上 下
75 / 116

第75話 誓い、ます……

しおりを挟む
 サビーナが街でいつものように皿洗いをし、寮に帰ろうとしていた時だった。

「サビーナ。あの話、ちゃんと考えてる?」

 リタがそう問いかけてきたのだ。『あの話』とは、貴族と結婚をさせる業者に依頼するかどうかということで相違ないだろう。

「うーん、今はまだいいかなぁ」
「今はまだって、いつにするつもり? 若いうちの方が料金も安いらしいわよ。二十五を過ぎると難しいらしくって、高くつくのよ」
「そうなんだ」
「ずるいわよねぇ、男の依頼者の年齢はあまり関係ないみたいなのに」

 リタの言葉に、サビーナの耳はウサギが警戒音を感じた時のようにピクリと動く。

「え……? 男の人も、依頼したりするの?」
「ええ、そうよ。逆玉っていうのかしらね。子供のいない貴族の元に養子になったりとか、一人娘の所に婿に入ったりだとか、そういう事も出来るようよ」
「そう、なんだ……」
「何よ、食いつくのってそこ? 変な子ねぇ」

 リタは新種の両生類でも見るかのように、微妙に気持ち悪がりながら去って行ってしまう。

「そっか……男の人でも……」

 サビーナは一人、ポソリとそう呟いていた。



 街での仕事が終わり村に戻ると、青空授業を受けていた子供達がサビーナを見つけてクスクスと笑いあっている。何かおかしな格好でもしていただろうかと服装を確かめていると、生徒の一人であるケーウィンが声を発した。

「サビーナさん、明日暇?」
「え? うん、仕事は休みだけど」

 サビーナがそう答えると、生徒達は一斉に喜んでいる。一体何なのか、さっぱり分からない。

「それがどうかしたの?」
「明日はさ、村の祭りだから、空けといてくれよな。村の誰かが迎えに行くから、家で待っててくれ」
「え? うん、分かった……」

 ニヤニヤ、クスクスと笑っている生徒達。どことなく居心地が悪く、この日は授業を受けずに家の中へと入った。
 その夜、セヴェリに明日何があるのかと尋ねてみたが、「子供の考える事ですよ」としか教えて貰えなかった。

 そして一夜明けると、約束通り生徒達が家に迎えに来てくれる。
 しかし何故だか「先生はこっち!」と言ってセヴェリだけをどこかに連れて行き、「先生の奥さんはこっちね!」とサビーナは女生徒に引っ張られて、少女の家へと連れて来られてしまった。

「どういう事? 今日はお祭りって言ってなかった?」
「うふふっ! まずその前に、先生の奥さんには着替えてもらいまーす!」

 少女が嬉しそうに叫ぶように言うと、奥から少女の母親と見られる人物が現れた。
 何故かその手に、純白のドレスを持って。

「……これって」

 サビーナは言葉を詰まらせる。

「この村の女達で作ったんですよ。子供達がデザインをして」

 そう言って渡されたのは、簡素ではあるが純白のドレスに花の冠、そしてヴェールだ。まさかこれはとサビーナは口をへの字に曲げた。

「先生は奥さんと結婚式を挙げてないって言ってたから、私達で計画したの!!」

 無邪気な少女の笑顔。どうすればいいというのだろう。こんなものは着たくないと突っぱねるか。逃げ出すか。本当は夫婦などではないと言ってしまうか。

「セヴェリ先生、きっと喜ぶと思うんだ!!」

 喜ぶはずがないではないか。相手がレイスリーフェではなく、ただのメイドなどとでは。イヤだ、こんなもの着たくなんかない。自分が惨めになるだけだ。

「このドレスのデザイン、気に入らなかった?」

 不安そうにサビーナの顔を覗き込んでくる少女に、なんと言えばいいのだろう。きっと子供達はサビーナやセヴェリの嬉しそうな顔を想像して、これを計画したに違いない。さすがに子供らのその思いを潰すような真似はできない。

「ありがとう……着替えるね」

 どうにかそれだけを答え、サビーナは渡されたドレスに袖を通した。何だろう、この気持ちは。湧き起こる気持ちの正体が掴めないまま、サビーナは混乱のうちにヴェールをかぶる。

 姿見を見せられると、眩暈がしそうだった。

 何故こんな姿を晒さなければならないのか。
 沢山の人の思いが込められているであろうこのドレスを、こんなにも美しい純白のドレスを、血塗られた人間が着ていいはずがない。

「うわー、似合うー! 素敵!!」
「良かった、ぴったりのようね。とっても可愛いわよ!」

 二人の言葉に、サビーナは自虐的に笑う。少女と母親は、サビーナとは対照的な陽の光るような笑顔だった。
 用意ができると少女に押し出されるように外へと出る。そこにはテールコート姿に蝶ネクタイをしたセヴェリが立っていた。村の誰かに借りた為か、セヴェリの体にぴったりと沿っているわけではないが、流石に立ち居振る舞いは優雅そのものだ。
 まだアンゼルード帝国にいた時、一緒に出かけていた執事服姿を思い出す。彼はあの時と変わらず、とても素敵だった。

