「君を愛することはない」の言葉通り、王子は生涯妻だけを愛し抜く。

長岡更紗

文字の大きさ
上 下
3 / 4

私の愛した人(側室視点)

しおりを挟む
「君を愛することはない」

 神妙な面持ちでそうおっしゃったのは、オリバー王子殿下。その隣には、王子妃殿下であるジュリア様が寄り添っている。

「セリーナさん、わたくしに子どもができないせいでごめんなさい……」

 なぜかジュリア様に謝られた。

「ジュリア、君のせいじゃない」
「ああ、オリバー様……」

 美男美女の慈しみ合う姿。
 眼福だけれども。
 どうしてこんなことに……!


 オリバー王子殿下とジュリア王子妃殿下がご結婚されたのは、三年と少し前のこと。
 お二人の間にお子ができないからと、健康上問題なく、婚約者候補の一人もおらず、将来結婚しそうもない私が、側室にされてしまった。

 ベッドの上で足をパタパタさせながら、小説を読んでばかりいる私を見て、頭を抱えていたお父様。
 ちっとも社交界に出ようとしない私を放り出すチャンスだと思ったに違いないわ!

 こんな私にだって夢はあったのよ。

 優しい人との平穏で平凡な結婚!

 決して……王子殿下の側室ではなかった……。

 なんたってお二人は幼馴染みでラブラブのおしどり夫婦!!
 婚姻後、三年子どもができないくらいで側室を勧められるお二人もかわいそうだけど、連れてこられた私はもっとかわいそうよ……しくしく。

 私に子を産む以外のことは求められていないようで、なーんにもすることはないし。
 一日中部屋にこもって本を読みたい放題。
 嬉しいけど……なんか違う。本ばかり読んでるんじゃないと怒られながら、日々の生活の隙を見て必死に読むのがまた良かったのよ。
 どうぞ読んでくださいの上げ膳据え膳は望んでない!

 というわけでここに来て一ヶ月経った今では、王宮内のイケメン騎士を観察するという趣味が増えた。
 物語の中ではない、生のイケメン騎士を見られるなんて……幸せ。
 王宮で働く騎士たちは、見目も審査されるのかしら。
 家柄はもちろん、腕前も超上級のエリートたちの集まり。
 ……ヨダレが出そうだわ!
 今の私には、これくらいしかできないんだもの。見ていてもかまわないわよね。

 騎士たちは毎朝六時に中庭に集まって、朝礼をしている。
 私は端のベンチで本を読むふりをしながらイケメンたちを盗み見る。

 ああ、あの方はなんてすらりと背が高く、甘い顔立ちなのかしら。
 あら、あちらの方は素晴らしい筋肉をしているわ。男らしく眉が吊り上がっているのも素敵。
 そして……いたわ! 私の最推し、癒しの君!!
 名前は知らないけれど、はちみつ色の髪にきらきら光る湖面のような青い瞳。
 立ち居振る舞いは誰よりも優雅で美しく、騎士服の着こなしなんかさりげなくオシャレなの。
 それでいて、仲間に見せるほんわかした笑顔よ! もう、たまらない!!
 そう、たまらな……え、“癒しの君”が近づいて来てるんだけれど?!

 私は急いで本に目を落として、彼が来ていることに気づかないふりをした。
 ……私の前を通過するだけよね? そうよね?

「あの」

 話しかけられた!!

「朝露の妖精さん」

 誰のこと?
 わ……私?!
 キョロキョロと周りを見回しても、私しかいない。

「は、はい、なんでしょうか」
「僕はレオナルド・アーレンデールと申します。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 ラッキー、癒しの君の名前ゲット!
 じゃなくて! もしかして私、不審人物だと思われてる?
 そうよね、騎士は不審者がいれば排除しなきゃいけないんだもの。身元を確認されるのは当たり前!

