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敵なのに嫁になれ? 祖国に愛する人がいますので、お断りさせていただきます。

後編

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 そうして毎日ザデラスと過ごしていたある日の夜のこと。
 寝室に使っているユミリの部屋の窓が、カタリと開けられた。

「誰?!」
「っし、ユミリ! 僕だよ……!」

 その声に驚いて、手元のランプを窓に向ける。
 そこには一年前に離れ離れとなった、幼馴染みの姿があった。

「ソナイ……? ソナイなの?!」
「うん……遅くなってごめん、ユミリ。連れ戻しにきたよ」

 窓から中に入ってきたソナイは、ユミリの記憶の中のソナイとは違っていた。
 戦争が嫌い、戦うのが嫌だと言っていたソナイの腰には、剣が携えられている。そしてすらりとした立ち姿だったはずなのに、服の上からでもその鍛えられた体が見て取れた。

「ソナイ、まさかあなた……」
「うん、僕は軍に入った。連れ去られたユミリを奪還するために……!」
「そんな……!」

 ソナイは、誰よりも争いを嫌っていた。自分から軍に入るなど、ユミリが連れ去られていなければ絶対にしなかったことだろう。
 ユミリの言いたいことがわかったのか、ソナイは精悍になったその顔を、昔の優しい笑みに戻してくれる。

「いいんだよ、ユミリ。僕は愛する人のためになら、いくらでも剣を振るう。奪還作戦の任務に加われるくらいになるまでにね」

 ユミリは呆然とソナイを見る。愛する人と言われた喜びが、かき消されてしまうくらいに頭が真っ白になった。
 あの優しいソナイが、信じられない。たった一年で奪還作戦に加わるというのは、おそらくものすごい努力だったのだろう。それは、体つきを見るだけでわかるというものだ。

「ユミリ、帰ろう。僕たちの国に」
「ソナイ……」
「そして僕と結婚してくれ。もう二度と、ユミリと離れたくない……!」

 真っ直ぐ貫かれるような視線を浴びて、ユミリの血管は膨張するように熱くなった。
 好きだった人に好かれていた。やはり片思いなんかではなかったのだと実感する。

「行こう、ユミリ! 急いで……!」
「う、うん……! 待って、これだけ……っ」

 ユミリは急いでナイトテーブルに置いてあるカチューシャを手に取った。そしてソナイに駆け寄る。

「この窓から出るよ、いける?」
「うん、多分……」
「待て!!」

 窓から外を覗いた瞬間、後ろの扉がバタン開けられた。

「夜更けに姫を拐いにくるたぁ、ふてぇ野郎だなぁ」

 ハッと鼻で笑うザデラスだったが、目は笑っていない。ザデラスの顔を見ると、なぜだかユミリの心臓は跳ねるように鳴った。

「ザデラス……」
「ユミリよぉ、なんの挨拶もなく出ていこうとするな。そりゃ命の恩人に対してすることじゃねぇぞ」

 ザデラスの眉間に皺が寄っている。彼の手元には灯りがあるが、腰の剣は抜かれてはいかなかった。

「行くのか、ユミリ」

 言葉が出てこず、ユミリはコクリと頷くことで答える。
 ザデラスの瞳が一瞬揺らいだ気がして、なぜだかユミリの胸はズキンと痛みを放つ。

「そうか、そいつがお前の好きな男だっていうソナイだな。なかなかどうして、いい面構えをしているじゃねぇか」
「ザデラスというと……あなたが血染めの悪魔か……!」

 ソナイの問いに、ザデラスが自虐的に笑う。

「俺はこの国では英雄と呼ばれているんだがな。まぁそっちでの扱いなんてそんなもんか」
「血染めの悪魔なんかに、僕のユミリは渡さない!」
「っく、ははははは! わっはっはっは!」

 ザデラスは灯りを置くと、腰の剣を抜いた。鞘を抜け出す金属音が、部屋の中に響く。

「俺に勝てるとでも思っているのか? ケツの青い若造が」
「……っぐ」
「や、やめて……っ!」

 この国の英雄と呼ばれるザデラスと、いくら鍛えたとはいえ、軍に入ってまだ一年のソナイでは、やらずとも結果はわかる。
 ユミリはソナイに剣を抜かせてはならないと、ぎゅっと手を押さえつけた。きっとザデラスは、剣を抜いた相手に容赦はしない。ソナイの首が落ちる姿なんて、見たくはない。

「抜かんのか? 軟弱者が」

 ザデラスがソナイを煽る。ひやひやしながらソナイを見上げると、彼はふふんとでも言いたそうに笑っていた。
 今まで見たことのないソナイの顔。それは、優しいだけの男の顔ではなかった。ユミリの知らないその顔はたくましく感じるのに、心はどこか遠ざかる。

「戦わない。ユミリを連れ帰れば、僕の勝ちだ」
「ふ、わははは! そうだな、その通りだ」

 ザデラスがなぜか笑い声を上げながらその剣を鞘に収めた。一年も一緒にいたが、この男の考えることはやはりユミリにはよくわからない。

「お前はその男と行くと決めたのだろう、ユミリ」
「……はい」
「ならば、俺が止めるのは無粋というもんだ」

 いつものようにあっけらかんとしているザデラスは、口元に笑みすら讃えていた。

「止めないんですか……?」

 驚いてそう聞くと、ザデラスは歯を見せる。

「ん? 止めてほしかったのか?」
「いえ」
「わはは! ならば聞くな!」

 なぜだろうか、ザデラスはこんな状況になれば、全力で止めにくると思っていた。
 いつも『俺の嫁になれ』と言っていた、敵国の英雄。
 あれは、本気で言っていたわけではなかったのだろうか。
 前線で戦うことをやめたのは、ユミリのためではなかったのか。カチューシャを買ってくれたのは。
 あの時の行動は。あの時の言葉は。
 この一年、共に過ごしたザデラスとの思い出が次々と浮かんでは消えていく。

