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悪役令嬢です。婚約破棄された婚約者から「お前は幸せになれ」と言われたんだけどどうすればいい?

後編

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──アリエットは故郷へ帰り、想い人と幸せになれるよう、俺は祈っている──

 誰もいない二人っきりの部屋で、ギリアム様はおっしゃった。
 きっとギリアム様の思惑は達成したのだろう。なら、悪役令嬢という役も私自身もお払い箱ということだ。

 私はいつも気づくのが遅い。
 私は……ギリアム様が、こんなにも好きだったというのに。

 このままお傍にいさせてほしいなんて言葉は言えない。私がいれば、邪魔になることくらいわかっている。
 だけど、このまま『さようなら』で別れて良いわけがない。
 サファイア君が別れを告げたあの日、私は恋心を知らなかったけれど。
 今の私は、恋を知っている。
 何もせずに別れた後の苦しさを、私は知っているから。

「ギリアム様……最後に私の話を聞いてくださいますでしょうか」
「もちろん、なんでも言ってくれ。俺の一方的な婚約破棄だ。アリエットの名誉を回復させるためなら、なんでもしよう」
「いいえ、ギリアム様は最初から私に悪役令嬢の役を与えられました。その報酬はすでに受け取っております。そんな要求はいたしません」
「ならば、話というのは……?」

 不可解だと言わんばかりの顔で、ギリアム様が私を見つめている。
 ゴールデンブロンドの美しい髪。ダークブルーの吸い込まれそうな瞳。
 昔サファイア君からもらった、ロイヤルブルーサファイアのような、美しい青い瞳が。

 私はそのロイヤルブルーサファイアの石を、小さな木箱の中からそっと取り出して見せた。

「それは……」
「ロイヤルブルーサファイア。私の宝物です。少し、私の昔話に付き合ってくださいませ」
「……ああ」

 私たちは部屋の椅子に座り、話を始めた。

「これは、私が勝手にサファイア君と呼んでいた人からもらったものです。彼は私と同い年で、毎年夏になるとやってきて一緒に過ごしていました」
「……そうか」

 ぎこちない返事。
 きっとギリアム様はサファイア君に思い当たりがあるのだろう。
 義兄弟なのだから、当然だろうけれど。

「けれど十二歳になった年を最後に現れなくなりました。十三歳の年には、来年こそは来ると信じて……でも十四歳の年にも、彼は来ませんでした」

 言葉にすると、やはり悲しくて涙が出そうで。
 だけど、今はそれよりも──

「その時にようやく私は気づいたのです。私はサファイア君のことが好きだったのだと。私は初恋を知った瞬間、失恋したも同じでした」
「……っ」

 ギリアム様は同情してくださったのか、驚いたようにして言葉を詰まらせている。

「この宝石は、サファイア君が最後の日にくれたものです。ずっと手放さず、ずっとサファイア君を想って生きてきました。気持ち悪いと思われるかもしれませんが」
「いや……そんなわけはない」
「ありがとうございます、ギリアム様」

 ああ、やっぱりギリアム様はお優しい。

「アリエット、そのサファイアという名の男だが、実は」
「ギリアム様の義理のご兄弟、でございますね?」
「……知っていたのか。誰に聞いた?」
「人に聞いたわけではありません。私がそうではないかと思っただけで……踏み入ってしまい、申し訳ありません」
「いや、構わない。ただ、この話は内密に頼む」
「もちろんでございます」

 つまりは国王陛下の不貞であったのだから、隠すのも当然だ。もちろん、他の誰にも言うつもりはない。
 サファイア君の現在の状況も気になるけれど、今は伝えたいことがある。

「私はサファイア君がさよならを言った日を思い返して、何度も後悔しました。どうして私はこんなに恋心に疎かったのだろうと」
「アリエット……」
「だから……もう後悔したくありません。私はギリアム様に伝えなくてはいけない言葉があるのです」

 すっくと立ち上がると、ギリアム王子もつられたように立ち上がった。
 婚約破棄された相手に告白なんて、間抜けでしかないけれど。
 また、恋心に気づいた瞬間に失恋してしまうけれど。

「私は、ギリアム様が好きです。優しいギリアム様が、こんなにも好きになっていました!」

 すでに振られているというのに、こんなにも緊張してしまうのはどうしてなのか。
 気持ち伝えるだけで満足だと思っていたのに、やっぱりそれだけでは満たされない。

「ギリアム様、どうか最後に何かいただけませんか!? 高価なものでなくていいんです……なにか思い出になれば、それだけでいいので……」

 我ながら、往生際が悪い。
 だけどこのままなにもなかったかのように終わるのは、いやだ。

「思い出で、いいのか?」

 ギリアム様が私の手首をとった。そしてそのまま私の手は、ギリアム様のお顔に近づけられて──

 私の手のひらは、ギリアム様の唇に優しく当てられていた。

 ああ、素敵な思い出をくださった。
 手のひらへの甘い口づけ。もう満足しなくては。これ以上は強欲というもの。

「ありがとうございました、ギリアム様……この数ヶ月、本当に楽しかったです……。サファイア君にも思い出をありがとうとお伝えくださいませ」

 私は踵を返してギリアム様に背を向けると、逃げるように扉へと向かった。

「待ってくれ、アリエット! 俺も、お前が……アリエットちゃんが、好きだ!!」
「……え?」

 唐突のアリエットちゃん呼び。
 ぎょっとして振り返ると、ギリアム様が今までにない穏やかな表情で私を見ている。
 その顔は、まるで……

「……サファイア君?」
「そうだ、俺は……僕は、サファイアだよ」

 頭が混乱する。ギリアム王子殿下が……サファイア君?

