏風や『みてぐら』に集められ、一旦封じ込められている邪念を完全に浄める為に『高田の行』と『みてぐらくくり』をすると言っていた。
　みてぐらくくりとは、みてぐらを解体して不動からめの縄で縛り川に流したり、すそ林と呼ばれる特定の場所に埋める、いざなぎ流の『取り分け』の最後の儀式である。

　取り分けとは、呪詛を集め鎮め送る一連の流れを言う。
　高田の行《おこない》とは、式神としての高田王子の力を借りて、みてぐらに集められた呪詛を封印する事である。

　取り敢えず信長を害する恐れのある呪具を始末出来たのだから、果心に対する大きな反撃となった事は間違い無い。

　都を発つ前に時間を貰い、六助とゆっくり話しをした。
　お陰で二条邸の化け物騒動の裏側や、屏風の果たしていた役割についても良く理解出来た。

「乱法師様、お分かりかとは思うがこれで終わりではねえや。寧ろこれからや。怖がらせるつもりはないけんど相手はまっこと手強い」

「分かっておる。その恐ろしさは身を持ってな。それでも上様から少しでも危険を取り除く事が出来て良かった」

「その事についても良う分かんねえ。果心は何で上様の御命狙うだか。儂が頭悪いきか。武将でもないのに天下が欲しいのか。村におった時、師匠は言うちょった。呪いは殆んど妬みだって。縺れてごっちゃに見えても糸を解いちまえば人の心は簡単だって。上様を呪うなんて、とんでもねえ大それた事やけんど理由は簡単なのかもしんねえ。家族殺されたとかかのう」

　それについて乱法師には心当たりが勿論あった。
　六助の上げた理由は、最も該当しそうでありながら違うように感じた。

　理不尽に殺された者達の怨念と、遺された家族の怨みは以て非なるものだ。
　肉体を持たぬのが霊であるのだから、怨みを晴らす手段は『呪い』しか選択肢が無い。

　しかし仮に自分の家族を殺されたとしたら、呪いという不確実なものに頼るだろうか。

───否。

　それは己が武士だからかとも考えたが直ぐに否定した。
　例えるなら刀で人を殺めるのは陽、呪い殺すのは陰。

　つまり家族を殺された怨みならば公にし易いが、妬みの場合は疚しさから後ろ暗い行動に走り易いのではないか。

　乱法師は出来る限り、果心にされた事の詳細や幻聴について打ち明けた。

　今まで三郎や藤兵衛にも言えなかった、異様な形状の男根で犯されそうになった事も声を震わせながら何とか話し終えた。

「信じらんねえです」

　話し終えた途端六助は言った。

「信じられぬのも無理は無い。人なのか蛇なのか──」

「そうではのうて、乱法師様が男子と分かっちゅーのに襲うてくるゆうとこがや。女子だと勘違いしちゅーんではねえやか？儂には信じらんねえ」

　稚児趣味は上流社会に脈々と受け継がれてきた風習である。
　現代の同性愛とは些か異なり、寧ろ数多いる異性愛者達によって広まった悪習と言える。

　下層で暮らす民からして稚児趣味程縁遠いものは無い。
　食も生殖も、最低限生きる為のものでしか有り得無いからだ。

　故に少年の尻を追い掛け回すなど時間の無駄と考える以上に、六助のように山奥で暮らしてきた者にとっては、同性愛という概念そのものが欠如していた。

　とはいえ、今や敬愛する乱法師が言う事である。
　結論としては信じたのだったが。

「男子である乱法師様に懸想するなんて何処までも気色の悪い男、いや雄でございますな」

「儂とて上様の事をお慕い申し上げておるぞ。そなたから見ると気持ち悪いであろうか？ 」

「それは御家臣としての純粋なお気持ちでごぜえましょう？ 」

　そう聞かれ、純粋とそうでない好きとの違いが分からなくなってしまった。
　家臣の身で主と裸で睦み合うのは物凄く汚れた行為ではないのか。

　心の揺らぎに戸惑う。
　それ自体が汚れているのか。

　彼が生きる上流社会では年上の男が少年を愛でる事は至極当たり前の風景であったから変だと思った事が無かった。

「うむ、その通りである」

　男色そのものに免疫の無い六助と、心に沸き起こった複雑な感情を突き詰めて話し合う事は避けた。

「ともかく気を付けとーせ。屏風は子供騙しだ。大した呪いじゃねえ。儂が心配しとるのは乱法師様の事や。げに怖がらせたくはないけんども言わんとなんねえ。果心と乱法師様は繋がっちゅーんや」