「いこう、ユミリ」

 ソナイの言葉に頷こうとして、しかし首はザデラスの方へと向いたまま動かない。
 今ここを出れば、もう二度とザデラスに会うことはないだろう。戦争の終結には、おそらくまだ時間がかかる。

「おいおい、ユミリ。そんなカチューシャなんか持ってどうすんだ。それは置いてけ。お前の恋人・・に、失礼だろ?」

 片眉を下げて口の端を上げるザデラスは、手のかかる子どもを相手に諭しているようで、ユミリはグッと奥歯を噛み締めた。

「投げろ。お前にはもう必要ないもんだ」

 真っ直ぐに刺さるような視線を受けて、ユミリは手の中のカチューシャをグッと握りしめる。そして思いを振り切るようにそのカチューシャを投げた。
 ザデラスはそれをパシリと片手で受け取っている。

「よし、行け。もう崖から落ちるんじゃないぞ?」
「お、落ちません!」
「わはは!」

 ザデラスの豪快な笑い顔。この顔をもう見ることもないのだと思うと、胸が締め付けられるように痛い。

「行け。騒ぎになる前なら抜け出せる」
「ユミリ」

 二人の男に促されたユミリは、とうとうザデラスから視線を外した。

「帰ろう、僕たちの国へ……!」
「ソナイ……」

 争いが、戦いが嫌いなのに、軍に身を置いてまで助けにきてくれたソナイ。
 幼い頃からずっと一緒で、大人になっても変わらず一緒にいてくれると思っていた、優しい男の子。
 彼はいつのまにか随分と大きくなり、力をつけて、ユミリを助け出してくれる存在になっている。

 好きだった。ソナイのことが、ずっと。
 それは一生、揺らぐことなく続くものだと思っていた。

「ユミリ?」

 ユミリはソナイから一歩離れていた。
 不可解な顔をしているソナイを見ると、胸が引き裂かれそうに痛い。

「ごめん、ソナイ……私……っ」

 ユミリの歪めた顔を見て、驚いているソナイ。
 幼い頃からずっと一緒だった彼には、わかってしまったのだろう。ユミリがこんな顔をするわけを……。

「……そうか。ユミリはもう、僕とは一緒に過ごせないんだね……」

 ソナイの悟った言葉が、太い槍で突かれたようにユミリの胸を刺した。
 ソナイは誰よりも優しいから。誰よりも、ユミリの気持ちをわかってくれるから。絶対にユミリのことを否定しない彼のことが好きだった。愛おしかった。
 だからこそソナイの気持ちを思うと、体中から悲鳴をあげそうなほどに苦しくなる。

「ごめ………ソナイ……」
「ユミリ」
「せっかく、来て、くれたのに……っ」
「いいんだよ、ユミリ」

 ユミリの流れた涙を拭いてくれるのは、幼い頃から何度も見てきた優しいソナイの笑顔で。
 その慣れ親しんだ温かさに、余計に涙が溢れてくる。

「会えてよかった。ユミリの元気な姿を見られたから、僕はそれでいいんだ」
「ソナイ……」

 争いが嫌いで、優しすぎる幼馴染みは、目を細めた瞬間につうっと光るものが流れ落ちた。

「好きだったよ、ユミリ。僕が、誰より一番」
「ありがとう、ソナイ……私も、ソナイが誰よりも好きだった……」

 ユミリとソナイはお互いに求めるようにして手を伸ばそうとし……しかし届くなく、その手を下ろす。

「さようなら、ユミリ。ユミリの幸せを、ずっと心から願ってるよ……」

 そう言うと、ソナイは窓から外に飛び出していった。
 おそらく、二度とソナイに会うことはないだろう。
 しかしもう会えないかもしれないと思っていた初恋の人と、再会することができた。それは夢のように優しく甘く、そして切ない時間だったが。

「おい、両思いだったんじゃねぇか。どうして残った?」

 振り向くと、今度はザデラスが不可解な顔をしている。
 どうして残ったのか、などとは愚問でしかないというのに、この男は気づいていない。

「悔しかったんです」
「ああ? 悔しい?」

 そう、ユミリは悔しかった。
 口を開けば嫁になれと言ってきたこの男が、いとも簡単に自分を手放したことが。
 そして手放されてしまうことで、こんなにもつらく悲しい気持ちにさせられたのが悔しかったのだ。

「ザデラスさんの嘘つき! 私なんて、どうでもよかったんじゃないですか!」
「なに?」
「ザデラスさんが手放したくなくなるくらい、私にゾッコンにさせてやるんですからね!」

 むうっと頬を膨らませてザデラスを詰め寄る。
 十二歳年上のザデラスはユミリの反撃に少し目を広げたあと、今まで見たことのない真顔になった。

「バカもん。俺は最初から、お前にゾッコンだ」
「……え?」

 ザデラスの手の中のカチューシャが、ユミリの髪につけられる。
 ぽかんとザデラスの顔を見ると、彼はニッと口の端を上げながら目を細めて笑った。

「何度も言ったろうが。俺の嫁になれってな」
「本気、だったんですか? 冗談でも、からかってるんでも、子ども扱いしてるんでもなくて?」
「好きでなけりゃ、冗談もからかいも子ども扱いもしねぇさ」
「は?? つまり、どっちなんです??」

 ユミリが口を尖らせて聞くと、ザデラスはわははといつものように豪快に笑って。

「お前のことを誰より一番愛しているのは、この俺だってこった」

 その言葉と同時に、ユミリははじめての口づけを奪われたのだった。





 
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