「先生、奥さんキレイでしょ!」

 そんな言葉にどうすれば良いのか分からず、視線を泳がせてしまう。そんな妻役を見たセヴェリは、眩しいものを見るかのように目を細めていた。

「ええ、とても綺麗です」

 胸が、痛かった。
 綺麗と言われたにも関わらず、苦しくて悲しくて仕方がない。

「行きましょう、サビーナ。皆が待ってくれています」

 促されたサビーナは、仕方なく差し出された手を取る。そしてゆっくりと歩き始めた。
 そこには手作りのヴァージンロードと、その周りには沢山の参列者達。そしてその先には神父に扮したケーウィンが立っていて、サビーナは青ざめる。

「あの、やっぱり私……」
「もう進むしかないですよ、サビーナ」

 村人達が二人の姿を見つけて歓声を上げる。逃げ出したい気持ちを堪えて、サビーナはセヴェリと共にヴァージンロードを歩む羽目になった。
 祝福してくれている村人の視線が、辛い。
 隣のセヴェリを見ると、彼はまっすぐ前を見て、実にこの男らしい笑みを浮かべている。そんなセヴェリにケーウィンは問いかけた。

「セヴェリ先生、病める時も健やかなる時も、サビーナさんを愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」

 セヴェリは何でもない事の様にそう答え、サビーナは絶句する。

「サビーナさんは、誓いますか?」

 サビーナは訴えるようにセヴェリを見つめるが、彼は目を細めてにっこりと頷くのみ。
 嬉しそうにしているその演技が、上手い。彼はちゃんと分かっている。ここにいる皆の思いを、不意にしてはならない事を。

「……誓い、ます……」

 サビーナが蚊の鳴くような声でそう告げると、ケーウィンは嬉しそうに次の言葉を発した。

「じゃー、誓いのキスを!!」

 その言葉にサビーナは思わず声を荒げる。

「ちょ、そんなの無理! できるわけな……」
「なんで?」
「何でって……」

 ケーウィンの素直な疑問にサビーナは答えることができない。夫婦はおろか、恋人ですらないからなのだと。それも、こんな人前でキスなどできようはずがないではないかと、伝える事は出来なかった。

「そんな恥ずかしがんなさんな! いつもしているこっちゃろうて!」

 参列している村人の一人がそんな声を上げている。大人達の笑い声が聞こえてきて、サビーナは唇を噛んだ。もう今にも逃げ出したくなり、助けを求めるようにセヴェリを見つめるも、彼は眉を下げて笑っていた。

「目を瞑ってください、サビーナ。すぐ終わりますから」

 セヴェリにそう言われては、逃げ出すことも叶わず。

「セヴェリ……」

 彼の名を呼ぶと共に、サビーナは仕方なく目を瞑ることとなる。唇がかすかに震えてしまっているのが、自分でも分かる。

「すみません……」

 サビーナにしか聞こえぬ程の小さな声でそう囁くと、セヴェリがヴェールをめくる気配がする。そしてその唇を、そっとサビーナの震える唇に押し当てられた。
 彼の唇が優しく触れた瞬間、周りは歓声と拍手で包まれる。
 サビーナの瞑られた瞳から、スルリと冷たい涙が一筋零れ落ちていく。
 村人は、この涙を見てどう思っただろうか。感激の涙だと思っただろうか。
 それならそれでもいい。子供達を傷付けずに済んだのならば。

 いつまでも続く歓声と祝福の言葉。
 サビーナはその音を、目を瞑ったままどこか遠くで聞いているかのようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

猫に転生したらご主人様に溺愛されるようになりました

あべ鈴峰
恋愛
気がつけば 異世界転生。 どんな風に生まれ変わったのかと期待したのに なぜか猫に転生。 人間でなかったのは残念だが、それでも構わないと気持ちを切り替えて猫ライフを満喫しようとした。しかし、転生先は森の中、食べ物も満足に食べてず、寂しさと飢えでなげやりに なって居るところに 物音が。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

5分前契約した没落令嬢は、辺境伯の花嫁暮らしを楽しむうちに大国の皇帝の妻になる

西野歌夏
恋愛
 ロザーラ・アリーシャ・エヴルーは、美しい顔と妖艶な体を誇る没落令嬢であった。お家の窮状は深刻だ。そこに半年前に陛下から連絡があってー  私の本当の人生は大陸を横断して、辺境の伯爵家に嫁ぐところから始まる。ただ、その前に最初の契約について語らなければならない。没落令嬢のロザーラには、秘密があった。陛下との契約の背景には、秘密の契約が存在した。やがて、ロザーラは花嫁となりながらも、大国ジークベインリードハルトの皇帝選抜に巻き込まれ、陰謀と暗号にまみれた旅路を駆け抜けることになる。

処理中です...