「え、待って……さっきギリアム様は、サファイア君を義兄弟だって認めて……」
「ああ。僕はギリアムの義兄弟だ。本物のギリアムじゃない」
「え、ええ!?」

 目の前にいるギリアム様はサファイア君で、サファイア君はギリアム様の義兄弟……一体どうしてそんなことになっているのか、全然見当もつかない。
 私が頭を捻らせていると、ギリアム様改めサファイア君が私の髪を撫でてくれた。

「僕は、陛下が君の家を訪れた際、メイドに手を出して生まれた不義の子だ。僕が君の家に行っていたのは、母上に会うためだった」

 サファイア君は王家の血が入っているということで、生まれてすぐに王都へと連れて行かれたらしい。
 子と引き裂かれたうちのメイドは会わせてほしいと懇願し、年に一度、一ヶ月だけ会う約束を取り付けた。
 そうして初めてやってきたのは、生まれてから三年も経ってからだったようだが。

「当時、僕には名前がなかった。シェイドと呼ばれ、ギリアムの影武者としての扱いしかされていなかったから」
「……だから名前を聞いても教えてくれなかったのね……」

 私の呟きのような問いに、ゆっくりと首肯してくれる。

「だから、アリエットちゃんが僕の目を見て『サファイア君だ』って言ってくれた時は、嬉しかった。僕はわずか三歳で、恋に落ちていたんだよ」

 そんなに小さな時から私のことを……。
 私は十四歳まで恋に気づけなかったというのに。
 嬉しいような申し訳ないような気持ちでいっぱいになる。

「でも十二の時には、ギリアムが城下にいる庶民と駆け落ちするって言い出してね……」
「ギリアム王子殿下も、同い年よね!?」
「ひとつ上ではあるね。僕と同じで初恋が早くて、行動力がめちゃくちゃな人だったから、いつかは本当に駆け落ちするだろうなとは思っていたけど。翌年の十四歳で駆け落ちしていなくなってしまった」

 行動力……!
 でもそれでわかった。サファイア君がうちに来られなかった理由が。

「それからサファイア君は、ずっとギリアム王子殿下の影武者を……?」
「うん。顔立ちは似ていても性格が違うから、苦労したけど。ギリアムのように体をしっかり鍛え上げて、なるべく自信満々に振る舞って……そうしているうちに月日が過ぎて、君がやってきた」
「どうしてあの時、悪役令嬢になれと言ったの? ギリアム様がサファイア君だって知っていれば、私……!」
「僕が本物のギリアムじゃないと、誰にも知られるわけにはいかなかった。ギリアムらしく振る舞いつつ君を手に入れる方法が、あれしか思い浮かばなかったんだ」

 申し訳なさそうに眉を下げる彼は、昔のサファイア君そのもので。
 手に入れたいと思ってくれていたことに、胸がきゅうっと音を立てる。

「じゃあ、どうして婚約破棄をしたの!? 私に幸せになれ、だなんて」
「君の初恋が、僕と別れた後だったからだよ。アリエットちゃんの初恋の人が僕だなんて、思わないじゃないか……!」

 サファイア君と別れたのは十二歳、私が初恋に気づいたのが十四歳。確かに勘違いしてもおかしくない状況だったと納得する。

「じゃあサファイア君は、居もしない初恋の人と私に、幸せになってほしいと思っていたの?」
「僕への気持ちがないのに、力づくで手に入れようとしていたことが恥ずかしくなったんだ。アリエットちゃんには幸せになってほしくて──」

 優しい優しい、誰よりも優しいサファイア君。
 だって演技をしていない彼は、こんなにも優美な眼差しをしている。
 私は深い色の宝石を手に握りしめる。

「私の幸せは、サファイア君と結婚すること……このロイヤルブルーサファイアを指輪にして身に付けたいって、ずっと思ってた……!」
「僕も、ずっとそうしたいと思ってた。裸石ルースで渡したのは、指のサイズが変わると思ったからなんだ」

 つまりそれは、ロイヤルブルーサファイアを渡された時にプロポーズされていたと同意義で。

「ちゃんと加工させてほしい。アリエットちゃんの指につけたい」
「でもさっき、私たちは婚約破棄を……」
「僕の早とちりだったから、取り消させて?」

 目を細ませて微笑まれると、あの頃の可愛いサファイア君を思い出す。

「じゃあ、このまま結婚してくれるの?」
「うん。人前ではギリアムとして振る舞わなきゃいけないけど、二人の時はサファイアでいるよ。アリエットちゃんがそれで構わないなら──」
「もちろん、構わないわ!!」

 私はそう言うと同時に、サファイア君に抱きついた。
 小さい頃は私の方が高かった身長も、見上げるほど大きくなっていて。
 私を包んでくれる腕が、たくましい。

 ──大好き、アリエットちゃん
 ──私も、サファイア君!

 そう言い合った過去と同じ台詞を交わして。
 私たちは潤む目で見つめると、どちらからともなく、くちびるを寄せ合っていた。
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