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フローリアン編①
18.ラルスの特殊能力
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──それ、俺のことです!──
たった今、ラルスの放った言葉が何度も頭の中でリフレインする。
(俺のこと……え、俺のこと? あの赤髪の人が……ラルス?!! だって、だって……)
「あの時の騎士は、髪がもっと長かったよ!?」
「つい面倒で、あの頃は数ヶ月に一度しか切ってなかったですから。あ、今は護衛騎士の身だしなみとして、ちゃんと月一で切ってますよ!」
「それに、話し方が全然違ったし……!」
「そりゃ、こんなところで庶民の服を着てたら、王子と思わないですって! 話し方も変わります」
そう言われればそうだ。彼がラルスの可能性は充分にあったのだと、フローリアンはようやく気付いた。
「じゃあ、僕がずっと憧れてたのって……」
「俺……ですね」
照れくさそうに人差し指でぽりぽりと頬を掻いているラルス。
フローリアンの顔は一気に熱ってしまった。
「だって、まさかあの騎士がラルスだなんて、思わないじゃないか……!」
「俺もびっくりですよ。王子の憧れの人は、陛下に違いないと思ってたのに」
「え、憧れってそういう意味!? 騎士の話をしてたから、つい」
赤くなっているであろう頬を抑えて、目だけでラルスを見上げる。するとラルスは時間が止まったかのように目を広げてフローリアンを見つめていた。
どうしたのだろうかと今度は首を傾げて見せる。
「ラルス? どうしたんだ?」
「……あ! いや、なんでもないです」
「なんでもないって顔じゃないよね」
「そんなことは……」
ラルスはバツが悪そうに眉を大きく下げた。そんな顔をされると、余計に気になる。
「ほら、言って。これは命令だよ」
「言っても怒りません?」
「多分ね。なに?」
隠されると知りたくなるのが人の性だ。
ラルスは少し渋ったものの、命令と言われて口を開いた。
「いや、王子って、時々むちゃくちゃ可愛いんですよ。ほんと女の子顔負けで」
「──っな!?」
(か、可愛い!?)
喜ぶより先に、バレてはいけない気持ちの方が強く出て、フローリアンは焦った。
万一にも女だと知られてはいけない。
「なに言ってるんだよ! 僕をばかにしてるのか!?」
「ば、ばかになんてしてませんって! ついそう見えることがあって……すみません!」
ラルスは〝しまった〟と言いたげな顔で頭を下げている。
その頭頂部を見ていたら、ようやく嬉しさの方が心を支配し始めた。
(ぼ、僕のこと、可愛いだなんて……っ)
好きな人に可愛いと思ってもらえるのは、やはり嬉しい。だけど喜びを見せるとおかしく思われるため、なんとか湧き上がりそうになる笑みを噛み殺す。
顔を上げたラルスが、そんなフローリアンの顔を見て眉を下げた。
「そんなに真っ赤になって怒らないでください……それだけ王子は美形ってことです」
「別に、怒ってない」
「じゃあ、照れてるんですか?」
「う、うるさいなぁ!」
口を尖らせて見せると、ラルスは目を細めて笑っている。
(ラルスが、あの時の赤髪の騎士だったんだ……)
改めてそう思うと、より一層胸が熱くなった。
好きな人と憧れの人が一致していた事実。
これは運命なんじゃないかという気さえしてくる。
「ラルス……」
「なんですか?」
破顔する赤髪の騎士。
当時の記憶がよみがえるように、キラキラと太陽の光が降り注がれた。
「ラルス、だったんだね……僕のロイヤルセラフィスを取り返してくれたの」
「俺はただ、騎士として当然のことをしただけです」
「ううん。これを失くしてたら、さすがの兄さまも怒っただろうし、信用も失ってたと思う。本当にありがとう。ずっとお礼を言いたかったんだ」
