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私の愛した人(側室視点)
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「君を愛することはない」
神妙な面持ちでそうおっしゃったのは、オリバー王子殿下。その隣には、王子妃殿下であるジュリア様が寄り添っている。
「セリーナさん、わたくしに子どもができないせいでごめんなさい……」
なぜかジュリア様に謝られた。
「ジュリア、君のせいじゃない」
「ああ、オリバー様……」
美男美女の慈しみ合う姿。
眼福だけれども。
どうしてこんなことに……!
オリバー王子殿下とジュリア王子妃殿下がご結婚されたのは、三年と少し前のこと。
お二人の間にお子ができないからと、健康上問題なく、婚約者候補の一人もおらず、将来結婚しそうもない私が、側室にされてしまった。
ベッドの上で足をパタパタさせながら、小説を読んでばかりいる私を見て、頭を抱えていたお父様。
ちっとも社交界に出ようとしない私を放り出すチャンスだと思ったに違いないわ!
こんな私にだって夢はあったのよ。
優しい人との平穏で平凡な結婚!
決して……王子殿下の側室ではなかった……。
なんたってお二人は幼馴染みでラブラブのおしどり夫婦!!
婚姻後、三年子どもができないくらいで側室を勧められるお二人もかわいそうだけど、連れてこられた私はもっとかわいそうよ……しくしく。
私に子を産む以外のことは求められていないようで、なーんにもすることはないし。
一日中部屋にこもって本を読みたい放題。
嬉しいけど……なんか違う。本ばかり読んでるんじゃないと怒られながら、日々の生活の隙を見て必死に読むのがまた良かったのよ。
どうぞ読んでくださいの上げ膳据え膳は望んでない!
というわけでここに来て一ヶ月経った今では、王宮内のイケメン騎士を観察するという趣味が増えた。
物語の中ではない、生のイケメン騎士を見られるなんて……幸せ。
王宮で働く騎士たちは、見目も審査されるのかしら。
家柄はもちろん、腕前も超上級のエリートたちの集まり。
……ヨダレが出そうだわ!
今の私には、これくらいしかできないんだもの。見ていてもかまわないわよね。
騎士たちは毎朝六時に中庭に集まって、朝礼をしている。
私は端のベンチで本を読むふりをしながらイケメンたちを盗み見る。
ああ、あの方はなんてすらりと背が高く、甘い顔立ちなのかしら。
あら、あちらの方は素晴らしい筋肉をしているわ。男らしく眉が吊り上がっているのも素敵。
そして……いたわ! 私の最推し、癒しの君!!
名前は知らないけれど、はちみつ色の髪にきらきら光る湖面のような青い瞳。
立ち居振る舞いは誰よりも優雅で美しく、騎士服の着こなしなんかさりげなくオシャレなの。
それでいて、仲間に見せるほんわかした笑顔よ! もう、たまらない!!
そう、たまらな……え、“癒しの君”が近づいて来てるんだけれど?!
私は急いで本に目を落として、彼が来ていることに気づかないふりをした。
……私の前を通過するだけよね? そうよね?
「あの」
話しかけられた!!
「朝露の妖精さん」
誰のこと?
わ……私?!
キョロキョロと周りを見回しても、私しかいない。
「は、はい、なんでしょうか」
「僕はレオナルド・アーレンデールと申します。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
ラッキー、癒しの君の名前ゲット!
じゃなくて! もしかして私、不審人物だと思われてる?
そうよね、騎士は不審者がいれば排除しなきゃいけないんだもの。身元を確認されるのは当たり前!
「私はセリーナ・ドーセットと申します。あの、決してあやしい者では」
っていうか私、伯爵のドーセット姓を名乗っていていいのよね? 側室ってどういう扱いになるのかしら。そもそも側室の役目を果たしていないけれども。
「セリーナ・ドーセット殿でしたか。王子より、尊貴な賓客であるから丁重におもてなしせよと命じられております」
あ、私、賓客扱いにされてるのね、対外的には。ってか尊貴って、誰が。
王子殿下は、どーーしてもお子が出来なかった場合、仕方なく私のところに来るのだろうし。そのときにようやく側室と名乗れる感じかしら。
いや、名乗りたくないけれど。
どっちにしろ、あやしまれすに済んだようでよかっ……
「唐突な申し出失礼しますが、もし婚約者などおられないようでしたら、僕と結婚してもらえないでしょうか!」
「……え」
ええええええーーーー?!!!
ちょ、癒しの君、思っていたより行動が大胆!!
でもすっごい顔を真っ赤にしているのは、やっぱり癒される……
……じゃなくて!
待って待って、どういうこと?
顔がニヤけちゃうんだけど?!
「えっと、その……アーレンデール様……」
「レオとお呼びください」
いきなり愛称呼びって……!
アーレンデールって、確か侯爵家だったわよね……お父様が知ったら泣いて喜びそうだわ。側室だからもう遅いけれど。
「では、レオ様」
「はい」
その嬉しそうなニコニコ顔やめてー!
遠くから見る分にはいいけど、近くで見ると破壊力が凄すぎるの!
「あの、私たち、今出会ったばかりで……」
「でも、僕はずっと朝露の妖精さんのことが気になっていました」
「その朝露の妖精とは……」
「あなたのことです。朝露に消えていきそうな美しく儚げなあなたの姿を、騎士のみんなは“朝露の妖精”と呼んでいます」
いや、ちょ、どこが妖精……
儚げなって、気配を消してただけなんだけど……
妖精フィルターがかかって綺麗に見えてしまってるだけじゃ?
ああでも、ここに来てから侍女さんがめっちゃくちゃオシャレに化粧してくれているからなぁ。
髪も服装も、家にいた頃とは段違い!