「私はセリーナ・ドーセットと申します。あの、決してあやしい者では」

 っていうか私、伯爵のドーセット姓を名乗っていていいのよね? 側室ってどういう扱いになるのかしら。そもそも側室の役目を果たしていないけれども。

「セリーナ・ドーセット殿でしたか。王子より、尊貴な賓客であるから丁重におもてなしせよと命じられております」

 あ、私、賓客扱いにされてるのね、対外的には。ってか尊貴って、誰が。

 王子殿下は、どーーしてもお子が出来なかった場合、仕方なく私のところに来るのだろうし。そのときにようやく側室と名乗れる感じかしら。
 いや、名乗りたくないけれど。
 どっちにしろ、あやしまれすに済んだようでよかっ……

「唐突な申し出失礼しますが、もし婚約者などおられないようでしたら、僕と結婚してもらえないでしょうか!」
「……え」

 ええええええーーーー?!!!
 ちょ、癒しの君、思っていたより行動が大胆!!
 でもすっごい顔を真っ赤にしているのは、やっぱり癒される……

 ……じゃなくて!

 待って待って、どういうこと?
 顔がニヤけちゃうんだけど?!

「えっと、その……アーレンデール様……」
「レオとお呼びください」

 いきなり愛称呼びって……!
 アーレンデールって、確か侯爵家だったわよね……お父様が知ったら泣いて喜びそうだわ。側室だからもう遅いけれど。

「では、レオ様」
「はい」

 その嬉しそうなニコニコ顔やめてー!
 遠くから見る分にはいいけど、近くで見ると破壊力が凄すぎるの!

「あの、私たち、今出会ったばかりで……」
「でも、僕はずっと朝露の妖精さんのことが気になっていました」
「その朝露の妖精とは……」
「あなたのことです。朝露に消えていきそうな美しく儚げなあなたの姿を、騎士のみんなは“朝露の妖精”と呼んでいます」

 いや、ちょ、どこが妖精……
 儚げなって、気配を消してただけなんだけど……
 妖精フィルターがかかって綺麗に見えてしまってるだけじゃ?
 ああでも、ここに来てから侍女さんがめっちゃくちゃオシャレに化粧してくれているからなぁ。
 髪も服装も、家にいた頃とは段違い!
 本当の私はこんなではないのです……騙してごめんなさい。

「レオ様は私のことを誤解していらっしゃいます。私はアーレンデール侯爵家の方に求婚されるような立場には……」
「好きになってしまったんです……!」

 ストレート! う、嬉しいけど、なんで??

「お話しするの、初めてですよね?」
「ええ、でも見るたび、あなたと目が合うのです。本を読んでいるはずのあなたと目が合うというのも、おかしな話ですが。見るたび目が合ってはもう、たまらなくなってしまって……!」

 癒しの君、純情すぎるわ……! 癒される……!!
 そして見るたび目が合ってたのも大正解。だって私、あなたの姿を見つけるとガン見していたんですもの!
 本を隠れ蓑にして!!

「もう僕は、朝露の妖精さん……セリーナ殿しか考えられなくなってしまったんです! どうか……どうか、僕と結婚してください!!」

 レオ様の真剣な表情。
 やだ、胸がドッカンドッカン波打ってて破裂しそうよ……!
 まさか平凡な私にこんな展開が舞い込んでくるなんて……まるで小説の主人公のようだわ!

 ああ……ここで『はい』と言えたらどんなにいいか。

 でも私は王子殿下の側室という身。
 まぁ殿下は来ないだろうけど、それでも他の人にこの身を明け渡すわけにはいかないの。
 誰の子かわからなくなっちゃうものね。いや、殿下に寵愛なんて受けてないけど。

「お気持ちはとても嬉しいのですが……」
「……ダメ、でしょうか……」

 ううっ! そんな捨てられた子犬のような目をしないで……!
 罪悪感が……ナイフが胸にグッサグサ刺さるのよ……!

「あの……申し訳ありません……」

 丁寧に頭を下げて誠心誠意謝ると、「読書中にお邪魔してしまい、失礼いたしました」とレオ様は礼儀正しく去っていく。
 仲間に迎えられた彼は、頭をぐしゃぐしゃに撫でられて慰められていた。
 ああ、眼福……じゃなくてつらい……。


 だけどその日の昼過ぎのこと。
 部屋で本を読んでいたら、レオ様がやってきて言った。

「本日付けでセリーナ殿の護衛騎士に任命されたレオナルド・アーレンデールと申します。よろしくお願いいたします」

 そのキラキラ笑顔、反則……!
 めちゃくちゃ嬉しそうだわ……なでなでしたい!

「セリーナ殿はこの一ヶ月、王宮から出たことがないそうですね」
「ええ、まぁ」
「どこへでも僕がご一緒しますから、いつでもお申し付けください」
「ええっと、お心遣い嬉しいのだけど、どうして急に……?」
「実は先ほど、王子殿下とお話しする機会がありまして。セリーナ殿に恋してしまったことをお話ししました」
「はい?」
「するとオリバー殿下はそれならと、僕をセリーナ殿の専属護衛騎士に任命してくれたのです」

 ちょ、殿下に話しちゃった?!
 私一応、オリバー様の側室なんだけど……!

「これでずっと一緒にいられます」

 ああ、全身の力が抜けていくようなふんわり笑顔……。
 私の骨は、全部抜かれてしまったのかもしれない。

「どこか出かけますか?」
「いえ、本を読もうと思っていて」
「本当に本がお好きなんですね。どうぞ、セリーナ殿のやりたいことをなさってください」

 そう言ってレオ様は壁に背を向けてピシッと立った。
 え、ずっとそうしている気??!
 ベッドの上で足をパタパタしながら読めないじゃない……! なんてこと……!

「あの、どうぞお掛けになってください。よろしければ、レオ様も本などいかがですか?」
「しかし勤務中で」
「これもお仕事と思ってくださると嬉しいです」
「そうしてほしいとおっしゃるなら、遠慮なく」

 椅子に腰を下ろしてもらえてホッとする。
 なにかおすすめはありませんかと聞かれて、私は一冊の恋愛小説を渡した。
 侍女さんにお茶を入れてもらい、二人で色々な本を読み進める。

 それが何日も、何日も続いた。

 今やレオ様はすっかり私の茶飲み友達兼、小説仲間だ。

「くう、この『ポンコツ王子』には泣かされた……!」

 目頭を抑えるレオ様に、私はふふと笑みを含ませた。

「そうでしょう? こちらも同じ系統で面白いですよ」
「では、次はそれを読んでみます」

 ああ、こうやって人は小説にハマっていくのよね。
 それがレオ様だと思うと、なおさら嬉しい。

「レオ様は今まで読まれた中で、どれが一番面白かったですか?」
「そうですね、僕は──」

 レオ様の言葉を聞いて、私はうんうんと頷いた。

「ああ、わかります……部下への思いも熱いんですよね……!」
「他には、こちらの本も好きですね。背負わされた運命が良い……!」
「あ、この先生と言えば!」

 私はハッと思い出して、椅子から立ち上がった。

「なんてこと……! 今日はこの先生の新刊の発売日なのに、私ったら手に入れてないわ!!」
「なら……買いに行かれますか?」

 私がこくこくと頷くと、レオ様も立ち上がって微笑んでくれた。
 私たちは初めて、二人で街にお買い物に行くことになった。

 無事に本を手に入れると、「少し寄り道しませんか」と言われて、小高い丘へと向かった。
 いやもう、一刻も早く帰って読みたいのだけど……!!
 でもあのふんわり笑顔で言われると逆らえない……!