五年越しで、ようやく赤髪の騎士にお礼を言えた。
ラルスは照れくさそうに笑っていて、フローリアンも微笑み返した。
「実は、俺も気になってはいたんですよね。護衛騎士になって王子に初めてお会いした時、あの少年にあまりにも似てたから、あの子は先王のご落胤かと思ってて。でもそんなの聞けるわけないですし」
「父さまは愛妾すらも持たなかったし、それはないよ」
「ですよねー。長年の謎が解けて、俺もすっきりしました!」
確かに王子と似ている子が市井にいれば、先王の私生児かと疑われても仕方ないかもしれない。
ラルスの疑念を晴らせて良かった。父も母も、婚外子を作っているわけはないのだ。
この国には二人の王子による継承争い、〝兄弟戦争〟が起こった歴史がある。それを両親は嫌忌していたのだから。
しかしそこまで考えると、いつかのようにフローリアンの心になにかが引っかかった。小さな棘が皮膚に刺さったような嫌な痛みが、フローリアンの顔を歪めさせる。
「どうしましたか、王子」
「……あ、いや。なんでもない。それより、よく何年も前の僕の顔を覚えてたね」
ラルスにしてみれば、たくさん人助けしたうちの一人だろう。きっと、取るに足らない出来事だったはずだ。
「ああ、俺、人の顔を一度見ると忘れないんですよね」
「……へ? 一度!? たった一回見ただけで、覚えられるの!?」
「はい。そんな驚くとこですか?」
「普通驚くだろ!」
予想外の能力に、フローリアンが目を剥きながらラルスを見上げると、いつものように笑っている。
「でもまぁ、あの時の子……王子が無事に帰れたって知って、安心しましたよ。窃盗犯を捕まえて戻ってきたらいないし、そのあと見かけることもなかったから心配してたんです」
一度顔を覚えたら忘れないというラルスは、ずっとフローリアンのことを気にしてくれていたのだろう。
「そう言えばあの時も、手配書を見てたからあいつが窃盗犯だって気づいたって……」
「はい、そうです」
「まさか、手配書の顔、全部覚えてるのか!?」
「もちろん。見つけるたび、片っ端から捕まえていましたね、あの頃は」
ラルスのあまりの特殊能力に、フローリアンはぽかんと開けていた口を慌てて閉じた。
しかしなるほど納得である。たった四年で護衛騎士にまで昇り詰めたのは、剣技の才能だけではなかったわけだ。かなりの功績を上げていたのは間違い無いだろう。
そんな能力を持っていたなら、シャインが推薦するのもわかる。危険人物を把握していれば、護衛対象に近寄らせることなく排除も可能なのだから。
「ラルスって、すごかったんだね……」
「そうですか? 王子だって頑張ってて、すごいと思いますよ! 最近は国政に携わることも多くて、俺にはちんぷんかんぷんです」
「まだまだ、兄さまやシャインの後ろで勉強させてもらってる程度だよ。大したことはしてない」
「それでも、すごいことなんですよ」
なんの下心も感じられないラルスに褒められると、心はどうしたって勝手に踊り出した。
「あ、でも逃げ出したい時は言ってくださいね。俺もどこまでも付き合いますから」
「え?」
護衛騎士にあるまじき発言をしたラルスに、フローリアンは目を丸める。
型にはまらない男だとは思っていたが、発言が予想の斜め上を行き過ぎる。
「なにを言ってるんだよ。僕を止めるのがラルスの仕事だろ」
「それで一人で逃げ出して危険な目に遭わせるくらいなら、俺も一緒に行かせてください」
ラルスの瞳は真剣で、生半可な気持ちで言っているのではないとわかってしまった。
フローリアンが『すべてを投げ出して逃げる』と言えば、その気持ちを尊重して本当に付いてきてくれるだろう。フローリアンを護るためだけに。
(ばか、それじゃあ護衛騎士失格だよ、もう……)
きっとそんなことはラルスもちゃんと理解している。だからこそ、地位を捨ててまで心と体を守ろうとしてくれているラルスに、胸が痛む。
「……気持ちだけもらっておくよ、ラルス。僕はもうあの時のように逃げ出したりはしない」
「それならそれでいいんです。ただ、心の隅にでも留めておいてもらえれば」
微笑みを見せるラルスに、嬉しくて、しかし悲しくて心は悲鳴を上げた。
「……そんなこと言って、恋人はどうするんだよ」
「それは」
もしもそんな事態になれば、恋人はほったらかしになってしまうだろう。愛情深いラルスがそれを望むとは思えない。
「いつかラルスも結婚して、子どもができてさ。そんな時に僕が逃げ出したいなんて言い出したら困るだろ? だからそういうことは、簡単に言っちゃだめだ」
「俺は、簡単になんて!」
「わかってるよ、ラルスが真剣に僕のことを思って言ってくれてることは」
もしもどちらかを選ばねばならなくなった時、きっとラルスは答えを出すのに苦しむに違いないから。フローリアンは、ラルスの気持ちを振り切るように声に出した。
「ありがとう、ラルス。僕のことを心配してくれて。僕は大丈夫だから、その時は遠慮なく家族を選ぶんだよ」
心が、涙で濡れたかのように萎んでしまっている。
(僕を選んで、なんてわがままは、言っちゃだめ──)
「王子!」
「わっ! なに!?」
唐突の大声に、フローリアンはびくりと体を震わせる。
そこには腰に手を当てて怒っているラルスがいた。普段見ない表情をされて、思わず萎縮してしまう。
「今、〝わがまま言っちゃだめだ〟とか思いませんでしたか!?」
「な、なんでわかるの!?」
「わかりますよ、王子は我慢ばっかりしてるんで!!」
「我慢……ばかり?」
きょとんとして見せると、ラルスはうむうむと頷いている。
我慢ばかり……そんなにしていただろうかと首を捻らせた。
「自覚がないみたいですけど、王子はもっとわがままでいていいんですからね。今日だって、お願いすればあっさり休みが取れたじゃないですか」
「そう……だけど……」
「フローリアン様は人に気を遣いすぎです。わがままの練習だと思って、思ったこと言えばいいんですよ! そうなるかどうかは別として!」
ラルスの言葉に、霞掛かっていたものが晴れた気がした。
どうせ無理だとか、相手に悪いだとか、気にさせたらどうしようとか、勝手に色んなことを想像して諦めていただけなんだと気づく。
「言うだけならただだって、休みを取る時にラルスが言ってたっけ」
「そうですよ。せめて親しい人にくらい、わがまま言ってください。俺に言ってくれたなら、俺は嬉しいですよ!」
親しい人にくらい、わがままを。
それはつまり、親しい仲だと思ってくれているということで。
今まで萎んでいたフローリアンの心はパンパンに膨れ上がり、涙まで溢れてきそうになる。
「じゃあ……そうなった時には、僕を選んで……家族より、僕を選んでよ!」
「わかりました! じゃあその時にはどうするか考えますね!!」
「え、ちょ! どこまでも付き合ってくれるんじゃなかったの!?」
「努力します!」
「も、もうっ!」
溢れそうになった涙は一瞬のうちに消え失せ、代わりに怒りながらも笑いが溢れてしまう。
こうして意図せず笑わせてくれるのも、きっとラルスの能力のひとつだろう。
「未来はどうなってるかわからないですからね。王子の言う通り、確かに簡単には約束できないなと思って。けど今は、どこへでも付き合うって気持ちに偽りはないですよ」
「うん……ありがと」
「あ、でも、ひとつだけ『絶対』を言い切れます!」
「なに?」
見上げると、ラルスの赤髪が陽に透けてとても綺麗で。
「たとえ未来がどんな状況であろうとも、絶対に王子の心を置き去りにした答えは出しませんから!」
自信満々でそう宣言するラルスがとても力強くて、魅力的で、誰よりも信用ができて。