本当の私はこんなではないのです……騙してごめんなさい。
「レオ様は私のことを誤解していらっしゃいます。私はアーレンデール侯爵家の方に求婚されるような立場には……」
「好きになってしまったんです……!」
ストレート! う、嬉しいけど、なんで??
「お話しするの、初めてですよね?」
「ええ、でも見るたび、あなたと目が合うのです。本を読んでいるはずのあなたと目が合うというのも、おかしな話ですが。見るたび目が合ってはもう、たまらなくなってしまって……!」
癒しの君、純情すぎるわ……! 癒される……!!
そして見るたび目が合ってたのも大正解。だって私、あなたの姿を見つけるとガン見していたんですもの!
本を隠れ蓑にして!!
「もう僕は、朝露の妖精さん……セリーナ殿しか考えられなくなってしまったんです! どうか……どうか、僕と結婚してください!!」
レオ様の真剣な表情。
やだ、胸がドッカンドッカン波打ってて破裂しそうよ……!
まさか平凡な私にこんな展開が舞い込んでくるなんて……まるで小説の主人公のようだわ!
ああ……ここで『はい』と言えたらどんなにいいか。
でも私は王子殿下の側室という身。
まぁ殿下は来ないだろうけど、それでも他の人にこの身を明け渡すわけにはいかないの。
誰の子かわからなくなっちゃうものね。いや、殿下に寵愛なんて受けてないけど。
「お気持ちはとても嬉しいのですが……」
「……ダメ、でしょうか……」
ううっ! そんな捨てられた子犬のような目をしないで……!
罪悪感が……ナイフが胸にグッサグサ刺さるのよ……!
「あの……申し訳ありません……」
丁寧に頭を下げて誠心誠意謝ると、「読書中にお邪魔してしまい、失礼いたしました」とレオ様は礼儀正しく去っていく。
仲間に迎えられた彼は、頭をぐしゃぐしゃに撫でられて慰められていた。
ああ、眼福……じゃなくてつらい……。
だけどその日の昼過ぎのこと。
部屋で本を読んでいたら、レオ様がやってきて言った。
「本日付けでセリーナ殿の護衛騎士に任命されたレオナルド・アーレンデールと申します。よろしくお願いいたします」
そのキラキラ笑顔、反則……!
めちゃくちゃ嬉しそうだわ……なでなでしたい!
「セリーナ殿はこの一ヶ月、王宮から出たことがないそうですね」
「ええ、まぁ」
「どこへでも僕がご一緒しますから、いつでもお申し付けください」
「ええっと、お心遣い嬉しいのだけど、どうして急に……?」
「実は先ほど、王子殿下とお話しする機会がありまして。セリーナ殿に恋してしまったことをお話ししました」
「はい?」
「するとオリバー殿下はそれならと、僕をセリーナ殿の専属護衛騎士に任命してくれたのです」
ちょ、殿下に話しちゃった?!
私一応、オリバー様の側室なんだけど……!
「これでずっと一緒にいられます」
ああ、全身の力が抜けていくようなふんわり笑顔……。
私の骨は、全部抜かれてしまったのかもしれない。
「どこか出かけますか?」
「いえ、本を読もうと思っていて」
「本当に本がお好きなんですね。どうぞ、セリーナ殿のやりたいことをなさってください」
そう言ってレオ様は壁に背を向けてピシッと立った。
え、ずっとそうしている気??!
ベッドの上で足をパタパタしながら読めないじゃない……! なんてこと……!
「あの、どうぞお掛けになってください。よろしければ、レオ様も本などいかがですか?」
「しかし勤務中で」
「これもお仕事と思ってくださると嬉しいです」
「そうしてほしいとおっしゃるなら、遠慮なく」
椅子に腰を下ろしてもらえてホッとする。
なにかおすすめはありませんかと聞かれて、私は一冊の恋愛小説を渡した。
侍女さんにお茶を入れてもらい、二人で色々な本を読み進める。
それが何日も、何日も続いた。
今やレオ様はすっかり私の茶飲み友達兼、小説仲間だ。
「くう、この『ポンコツ王子』には泣かされた……!」
目頭を抑えるレオ様に、私はふふと笑みを含ませた。
「そうでしょう? こちらも同じ系統で面白いですよ」
「では、次はそれを読んでみます」
ああ、こうやって人は小説にハマっていくのよね。
それがレオ様だと思うと、なおさら嬉しい。
「レオ様は今まで読まれた中で、どれが一番面白かったですか?」
「そうですね、僕は──」
レオ様の言葉を聞いて、私はうんうんと頷いた。
「ああ、わかります……部下への思いも熱いんですよね……!」
「他には、こちらの本も好きですね。背負わされた運命が良い……!」
「あ、この先生と言えば!」
私はハッと思い出して、椅子から立ち上がった。
「なんてこと……! 今日はこの先生の新刊の発売日なのに、私ったら手に入れてないわ!!」
「なら……買いに行かれますか?」
私がこくこくと頷くと、レオ様も立ち上がって微笑んでくれた。
私たちは初めて、二人で街にお買い物に行くことになった。
無事に本を手に入れると、「少し寄り道しませんか」と言われて、小高い丘へと向かった。
いやもう、一刻も早く帰って読みたいのだけど……!!
でもあのふんわり笑顔で言われると逆らえない……!
丘の上には大きな木が一本。その根本にレオ様はハンカチを敷いてくれて、「どうぞ」と言われると座らないわけにいかない。
いい景色。城下町が見下ろせて。
でも早く読みたい。
「ずーっと部屋にこもってましたからね。たまにはいいでしょう?」
「そ、そうですね……」
いいんだけど……読みたい。
「読んでいいですよ」
「え?」
レオ様が私の心を見透かしたように言ったから、私は目を広げて彼を見上げる。
「たまには外で読むのもいいと思いますよ」
「で、でも……私が読んでいる間、レオ様はお暇なのでは」
「一緒に読んでもかまいませんか?」
「それは、もちろん……」
そう言いながら、私は我慢できずに本を開いた。
私は感情を込めてゆっくり読むから、レオ様に自分のペースで読んで大丈夫ですよと言われる。
だから私は、集中して読むことができた。
最後のページまで読み終えると、パタンと本を閉じる。
そしてレオ様を見上げようとして……
近っ!!
え、ちょ、こんな密着して一緒に読んでたの?!
私の顔は途端に熱くなった。
「面白かったですね、新作」
「え、ええ、もうさすがだわ……序盤から引き込まれて、スルスルと最後まで読ませられて……ああ、二巻が待ち遠しい……!」
「二巻が出たら、また一緒にこうして読んでくれますか?」
レオ様の真っ直ぐな瞳。
どうしよう。心臓の音を聞かれてしまいそう。
「あの……、そうですね、ええ、また一緒に……?!」
そこまで言った瞬間、レオ様のはちみつ色の髪がファサリと覆いかぶさってくる。
何事、と思う前に気づいてしまった。
まさかの……キス!!
レオ様の麗しい唇が、私の唇に乗せられている。
どうしよう……、どうして……
レオ様のはぁという悩ましい息と共に、私たちは少し距離をとった。
「……すみません、可愛くて……つい」
ついはダメだと思うの。それが許されるのは、小説の中だけで、しかもイケメンに限るってやつなので……。
でも……癒しの君からのキス……ああ、喜んでしまってる私がいるわ……!
「いや……でしたか?」
その問いに、私はぷるぷると首を横に振った。
いやじゃない。レオ様からのキスは、むしろ嬉しかった。でも私は……
「よかった……」
ニコッ、は反則!
全部許してしまいそうになってしまうので!
恋愛小説を読ませすぎたのかしら……そういえば私、『男の人は多少強引なところがあってもいいですよね』なんて感想で言ってしまった記憶も……
あれは小説の中の話だけど、まさか勘違いを……?!
「セリーナ殿……好きです」
「え、ちょ、ま」
返事を言う前に、私はもう一度レオ様にキスされた。
……ダメですからね?
本当はダメですからね?
三度目は、私からキスしてしまったけれど。
これはセーフよね、多分。
この日私は、ファーストキスもセカンドキスもサードキスも終わらせてしまったのだった。
***
どうしよう、レオ様が……好き。
あああああもう、どうしようもなく、大好き!!!!
まさか、こんな恋愛小説のヒロインのような気持ちになる日が来るとは思わなかったわ……!!
レオ様といると、とにかく楽しい。
同じ空間で小説を読んでいるだけでも楽しい。
隙あらばキスされるのも嬉しい。
小説の感想を語り合えるのも幸せ。
どうしよう、どんどんどんどん好きになってしまう。
キスだって拒まなきゃいけないってわかっているけど、どうしても無理……!!
早く言わなきゃ……私は、王子殿下の側室なんだって。
ジュリア様にお子が宿らなければ、私はいつかオリバー様に抱かれなければいけないんだって。
……言えない。
あんなに嬉しそうにキスしてくれる笑顔を見ると……どう切り出していいのか……。
「セリーナ殿、愛しています」
そう言って、指先にキスをしてくれるレオ様。
人前では絶対にしないでと言っているし、それをちゃんと守ってくれているから、バレることはない。
『セリーナと呼びたい』というレオ様にも、私は頑として首を縦に振らなかった。
ここは譲れない。私とレオ様の間には壁があるんだって、ちゃんと認識するためにも。
私は絶対に好きだとか愛してるだとかを、言ってはならないんだと。
愛おしいこの気持ちを、レオ様に伝えられないのが悲しかった。
***
私がここに来てから、四ヶ月が経った。
幸せで悲しい毎日が過ぎていく。
そんな、ある日のことだった。
「明日の晩、オリバー王子殿下が来てくださるそうですわ!」
うきうきとティーポットを持ってきた侍女さんが、本を読んでいる私たちに向かって言った。
「オリバー王子殿下が? 何用だろう……しかも女性の部屋に、夜に来られるとは」
純粋な疑問を言葉にするレオ様に、侍女さんはなにを言っているのかとばかりに口を開いた。
「もちろん、寵愛をいただくためですわ! ああ、毎日セリーナ様のご衣装とお化粧を頑張った甲斐がありましたわ! ようやくセリーナ様の魅力に気づいてくださったのね!」
侍女さんは感慨深げにうっとりとしている。
……毎日、そのために頑張ってくれていたんだものね……
ああ、とうとうこの日が来てしまうんだわ……
「寵愛? どうしてセリーナ殿が殿下の寵愛を」
「そんなの、側室だからに決まっております! おめでとうございます、セリーナ様! 私、明日の晩のためにセリーナ様をより美しくしてみせますわ! まずはハーブティーでリラックスしてくださいませ!」
ルンルンと音が出そうなくらいに上機嫌な侍女さんは、ハーブティーを淹れると退室していった。
「側……室……?」
絶望の色を滲ませながら放たれた、レオ様の言葉。
私は仕方なく首肯する。
「黙っていて……申し訳ありませんでした」
侍女さんは私の魅力が上がったから、オリバー様に来ていただけると思っているみたいだけど。実際はお子ができないから仕方なくだろう。周りに言われて、きっと殿下も板挟みになってるに違いない。
それはそれとしても、殿下がいらっしゃったなら、私は私の仕事をしなくてはならなくなる。
「それを……セリーナ殿は望んでいるんですか」
真っ直ぐに突き刺さる、レオ様の問い。
望むわけがない。でも、そんなことは口が裂けても言えない。
王族からの寵愛を拒むなんてことは。
「これが私の仕事なんです……」
「そんなことを聞いているのではありません!」
ガタッと椅子から立ち上がったレオ様は、テーブルの上の私の手をぎゅっと握った。
「僕は、あなたを愛しています!」
「お静かに、どこで誰が聞いているかわかりません!」
「あなたは僕を、愛してくれてはいないんですか?!」
レオ様の真剣で痛々しいお顔を見ていたら……もう私はたまらなくなって……
喉の奥が、かすかに痙攣しそうになる。
「愛して……いないわけ、ないじゃないですか……!」
ああ、決して言ってはいけない言葉を言ってしまった。
同時に耐えていた涙まで唐突に溢れ出る。
「レオ様のことが好きで好きで、大好きだ……! でも伝えられなくて……」
「セリーナ殿……」
レオ様は私の目の前にやって来て、私の涙を拭ってくれる。
「嬉しいです。僕のことを好きだと言ってくれて」
「レオ様……」
私は立ち上がると、レオ様の首に手を回す。そして視線を交差させると、私はゆっくり目を閉じながら彼の唇を求めた。
レオ様は私を当然のように受け入れてくれる。
これが最後のキスになるかもしれないと思うと、苦しくて、離れ難くて。
でも、私たちの関係を誰にも知られるわけにはいかない。
楽しかった時間はもうおしまいね……関係を終わらせなければ。
レオ様の、将来のためにも。
ゆっくりと唇が離れる。
もう終わりましょうと……言わなければ。言わ……
「駆け落ちしましょう、セリーナ殿。いや、セリーナ」
「……え?」
駆け……落ち……
小説でよくやっている逃避行を……私たちが?!
「この小説でもうまくいってましたし、大丈夫です」
視線の先には一冊の本。これは、レオ様に初めておすすめした本だわ……!
「でもこれは、ヒロインの女の子が田舎暮らしできる能力があったからで……」
「大丈夫。これを読み込んだから、僕にもできます」
またレオ様の視線を追うと、畑づくり主体の小説が……
最高に面白い本なのは認めるけれど、これを読んで畑ができるような気になられても……!
レオ様って、結構小説に感化されやすいのよ……! そこが素敵で癒されポイントでもあるんだけど!
どれもこれも小説だからいいの。
実際に駆け落ちなんて……私にできる? すべてを捨てて、レオ様の胸に飛び込んでいける?
知らない土地で、なにもかも手探りな状態で、ゼロから人生をやり直す気持ちで……
「レオ様は、私なんかと駆け落ちしてよろしいんですか? 王子殿下を裏切ることになり、侯爵家の名に傷をつけることになります。そこまでする価値が、私に……」
「あります!!」
当然のように言い切ってくれるレオ様。
やだ、また涙が出てきちゃいそう。
「駆け落ちの前に、アーレンデール家に絶縁状を書いていきます。これで家には迷惑をかけない。殿下を裏切るのは申し訳ないけれど、僕はどうしてもセリーナと一緒になりたい……!!」
レオ様、そこまでの決意を……
なのに私は決断できずにうだうだと、情けないわ……!
「レオ様……私も、あなた以外の人になんて抱かれたくない……あなたと一緒にいたい……!」
「セリーナ……僕と駆け落ちしてほしい」
「はい……!!」
もう私の心は決まった。
最初からわかっていたはずなのに……!
「愛してます、レオ様……!」
「セリーナ……!!」
お互い、痛いくらいに抱きしめ合う。
この温もりを手放すと、絶対に後悔する。そんな予感しかない。
「じゃあ、急いで準備を……!」
レオ様がそう言った瞬間、扉の向こうでバタバタという音が聞こえてきて、私たちは慌てて距離を取った。
「セリーナさまぁ! 大変ですわ!!」
「ど、どうしたの?!」
扉を開けた侍女さんは、真っ青な顔をして。
「ジュリア様に、ご妊娠の兆候が……!」
その言葉を聞いた瞬間、私とレオ様は顔を見合わせて笑った。
***
しばらくして、ジュリア様は男の子をお産みになった。
侍女さんは、ジュリア様の妊娠中に王子殿下が求めにくるかもしれないと必死になって私を綺麗にしてくれたけれど、結局オリバー様が私の部屋にくることはなかった。
ジュリア様が二人目を妊娠した時点で、私は晴れてお役御免を言い渡されることになる。
王子殿下と王子妃殿下に謝罪され、私は逆に恐縮した。
だって私はここに来られたおかげで、素敵な人に出会えたんだもの。
子を孕まず実家に戻るときには多額の慰労金をいただけることになっていて、私はそれをありがたく頂戴した。
普通、王子殿下のお手つきとされる元側室には縁談がこないものなんだそう。
だけど私は王子殿下のご配慮によって『幸運を招く朝露の妖精』として王宮に上がっていたことになっていて、側室であったことを徹底的に伏せてくださった。
もしそんな配慮がなかったとしても、私にはすぐに縁談が来ただろうけれど。
もちろん、相手は──
「セリーナ!」
「レオ様!」
「あの先生の新刊を買いに行こう!」
「ええ!」
私たちはあの日一緒に読んだ本の三巻を、寄り添いあいながら読む。
あの小高い丘の、大きな木の下で。
読み終えると私たちはどちらからともなく、唇を寄せた。
甘い読後感に、ホッと息を吐きながら──
本は嬉しそうに、流れる風に乗ってパラパラと捲られていた。
神妙な面持ちでそうおっしゃったのは、オリバー王子殿下。その隣には、王子妃殿下であるジュリア様が寄り添っている。
「セリーナさん、わたくしに子どもができないせいでごめんなさい……」
なぜかジュリア様に謝られた。
「ジュリア、君のせいじゃない」
「ああ、オリバー様……」
美男美女の慈しみ合う姿。
眼福だけれども。
どうしてこんなことに……!
