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36.告白

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 皆が私の事をミジュって呼び始めて一ヶ月。
 本当の名前を呼び始めてすぐは、間違ってミキって呼んじゃってた人もいたけど。皆すぐ慣れてミジュって呼んでくれた。
 皆が呼び慣れるのに従って、私もその名前に呼ばれ慣れてくる。
 これだけ沢山の人にミジュって呼ばれる事がなかったからだけど、慣れると普通の名前なのかなって思えてくるから不思議。
 あんなに嫌いな名前だったのに、ウソみたい。


「ミジュさん!」

 その日、日勤を終えて病院から出てくると、何故かそこには晴臣くんの姿があった。

「どうしたの、晴臣くん! どこか具合でも悪いの?!」
「いや、親戚が入院したから、それのお見舞いに」
「あ、そうなんだ。で、どうしてここで突っ立ってたの?」
「勿論、ミジュさんを待ってました。今日は日勤で、バレーに来る日っすよね」
「そうだけど……私、自転車だよ? 家まで結構遠いけど、どうやって帰るの?」
「俺? 走るっすよ」
「ええええっ?!」

 なんか、無茶苦茶言い出しちゃったよこの子?!

「ここからうちまで、六キロあるんだけど?!」
「ああ、俺、五キロを十五分で走るんで、二十分もあれば余裕っす」

 早っ!! 早いよ、私なんか自転車使って二十分は掛かるよー!

「っていうか、走るだけならどうして私を待ってたの?」
「一緒に帰りたいからに決まってるじゃないですか」
「え? でも走ってたら喋れないよね?」
「そうっすね。それでも、一緒に居たかったんです」

 あ……ダメ、ニヤケそうになっちゃう。もう、この子は……最近、グイグイくるなぁ……。
 優しく微笑む晴臣くんを横目に、駐輪場から自転車を出してくる。
 私のはただのママチャリで、電動でもなんでもない、普通の自転車。最近、タイヤの空気が減って来たから、入れ直さないといけないと思ってたところ。

「帰り道は国道っすか?」
「ううん、自転車の時は裏手の、信号が少ない方の道」
「りょーかいっす」

 そう言うが早いか、晴臣くんはいきなり走り始めた。
 え?! それ全力疾走なんじゃないの?!
 早い、早過ぎるよー! 足がっちゃう!!
 私はいつもよりペダルを急いでこいで、晴臣くんに置いてかれまいと必死。
 途中の信号待ちがなかったら、本当に置いていかれてたかもしれない。
 アパートの近くのコンビニ前になって、晴臣くんはようやく速度を落とした。

「はぁ、はぁ……やべー、流石にキツイ! 高校の頃は余裕あったんだけどな~」
「ゼェ、ゼェ、ゼェ!!」
「ミジュさん、何で息切らせてるんすか?」
「は、早過ぎるよ、もう……っ」

 いつもよりちょっとペースが速いってだけで、もう息が……。

「はは、ちょっとコンビニでスポーツドリンク買って来ます。休んでていっすよ」
「はー、はー、ひー」

 ゴクンと唾を飲み込んで、また息を何度も吸い込む。あのペースは……無理!!
 少し息が整って来た所で、晴臣くんがドリンクを持って来てくれた。「ありがとう」と力なく言って、半分くらいを一気に飲み干す。
 ぷはー、生き返った!
 もう一度お礼を言おうとすると、晴臣くんの視線が私の遥か後ろを向いてる。

「あれ……タクマと結衣だ」

 その声につられてにアパートの方を見ると、確かに二人がいた。結衣ちゃんは拓真くんの袖を引っ張るようにして、アパートの階段を上がり始めてる。
 何だかその様子がただ事じゃないように見えて、私達は顔を見合わせた。

「喧嘩でもしたんすかね」
「そんな感じでもないけど……」
「とりあえず自転車置いて、行ってみるっすか」

 晴臣くんの提案に頷いて、駐輪場に自転車を置く。そしてそのまま二人で階段を上がろうとした、その時。

「私、タクマの事好きだから!!」

 そんな声が聞こえて来て、私も晴臣くんも反射的に物陰に隠れた。
 ど、どうしよう。聞いちゃ、悪いよね。でも私のお家、その奥なんだよぉ……。
 どうしようかと晴臣くんに聞こうとしたら……わわ、思った以上に距離が近い!
 けど晴臣くんは動じず、少し様子を見ようと、小声で私の耳元で教えてくれた。息が、くすぐったい。

「あー……、俺……」

 拓真くんの声。何て答えるんだろう。
 オーケー、しちゃうのかな。結衣ちゃん、かわいいし。
 結衣ちゃん以上に、拓真くんの返事を聞くのが怖い。

「気持ちは嬉しいけど、結衣の事、そんな風に考えた事なかったから」
「じゃ、考えて!」

 うわぁ、結衣ちゃんってば積極的!
 頑張れって応援したい気持ちと、振られて欲しいって思う黒い気持ちが混在してる。私って、やな奴だ……。

「結衣には、大和さんみたいな穏やかな人が合うと思うんだけどなぁ。それか、一ノ瀬」
「私が好きなのは、タクマなの。お願い、ちゃんと考えてみて」
「じゃあちゃんと言う。ごめん、結衣とは考えられない」

 う……拓真くん、本当にズバッと言っちゃった……。
 結衣ちゃん、大丈夫かな……。

「……どうして……?」

 ああ、結衣ちゃんが涙声になっちゃってる……。そりゃ、辛いよね。辛いに決まってる。

「結衣は……なんつーか、妹のリナっぽいんだよな。そういう対象で見られないっていうか」
「じゃあ、ミジュさんは?!」

 ええー?! どうしてそこで私が出てくるの?! もう、結衣ちゃんー!!

「ミジュ? 何でいきなりミジュなんだ?」
「だってタクマ、ミジュさんの事が好きなんじゃないの? いつもご飯食べさせてあげてるし、バレーの行き帰りだってずっと一緒だし」
「そりゃあ、隣なんだから送るくらいするって。飯も利害が一致してるだけだし」
「じゃあミジュさんの事、どう思ってるの?」

 やだ、やめて……そんなの今、聞きたくないっ!

「かわいいとは思うけど、特に……」

 抑揚のない拓真くんの声が聞こえた。
 ……あ、ダメ。頭真っ白になっちゃった。
 立っていられなくなった私を、晴臣くんが後ろから支えてくれる。

 あは、『特に』、だって。
 仲良くなれたと、思ってたんだけどな……。
 特に何にも思われてなかったんだね、私って。
 ちょっとだけ期待しちゃってた。馬鹿みたい。

 涙が、勝手に滲んで来る。
 振られちゃった……振られちゃったんだ。
 告白も、してないのに。

「ミジュさん……」

 目の前の晴臣くんが、憐憫の情を寄せてくる。
 こんな所を見られて、恥ずかしい。
 我慢しなきゃと思ったけど、耐えきれずに涙がひとつ転がった。
 それを晴臣くんが、人差し指で拭ってくれる。

「晴臣くん……」
「ミジュさん、俺と付き合って」
「……」

 晴臣くんの真剣な瞳。それに魅了されたみたいに目が離せない。

「俺と、付き合ってください」

 いつの間にか抱き寄せられて、晴臣くんの腕の中にすっぽり収まってしまってた。
 さっき思いっきり走った所為か、晴臣くんの心臓はドクドクと暴れるようなすごい音を立ててる。

 断りたく……なかった。

 断れば、晴臣くんにも私と同じような思いをさせてしまう。
 けど……だけど……

「ごめんね、晴臣くん……ごめん……っ」

 やっぱり私は拓真くんが好きで。そんな状態で、晴臣くんと付き合うなんて、出来るわけがない。

「ミジュさん……」
「私、まだ諦めたくない……。振られたけど、でも、これから先はどうなるかまだ分からないし……っ」

 可能性は、一パーセントもないかもしれないけど、それでも。
 何もしないでこれで終わりだなんて……絶対に嫌だ。

「ごめんなさい……」

 誠心誠意謝ると、晴臣くんは抱擁をやめて、私の頭を撫でながら言った。

「謝らないで良いすよ。俺も諦め悪いっすから」

 ちょっと傷ついたような笑顔で。
 でも、精一杯のその笑顔を。

 私は心の中でもう一度ごめんと謝った。
 アパートの二階では、また結衣ちゃんの声が聞こえて来る。

「……タクマの気持ちは、よく分かった」
「ごめんな、結衣」
「ううん。言えて、スッキリしちゃった。ねぇ、これから学校でもバレーでも、今まで通り仲良くしてよね!」
「おー、勿論」
「良かった!」

 どこか、吹っ切れたような唯ちゃんの声が聞こえる。
 振られたんだから、悲しいはずなのに……多分、元気を装ってるんだ。

「じゃあ、また後でね! タクマ!」
「おお、また体育館でな」

 カンカンと階段の降りる音が聞こえて、慌てて身を潜めた。
 唯ちゃんはすごいスピードで走って行って、あっという間に見えなくなる。
 それを見送ると、晴臣くんが口を開いた。

「ミジュさん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。えーと……晴臣くんは?」
「ミジュさんにそれ言われると、複雑っすね」
「あ、ごめん……っ」
「うそうそ、俺も案外平気っす。振られてもこうやって話せてるし、まだ可能性はあるって思ってますから」

 ニカニカと微笑む晴臣くんは、春の日の太陽みたい。ホッとできる安心感と温かさをくれる。

「ありがとう、晴臣くん」
「なんかあったら、いつでも電話ください。じゃあ、また後で」
「うん、また後で!」

 そう言った晴臣くんは、結衣ちゃんの倍はあろうかというスピードで、走って帰って行った。
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