フローリアンは大きく首肯して見せる。
「うん……! それで充分だ!」
そんな彼を好きになったことを、フローリアンは誇らしくさえ感じていた。
たった今、ラルスの放った言葉が何度も頭の中でリフレインする。
(俺のこと……え、俺のこと? あの赤髪の人が……ラルス?!! だって、だって……)
「あの時の騎士は、髪がもっと長かったよ!?」
「つい面倒で、あの頃は数ヶ月に一度しか切ってなかったですから。あ、今は護衛騎士の身だしなみとして、ちゃんと月一で切ってますよ!」
「それに、話し方が全然違ったし……!」
「そりゃ、こんなところで庶民の服を着てたら、王子と思わないですって! 話し方も変わります」
そう言われればそうだ。彼がラルスの可能性は充分にあったのだと、フローリアンはようやく気付いた。
「じゃあ、僕がずっと憧れてたのって……」
「俺……ですね」
照れくさそうに人差し指でぽりぽりと頬を掻いているラルス。
フローリアンの顔は一気に熱ってしまった。
「だって、まさかあの騎士がラルスだなんて、思わないじゃないか……!」
「俺もびっくりですよ。王子の憧れの人は、陛下に違いないと思ってたのに」
「え、憧れってそういう意味!? 騎士の話をしてたから、つい」
赤くなっているであろう頬を抑えて、目だけでラルスを見上げる。するとラルスは時間が止まったかのように目を広げてフローリアンを見つめていた。
どうしたのだろうかと今度は首を傾げて見せる。
「ラルス? どうしたんだ?」
「……あ! いや、なんでもないです」
「なんでもないって顔じゃないよね」
「そんなことは……」
ラルスはバツが悪そうに眉を大きく下げた。そんな顔をされると、余計に気になる。
「ほら、言って。これは命令だよ」
「言っても怒りません?」
「多分ね。なに?」
隠されると知りたくなるのが人の性だ。
ラルスは少し渋ったものの、命令と言われて口を開いた。
「いや、王子って、時々むちゃくちゃ可愛いんですよ。ほんと女の子顔負けで」
「──っな!?」
(か、可愛い!?)
喜ぶより先に、バレてはいけない気持ちの方が強く出て、フローリアンは焦った。
万一にも女だと知られてはいけない。
「なに言ってるんだよ! 僕をばかにしてるのか!?」
「ば、ばかになんてしてませんって! ついそう見えることがあって……すみません!」
ラルスは〝しまった〟と言いたげな顔で頭を下げている。
その頭頂部を見ていたら、ようやく嬉しさの方が心を支配し始めた。
(ぼ、僕のこと、可愛いだなんて……っ)
好きな人に可愛いと思ってもらえるのは、やはり嬉しい。だけど喜びを見せるとおかしく思われるため、なんとか湧き上がりそうになる笑みを噛み殺す。
顔を上げたラルスが、そんなフローリアンの顔を見て眉を下げた。
「そんなに真っ赤になって怒らないでください……それだけ王子は美形ってことです」
「別に、怒ってない」
「じゃあ、照れてるんですか?」
「う、うるさいなぁ!」
口を尖らせて見せると、ラルスは目を細めて笑っている。
(ラルスが、あの時の赤髪の騎士だったんだ……)
改めてそう思うと、より一層胸が熱くなった。
好きな人と憧れの人が一致していた事実。
これは運命なんじゃないかという気さえしてくる。
「ラルス……」
「なんですか?」
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「ラルス、だったんだね……僕のロイヤルセラフィスを取り返してくれたの」
「俺はただ、騎士として当然のことをしただけです」
「ううん。これを失くしてたら、さすがの兄さまも怒っただろうし、信用も失ってたと思う。本当にありがとう。ずっとお礼を言いたかったんだ」
五年越しで、ようやく赤髪の騎士にお礼を言えた。
ラルスは照れくさそうに笑っていて、フローリアンも微笑み返した。