 丘の上には大きな木が一本。その根本にレオ様はハンカチを敷いてくれて、「どうぞ」と言われると座らないわけにいかない。
 いい景色。城下町が見下ろせて。
 でも早く読みたい。

「ずーっと部屋にこもってましたからね。たまにはいいでしょう?」
「そ、そうですね……」

 いいんだけど……読みたい。

「読んでいいですよ」
「え?」

 レオ様が私の心を見透かしたように言ったから、私は目を広げて彼を見上げる。

「たまには外で読むのもいいと思いますよ」
「で、でも……私が読んでいる間、レオ様はお暇なのでは」
「一緒に読んでもかまいませんか?」
「それは、もちろん……」

 そう言いながら、私は我慢できずに本を開いた。
 私は感情を込めてゆっくり読むから、レオ様に自分のペースで読んで大丈夫ですよと言われる。
 だから私は、集中して読むことができた。

 最後のページまで読み終えると、パタンと本を閉じる。
 そしてレオ様を見上げようとして……

 近っ!!
 え、ちょ、こんな密着して一緒に読んでたの?!

 私の顔は途端に熱くなった。

「面白かったですね、新作」
「え、ええ、もうさすがだわ……序盤から引き込まれて、スルスルと最後まで読ませられて……ああ、二巻が待ち遠しい……!」
「二巻が出たら、また一緒にこうして読んでくれますか?」

 レオ様の真っ直ぐな瞳。
 どうしよう。心臓の音を聞かれてしまいそう。

「あの……、そうですね、ええ、また一緒に……?!」

 そこまで言った瞬間、レオ様のはちみつ色の髪がファサリと覆いかぶさってくる。
 何事、と思う前に気づいてしまった。

 まさかの……キス!!

 レオ様の麗しい唇が、私の唇に乗せられている。
 どうしよう……、どうして……

 レオ様のはぁという悩ましい息と共に、私たちは少し距離をとった。

「……すみません、可愛くて……つい」

 ついはダメだと思うの。それが許されるのは、小説の中だけで、しかもイケメンに限るってやつなので……。
 でも……癒しの君からのキス……ああ、喜んでしまってる私がいるわ……!

「いや……でしたか?」

 その問いに、私はぷるぷると首を横に振った。
 いやじゃない。レオ様からのキスは、むしろ嬉しかった。でも私は……

「よかった……」

 ニコッ、は反則!
 全部許してしまいそうになってしまうので!
 恋愛小説を読ませすぎたのかしら……そういえば私、『男の人は多少強引なところがあってもいいですよね』なんて感想で言ってしまった記憶も……
 あれは小説の中の話だけど、まさか勘違いを……?!

「セリーナ殿……好きです」
「え、ちょ、ま」

 返事を言う前に、私はもう一度レオ様にキスされた。
 ……ダメですからね? 
 本当はダメですからね?

 三度目は、私からキスしてしまったけれど。
 これはセーフよね、多分。

 この日私は、ファーストキスもセカンドキスもサードキスも終わらせてしまったのだった。





 ***




 どうしよう、レオ様が……好き。
 あああああもう、どうしようもなく、大好き!!!!
 まさか、こんな恋愛小説のヒロインのような気持ちになる日が来るとは思わなかったわ……!!

 レオ様といると、とにかく楽しい。
 同じ空間で小説を読んでいるだけでも楽しい。
 隙あらばキスされるのも嬉しい。
 小説の感想を語り合えるのも幸せ。

 どうしよう、どんどんどんどん好きになってしまう。
 キスだって拒まなきゃいけないってわかっているけど、どうしても無理……!!

