男装王子の秘密の結婚 〜王子として育てられた娘と護衛騎士の、恋の行方〜

長岡更紗

文字の大きさ
上 下
8 / 90
フローリアン編①

08.婚約者

しおりを挟む
 フローリアンはラルスへの思いを秘めたまま、なるべく恋を自覚する前と同じように過ごしていた。

 そんなある日のこと、フローリアンは王である兄ディートフリートに呼び出された。父ラウレンツは床に臥していて王の間にはいないが、王座の隣には母のエルネスティーネがいる。

「どうなさったのですか、兄さま。唐突に」
「うん。フローにもそろそろ婚約者を選ばなきゃいけないと思ってね」

 婚約者という言葉に、額から嫌な汗が流れる。
 ディートフリートはフローリアンを男だと信じて、疑ってすらいないのだ。つまりあてがわれるのは、女に違いないということ。

「ま、待ってください兄さま。若輩者の僕などより、兄さまの方が先なのでは?」
「私にはまだ結婚できない理由があるんだよ。それよりもフローには早く結婚してもらいたいと思ってる。良い人がいるなら、なおさらだ」
「良い、人……?」

 フローリアンは首を捻らせた。良い人と言われても思い浮かぶ者がいない。ラルスには気持ちを伝えるどころか恋人がいるし、恋愛どうこうなりそうな人などいないはずだ。

「ノイベルトの方もとても乗り気でね」

 しかし兄から放たれた一言に、フローリアンは凍りついた。
 ノイベルト伯爵。それは、ツェツィーリアの父親のこと。

「ちょ、待ってください兄さま! 相手は伯爵ですよ!? 我が王家に迎え入れるには、いささか身分が低いと存じますが……」
「そんなことにこだわる必要はないよ。ノイベルト家は我が王家に貢献してくれているし、フローとツェツィーリアの仲も良好だ。聞いたよ、この前の舞踏会では彼女としか踊らなかったって?」
「そ、それは……っ」
「あはは、恥ずかしがらなくてもいいさ。あの舞踏会で、フローの気持ちは周りに伝わってる。早く婚約者として迎え入れて公表する方が、余計ないさかいや波風を立てずにすむ」

 にこにこと嬉しそうに笑っている兄。弟が喜ぶと思って、これっぽっちも疑っていない顔だ。それもそうだろう、フローリアンがツェツィーリアを大切に思っているのを、ディートフリートはよく知っているのだから。
 これは兄に言っても無駄だと思ったフローリアンは、エルネスティーネの方に目を向けた。この状況を助けてくれるのは、事情を知っている母しかいない。

「母さま……あの、僕は……」
「わかっています、フロー。ディート、この話はもう少し先に伸ばせられるのでしょう?」
「そうだね、少しくらいなら。でも早く決めてしまった方が私は良いと思う。世の中、なにが起こるかわからないからね」
「……そうね」

 どうなるのだろうと不安が胸を打ち鳴らし、エルネスティーネにお願いと心で語りかけ続けた。

「とにかく一度、私とフローとツェツィーリアで話をさせてもらえないかしら。王妃教育は大変なのよ。ツェツィーリアにその資質があるかどうかを確かめたいの」
「わかりました母上、そのようにしましょう。けれどあまり、フローの恋路を邪魔しないようにしてあげてくださいね」
「そうね……わかっているわ」

 話がすむと、侍女や護衛の入室が許可された。
 兄の護衛騎士のルーゼンとシャイン、母のお付きの侍女のヨハンナ、そしてフローリアンの護衛騎士であるラルスだ。

「陛下、先程ノイベルト伯爵が到着し、客間の方にお通ししております」

 ヨハンナがそう言い、ディートフリートは頷く。

「そうか。ツェツィーリアも一緒か?」
「はい。陛下と伯爵が会談する間、いつものようにフローリアン様とお茶をなさりたいご様子でしたわ」
「そうか、ちょうど良かった。ノイベルトをここへ呼んでくれ。母上とフローリアンは客間でツェツィーリアと話してくると良い」
「兄さま、まだ婚約は……っ」
「わかっているよ、フロー。ちゃんとツェツィーリアの気持ちを確かめておいで」

 王の言葉に幾分ホッとする。
 この国では、女子供の発言権はほとんどない。
 親が婚約者を決めたと言えば、たとえそれが嫌な相手でも婚姻を結ばなければならないものなのだ。
 特に貴族や王族の結婚は、利権が絡んでくるので政略は必至である。

 王の間を出ると、エルネスティーネが女医のバルバラをヨハンナに呼びに行かせていた。

「フロー、先にツェツィーリアのところへ行って事情を説明しておきなさい。私はヨハンナとバルバラと共に、後から参ります」
「はい、母さま……」

 そう言ったものの、気が重い。のらりくらりと歩いていると、意気揚々とした足取りのノイベルト伯爵が前からやってきた。

「王弟殿下! 例の件のこと、陛下からお聞きになりましたか?」
「さっき聞いたばかりだよ。寝耳に水だ」
「そうですか、良い返事を期待しておりますゆえ、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
「このこと、ツェツィーには?」
「いえ、まだ娘には。正式に決まってから伝えるつもりでございます」
「……そう」

 フローリアンはノイベルトにフイっと背を向けて歩き始めた。
 つまり、ツェツィーリアはまだ、フローリアンとの婚約話が上がっていることを知らない。婚約が決まってから話すというのもよくあることだ。
 そこに女の意思は、必要なしとされているのだから。

 後ろを付いて歩いていたラルスが、静かに声を上げた。

「王子、例の件とはもしかして……」
「言うな、ラルス。まだ決定ではないよ」
「はっ、申し訳ありません。でも良かったですね。陛下も色々考えてくださってたんでしょう」

 ニコニコと嬉しそうなラルス。逆にフローリアンはイライラが募ってくる。
 さすがにその様子を見てラルスもおかしいことに感づいたようだ。眉を寄せて歩くフローリアンの顔を覗き込んでくる。

「……嬉しく、ないんですか?」
「……」

 返事はしなかった。するとどうやらイエスという意味にとらえられたようである。

「殿下は、ツェツィーリア様のことが大好きですよね?」
「そうだね、大好きだよ」
「だったらどうして……」
「わからない? これは政略・・だよ? 僕たちの気持ちとは関係なく結ばれる、ただの契約に過ぎないんだ。これはただの、政策なんだよ!」

 イライラとしたものが棘となって、口から飛び出した。
 急に棘を浴びせられたラルスは、驚いたようにフローリアンを見ている。

「……違いますよ王子。陛下はフローリアン様のことを中心に考えてくださってます。政略というならば、他に利のある家柄もあるはず。なのに陛下はわざわざノイベルト伯爵の……」
「うるさい」

 低く一蹴すると、ラルスはぴたりと言葉を止めた。
 そんなことはわかっているのだ。兄の優しさは、弟である自分がなにより。

 客間の前まで来ると、フローリアンはスッと息を吸い込んだ。

「ラルスは中には入らないで、ここで誰もこないように見張っていてくれ」
「しかし」
「ツェツィーと大事な話がある。母さまとヨハンナとバルバラだけは入れても構わないけど、それ以外の者は部屋に近寄らせるな。いいね」

 言葉尻を強く断定し、ラルスが何かを言う前にフローリアンは客間へと足を踏み入れた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。

石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。 ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。 そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。 真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。

処理中です...