37 / 137
アリシア編
16.一体なにがあったの!?
しおりを挟む
優しい春が過ぎると、徐々に暑さが増していった。
アンナが夏休みに入ると、毎週末そうしているように、ハナイの森別荘で暮らし始める。ハナイの方が暑さも随分とましなので、過ごしやすいだろう。
アンナはシウリスやルナリアと楽しく過ごしているだろうか。マーディア王妃も少しは心神喪失状態から回復してくれればいいのだけれどと思いながら、アリシアは毎日の仕事をこなす。
暑い、夏の日だった。
闘技場で全体演習を取り仕切るアリシアに、ルーシエが耳打ちしてきたのは。
「アリシア様、急いでハナイへ」
人前であるためか、ルーシエはいつもの柔和な態度を崩してはいない。が、口調はいつもより強張っている。
「なにがあったの?」
「王妃様とルナリア王女様がお亡くなりになりました」
ここが執務室であったなら、なんですってと大声を上げていたことだろう。しかしアリシアはその言葉を飲み込み、そっと頷く。
「わかったわ。私は今からすぐにハナイに向かう。後は任せるわよ」
「かしこまりました。お気をつけて」
人前では詳しい話を聞けず、なにもわからないままアリシアは馬に飛び乗った。
ハナイに移ってからマーディアの自傷回数は減り、今ではもうなくなっていたので、護衛は油断していたのかもしれない。しかし、第二王女のルナリアまで亡くなったとは、一体どういうことなのだろうか。
一人では疑問を解決できるはずもなく、アリシアはハナイまでの道程を急いだ。
アリシアが森別荘に入った瞬間目に入ったのは、泣き叫ぶシウリスと困惑するアンナの姿である。
「あ、お、お母さん……お母さん………」
「アンナ、大丈夫!?」
「私よりもシウリス様が……」
「一体なにがあったの!?」
アンナに事情を聞こうとすると、近くにいた王妃専属の女医ザーラが近付いてきた。
「アリシア様、私から説明しましょう」
「ええ、お願いするわ」
「少しこちらへ」
「アンナ、シウリス様をお願いね」
シウリスの泣き咽ぶ声でまともに会話できず、アリシアはザーラと別室に移動した。
「一体どうなっているの? なぜヒルデ様とルナリア様は亡くなったの?」
「申し訳ありません。私の判断ミスです」
「謝ってほしいんじゃないわ。こうなってしまった経緯を、詳しく聞かせてちょうだい」
強く促すと、ザーラは淡々と話し始めた。
第一王女ラファエラが殺されてから約十ヶ月。マーディアの精神は壊れたまま、酷くなっているわけではないが、大きな改善が見られるわけでもなかった。
シウリスとルナリアが部屋に来ても、変わらずぼうっとしている。そんなマーディアの行く末を案じたザーラは、今朝外に連れ出して、シウリスとルナリアとアンナが遊んでいる姿を見せることにした。するとマーディアは三人の姿を見て、ほんの少し笑ったのだそうだ。
「いつもは部屋を出ようとすると抵抗を見せるのですが、今朝は平気だったのです。さらに王妃様はルナリア様を手招きしていらっしゃって……」
それに気付いたルナリアが、母である王妃の元へと向かう。マーディアは優しく抱きしめて、王女を迎えた。
それを見たザーラは、ようやく一歩前に進めたと感じたらしい。
「その後の王妃様は終始穏やかで……シウリス様とルナリア様の三人だけでお話がしたいとおっしゃったのです」
ザーラは護衛もつけようとしたが、マーディアがどうしてもと言うため、部屋にはマーディア王妃とシウリス王子、ルナリア王女の三人だけにしてしまったそうだ。
これを機に、きっと事態は好転すると信じて。しかし。
「最初は穏やかに会話をしておられるようでした。しかし王妃様は徐々に呪いの言葉を吐き始めたのです」
みすみすラファエラを死なせた己への怒り。当時警護していた者が役に立たなかった怒り。なにもしない夫レイナルド王への怒り。
そして、今後もこのようなことが起こってしまうであろう嘆き。
「直後、シウリス様の声が響き渡りました」
やめて、お母様……そんな悲痛な声が屋敷に響いたという。
扉を開けようとするも鍵は閉められていて、やむなく外から窓を割って警備兵が突入した。
「私も部屋の鍵を持って戻り、扉を開けるのと、警備兵が窓から突入するのとが同時でした。そこで私たちが見たものは……」
ルナリアが首を絞められ息絶えた姿と、その首を絞めたであろうマーディアが、頭から血を流して絶命した姿。
そして──
血の付着した椅子を持ち上げ、肩で息をしているシウリスの姿であった。
「シウリス様が……マーディア様を……?」
アリシアは震えそうになる声を押し込めながらそう聞いた。
妹を助けるためには、そうするしか手段がなかったのだろう。
十一歳の子どもには、狂気と化した母親を止める手段は限られているのだから。
「結果的に、そうなってしまいました。そしてすぐに早馬を送り、アリシア様にお知らせしたのです」
アリシアは、先ほどの取り乱したシウリスを思い浮かべる。妹を助けるためとは言え、自身の母親を殺してしまったのだ。そしてその妹も、もう……
「その後、すぐにルナリア様に蘇生を試み、どうにか息を吹き返されました」
ザーラの言葉を聞いて、ほっと息を漏らした。ルナリアだけでも生きていてくれたなら、まだ救われる。
「マーディア様のご遺体は」
「奥の部屋に安置しております」
