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フローリアン編①

07.ダンス

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 二曲目が終わると、少し休憩が入る。
 ツェツィーリアを見ていたら、しばらくイグナーツと話した後でこちらに来てくれた。
 いつものツェツィーリアにしては少し派手な、明るいピンク色のドレスがとても眩しい。

「フロー様」
「ツェツィー……いいのか?」
「約束ですもの。フロー様と踊れる優越感ったら、ありませんわ」

 茶目っ気たっぷりにそう言ってくれたので、フローリアンは遠慮なくツェツィーリアの手を取ることができた。
 フロアの中央まで行くと、ゆったりとした曲が始まる。これなら話をしながら踊れそうだ。

「ツェツィー、聞いて欲しいことがあるんだ」
「もちろん、なんだって聞きますわ」
「うん、あのね……」

 顔が自然と熱くなる。人を好きになったことを話すというのは、勇気のいることなんだなと初めて知った。今なら恥ずかしがっていたツェツィーリアの気持ちもわかる。

「びっくりさせるかもしれないんだけど……」
「はい、大丈夫ですわ。お聞かせくださいませ」
「僕……好きな人ができたんだ」

 そう告げると、ツェツィーリアの顔が途端にパアっと明るくなった。

「まぁ! 素晴らしいことですわ!」
「そう、かな? 僕は王子なのに、こんな……」
「人であれば、恋する気持ちを持ってもおかしくありませんのよ? たしかに彼は、ずっとそばでフロー様を笑顔にさせてくれていましたものね」

 ツェツィーリアが柔らかに目を細める。その発言に、ゆっくりとしたステップだというのに、足がもつれそうになった。

「え、僕はまだ、相手が誰かは……っ」
「言わずともわかりますわ。わたくしも思わず嫉妬しそうになりましたもの」

 ふふふと微笑む彼女を見ると、今度は耳まで熱くなってきた。自分が自覚するよりも早く、ツェツィーリアにはバレてしまっていたらしい。

「でも嬉しいですわ。これでフロー様とたくさん恋の話ができますわね」
「いや……それは無理なんだ」
「あら、どうしてですの?」

 不思議そうに見上げてくるツェツィーリアから、視線を少し逸らした。また苦しさがじわじわと迫ってくる。

「ラルス……恋人が、できたんだって……嬉しそうだった」
「あ……」

 楽しそうに踏んでいた彼女のステップが、動きをそっとひそませた。ツェツィーリアの動きは女性パートだというのに、フローリアンを支えるような力強さが伝わってくる。

「フロー様。お涙は、ここでは我慢なさってくださいませ」
「うん、ごめん……」

 潤んできた目をどうにかしようと、天井を仰いで落ちつかせる。それでもやっぱり、ろうそくが何本も立てられているシャンデリアの光は滲んでいた。

「恋だって気づいた途端に失恋しちゃったよ……どっちにしろ、僕が王子である限り、成就はしなかったけどね」

 天井から顔を戻し、自嘲して見せる。すると彼女は真っ直ぐな視線を向けてくれた。

「わたくしは、ずっとフロー様のおそばにおります。一生、親友ですわ。お約束いたします」
「うん……ありがとう、ツェツィー」

 そうして、癒されるようにツェツィーリアと踊った。他の人と踊れる気がせず、次もその次もツェツィーリアと一緒に。
 イグナーツがこちらを見ていた気がしたが、今はツェツィーリアと離れたくはなかった。

 舞踏会が終わると、主催であるウルリヒ卿に別室へと通された。そこにはイグナーツもいて、じっとフローリアンを見ている。
 一刻も早く帰りたい気分だったが、これも仕事だ。知らん顔をするわけにもいかない。

「フローリアン殿下、今宵は我がウルリヒ家主催の舞踏会にお越しくださりありがとうございました。すぐにお飲み物を用意いたしますので、どうぞお寛ぎください」
「いえ、僕はすぐに──」
「これ、はやく殿下にお飲み物を!」

 そう言いながらウルリヒ卿は部屋を出ていってしまった。
 残されたのはフローリアンと護衛のラルス、それにイグナーツだ。

「殿下、お聞きしたいことが」

 扉が閉まった瞬間、イグナーツは間髪入れずに口を開き、ぐんっと近づいてきた。
 友好的な感じは、まったくしない。
 イグナーツの冷たい金の眼が、目の前で光る。

「なぜ、ツェツィーリアとずっと踊っていたのですか」

 これは友好的じゃないどころではない、敵意に近いものを感じる。
 何色にも染まりそうもない漆黒の髪は、強い威圧感しか受けない。しかし王子として、怯んだ姿を見せるわけにはいかない。

「申し訳ないと思ってはいるよ」
「あなたほどの方が、一人の女性を独占して踊る意味を、わかっていないわけはないだろう」

 凄むように放たれた言葉に、フローリアンは言い返すことができず、視線を逸してしまった。
 舞踏会の暗黙の了解で、同じ相手と連続して踊るのは三度までとなっている。それ以上は誘われても断らなかった令嬢の方に非があるとされるのだ。

「殿下は王族だ。ツェツィーリアからは断れない。あなたが誘うのをやめるべきだった」

 イグナーツの言葉は正論で、反論する余地もない。結果的に常識がないと思われるのは、ツェツィーリアになってしまうのだから。

「二人には、申し訳なく思っているよ」
「申し訳なく!? そんな風に思うくらいなら、なぜ!」
「わっ!」

 イグナーツにさらに迫られ、どんっとお互いの胸が当たる。

「フローリアン様!」

 よろめいたフローリアンの背中がラルスによって支えられ、逆の手はイグナーツを引き剥がすように押し返してくれた。

「大丈夫ですか、フローリアン様!」
「ああ、大丈夫だよ……」

 体勢を整えると、思わず自分の胸に手を当てる。

(今、ぶつかっちゃった……僕が女だって、バレてない……よね?)

 心臓をドクドク鳴らしながらイグナーツを確認するために見上げた。彼は訝しげな顔をしながら、同じように自身の胸に手を当てている。

「イグナーツ殿。王族であるフローリアン様に対して今のような行動は不敬ですよ」

 まるで護衛騎士のようにラルスが言い、イグナーツに強い目を向けている。いや、ラルスは紛れもない護衛騎士なのだが。
 それにしても、不敬の塊のようなラルスが不敬を説くのは、なんだか滑稽である。
 イグナーツはラルスの言葉でいくらか冷静になれたようで、距離を取ると頭を下げた。

「……申し訳ありません、殿下。熱くなりすぎました」
「いや、いいよ。ツェツィーリアのことを考えて言ってくれたんだからね。これからは僕も気をつけるよ」

 見た目から、冷静な人物と思っていたが、存外心は熱い男のようだ。それもこれも、ツェツィーリアが絡んでいたからかもしれないが。

(ツェツィーのことを大切に思ってくれてるんだな)

 それを確認できただけで、嬉しくて笑みが溢れてくる。
 自分はラルスとどうこうということにはならない分、ツェツィーリアには幸せになってもらいたいと思っているから。
 妙な沈黙が始まったところで、ウルリヒ卿が慌てて戻ってきた。

「大変お待たせいたしました、殿下! 今すぐにお茶を……」
「いやいい、帰るよ。今宵はありがとう、ウルリヒ卿。良い舞踏会だった」

 止めるウルリヒ卿を尻目に、フローリアンはその場を立ち去った。
 刺すようなイグナーツの視線を背中に感じながら。
 フローリアンはラルスに守られるようにして、城に帰った。


 ***



 舞踏会が終わって、二週間が経った。
 ラルスとは、見ため上は特に変わらず接している。ラルスが冗談を言ってはフローリアンが突っ込み、フローリアンがラルスを小馬鹿にしてやると笑いながら怒っている。
 居心地は良いはずだったが、なぜか胸はチクチクと針で突き刺されるような感覚が消えなかった。
 ラルスは恋人と順調なようで、話を聞くたびに嫌な気持ちになってしまう。そんな自分の矮小さに、嫌気もさした。

「殿下、最近寂しそうじゃないですか?」

 ラルスは意外なほど、人の機微に聡い。ただその理由については思い浮かばないようで、的外れなことも多かったが。

「ツェツィーリア様と、なにかありました?」
「違うよ。ツェツィーは関係ない」
「もし良ければ、俺に話してもらえないですか。できることなら、なんでもします! 王子殿下のためなら!」

 真っ直ぐ見つめられるその瞳に、ぐぐんと吸い寄せられそうになる。そして、胸が締め付けられる。

 もし、好きだと言ったらどうなるだろうか。
 男と思われている状態では、多分なにも返してはくれないだろう。
 それでも、なんでもすると言ってくれた。王族という権力があれば、ラルスを自分のものにすることも可能だ──

 そこまで考えて、フローリアンは首を振った。

(ラルスには恋人がいるのに、なにを考えてるんだよ。自分のエゴだけでどうにかしようだなんて、人として最低な行為だ)

 自分のものにできるのならばしてしまいたい。けれどそれでは、ラルスに悲しい思いをさせてしまうだけで、今の笑い合える関係を壊してしまうことになる。

「王子!」
「大丈夫だよ、ラルスはなにもする必要はない」

 なんとか口の端で笑って見せると、いつもの大きな手がフローリアンの頭を往復していった。
 胸がキュンと鳴いてしまうからやめてほしい、とも言えない。

「じゃあ言える時がきたら、遠慮なく言ってください。たとえ、どんな荒唐無稽な話だったとしても、俺は全部受け止めますんで!」
「ラルス……よく荒唐無稽なんて言葉を知ってたね」
「殿下は俺のこと、なんだと思ってるんですか!?」

 いつものやりとりにホッとして二人で笑う。
 ラルスの気持ちは嬉しいが、この気持ちを伝えられることはないだろう。
 思いが通じ合うことはないのだから。王子として生きる以上、求めるわけにもいかない。

(いつか、ラルスは恋人と結婚するんだろうな。その時にはせめて、笑っておめでとうと言わなきゃね)

 フローリアンは痛む胸を抑えながら、そう心に決めたのだった。
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