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エターナルヴァンパイア ー悠久の時を生きてー
後編
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店の二階にある自室で、私は一人、窓から月を見上げた。
「アストリー……どうして私をヴァンパイアにしてくれないの……」
理由は十分に聞いてわかってる。それでも、どうしても納得いかなくて、私は目に涙を溜めた。
「そうか、あいつはジーナをヴァンパイアにする気がないのか」
そんな声が聞こえてきて、窓から身を乗り出す。
屋根の上には金髪のエイミスさんが、赤いマントをはためかせて立っていた。
「エイミスさん」
「登っておいでよ、ジーナ」
そう言われて差し出された手を、私は掴んだ。グイッと引き寄せられて、屋根の上にトントンと足を乗せる。
「なにしてたんですか? エイミスさん」
「ん? ……散歩だよ。久しぶりに人の血を飲んだからね、酔い覚まし」
「へぇ……」
エイミスさんは闇夜でも映える髪をたなびかせた。きらきらと光るように見えて、ほうっと息が漏れてしまう。
「なぁに、ジーナ」
「いえ、エイミスさんって綺麗なヴァンパイアだなと思って」
「本当? じゃあアストリーと別れて、僕のものになってよ」
「ごめんなさい、それはできません。私は、アストリーだけを愛しているから……」
「あいつは、君をヴァンパイアにしようともしないのに?」
エイミスさんの言葉が、グサリと私の胸に刺さる。
その気持ちが伝わったのか、エイミスさんは私に同情の瞳を寄せてくれた。
「僕なら、愛する人と共に生きることを選ぶ。愛する人が老いて死ぬのを見るのはもう、我慢ならないよ」
「エイミスさん……?」
「ねぇ……僕がジーナをヴァンパイアにしてあげようか」
「え?」
私は顔を上げた。エイミスさんの綺麗な金色の瞳に、驚いた顔の私が映っている。
「このままじゃ、ジーナが可哀想だよ……ヴァンパイアにしてあげないなんて、捨てられたも同然だろう?」
「アストリーはそんなじゃ……」
「大丈夫、君は捨てられない。ヴァンパイアになって、気が済むまであいつのそばにいてやればいい」
私は胸の痛みを押さえながら必死に頭を動かした。
今のままだったら、エイミスさんの言う通り、捨てられるのと大差ない。いくら愛されているからって、ともに人生を歩ませてもらえないんじゃ、意味がないから。
でもヴァンパイアにさえなれば、私は捨てられない。アストリーと一緒に悠久の時を生きられる。
「けど……アストリーの許可なくヴァンパイアになったら、きっと怒られちゃう」
「ジーナはアストリーの許可がなくちゃなにもできないのか? 大事なのは、君がどうしたいかだよ」
「それは……」
私はどうしたいんだろう。
アストリーが反対するようなことはしたくない。けど、アストリーが反対しているのは、私を思ってのことだ。
私はアストリーのためにヴァンパイアになりたい。もう人間には戻れない彼と、悠久の時を一緒に過ごして、少しでも悲しみを軽減させてあげたい。
「エイミスさん……私を、ヴァンパイアにしてください……!」
「いいのかい?」
エイミスさんの言葉に私は頷いた。
もう迷いなんかない。私は、アストリーとずっと一緒にいるんだから。
「決心してくれて嬉しいよ……ジーナ」
にぃ……と笑うエイミスさんは、私の首筋に顔を近づけたかと思うと。
「契約だよ……ジーナをヴァンパイアにし、僕のものに」
「うっ!」
二本の牙が私の首筋に刺さる。最後に見たのは月だったのか、彼の金髪だったのか──
私の視界は、闇夜よりも暗く閉ざされていった。
***
「う……ん……」
深い深い闇から戻って目を開けたけど、そこもまた闇だった。
「目が覚めたようだね。ようこそ、ヴァンパイアの世界へ」
闇夜に光る金色の瞳。
あたりは真っ暗だと認識できるのに、なぜが部屋の端々まで確認することができる。ここは、私の部屋だ。
「私は……ヴァンパイアになったの……?」
「なっているよ。闇夜でも世界がしっかりと見える、金色の瞳に」
歯に違和感を覚えて、手で確認すると、そこには牙が生えていた。私、本当にヴァンパイアになったんだ。
「私、アストリーに伝えに行ってきます!」
「いいよ。僕も一緒に行こう」
そう言ってエイミスさんはお揃いの赤いマントを私に着せてくれた。
「ヴァンパイアはね、どんなマントでも羽織っていれば自由に飛べるんだ。最初のうちは高度も距離も大して出ないから、それだけ気をつけて」
「はい」
「まぁ、落ちたところで死にはしないけどね。傷もすぐ治るし。だけど痛覚はあるから」
「わかりました」
私は窓枠に足をかけて、強く蹴り出す。アストリーが飛ぶようには行かないけど、私も浮遊感に包まれて隣の屋根に着地した。
「うまいうまい」
「自分で飛べるって、不思議な感じですね」
いつもアストリーと一緒だったから、自分で飛べるのが不思議だ。
私たちはその屋根からバルコニーに降りて、その中を覗いた。
中にはアストリーがいて、私の顔を見た瞬間に目を広げている。
「ジーナ!!」
アストリーがバルコニーの扉を開けた瞬間、私は彼に駆け寄ろうとした。
『動くな、ジーナ』
エイミスさんは声を出していない。なのに、私の脳に直接響いてくる。
そしてその瞬間、私は体を動かせなくなった。
「ジーナ、まさかヴァンパイアに……エイミス、なんてことをするんだ!! ジーナは人間だ! 人間として生きられたんだ!!」
アストリーの声が闇夜に響く。
「それは君のエゴだよ、アストリー。ジーナの気持ちを思いやるなら、君は自分で彼女をヴァンパイアにするべきだった」
エイミスさんの冷たい言葉。と同時に私の足は勝手に動き、エイミスさんに寄り添った。肩が、エイミスさんの手に抱かれる。
こんなことしたくないのに、どうして私はエイミスさんに寄り添っているのかわからない。そんな私を見て、アストリーが叫ぶ。
「ジーナ!」
「私をヴァンパイアにしてくれないアストリーなんて嫌い。私がおばあさんになって死ぬ姿を見て、笑うつもりだったんでしょう?」
私の口が勝手にそう声を出している。そんなこと、思ってなんかいないのに。否定したいのに、なにかに封じられるように声が出ない。
「違う……、違う、そんなつもりはなかった……! 俺は……っ」
アストリーの悲痛な顔に、私の胸は締め付けられた。泣きたいのに、表情筋が全く仕事をしてくれない。
「私は、気持ちをわかってくれるエイミスさんと一緒に悠久の時を生きることにしたの。今までありがとう、私を捨てたアストリー」
「……ジーナ……違うんだ……っ」
アストリーの目から、涙が溢れ落ちる。今すぐ駆け寄って抱きしめてあげたいのに、私はエイミスさんの手に抱かれたまま。
胸が苦しくて押しつぶされそうなのに、その気持ちを言葉に出すことさえもできない。
「ジーナは僕が幸せにするよ。永遠の時をともに過ごすのは、この僕だ」
そういうと、エイミスさんは私を抱き上げてジャンプした。
高く高く舞い上がり、バルコニーではアストリーが泣き崩れているのが見える。
「どうして、あんなことを……!」
私の声は、ようやく自分の意思で出るようになった。
「どうして? 君が好きだからだよ。ジーナに幸せを与えたいから」
そういうと、ストンと屋根に飛び降りる。一回のジャンプで、一体どれほどの距離を飛んだんだろう。アストリーよりも、遥かに高く、長い距離だった。
「エイミスさんは、何年生きているの……?」
「さぁ、もう忘れたな……長く、長すぎる時間だ」
あれだけの跳躍ができるということは、エイミスさんはきっとアストリーよりも長い時間を生きているに違いない。同情はするけれど、それでも彼のやったことは許せなかった。
「私、アストリーにもう一度会いに行って、ちゃんと事情を説明してきます」
「行かせないよ」
エイミスさんがそういうと、私の体は勝手に動いてしまう。私は望んでないのに、エイミスさんの体に抱きついた。
「君を、使役したから」
「……どう、して……私はただ、ヴァンパイアになりたかっただけなのに……!」
使役という言葉を聞いて、悔しくてたまらないというのに、やっぱり体はいうことを聞いてくれない。泣くことすら、できない。
エイミスさんはそんな私の頭を、ゆっくりと撫でてくる。嫌なのに、何故か嫌悪感はなかった。
「僕は悠久の時を生きる中で、何人かの女性に恋をしたことがある」
どこか寂しげな口調に、私はエイミスさんの顔を見上げた。
「その中には、人間もいたよ。彼女は、君と同じようにヴァンパイアになることを望んでいた。でも僕は彼女を仲間には引き入れなかった」
「私たちと……同じ……? どうしてその人をヴァンパイアにしてあげなかったんですか?」
「人として生まれたなら、ヴァンパイアになどなるべきではないと……人として生をまっとうしてほしいと、当時の僕は考えていたんだ」
エイミスさんの話を聞いた私の胸は、ドクドクと音を立て始める。
なんだろう。アストリーではないというのに、感情がざわめく。
「彼女は人として老い、死んでいった。最期を看取ったのは、僕だった」
「……」
胸が、疼く。熱くなる。
私はこの話を、知っている。
「彼女が最期の時、なんと言ったかわかるかい?」
いつの間にか自由になっていた体を、私は震わせた。
ころころと涙が溢れてくる。私は、彼女の言葉を知っている。
私は懐かしいエイミスの優しい瞳を見て、口を開いた。
「生まれ変わっても、私はまたヴァンパイアを好きになる。だから今度こそ、私を仲間にしてね……」
私がそういうと、エイミスはするりと涙を流して微笑んだ。
「ようやく、思い出してくれた……僕のジーナ……!」
ぎゅっと抱きしめられ、エイミスの涙がぽろぽろとこぼれ落ちてくる。
かつて愛した人。どれだけヴァンパイアにしてと頼んでも、人として生きてほしいと言ってくれた優しい人。
「エイミス……エイミス、会えて嬉しい……あなたを置いて、死にたくはなかった……」
「僕もだ……僕も、君が死んで初めて後悔した……! もっと自分の欲望に忠実であればよかったと……君と悠久の時を過ごしていきたかったと……!」
私は自分の意思でエイミスを抱きしめ返した。恨んでなんかいない。ただ、私だけ老いて死んでしまったことがつらかった。同じ種族でなかったことが、悲しかった。
「愛している、ジーナ……これからはずっと、ずっと一緒だ……!!」
エイミスの言葉に、私の心の奥が拒否をする。エイミスのことは、好きだ。いや、好きだった。心の底から愛していた。
でも、今の私の愛する人は……
「ごめん、なさい……エイミス……今の私は、アストリーが好きなの……! アストリーを愛しているの!!」
エイミスの傷ついた顔が、私を貫く。生まれ変わってからも、あなたを愛せればよかった。そうすれば、あなたのそばにずっといてあげられたのに。
「ジーナー!!」
その時、空から黒いマントをなびかせて、アストリーが降りてきた。
さっき号泣していたはずの彼は、強い瞳でエイミスを睨んでいる。
「アストリー!」
「正気か、ジーナ!」
その言葉に、私はこくんと頷いた。
「エイミス、ジーナを勝手に使役したんだろう……!! ジーナがあんなことを言うなんて、それ以外に考えられない!!」
「……ずいぶんな自信だね。だとしたらどうする? 僕に勝てるとでも? たった千年程度しか生きていないヴァンパイアが」
「エイミスがジーナのことを好きだったのは知っている。だがこんなやり方は、ジーナを傷つけるだけだ!!」
アストリーが叫ぶと、エイミスは私を抱いていた手をそっと緩めた。
体は、動く。自由にさせてくれている。
私は急いでアストリーの元へと走った。
「アストリー!」
「ジーナ!!
私を強く抱きしめてくれるアストリー。今の私の愛おしい人。
「不用心だね。今命令すれば、ヴァンパイアになりたてのジーナでも君の首を飛ばせそうだ」
「っく、エイミス、やはり使役を……!」
「君とジーナがイチャイチャするたびに、僕はそんな衝動に襲われそうだよ」
そんな言葉とは裏腹に、エイミスは寂しく笑っている。私は今すぐ駆け寄って抱きしめてあげたくなる衝動を、ぐっとこらえた。
「ごめんなさい、エイミス……あなたの気持ちは嬉しいけど……今の私は、アストリーじゃないとダメなの……」
「……わかっているよ、ジーナ」
悲しくも優しいエイミスの顔。申し訳なくて、涙が溢れてくる。
「会えてよかった。君との約束を守ることができて、よかった」
昔の私との約束。
── 生まれ変わっても、私はまたヴァンパイアを好きになる。だから今度こそ、私を仲間にしてね──
私をヴァンパイアにしてくれた……その願いを、叶えてくれた。
「ありがとう、エイミス……私をヴァンパイアにしてくれて」
私の言葉に、アストリーは驚いた顔を見せた。そしてなにかを察したように、エイミスへと視線を向けている。
「時期、朝日が差すね……」
エイミスは私たちの視線から逃げるように、東の地平線を見ている、
空はいつのまにか白んできていて、夜明けが近いことを知らせていた。
アストリーが、ぎゅっと私の肩を抱いてくれる。
ヴァンパイアは、日差しの下では力が弱くなる。昇りたての朝日は、特に治癒力を低下させるということは、私も知っている。
「アストリー。朝日が差したら、俺の心臓をその手で貫いてくれないか」
「……え?」
エイミスの発言に、私とアストリーは耳を疑った。
「使役は、契約者が死ぬまで続く。僕が生きていれば、ジーナに望まないことをさせてしまうだろう」
「エイミス、お前……」
「勝手な使役契約は、このアルカードでは処分される決まりだ」
「ならどうして、ジーナを使役した?」
アストリーの疑問にエイミスは私を見つめ、眩しいものを見るかのように目を細めた。
「ジーナを攫って、ここを出て行きたかった。たとえ、ヴァンパイアに厳しい世界でも、ふたりで」
人としての優しさを持ったヴァンパイアが、アルカード以外の街で生きることは、精神を崩壊させるほどの苦行だ。この街だからこそ、たくさんの人が色々な血をわけてくれるが、他の場所では自分で狩る必要があるのだから。
「出て行くつもりなら、どうしてそうしなかった? 俺が追いついてくるまでに、この街を抜けることなど、エイミスには容易だったはずだ」
「さぁ、なんでかな……僕は、ジーナの意思で一緒に来てほしかったのかもね……」
東の空から朝日が昇り始める。街に日が差して、悲しい色で敷き詰められる。
エイミスの名前を呼びたいのに、唇が震えて声にならない。
「さぁ、僕をこの世から解き放ってくれ」
「……わかった」
エイミスの言葉に、アストリーはその気持ちを汲み取ったように右手を構えた。
「エイ、ミ……」
「ジーナ……幸せになるんだよ」
隣にいたはずのアストリーが一瞬のうちに移動して、エイミスの左胸へとその手刀を突き立てた。
「エイミスーーーーッ!!」
ようやく出てきた私の声が、アルカードの街に響いて溶けていく。
エイミスの背中から突き出る、アストリーの右腕。朝日の中では治癒もできずに、その息は絶えていくだけだ。
「あり、が、とう……ようやく……死ねる……」
さらさらと体が灰のようになり、消えていく。
このアルカードで、ルールを破ったヴァンパイアの末路。
なのにエイミスは、どこか恍惚とした表情を浮かべ……そして、全てが朝日へと溶けていった。
「エイミス……長い時を生きたヴァンパイアよ。俺はあなたを尊敬する」
アストリーはたった今屠った同胞のために目を瞑り、私はその背中へと抱きついた。
「ジーナ」
ゆっくりと振り向いたアストリーが私を抱きしめてくれる。同じ種族になったせいか、アストリーの体は温かく感じた。
「アストリー……私、あなたと悠久の時を過ごしたい……お願い、私を拒否しないで……」
「拒否なんてするわけがない。もうヴァンパイアになったのなら……俺の方こそお願いするよ。ずっとそばにいてくれ」
もうエイミスの時のように、悲しい別れは訪れない。
ともにアストリーと悠久の時を生きていける。
ありがとう、エイミス……私に幸せを与えてくれて……
私は心の中でエイミスにお礼をいうと、今愛する人の胸の中で、幸せを噛み締めた。
「アストリー……どうして私をヴァンパイアにしてくれないの……」
理由は十分に聞いてわかってる。それでも、どうしても納得いかなくて、私は目に涙を溜めた。
「そうか、あいつはジーナをヴァンパイアにする気がないのか」
そんな声が聞こえてきて、窓から身を乗り出す。
屋根の上には金髪のエイミスさんが、赤いマントをはためかせて立っていた。
「エイミスさん」
「登っておいでよ、ジーナ」
そう言われて差し出された手を、私は掴んだ。グイッと引き寄せられて、屋根の上にトントンと足を乗せる。
「なにしてたんですか? エイミスさん」
「ん? ……散歩だよ。久しぶりに人の血を飲んだからね、酔い覚まし」
「へぇ……」
エイミスさんは闇夜でも映える髪をたなびかせた。きらきらと光るように見えて、ほうっと息が漏れてしまう。
「なぁに、ジーナ」
「いえ、エイミスさんって綺麗なヴァンパイアだなと思って」
「本当? じゃあアストリーと別れて、僕のものになってよ」
「ごめんなさい、それはできません。私は、アストリーだけを愛しているから……」
「あいつは、君をヴァンパイアにしようともしないのに?」
エイミスさんの言葉が、グサリと私の胸に刺さる。
その気持ちが伝わったのか、エイミスさんは私に同情の瞳を寄せてくれた。
「僕なら、愛する人と共に生きることを選ぶ。愛する人が老いて死ぬのを見るのはもう、我慢ならないよ」
「エイミスさん……?」
「ねぇ……僕がジーナをヴァンパイアにしてあげようか」
「え?」
私は顔を上げた。エイミスさんの綺麗な金色の瞳に、驚いた顔の私が映っている。
「このままじゃ、ジーナが可哀想だよ……ヴァンパイアにしてあげないなんて、捨てられたも同然だろう?」
「アストリーはそんなじゃ……」
「大丈夫、君は捨てられない。ヴァンパイアになって、気が済むまであいつのそばにいてやればいい」
私は胸の痛みを押さえながら必死に頭を動かした。
今のままだったら、エイミスさんの言う通り、捨てられるのと大差ない。いくら愛されているからって、ともに人生を歩ませてもらえないんじゃ、意味がないから。
でもヴァンパイアにさえなれば、私は捨てられない。アストリーと一緒に悠久の時を生きられる。
「けど……アストリーの許可なくヴァンパイアになったら、きっと怒られちゃう」
「ジーナはアストリーの許可がなくちゃなにもできないのか? 大事なのは、君がどうしたいかだよ」
「それは……」
私はどうしたいんだろう。
アストリーが反対するようなことはしたくない。けど、アストリーが反対しているのは、私を思ってのことだ。
私はアストリーのためにヴァンパイアになりたい。もう人間には戻れない彼と、悠久の時を一緒に過ごして、少しでも悲しみを軽減させてあげたい。
「エイミスさん……私を、ヴァンパイアにしてください……!」
「いいのかい?」
エイミスさんの言葉に私は頷いた。
もう迷いなんかない。私は、アストリーとずっと一緒にいるんだから。
「決心してくれて嬉しいよ……ジーナ」
にぃ……と笑うエイミスさんは、私の首筋に顔を近づけたかと思うと。
「契約だよ……ジーナをヴァンパイアにし、僕のものに」
「うっ!」
二本の牙が私の首筋に刺さる。最後に見たのは月だったのか、彼の金髪だったのか──
私の視界は、闇夜よりも暗く閉ざされていった。
***
「う……ん……」
深い深い闇から戻って目を開けたけど、そこもまた闇だった。
「目が覚めたようだね。ようこそ、ヴァンパイアの世界へ」
闇夜に光る金色の瞳。
あたりは真っ暗だと認識できるのに、なぜが部屋の端々まで確認することができる。ここは、私の部屋だ。
「私は……ヴァンパイアになったの……?」
「なっているよ。闇夜でも世界がしっかりと見える、金色の瞳に」
歯に違和感を覚えて、手で確認すると、そこには牙が生えていた。私、本当にヴァンパイアになったんだ。
「私、アストリーに伝えに行ってきます!」
「いいよ。僕も一緒に行こう」
そう言ってエイミスさんはお揃いの赤いマントを私に着せてくれた。
「ヴァンパイアはね、どんなマントでも羽織っていれば自由に飛べるんだ。最初のうちは高度も距離も大して出ないから、それだけ気をつけて」
「はい」
「まぁ、落ちたところで死にはしないけどね。傷もすぐ治るし。だけど痛覚はあるから」
「わかりました」
私は窓枠に足をかけて、強く蹴り出す。アストリーが飛ぶようには行かないけど、私も浮遊感に包まれて隣の屋根に着地した。
「うまいうまい」
「自分で飛べるって、不思議な感じですね」
いつもアストリーと一緒だったから、自分で飛べるのが不思議だ。
私たちはその屋根からバルコニーに降りて、その中を覗いた。
中にはアストリーがいて、私の顔を見た瞬間に目を広げている。
「ジーナ!!」
アストリーがバルコニーの扉を開けた瞬間、私は彼に駆け寄ろうとした。
『動くな、ジーナ』
エイミスさんは声を出していない。なのに、私の脳に直接響いてくる。
そしてその瞬間、私は体を動かせなくなった。
「ジーナ、まさかヴァンパイアに……エイミス、なんてことをするんだ!! ジーナは人間だ! 人間として生きられたんだ!!」
アストリーの声が闇夜に響く。
「それは君のエゴだよ、アストリー。ジーナの気持ちを思いやるなら、君は自分で彼女をヴァンパイアにするべきだった」
エイミスさんの冷たい言葉。と同時に私の足は勝手に動き、エイミスさんに寄り添った。肩が、エイミスさんの手に抱かれる。
こんなことしたくないのに、どうして私はエイミスさんに寄り添っているのかわからない。そんな私を見て、アストリーが叫ぶ。
「ジーナ!」
「私をヴァンパイアにしてくれないアストリーなんて嫌い。私がおばあさんになって死ぬ姿を見て、笑うつもりだったんでしょう?」
私の口が勝手にそう声を出している。そんなこと、思ってなんかいないのに。否定したいのに、なにかに封じられるように声が出ない。
「違う……、違う、そんなつもりはなかった……! 俺は……っ」
アストリーの悲痛な顔に、私の胸は締め付けられた。泣きたいのに、表情筋が全く仕事をしてくれない。
「私は、気持ちをわかってくれるエイミスさんと一緒に悠久の時を生きることにしたの。今までありがとう、私を捨てたアストリー」
「……ジーナ……違うんだ……っ」
アストリーの目から、涙が溢れ落ちる。今すぐ駆け寄って抱きしめてあげたいのに、私はエイミスさんの手に抱かれたまま。
胸が苦しくて押しつぶされそうなのに、その気持ちを言葉に出すことさえもできない。
「ジーナは僕が幸せにするよ。永遠の時をともに過ごすのは、この僕だ」
そういうと、エイミスさんは私を抱き上げてジャンプした。
高く高く舞い上がり、バルコニーではアストリーが泣き崩れているのが見える。
「どうして、あんなことを……!」
私の声は、ようやく自分の意思で出るようになった。
「どうして? 君が好きだからだよ。ジーナに幸せを与えたいから」
そういうと、ストンと屋根に飛び降りる。一回のジャンプで、一体どれほどの距離を飛んだんだろう。アストリーよりも、遥かに高く、長い距離だった。
「エイミスさんは、何年生きているの……?」
「さぁ、もう忘れたな……長く、長すぎる時間だ」
あれだけの跳躍ができるということは、エイミスさんはきっとアストリーよりも長い時間を生きているに違いない。同情はするけれど、それでも彼のやったことは許せなかった。
「私、アストリーにもう一度会いに行って、ちゃんと事情を説明してきます」
「行かせないよ」
エイミスさんがそういうと、私の体は勝手に動いてしまう。私は望んでないのに、エイミスさんの体に抱きついた。
「君を、使役したから」
「……どう、して……私はただ、ヴァンパイアになりたかっただけなのに……!」
使役という言葉を聞いて、悔しくてたまらないというのに、やっぱり体はいうことを聞いてくれない。泣くことすら、できない。
エイミスさんはそんな私の頭を、ゆっくりと撫でてくる。嫌なのに、何故か嫌悪感はなかった。
「僕は悠久の時を生きる中で、何人かの女性に恋をしたことがある」
どこか寂しげな口調に、私はエイミスさんの顔を見上げた。
「その中には、人間もいたよ。彼女は、君と同じようにヴァンパイアになることを望んでいた。でも僕は彼女を仲間には引き入れなかった」
「私たちと……同じ……? どうしてその人をヴァンパイアにしてあげなかったんですか?」
「人として生まれたなら、ヴァンパイアになどなるべきではないと……人として生をまっとうしてほしいと、当時の僕は考えていたんだ」
エイミスさんの話を聞いた私の胸は、ドクドクと音を立て始める。
なんだろう。アストリーではないというのに、感情がざわめく。
「彼女は人として老い、死んでいった。最期を看取ったのは、僕だった」
「……」
胸が、疼く。熱くなる。
私はこの話を、知っている。
「彼女が最期の時、なんと言ったかわかるかい?」
いつの間にか自由になっていた体を、私は震わせた。
ころころと涙が溢れてくる。私は、彼女の言葉を知っている。
私は懐かしいエイミスの優しい瞳を見て、口を開いた。
「生まれ変わっても、私はまたヴァンパイアを好きになる。だから今度こそ、私を仲間にしてね……」
私がそういうと、エイミスはするりと涙を流して微笑んだ。
「ようやく、思い出してくれた……僕のジーナ……!」
ぎゅっと抱きしめられ、エイミスの涙がぽろぽろとこぼれ落ちてくる。
かつて愛した人。どれだけヴァンパイアにしてと頼んでも、人として生きてほしいと言ってくれた優しい人。
「エイミス……エイミス、会えて嬉しい……あなたを置いて、死にたくはなかった……」
「僕もだ……僕も、君が死んで初めて後悔した……! もっと自分の欲望に忠実であればよかったと……君と悠久の時を過ごしていきたかったと……!」
私は自分の意思でエイミスを抱きしめ返した。恨んでなんかいない。ただ、私だけ老いて死んでしまったことがつらかった。同じ種族でなかったことが、悲しかった。
「愛している、ジーナ……これからはずっと、ずっと一緒だ……!!」
エイミスの言葉に、私の心の奥が拒否をする。エイミスのことは、好きだ。いや、好きだった。心の底から愛していた。
でも、今の私の愛する人は……
「ごめん、なさい……エイミス……今の私は、アストリーが好きなの……! アストリーを愛しているの!!」
エイミスの傷ついた顔が、私を貫く。生まれ変わってからも、あなたを愛せればよかった。そうすれば、あなたのそばにずっといてあげられたのに。
「ジーナー!!」
その時、空から黒いマントをなびかせて、アストリーが降りてきた。
さっき号泣していたはずの彼は、強い瞳でエイミスを睨んでいる。
「アストリー!」
「正気か、ジーナ!」
その言葉に、私はこくんと頷いた。
「エイミス、ジーナを勝手に使役したんだろう……!! ジーナがあんなことを言うなんて、それ以外に考えられない!!」
「……ずいぶんな自信だね。だとしたらどうする? 僕に勝てるとでも? たった千年程度しか生きていないヴァンパイアが」
「エイミスがジーナのことを好きだったのは知っている。だがこんなやり方は、ジーナを傷つけるだけだ!!」
アストリーが叫ぶと、エイミスは私を抱いていた手をそっと緩めた。
体は、動く。自由にさせてくれている。
私は急いでアストリーの元へと走った。
「アストリー!」
「ジーナ!!
私を強く抱きしめてくれるアストリー。今の私の愛おしい人。
「不用心だね。今命令すれば、ヴァンパイアになりたてのジーナでも君の首を飛ばせそうだ」
「っく、エイミス、やはり使役を……!」
「君とジーナがイチャイチャするたびに、僕はそんな衝動に襲われそうだよ」
そんな言葉とは裏腹に、エイミスは寂しく笑っている。私は今すぐ駆け寄って抱きしめてあげたくなる衝動を、ぐっとこらえた。
「ごめんなさい、エイミス……あなたの気持ちは嬉しいけど……今の私は、アストリーじゃないとダメなの……」
「……わかっているよ、ジーナ」
悲しくも優しいエイミスの顔。申し訳なくて、涙が溢れてくる。
「会えてよかった。君との約束を守ることができて、よかった」
昔の私との約束。
── 生まれ変わっても、私はまたヴァンパイアを好きになる。だから今度こそ、私を仲間にしてね──
私をヴァンパイアにしてくれた……その願いを、叶えてくれた。
「ありがとう、エイミス……私をヴァンパイアにしてくれて」
私の言葉に、アストリーは驚いた顔を見せた。そしてなにかを察したように、エイミスへと視線を向けている。
「時期、朝日が差すね……」
エイミスは私たちの視線から逃げるように、東の地平線を見ている、
空はいつのまにか白んできていて、夜明けが近いことを知らせていた。
アストリーが、ぎゅっと私の肩を抱いてくれる。
ヴァンパイアは、日差しの下では力が弱くなる。昇りたての朝日は、特に治癒力を低下させるということは、私も知っている。
「アストリー。朝日が差したら、俺の心臓をその手で貫いてくれないか」
「……え?」
エイミスの発言に、私とアストリーは耳を疑った。
「使役は、契約者が死ぬまで続く。僕が生きていれば、ジーナに望まないことをさせてしまうだろう」
「エイミス、お前……」
「勝手な使役契約は、このアルカードでは処分される決まりだ」
「ならどうして、ジーナを使役した?」
アストリーの疑問にエイミスは私を見つめ、眩しいものを見るかのように目を細めた。
「ジーナを攫って、ここを出て行きたかった。たとえ、ヴァンパイアに厳しい世界でも、ふたりで」
人としての優しさを持ったヴァンパイアが、アルカード以外の街で生きることは、精神を崩壊させるほどの苦行だ。この街だからこそ、たくさんの人が色々な血をわけてくれるが、他の場所では自分で狩る必要があるのだから。
「出て行くつもりなら、どうしてそうしなかった? 俺が追いついてくるまでに、この街を抜けることなど、エイミスには容易だったはずだ」
「さぁ、なんでかな……僕は、ジーナの意思で一緒に来てほしかったのかもね……」
東の空から朝日が昇り始める。街に日が差して、悲しい色で敷き詰められる。
エイミスの名前を呼びたいのに、唇が震えて声にならない。
「さぁ、僕をこの世から解き放ってくれ」
「……わかった」
エイミスの言葉に、アストリーはその気持ちを汲み取ったように右手を構えた。
「エイ、ミ……」
「ジーナ……幸せになるんだよ」
隣にいたはずのアストリーが一瞬のうちに移動して、エイミスの左胸へとその手刀を突き立てた。
「エイミスーーーーッ!!」
ようやく出てきた私の声が、アルカードの街に響いて溶けていく。
エイミスの背中から突き出る、アストリーの右腕。朝日の中では治癒もできずに、その息は絶えていくだけだ。
「あり、が、とう……ようやく……死ねる……」
さらさらと体が灰のようになり、消えていく。
このアルカードで、ルールを破ったヴァンパイアの末路。
なのにエイミスは、どこか恍惚とした表情を浮かべ……そして、全てが朝日へと溶けていった。
「エイミス……長い時を生きたヴァンパイアよ。俺はあなたを尊敬する」
アストリーはたった今屠った同胞のために目を瞑り、私はその背中へと抱きついた。
「ジーナ」
ゆっくりと振り向いたアストリーが私を抱きしめてくれる。同じ種族になったせいか、アストリーの体は温かく感じた。
「アストリー……私、あなたと悠久の時を過ごしたい……お願い、私を拒否しないで……」
「拒否なんてするわけがない。もうヴァンパイアになったのなら……俺の方こそお願いするよ。ずっとそばにいてくれ」
もうエイミスの時のように、悲しい別れは訪れない。
ともにアストリーと悠久の時を生きていける。
ありがとう、エイミス……私に幸せを与えてくれて……
私は心の中でエイミスにお礼をいうと、今愛する人の胸の中で、幸せを噛み締めた。
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