「実は、俺も気になってはいたんですよね。護衛騎士になって王子に初めてお会いした時、あの少年にあまりにも似てたから、あの子は先王のご落胤かと思ってて。でもそんなの聞けるわけないですし」
「父さまは愛妾すらも持たなかったし、それはないよ」
「ですよねー。長年の謎が解けて、俺もすっきりしました!」
確かに王子と似ている子が市井にいれば、先王の私生児かと疑われても仕方ないかもしれない。
ラルスの疑念を晴らせて良かった。父も母も、婚外子を作っているわけはないのだ。
この国には二人の王子による継承争い、〝兄弟戦争〟が起こった歴史がある。それを両親は嫌忌していたのだから。
しかしそこまで考えると、いつかのようにフローリアンの心になにかが引っかかった。小さな棘が皮膚に刺さったような嫌な痛みが、フローリアンの顔を歪めさせる。
「どうしましたか、王子」
「……あ、いや。なんでもない。それより、よく何年も前の僕の顔を覚えてたね」
ラルスにしてみれば、たくさん人助けしたうちの一人だろう。きっと、取るに足らない出来事だったはずだ。
「ああ、俺、人の顔を一度見ると忘れないんですよね」
「……へ? 一度!? たった一回見ただけで、覚えられるの!?」
「はい。そんな驚くとこですか?」
「普通驚くだろ!」
予想外の能力に、フローリアンが目を剥きながらラルスを見上げると、いつものように笑っている。
「でもまぁ、あの時の子……王子が無事に帰れたって知って、安心しましたよ。窃盗犯を捕まえて戻ってきたらいないし、そのあと見かけることもなかったから心配してたんです」
一度顔を覚えたら忘れないというラルスは、ずっとフローリアンのことを気にしてくれていたのだろう。
「そう言えばあの時も、手配書を見てたからあいつが窃盗犯だって気づいたって……」
「はい、そうです」
「まさか、手配書の顔、全部覚えてるのか!?」
「もちろん。見つけるたび、片っ端から捕まえていましたね、あの頃は」
ラルスのあまりの特殊能力に、フローリアンはぽかんと開けていた口を慌てて閉じた。
しかしなるほど納得である。たった四年で護衛騎士にまで昇り詰めたのは、剣技の才能だけではなかったわけだ。かなりの功績を上げていたのは間違い無いだろう。
そんな能力を持っていたなら、シャインが推薦するのもわかる。危険人物を把握していれば、護衛対象に近寄らせることなく排除も可能なのだから。
「ラルスって、すごかったんだね……」
「そうですか? 王子だって頑張ってて、すごいと思いますよ! 最近は国政に携わることも多くて、俺にはちんぷんかんぷんです」
「まだまだ、兄さまやシャインの後ろで勉強させてもらってる程度だよ。大したことはしてない」
「それでも、すごいことなんですよ」
なんの下心も感じられないラルスに褒められると、心はどうしたって勝手に踊り出した。
「あ、でも逃げ出したい時は言ってくださいね。俺もどこまでも付き合いますから」
「え?」
護衛騎士にあるまじき発言をしたラルスに、フローリアンは目を丸める。
型にはまらない男だとは思っていたが、発言が予想の斜め上を行き過ぎる。
「なにを言ってるんだよ。僕を止めるのがラルスの仕事だろ」
「それで一人で逃げ出して危険な目に遭わせるくらいなら、俺も一緒に行かせてください」
ラルスの瞳は真剣で、生半可な気持ちで言っているのではないとわかってしまった。
フローリアンが『すべてを投げ出して逃げる』と言えば、その気持ちを尊重して本当に付いてきてくれるだろう。フローリアンを護るためだけに。
(ばか、それじゃあ護衛騎士失格だよ、もう……)
きっとそんなことはラルスもちゃんと理解している。だからこそ、地位を捨ててまで心と体を守ろうとしてくれているラルスに、胸が痛む。
「……気持ちだけもらっておくよ、ラルス。僕はもうあの時のように逃げ出したりはしない」
「それならそれでいいんです。ただ、心の隅にでも留めておいてもらえれば」
微笑みを見せるラルスに、嬉しくて、しかし悲しくて心は悲鳴を上げた。
「……そんなこと言って、恋人はどうするんだよ」
「それは」
もしもそんな事態になれば、恋人はほったらかしになってしまうだろう。愛情深いラルスがそれを望むとは思えない。
「いつかラルスも結婚して、子どもができてさ。そんな時に僕が逃げ出したいなんて言い出したら困るだろ? だからそういうことは、簡単に言っちゃだめだ」
「俺は、簡単になんて!」
「わかってるよ、ラルスが真剣に僕のことを思って言ってくれてることは」
もしもどちらかを選ばねばならなくなった時、きっとラルスは答えを出すのに苦しむに違いないから。フローリアンは、ラルスの気持ちを振り切るように声に出した。
「ありがとう、ラルス。僕のことを心配してくれて。僕は大丈夫だから、その時は遠慮なく家族を選ぶんだよ」
心が、涙で濡れたかのように萎んでしまっている。
(僕を選んで、なんてわがままは、言っちゃだめ──)
「王子!」
「わっ! なに!?」
唐突の大声に、フローリアンはびくりと体を震わせる。
そこには腰に手を当てて怒っているラルスがいた。普段見ない表情をされて、思わず萎縮してしまう。
「今、〝わがまま言っちゃだめだ〟とか思いませんでしたか!?」
「な、なんでわかるの!?」
「わかりますよ、王子は我慢ばっかりしてるんで!!」
「我慢……ばかり?」
きょとんとして見せると、ラルスはうむうむと頷いている。
我慢ばかり……そんなにしていただろうかと首を捻らせた。
「自覚がないみたいですけど、王子はもっとわがままでいていいんですからね。今日だって、お願いすればあっさり休みが取れたじゃないですか」
「そう……だけど……」
「フローリアン様は人に気を遣いすぎです。わがままの練習だと思って、思ったこと言えばいいんですよ! そうなるかどうかは別として!」
ラルスの言葉に、霞掛かっていたものが晴れた気がした。
どうせ無理だとか、相手に悪いだとか、気にさせたらどうしようとか、勝手に色んなことを想像して諦めていただけなんだと気づく。
「言うだけならただだって、休みを取る時にラルスが言ってたっけ」
「そうですよ。せめて親しい人にくらい、わがまま言ってください。俺に言ってくれたなら、俺は嬉しいですよ!」
親しい人にくらい、わがままを。
それはつまり、親しい仲だと思ってくれているということで。
今まで萎んでいたフローリアンの心はパンパンに膨れ上がり、涙まで溢れてきそうになる。
「じゃあ……そうなった時には、僕を選んで……家族より、僕を選んでよ!」
「わかりました! じゃあその時にはどうするか考えますね!!」
「え、ちょ! どこまでも付き合ってくれるんじゃなかったの!?」
「努力します!」
「も、もうっ!」
溢れそうになった涙は一瞬のうちに消え失せ、代わりに怒りながらも笑いが溢れてしまう。
こうして意図せず笑わせてくれるのも、きっとラルスの能力のひとつだろう。
「未来はどうなってるかわからないですからね。王子の言う通り、確かに簡単には約束できないなと思って。けど今は、どこへでも付き合うって気持ちに偽りはないですよ」
「うん……ありがと」
「あ、でも、ひとつだけ『絶対』を言い切れます!」
「なに?」
見上げると、ラルスの赤髪が陽に透けてとても綺麗で。
「たとえ未来がどんな状況であろうとも、絶対に王子の心を置き去りにした答えは出しませんから!」
自信満々でそう宣言するラルスがとても力強くて、魅力的で、誰よりも信用ができて。
フローリアンは大きく首肯して見せる。
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