上 下
31 / 33

31.答え

しおりを挟む
「ただい──……、どうしたんだ? 二人とも」

 シルヴィオから二十分遅れて帰ってきたロベルトが、いつもの空気と違うことを察したのか、そんな声を上げながら帰ってきた。

「いや、なんでもない。食べよう」
「ん? ……おう」

 ロベルトはそれ以上は踏み込まず、いつもと同じように三人で夕飯を食べる。
 食後の片付けはいつもロベルトとシルヴィオがしてくれていて、エリザは自室に戻ってベッドに座った。
 エリザは一人になると、先ほどいわれたシルヴィオの言葉を思い返す。

『結婚しよう、エリザ』

 その言葉に、今さらながらどきどきと胸が高鳴ってきた。
 責任を取るためだけだとわかっているが、それでも生まれて初めてされたプロポーズだ。
 もしできるなら、罪悪感や責任感など関係のないところで、聞いてみたい言葉だった。

「シル……ヴィオ……」

 もし、なんて考えたところでどうしようもない。そうわかっているのに、なぜか胸が悲鳴をあげるように痛みを発し始める。
 シルヴィオと結ばれるなんてばかげた話だと、吐く息とともに痛みを吹き飛ばした。
 お互いに好きだなんて感情はないはずだ。もし、あったとして……斬った斬られたの関係では、幸せになれるとは思えない。

「っふ、幸せって……」

 頭を掠めた幸せという言葉に、思わず嘲笑する。
 奴隷となって、こんな状況になってもまだ、人並みの幸せを追い求めている自分がおかしかった。
 苦痛なく生きられているだけで、十分なはずなのに……と心を納得させようとしたその時、トントンというノックの音が部屋に響く。

「はい?」
「俺だ。入っていいか?」

 ロベルトの声がして入室を促すと、後ろ手に扉を閉めて中に入ってきた。

「なに、ロベルト」

 ベッドに腰掛けたまま見上げると、ロベルトは珍しく大真面目な顔でエリザを見下ろしている。

「話は、シルヴィオに聞いた」

 その言葉に、目の前のロベルトから少し下方に目を逸らす。するとロベルトはエリザの許可なく隣に腰掛けると、視線を無理やり合わせるように覗き込んできた。

「シルヴィオと一緒にいるのがつらいなら、俺と……二人で、一緒に暮らすか」
「え……?」

 一緒にいてつらいのは……きっと、エリザの方ではない。エリザの右手を見るたびに罪悪感に駆られている、シルヴィオの方。
 エリザはそんなシルヴィオを見るのがつらいだけ。結果的にロベルトのいったことは当たっているのだが。
 ロベルトの真剣な瞳が、エリザの瞳に焼きつけられる。

「出しゃばるつもりはなかった。けど、斬った者と斬られた者がそれぞれに罪悪感を抱いて生きていくくらいなら」

 ロベルトはエリザに寄り添うように体を近づけたかと思うと、そっと背中に手を回してくれた。

「ずっと、好きだった。俺と結婚してくれ」

 ロベルトの急なプロポーズに、自分でも驚くほど胸が高鳴っていた。これは喜びという感情なのだと、認識できるほどに。

「ロベルト……」

 ロベルトとなら、楽しく暮らせるかもしれない。
 シルヴィオはエリザのない右手をみるたびに辛くなるだろう。きっと、シルヴィオはエリザの腕を奪った責任を逃れようとはしない。おそらく、一生。
 そんな風にシルヴィオを縛り付けて一緒になっても、きっと幸せとはいえない。だから、エリザはシルヴィオの求婚を断ったのだから。

「一緒に、幸せになろうぜ」

 目を細めて笑うロベルト。優しく愛しい瞳でそういわれた瞬間、涙が溢れ出てきた。
 一緒に幸せになろう……当然といわれれば当然の言葉だ。結婚とは、ともに幸せになるものなのだから。
 嬉しい反面、胸が苦しみを訴え始めた。
 その言葉をいって欲しかったのはロベルトではなく、シルヴィオだったのだ。
 しかしシルヴィオには感情が伴っていないことがわかるからこそ、余計につらかった。

「エリザ」

 サイドの髪をかき上げられ、瞳が近いところで交差する。

 でも、ロベルトとなら……

 ゆっくりと迫りくるロベルトの唇。
 ロベルトは、エリザのことを好きだといってくれる。
 いつも明るいロベルトとなら、幸せになってもいいのだと……そう思える。
 しかし頭では理解しているのに、キスされるのだと思った瞬間、エリザは抵抗するようにロベルトの胸を押し出していた。

「いや……っ! 私やっぱり……」
「俺じゃあだめか?」

 だめじゃない。ロベルトほどの優しくて頼りになる男はそういないし、エリザだってもちろん彼のことが好きだ。それはもう、大好きなのだ。
 なのに、なぜか心はロベルトを拒否している。それがどうしてなのか、自分でもわからない。

