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フローリアン編①

20.ラルスの家族

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 ラルスの家族は、畑仕事の合間のちょうど休憩中で、みんな家にいたらしい。
 フローリアンが抜かした彼女らの腰を支えようとすると、恐縮して自力で立ち上がり、「王族の方にお見せできるような家ではないですが……」と中へ案内してくれた。
 いきなり来てしまい、逆に申し訳ないなと思いながら、独特の家の匂いに少しうれしくなる。
 震える手で出された紅茶を飲んでみると、想像以上に美味しかった。

「王子様のお口には会わないでしょうけれど……」
「いや、とても美味しいよ。ありがとう」
「そ、そんな! こちらこそありがとうございます!!」

 ラルスの母親がぺこぺこと頭を下げてくれる。

「ここに来たのは公式訪問ではないので、気楽にしてくれるとありがたいよ。いきなり来てしまって、本当に申し訳ない」
「いえ、とんでもありません!」

 そんな言葉では、母親の緊張は解けそうになく、フローリアンは眉を下げて微笑むしかなかった。
 対して十代の妹二人は、「王子様が笑ったわ!」「素敵!」とキラキラしながらフローリアンを見ていて、こちらは苦笑いで対応した。

「すみません、王子。妹たちが……」
「気にしてないよ」
「ねぇ、王子様!」

 末の弟だという十一歳の少年ヨルグが、フローリアンの隣にやってきて澄んだ目を向けてくる。

「王子様って、女の子なの?」

 その発言に、フローリアンはもちろん、そこにいた誰もが凍りついた。
 母親が慌ててヨルグを掴み、自分も頭を下げると同時にヨルグの頭を下げさせている。

「とんだご無礼を……!! 申し訳ありません、王子様!!」
「あ、いや……大丈夫だよ」
「ヨルグったら、王子様が女の子なわけないでしょう!」
「だって、すっごくキレイだからさ」
「いいからもう、黙んなさい!」

 姉たちがヨルグを抱いて、外に連れ出してしまった。これ以上なにかを言われたら心臓が持ちそうになかったので、フローリアンもホッとする。

「すみません、王子」
「いいよ、別に。ラルスにも可愛いって言われたことあるしね」
「うっ!!」
「ラルス、お前まで王子様になんてことを!」
「いや、でも王子って、可愛い時があるんだよ!」
「思ってても口に出すんじゃないよ!」
「いだっ!」

 母親にぽかりと叩かれては、護衛騎士も形無しだなぁとフローリアンはくすくす笑みが漏れる。

「王子様や王様に無礼を働いてないだろうね!?」
「大丈夫だって!」
「言葉遣いもちゃんとしてるの!? ちゃんと清潔にして、周りの皆様にご迷惑をかけるんじゃ……こら、どこ行くの!」
「王子、俺ちょっと外で見張りしてるんで!」
「こら、ラルス!!」

 母親の小言から逃げるようにラルスは外に出て行ってしまった。表で「兄ちゃん!」と喜ぶヨルグの声が聞こえてくる。

「まったく、あの子は……王子様方にご迷惑を掛けているんじゃないでしょうか」

 心配する彼女に、フローリアンは微笑んでみせる。ラルスは立派な大人だが、それでも母親から見れば子ども同然なのだろう。

「そんなことはないよ。僕はラルスの明るさに、本当に救われているんだ。だから、ラルスを育ててくれたあなた方にも感謝をしている」

 部屋に残ったラルスの両親と祖父に向かって、フローリアンは真摯にそう答えた。
 しかし父親は安心とは程遠い難しい顔をしたまま変わらない。

「なにか心配事でも?」
「いえ、その……」
「構わないよ。なんでも言ってもらえると嬉しい」

 父親は母親と目を合わせた後、口を開いてぽつぽつと語り始めた。

「ラルスは他の兄弟とは違って、私どもと一緒に暮らした年数も短く、学校も数年しか行かせてないものですから……少々教育が行き届いておらず、無礼をしてはいないかと心配で」

 要は、不敬罪で処罰されないかを気にしているのだろう。
 確かにその気持ちはわかる。もしもフローリアンがラルスの親だったとしたら、毎日胃がキリキリしているに違いない。

「大丈夫だよ。確かに少々人懐っこいところはあるけど、僕はそんなラルスが気に入ってるんだ。心配するようなことにはならない。僕が保証する」

 微笑んで宣言して見せると、ほっと父親の顔も緩んだ。こんな一言で安心してもらえるなら、早く来て伝えてあげればよかったと後悔した。

「それより、一緒に暮らした年数が短いとは? 学校教育も、王都周辺は設備が整っているから、六歳から十五歳まで全員が学校に通えるはずだ」

 義務とまではいかないが、国家政策として知的成長と教養向上促進のために、平民も学校に通えるようになっている。貴族専用の学校とはまた別ではあるが。
 基本的に、よほどの理由がない限り、通うように行政も指導しているはずである。
 なのにラルスは学校にあまり通っていない……それはつまり、なにか理由があったということだ。

