「君を愛することはない」の言葉通り、王子は生涯妻だけを愛し抜く。

長岡更紗

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わたくしの愛する人(王子妃視点)

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「君を愛することはない」

 オリバー様が、彼女・・に向かって申し訳なさそうにおっしゃった。
 事実、心の底は自責の念にかられているのだろう。
 この国の第一王子であるオリバー様は、人の心のわかる優しいお方だから。


 公爵令嬢であるわたくしは、オリバー様とは又従兄妹またいとこの関係。
 わたくしよりも三歳年上のオリバー様のことは、物心ついた時から知っている。
 勉強も遊びもいつも一緒で。周りが呆れるくらいに仲が良く、わたくしもオリバー様も毎日楽しく笑って過ごしていた。

 わたくしが十歳、オリバー様が十三歳になった年に、わたくしたちは婚約した。

 厳しい王子妃教育を受け、心身共に成長していくわたくしが抱える、ひとつの不安。


 わたくしは── 月のものが乱れていた。


 そもそも始まったのも遅く、十六を迎える年にようやく始まって。
 それからは月に二回来る時もあれば、三ヶ月空いたりすることもあった。

 一度王妃様に相談したけれど、「始まったすぐはそんなものよ」と慰めてくださって。
 婚約破棄もあり得るかもしれないと覚悟して言ったから、その優しさにどれだけ救われたかしれない。

 だけど十八歳でオリバー様と結婚し、落ち着くかと思っていた月のものの乱れはさらに酷くなった。
 王子妃として、そしていつかは立派な王妃にならなければいけないという重圧が、体にさらに負担をかけたのかもしれない。
 王妃様には伝えられなかった。王宮に入って、酷くなったなどと。ストレスのせいだなんて失礼なことは、口が裂けても言えなかった。


 だけれど、結婚してから三年が経ったある日のことだった。

「すまない、ジュリア……俺は側室を迎えることになった……」

 オリバー様が拳を握りしめながら、そうおっしゃった。

「そく……しつ……?」

 その意味を知らないわけではない。けれどわたくしは、頭が真っ白になって理解するのが遅れる。

「母上や家臣が決めたことだ。俺の意思じゃない、わかってほしい……!」

 オリバー様は、こんなことで嘘をついたりしない。だからきっと本当のことなのだろう。
 わかっているのに、涙が溢れてくる。
 だってオリバー様は血を絶やさないために、その方を抱かなければいけない。
 わたくし以外の人を、オリバー様は抱いてしまう……わたくしの体が、こんなばかりに……!!

「ジュリア……ジュリア、心配するな……! 俺は側室のところにはいかない。ジュリアだけを愛しているのに、そんなことできるわけがないだろう……!!」
「オリバー様……違うんです、わたくしは……わたくしの体は……!」

 もちろん、オリバー様に他の女性を抱いてほしくなんてない。
 けれど、私の体に原因があることは明らかで。
 いつか落ち着けば不順も治るかもしれないと思っていたけれど、これ以上は隠しておけない。

「オリバー様、わたくし……っ」

 そう口を開いた瞬間、ノックの音が聞こえた。
 入ってこられたのは王妃様で、わたくしは体がこわばる。

「母上、ちょうどいいところに……! 今、抗議に行こうと思っていたんです!」
「側室の件ね……わたくしもその話をしたくてやってきたの」

 王妃様はそう言うと、わたくしの前まで来て、そっと抱擁をしてくださった。

「王妃様……!?」
「許してね、ジュリア……あなたたちが幼少の頃より、慈しみあっていることはわかっているの。でも、それと後継者問題は別の話……」
「……はい……」

 生まれた時から知ってくださっている王妃様は厳しい時もあるけれど、誰よりも愛情をかけてくださっていたこともわかっている。
 だから伝わってくる。側室の決定は、王妃様とて本意ではないということが。

「……ずっと、乱れているのでしょう……?」

 王妃様の言葉に、私は嘘をつけるはずもなく頷いた。
 その言葉を聞いたオリバー様が、驚いたように目を広げている。
 王妃様は気づいていたのに、ずっと見守ってくれていたのだとわかり、涙があふれそうになった。
 でももう、王妃様では庇い切れなくなってしまったのだろう。
 世継ぎは誰からも、今か今かと待ち望まれているのだから。

「側室を迎えてしまうこと……許してね……」
「お気遣いを、ありがとう……ございます、王妃様……っ」

 王妃様は最後にぎゅっと私を抱きしめてから、部屋を出て行かれた。

 部屋に残されたわたくしとオリバー様は、抱き合って泣き濡れた。
 オリバー様は子を成さねばならないお方。王家の血を、直系を、途絶えさせるわけにはいかない。

「今まで……月のものが不順であることを黙っていて、申し訳ありません……っ」
「俺の方こそ気づいてやれなくてすまない……つらかっただろう……!」

 ぎゅうっと強く抱きしめてくれるオリバー様。

 ああ、どうしてわたくしたちは一般庶民として生まれてこなかったのだろう。
 そうすれば側室など迎えることもなく、子ができずとも二人で仲睦まじく暮らしていけたというのに。

 でも、わたくしは王子妃という身。

 個人的な感情で、側室のところには行かないで……なんて言えるわけがない。
 むしろ、わたくしのためを思って側室のところには行かないであろうオリバー様に、ちゃんと子作りをなさってきてと促さなければならない立場にある。

 いやだ……苦しい……言いたくない。
 めらめらと醜い、嫉妬の炎が渦巻いているのがわかる。
 それでも、とわたくしはなんとか口を開いた。

「オリバー様……どうか、わたくしのこと、は……お気に……なさらず……っ」
「ジュリア」

 不本意ながらも覚悟を決めて伝えようとした言葉が、オリバー様によって遮られる。

「俺は、君以外を抱いたりしない。心配しなくていい」

 愛する人からの、優しい言葉。
 そんなわけにはいかないって、わかっている。だけど、その気持ちがなにより嬉しい。

「ジュリア、信用してないな?」
「そういう、わけでは……」
「……おいで」

 そう言って、オリバー様はわたくしを連れ出した。
 長い廊下の先にある部屋。そこにいたのは、オリバー様の側室なる人物。
 伯爵令嬢のセリーナさんは、わたくしと同じ二十一歳らしいけれど、それはもうかわいらしくて妖精のような方だった。
 簡単な挨拶を済ませると、オリバー様はまず謝罪をしていた。
 王宮まで連れてきてしまってすまない、と。それからオリバー様は続けた。

「一年の間、時間がほしい。俺たちは子が授かるよう足掻きたいんだ。授かった時には、元の生活に戻れるよう、全力で支援させてもらう」

 それでも授からない場合は、きっとオリバー様は王族の務めを果たすために彼女を──。

「だから申し訳ないが君を愛することはない。俺の愛はジュリアだけのものなんだ」

 側室として王宮に上がらせておいて寵愛を受けられないとは、セリーナさんも思っていなかっただろう。
 できれば今すぐにでも帰らせてあげたいけれど、わたくしにそんな権限はない。それに一年以内にわたくしたちに子ができなければ、いつかオリバー様は彼女の元に行かなければならなくなる。
 しばらくは無意味な生活を送らせてしまうことに、わたくしは頭を下げた。

「セリーナさん、わたくしに子どもができないせいでごめんなさい……」
「ジュリア、君のせいじゃない」
「オリバー様……」

 あまりにもセリーナさんに申し訳なくて。わたくしは彼女の顔をまともに見られず、オリバー様の胸で顔を隠す。
 セリーナさんは泣くでも怒るでもなく、穏やかな笑みで「わかりました、お気になさらないでください」と明るくわたくしたちを送り出してくれた。

 なんて素敵な女性なの。何故だか満足そうな顔をしているようにすら見えたわ。
 今、彼の気持ちがわたくしに向いていても、あんな素晴らしい性格をしたかわいらしい妖精が側室なら、いつオリバー様が愛情を持ってもおかしくはない。

「素敵な……女性でしたわね……」

 つい、そんな言葉が漏れる。

「俺は君以外の女性に興味なんてない」
「でも……でもわたくしに子どもができなければ、オリバー様はあの方のところに……っ」
「ジュリア!」

 唇をオリバー様の唇で塞がれる。
 愛してくれているのはわかってる。こんなに愛されて、わたくしはなんて幸せなんだろうって思ってる。
 なのに、なぜか涙が溢れて止まらない。
 愛されているのに。愛しているのに。想いは通じ合っているのに。
 悲しくてたまらない。

「ジュリア……子どもを作ろう」
「ですがこの三年間、できる気配が……」
「月のものの周期が乱れているだけだろう? ならば……」
「ならば……?」
「これからは、毎日すればいい」

 わたくしは、そのままベッドに押し倒された。




 それからのオリバー様は、宣言通り毎日わたくしを愛してくれた。
 公務が忙しく、夜遅くに帰ってきた日も。
 今日はやめておいた方がと断っても、チャンスはいつ転がっているかわからないからと。
 決して作業にはならず、毎日丁寧にわたくしを慈しんでくれる。
 そんなオリバー様が、本当に本当に愛おしくて。


 オリバー様との赤ちゃんが欲しい。


 わたくしが産みたい。他の誰にも、オリバー様の子どもを産ませたくはない。
 どうしてわたくしのところには来てくれないの。
 世の中には、何人も産んでいる人がいるというのに。
 やっぱりわたくしのせいなの? それともオリバー様?
 まさか、わたくしたちの相性が悪いの?

 原因がわからなくても、子どもができなければ、結局は……。



 何ヶ月か経ったけれど、わたくしたちに子どもはできなかった。
 そしてとうとう……。

「すまない、ジュリア……俺は明日、側室のところへ行かなくてはならなくなった……王命だ」

 その言葉に目眩を覚える。
 オリバー様に負担をかけてはいけない。笑って送り出さなければと思うけれど、全身が拒否をしている。
 体がほてり、ふらふらして吐き気が込み上げてきた。

「すまない……だが俺が愛しているのは、ジュリアただ一人だ! それだけはわかって……ジュリア!」

 わかっていたことなのに。
 わたくしは悲しみの渦に巻き込まれるように、その場に倒れてしまった。
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