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フローリアン編①
08.婚約者
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フローリアンはラルスへの思いを秘めたまま、なるべく恋を自覚する前と同じように過ごしていた。
そんなある日のこと、フローリアンは王である兄ディートフリートに呼び出された。父ラウレンツは床に臥していて王の間にはいないが、王座の隣には母のエルネスティーネがいる。
「どうなさったのですか、兄さま。唐突に」
「うん。フローにもそろそろ婚約者を選ばなきゃいけないと思ってね」
婚約者という言葉に、額から嫌な汗が流れる。
ディートフリートはフローリアンを男だと信じて、疑ってすらいないのだ。つまりあてがわれるのは、女に違いないということ。
「ま、待ってください兄さま。若輩者の僕などより、兄さまの方が先なのでは?」
「私にはまだ結婚できない理由があるんだよ。それよりもフローには早く結婚してもらいたいと思ってる。良い人がいるなら、なおさらだ」
「良い、人……?」
フローリアンは首を捻らせた。良い人と言われても思い浮かぶ者がいない。ラルスには気持ちを伝えるどころか恋人がいるし、恋愛どうこうなりそうな人などいないはずだ。
「ノイベルトの方もとても乗り気でね」
しかし兄から放たれた一言に、フローリアンは凍りついた。
ノイベルト伯爵。それは、ツェツィーリアの父親のこと。
「ちょ、待ってください兄さま! 相手は伯爵ですよ!? 我が王家に迎え入れるには、いささか身分が低いと存じますが……」
「そんなことにこだわる必要はないよ。ノイベルト家は我が王家に貢献してくれているし、フローとツェツィーリアの仲も良好だ。聞いたよ、この前の舞踏会では彼女としか踊らなかったって?」
「そ、それは……っ」
「あはは、恥ずかしがらなくてもいいさ。あの舞踏会で、フローの気持ちは周りに伝わってる。早く婚約者として迎え入れて公表する方が、余計ないさかいや波風を立てずにすむ」
にこにこと嬉しそうに笑っている兄。弟が喜ぶと思って、これっぽっちも疑っていない顔だ。それもそうだろう、フローリアンがツェツィーリアを大切に思っているのを、ディートフリートはよく知っているのだから。
これは兄に言っても無駄だと思ったフローリアンは、エルネスティーネの方に目を向けた。この状況を助けてくれるのは、事情を知っている母しかいない。
「母さま……あの、僕は……」
「わかっています、フロー。ディート、この話はもう少し先に伸ばせられるのでしょう?」
「そうだね、少しくらいなら。でも早く決めてしまった方が私は良いと思う。世の中、なにが起こるかわからないからね」
「……そうね」
どうなるのだろうと不安が胸を打ち鳴らし、エルネスティーネにお願いと心で語りかけ続けた。
「とにかく一度、私とフローとツェツィーリアで話をさせてもらえないかしら。王妃教育は大変なのよ。ツェツィーリアにその資質があるかどうかを確かめたいの」
「わかりました母上、そのようにしましょう。けれどあまり、フローの恋路を邪魔しないようにしてあげてくださいね」
「そうね……わかっているわ」
話がすむと、侍女や護衛の入室が許可された。
兄の護衛騎士のルーゼンとシャイン、母のお付きの侍女のヨハンナ、そしてフローリアンの護衛騎士であるラルスだ。
「陛下、先程ノイベルト伯爵が到着し、客間の方にお通ししております」
ヨハンナがそう言い、ディートフリートは頷く。
「そうか。ツェツィーリアも一緒か?」
「はい。陛下と伯爵が会談する間、いつものようにフローリアン様とお茶をなさりたいご様子でしたわ」
「そうか、ちょうど良かった。ノイベルトをここへ呼んでくれ。母上とフローリアンは客間でツェツィーリアと話してくると良い」
「兄さま、まだ婚約は……っ」
「わかっているよ、フロー。ちゃんとツェツィーリアの気持ちを確かめておいで」
王の言葉に幾分ホッとする。
この国では、女子供の発言権はほとんどない。
親が婚約者を決めたと言えば、たとえそれが嫌な相手でも婚姻を結ばなければならないものなのだ。
特に貴族や王族の結婚は、利権が絡んでくるので政略は必至である。
王の間を出ると、エルネスティーネが女医のバルバラをヨハンナに呼びに行かせていた。
「フロー、先にツェツィーリアのところへ行って事情を説明しておきなさい。私はヨハンナとバルバラと共に、後から参ります」
「はい、母さま……」
そう言ったものの、気が重い。のらりくらりと歩いていると、意気揚々とした足取りのノイベルト伯爵が前からやってきた。
「王弟殿下! 例の件のこと、陛下からお聞きになりましたか?」
「さっき聞いたばかりだよ。寝耳に水だ」
「そうですか、良い返事を期待しておりますゆえ、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
「このこと、ツェツィーには?」
「いえ、まだ娘には。正式に決まってから伝えるつもりでございます」
「……そう」
フローリアンはノイベルトにフイっと背を向けて歩き始めた。
つまり、ツェツィーリアはまだ、フローリアンとの婚約話が上がっていることを知らない。婚約が決まってから話すというのもよくあることだ。
そこに女の意思は、必要なしとされているのだから。
後ろを付いて歩いていたラルスが、静かに声を上げた。
「王子、例の件とはもしかして……」
「言うな、ラルス。まだ決定ではないよ」
「はっ、申し訳ありません。でも良かったですね。陛下も色々考えてくださってたんでしょう」
ニコニコと嬉しそうなラルス。逆にフローリアンはイライラが募ってくる。
さすがにその様子を見てラルスもおかしいことに感づいたようだ。眉を寄せて歩くフローリアンの顔を覗き込んでくる。
「……嬉しく、ないんですか?」
「……」
返事はしなかった。するとどうやらイエスという意味にとらえられたようである。
「殿下は、ツェツィーリア様のことが大好きですよね?」
「そうだね、大好きだよ」
「だったらどうして……」
「わからない? これは政略だよ? 僕たちの気持ちとは関係なく結ばれる、ただの契約に過ぎないんだ。これはただの、政策なんだよ!」
イライラとしたものが棘となって、口から飛び出した。
急に棘を浴びせられたラルスは、驚いたようにフローリアンを見ている。
「……違いますよ王子。陛下はフローリアン様のことを中心に考えてくださってます。政略というならば、他に利のある家柄もあるはず。なのに陛下はわざわざノイベルト伯爵の……」
「うるさい」
低く一蹴すると、ラルスはぴたりと言葉を止めた。
そんなことはわかっているのだ。兄の優しさは、弟である自分がなにより。
客間の前まで来ると、フローリアンはスッと息を吸い込んだ。
「ラルスは中には入らないで、ここで誰もこないように見張っていてくれ」
「しかし」
「ツェツィーと大事な話がある。母さまとヨハンナとバルバラだけは入れても構わないけど、それ以外の者は部屋に近寄らせるな。いいね」
言葉尻を強く断定し、ラルスが何かを言う前にフローリアンは客間へと足を踏み入れた。
そんなある日のこと、フローリアンは王である兄ディートフリートに呼び出された。父ラウレンツは床に臥していて王の間にはいないが、王座の隣には母のエルネスティーネがいる。
「どうなさったのですか、兄さま。唐突に」
「うん。フローにもそろそろ婚約者を選ばなきゃいけないと思ってね」
婚約者という言葉に、額から嫌な汗が流れる。
ディートフリートはフローリアンを男だと信じて、疑ってすらいないのだ。つまりあてがわれるのは、女に違いないということ。
「ま、待ってください兄さま。若輩者の僕などより、兄さまの方が先なのでは?」
「私にはまだ結婚できない理由があるんだよ。それよりもフローには早く結婚してもらいたいと思ってる。良い人がいるなら、なおさらだ」
「良い、人……?」
フローリアンは首を捻らせた。良い人と言われても思い浮かぶ者がいない。ラルスには気持ちを伝えるどころか恋人がいるし、恋愛どうこうなりそうな人などいないはずだ。
「ノイベルトの方もとても乗り気でね」
しかし兄から放たれた一言に、フローリアンは凍りついた。
ノイベルト伯爵。それは、ツェツィーリアの父親のこと。
「ちょ、待ってください兄さま! 相手は伯爵ですよ!? 我が王家に迎え入れるには、いささか身分が低いと存じますが……」
「そんなことにこだわる必要はないよ。ノイベルト家は我が王家に貢献してくれているし、フローとツェツィーリアの仲も良好だ。聞いたよ、この前の舞踏会では彼女としか踊らなかったって?」
「そ、それは……っ」
「あはは、恥ずかしがらなくてもいいさ。あの舞踏会で、フローの気持ちは周りに伝わってる。早く婚約者として迎え入れて公表する方が、余計ないさかいや波風を立てずにすむ」
にこにこと嬉しそうに笑っている兄。弟が喜ぶと思って、これっぽっちも疑っていない顔だ。それもそうだろう、フローリアンがツェツィーリアを大切に思っているのを、ディートフリートはよく知っているのだから。
これは兄に言っても無駄だと思ったフローリアンは、エルネスティーネの方に目を向けた。この状況を助けてくれるのは、事情を知っている母しかいない。
「母さま……あの、僕は……」