「繋がってる？ 」

　恐怖が身体中を舐め回していく順に全身の毛がぞぞっと音を立て逆立つ。

「腕香の男にその場で何かされたんやろう。初めて会うて、そがな悪さするなんてやっぱり男と知った上で懸想しちまったんやろうか？信じらんねえ。なんぼ綺麗でも男が男の尻を追い掛けるなんて気持ちわりい。あっ、申し訳ござらん。乱法師様の事ではねえや。果心の事や！ 」

　乱法師は苦笑し居心地の悪さにもぞもぞと尻を動かした。

「儂が思うに本当の狙いは上様では無うて乱法師様では無いんやろうか？ 」

「そんな馬鹿な──」

　確かに果心は己に歪んだ恋情を抱いているが、それと信長を殺そうとする事を結び付けた事はなかった。
　二つは結び付いているのだろうか。

　己を手に入れる為に信長を殺そうとしているのか。
　それとも天下を支配する事が目的で、その手段として己を操ろうとしているだけなのか。

　果心の魂は著しく歪み、どす黒く病んでいる。

　周囲に愛され天真爛漫に育った年若い乱法師とは余りにも掛け離れ過ぎて、その目的を見抜く事は難しかった。
　
　果心自身にさえ──

───

「果心が生きているじゃと？その報せを何処から得たのじゃ！ 」

「上様の御側に仕える者からの話しでございますから、まず間違いは無いかと」

　切妻造りの茅葺き屋根は優美な曲線を描き、上に装飾としての千木《ちぎ》と鰹木《かつおぎ》が付けられている。
　それと同じ形の社殿がいくつも建ち並び、柱は全て朱色で塗装され、森の鮮緑との対比が美しい。

　此処は大和国、八百年の歴史を持ち藤原氏の氏神であるタケミカヅチという雷神を祀る春日大社の境内である。

　若き大和守護、筒井順慶の社参は恒例となっていた。

　神仏習合思想が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体と考えられるようになり、元興福寺の衆徒であった筒井氏が頻繁に詣でるのはごく自然な事だった。

　厳かな静寂を震わせる程に、つい大声を出してしまった事を悔やみ、慌てて声を潜める。

「その話しが真であるならば果心は一体何処におるのじゃ！どうして今頃になって、そんな話しが？荼毘に付され儂が墓を建ててやったのじゃぞ」

　間者は都での出来事を順を追って語り始めた。
　都で化け物騒動があり、同時に二条邸に賊が忍び込み、信長の命を狙ったらしいという事。
　化け物は屏風から抜け出たものであるらしい事。

「屏風から抜け出たじゃと？たわけた事を申すな！ 」

「はっ！いえ、それが結局……果心が実は生きていて幻術によって騒動を起こしたという話しになっているようでございます。何故、そのような話しになったかと申しますと……」

「何という事じゃ！生きていただけではなく、畏れ多くも上様の御命を狙い、帝がおわす都を騒がせたとは！真ならば、とんでもない事を仕出かしたものじゃ！だが解せぬ。いきなり生きているという話しにどうしてなるのか。他の者の仕業では無いのか？ 」

　筒井順慶の心中穏やかならざるは無理からぬ事。
　果心の幻術を一興と信長への手土産代わりに軽く紹介したのは彼だからだ。

　幸か不幸か様々な事件が次々と起こったおかげで、彼の存在に思い至る者は今のところいなかった。

「少し込み入っておりまして、先ず上様は騒動の際に体調を崩され意識を失っておられた上に、日頃から妖の類いなどおらぬと仰せでございますから、御家中の方々が口々に見た事を申し上げても腑抜け共がと罵倒され──それででございます。突然、猿曳の六助なる者が連れて来られ──」

「待て！何故、突然猿曳が出て来るのじゃ」

「それが、ちいとばかし私にも──ええと確か吉田神社の神官兼和様の下男とかで。屏風の祈祷に関わっていたとかいないとか。ともかく、抜け出た鬼や化け物を元に戻したのは自分じゃと、この六助が言い出し、却って怪しい奴となりまして……そこで登場したのが森乱法師様という御小姓でございまする」

「今度は小姓か！その森乱という小姓、ん？森？ああ……あの時の」

　安土に参上した際に紹介された乱法師の事を思い出した。
　この時代の男にありがちな『稚児』としての美しさに助平心がざわついたものの、大事が重なり忘れていた。

　しかし考えてみれば、森家と言えば織田家中では重鎮筆頭であった三左衛門可成の遺児である。
　今や兄の武蔵守長可の武勇と悪行は家中で知らぬものとて無い。

　弟は大人しやかで随分品が良いなとあっさりと頭の片隅に押しやっていたが、突然忘れ掛けていた名前が登場し、いきなり兄と弟が頭の中で結び付いた。

　異常な程血の気が多い兄と、可憐な花のような弟を頭の中に同時に置いた途端、胸焼けがして、ふらりとよろめく。

「それでその小姓がどうしたのじゃ」

「はあ、邸に化け物共が押し寄せた際に、その御小姓のみが恐れず獅子奮迅の働きをしたらしく、上様が褒め上げ褒めちぎり──賊には悉く逃げられ、六助が騒動の下手人と半ば決まり引っ立てられようとしたところ、その御小姓が待ったを掛けたのでございます」

　何やら話し方が芝居じみてきたなと感じながら、何もしていない時ですら舐め回すような可愛がり振りなのだから、獅子奮迅の働きをした乱法師を殊更褒めちぎる信長の様子が目に浮かんだ。

「それで果心は生きているのでは？と、その御小姓が言い出したのでございます」

「生きているという根拠は何じゃ！ 」

「屏風は元々果心の物で巧みな幻術使い故に、こんな事が出来る者は他にいないといったところでございます。それと六助よりも果心の方が人相風体が怪しいからという、まあ何と申しましょうか……」

　順慶は眉を顰《しか》めた。
　聞いてみれば、果心が生きているという根拠は余りにも薄弱である。

「それだけか？ 」

「えっええと、そういえば御小姓は戦いの最中、上様を呪う声を耳にしたそうでございます」

「何じゃと？」

　声を荒げたのは二つの理由からであった。
　それが真であれば、長く果心と交流がある己が謀反を目論み怪しい幻術師を送り込んだと疑われ兼ねないではないかという事。

　もう一つは──

「その声を聞いたのは森の御乱だけか？ 」

「はっ！そのようでございます」

　やはりな──
　明確な理由は無いが、そんな気がしたのだ。

　周囲から見れば、殆ど無条件で、あの恐ろしい信長に愛されてしまう何か。
　それを言葉だけで表現するのは難しいが、もし他の者が同じ発言をしたとしたら、相当追及されたに違いない。
　兄の武蔵守も厄介だが、弟は別の意味で絶対に敵に回したく無い相手だと思った。

　ともかく肝心なのは信長が、果心が生きていて己に害を及ぼそうとしたのだという言葉を丸々信じたという事だ。
　確かに嘘を吐くような少年には見えない。
　
　真っ直ぐな澄んだ瞳。

「此度の事、あの古狸も既に耳にしておるであろう。それを聞いて奴が悪巧みせぬ筈が無い。一度でも上様に疑われてみよ。せっかく得た大和守護職から転落じゃ。ならば先手を打ち逆に此度の騒動を利用してやる。月読《つくよみ》を用い、奴の心に燻る叛心に火を付け、自滅するようにじわじわ追い詰めてくれようぞ。直ぐに摂津に向かい月読に伝えよ！ 」

「はっ！ 」

──

「それにしても暑いな」

「身体をお拭き致しまする」

　桶に張った冷たい水に手拭いを浸し軽く絞ると、優しい手つきで弓削三郎は諸肌脱いだ松永久秀の身体の汗を拭っていく。
　皮膚には茶色いシミが点々と目に付くが、弛みが少ないのは日々の鍛練と摂生の賜物であろう。

　信長の命令で本願寺攻めの付け城、此処天王寺砦に入ったのは数日前の事だ。

　軽い造りの甲冑とはいえ、馬に跨がって大和から摂津への行軍はきつかった。
　加えて今は閏七月。
　蝉の声も喧しい熱い盛りの時期である。

　しかし大将として叱咤激励する身でありながら、乗馬が辛いと女子供のように輿で移動したら、下の者達に示しが付かぬと歯を食い縛って耐え抜いた。

　茶臼山に築かれた天王寺砦は、摂津の石山本願寺を北に睨む形で築かれ、双方の距離は僅か一里程という、最前線の場所に位置している。
　周囲は深く堀巡らされ、盛り上がった上町台地の崖端に建ち守備力は高い。
　毛利からの援軍要請の水路を確保する為に築かれた本願寺側の砦群との距離は一里にも満たず、まるで常に鼻付き合わせ睨み合っているかのような緊張感がある。

　天王寺砦の戦いとして伝わる砦対砦の攻防戦で、信長が足に鉄砲傷を負ったのは昨年の事であった。


　本願寺に力を貸す雑賀衆の鉄砲隊は脅威であり、この砦を築いた織田家重臣の原田直政も討ち死にしている。
　謂わば仮設の城に過ぎないが、長く在陣、或いは籠城出来るよう備えは万全で、生活空間としての設備も整っている為、それなりに快適だった。

「ふう」

「如何がなさいましたか？ 」

　三郎は思わず手を止めた。

「いや、己がつい情けなくなってしまった」

　そのたった一言で主の心中を痛い程察し、三郎は美しい唇を噛み締めた。

「心中御察し申し上げます」

　嘗て日本一の名城と自他共に認める建築美を誇った多聞山城の破却が、宿敵筒井順慶の手により着々と進められていると、聞きたくも無い報せが入ってきていた。
　子を殺されるような苦しみとは決して言い過ぎではなく、真は床に拳を打ち付け絶叫したい程の心境なのだ。

　最前線の要地に老齢の己が駆り出されるのは能力を見込まれてか、それとも他に割ける要員がいないからなのか、棺に片足突っ込んだ老人故に使い捨てる思惑なのか。

　三郎の手に身を委ねているうちに激情は収まるが、代わりに空虚になった胸の内には悲観的な考えばかりが浮かんでは消える。
　三好長慶の家臣として権勢を極め、信長から上杉謙信に贈られた洛中洛外図の屏風には、華麗な松永邸も描き込まれていた。

　そんな華やかなりし過去は最早夢のようだ。

「殿、 柳生松吟庵殿から書状が届いておりまする。」

「何？ 」

　その知らせは虚ろな空洞の如き瞳に生き生きとした光を戻した。
　小姓の手から書状を毟り取り、自ら目を走らせる。

　柳生松吟庵とは、後に徳川将軍家指南役となる柳生新影流で有名な柳生一族、石舟斎の弟に当たる人物だが、松永とは茶の湯を通して昵懇な間柄であった。

　友などという存在を求めるのは愚かな時代。
　だが、あらゆる悪逆は全て彼のせいであると囁かれる程の梟雄は、柳生松吟庵を誰よりも信じていた。

　打算の無い友からの文は松永の身を案じる情愛に溢れ、ささくれた心に響いた。

「何と書かれているのですか？ 」

　口元がいつの間にか楽しげに綻んだ主を見て、三郎が尋ねた。

「大した事では無い。茶室に飾るのに良い掛け軸を見つけたとか。堺の商人から中々値打ちがありそうな茶釜を譲り受けたとか。ははは、帰城したら茶会をしたいから呉々も武運を祈ると」

　武人の武運を祈る、当たり前の言葉が胸に染みた。
　もう長い付き合いになる。
　お互い若くは無い。

　松永に仕える前、柳生一族は筒井順慶の被官であったが、大和の支配者が筒井氏から松永氏に移った際に寝返った。

　松永の現在の家臣の中には筒井家で碌を食んでいた柳生一族同様の者達が数多くいる。
　そのような状況下で家臣となった者達なのだから、情勢が変われば再び寝返る危険性はある筈なのだが、打算抜きで強い結び付きというのも確かに存在するらしい。

「二枚目もあるな。どれどれ……」

　三枚ある書状の二枚目に移ると松永は言葉を失った。

「どうしたのですか？ 」

「果心が生きていると。詳しい事は分からぬがと前置きしているが、この話しは都での騒動に関わっており、何れ詳細が御耳に届くだろうが出来るだけ早くと思い筆を取ったと」

　柳生一族は元々筒井氏の力に屈して家臣となった為、順慶に良い感情を抱いていない。
　元被官であった立場を多いに利用し、筒井氏を攻略する為の知恵を松永に貸してきた。
　この情報が筒井順慶の立場を危うくする可能性があると、松吟庵も見抜いているのだろう。

「面白い。都にいる間者共からよりも松吟庵の知らせが早いとはな」

「信じられませぬ」

「儂とて信じられぬ。しかし松吟庵が不確かな情報を知らせてくるとは思えぬ。柳生の情報にはいつも助けられてきたからのう」

「この知らせをどう扱われるおつもりですか？ 」

　三郎は驚愕の事実に戸惑いつつ問い掛けた。

「使えるか使えぬか。第一、死んだ振りをしていた果心の思惑が分からぬ。順慶よりも早く行方を探し出して問い質す必要があるな」

「多聞山城の事を耳にする度、悔しくてなりませぬ。上様が殿を追い詰めているようにしか見えないのです。この儘では──」

「そなたのような若者にまで心配されるとはな。無事戻れたら隠居を願い出るというのも一つの手か。武士を捨て茶会を催し連歌を詠んで余生を過ごす。結構な事ではないか。そして畳の上で死ぬる。人は誇りなどという厄介なものを捨てる事が出来れば、自由に生きられるのであろうな」

「…………」

　松永は黙ってぐいっと三郎を胸に引き寄せ激しく唇を吸った。　
　その膂力は隠居という弱音を吐くには凡そ似つかわしくない程に逞しく、松永自身にも分かっていた。
　畳の上で死ぬ事は無いし、滅びの道も自分で選ぶ事になるだろう、と。

「精々足掻いてみせる。何れにせよ、ただでは死なぬ」

「必ず今の状況を覆す何かが起こると信じておりまする。あっ……」

　節榑立った指が三郎の小袖に潜り込んだ。

「そなたを抱きたい──今すぐ、此処でじゃ」

　小袖の裾を捲り上げ、三郎の下帯の中に指を滑り入れた。
　三郎の声は蜜のように甘く蕩け、松永の小袖の中に待ちきれないと手を忍ばせる。

　何度松永の腕の中で歓喜の涙を流したか分からない。
　今も己から狂おしく求める始末だ。

　そんな淫奔な欲望を常に受け止め、悦楽で酔わせてしまう包容力が松永には備わっていた。

「おお、三郎──」

　松永に包容力と技巧があるならば、三郎の肌は水を弾く若さに満ち溢れ、程好い柔らかさと滑らかさは松永を夢中にさせた。
　松永を迎え入れた肉体は快楽を感じる度に震え、実に素直に悦びを伝えてくる。

　若さごと取り込もうとするかのように彼の頭髪を掻き抱き、激しく腰を突き上げると汗が滴り落ちた。

──

「お藤！そっちの飯は、もう用意出来たのかい？」

「はい、ただいま」

　天王寺砦の台所では、大和国周辺で募りかき集められた女達が夕飯の準備で忙しく働いていた。
　飯炊き洗濯などの雑用係りの女達であるが、夜になれば下級武士達の求めに応じて春も鬻《ひさ》ぐ。

　比較的織田方に有利な立場での睨み合いが続いているが、毛利水軍に雑賀衆の鉄砲、越後の上杉謙信の動き次第では、息を潜めて籠城する本願寺勢も直ぐに息を吹き返すだろう。