「だめじゃない……だめじゃない、けど……」
「シルヴィオ、だろ?」

 ロベルトの口から出てきた互いの親友の名前に、エリザは無意識に体を震わせた。

「なん、で……シルヴィオは、関係な……」
「忘れさせてやるよ」

 また、ホロリとなにかが溢れそうになる。
 ロベルトは、きっと全部を承知の上で……自分を受け入れてくれるのだとわかって。

「……忘れられるの……?」
「ああ」

 ゆっくりと迫る口づけを、今度は避けなかった。
 ただなぜか、重なった唇はとても優しかったにも関わらず、ボロボロと涙だけが流れ落ちる。
 その涙でさえもロベルトは口づけてくれて、より一層胸が苦しくなった。

「エリザ」
「ごめ……なんか、止まらなくて……」

 目の前にいるのはロベルトだというのに。
 彼と一緒なら、幸せになれるとわかっているのに。
 だからキスを受け入れたはずなのに。

 どうして、シルヴィオの顔ばかり出てくるの……っ

 このままではロベルトに申し訳ない。涙を止めようとすると、エリザの体はゆっくりと押し倒され、ベッドの上へと組み敷かれた。

「ロ、ベ……?」
「夫婦になるんだし、いいだろ。忘れさせるには、この方法が手っ取り早い」

 そういったかと思うと、ロベルトは自身の上着をグイと脱ぎ去り、その厚い筋肉をあらわにさせる。あまりの展開に、エリザは頭が追いついていかない。

「まっ……うそ、冗談、だよね?」
「冗談いってるように見えるか?」

 少し笑ってはいるが、大真面目なときのそれだ。
 だからこそ、エリザの血の気は引いた。まさか、いきなりこんなことになるなんて考えてもいなかったのだ。
 ロベルトの手がエリザの体を這い始め、勝手にびくりと腰が跳ねる。

「やめて……やめて、ロベルト……」

 抵抗を試みるも、片手ではまったく歯が立たない。

「なんで……! やめて、おねが、やめてぇっ」
「……やめねぇ」

 本気でするつもりなのだとわかり、必死に抵抗した。
 受け入れるという選択肢は、なぜかエリザの頭の中から吹っ飛んだ。
 下着に手を掛けられた瞬間、エリザは考えるよりも先に叫び声を上げる。

「シルヴィオ!! 助けて、シルヴィオー!!」

 声の限り叫ぶと、別室にいたシルヴィオがバタンと扉を開けて駆けつけてくれる。
 ロベルトに迫られているエリザを見て、シルヴィオは複雑な顔をした。

「ロベルト、とりあえず離れろ。エリザが嫌がってるように見える」
「ああ、嫌がってんな」

 ロベルトはそういうと、あっさりとエリザから離れていく。
 エリザは慌てて起き上がり、あらわになった胸元のシャツを左手で握り締めると、ロベルトから離れてシルヴィオの影に隠れた。

「無理やりするなんて、お前らしくないぞ。ロベルト」
「そーだな。でもこれで気持ちがわかっただろ、エリザ」

 鼻歌でも歌い出しそうな表情で、ロベルトは上着を取り、袖を通し始める。
 きょとんとその姿を見ていると、服を着終えたロベルトがこちらを見てニッと笑った。

「ロベルト……まさか、わざと……?」
「おう。俺がお前のことを好きだっていったのも、一緒に暮らそうっていったのも、全部嘘だ。あ、もちろん友人としては好きだけどな!」

 その言葉にほっとはしたが、喉に異物が入ったような違和感だけが残る。
 エリザがなにもいえずにいると、ロベルトは黙ったままのシルヴィオに向かっていった。

「エリザはお前がいいんだよ。お前と一緒にいた方が、幸せになれるんだぜ」
「だが」
「お前、ちゃんとエリザに好きだっていったか!? 腕を斬っただとか責任だとか、そういうことをとっぱらって話してやれよ!」

 ぷんすかと怒ったあとは、この男らしくニカっと笑う。
 人の機微に聡く、なんでも器用にこなすロベルト。
 だからこその、こんな手段だったのだろうか。

「ロベルト……」
「ごめんな、エリザ。嫌なことしちまって」

 その言葉に、エリザはふるふると首を振った。
 なんでも表情に出るロベルトの、その悲しそうな顔。
 彼が一緒に暮らそうといってくれた時は。
 好きだといってくれた時は。
 キスをしてくれた時は。
 どんな顔をしていたのかを思い返してみる。

 ロベルトがエリザを好きだと断定していたのは、確かカーラだったか。
 あの時、エリザはそんなことがあるわけないと笑い飛ばしてしまったが、今なら──

 足を進めてエリザたちとすれ違おうとするロベルトに、エリザは言葉をかける。

「ごめん……ごめん、ロベルト……」

 ちょうど真横に来ていたロベルトは、その場で一瞬止まり。

「……ありがとう、だろ」

 そういって、エリザの後ろにある扉を開けて出て行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...