「わかっています、フロー。ディート、この話はもう少し先に伸ばせられるのでしょう?」
「そうだね、少しくらいなら。でも早く決めてしまった方が私は良いと思う。世の中、なにが起こるかわからないからね」
「……そうね」
どうなるのだろうと不安が胸を打ち鳴らし、エルネスティーネにお願いと心で語りかけ続けた。
「とにかく一度、私とフローとツェツィーリアで話をさせてもらえないかしら。王妃教育は大変なのよ。ツェツィーリアにその資質があるかどうかを確かめたいの」
「わかりました母上、そのようにしましょう。けれどあまり、フローの恋路を邪魔しないようにしてあげてくださいね」
「そうね……わかっているわ」
話がすむと、侍女や護衛の入室が許可された。
兄の護衛騎士のルーゼンとシャイン、母のお付きの侍女のヨハンナ、そしてフローリアンの護衛騎士であるラルスだ。
「陛下、先程ノイベルト伯爵が到着し、客間の方にお通ししております」
ヨハンナがそう言い、ディートフリートは頷く。
「そうか。ツェツィーリアも一緒か?」
「はい。陛下と伯爵が会談する間、いつものようにフローリアン様とお茶をなさりたいご様子でしたわ」
「そうか、ちょうど良かった。ノイベルトをここへ呼んでくれ。母上とフローリアンは客間でツェツィーリアと話してくると良い」
「兄さま、まだ婚約は……っ」
「わかっているよ、フロー。ちゃんとツェツィーリアの気持ちを確かめておいで」
王の言葉に幾分ホッとする。
この国では、女子供の発言権はほとんどない。
親が婚約者を決めたと言えば、たとえそれが嫌な相手でも婚姻を結ばなければならないものなのだ。
特に貴族や王族の結婚は、利権が絡んでくるので政略は必至である。
王の間を出ると、エルネスティーネが女医のバルバラをヨハンナに呼びに行かせていた。
「フロー、先にツェツィーリアのところへ行って事情を説明しておきなさい。私はヨハンナとバルバラと共に、後から参ります」
「はい、母さま……」
そう言ったものの、気が重い。のらりくらりと歩いていると、意気揚々とした足取りのノイベルト伯爵が前からやってきた。
「王弟殿下! 例の件のこと、陛下からお聞きになりましたか?」
「さっき聞いたばかりだよ。寝耳に水だ」
「そうですか、良い返事を期待しておりますゆえ、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
「このこと、ツェツィーには?」
「いえ、まだ娘には。正式に決まってから伝えるつもりでございます」
「……そう」
フローリアンはノイベルトにフイっと背を向けて歩き始めた。
つまり、ツェツィーリアはまだ、フローリアンとの婚約話が上がっていることを知らない。婚約が決まってから話すというのもよくあることだ。
そこに女の意思は、必要なしとされているのだから。
後ろを付いて歩いていたラルスが、静かに声を上げた。
「王子、例の件とはもしかして……」
「言うな、ラルス。まだ決定ではないよ」
「はっ、申し訳ありません。でも良かったですね。陛下も色々考えてくださってたんでしょう」
ニコニコと嬉しそうなラルス。逆にフローリアンはイライラが募ってくる。
さすがにその様子を見てラルスもおかしいことに感づいたようだ。眉を寄せて歩くフローリアンの顔を覗き込んでくる。
「……嬉しく、ないんですか?」
「……」
返事はしなかった。するとどうやらイエスという意味にとらえられたようである。
「殿下は、ツェツィーリア様のことが大好きですよね?」
「そうだね、大好きだよ」
「だったらどうして……」
「わからない? これは政略だよ? 僕たちの気持ちとは関係なく結ばれる、ただの契約に過ぎないんだ。これはただの、政策なんだよ!」
イライラとしたものが棘となって、口から飛び出した。
急に棘を浴びせられたラルスは、驚いたようにフローリアンを見ている。
「……違いますよ王子。陛下はフローリアン様のことを中心に考えてくださってます。政略というならば、他に利のある家柄もあるはず。なのに陛下はわざわざノイベルト伯爵の……」
「うるさい」
低く一蹴すると、ラルスはぴたりと言葉を止めた。
そんなことはわかっているのだ。兄の優しさは、弟である自分がなにより。
客間の前まで来ると、フローリアンはスッと息を吸い込んだ。
「ラルスは中には入らないで、ここで誰もこないように見張っていてくれ」
「しかし」
「ツェツィーと大事な話がある。母さまとヨハンナとバルバラだけは入れても構わないけど、それ以外の者は部屋に近寄らせるな。いいね」
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