オリバー王子殿下とジュリア王子妃殿下がご結婚されたのは、三年と少し前のこと。
お二人の間にお子ができないからと、健康上問題なく、婚約者候補の一人もおらず、将来結婚しそうもない私が、側室にされてしまった。
ベッドの上で足をパタパタさせながら、小説を読んでばかりいる私を見て、頭を抱えていたお父様。
ちっとも社交界に出ようとしない私を放り出すチャンスだと思ったに違いないわ!
こんな私にだって夢はあったのよ。
優しい人との平穏で平凡な結婚!
決して……王子殿下の側室ではなかった……。
なんたってお二人は幼馴染みでラブラブのおしどり夫婦!!
婚姻後、三年子どもができないくらいで側室を勧められるお二人もかわいそうだけど、連れてこられた私はもっとかわいそうよ……しくしく。
私に子を産む以外のことは求められていないようで、なーんにもすることはないし。
一日中部屋にこもって本を読みたい放題。
嬉しいけど……なんか違う。本ばかり読んでるんじゃないと怒られながら、日々の生活の隙を見て必死に読むのがまた良かったのよ。
どうぞ読んでくださいの上げ膳据え膳は望んでない!
というわけでここに来て一ヶ月経った今では、王宮内のイケメン騎士を観察するという趣味が増えた。
物語の中ではない、生のイケメン騎士を見られるなんて……幸せ。
王宮で働く騎士たちは、見目も審査されるのかしら。
家柄はもちろん、腕前も超上級のエリートたちの集まり。
……ヨダレが出そうだわ!
今の私には、これくらいしかできないんだもの。見ていてもかまわないわよね。
騎士たちは毎朝六時に中庭に集まって、朝礼をしている。
私は端のベンチで本を読むふりをしながらイケメンたちを盗み見る。
ああ、あの方はなんてすらりと背が高く、甘い顔立ちなのかしら。
あら、あちらの方は素晴らしい筋肉をしているわ。男らしく眉が吊り上がっているのも素敵。
そして……いたわ! 私の最推し、癒しの君!!
名前は知らないけれど、はちみつ色の髪にきらきら光る湖面のような青い瞳。
立ち居振る舞いは誰よりも優雅で美しく、騎士服の着こなしなんかさりげなくオシャレなの。
それでいて、仲間に見せるほんわかした笑顔よ! もう、たまらない!!
そう、たまらな……え、“癒しの君”が近づいて来てるんだけれど?!
私は急いで本に目を落として、彼が来ていることに気づかないふりをした。
……私の前を通過するだけよね? そうよね?
「あの」
話しかけられた!!
「朝露の妖精さん」
誰のこと?
わ……私?!
キョロキョロと周りを見回しても、私しかいない。
「は、はい、なんでしょうか」
「僕はレオナルド・アーレンデールと申します。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
ラッキー、癒しの君の名前ゲット!
じゃなくて! もしかして私、不審人物だと思われてる?
そうよね、騎士は不審者がいれば排除しなきゃいけないんだもの。身元を確認されるのは当たり前!
「私はセリーナ・ドーセットと申します。あの、決してあやしい者では」
っていうか私、伯爵のドーセット姓を名乗っていていいのよね? 側室ってどういう扱いになるのかしら。そもそも側室の役目を果たしていないけれども。
「セリーナ・ドーセット殿でしたか。王子より、尊貴な賓客であるから丁重におもてなしせよと命じられております」
あ、私、賓客扱いにされてるのね、対外的には。ってか尊貴って、誰が。
王子殿下は、どーーしてもお子が出来なかった場合、仕方なく私のところに来るのだろうし。そのときにようやく側室と名乗れる感じかしら。
いや、名乗りたくないけれど。
どっちにしろ、あやしまれすに済んだようでよかっ……
「唐突な申し出失礼しますが、もし婚約者などおられないようでしたら、僕と結婚してもらえないでしょうか!」
「……え」
ええええええーーーー?!!!
ちょ、癒しの君、思っていたより行動が大胆!!
でもすっごい顔を真っ赤にしているのは、やっぱり癒される……
……じゃなくて!
待って待って、どういうこと?
顔がニヤけちゃうんだけど?!
「えっと、その……アーレンデール様……」
「レオとお呼びください」
いきなり愛称呼びって……!
アーレンデールって、確か侯爵家だったわよね……お父様が知ったら泣いて喜びそうだわ。側室だからもう遅いけれど。
「では、レオ様」
「はい」
その嬉しそうなニコニコ顔やめてー!
遠くから見る分にはいいけど、近くで見ると破壊力が凄すぎるの!
「あの、私たち、今出会ったばかりで……」
「でも、僕はずっと朝露の妖精さんのことが気になっていました」
「その朝露の妖精とは……」
「あなたのことです。朝露に消えていきそうな美しく儚げなあなたの姿を、騎士のみんなは“朝露の妖精”と呼んでいます」
いや、ちょ、どこが妖精……
儚げなって、気配を消してただけなんだけど……
妖精フィルターがかかって綺麗に見えてしまってるだけじゃ?
ああでも、ここに来てから侍女さんがめっちゃくちゃオシャレに化粧してくれているからなぁ。
髪も服装も、家にいた頃とは段違い!
本当の私はこんなではないのです……騙してごめんなさい。
「レオ様は私のことを誤解していらっしゃいます。私はアーレンデール侯爵家の方に求婚されるような立場には……」
「好きになってしまったんです……!」
ストレート! う、嬉しいけど、なんで??
「お話しするの、初めてですよね?」
「ええ、でも見るたび、あなたと目が合うのです。本を読んでいるはずのあなたと目が合うというのも、おかしな話ですが。見るたび目が合ってはもう、たまらなくなってしまって……!」
癒しの君、純情すぎるわ……! 癒される……!!
そして見るたび目が合ってたのも大正解。だって私、あなたの姿を見つけるとガン見していたんですもの!
本を隠れ蓑にして!!
「もう僕は、朝露の妖精さん……セリーナ殿しか考えられなくなってしまったんです! どうか……どうか、僕と結婚してください!!」
レオ様の真剣な表情。
やだ、胸がドッカンドッカン波打ってて破裂しそうよ……!
まさか平凡な私にこんな展開が舞い込んでくるなんて……まるで小説の主人公のようだわ!
ああ……ここで『はい』と言えたらどんなにいいか。
でも私は王子殿下の側室という身。
まぁ殿下は来ないだろうけど、それでも他の人にこの身を明け渡すわけにはいかないの。
誰の子かわからなくなっちゃうものね。いや、殿下に寵愛なんて受けてないけど。
「お気持ちはとても嬉しいのですが……」
「……ダメ、でしょうか……」
ううっ! そんな捨てられた子犬のような目をしないで……!
罪悪感が……ナイフが胸にグッサグサ刺さるのよ……!
「あの……申し訳ありません……」
丁寧に頭を下げて誠心誠意謝ると、「読書中にお邪魔してしまい、失礼いたしました」とレオ様は礼儀正しく去っていく。
仲間に迎えられた彼は、頭をぐしゃぐしゃに撫でられて慰められていた。
ああ、眼福……じゃなくてつらい……。
だけどその日の昼過ぎのこと。
部屋で本を読んでいたら、レオ様がやってきて言った。
「本日付けでセリーナ殿の護衛騎士に任命されたレオナルド・アーレンデールと申します。よろしくお願いいたします」
そのキラキラ笑顔、反則……!
めちゃくちゃ嬉しそうだわ……なでなでしたい!
「セリーナ殿はこの一ヶ月、王宮から出たことがないそうですね」
「ええ、まぁ」
「どこへでも僕がご一緒しますから、いつでもお申し付けください」
「ええっと、お心遣い嬉しいのだけど、どうして急に……?」
「実は先ほど、王子殿下とお話しする機会がありまして。セリーナ殿に恋してしまったことをお話ししました」
「はい?」
「するとオリバー殿下はそれならと、僕をセリーナ殿の専属護衛騎士に任命してくれたのです」
ちょ、殿下に話しちゃった?!
私一応、オリバー様の側室なんだけど……!
「これでずっと一緒にいられます」
ああ、全身の力が抜けていくようなふんわり笑顔……。
私の骨は、全部抜かれてしまったのかもしれない。
「どこか出かけますか?」
「いえ、本を読もうと思っていて」
「本当に本がお好きなんですね。どうぞ、セリーナ殿のやりたいことをなさってください」
そう言ってレオ様は壁に背を向けてピシッと立った。
え、ずっとそうしている気??!
ベッドの上で足をパタパタしながら読めないじゃない……! なんてこと……!
「あの、どうぞお掛けになってください。よろしければ、レオ様も本などいかがですか?」
「しかし勤務中で」
「これもお仕事と思ってくださると嬉しいです」
「そうしてほしいとおっしゃるなら、遠慮なく」
椅子に腰を下ろしてもらえてホッとする。
なにかおすすめはありませんかと聞かれて、私は一冊の恋愛小説を渡した。
侍女さんにお茶を入れてもらい、二人で色々な本を読み進める。
それが何日も、何日も続いた。
今やレオ様はすっかり私の茶飲み友達兼、小説仲間だ。
「くう、この『ポンコツ王子』には泣かされた……!」
目頭を抑えるレオ様に、私はふふと笑みを含ませた。
「そうでしょう? こちらも同じ系統で面白いですよ」
「では、次はそれを読んでみます」
ああ、こうやって人は小説にハマっていくのよね。
それがレオ様だと思うと、なおさら嬉しい。
「レオ様は今まで読まれた中で、どれが一番面白かったですか?」
「そうですね、僕は──」
レオ様の言葉を聞いて、私はうんうんと頷いた。
「ああ、わかります……部下への思いも熱いんですよね……!」
「他には、こちらの本も好きですね。背負わされた運命が良い……!」
「あ、この先生と言えば!」
私はハッと思い出して、椅子から立ち上がった。
「なんてこと……! 今日はこの先生の新刊の発売日なのに、私ったら手に入れてないわ!!」
「なら……買いに行かれますか?」
私がこくこくと頷くと、レオ様も立ち上がって微笑んでくれた。
私たちは初めて、二人で街にお買い物に行くことになった。
無事に本を手に入れると、「少し寄り道しませんか」と言われて、小高い丘へと向かった。
いやもう、一刻も早く帰って読みたいのだけど……!!
でもあのふんわり笑顔で言われると逆らえない……!
