68 / 90
フロー編④
61.もしもの時は
しおりを挟む
「では陛下はこの部屋から決して出られませんように。ここは頑丈な扉で守られていますし、食料と水も備えてありますので、下手に動くよりは安全です」
「うん、わかった」
緊急避難用の部屋は広くはないが、小さなベッドがふたつに備蓄庫、トイレも備わっている。
窓もあるが他の部屋に比べて随分小さく、外から丸見えにならない頭の位置にあった。そこにはなにか見慣れない装置がついていていて、シャインは時間が惜しいとでもいうようにその窓に向かっていった。そしてその装置に二枚の鏡をセットし、カシャカシャと鏡の前の板を上げたり下げたりして信号を送っている。これは緊急用にと、シャインが独自に作り上げていたものだ。
「シャインは、なんて?」
ラルスを見上げると、その信号内容を教えてくれる。
「クーデター発生、エルベスの町に伝えよ、至急、ですね」
「エルベス……」
エルベスは、兄のディートフリートがいる町だ。もう王族を離脱しているから大丈夫だろうが、それでも無事だろうかと気になる。
その信号で王都の外へと連絡を終えたシャインは、すぐさまフローリアンの前に戻ってきた。
「エルベスの町に連絡をしました。あそこは王都から遠い分、組織の手に染まっていない者が多くいるはずです。ラルス、あなたはこの部屋にいて陛下たちをお守りしなさい」
「はっ!」
「陛下、私は今から状況を確認して参ります」
「気をつけてくれ。そして父さまと母さまはどうしているのかも確認してきてほしい」
「はっ。おそらく、専属の護衛が同じように別の緊急部屋に誘導していると思われますが、確認して報告いたします」
シャインが口早にそう言って、重い扉を開けて出て行こうとした時。リーゼロッテを抱いたままのツェツィーリアが、ぐいっとシャインの袖を掴んだ。
「あの……イグナーツ様は……イグナーツ様は!」
覚悟を決めているとにっこりと笑っていたはずのツェツィーリアが、声を震わせている。
「彼にはこの王城から出て行くように伝えています。リュートを持った一介の音楽家を、無益に殺すようなことはいくらなんでもしないはずです。申し訳ございません、ツェツィーリア様。急ぎますので失礼いたします」
そういうと、今度こそシャインは部屋から出て行った。すぐさまラルスが鍵を閉めてくれる。
ツェツィーリアの顔は青白くて、リーゼロッテを抱いた指は小刻みに震えている。
「大丈夫だよ、ツェツィー……きっと、うまく逃げ出しているはず……」
「だとよいのですが……」
愛する人の安否がわからず、不安そうなツェツィーリアをぎゅっと抱きしめる。
外の騒ぎはだんだんとひどくなっていて、大きな声が聞こえるたびに不安は増した。
「もしものときは、子どもたちだけでも……」
ツェツィーリアのこぼした言葉に、フローリアンの胸も締め付けられる。
考え得る最悪の事態は、徹底抗戦の構えを貫いた末に、ここにまで侵攻されて全員が殺されてしまうこと。
戦況を見極めて、全面降伏をするタイミングを見誤らなければ、首を落とされるのは王一人ですむはずだとフローリアンは拳を握りしめた。
「大丈夫ですよ、お二人とも」
そんな時、落ち着いた低めの優しい声がフローリアンたちに降りてくる。
見上げると、メイベルティーネを抱っこしたラルスが、にっと笑っていた。
「イグナーツ殿は意外に豪胆な方ですし、シャイン殿も明敏な頭脳を持ってますし、なにも心配いらないですよ」
ラルスの自信満々な顔に、メイベルティーネが「だー」と言いながら、ラルスの顔をぺしぺしと叩いている。フローリアンはツェツィーリアと目を合わせると、ぷっと声を揃えて笑った。
ラルスは苦笑いしながらメイベルティーネを手を取り、抱き直しながらもう一度フローリアンたちの方に目を向ける。
「それに、俺もいますよ。フローリアン様とツェツィーリア様、それにベルとリーゼ様は俺が必ず守ってみせますから」
ラルスの声は、どうしてこうも安心させる力があるのだろうか。
頭の中を支配していた恐怖が、徐々に薄らいでいく。
「うん、そうだね。楽観はできないけど、まだ悲観する段階じゃない。今は……戦況を見守ろう」
フローリアンがそういうと、ラルスはもう一度にっこりと笑ってベルを渡してくれた。
柔らかく温かい愛娘の頬を、己の頬とくっつける。
「大丈夫だからね、ベル」
小さな愛しい命。なにも悪いことをしていないこの子たちを不安にさせてはいけないと、フローリアンはメイベルティーネを優しく抱きしめた。
早く収束することを願いながら。
「うん、わかった」
緊急避難用の部屋は広くはないが、小さなベッドがふたつに備蓄庫、トイレも備わっている。
窓もあるが他の部屋に比べて随分小さく、外から丸見えにならない頭の位置にあった。そこにはなにか見慣れない装置がついていていて、シャインは時間が惜しいとでもいうようにその窓に向かっていった。そしてその装置に二枚の鏡をセットし、カシャカシャと鏡の前の板を上げたり下げたりして信号を送っている。これは緊急用にと、シャインが独自に作り上げていたものだ。
「シャインは、なんて?」
ラルスを見上げると、その信号内容を教えてくれる。
「クーデター発生、エルベスの町に伝えよ、至急、ですね」
「エルベス……」
エルベスは、兄のディートフリートがいる町だ。もう王族を離脱しているから大丈夫だろうが、それでも無事だろうかと気になる。
その信号で王都の外へと連絡を終えたシャインは、すぐさまフローリアンの前に戻ってきた。
「エルベスの町に連絡をしました。あそこは王都から遠い分、組織の手に染まっていない者が多くいるはずです。ラルス、あなたはこの部屋にいて陛下たちをお守りしなさい」
「はっ!」
「陛下、私は今から状況を確認して参ります」
「気をつけてくれ。そして父さまと母さまはどうしているのかも確認してきてほしい」
「はっ。おそらく、専属の護衛が同じように別の緊急部屋に誘導していると思われますが、確認して報告いたします」
シャインが口早にそう言って、重い扉を開けて出て行こうとした時。リーゼロッテを抱いたままのツェツィーリアが、ぐいっとシャインの袖を掴んだ。
「あの……イグナーツ様は……イグナーツ様は!」
覚悟を決めているとにっこりと笑っていたはずのツェツィーリアが、声を震わせている。
「彼にはこの王城から出て行くように伝えています。リュートを持った一介の音楽家を、無益に殺すようなことはいくらなんでもしないはずです。申し訳ございません、ツェツィーリア様。急ぎますので失礼いたします」
そういうと、今度こそシャインは部屋から出て行った。すぐさまラルスが鍵を閉めてくれる。
ツェツィーリアの顔は青白くて、リーゼロッテを抱いた指は小刻みに震えている。
「大丈夫だよ、ツェツィー……きっと、うまく逃げ出しているはず……」
「だとよいのですが……」
愛する人の安否がわからず、不安そうなツェツィーリアをぎゅっと抱きしめる。
外の騒ぎはだんだんとひどくなっていて、大きな声が聞こえるたびに不安は増した。
「もしものときは、子どもたちだけでも……」
ツェツィーリアのこぼした言葉に、フローリアンの胸も締め付けられる。
考え得る最悪の事態は、徹底抗戦の構えを貫いた末に、ここにまで侵攻されて全員が殺されてしまうこと。
戦況を見極めて、全面降伏をするタイミングを見誤らなければ、首を落とされるのは王一人ですむはずだとフローリアンは拳を握りしめた。
「大丈夫ですよ、お二人とも」
そんな時、落ち着いた低めの優しい声がフローリアンたちに降りてくる。
見上げると、メイベルティーネを抱っこしたラルスが、にっと笑っていた。
「イグナーツ殿は意外に豪胆な方ですし、シャイン殿も明敏な頭脳を持ってますし、なにも心配いらないですよ」
ラルスの自信満々な顔に、メイベルティーネが「だー」と言いながら、ラルスの顔をぺしぺしと叩いている。フローリアンはツェツィーリアと目を合わせると、ぷっと声を揃えて笑った。
ラルスは苦笑いしながらメイベルティーネを手を取り、抱き直しながらもう一度フローリアンたちの方に目を向ける。
「それに、俺もいますよ。フローリアン様とツェツィーリア様、それにベルとリーゼ様は俺が必ず守ってみせますから」
ラルスの声は、どうしてこうも安心させる力があるのだろうか。
頭の中を支配していた恐怖が、徐々に薄らいでいく。
「うん、そうだね。楽観はできないけど、まだ悲観する段階じゃない。今は……戦況を見守ろう」
フローリアンがそういうと、ラルスはもう一度にっこりと笑ってベルを渡してくれた。
柔らかく温かい愛娘の頬を、己の頬とくっつける。
「大丈夫だからね、ベル」
小さな愛しい命。なにも悪いことをしていないこの子たちを不安にさせてはいけないと、フローリアンはメイベルティーネを優しく抱きしめた。
早く収束することを願いながら。
0
お気に入りに追加
87
あなたにおすすめの小説
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。
【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?
雨宮羽那
恋愛
元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。
◇◇◇◇
名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。
自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。
運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!
なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!?
◇◇◇◇
お気に入り登録、エールありがとうございます♡
※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。
※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる