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アリシア編

04.男なんだから、黙って耐えなさいな

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 アリシアが二十七歳になった年だった。筆頭大将という地位を賜ったのは。
 ストレイア王国での筆頭大将はいわゆる総大将のことであり、軍のトップと言い換えて相違ない。
 アリシアはその地位を、実力でもぎ取っていた。
 娘のアンナはまだ三歳で、今も王妃マーディアの生家にお世話になっている。
 昇進したのは嬉しいが、アンナといられる時間がぐっと減ってしまった。
 アリシアは寂しい思いをさせているアンナに、剣を習わせ始める。ジャンが短剣に夢中になったように、アンナにもなにか没頭できるものがあればと思ったのだ。
 それに、剣術は役立つ。自衛の意味と、シウリスの護衛の意味も兼ねていた。
 休みの日にアンナに剣を教えているとシウリスも習いたいと言い出し、結局二人とも剣術に夢中になっていった。もちろんアンナたちに与えたのは、痛くないように布で作られた剣であったが。
 アリシアは子どもと一緒に遊ぶのが好きな方だが、こうして同じものを共有できるのは嬉しかった。もう家の再興を考えていないアリシアにとって、アンナが騎士になるもならぬもどちらでもいいことであったが、アンナが生き生きと剣を振る姿を見るとほっとした。



 それから一年、忙しい毎日を送っていたある日。
 国家間のトラブルで、アリシアは国境付近まで来ていた。事態は一応の収束を見せていたので、後は部下任せて王都ラルシアルに帰ろうとした時のことだ。

 アリシアの脳裏に、知らぬ顔が二人浮かんできた。一人は中年男性、一人は少年。その者たちの現在地が、脳に地図が浮かぶように理解できる。
 その瞬間、アリシアは悩むことなく駆け出した。
 いつもの救済の異能だ。誰かがこの近くで、不当に殺されようとしている。
 アリシアはこの国の騎士で、大切な者の位置付けを〝ストレイアの善良な市民〟と定めていた。そのため、知らぬ者の顔が浮かんでくることがある。
 効力は半径三キロ程度のようなので、普段は王都にいる者しか救えないのだが。
 今、アリシアの脳裏には彼らの顔と共に、赤い危険信号が点滅していた。これは全速力でも間に合うかどうかというところだ。
 アリシアは、森の中の小道を全力で駆け抜けた。
 鬱蒼とした木々の先に家が見えたと思った瞬間、ギャインと犬の鳴く声が響き渡る。

「正義は我らフィデル国にある!!」

 ストレイア王国とは緊張状態にある、フィデル国の名を語る男の姿。その手には血の付着した剣に、倒れた犬と子ども。
 間に合わなかったかと駆けていた足を一瞬止め、ゼェと肩で息をした一瞬の出来事だった。
 猟師らしき男が出てきて男の剣を奪おうとし、その瞬間に斬られた。あ、と声を出す間もなく猟師は倒れ、脳内の映像が一人消える。そしてアリシアの脳内には子どもの顔だけが映し出された。

(子どもは生きているんだわ!!)

 アリシアは迷わず大剣を鞘から抜くと、倒れている子どもの前へと飛び出した。

「やめなさい!!」

 子どもに近づこうとすると男が立ちはだかり、アリシアは剣を構える。

「フィデル国の者ね!? ストレイア王国内で勝手はさせないわよ!」
「邪魔するな! 戦争を起こすためならなんだってやってやる!」

 フィデル国の過激派だろうかと、アリシアは眉を寄せた。
 どの国でもそうだが、戦争を望む者は一定数いるものだ。現在のレイナルド王は、穏健派である王妃マーディアのお陰もあり、無闇に他国に侵攻することはない。
 しかし前王……特に前々王の時は、金銀宝石の鉱脈があるミヤウト村を襲い手中にしたり弾圧したりと、フィデル国から恨まれても仕方のないことをしていたりする。
 今までの王は、反乱が起こりそうになると絶対的な武力でねじ伏せてきたが、現在のレイナルド王はそれをせず、国家間の協議でどうにか和平を保っている状態だ。
 そんなレイナルドを弱腰になっていると決めつけ、今ならば巻き返しができると勘違いしているフィデル国民がいる……それがフィデルの過激派だった。
 現在のフィデル国の首脳も、レイナルドと同じく戦争は回避したいという考えのようで、この過激派組織には手を焼いているらしい。
 それと同じく、ストレイア王国内にも絶対的な力で弾圧すべきだという武力推進派がいる。つまり、ラウ派であるのだが。
 どちらの国にも戦争を仕掛けたい者がいるのだ。小さなことでも、なにがきっかけで戦争が起きるかわからない。
 しかし周りを確認するも、この男以外に人のいる様子はなかった。ただの妄想男かもしれないと思いつつ、アリシアは斬りかかってきた男の剣を跳ね上げ、剣の柄で男の頭を殴る。
 ガンッと音がしてフラついた男を蹴り伏せると、容赦もなくその両足の腱を斬った。ぎゃああ、という男の悲鳴が響き渡る。

「殺せないし、逃げられても困るのよね」

 単独犯ではあろうが、この男からは聞き取りをしなくてはいけない。もしもフィデル国の重要人物なら、殺してしまってはこの男の望む通りに戦争になってしまう可能性もあった。
 涙を流して痛がる男に、アリシアはあきれた目を向ける。周りに部下もおらず、手元に縄もない状況だから仕方なく健を切った。足を切り落とさないだけマシだろう。

「ぐあああああああっ」
「男なんだから、黙って耐えなさいな」

 そう言いながら近くに倒れている猟師の死を確認し、目を閉じさせてあげた。
 後ろを振り返ると、血の沼を作りつつある猟犬の姿がある。その隣にいる少年を、アリシアは抱きかかえた。
 犬の血を浴びているだけで、傷はどこにもない。気を失っているだけのようだ。この犬が少年を守ったのだろうか。
 いつの間にか救済の危険信号は消えていて、助けられたのは一人だけだったかと、少年を強く抱きしめた。


 助けた少年の名は、グレイと言った。
 父親と二人暮らしだった四歳の少年は、その唯一の肉親が亡くなったことを伝えると呆然としてしまった。
 グレイの父親を殺したあの男は、ストレイア王国の法で裁かれ牢獄行きにはなったが、戦争の火種とはならなかった。
 殺した方も殺された方も、両国にとって主要な人物でなかったからだろう。
 ただ、グレイの父親だけが犠牲になった……そんな事件だった。
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