 早く言わなきゃ……私は、王子殿下の側室なんだって。
 ジュリア様にお子が宿らなければ、私はいつかオリバー様に抱かれなければいけないんだって。

 ……言えない。
 あんなに嬉しそうにキスしてくれる笑顔を見ると……どう切り出していいのか……。

「セリーナ殿、愛しています」

 そう言って、指先にキスをしてくれるレオ様。
 人前では絶対にしないでと言っているし、それをちゃんと守ってくれているから、バレることはない。
 『セリーナと呼びたい』というレオ様にも、私は頑として首を縦に振らなかった。
 ここは譲れない。私とレオ様の間には壁があるんだって、ちゃんと認識するためにも。
 私は絶対に好きだとか愛してるだとかを、言ってはならないんだと。

 愛おしいこの気持ちを、レオ様に伝えられないのが悲しかった。



 ***



 私がここに来てから、四ヶ月が経った。
 幸せで悲しい毎日が過ぎていく。

 そんな、ある日のことだった。

「明日の晩、オリバー王子殿下が来てくださるそうですわ!」

 うきうきとティーポットを持ってきた侍女さんが、本を読んでいる私たちに向かって言った。

「オリバー王子殿下が? 何用だろう……しかも女性の部屋に、夜に来られるとは」

 純粋な疑問を言葉にするレオ様に、侍女さんはなにを言っているのかとばかりに口を開いた。

「もちろん、寵愛をいただくためですわ! ああ、毎日セリーナ様のご衣装とお化粧を頑張った甲斐がありましたわ! ようやくセリーナ様の魅力に気づいてくださったのね!」

 侍女さんは感慨深げにうっとりとしている。
 ……毎日、そのために頑張ってくれていたんだものね……
 ああ、とうとうこの日が来てしまうんだわ……

「寵愛? どうしてセリーナ殿が殿下の寵愛を」
「そんなの、側室だからに決まっております! おめでとうございます、セリーナ様! 私、明日の晩のためにセリーナ様をより美しくしてみせますわ! まずはハーブティーでリラックスしてくださいませ!」

 ルンルンと音が出そうなくらいに上機嫌な侍女さんは、ハーブティーを淹れると退室していった。

「側……室……?」

 絶望の色を滲ませながら放たれた、レオ様の言葉。
 私は仕方なく首肯する。

「黙っていて……申し訳ありませんでした」

 侍女さんは私の魅力が上がったから、オリバー様に来ていただけると思っているみたいだけど。実際はお子ができないから仕方なくだろう。周りに言われて、きっと殿下も板挟みになってるに違いない。
 それはそれとしても、殿下がいらっしゃったなら、私は私の仕事をしなくてはならなくなる。

「それを……セリーナ殿は望んでいるんですか」

 真っ直ぐに突き刺さる、レオ様の問い。
 望むわけがない。でも、そんなことは口が裂けても言えない。
 王族からの寵愛を拒むなんてことは。

「これが私の仕事なんです……」
「そんなことを聞いているのではありません!」

 ガタッと椅子から立ち上がったレオ様は、テーブルの上の私の手をぎゅっと握った。

「僕は、あなたを愛しています!」
「お静かに、どこで誰が聞いているかわかりません!」
「あなたは僕を、愛してくれてはいないんですか?!」

 レオ様の真剣で痛々しいお顔を見ていたら……もう私はたまらなくなって……
 喉の奥が、かすかに痙攣しそうになる。

「愛して……いないわけ、ないじゃないですか……!」

 ああ、決して言ってはいけない言葉を言ってしまった。
 同時に耐えていた涙まで唐突に溢れ出る。

「レオ様のことが好きで好きで、大好きだ……! でも伝えられなくて……」
「セリーナ殿……」

 レオ様は私の目の前にやって来て、私の涙を拭ってくれる。

「嬉しいです。僕のことを好きだと言ってくれて」
「レオ様……」

 私は立ち上がると、レオ様の首に手を回す。そして視線を交差させると、私はゆっくり目を閉じながら彼の唇を求めた。
 レオ様は私を当然のように受け入れてくれる。
 これが最後のキスになるかもしれないと思うと、苦しくて、離れ難くて。

 でも、私たちの関係を誰にも知られるわけにはいかない。
 楽しかった時間はもうおしまいね……関係を終わらせなければ。
 レオ様の、将来のためにも。

 ゆっくりと唇が離れる。
 もう終わりましょうと……言わなければ。言わ……

「駆け落ちしましょう、セリーナ殿。いや、セリーナ」
「……え?」

 駆け……落ち……
 小説でよくやっている逃避行を……私たちが?!

