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フロー編③

45.理由

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「つ、か、れ、たぁぁあ……」

 フローリアンは王座の上で、ガクンと首をうなだれさせた。
 継承問題を解決できないまま数日が流れ、日々の仕事に追われている。
 仕事を終わらせてぐったりしていると、シャインが端正な眉を垂れ下げ、ラルスは無遠慮にフローリアンの顔を覗き込んできた。

「大丈夫ですか? 王」
「いつかみたいに、ゆっくり温泉にでも浸かりたいよ」
「いいですね、温泉! 俺も入りたいです!」

 ラルスが楽しそうに言うので、その口調だけで心がいくらか元気を取り戻す。

「ラルスは温泉に入ったことはあるのかい?」
「子供の頃、親と旅行で行ったくらいですよ。あとは、陛下が入っていた温泉ですね。夜中に一人で入ったんですが、月を見ながらの温泉は格別でした」
「この三人でお忍びで出かけたのも、楽しかったよね。またどこかに行きたいなぁ」
「行ってこられてはいかがです?」

 すっと入ってきたシャインの澄んだ声に、フローリアンとラルスは目を広げた。

「え? でも仕事が……」
「陛下がいなくてはならない仕事はあらかた片付きましたし、明日一日くらいなら私一人でもなんとかなるでしょう。息抜きをするのも大切な仕事です。ラルス、陛下を頼みましたよ」
「はい! まっかせてください!」

 フローリアンがなにかを言う前に、勝手に決められてしまった。

「で、でも、ツェツィーを置いてはいけないし……」
「陛下、これは陛下の休息であると同時にラルスにとっても息抜きなのです。男同士の方が、気を揉まずに済むものですよ」

 シャインにぱちっとウインクをされ、フローリアンはむむむと口をつぐんだ。男同士でないことを知っているくせに、意地悪だ。

「一日だと、あんまり遠くに行けないですね。温泉地は遠いし、どうします? フローリアン様」
「そうだなぁ。人出のないところでのんびりできるなら、どこでもいいよ」

 ラルスに任せる発言をすると、「どこがいいかなぁ」とどこか楽しそうに宙を見ながら考えている。

「陛下、明後日の午前十時までにはお戻りくださいね。大事な会食の予定が入っておりますので」
「うん、わかった」

 フローリアンが頷いて見せると、シャインは顔を綻ばせていた。




 ***




「晴天で良かったですね、フローリアン様!」

 抜けるような青空を仰いで、ラルスは嬉しそうに声を上げた。

「いや、確かに天気良くて嬉しいけどさ?! なんで山登りなんだよ??」

 フローリアンは今、ラルスとともに山を登っていた。
 人出のない方がいいと言ったのはフローリアンだが、まさか休息日に山を歩かされるとは思ってもいなかった。

「王は運動量が少なすぎです! 休息日にこそ体を動かさないと、体力はどんどん落ちていきますよ!」
「ひー、ひー、ちょっと、ま……休憩、させて……」
「もうですか? 登り始めたばかりなのに」
「僕の、体力と、護衛、騎士の、体力……一緒にしないでよ!」

 ぜーはーと息を激しく往復させながら、とうとう足が止まってしまった。
 基本的に王城から出ない生活をしているし、出かける時は馬車だから、こんなにきつい坂道を登ることはまずない。

「あんまりのんびりしてると、予定時刻までに頂上にたどり着けませんよ」
「っく……人はどうして山に登るんだ……!」
「王も登ればわかりますって」
「うっそだぁ」
「本当ですよ」
「絶対?」
「絶対です!」

 逆光でもキラキラと輝くラルスの笑顔が眩しい。
 人はどうして山に登るのかの答えは、頂上に着けばわかるようになる、らしい。本当だろうか。
 こんなにしんどく大変な思いをして山に登る意味が、まだふもとを出発したばかりのフローリアンには理解できない。

「じゃあ、頑張って登ってみるよ……」
「それでこそ王です!」

 休憩時間もそこそこに、フローリアンは頂上を目指して歩き始める。
 その後も、結局は何度も何度も休憩してしまっていたが。
 生い茂る木々、遊歩道と呼ぶには粗末すぎる道。それでも風が吹くとさわさわと葉っぱの囁く声が耳に心地よくて、思わず微笑んでしまう。

「……苦しくてしんどいけど、なんだか気持ちいいね」
「そうなんですよ! 心が洗われるっていうんですか? 俺、川も湖も好きですけど、山はまた違った良さがあっていいんですよね」
「川、湖……泳ぐの?」
「もちろん! 夏は水場に限ります!」
「僕、泳いだことないや」
「じゃあ、いつか一緒に泳ぎに行きましょう。泳ぎ方、教えますよ!」

 楽しそうに笑うラルスに、フローリアンもほんの少しだけ笑顔で返す。女だとバレる可能性のあるところに行くことは、ないのだろうなと思いながら。

 そんなこんなを話しながら、少しずつ山頂に近づいていく。休み休みでものぼりしかないというのはかなり体力を削られて、息をする喉すら痛くなってきた。

「もう少しですよ!」
「無理、もう、歩け、ない……っ」
「ほら、もう目の前ですから!」

 目の前に、ラルスの手が差し出された。ぜーぜーと息を吐きながらその手を掴むと、ぐいっと力強く引っ張られる。

「もうちょっと、もうちょっと!」
「はぁ、はぁ、はぁ!」

 もうちょっとと言われながら歩かされ、そしてぴたりとラルスが足を止めた。
 自分の足元しか見ていなかったフローリアンは、ごくっと息をのみながらラルスを見上げる。

「ラル、ス……?」
「着きましたよ、フローリアン様。見てください」

 ラルスの視線はフローリアンの頭上を通り過ぎて遠くを見ていた。
 フローリアンもラルスの視線を追うように、後ろに体を向ける。

「……わぁ……!」

 鬱蒼としていた木々が開けて、眼下に世界が広がっていた。
 王城の最上階ですら見渡せない、広大な土地、山、街並みが一望できる。
 太陽が山に差し掛かっていて、ほんのり赤く色づいているのがきれいだ。

「あそこが王都です。その向こうに見えるのが、隣の町」
「そうか……王都は広いと思っていたけど、こうして見ると案外小さいもんだね……」
「そうですね。こうしていると、自然の偉大さっていうのを感じます。俺たち人間は、なんて小さなことで悩んだり苦しんだりしているんだろうって思うんですよ」
「へぇ……ラルスがそんな風に思うなんて、意外」
「そうですか?」
「だって、ラルスは悩みなんてなさそうだから」
「俺だって、色々と思うことはあるんですよ」

 いつもの冗談には突っ込まれることなく、真剣で返された。
 フローリアンは「そっか」と呟き、夕日に変わろうとしている太陽を見る。

「うん……少し、わかったよ」
「なにがですか?」
「人が、山を登る理由!」

 後ろを振り向きながら言うと、ラルスは目を細めて優しく笑ってくれていた。
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