76 / 125
隻腕騎士は騎士隊長に恋をする
前編
しおりを挟む
騎士アイナには、二人の大切な友人がいた。
一人はオーケルフェルト家に仕えるメイドのプリシラ。
もう一人はオーケルフェルト騎士隊に所属する、同期のシェスカルだ。
アイナと二人は友人同士ではあったが、プリシラとシェスカルは違っていた。そう、二人は恋人同士だったのである。
その大切な友人、プリシラとシェスカルが結婚した日。
アイナはシェスカルへの恋心を押し隠し、二人を心から祝福した。
二人が幸せならそれでいいと。
そう、考えていた────
***
「シェス、班長昇進おめでとう。やっぱり先こされちゃったな」
「おー、サンキューアイナ。まぁ落ち込むなよ。お前だけじゃなくて、誰も俺に敵いやしねぇんだからさ」
「まったく、言ってくれるよね。まぁ実際シェスは実力を兼ね備えてるから、文句は言えないよ」
「今日、うち寄ってくか?」
「新婚の家にお邪魔するほど野暮じゃないよ。昇進の祝いは、新妻にしてもらいな」
「おう」
シェスカルは嬉しそうに、アイナの肩を叩いて鍛錬所を後にした。
彼の妻のプリシラは、結婚と同時にメイドを辞めている。と言っても家庭に収まるわけではなく、医術専門学校に通い始めたのだ。
今まではお金がなくて諦めていたプリシラの夢を、シェスカルが後押しした。彼はディノークス商会という豪商の息子で、お金を腐るほど持っていたことも大きい。
プリシラがメイド時代から、シェスカルは学校に行く金を出すと言っていたが、プリシラは頑なに拒んでいた。しかし夫婦となることで、ようやく受け取る決心がついたようだ。
こうしてプリシラは医師になるという志を持つことができた。友人が夢を叶える一歩を踏み出せたことを、アイナもとても喜ばしく思っている。
だから、アイナはどうこうするつもりはなかった。
アイナはシェスカルが好きだったが、プリシラも大切な人だった。
二人の関係を壊すようなことをするつもりは、微塵もなかった。
そう、あんな事があるまでは──
***
時は過ぎる。
二人が結婚をして四年が経った頃のことだ。
シェスカル班に魔物討伐が課せられた。
それ自体はよくある話であった。街道や町の近辺に出没する魔物を退治すること。それは騎士の立派な仕事であり、アイナもシェスカルも何度も経験していることだ。
出動隊はシェスカル班だけだったので、大した魔物ではないのだろうと思っていた。
しかしその時に出たのは、アンドラスという一風変わった魔物だったのだ。
アンドラスは人に憑依して攻撃を教唆させる魔物だった。憑依された者は、例外なく味方を襲ってしまう。
操られている仲間を斬るのを、躊躇してしまう騎士達。
アンドラスは、次々に憑依する者を変えては攻撃してくるため、戦場は混乱した。
決着をつけたのは、シェスカルの一太刀だった。
シェスカルはアンドラスに憑依されたアイナの右腕を、根元からバッサリと斬り落としたのだ。
別の者に憑依しようとアイナの体から抜け出た本体を、シェスカルは一刀両断して倒した。
アイナはその様子を、右腕のない体で見ていた。
激しい痛みがアイナを襲っていたが、呻く事もできずに、ただシェスカルに目を向ける。
シェスカルは騎士コート脱ぎ、アイナの体に巻きつける。そしてぐいっと彼に抱き上げられると、街に向かって走り始めた。
大量出血で気を失う寸前に見た、シェスカルの必死な顔。
アイナはその姿を、おそらくは一生忘れることはないだろう。
深い闇から目を覚ました時、そこにはシェスカルとプリシラがいた。
無いはずの右腕が痛み、顔を歪ませる。
「アイナ、俺がわかるか?」
頭がぼうっとしている。しかし間違えるはずもない、大好きな人と親友の姿。
「シェス……それに、プリシラ」
そう答えると、二人はホッと息を吐き出した。しかしその途端、シェスカルの顔が驚くほど崩れたのが目に入る。
「悪かった……アイナ……」
「ごめんね、アイナ……」
なぜかプリシラにまで謝られ、アイナはわずかに首を横に振った。
あの状況では仕方なかった。あのまま被害が拡大していたら、シェスカル班は壊滅していた恐れもある。彼は最善を尽くしたと言って間違いないだろう。
「被害、状況、は……」
「死者はなし、重傷者はお前を含めて三名。軽傷者は多数だ」
「そう……ごめん、少し寝るよ……」
それだけ言って、アイナはまた目を瞑った。
数字だけ聞くと、あんな魔物を相手に上出来と言えるのは確かだ。
けれど重症者の中に自分が入っていることが信じられず、全てを遮断するように眠りに落ちたのだった。
その日から、アイナの環境は劇的に変わってしまった。
まずは騎士を解雇されてしまったこと。利き腕がないのだから当然とも言えるが、剣しか取り柄のないアイナには絶望的な宣告だった。
国から見舞金が送られたが、それは数ヶ月を凌ぐ程度のもので。つまりその後は、己の力で稼げということだ。
アイナの故郷は遠く離れていて、両親はそちらで暮らしている。帰ろうかと思わないではなかったが、結婚もしていない、二十四歳にもなった隻腕の娘が帰ってこられても、迷惑にしかならないだろう。
最初は前向きだった。
世の中には手が無かろうが足が無かろうが、立派に働いて自立している人はたくさんいる。自分もそういう人になれるに違いない、と思っていたのだ。
しかし、利き腕がないというのは思った以上に不便であった。
料理をするにも、利き腕ではない左手で包丁を持たなくてはならない。皮など剥けたものではないし、押さえる手がないので丸いものなどは中々切れなかった。
もちろんそれだけではない。
服を着替えるのも、風呂に入って体を洗うのも、洗濯物を洗うのも干すのも、荷物を持つのも、髪を結うことも、全て大変だった。
それを受け入れ、前向きに対処する人が幸せになれるのだろう。
だがアイナは違った。上手くいかなくなるたびにシェスカルを恨み、そしてプリシラまでも恨み始めた。
どうして私ばかりこんな目に合わなくてはいけない?
プリシラは愛する人と結婚して、医師になるという夢まで叶えたというのに。
私は騎士として生きていくこともできずに、支えてくれる人もいない。
プリシラは……ずるい。
アイナは自分の置かれた状況に絶望してしまっていた。家から外に出ようとせず、働き口を探そうともしなくなった。アイナは国から貰った見舞い金で、細々と暮らしていた。
シェスカルは罪悪感のためか、ほぼ毎日アイナに会いに来てくれていた。
と言っても仕事が終わった後の三十分だけだ。料理を作ってくれたりしてくれるが、彼自身がそれを食べて行くことはない。
帰れば、妻の温かい料理が待っているのだから。
それが余計にアイナの心を惨めにした。
シェスカルの作る料理はびっくりするほど美味しくて、涙が出るほど嬉しかったが、だからこそ嫉妬が増したのだ。
プリシラは、こんな美味しい料理を作れる彼を虜にしているということに。
「アイナ……そろそろ、金は大丈夫か……?」
この日、シェスカルは遠慮がちに尋ねてきた。正直に言うと、もう見舞金は底をついてしまっている。すでに今まで騎士として働いてきた分の貯金を崩しながら、生活している状況だった。
しかしそんなことを口に出すとさらに惨めになりそうで、アイナは無言を通す。
「……俺がこんなことを言えた立場じゃねぇのはわかってる。けど、ちゃんと仕事探してんのか?」
答えられるはずがないので、これも無言だ。
「ディノークス商会の系列でよけりゃあ、いくらでも紹介してやる。なんかやってみたい仕事はねぇのか」
その問いにアイナは首を横に振った。
「別に、ないよ」
「じゃあどうやって生きてくつもりだよ?」
「さあ。誰か私と結婚してくれる奇特な人でも探そうかな」
自嘲じみてそういうと、明らかに嫌そうな顔を向けられた。
「あのなぁ、良縁は外に出てこそだぞ! 引きこもり婚活なんてろくなことにならねぇよ。耄碌じじいの後妻か、エロオヤジに囲われるくらいが関の山だぜ?」
「いいよ、それでも」
「いや、よくねぇし!」
「そうでもしないと生きていけないんだから、仕方ないよ」
「働く気はねぇってか」
怒気と共に放たれる言葉に、アイナも怒りを帯びる。
働きたかった。なによりも、騎士として。
国を守る誇り高き騎士を、ずっと目指してきたというのに。
アイナの胸から熱い溶岩のような想いが口から解き放たれる。
「私は、騎士として生きたかったんだよ! ずっと、幼い頃から憧れて! そりゃ、シェスには敵わなかったよ?! でも……でも私だって、ずっと努力してやってきたのに……!!」
「……アイナ」
腕を失ってから、人前では泣いたことのないアイナだったが、とうとう堪えきれずに涙を流し始めた。
一度決壊してしまうと、涙は止まるところを知らず溢れ出してくる。
「どうして! どうして私だったんだ!! どうして私の時に腕を──」
「アイナッ!!」
シェスカルがアイナの名を叫ぶと同時に、強く引き寄せられた。気付けばシェスカルの腕の中に、アイナの体が収められている。
「すまねぇ……本当に、悪かった……!! お前の大事な腕を、斬っちまって……!!」
「う……あああ……シェス……シェスぅうううッ」
アイナは、シェスカルの腕に泣き崩れた。
シェスカルを責める気はなかったのだが、それでも誰かに胸の内を聞いてほしかったのだ。
もう騎士職には就けない苦しみや悲しみを、誰かにわかってほしかった。
「ごめんな……ごめん……ごめん……っ」
大粒の涙を流すアイナに、シェスカルはいつまでも謝り続ける。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。
アイナの嗚咽は、いつまでも続いていた。
そんなことがあった翌日も、いつものようにシェスカルがアイナの家にやってきた。
しかし彼の手には封筒が握られていて、アイナは眉を寄せる。
「アイナ……受け取ってくれ」
アイナは言われた通り受け取ると、中身を確認した。やはりというべきか、そこには札束が入ってある。帯が付いているところを見るに、ちょうど百万ジェイアありそうだ。
「……どういうこと?」
そう問うと、シェスカルは眉間に皺を寄せながら、つらそうな顔をこちらに向けた。
「悪ぃ……俺にできることが、このくらいしか思いつかなかった」
百万ジェイアは高額だが、この大金持ちの男からすると大した金額ではないだろう。アイナが困窮するたびに、ポイとこれだけの金額を出すつもりに違いない。
彼にとって百万ジェイアというのは、その程度の価値しかないものだ。アイナが一万ジェイア出すのと同じ感覚だろう。
「いらない」
アイナはその封筒を突き返した。
そんな価値の低い物と、自分の腕が同等だとは思われたくない。
こちらは相当の痛手を負ったというのに、シェスカルはなんの痛みも伴わない、ただのお金だ。
不公平だと思った。
自分は全てを失ったというのに、なにも変わらず生活をしているシェスカルが、許せなかった。
「そっか……だよな、悪い。余計に傷つけたよな」
くしゃ、と音がして封筒が折れ曲がる。その悔しそうな表情が、なぜかアイナの心に癒しを与えた。
今彼は、確実に自分のことだけを考えてくれている。それがその顔から読み取れて。
「なにか俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ。遠慮なんてすることねぇから」
「じゃあ」
シェスカルのその発言に、アイナは次の言葉を臆することなく答える。
そう。
「抱いてよ」
と、一言だけ──
一人はオーケルフェルト家に仕えるメイドのプリシラ。
もう一人はオーケルフェルト騎士隊に所属する、同期のシェスカルだ。
アイナと二人は友人同士ではあったが、プリシラとシェスカルは違っていた。そう、二人は恋人同士だったのである。
その大切な友人、プリシラとシェスカルが結婚した日。
アイナはシェスカルへの恋心を押し隠し、二人を心から祝福した。
二人が幸せならそれでいいと。
そう、考えていた────
***
「シェス、班長昇進おめでとう。やっぱり先こされちゃったな」
「おー、サンキューアイナ。まぁ落ち込むなよ。お前だけじゃなくて、誰も俺に敵いやしねぇんだからさ」
「まったく、言ってくれるよね。まぁ実際シェスは実力を兼ね備えてるから、文句は言えないよ」
「今日、うち寄ってくか?」
「新婚の家にお邪魔するほど野暮じゃないよ。昇進の祝いは、新妻にしてもらいな」
「おう」
シェスカルは嬉しそうに、アイナの肩を叩いて鍛錬所を後にした。
彼の妻のプリシラは、結婚と同時にメイドを辞めている。と言っても家庭に収まるわけではなく、医術専門学校に通い始めたのだ。
今まではお金がなくて諦めていたプリシラの夢を、シェスカルが後押しした。彼はディノークス商会という豪商の息子で、お金を腐るほど持っていたことも大きい。
プリシラがメイド時代から、シェスカルは学校に行く金を出すと言っていたが、プリシラは頑なに拒んでいた。しかし夫婦となることで、ようやく受け取る決心がついたようだ。
こうしてプリシラは医師になるという志を持つことができた。友人が夢を叶える一歩を踏み出せたことを、アイナもとても喜ばしく思っている。
だから、アイナはどうこうするつもりはなかった。
アイナはシェスカルが好きだったが、プリシラも大切な人だった。
二人の関係を壊すようなことをするつもりは、微塵もなかった。
そう、あんな事があるまでは──
***
時は過ぎる。
二人が結婚をして四年が経った頃のことだ。
シェスカル班に魔物討伐が課せられた。
それ自体はよくある話であった。街道や町の近辺に出没する魔物を退治すること。それは騎士の立派な仕事であり、アイナもシェスカルも何度も経験していることだ。
出動隊はシェスカル班だけだったので、大した魔物ではないのだろうと思っていた。
しかしその時に出たのは、アンドラスという一風変わった魔物だったのだ。
アンドラスは人に憑依して攻撃を教唆させる魔物だった。憑依された者は、例外なく味方を襲ってしまう。
操られている仲間を斬るのを、躊躇してしまう騎士達。
アンドラスは、次々に憑依する者を変えては攻撃してくるため、戦場は混乱した。
決着をつけたのは、シェスカルの一太刀だった。
シェスカルはアンドラスに憑依されたアイナの右腕を、根元からバッサリと斬り落としたのだ。
別の者に憑依しようとアイナの体から抜け出た本体を、シェスカルは一刀両断して倒した。
アイナはその様子を、右腕のない体で見ていた。
激しい痛みがアイナを襲っていたが、呻く事もできずに、ただシェスカルに目を向ける。
シェスカルは騎士コート脱ぎ、アイナの体に巻きつける。そしてぐいっと彼に抱き上げられると、街に向かって走り始めた。
大量出血で気を失う寸前に見た、シェスカルの必死な顔。
アイナはその姿を、おそらくは一生忘れることはないだろう。
深い闇から目を覚ました時、そこにはシェスカルとプリシラがいた。
無いはずの右腕が痛み、顔を歪ませる。
「アイナ、俺がわかるか?」
頭がぼうっとしている。しかし間違えるはずもない、大好きな人と親友の姿。
「シェス……それに、プリシラ」
そう答えると、二人はホッと息を吐き出した。しかしその途端、シェスカルの顔が驚くほど崩れたのが目に入る。
「悪かった……アイナ……」
「ごめんね、アイナ……」
なぜかプリシラにまで謝られ、アイナはわずかに首を横に振った。
あの状況では仕方なかった。あのまま被害が拡大していたら、シェスカル班は壊滅していた恐れもある。彼は最善を尽くしたと言って間違いないだろう。
「被害、状況、は……」
「死者はなし、重傷者はお前を含めて三名。軽傷者は多数だ」
「そう……ごめん、少し寝るよ……」
それだけ言って、アイナはまた目を瞑った。
数字だけ聞くと、あんな魔物を相手に上出来と言えるのは確かだ。
けれど重症者の中に自分が入っていることが信じられず、全てを遮断するように眠りに落ちたのだった。
その日から、アイナの環境は劇的に変わってしまった。
まずは騎士を解雇されてしまったこと。利き腕がないのだから当然とも言えるが、剣しか取り柄のないアイナには絶望的な宣告だった。
国から見舞金が送られたが、それは数ヶ月を凌ぐ程度のもので。つまりその後は、己の力で稼げということだ。
アイナの故郷は遠く離れていて、両親はそちらで暮らしている。帰ろうかと思わないではなかったが、結婚もしていない、二十四歳にもなった隻腕の娘が帰ってこられても、迷惑にしかならないだろう。
最初は前向きだった。
世の中には手が無かろうが足が無かろうが、立派に働いて自立している人はたくさんいる。自分もそういう人になれるに違いない、と思っていたのだ。
しかし、利き腕がないというのは思った以上に不便であった。
料理をするにも、利き腕ではない左手で包丁を持たなくてはならない。皮など剥けたものではないし、押さえる手がないので丸いものなどは中々切れなかった。
もちろんそれだけではない。
服を着替えるのも、風呂に入って体を洗うのも、洗濯物を洗うのも干すのも、荷物を持つのも、髪を結うことも、全て大変だった。
それを受け入れ、前向きに対処する人が幸せになれるのだろう。
だがアイナは違った。上手くいかなくなるたびにシェスカルを恨み、そしてプリシラまでも恨み始めた。
どうして私ばかりこんな目に合わなくてはいけない?
プリシラは愛する人と結婚して、医師になるという夢まで叶えたというのに。
私は騎士として生きていくこともできずに、支えてくれる人もいない。
プリシラは……ずるい。
アイナは自分の置かれた状況に絶望してしまっていた。家から外に出ようとせず、働き口を探そうともしなくなった。アイナは国から貰った見舞い金で、細々と暮らしていた。
シェスカルは罪悪感のためか、ほぼ毎日アイナに会いに来てくれていた。
と言っても仕事が終わった後の三十分だけだ。料理を作ってくれたりしてくれるが、彼自身がそれを食べて行くことはない。
帰れば、妻の温かい料理が待っているのだから。
それが余計にアイナの心を惨めにした。
シェスカルの作る料理はびっくりするほど美味しくて、涙が出るほど嬉しかったが、だからこそ嫉妬が増したのだ。
プリシラは、こんな美味しい料理を作れる彼を虜にしているということに。
「アイナ……そろそろ、金は大丈夫か……?」
この日、シェスカルは遠慮がちに尋ねてきた。正直に言うと、もう見舞金は底をついてしまっている。すでに今まで騎士として働いてきた分の貯金を崩しながら、生活している状況だった。
しかしそんなことを口に出すとさらに惨めになりそうで、アイナは無言を通す。
「……俺がこんなことを言えた立場じゃねぇのはわかってる。けど、ちゃんと仕事探してんのか?」
答えられるはずがないので、これも無言だ。
「ディノークス商会の系列でよけりゃあ、いくらでも紹介してやる。なんかやってみたい仕事はねぇのか」
その問いにアイナは首を横に振った。
「別に、ないよ」
「じゃあどうやって生きてくつもりだよ?」
「さあ。誰か私と結婚してくれる奇特な人でも探そうかな」
自嘲じみてそういうと、明らかに嫌そうな顔を向けられた。
「あのなぁ、良縁は外に出てこそだぞ! 引きこもり婚活なんてろくなことにならねぇよ。耄碌じじいの後妻か、エロオヤジに囲われるくらいが関の山だぜ?」
「いいよ、それでも」
「いや、よくねぇし!」
「そうでもしないと生きていけないんだから、仕方ないよ」
「働く気はねぇってか」
怒気と共に放たれる言葉に、アイナも怒りを帯びる。
働きたかった。なによりも、騎士として。
国を守る誇り高き騎士を、ずっと目指してきたというのに。
アイナの胸から熱い溶岩のような想いが口から解き放たれる。
「私は、騎士として生きたかったんだよ! ずっと、幼い頃から憧れて! そりゃ、シェスには敵わなかったよ?! でも……でも私だって、ずっと努力してやってきたのに……!!」
「……アイナ」
腕を失ってから、人前では泣いたことのないアイナだったが、とうとう堪えきれずに涙を流し始めた。
一度決壊してしまうと、涙は止まるところを知らず溢れ出してくる。
「どうして! どうして私だったんだ!! どうして私の時に腕を──」
「アイナッ!!」
シェスカルがアイナの名を叫ぶと同時に、強く引き寄せられた。気付けばシェスカルの腕の中に、アイナの体が収められている。
「すまねぇ……本当に、悪かった……!! お前の大事な腕を、斬っちまって……!!」
「う……あああ……シェス……シェスぅうううッ」
アイナは、シェスカルの腕に泣き崩れた。
シェスカルを責める気はなかったのだが、それでも誰かに胸の内を聞いてほしかったのだ。
もう騎士職には就けない苦しみや悲しみを、誰かにわかってほしかった。
「ごめんな……ごめん……ごめん……っ」
大粒の涙を流すアイナに、シェスカルはいつまでも謝り続ける。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。
アイナの嗚咽は、いつまでも続いていた。
そんなことがあった翌日も、いつものようにシェスカルがアイナの家にやってきた。
しかし彼の手には封筒が握られていて、アイナは眉を寄せる。
「アイナ……受け取ってくれ」
アイナは言われた通り受け取ると、中身を確認した。やはりというべきか、そこには札束が入ってある。帯が付いているところを見るに、ちょうど百万ジェイアありそうだ。
「……どういうこと?」
そう問うと、シェスカルは眉間に皺を寄せながら、つらそうな顔をこちらに向けた。
「悪ぃ……俺にできることが、このくらいしか思いつかなかった」
百万ジェイアは高額だが、この大金持ちの男からすると大した金額ではないだろう。アイナが困窮するたびに、ポイとこれだけの金額を出すつもりに違いない。
彼にとって百万ジェイアというのは、その程度の価値しかないものだ。アイナが一万ジェイア出すのと同じ感覚だろう。
「いらない」
アイナはその封筒を突き返した。
そんな価値の低い物と、自分の腕が同等だとは思われたくない。
こちらは相当の痛手を負ったというのに、シェスカルはなんの痛みも伴わない、ただのお金だ。
不公平だと思った。
自分は全てを失ったというのに、なにも変わらず生活をしているシェスカルが、許せなかった。
「そっか……だよな、悪い。余計に傷つけたよな」
くしゃ、と音がして封筒が折れ曲がる。その悔しそうな表情が、なぜかアイナの心に癒しを与えた。
今彼は、確実に自分のことだけを考えてくれている。それがその顔から読み取れて。
「なにか俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ。遠慮なんてすることねぇから」
「じゃあ」
シェスカルのその発言に、アイナは次の言葉を臆することなく答える。
そう。
「抱いてよ」
と、一言だけ──
70
お気に入りに追加
1,763
あなたにおすすめの小説
記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。
ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。
毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
誰も信じてくれないので、森の獣達と暮らすことにしました。その結果、国が大変なことになっているようですが、私には関係ありません。
木山楽斗
恋愛
エルドー王国の聖女ミレイナは、予知夢で王国が龍に襲われるという事実を知った。
それを国の人々に伝えるものの、誰にも信じられず、それ所か虚言癖と避難されることになってしまう。
誰にも信じてもらえず、罵倒される。
そんな状況に疲弊した彼女は、国から出て行くことを決意した。
実はミレイナはエルドー王国で生まれ育ったという訳ではなかった。
彼女は、精霊の森という森で生まれ育ったのである。
故郷に戻った彼女は、兄弟のような関係の狼シャルピードと再会した。
彼はミレイナを快く受け入れてくれた。
こうして、彼女はシャルピードを含む森の獣達と平和に暮らすようになった。
そんな彼女の元に、ある時知らせが入ってくる。エルドー王国が、予知夢の通りに龍に襲われていると。
しかし、彼女は王国を助けようという気にはならなかった。
むしろ、散々忠告したのに、何も準備をしていなかった王国への失望が、強まるばかりだったのだ。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
断罪シーンを自分の夢だと思った悪役令嬢はヒロインに成り代わるべく画策する。
メカ喜楽直人
恋愛
さっきまでやってた18禁乙女ゲームの断罪シーンを夢に見てるっぽい?
「アルテシア・シンクレア公爵令嬢、私はお前との婚約を破棄する。このまま修道院に向かい、これまで自分がやってきた行いを深く考え、その罪を贖う一生を終えるがいい!」
冷たい床に顔を押し付けられた屈辱と、両肩を押さえつけられた痛み。
そして、ちらりと顔を上げれば金髪碧眼のザ王子様なキンキラ衣装を身に着けたイケメンが、聞き覚えのある名前を呼んで、婚約破棄を告げているところだった。
自分が夢の中で悪役令嬢になっていることに気が付いた私は、逆ハーに成功したらしい愛され系ヒロインに対抗して自分がヒロインポジを奪い取るべく行動を開始した。
今日、大好きな婚約者の心を奪われます 【完結済み】
皇 翼
恋愛
昔から、自分や自分の周りについての未来を視てしまう公爵令嬢である少女・ヴィオレッタ。
彼女はある日、ウィステリア王国の第一王子にして大好きな婚約者であるアシュレイが隣国の王女に恋に落ちるという未来を視てしまう。
その日から少女は変わることを決意した。将来、大好きな彼の邪魔をしてしまう位なら、潔く身を引ける女性になろうと。
なろうで投稿している方に話が追いついたら、投稿頻度は下がります。
プロローグはヴィオレッタ視点、act.1は三人称、act.2はアシュレイ視点、act.3はヴィオレッタ視点となります。
繋がりのある作品:「先読みの姫巫女ですが、力を失ったので職を辞したいと思います」
URL:https://www.alphapolis.co.jp/novel/496593841/690369074
【完結】「今日から私は好きに生きます! 殿下、美しくなった私を見て婚約破棄したことを後悔しても遅いですよ!」
まほりろ
恋愛
婚約者に浮気され公衆の面前で婚約破棄されました。
やったーー!
これで誰に咎められることなく、好きな服が着れるわ!
髪を黒く染めるのも、瞳が黒く見える眼鏡をかけるのも、黒か茶色の地味なドレスを着るのも今日で終わりよーー!
今まで私は元婚約者(王太子)の母親(王妃)の命令で、地味な格好をすることを強要されてきた。
ですが王太子との婚約は今日付けで破棄されました。
これで王妃様の理不尽な命令に従う必要はありませんね。
―――翌日―――
あら殿下? 本来の姿の私に見惚れているようですね。
今さら寄りを戻そうなどと言われても、迷惑ですわ。
だって私にはもう……。
※他サイトにも投稿しています。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる