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18.会いたい人と覚悟の夜
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カーラが王にルフィーノとアリーチェを逃すよう進言してくれ、その準備が整った。
一番の難関であった身代わりだが、王子は王の忠臣の子で、信心深く改宗するつもりのない若い騎士が名乗りを上げてくれた。王女の方の身代わりは、先日病気で亡くなった女の子の遺体を利用させてもらうことになった。
その作戦を練るのに、エリザも参加させてもらっている。身代わりの事実を知るものはごく一部、王族と軍団長、忠臣のみの機密事項だ。逃げる予定の王子と王女の安全を考慮してのことである。
「では、明日の朝一番にここを出ましょう」
カーラの声が城内の会議室に響く。もう日は落ちていて、地図を照らすカンテラがチラチラとそれぞれの顔を浮かび上がらせた。
王子と王女のお供は四人だけ。
ルフィーノの護衛騎士が一人、アリーチェの護衛騎士が一人、そしてカーラとエリザだ。
カーラとエリザは、ルフィーノたちが無事にアリビ多民族国に入るのを見届けたら、王都に戻ってくる算段である。エリザはどうにか理由をつけて、カーラもアリビに逃すつもりでいるが。
「明日ここを出て、戦乱が起きるまで国境沿いで待機ですか?」
ジアードが戦乱に乗じろといっていたのを思い出し、エリザは問いかけるも、カーラは首を振った。
「いえ、おそらくここを攻めてくるのは最小限の人数だわ。アリビに潜入しているラゲンツの兵の人数も、変わることはないでしょう」
「どうして、最小限だと?」
その問いには、カーラではなくバルナバが答えてくれた。
「先週、第三軍団が落とされた時には、ラゲンツ軍は約二千の兵しかいなかったといっておったろう。この城を落とせる、ギリギリの数だったということはわかるかの」
あの時、第三軍団が二百、第一軍団が二百五十、第四軍団が三百で計七百五十の騎士がいたのだ。近隣の騎士を集めれば、もっと多くなっただろう。ただの数と数の争いなら負けてしまうが、こちらには城というアドバンテージがあったのだ。攻め落とされはするだろうが、それを容易に達成できるような人数ではなかったことくらいは想像がついた。
「そしてラゲンツの兵は、ほとんどがこちらから寝返った騎士だったのだろよ」
「……ラゲンツはリオレインのもの同士で潰させる策略だったんですね」
エリザが答えを出すと、バルナバは首を縦に下ろした。戦場でのエリザの読みは当たっていたらしい。
「おそらくの。ゆえに攻めてくるにしても、何万もの兵は投入してこんよ。潰しあえる人数だけを当ててくるはずだわ」
確かにそれだと、アリビにいるラゲンツ兵たちは、戦争とはまったく関係なしに自分の仕事をするに違いない。ならば、早いに越したことはなかった。
「では、出発は明日の早朝ですね」
「遅くなってしまったが、ゆっくり眠るんじゃぞ。気をつけて行っておいで」
バルナバの優しさにこくんとうなずくと、エリザは会議室をあとにした。
その日、エリザは宿舎には戻らず、城内に一室を与えられて過ごすことになったが、宿舎と違って大きなベッドは逆に落ち着かない。
明日は早いのだから寝なくては……とごろごろ何度も寝返りをうつも、やたらと目が冴えてきてしまった。
仕方なしにランプをつけ、薄明かりを頼りに天井を見上げる。
明日は王子と王女を、護衛騎士たちとともにアリビへと亡命させる。
その際、ラゲンツの兵がいなければ、王女にカーラも連れて行くとわがままをいってもらえるよう、護衛騎士に頼んだ。
ラゲンツの兵がいた場合は、エリザが兵を抑える。その間に王女たちを守るためにカーラごとアリビに入国させ、そのまま遠くに逃げてもらうつもりだ。うまく行くかは、わからないが。
私は明日、死ぬかもしれないな……。
ジアードに会えるなら、それもいいかと覚悟を決める。
その瞬間、胸がなにかを訴えるように苦しくなった。
なにしてるかな……シルヴィオとロベルトは……
眠るのを諦めて、窓を開け放って星空を見上げる。まだ十日も経っていないというのに、なぜだか二人をとても懐かしく感じた。
せめて最後にもう一度だけ、彼らに会いたかった。無理な願いだとわかっていても。
助け合って、ばかをいって笑って、いつも一緒にいたシルヴィオとロベルト。
会いたい、会いたい、会いたい……っ
「ロベルト……」
底抜けに明るくて、おばかかと思いきや頭は良くて。統率力があり、仲間の信頼も厚いロベルト。
人の機微に聡く、適度な気遣いができるロベルトといると気楽だったし、エリザは大好きだった。
そしてシルヴィオ。彼はなんでも器用にこなす幅の広い男だ。仲間思いで優しくて、めちゃくちゃ真面目なくせにどこか不良で。
思えば、エリザが落ち込んでいたときには必ずシルヴィオが隣にいてくれた気がする。
会いたい。
今、隣にいて欲しい。
「シル……ヴィオ……っ」
「なんだ?」
唐突に耳に飛び込んでくるシルヴィオの声。
幻聴でも始まってしまったのかと、エリザは窓からバッと飛び下がる。その瞬間、黒い影が窓から滑り込んできた。一階ではあるが、普通の家より高さのある城だ。誰かが侵入してくるとは思ってもいなかった。
「な!! だ……」
暗がりでもわかる銀髪の男に、エリザは手で口を塞がれた。
「静かに」
聞き間違えるはずもない、その声。
幻聴などではなかった。目の前に本物のシルヴィオがいる。
もう会えないと思っていた人が。会いたいと願っていた人が、目の前に。
単純に嬉しかった。涙があふれそうになるくらいに。
「行くぞ、エリザ」
ふいに手をとられ、体を引っ張られそうになる。エリザは驚いてそれに抵抗した。
真っ黒に染められた騎士服。月明かりでかすかにわかるカフス。もう、シルヴィオはあっちの人間なのだ。
エリザはシルヴィオの手をすっと振り払った。
「エリザ?」
「なにしに来たの、シルヴィオ」
そう問いかけると、シルヴィオは一瞬怪訝そうな顔をした。
「なにしに? エリザがなかなかこっちに来ないから、迎えにきた」
手を振り払われるとは思っていなかったのだろう。シルヴィオはさも当然のようにそういい放ちながら、理解できないといった顔でエリザを見つめていた。
「シルヴィオがここに来ること、セノフォンテ様は承知してくださったの?」
「いってない」
その答えに、今度はエリザが眉を寄せる。
「軍を抜け出してきたってこと?」
「そうなる」
「軍規違反じゃないの!?」
「そうかもな。ラゲンツ軍の軍規なんて、よく知らないが」
あっさりと認めたシルヴィオに面食らう。
確かにちょっと不良なところもあったが、基本的には大真面目で規律違反をするような人間ではなかったはずだ。
いくら元リオレインの人間だからと、単身乗り込んでくるのは危険すぎる。しかもエリザが今いるところは、宿舎ではなく城の一室なのだ。
騎士は少なくなったとはいえ、エリザが大声を上げればたちまち取り囲まれて捕まってしまうに違いない。
「行くぞ」
再びとられそうになった手を躱して逃げる。
行くわけにはいかない。明日、王子と王女……それにカーラを、アリビへと逃さなければいけないのだから。
「……エリザ?」
シルヴィオは空を切った手を拳に変え、なぜだか悲しそうに声を上げた。
「第三軍団は全員改宗しろというのが、ジアード様の望みだっただろう」
「……私は今、第四軍団だから」
とっさに嘘をついた。カーラには受け入れられず、今もたった一人の第三軍団であるのだが。
「屁理屈いうな、あの時はお前も第三だったんだ。これはジアード様の最後の命令なんだぞ」
「違うよ。ジアード様の命令は別にある。私に対してだけは、違うことを望まれた」
「最期のときか……ジアード様はなにをいったんだ?」
どう説明しようか、少し悩んだ。
ジアードの伝言は、エリザを生かすためのものだったとカーラに判断された。素直に話すと、シルヴィオも同じ結論に辿り着いてしまうだろう。そうすれば、やはり改宗を促されるだけだ。
けれどもエリザは、ジアードが伝言を頼んだのはそれだけではないと思っている。
やはりジアードは、己の気持ちをカーラにちゃんと伝えてあげたかったのだと。そのわがままを頼めるのは、エリザしかいなかったのだと。
きっと両方の気持ちが相まって、あの伝言に繋がったのだ。
そしてカーラが逃げるという選択肢を与えたのもジアードで。きっと彼は、カーラに生きて欲しくて。でも、そんなこと誰にも頼めなくて。
『私も……カーラを、愛していた……と……伝え……』
何度も反芻したあのときの言葉を、また脳内で繰り返す。
深読みのし過ぎなのかもしれないが、あの言葉はエリザにカーラを託すと、そうも聞こえたのだ。
ジアードが言葉に出せず飲み込んだ言葉をエリザはそう推測し、確信を得るまでに至っている。
だから、必ずカーラを逃すと決めた。それがジアードの本当の願いだったのだと信じて。
それができるのは、エリザしかいなかったのだと、そう思って。
「ジアード様は私に、カーラ様をこの国から逃すようにとお願いされたの」
エリザは先ほどの質問にそう答えた。
嘘ではないはずだ。きっとジアードは、本当はそう願っていたに違いないのだから。
「嘘をいうな。ジアード様がエリザにそんな命令をするはずがない」
おそらく、なにをいっても無駄だ。このことに関して話し合っても、シルヴィオとはわかり合えないだろう。
それを察知したエリザは、彼に拒否を示すためにくるりと背を向けた。
「一緒に来てくれ……頼む」
エリザの背中に放たれる言葉。首だけで後ろを確認すると、シルヴィオは頭を下げて懇願しているではないか。
どうしてここまでするのか。ありえないシルヴィオの態度に、エリザは混乱する。
「やめて、シルヴィオ……! 私ひとりラゲンツにいったところで、戦力が増えるわけじゃないでしょ!?」
「そうじゃ……ない……っ」
その言葉の直後、がばりと後ろから腕を回された。
強く、しかし優しいその抱擁に、エリザの頭は真っ白になる。
「一緒にいてほしいんだ、エリザ……!」
「なに、を……」
一緒にいたい。
不覚にもエリザも、そう思ってしまった。
元に戻りたい。
ジアードがいて、シルヴィオとロベルトがいて、みんなで楽しく笑って過ごしていたあの日々に。
シルヴィオの温かい腕が心に溶け込み、エリザは目をつむった。
このままシルヴィオとラゲンツに行けば、ジアードはいなくとも前のように過ごせるかもしれない……そんな優しい未来が脳裏を過ぎる。
やめて。やめてシルヴィオ……
たった今決断した思いが、崩れそうになる……っ
明日は王子たちの亡命を決行する日だ。それを提案したのはエリザであり、作戦を途中で放り出すわけにはいかない。
そしてこのことを、敵であるシルヴィオに知られるわけにはいかないのだ。
「やめてよ、シルヴィオ。いい大人が、なにいってるの?」
「……エリザ?」
ぐっと力を込めてその抱擁を無理やり剥がす。くるりと振り向くと、エリザは笑った。
「シルヴィオって大人ぶってるだけで、ほんっとこどもだよね。いつも私のこと見下しては優越感を感じてたでしょ。なに様のつもり?」
「エリザ」
「私が素直に従うとでも思ってた? 全部自分の思い通りになるとでも思ったら大間違いだから。私、シルヴィオのそういうとこ、だいっきらい」
すらすらと驚くほどに出てきてしまったイヤな言葉。シルヴィオは、傷ついていないだろうか。自分からそんな発言をしておいて矛盾しているとわかっていても、思わずにはいられなかった。
シルヴィオの反応はなく、ただじっとエリザを見つめている。
「……なによ、もう行きなさいよ!」
「泣いてるぞ」
「っえ」
はっと気づくと、右目からするりと涙が降りていた。
なんで、と思う間もなく、左目からも熱いものが流れ落ちる。慌てて手の甲で涙を拭くと、どんっとシルヴィオの胸を押し出した。
「……っもう、行ってよ……行って! シルヴィオなんて、嫌いだから……嫌いだからぁっ! 一緒にラゲンツになんて……っ」
「嫌いでいい。一緒に来てくれ」
「ばか……っ」
シルヴィオからほどこされる、再度の抱擁。それがあまりに心地よく、堕落してしまいそうだ。
ジアードは、許してくれるだろうか。このままラゲンツへと行くエリザを。
そしてカーラも理解してくれるだろうか。エリザが突然いなくなった理由を。
そんなの、決まっている。二人はきっと、笑ってそうしろといってくれる。
「行く、よ……私も、ラゲンツに」
「エリザ……!」
シルヴィオの喜ぶような声に、こくりとうなずいた。
「ちょっとだけ、準備させて」
「わかった、急いでくれ」
抱擁を解かれたエリザは、まっすぐに剣の元に向かうとそれを引き抜いた。
シルヴィオの顔は、離れてしまった分だけ暗くなりわからない。
「なにを……」
「来ないで、出て行って! 今すぐ!」
「エリ……」
そのままエリザはバタンと扉を開けると、声の限り叫んだ。
「誰か来て!! 侵入者よ!!!!」
一瞬たじろいだシルヴィオは、それでも判断が早く窓の外へと飛び出して行く。
慌てて窓から外を見ると、二つの人影がシルヴィオを手招いている。
あの動きはきっとロベルト。そしてもう一つは……
「バルナバ様……?」
暗くてはっきりとは見えないが、そんな気がした。二人をバルナバが手引きして中に入れたのだろう。
ならば、帰りも無事に王都を抜けることができるはずだ。エリザはほっと息を吐いて二人を見送った。
エリザの声を聞いて駆けつけた騎士に適当をいって追い返すと、扉を閉めてベッドに倒れ込む。
ごめんね、シルヴィオ……ロベルト……
会いに来てくれて嬉しかったとはいえなかったけど。
傷つけることしかできなかったけど。
来てくれて嬉しかった。
けれど明日の亡命作戦には、エリザがいなくてはいけないのだ。王都に戻るつもりでいるカーラを、アリビに逃すためにも。
たとえすべてを失おうと、二人に嫌われようと。
己に課せられた使命はこれなのだと信じて、明日のためにと無理やり目を閉じる。
死ぬ前に会えてよかった……。
二人はどうか、生きて──
まどろみながら浮かんだ二人の顔は、なぜかとても悲しそうで。
エリザは濡れた枕の居心地の悪さに、不快感を拭えないまま眠った。
一番の難関であった身代わりだが、王子は王の忠臣の子で、信心深く改宗するつもりのない若い騎士が名乗りを上げてくれた。王女の方の身代わりは、先日病気で亡くなった女の子の遺体を利用させてもらうことになった。
その作戦を練るのに、エリザも参加させてもらっている。身代わりの事実を知るものはごく一部、王族と軍団長、忠臣のみの機密事項だ。逃げる予定の王子と王女の安全を考慮してのことである。
「では、明日の朝一番にここを出ましょう」
カーラの声が城内の会議室に響く。もう日は落ちていて、地図を照らすカンテラがチラチラとそれぞれの顔を浮かび上がらせた。
王子と王女のお供は四人だけ。
ルフィーノの護衛騎士が一人、アリーチェの護衛騎士が一人、そしてカーラとエリザだ。
カーラとエリザは、ルフィーノたちが無事にアリビ多民族国に入るのを見届けたら、王都に戻ってくる算段である。エリザはどうにか理由をつけて、カーラもアリビに逃すつもりでいるが。
「明日ここを出て、戦乱が起きるまで国境沿いで待機ですか?」
ジアードが戦乱に乗じろといっていたのを思い出し、エリザは問いかけるも、カーラは首を振った。
「いえ、おそらくここを攻めてくるのは最小限の人数だわ。アリビに潜入しているラゲンツの兵の人数も、変わることはないでしょう」
「どうして、最小限だと?」
その問いには、カーラではなくバルナバが答えてくれた。
「先週、第三軍団が落とされた時には、ラゲンツ軍は約二千の兵しかいなかったといっておったろう。この城を落とせる、ギリギリの数だったということはわかるかの」
あの時、第三軍団が二百、第一軍団が二百五十、第四軍団が三百で計七百五十の騎士がいたのだ。近隣の騎士を集めれば、もっと多くなっただろう。ただの数と数の争いなら負けてしまうが、こちらには城というアドバンテージがあったのだ。攻め落とされはするだろうが、それを容易に達成できるような人数ではなかったことくらいは想像がついた。
「そしてラゲンツの兵は、ほとんどがこちらから寝返った騎士だったのだろよ」
「……ラゲンツはリオレインのもの同士で潰させる策略だったんですね」
エリザが答えを出すと、バルナバは首を縦に下ろした。戦場でのエリザの読みは当たっていたらしい。
「おそらくの。ゆえに攻めてくるにしても、何万もの兵は投入してこんよ。潰しあえる人数だけを当ててくるはずだわ」
確かにそれだと、アリビにいるラゲンツ兵たちは、戦争とはまったく関係なしに自分の仕事をするに違いない。ならば、早いに越したことはなかった。
「では、出発は明日の早朝ですね」
「遅くなってしまったが、ゆっくり眠るんじゃぞ。気をつけて行っておいで」
バルナバの優しさにこくんとうなずくと、エリザは会議室をあとにした。
その日、エリザは宿舎には戻らず、城内に一室を与えられて過ごすことになったが、宿舎と違って大きなベッドは逆に落ち着かない。
明日は早いのだから寝なくては……とごろごろ何度も寝返りをうつも、やたらと目が冴えてきてしまった。
仕方なしにランプをつけ、薄明かりを頼りに天井を見上げる。
明日は王子と王女を、護衛騎士たちとともにアリビへと亡命させる。
その際、ラゲンツの兵がいなければ、王女にカーラも連れて行くとわがままをいってもらえるよう、護衛騎士に頼んだ。
ラゲンツの兵がいた場合は、エリザが兵を抑える。その間に王女たちを守るためにカーラごとアリビに入国させ、そのまま遠くに逃げてもらうつもりだ。うまく行くかは、わからないが。
私は明日、死ぬかもしれないな……。
ジアードに会えるなら、それもいいかと覚悟を決める。
その瞬間、胸がなにかを訴えるように苦しくなった。
なにしてるかな……シルヴィオとロベルトは……
眠るのを諦めて、窓を開け放って星空を見上げる。まだ十日も経っていないというのに、なぜだか二人をとても懐かしく感じた。
せめて最後にもう一度だけ、彼らに会いたかった。無理な願いだとわかっていても。
助け合って、ばかをいって笑って、いつも一緒にいたシルヴィオとロベルト。
会いたい、会いたい、会いたい……っ
「ロベルト……」
底抜けに明るくて、おばかかと思いきや頭は良くて。統率力があり、仲間の信頼も厚いロベルト。
人の機微に聡く、適度な気遣いができるロベルトといると気楽だったし、エリザは大好きだった。
そしてシルヴィオ。彼はなんでも器用にこなす幅の広い男だ。仲間思いで優しくて、めちゃくちゃ真面目なくせにどこか不良で。
思えば、エリザが落ち込んでいたときには必ずシルヴィオが隣にいてくれた気がする。
会いたい。
今、隣にいて欲しい。
「シル……ヴィオ……っ」
「なんだ?」
唐突に耳に飛び込んでくるシルヴィオの声。
幻聴でも始まってしまったのかと、エリザは窓からバッと飛び下がる。その瞬間、黒い影が窓から滑り込んできた。一階ではあるが、普通の家より高さのある城だ。誰かが侵入してくるとは思ってもいなかった。
「な!! だ……」
暗がりでもわかる銀髪の男に、エリザは手で口を塞がれた。
「静かに」
聞き間違えるはずもない、その声。
幻聴などではなかった。目の前に本物のシルヴィオがいる。
もう会えないと思っていた人が。会いたいと願っていた人が、目の前に。
単純に嬉しかった。涙があふれそうになるくらいに。
「行くぞ、エリザ」
ふいに手をとられ、体を引っ張られそうになる。エリザは驚いてそれに抵抗した。
真っ黒に染められた騎士服。月明かりでかすかにわかるカフス。もう、シルヴィオはあっちの人間なのだ。
エリザはシルヴィオの手をすっと振り払った。
「エリザ?」
「なにしに来たの、シルヴィオ」
そう問いかけると、シルヴィオは一瞬怪訝そうな顔をした。
「なにしに? エリザがなかなかこっちに来ないから、迎えにきた」
手を振り払われるとは思っていなかったのだろう。シルヴィオはさも当然のようにそういい放ちながら、理解できないといった顔でエリザを見つめていた。
「シルヴィオがここに来ること、セノフォンテ様は承知してくださったの?」
「いってない」
その答えに、今度はエリザが眉を寄せる。
「軍を抜け出してきたってこと?」
「そうなる」
「軍規違反じゃないの!?」
「そうかもな。ラゲンツ軍の軍規なんて、よく知らないが」
あっさりと認めたシルヴィオに面食らう。
確かにちょっと不良なところもあったが、基本的には大真面目で規律違反をするような人間ではなかったはずだ。
いくら元リオレインの人間だからと、単身乗り込んでくるのは危険すぎる。しかもエリザが今いるところは、宿舎ではなく城の一室なのだ。
騎士は少なくなったとはいえ、エリザが大声を上げればたちまち取り囲まれて捕まってしまうに違いない。
「行くぞ」
再びとられそうになった手を躱して逃げる。
行くわけにはいかない。明日、王子と王女……それにカーラを、アリビへと逃さなければいけないのだから。
「……エリザ?」
シルヴィオは空を切った手を拳に変え、なぜだか悲しそうに声を上げた。
「第三軍団は全員改宗しろというのが、ジアード様の望みだっただろう」
「……私は今、第四軍団だから」
とっさに嘘をついた。カーラには受け入れられず、今もたった一人の第三軍団であるのだが。
「屁理屈いうな、あの時はお前も第三だったんだ。これはジアード様の最後の命令なんだぞ」
「違うよ。ジアード様の命令は別にある。私に対してだけは、違うことを望まれた」
「最期のときか……ジアード様はなにをいったんだ?」
どう説明しようか、少し悩んだ。
ジアードの伝言は、エリザを生かすためのものだったとカーラに判断された。素直に話すと、シルヴィオも同じ結論に辿り着いてしまうだろう。そうすれば、やはり改宗を促されるだけだ。
けれどもエリザは、ジアードが伝言を頼んだのはそれだけではないと思っている。
やはりジアードは、己の気持ちをカーラにちゃんと伝えてあげたかったのだと。そのわがままを頼めるのは、エリザしかいなかったのだと。
きっと両方の気持ちが相まって、あの伝言に繋がったのだ。
そしてカーラが逃げるという選択肢を与えたのもジアードで。きっと彼は、カーラに生きて欲しくて。でも、そんなこと誰にも頼めなくて。
『私も……カーラを、愛していた……と……伝え……』
何度も反芻したあのときの言葉を、また脳内で繰り返す。
深読みのし過ぎなのかもしれないが、あの言葉はエリザにカーラを託すと、そうも聞こえたのだ。
ジアードが言葉に出せず飲み込んだ言葉をエリザはそう推測し、確信を得るまでに至っている。
だから、必ずカーラを逃すと決めた。それがジアードの本当の願いだったのだと信じて。
それができるのは、エリザしかいなかったのだと、そう思って。
「ジアード様は私に、カーラ様をこの国から逃すようにとお願いされたの」
エリザは先ほどの質問にそう答えた。
嘘ではないはずだ。きっとジアードは、本当はそう願っていたに違いないのだから。
「嘘をいうな。ジアード様がエリザにそんな命令をするはずがない」
おそらく、なにをいっても無駄だ。このことに関して話し合っても、シルヴィオとはわかり合えないだろう。
それを察知したエリザは、彼に拒否を示すためにくるりと背を向けた。
「一緒に来てくれ……頼む」
エリザの背中に放たれる言葉。首だけで後ろを確認すると、シルヴィオは頭を下げて懇願しているではないか。
どうしてここまでするのか。ありえないシルヴィオの態度に、エリザは混乱する。
「やめて、シルヴィオ……! 私ひとりラゲンツにいったところで、戦力が増えるわけじゃないでしょ!?」
「そうじゃ……ない……っ」
その言葉の直後、がばりと後ろから腕を回された。
強く、しかし優しいその抱擁に、エリザの頭は真っ白になる。
「一緒にいてほしいんだ、エリザ……!」
「なに、を……」
一緒にいたい。
不覚にもエリザも、そう思ってしまった。
元に戻りたい。
ジアードがいて、シルヴィオとロベルトがいて、みんなで楽しく笑って過ごしていたあの日々に。
シルヴィオの温かい腕が心に溶け込み、エリザは目をつむった。
このままシルヴィオとラゲンツに行けば、ジアードはいなくとも前のように過ごせるかもしれない……そんな優しい未来が脳裏を過ぎる。
やめて。やめてシルヴィオ……
たった今決断した思いが、崩れそうになる……っ
明日は王子たちの亡命を決行する日だ。それを提案したのはエリザであり、作戦を途中で放り出すわけにはいかない。
そしてこのことを、敵であるシルヴィオに知られるわけにはいかないのだ。
「やめてよ、シルヴィオ。いい大人が、なにいってるの?」
「……エリザ?」
ぐっと力を込めてその抱擁を無理やり剥がす。くるりと振り向くと、エリザは笑った。
「シルヴィオって大人ぶってるだけで、ほんっとこどもだよね。いつも私のこと見下しては優越感を感じてたでしょ。なに様のつもり?」
「エリザ」
「私が素直に従うとでも思ってた? 全部自分の思い通りになるとでも思ったら大間違いだから。私、シルヴィオのそういうとこ、だいっきらい」
すらすらと驚くほどに出てきてしまったイヤな言葉。シルヴィオは、傷ついていないだろうか。自分からそんな発言をしておいて矛盾しているとわかっていても、思わずにはいられなかった。
シルヴィオの反応はなく、ただじっとエリザを見つめている。
「……なによ、もう行きなさいよ!」
「泣いてるぞ」
「っえ」
はっと気づくと、右目からするりと涙が降りていた。
なんで、と思う間もなく、左目からも熱いものが流れ落ちる。慌てて手の甲で涙を拭くと、どんっとシルヴィオの胸を押し出した。
「……っもう、行ってよ……行って! シルヴィオなんて、嫌いだから……嫌いだからぁっ! 一緒にラゲンツになんて……っ」
「嫌いでいい。一緒に来てくれ」
「ばか……っ」
シルヴィオからほどこされる、再度の抱擁。それがあまりに心地よく、堕落してしまいそうだ。
ジアードは、許してくれるだろうか。このままラゲンツへと行くエリザを。
そしてカーラも理解してくれるだろうか。エリザが突然いなくなった理由を。
そんなの、決まっている。二人はきっと、笑ってそうしろといってくれる。
「行く、よ……私も、ラゲンツに」
「エリザ……!」
シルヴィオの喜ぶような声に、こくりとうなずいた。
「ちょっとだけ、準備させて」
「わかった、急いでくれ」
抱擁を解かれたエリザは、まっすぐに剣の元に向かうとそれを引き抜いた。
シルヴィオの顔は、離れてしまった分だけ暗くなりわからない。
「なにを……」
「来ないで、出て行って! 今すぐ!」
「エリ……」
そのままエリザはバタンと扉を開けると、声の限り叫んだ。
「誰か来て!! 侵入者よ!!!!」
一瞬たじろいだシルヴィオは、それでも判断が早く窓の外へと飛び出して行く。
慌てて窓から外を見ると、二つの人影がシルヴィオを手招いている。
あの動きはきっとロベルト。そしてもう一つは……
「バルナバ様……?」
暗くてはっきりとは見えないが、そんな気がした。二人をバルナバが手引きして中に入れたのだろう。
ならば、帰りも無事に王都を抜けることができるはずだ。エリザはほっと息を吐いて二人を見送った。
エリザの声を聞いて駆けつけた騎士に適当をいって追い返すと、扉を閉めてベッドに倒れ込む。
ごめんね、シルヴィオ……ロベルト……
会いに来てくれて嬉しかったとはいえなかったけど。
傷つけることしかできなかったけど。
来てくれて嬉しかった。
けれど明日の亡命作戦には、エリザがいなくてはいけないのだ。王都に戻るつもりでいるカーラを、アリビに逃すためにも。
たとえすべてを失おうと、二人に嫌われようと。
己に課せられた使命はこれなのだと信じて、明日のためにと無理やり目を閉じる。
死ぬ前に会えてよかった……。
二人はどうか、生きて──
まどろみながら浮かんだ二人の顔は、なぜかとても悲しそうで。
エリザは濡れた枕の居心地の悪さに、不快感を拭えないまま眠った。
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