「対面できるかしら」
「頭部の陥没が激しく、見られない方がよろしいかと」
「そういうわけにはいかないわ。確認して報告しなければいけないもの」
「……でしたら、こちらへどうぞ」
ザーラに連れられ、アリシアは別荘の一番奥の部屋へと入った。そのベッドの上に、白いシーツで包まれたマーディアの遺体が載ってある。
「失礼いたします、マーディア様」
アリシアはそっとそのシーツを剥いだ。そこには右の頭部が大きく陥没したマーディアが、ものすごい形相でこちらを睨んでいる。アリシアは瞼を閉じさせようとし、それが不可能だとわかるとそのままそっとシーツを被せた。
アンナが夏休みに入ると、毎週末そうしているように、ハナイの森別荘で暮らし始める。ハナイの方が暑さも随分とましなので、過ごしやすいだろう。
アンナはシウリスやルナリアと楽しく過ごしているだろうか。マーディア王妃も少しは心神喪失状態から回復してくれればいいのだけれどと思いながら、アリシアは毎日の仕事をこなす。
暑い、夏の日だった。
闘技場で全体演習を取り仕切るアリシアに、ルーシエが耳打ちしてきたのは。
「アリシア様、急いでハナイへ」
人前であるためか、ルーシエはいつもの柔和な態度を崩してはいない。が、口調はいつもより強張っている。
「なにがあったの?」
「王妃様とルナリア王女様がお亡くなりになりました」
ここが執務室であったなら、なんですってと大声を上げていたことだろう。しかしアリシアはその言葉を飲み込み、そっと頷く。
「わかったわ。私は今からすぐにハナイに向かう。後は任せるわよ」
「かしこまりました。お気をつけて」
人前では詳しい話を聞けず、なにもわからないままアリシアは馬に飛び乗った。
ハナイに移ってからマーディアの自傷回数は減り、今ではもうなくなっていたので、護衛は油断していたのかもしれない。しかし、第二王女のルナリアまで亡くなったとは、一体どういうことなのだろうか。
一人では疑問を解決できるはずもなく、アリシアはハナイまでの道程を急いだ。
アリシアが森別荘に入った瞬間目に入ったのは、泣き叫ぶシウリスと困惑するアンナの姿である。
「あ、お、お母さん……お母さん………」
「アンナ、大丈夫!?」
「私よりもシウリス様が……」
「一体なにがあったの!?」
アンナに事情を聞こうとすると、近くにいた王妃専属の女医ザーラが近付いてきた。
「アリシア様、私から説明しましょう」
「ええ、お願いするわ」
「少しこちらへ」
「アンナ、シウリス様をお願いね」
シウリスの泣き咽ぶ声でまともに会話できず、アリシアはザーラと別室に移動した。
「一体どうなっているの? なぜヒルデ様とルナリア様は亡くなったの?」
「申し訳ありません。私の判断ミスです」
「謝ってほしいんじゃないわ。こうなってしまった経緯を、詳しく聞かせてちょうだい」
強く促すと、ザーラは淡々と話し始めた。
第一王女ラファエラが殺されてから約十ヶ月。マーディアの精神は壊れたまま、酷くなっているわけではないが、大きな改善が見られるわけでもなかった。
シウリスとルナリアが部屋に来ても、変わらずぼうっとしている。そんなマーディアの行く末を案じたザーラは、今朝外に連れ出して、シウリスとルナリアとアンナが遊んでいる姿を見せることにした。するとマーディアは三人の姿を見て、ほんの少し笑ったのだそうだ。
「いつもは部屋を出ようとすると抵抗を見せるのですが、今朝は平気だったのです。さらに王妃様はルナリア様を手招きしていらっしゃって……」
それに気付いたルナリアが、母である王妃の元へと向かう。マーディアは優しく抱きしめて、王女を迎えた。
それを見たザーラは、ようやく一歩前に進めたと感じたらしい。
「その後の王妃様は終始穏やかで……シウリス様とルナリア様の三人だけでお話がしたいとおっしゃったのです」
ザーラは護衛もつけようとしたが、マーディアがどうしてもと言うため、部屋にはマーディア王妃とシウリス王子、ルナリア王女の三人だけにしてしまったそうだ。
これを機に、きっと事態は好転すると信じて。しかし。
「最初は穏やかに会話をしておられるようでした。しかし王妃様は徐々に呪いの言葉を吐き始めたのです」
みすみすラファエラを死なせた己への怒り。当時警護していた者が役に立たなかった怒り。なにもしない夫レイナルド王への怒り。
そして、今後もこのようなことが起こってしまうであろう嘆き。
「直後、シウリス様の声が響き渡りました」
やめて、お母様……そんな悲痛な声が屋敷に響いたという。
扉を開けようとするも鍵は閉められていて、やむなく外から窓を割って警備兵が突入した。
「私も部屋の鍵を持って戻り、扉を開けるのと、警備兵が窓から突入するのとが同時でした。そこで私たちが見たものは……」
ルナリアが首を絞められ息絶えた姿と、その首を絞めたであろうマーディアが、頭から血を流して絶命した姿。
そして──
血の付着した椅子を持ち上げ、肩で息をしているシウリスの姿であった。
「シウリス様が……マーディア様を……?」
アリシアは震えそうになる声を押し込めながらそう聞いた。
妹を助けるためには、そうするしか手段がなかったのだろう。
十一歳の子どもには、狂気と化した母親を止める手段は限られているのだから。
「結果的に、そうなってしまいました。そしてすぐに早馬を送り、アリシア様にお知らせしたのです」
アリシアは、先ほどの取り乱したシウリスを思い浮かべる。妹を助けるためとは言え、自身の母親を殺してしまったのだ。そしてその妹も、もう……
「その後、すぐにルナリア様に蘇生を試み、どうにか息を吹き返されました」
ザーラの言葉を聞いて、ほっと息を漏らした。ルナリアだけでも生きていてくれたなら、まだ救われる。
「マーディア様のご遺体は」
「奥の部屋に安置しております」
「対面できるかしら」
「頭部の陥没が激しく、見られない方がよろしいかと」
「そういうわけにはいかないわ。確認して報告しなければいけないもの」
「……でしたら、こちらへどうぞ」
ザーラに連れられ、アリシアは別荘の一番奥の部屋へと入った。そのベッドの上に、白いシーツで包まれたマーディアの遺体が載ってある。
「失礼いたします、マーディア様」
アリシアはそっとそのシーツを剥いだ。そこには右の頭部が大きく陥没したマーディアが、ものすごい形相でこちらを睨んでいる。アリシアは瞼を閉じさせようとし、それが不可能だとわかるとそのままそっとシーツを被せた。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人
白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。
だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。
罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。
そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。
切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
あなたの側にいられたら、それだけで
椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。
私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。
傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。
彼は一体誰?
そして私は……?
アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。
_____________________________
私らしい作品になっているかと思います。
ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。
※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります
※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

【完結】二度目の恋はもう諦めたくない。
たろ
恋愛
セレンは15歳の時に16歳のスティーブ・ロセスと結婚した。いわゆる政略的な結婚で、幼馴染でいつも喧嘩ばかりの二人は歩み寄りもなく一年で離縁した。
その一年間をなかったものにするため、お互い全く別のところへ移り住んだ。
スティーブはアルク国に留学してしまった。
セレンは国の文官の試験を受けて働くことになった。配属は何故か騎士団の事務員。
本人は全く気がついていないが騎士団員の間では
『可愛い子兎』と呼ばれ、何かと理由をつけては事務室にみんな足を運ぶこととなる。
そんな騎士団に入隊してきたのが、スティーブ。
お互い結婚していたことはなかったことにしようと、話すこともなく目も合わせないで過ごした。
本当はお互い好き合っているのに素直になれない二人。
そして、少しずつお互いの誤解が解けてもう一度……
始めの数話は幼い頃の出会い。
そして結婚1年間の話。
再会と続きます。
イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~
美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。
貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。
そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。
紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。
そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!?
突然始まった秘密のルームシェア。
日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。
初回公開・完結*2017.12.21(他サイト)
アルファポリスでの公開日*2020.02.16
*表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる