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フロー編③
44.世継ぎ問題
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イグナーツが王族専属の楽士として、王城に住まうこととなった。
幸い、彼にはそれだけの技量と才能があったし、誰にも反対されることなくスムーズにことは運んだ。
ハウアドル王国の王族専属楽士という実績があれば、たとえ辞めたとしてもその肩書きだけで食うに困ることはないだろうし、イグナーツとしても一石二鳥だったはずだ。
ツェツィーリアは時間の空いた時にはイグナーツの元に行き、ピアノやリュートを聴いているようだった。今はまだ、それ以上に関係が進むことをシャインに止められていたが。
しかし、いつか必ず出てくる世継ぎ問題を解決しなければいけない。
ツェツィーリアが懐妊したとして、なにも知らない父親のラウレンツはフローリアンとの子だと疑いはしないだろうが、母親のエルネスティーネや事情を知っているバルナバ、ヨハンナはそうはいかない。
一度、エルネスティーネとちゃんと話さなければいけないだろう。
フローリアンは時間を作ると、エルネスティーネと話す場を設けた。
「どうしたのです、フロー。シャインを連れて」
「母さま、実は結婚前に、僕が女だとシャインに告げました」
そういうとエルネスティーネは一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐに取り繕って「そう」と頷いた。
もうフローリアンは子どもではない。この国の王なのだ。誰に秘密を打ち明けるかは、任せるつもりでいてくれるのだろう。
「そして、先日イグナーツを王族専属の楽士にしたことはご存知かと思います」
「ええ、先刻私も彼のピアノを聴きました」
「彼は、ツェツィーの想い人です。そして二人は、愛し合っているんです」
「……」
フローリアンの唐突の告白に、エルネスティーネは必死に無表情を貫いている。毅然とした態度を崩すまいとしているのが、フローリアンにはわかってしまった。
「そうですか。それで?」
「僕とツェツィーの間に子どもができることは絶対にありません。でも、世継ぎは必要ですよね?」
「ええ、そうね」
「イグナーツに事情を話し、僕の代わりにツェツィーの相手をしてもらおうと思っています」
そう告げると、エルネスティーネは頭を抱えた。
「そうして子どもが産まれたとして、それで万事解決というわけにはいきませんよ。その子には、我が王族の血が入っていないのですから」
「それを知るものは、バルナバとヨハンナとツェツィー、それにシャインしかいません。黙っていればバレずに済むかと……」
「なりません!!」
エルネスティーネの声が部屋に響いた。
フローリアンはビクリと動いてしまったが、隣で控えているシャインは微動だにしていない。
「しかし母さま、そうする以外に世継ぎをつくる方法が……」
「ラウツェニングの血統を絶やすわけにはいかないのです!」
「方法はございますよ、陛下、王太后様」
シャインが静かに声を上げ、フローリアンとエルネスティーネは彼をみやる。
「え?」
「陛下自身が御子をお産みになればよろしいかと」
「な、なに言ってるんだよ……」
フローリアン自身が子どもを産む。そんなことは、考えてもいなかった。男が妊娠していたら、絶対に怪しまれる。
「無理だよ、どうやって誤魔化すんだ!」
「お腹が目立ってきたら、病気療養と称して別荘地に行けばいい話です。その間の政務の調整はお任せください」
「それもあるけどそうじゃなくって……! 僕には相手がいないし!」
「事情を知っている男は、シャインしかいないわね」
エルネスティーネの言葉に、フローリアンは一歩足を引いてしまった。
シャインはもちろん嫌いではない。すきな部類に入るのは確かだが、それとこれでは話が別だ。
「私ではいささか年が離れすぎているかと。それに、愛する妻と娘たちを裏切ることはできません」
「そうね……では、イグナーツに事情を話して彼にお願いを……」
「だめだよ、それは! 僕はツェツィーが悲しむようなことは絶対にしない!」
「なら、他に誰か良い人がいるのですか?」
「それ、は……っ」
口がぱくぱくと動くだけで、言葉が出てこない。
ツェツィーリアとイグナーツのように、想い想われる関係の人などいないのだと、フローリアンは喉を詰まらせた。
「誰か、口の硬い年頃の男性を用意しなくてはなりませんね」
「私はラルスが良いかと存じます」
シャインの口から想い人の名前が飛び出してきて、フローリアン耳が爆発するように熱くなる。
「ラルス?」
「彼は信用のおける男です。長年陛下に仕えておりますし、陛下が女性だと知っても、きっと受け入れてくれると私は信じております」
「そうね……フローはどうなの?」
エルネスティーネの問いに、フローリアンは答えられなかった。
ラルスと結ばれる。ラルスとの子を身ごもれる。それは嬉しいことだが、嬉しいのは自分だけだろう。
ラルスは自分のことを弟のようにしか思っていないのはわかっている。
もし事情を話せば、ラルスはもうフローリアンに協力せざるを得ない立場になってしまうのだ。
王の命令に背くことができないラルスに、嫌々抱いてもらうことになる。そんなのは……想像するだけでつらい。
「僕は……僕は……」
ラルスはきっと、フローリアンの頼みならなんだってきいてくれる。だからこそ、言えない。
「陛下、今すぐに決めなければいけない案件ではございません。ごゆっくりお考えを」
「うん……」
シャインの助け舟に、幾分ほっとしながら頷くも、彼はこう続けた。
「しかし、王位継承者を正当な血を引くものにしようと思うと、避けられない問題です。加えてツェツィーリア様とイグナーツ殿にも子どもを持たせてあげたいと思うなら、まずはフローリアン様が先に妊娠していただくか、あるいは同時期での出産でないと許可しかねます」
フローリアンが先に誰かと結ばれないと、ツェツィーリアたちは子どもを産むことは許されない。つまりフローリアンがぐずぐずすればするほど、二人が結ばれるのは遠くなるということだ。
「どうして……」
「長子の方が王位継承権が上位になるからです。男児だった場合は、ですが。先にツェツィーリア様の方が出産して男児だった場合、次にフローリアン様が男児を産んでも継承権第一位はツェツィーリア様の子のままになりますから」
「僕が男の子を産むまで、ツェツィーたちは結ばれちゃいけないってこと?!」
「狙ってできるかはわかりませんが、同時期に出産という手もあります。メリットは、産まれたのが二人とも男だった場合、どちらが先でもフローリアン様が産んだ方を長子にできるということ。デメリットは似ていない双子になってしまうところですが」
「産まれたのが二人とも女の子でも、双子扱いで一緒に育てられるか……じゃあ、もしツェツィーリアの方に男が生まれて、僕の方に女が産まれたらどうなる?」
「その場合、フローリアン様のお子だけを王家で育て、ツェツィーリア様のお子はイグナーツ殿がみなしごを引き取ったという形にして、養子にさせるしかありませんね」
イグナーツはこの王城で暮らしているのだから、ツェツィーリアと子どもが引き裂かれることもない。おおっぴらに自分の子としての扱いはできないだろうが、女神のようなツェツィーリアなら、人の子も自分の子同様に愛情を注いでいる姿を見せたところで、周りは変には思わないだろう。
「うん、それなら大丈夫そうだ」
「じゃあ、あとはあなたのお相手だけね」
エルネスティーネにそう言われたフローリアンは、やはり口を噤むしかなかった。
「フロー」
母の優しい声が聞こえて、フローリアンはゆっくりと顔を上げる。
「私はあなたが生まれてくれた時、本当に嬉しかったわ。私が言っても説得力がないでしょうけれど、義務だとか関係なく、あなたにもそんな経験をしてほしいと思っているの」
「母さま……」
出産なんて、今まで考えもしなかった。自分には関係のない話だと思っていたから。
「ふふっ。ラウレンツはね、最初あなたに、バルトロメウスって名付けようとしていたのよ」
「ば、バルトロメウス!?」
「素敵な名前だけれど、女であるあなたには似合わないと思ったの」
父には申し訳ないが、バルトロメウスでなくて良かったとほっと息を吐く。
自分がバルトロメウスと呼ばれている姿が、どうにも想像できない。
「では、僕の名前は……」
「私がつけたのよ。本当は、女の子にはフローラティーネと名付けたかったの」
「フローラ……ティーネ」
エルネスティーネと親子だとわかる名前に、心がほんわりと温まった。
「心の片隅にでも仕舞っておいてくれると嬉しいわ」
少しだけ悲しそうに微笑む母に、フローリアンは頷いて見せる。
「素敵な名前をありがとうございます、母さま。一生、忘れません」
誰かにこの名前を呼ばれることは一生なくても。
女の名前があったというだけで、女であることを許された気がして。
フローリアンはその名を大事に心の宝箱に仕舞ったのだった。
幸い、彼にはそれだけの技量と才能があったし、誰にも反対されることなくスムーズにことは運んだ。
ハウアドル王国の王族専属楽士という実績があれば、たとえ辞めたとしてもその肩書きだけで食うに困ることはないだろうし、イグナーツとしても一石二鳥だったはずだ。
ツェツィーリアは時間の空いた時にはイグナーツの元に行き、ピアノやリュートを聴いているようだった。今はまだ、それ以上に関係が進むことをシャインに止められていたが。
しかし、いつか必ず出てくる世継ぎ問題を解決しなければいけない。
ツェツィーリアが懐妊したとして、なにも知らない父親のラウレンツはフローリアンとの子だと疑いはしないだろうが、母親のエルネスティーネや事情を知っているバルナバ、ヨハンナはそうはいかない。
一度、エルネスティーネとちゃんと話さなければいけないだろう。
フローリアンは時間を作ると、エルネスティーネと話す場を設けた。
「どうしたのです、フロー。シャインを連れて」
「母さま、実は結婚前に、僕が女だとシャインに告げました」
そういうとエルネスティーネは一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐに取り繕って「そう」と頷いた。
もうフローリアンは子どもではない。この国の王なのだ。誰に秘密を打ち明けるかは、任せるつもりでいてくれるのだろう。
「そして、先日イグナーツを王族専属の楽士にしたことはご存知かと思います」
「ええ、先刻私も彼のピアノを聴きました」
「彼は、ツェツィーの想い人です。そして二人は、愛し合っているんです」
「……」
フローリアンの唐突の告白に、エルネスティーネは必死に無表情を貫いている。毅然とした態度を崩すまいとしているのが、フローリアンにはわかってしまった。
「そうですか。それで?」
「僕とツェツィーの間に子どもができることは絶対にありません。でも、世継ぎは必要ですよね?」
「ええ、そうね」
「イグナーツに事情を話し、僕の代わりにツェツィーの相手をしてもらおうと思っています」
そう告げると、エルネスティーネは頭を抱えた。
「そうして子どもが産まれたとして、それで万事解決というわけにはいきませんよ。その子には、我が王族の血が入っていないのですから」
「それを知るものは、バルナバとヨハンナとツェツィー、それにシャインしかいません。黙っていればバレずに済むかと……」
「なりません!!」
エルネスティーネの声が部屋に響いた。
フローリアンはビクリと動いてしまったが、隣で控えているシャインは微動だにしていない。
「しかし母さま、そうする以外に世継ぎをつくる方法が……」
「ラウツェニングの血統を絶やすわけにはいかないのです!」
「方法はございますよ、陛下、王太后様」
シャインが静かに声を上げ、フローリアンとエルネスティーネは彼をみやる。
「え?」
「陛下自身が御子をお産みになればよろしいかと」
「な、なに言ってるんだよ……」
フローリアン自身が子どもを産む。そんなことは、考えてもいなかった。男が妊娠していたら、絶対に怪しまれる。
「無理だよ、どうやって誤魔化すんだ!」
「お腹が目立ってきたら、病気療養と称して別荘地に行けばいい話です。その間の政務の調整はお任せください」
「それもあるけどそうじゃなくって……! 僕には相手がいないし!」
「事情を知っている男は、シャインしかいないわね」
エルネスティーネの言葉に、フローリアンは一歩足を引いてしまった。
シャインはもちろん嫌いではない。すきな部類に入るのは確かだが、それとこれでは話が別だ。
「私ではいささか年が離れすぎているかと。それに、愛する妻と娘たちを裏切ることはできません」
「そうね……では、イグナーツに事情を話して彼にお願いを……」
「だめだよ、それは! 僕はツェツィーが悲しむようなことは絶対にしない!」
「なら、他に誰か良い人がいるのですか?」
「それ、は……っ」
口がぱくぱくと動くだけで、言葉が出てこない。
ツェツィーリアとイグナーツのように、想い想われる関係の人などいないのだと、フローリアンは喉を詰まらせた。
「誰か、口の硬い年頃の男性を用意しなくてはなりませんね」
「私はラルスが良いかと存じます」
シャインの口から想い人の名前が飛び出してきて、フローリアン耳が爆発するように熱くなる。
「ラルス?」
