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しおりを挟む初対面の印象は、可哀想に、だった。
俺の勤める研究所は成績最優秀者の集まりで、間違いなく国内、いや、世界でもトップクラスの研究所。
それに加えて、容姿の面接でもあるのかと言いたくなるくらい顔が整いまくったやつらばかりの巣窟だった。
かくいう俺も学生時代はそれなりにモテた。しかしここの奴らは異常なほどに整っている。
まあその分中身はクズや変態しかいない。
所長を筆頭に。
そんな職場にある日、めちゃくちゃ平凡な男が入ってきた。
成績は良い方だったらしいが、要領が悪く凡ミスを繰り返すし、顔だってこう言っちゃなんだが特筆するところがないほど平凡。
最初にそいつを見た時、ついに所長が人体実験用に調達でもしたのかと思った。
しかし、人体実験の方がもしかしたら幸せだったかもしれない。
「浜、波に何かあったらすぐに俺に知らせて」
そう言われたのは、男が入って1週間経つか経たないか、それくらいの時期だった。
「…な、波?誰っすか?」
波なんて苗字のやつはこの所内にはいない。
あだ名やコードネームなど存在しないし、誰のことを指しているのか皆目見当もつかなかった。
すると所長は眉を顰め、
「白石波だよ。ついこの間入ってきたでしょ」
と言い放った。
そもそも所長が俺以外の名前を覚えていること自体珍しいのに、フルネームを覚え、しかも名前で呼んでいる。
ちなみに俺の場合は苗字が短くて覚えやすく、所長とも学生時代からの仲で同期だからかろうじて覚えているようだが、多分下の名前は知らないだろう。
「えっと…兄弟とか、親戚とか?」
「面白いこというね、全然似てないでしょ」
「そうだよな…」
「あんな可愛い子、どこを探してもいない、絶対手に入れなきゃ。まだ準備が整ってないからね、それまで逃げないように、他の奴らが余計なことして波が逃げないように見張っててよ」
何かの冗談かと思ったが、どうやら本気らしい。
研究で新しい発見をした時にだってしたことのない笑みを浮かべていた。
所長の懸念は案の定大当たり。
外見を揶揄されることはもちろん、所長に名前を覚えられているなんて生意気だ、所長が何度も叱責しているから自分も当たり散らしていい、そんなつまらない理由でストレス発散しようという輩が少なからず現れた。
実際気持ちはわからなくもない。
この研究所は世界トップクラスの実績、つまりそれほど激務で責任感が求められる場所だ。
しかも顔のレベルもプライドも世界最高峰に高い奴らが集まる場所でもある。
そんな研究員の尊敬、羨望の的が所長であり、その所長にどんな理由であれ認められたいと思うのは至極当然の流れだ。
「だからってこれはダメだよなあ?」
「ひっ…!す、すみませんでした…!!」
右手には薬品、左手には波の白衣。
今月で何度こういう現場に居合わせたか。
幸い、毎回直前で止められてるからいいが、だんだんエスカレートしてないか?
物品を回収すると、そいつは逃げるように去っていた。
「浜さん!」
げ。
「お、おう!波!どうした?今日は早いな。」
駆け寄ってきた波に見えないように、先ほど回収した白衣や薬品を後ろ手に隠す。
さっきのやつとのやり取り、見られてないよな?
「昨日所長に渡された資料まだ整理できてなかったので早めに、と思って来たんすけど、白衣見当たらなくて…研究室とかに置き忘れて帰っちゃったかな。」
俺鈍臭いなあと溢しながら困ったように眉を下げるこの男を、所長は好きだと言う。
本当に可哀想に。
所長に惚れられたことも、その所長に恋していることも、所長の下僕の俺に懐いてしまったことも。
全てが可哀想だ。
「白衣ならここだ。ちゃんとロッカーにしまっとかないとな。」
「わ、すんません!見つけてくれてたんすね!」
こんなに素直で素朴なやつ、ここにいる限り滅多に現れない。
だからこそ、こんなところにいちゃいけないとも思う。
こいつはもっと普通に会社に勤めて、出世なんかしなくても毎日そこそこ充実してて、いつかは平凡だけど優しい嫁さんと結婚して、
「…さん、浜さん!」
「!ああ、悪い、ぼーっとしてたわ。」
「大丈夫っすか?」
「人の心配してる場合か?資料整理、終わってないんだろ。」
「やばっそうだった!白衣あざっした!」
そう言って駆け出していく、可哀想で、可愛い後輩のために、俺にできることなんて、
「浜。その薬品、誰のかな?」
幸せを祈ってやることぐらいだ。
背後から静かに肩に置かれた冷たい手。
この手からあいつを逃してやれない自分の無力さを噛み締めながら、俺は握りしめていた薬品を渡した。
「まだ新居できないからさあ、やっぱ所内の人間調教しとくしかないよね」
所長室に戻った後も、受け取った薬品の瓶を手で遊ばせながら、所長は淡々と話す。
顔には出ていないが相当怒りを含んだ声色だ。
「所長が必要以上にあいつに構わなきゃ良いんじゃないすかね。」
「それは俺のせいじゃない、波のせい。」
薬品を机に置き、何かを思案している。
こういう時は碌でもないことを考えていると相場が決まっている。
「というか、あんなに可愛いんだもん、構わない方が無理だよそもそもあいつら嫉妬して虐めてるならまだしも、好きにでもなられたら困る、いや、もしかしたらもう好きになってて好きだからこそ虐めてる可能性もあるんじゃないかな、やっぱり調教しとく必要あるじゃん。」
早口でどんどん展開される所長の妄想。
この次の言葉を俺は知っている。
「ねえ、頼まれてくれるよね?」
質問しているようでほぼ強制的なその台詞を、俺は今まで何度聞いて来ただろうか。
「誓約書、GPS、カメラ、どれから準備してくれる?」
もう俺が準備することは決まっているようだ。
***
ブブブブブブ…
薄暗い灯りがちらつく室内にバイブ音だけが響く。
2時間23分、結構もった方か。
「浜、順調?」
「所長…まあまあっすかね。まだ威力が強すぎる気がしますけど。」
「そっかあ、人間の体って案外脆いなあ。調節が難しい。まああとはこっちでやっとくよ。」
そう言って部屋の中央に設置されたベッドに横たわる男を一瞥する所長。
先ほどまでは大声で叫ぶような喘ぎ声を出していたが、体力が尽きたのか死んだように眠っている。
一応バイタルチェックはしているが、本当に生きているか不安だ。
所内の全員に波に近づかせないという誓約書を書かせ、誓約を破ったり反感を持った奴らをこうして開発したアダルトグッズの実験台にしている。
監視カメラは全て設置、GPSも波の所持品に付け、「家」も完成しいよいよ本人を迎えるだけらしいのだが、中々満足のいくブツができないらしい。
「そろそろお迎えしたいなあ。」
「ぅああ…!!ぁ、っひ、や、やめ、あ“あ“あ“あ“あ“あ“…!!!」
おもむろにスイッチを入れ、実験台を起こす。
これは完全に苛立ちをぶつけているな。
喘ぎ声を通り越して最早悲鳴だ。
今開発しているアダルトグッズは前立腺をダイレクトに刺激しつつ尿道も拡張する代物だ。
どちらも一気に激しい刺激を与えるから長時間の使用は身体が保たないようで、最初のやつは1分も保たずに身体を痙攣させて気絶していた。
どっちかにしろと言っても、自力で排泄できないようにしたいからこだわらなきゃ、と笑顔で言われたらもう何も言えない。
「そろそろ準備しておいてね。近々頼むことになるから。」
「本当にやるのか。」
「…なにそれ、当たり前でしょ。」
所長が驚いた顔をするが、俺自身も何故そう言ったのかわからない。
ただ何故か、考える前に口から言葉がこぼれていた。
「いや、なんでもない、忘れてくれ。」
「…そう。とりあえずそいつ、死なない程度にもう少し見ておいて。」
そう言って立ち去る後ろ姿をぼーっと見つめながら、部屋中に響く男の叫び声を聞いていた。
それから何週間経ったか、あまり覚えていない。
アダルトグッズの調整は無事終わり、もう明日にでも連れてくる準備ができている。
波を連れてきたら全てが終わる。
ここ何ヶ月か、自分の仕事と合わせて所長の無茶振りに応えてきたからか、頭も身体も気だるい。
そうだ、所長が囲ったあとは波の痕跡を全て消すことになる。データベースから波の情報も消さなきゃいけないし、今のうちに準備だけしておこう。
…本当にこれでいいのだろうか。
パソコンを開きながら、何十回も繰り返した自問自答を始める。
両思いとはいえ、可愛い後輩をあんな男に渡してしまって。
確かに仕事の肩書きや実績は申し分ない最高の男かもしれない。
でも中身はどうだ。この上ない最低でクズの節操なしだ。
俺だったら、
もっと幸せにできるのに
パソコンのキーボードを打ち込む手が止まる。
俺、今何を考えた?
俺だったら?
あの所長の代わりに俺なら波を幸せにできると?
…多忙のせいか疲れているようだ。
頭がバグを起こしているんだな、今日は。
こういう日は酒をあおって早く寝るに限る。
時刻は22時半近く。
もう俺しか残ってないとは思うが、もしかしたら波が残業しているかもしれない。
早く寝ようと思っていたが、あと何回会えるかわからないし、いたら飯でも誘ってやるか。
そんなことを考えながら帰り支度をしていた矢先。
電話が鳴った。
「ねえ、人ひとり運びたいんだけど…頼まれてくれるよね?」
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