丘の上には大きな木が一本。その根本にレオ様はハンカチを敷いてくれて、「どうぞ」と言われると座らないわけにいかない。
いい景色。城下町が見下ろせて。
でも早く読みたい。
「ずーっと部屋にこもってましたからね。たまにはいいでしょう?」
「そ、そうですね……」
いいんだけど……読みたい。
「読んでいいですよ」
「え?」
レオ様が私の心を見透かしたように言ったから、私は目を広げて彼を見上げる。
「たまには外で読むのもいいと思いますよ」
「で、でも……私が読んでいる間、レオ様はお暇なのでは」
「一緒に読んでもかまいませんか?」
「それは、もちろん……」
そう言いながら、私は我慢できずに本を開いた。
私は感情を込めてゆっくり読むから、レオ様に自分のペースで読んで大丈夫ですよと言われる。
だから私は、集中して読むことができた。
最後のページまで読み終えると、パタンと本を閉じる。
そしてレオ様を見上げようとして……
近っ!!
え、ちょ、こんな密着して一緒に読んでたの?!
私の顔は途端に熱くなった。
「面白かったですね、新作」
「え、ええ、もうさすがだわ……序盤から引き込まれて、スルスルと最後まで読ませられて……ああ、二巻が待ち遠しい……!」
「二巻が出たら、また一緒にこうして読んでくれますか?」
レオ様の真っ直ぐな瞳。
どうしよう。心臓の音を聞かれてしまいそう。
「あの……、そうですね、ええ、また一緒に……?!」
そこまで言った瞬間、レオ様のはちみつ色の髪がファサリと覆いかぶさってくる。
何事、と思う前に気づいてしまった。
まさかの……キス!!
レオ様の麗しい唇が、私の唇に乗せられている。
どうしよう……、どうして……
レオ様のはぁという悩ましい息と共に、私たちは少し距離をとった。
「……すみません、可愛くて……つい」
ついはダメだと思うの。それが許されるのは、小説の中だけで、しかもイケメンに限るってやつなので……。
でも……癒しの君からのキス……ああ、喜んでしまってる私がいるわ……!
「いや……でしたか?」
その問いに、私はぷるぷると首を横に振った。
いやじゃない。レオ様からのキスは、むしろ嬉しかった。でも私は……
「よかった……」
ニコッ、は反則!
全部許してしまいそうになってしまうので!
恋愛小説を読ませすぎたのかしら……そういえば私、『男の人は多少強引なところがあってもいいですよね』なんて感想で言ってしまった記憶も……
あれは小説の中の話だけど、まさか勘違いを……?!
「セリーナ殿……好きです」
「え、ちょ、ま」
返事を言う前に、私はもう一度レオ様にキスされた。
……ダメですからね?
本当はダメですからね?
三度目は、私からキスしてしまったけれど。
これはセーフよね、多分。
この日私は、ファーストキスもセカンドキスもサードキスも終わらせてしまったのだった。
***
どうしよう、レオ様が……好き。
あああああもう、どうしようもなく、大好き!!!!
まさか、こんな恋愛小説のヒロインのような気持ちになる日が来るとは思わなかったわ……!!
レオ様といると、とにかく楽しい。
同じ空間で小説を読んでいるだけでも楽しい。
隙あらばキスされるのも嬉しい。
小説の感想を語り合えるのも幸せ。
どうしよう、どんどんどんどん好きになってしまう。
キスだって拒まなきゃいけないってわかっているけど、どうしても無理……!!
早く言わなきゃ……私は、王子殿下の側室なんだって。
ジュリア様にお子が宿らなければ、私はいつかオリバー様に抱かれなければいけないんだって。
……言えない。
あんなに嬉しそうにキスしてくれる笑顔を見ると……どう切り出していいのか……。
「セリーナ殿、愛しています」
そう言って、指先にキスをしてくれるレオ様。
人前では絶対にしないでと言っているし、それをちゃんと守ってくれているから、バレることはない。
『セリーナと呼びたい』というレオ様にも、私は頑として首を縦に振らなかった。
ここは譲れない。私とレオ様の間には壁があるんだって、ちゃんと認識するためにも。
私は絶対に好きだとか愛してるだとかを、言ってはならないんだと。
愛おしいこの気持ちを、レオ様に伝えられないのが悲しかった。
***
私がここに来てから、四ヶ月が経った。
幸せで悲しい毎日が過ぎていく。
そんな、ある日のことだった。
「明日の晩、オリバー王子殿下が来てくださるそうですわ!」
うきうきとティーポットを持ってきた侍女さんが、本を読んでいる私たちに向かって言った。
「オリバー王子殿下が? 何用だろう……しかも女性の部屋に、夜に来られるとは」
純粋な疑問を言葉にするレオ様に、侍女さんはなにを言っているのかとばかりに口を開いた。
「もちろん、寵愛をいただくためですわ! ああ、毎日セリーナ様のご衣装とお化粧を頑張った甲斐がありましたわ! ようやくセリーナ様の魅力に気づいてくださったのね!」
侍女さんは感慨深げにうっとりとしている。
……毎日、そのために頑張ってくれていたんだものね……
ああ、とうとうこの日が来てしまうんだわ……
「寵愛? どうしてセリーナ殿が殿下の寵愛を」
「そんなの、側室だからに決まっております! おめでとうございます、セリーナ様! 私、明日の晩のためにセリーナ様をより美しくしてみせますわ! まずはハーブティーでリラックスしてくださいませ!」
ルンルンと音が出そうなくらいに上機嫌な侍女さんは、ハーブティーを淹れると退室していった。
「側……室……?」
絶望の色を滲ませながら放たれた、レオ様の言葉。
私は仕方なく首肯する。
「黙っていて……申し訳ありませんでした」
侍女さんは私の魅力が上がったから、オリバー様に来ていただけると思っているみたいだけど。実際はお子ができないから仕方なくだろう。周りに言われて、きっと殿下も板挟みになってるに違いない。
それはそれとしても、殿下がいらっしゃったなら、私は私の仕事をしなくてはならなくなる。
「それを……セリーナ殿は望んでいるんですか」
真っ直ぐに突き刺さる、レオ様の問い。
望むわけがない。でも、そんなことは口が裂けても言えない。
王族からの寵愛を拒むなんてことは。
「これが私の仕事なんです……」
「そんなことを聞いているのではありません!」
ガタッと椅子から立ち上がったレオ様は、テーブルの上の私の手をぎゅっと握った。
「僕は、あなたを愛しています!」
「お静かに、どこで誰が聞いているかわかりません!」
「あなたは僕を、愛してくれてはいないんですか?!」
レオ様の真剣で痛々しいお顔を見ていたら……もう私はたまらなくなって……
喉の奥が、かすかに痙攣しそうになる。
「愛して……いないわけ、ないじゃないですか……!」
ああ、決して言ってはいけない言葉を言ってしまった。
同時に耐えていた涙まで唐突に溢れ出る。
「レオ様のことが好きで好きで、大好きだ……! でも伝えられなくて……」
「セリーナ殿……」
レオ様は私の目の前にやって来て、私の涙を拭ってくれる。
「嬉しいです。僕のことを好きだと言ってくれて」
「レオ様……」
私は立ち上がると、レオ様の首に手を回す。そして視線を交差させると、私はゆっくり目を閉じながら彼の唇を求めた。
レオ様は私を当然のように受け入れてくれる。
これが最後のキスになるかもしれないと思うと、苦しくて、離れ難くて。
でも、私たちの関係を誰にも知られるわけにはいかない。
楽しかった時間はもうおしまいね……関係を終わらせなければ。
レオ様の、将来のためにも。
ゆっくりと唇が離れる。
もう終わりましょうと……言わなければ。言わ……
「駆け落ちしましょう、セリーナ殿。いや、セリーナ」
「……え?」
駆け……落ち……
小説でよくやっている逃避行を……私たちが?!
「この小説でもうまくいってましたし、大丈夫です」
視線の先には一冊の本。これは、レオ様に初めておすすめした本だわ……!
「でもこれは、ヒロインの女の子が田舎暮らしできる能力があったからで……」
「大丈夫。これを読み込んだから、僕にもできます」
またレオ様の視線を追うと、畑づくり主体の小説が……
最高に面白い本なのは認めるけれど、これを読んで畑ができるような気になられても……!
レオ様って、結構小説に感化されやすいのよ……! そこが素敵で癒されポイントでもあるんだけど!
どれもこれも小説だからいいの。
実際に駆け落ちなんて……私にできる? すべてを捨てて、レオ様の胸に飛び込んでいける?
知らない土地で、なにもかも手探りな状態で、ゼロから人生をやり直す気持ちで……
「レオ様は、私なんかと駆け落ちしてよろしいんですか? 王子殿下を裏切ることになり、侯爵家の名に傷をつけることになります。そこまでする価値が、私に……」
「あります!!」
当然のように言い切ってくれるレオ様。
やだ、また涙が出てきちゃいそう。
「駆け落ちの前に、アーレンデール家に絶縁状を書いていきます。これで家には迷惑をかけない。殿下を裏切るのは申し訳ないけれど、僕はどうしてもセリーナと一緒になりたい……!!」
レオ様、そこまでの決意を……
なのに私は決断できずにうだうだと、情けないわ……!
「レオ様……私も、あなた以外の人になんて抱かれたくない……あなたと一緒にいたい……!」
「セリーナ……僕と駆け落ちしてほしい」
「はい……!!」
もう私の心は決まった。
最初からわかっていたはずなのに……!
「愛してます、レオ様……!」
「セリーナ……!!」
お互い、痛いくらいに抱きしめ合う。
この温もりを手放すと、絶対に後悔する。そんな予感しかない。
「じゃあ、急いで準備を……!」
レオ様がそう言った瞬間、扉の向こうでバタバタという音が聞こえてきて、私たちは慌てて距離を取った。
「セリーナさまぁ! 大変ですわ!!」
「ど、どうしたの?!」
扉を開けた侍女さんは、真っ青な顔をして。
「ジュリア様に、ご妊娠の兆候が……!」
その言葉を聞いた瞬間、私とレオ様は顔を見合わせて笑った。
***
しばらくして、ジュリア様は男の子をお産みになった。
侍女さんは、ジュリア様の妊娠中に王子殿下が求めにくるかもしれないと必死になって私を綺麗にしてくれたけれど、結局オリバー様が私の部屋にくることはなかった。
ジュリア様が二人目を妊娠した時点で、私は晴れてお役御免を言い渡されることになる。
王子殿下と王子妃殿下に謝罪され、私は逆に恐縮した。
だって私はここに来られたおかげで、素敵な人に出会えたんだもの。
子を孕まず実家に戻るときには多額の慰労金をいただけることになっていて、私はそれをありがたく頂戴した。
普通、王子殿下のお手つきとされる元側室には縁談がこないものなんだそう。
だけど私は王子殿下のご配慮によって『幸運を招く朝露の妖精』として王宮に上がっていたことになっていて、側室であったことを徹底的に伏せてくださった。
もしそんな配慮がなかったとしても、私にはすぐに縁談が来ただろうけれど。
もちろん、相手は──
「セリーナ!」
「レオ様!」
「あの先生の新刊を買いに行こう!」
「ええ!」
私たちはあの日一緒に読んだ本の三巻を、寄り添いあいながら読む。
あの小高い丘の、大きな木の下で。
読み終えると私たちはどちらからともなく、唇を寄せた。
甘い読後感に、ホッと息を吐きながら──
本は嬉しそうに、流れる風に乗ってパラパラと捲られていた。
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