「彼は信用のおける男です。長年陛下に仕えておりますし、陛下が女性だと知っても、きっと受け入れてくれると私は信じております」
「そうね……フローはどうなの?」
エルネスティーネの問いに、フローリアンは答えられなかった。
ラルスと結ばれる。ラルスとの子を身ごもれる。それは嬉しいことだが、嬉しいのは自分だけだろう。
ラルスは自分のことを弟のようにしか思っていないのはわかっている。
もし事情を話せば、ラルスはもうフローリアンに協力せざるを得ない立場になってしまうのだ。
王の命令に背くことができないラルスに、嫌々抱いてもらうことになる。そんなのは……想像するだけでつらい。
「僕は……僕は……」
ラルスはきっと、フローリアンの頼みならなんだってきいてくれる。だからこそ、言えない。
「陛下、今すぐに決めなければいけない案件ではございません。ごゆっくりお考えを」
「うん……」
シャインの助け舟に、幾分ほっとしながら頷くも、彼はこう続けた。
「しかし、王位継承者を正当な血を引くものにしようと思うと、避けられない問題です。加えてツェツィーリア様とイグナーツ殿にも子どもを持たせてあげたいと思うなら、まずはフローリアン様が先に妊娠していただくか、あるいは同時期での出産でないと許可しかねます」
フローリアンが先に誰かと結ばれないと、ツェツィーリアたちは子どもを産むことは許されない。つまりフローリアンがぐずぐずすればするほど、二人が結ばれるのは遠くなるということだ。
「どうして……」
「長子の方が王位継承権が上位になるからです。男児だった場合は、ですが。先にツェツィーリア様の方が出産して男児だった場合、次にフローリアン様が男児を産んでも継承権第一位はツェツィーリア様の子のままになりますから」
「僕が男の子を産むまで、ツェツィーたちは結ばれちゃいけないってこと?!」
「狙ってできるかはわかりませんが、同時期に出産という手もあります。メリットは、産まれたのが二人とも男だった場合、どちらが先でもフローリアン様が産んだ方を長子にできるということ。デメリットは似ていない双子になってしまうところですが」
「産まれたのが二人とも女の子でも、双子扱いで一緒に育てられるか……じゃあ、もしツェツィーリアの方に男が生まれて、僕の方に女が産まれたらどうなる?」
「その場合、フローリアン様のお子だけを王家で育て、ツェツィーリア様のお子はイグナーツ殿がみなしごを引き取ったという形にして、養子にさせるしかありませんね」
イグナーツはこの王城で暮らしているのだから、ツェツィーリアと子どもが引き裂かれることもない。おおっぴらに自分の子としての扱いはできないだろうが、女神のようなツェツィーリアなら、人の子も自分の子同様に愛情を注いでいる姿を見せたところで、周りは変には思わないだろう。
「うん、それなら大丈夫そうだ」
「じゃあ、あとはあなたのお相手だけね」
エルネスティーネにそう言われたフローリアンは、やはり口を噤むしかなかった。
「フロー」
母の優しい声が聞こえて、フローリアンはゆっくりと顔を上げる。
「私はあなたが生まれてくれた時、本当に嬉しかったわ。私が言っても説得力がないでしょうけれど、義務だとか関係なく、あなたにもそんな経験をしてほしいと思っているの」
「母さま……」
出産なんて、今まで考えもしなかった。自分には関係のない話だと思っていたから。
「ふふっ。ラウレンツはね、最初あなたに、バルトロメウスって名付けようとしていたのよ」
「ば、バルトロメウス!?」
「素敵な名前だけれど、女であるあなたには似合わないと思ったの」
父には申し訳ないが、バルトロメウスでなくて良かったとほっと息を吐く。
自分がバルトロメウスと呼ばれている姿が、どうにも想像できない。
「では、僕の名前は……」
「私がつけたのよ。本当は、女の子にはフローラティーネと名付けたかったの」
「フローラ……ティーネ」
エルネスティーネと親子だとわかる名前に、心がほんわりと温まった。
「心の片隅にでも仕舞っておいてくれると嬉しいわ」
少しだけ悲しそうに微笑む母に、フローリアンは頷いて見せる。
「素敵な名前をありがとうございます、母さま。一生、忘れません」
誰かにこの名前を呼ばれることは一生なくても。
女の名前があったというだけで、女であることを許された気がして。
フローリアンはその名を大事に心の宝箱に仕舞ったのだった。
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