「ラルスは……生まれた時から少し、手がつけられない子でして……」

 ラルスと同じ赤い髪を揺らしながら、父親は呟くようにそう言った。

「手が、つけられない?」
「はい。説明が難しいのですが、普通の子とは少し違ったんです」

 ラルスの両親の話は、まとめるとこうだった。

 ラルスを庶民街や中間街に連れ出すと、決まってその日から一週間はつんざくような泣き声をずっと発していたらしい。
 歩けるようになると、親の目を盗んですぐに街中を駆け巡り、迷子になったと思っていたらケロッとして家の前にいた……なんてことはしょっちゅうだったという。
 なのにそうなった日の夜には、眠れず苦しむように大泣きするのだそうだ。

「六歳になり、学校に通わせ始めると、その症状がさらにひどくなりまして……」

 夜も寝られず苦しむラルスに、両親もまた苦しんだのだろう。

「それで、わしが山で育てると引き取ったんですわ」

 ずっと無言で聞いていたラルスの祖父が初めて口を開いた。

「なにが原因かはわからんが、町中に行くたびに苦しんでいることはわかっとったんで……わしと一緒に山で暮らせば、治るかと思いまして」

 結局ラルスは六歳から十二歳になるまでの六年間を、祖父と一緒に山で暮らすことになったのだそうだ。
 初めて山に行った時は同じように苦しんでいたようだが、すぐにその症状は無くなったという。

「あの子は記憶力がすごいのです。普通はすぐには覚えられない山羊の名前と顔を、すぐに覚えてしまうくらいには。わしはそれが原因ではないかと思っておるんです」

 山羊の顔と名前。フローリアンだったら、山羊を個体識別できないだろう。大きい小さいくらいでしか判別できないに違いない。
 なのにラルスは、何十頭もいた山羊すべてを簡単に識別していたという。

「記憶力がパンクしてたってこと……?」
「パンクしそうなほどの記憶を、処理しきれなかったんでしょうな。普通は忘れて処理するところを、あの子は忘れられず処理に時間がかかって苦しんだ……本当のところはわかりませんが、わしにはそう感じました」

 町中にいると、情報量がとにかく多い。だからラルスはあまり変わらぬ山にいることで、普通に過ごせていたのだろう。

「そして一緒に暮らしているうちに気づいたのです。忘れられないのは視覚情報だけで、聴覚による情報は忘れられている、と。勉強も本を見せると夜に苦しむことが多かったので、わしが音読して聞かせました」

 一度見ると忘れないというのは羨ましいと思ったが、忘却する力がなければ、バランスが取れず苦しんでしまうもののようだ。ラルスも家族も、苦労したのだろう。

「しかしそれも成長するごとに処理速度が上がったのか、町に行っても苦しむことがだんだんと少なくなりましてな」
「そこでやはり教育はちゃんと受けるべきだと、十二歳からはこの家に戻り、残りの三年間は問題なく学校に通えたのです」

 締めの言葉は父親が誇らしそうに告げていて、フローリアンは二人に頷いて見せた。

「そうか……みんな、大変だったんだね。でも、おかげでラルスの特殊能力はとても役立っているよ。彼を大切に育ててくれて、本当にありがとう。感謝するよ」
「いえ、そんな!! ラルスが王子様のお役に立てる日が来るとは、夢にも思っておりませんでした! どうぞこれからもラルスを、よろしくお願いします!」
「うん」

 一緒に暮らす時間が少なかったというから、愛情なく育てられていたのかと思ったが、違った。
 彼はちゃんと、家族の愛を受けて育っている。それが知れただけでも、フローリアンは安心することができた。

「王子様」

 鋭く放たれた母親の声に、フローリアンは力強い彼女の瞳を見つめる。
 真っ直ぐに向けられた視線からは、大きな意志が感じ取れた。
 フローリアンが背筋を正すと、彼女は凛とした声を響かせる。

「私どもはラルスが選んだ道であるなら、なにも反対するつもりはございません。騎士の家族という覚悟もとうにできております。どうか私どもにお気を遣うことなく、存分にラルスの力を振るってやってください」

 母親は、そして父親と祖父も。同じ覚悟を持った目つきをしている。

(良い家族だ)

 六つの瞳に見つめられたフローリアンの胸は、激しく熱くなった。

「その覚悟、確かに受け取ったよ。感謝する」

 フローリアンは手を差し出すと、彼女の手をぎゅっと握った。
 ありったけの謝意が伝わるようにと。
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