「この小説でもうまくいってましたし、大丈夫です」

 視線の先には一冊の本。これは、レオ様に初めておすすめした本だわ……! 

「でもこれは、ヒロインの女の子が田舎暮らしできる能力があったからで……」
「大丈夫。これを読み込んだから、僕にもできます」

 またレオ様の視線を追うと、畑づくり主体の小説が……
 最高に面白い本なのは認めるけれど、これを読んで畑ができるような気になられても……!
 レオ様って、結構小説に感化されやすいのよ……! そこが素敵で癒されポイントでもあるんだけど!

 どれもこれも小説だからいいの。
 実際に駆け落ちなんて……私にできる? すべてを捨てて、レオ様の胸に飛び込んでいける?
 知らない土地で、なにもかも手探りな状態で、ゼロから人生をやり直す気持ちで……

「レオ様は、私なんかと駆け落ちしてよろしいんですか? 王子殿下を裏切ることになり、侯爵家の名に傷をつけることになります。そこまでする価値が、私に……」
「あります!!」

 当然のように言い切ってくれるレオ様。
 やだ、また涙が出てきちゃいそう。

「駆け落ちの前に、アーレンデール家に絶縁状を書いていきます。これで家には迷惑をかけない。殿下を裏切るのは申し訳ないけれど、僕はどうしてもセリーナと一緒になりたい……!!」

 レオ様、そこまでの決意を……
 なのに私は決断できずにうだうだと、情けないわ……!

「レオ様……私も、あなた以外の人になんて抱かれたくない……あなたと一緒にいたい……!」
「セリーナ……僕と駆け落ちしてほしい」
「はい……!!」

 もう私の心は決まった。
 最初からわかっていたはずなのに……!

「愛してます、レオ様……!」
「セリーナ……!!」

 お互い、痛いくらいに抱きしめ合う。
 この温もりを手放すと、絶対に後悔する。そんな予感しかない。

「じゃあ、急いで準備を……!」

 レオ様がそう言った瞬間、扉の向こうでバタバタという音が聞こえてきて、私たちは慌てて距離を取った。

「セリーナさまぁ! 大変ですわ!!」
「ど、どうしたの?!」

 扉を開けた侍女さんは、真っ青な顔をして。

「ジュリア様に、ご妊娠の兆候が……!」

 その言葉を聞いた瞬間、私とレオ様は顔を見合わせて笑った。



 ***



 しばらくして、ジュリア様は男の子をお産みになった。
 侍女さんは、ジュリア様の妊娠中に王子殿下が求めにくるかもしれないと必死になって私を綺麗にしてくれたけれど、結局オリバー様が私の部屋にくることはなかった。

 ジュリア様が二人目を妊娠した時点で、私は晴れてお役御免を言い渡されることになる。
 王子殿下と王子妃殿下に謝罪され、私は逆に恐縮した。
 だって私はここに来られたおかげで、素敵な人に出会えたんだもの。

 子を孕まず実家に戻るときには多額の慰労金をいただけることになっていて、私はそれをありがたく頂戴した。
 普通、王子殿下のお手つきとされる元側室には縁談がこないものなんだそう。
 だけど私は王子殿下のご配慮によって『幸運を招く朝露の妖精』として王宮に上がっていたことになっていて、側室であったことを徹底的に伏せてくださった。
 もしそんな配慮がなかったとしても、私にはすぐに縁談が来ただろうけれど。
 もちろん、相手は──

「セリーナ!」
「レオ様!」
「あの先生の新刊を買いに行こう!」
「ええ!」

 私たちはあの日一緒に読んだ本の三巻を、寄り添いあいながら読む。
 あの小高い丘の、大きな木の下で。

 読み終えると私たちはどちらからともなく、唇を寄せた。
 甘い読後感に、ホッと息を吐きながら──

 本は嬉しそうに、流れる風に乗ってパラパラと捲られていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

ケダモノ王子との婚約を強制された令嬢の身代わりにされましたが、彼に溺愛されて私は幸せです。

ぽんぽこ@書籍発売中!!
恋愛
「ミーア=キャッツレイ。そなたを我が息子、シルヴィニアス王子の婚約者とする!」 王城で開かれたパーティに参加していたミーアは、国王によって婚約を一方的に決められてしまう。 その婚約者は神獣の血を引く者、シルヴィニアス。 彼は第二王子にもかかわらず、次期国王となる運命にあった。 一夜にして王妃候補となったミーアは、他の令嬢たちから羨望の眼差しを向けられる。 しかし当のミーアは、王太子との婚約を拒んでしまう。なぜならば、彼女にはすでに別の婚約者がいたのだ。 それでも国王はミーアの恋を許さず、婚約を破棄してしまう。 娘を嫁に出したくない侯爵。 幼馴染に想いを寄せる令嬢。 親に捨てられ、救われた少女。 家族の愛に飢えた、呪われた王子。 そして玉座を狙う者たち……。 それぞれの思いや企みが交錯する中で、神獣の力を持つ王子と身代わりの少女は真実の愛を見つけることができるのか――!? 表紙イラスト/イトノコ(@misokooekaki)様より

【完結】初恋の騎士様の事が忘れられないまま、帝国の公爵様に嫁ぐことになりました

るあか
恋愛
 リーズレット王女は、幼少期に一緒に遊んでくれていた全身鎧の騎士に恋をしていた。  しかし、その騎士は姉のマーガレットに取られてリーズレットのもとからいなくなってしまう。  それでもその初恋が忘れられないまま月日は流れ、ついに彼女の恐れていた事態が次々と訪れる。  一途に初恋の騎士を想い続けてきた彼女に待っていたものは……。

「いなくても困らない」と言われたから、他国の皇帝妃になってやりました

ネコ
恋愛
「お前はいなくても困らない」。そう告げられた瞬間、私の心は凍りついた。王国一の高貴な婚約者を得たはずなのに、彼の裏切りはあまりにも身勝手だった。かくなる上は、誰もが恐れ多いと敬う帝国の皇帝のもとへ嫁ぐまで。失意の底で誓った決意が、私の運命を大きく変えていく。

政略結婚で「新興国の王女のくせに」と馬鹿にされたので反撃します

nanahi
恋愛
政略結婚により新興国クリューガーから因習漂う隣国に嫁いだ王女イーリス。王宮に上がったその日から「子爵上がりの王が作った新興国風情が」と揶揄される。さらに側妃の陰謀で王との夜も邪魔され続け、次第に身の危険を感じるようになる。 イーリスが邪険にされる理由は父が王と交わした婚姻の条件にあった。財政難で困窮している隣国の王は巨万の富を得たイーリスの父の財に目をつけ、婚姻を打診してきたのだ。資金援助と引き換えに父が提示した条件がこれだ。 「娘イーリスが王子を産んだ場合、その子を王太子とすること」 すでに二人の側妃の間にそれぞれ王子がいるにも関わらずだ。こうしてイーリスの輿入れは王宮に波乱をもたらすことになる。

若い頃に婚約破棄されたけど、不惑の年になってようやく幸せになれそうです。

長岡更紗
恋愛
侯爵令嬢だったユリアーナは、第一王子と十歳で婚約した。 仲睦まじく過ごしていたある日、父親の死をきっかけにどん底まで落ちて婚約破棄されてしまう。 一般人となったユリアーナは、四十歳になっても、まだ独身だった。 そんな時、あるお客がユリアーナの働く宿屋へとやってきて…… これは、王都を追放されたユリアーナが、王妃となる夢を叶えて幸せになる物語。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

処理中です...