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優しい目をした狼騎士は、私の手首にキスをする。

後編

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 ドキッと胸が鳴ってしまうから、本当にやめてほしいと思いながら、アリスはヒューバートから目を背けた。

「付き合うとか……ないですから」
「なんで? キスまでしたのに?」
「ひゃ、ひゃぁああ!!」

 アリスは慌ててその口を閉じようと、ヒューバートの腕を引っ掴んでブンブンと揺らした。
 ヒューバートの持っている箱の中の空ビンが、カチャカチャと笑うように音を立てている。

「あ、あれは、ヒューバートさんが要求したんじゃないですかー!」
「アリスが、お礼に何かすると言ってくれたからだろ」
「にしたって、普通キスしてなんて言わないですよっ」
「仕方ないだろ? キスしたかったんだから」

 キスをしたかったと言われて、カアっと顔が熱くなる。
 五日間看病してくれて、なんとか起きられるようになったアリスは、ヒューバートにキスを要求された。
 断る事も、できた。
 けれどアリスは、その唇に惹かれるように……ヒューバートにキスしてしまっていた。頬にではあったが。

「っく、黒歴史……!」
「けっこう酷くないか、それ」
「忘れてください、あの時の私はおかしかったんです」
「……」

 アリスの言葉に、ヒューバートはほんの少し眉を下げている。胸が、じくりと痛んだ。

「キスしてくれたから、少しは望みがあると思ってたんだがな」
「な、なにを言ってるんですか……」
「あれからなにも変わってない。俺には全く興味ないか?」
「きょう、み……っ」

 凛々しい瞳。亜麻色の髪。がっしりとした体つき。大きな手。アリスの体など、軽々と抱き上げてしまうその筋力。
 頭から爪先までじっくりと見てしまい、アリスは熱くなった頬を隠すように押さえる。

「興味ありそうに見えるんだが……」
「ない、ないですよ……った、たぶん……」

 たぶん、という言葉に、ヒューバートの口の端が上がる。
 明らかに喜んでいるのが見てとれて、アリスは手で自分の顔全体を隠した。

「どうした?」
「ヒューバートさんが、変なこと言うから……!」
「アリスのかわいい顔が見られて、満足だ」
「も、もう……っ」

 きっと、からかわれているだけだ。平常心を保たなければ、と口をぎゅぎゅっと結んだ瞬間。

「そんなかわいいアリスが、好きだ」

 とんでもない言葉が耳に飛び込んできて、アリスはポカンと顔を見上げた。

「……はい?」
「好きだ、と言ったんだ。付き合ってくれ」
「な、なにを言ってるんですか、こんなところで!」

 さっきもそうだが、勤務中に付き合ってだの好きだのと言うのはどうなのだろうか。
 それも、区隊長になろうとしているような人が、ただの二十歳の小娘に向かって。
 周りの目が気になったアリスは、キョロキョロと周りを見回してしまった。

「じゃあ、アリスの家に着いたら改めて言おう」
「ええ~……こ、困りますって……」
「どうしてだ?」

 どうして、と聞かれると、また困ってしまう。

「お、おかしいですよ……区隊長にもなろうって人が、私のことを……す、好きなんて」
「そうか? 別に、誰が誰を好きになろうと自由だろう」
「そうですけど……どうして、私なんかを……」

 アリスはわからなかった。
 西区の詰所にポーションを卸しに行き始めたのは、両親が不慮の事故で亡くなった五年前から。
 それまでもポーション作りを手伝っていたアリスは、親の跡を継いた形だ。その頃からヒューバートはよく声を掛けてくれる一人ではあったが。

「よく頑張ってるなと思ってた。両親を亡くしても懸命に働いて、体の不自由な祖父母に仕送りまでしてるんだろ?」
「……同情、ですか」

 なんだ、と胸が突き刺されるように疼いた。
 人の良いヒューバートのことだ。大変な思いをしている人を、放っておけなかっただけだろう。
 ぎっくり腰になったときに世話をしてくれたように、ただ可哀想な人を世話してあげたいだけ。
 ふいっと下を向くと、耳に心地よいヒューバートの声が降りてきた。

「同情……そうだな、最初はそんな気持ちもあったかもしれない」
「さいしょ、は……?」
「着いたぞ、開けてくれ」

 いつの前にかアリスの家兼ポーション工房に着いていた。アリスは急いで鍵を取り出すと、扉を開けて中に入ってもらう。
 指定した場所に空瓶を置いてもらうと、外まで送ろうとした。

「今はもう、同情じゃないぞ」
「……え」

 見上げると、ヒューバートの真剣な顔がアリスを見据えている。
 その瞳に射抜かれるように、アリスの心はどくんと打ち鳴らされる。

「アリスが困った時、つらい時にはそばにいたい。助けを必要としているときは、すぐに手を差し伸べたい。そう、強く思ったんだ」

 それは、三ヶ月前の出来事がきっかけだろう。それはやはり、同情ではないのだろうか。

「いくら騎士だからって、そんなことで人を助けていたりしては、身が持ちませんよ?」
「騎士だから言っているんじゃない。一人の男として、アリスが好きだから言っている。アリスだから、助けたいと思うんだ」

 アリスだから……その言葉に、胸が震えた。
 ずっと一人で生きていかなくてはと思っていたアリスは、肩肘張って生きてきた。そして、一人で生きていけると思っていた。
 なのに、助けを必要とした時には、手を差し伸べてくれると……そばにいたいと、言ってくれている。
 それが思ったよりもびっくりするくらい嬉しくて、ほろりと涙が溢れてきた。その涙を、ヒューバートが指で優しく拭ってくれる。

「俺はアリスと、結婚を視野に入れた付き合いをしていきたいと思ってる」
「ヒューバートさん……」
「迷惑だったら、もう二度とこんなことは言わない。でももしオーケーなら……」

 ヒューバートは、あの日のようにそっと笑って。

「キスしてくれないか」

 そう、訴えてきた。
 心臓が、ドッドと波立てる。
 けれど、嫌な鼓動ではなかった。
 耳が熱くなって、胸が張り裂けそうなほどの……喜びの、鼓動。

 本当は、ずっと憧れていた。
 男らしく、爽やかでいてどこか無遠慮なヒューバートのことを。
 両親を思い出してふと寂しくなると、優しくかけてくれる言葉。
 仕事を頑張っていると、必ず褒めてくれて。笑ってくれて。撫でてくれて。

 恋にうつつを抜かしている暇などないのだと、押し込めていた心が……もう止まらない。

「ヒューバートさん、屈んで、ください……」

 背の高いヒューバートにそう頼むと、彼の顔はアリス目の前にまで迫る。
 あの日も、こうやってキスをした。
 その時にはもう、半分心が開いていたのかもしれない。

 そう思いながら、アリスはそっとヒューバートの唇を掠め、頬にキスをした。
 あの時と同じように。

「アリス……」

 ヒューバートの細められた瞳が飛び込んで来て、顔が熱くなる。

「こ、これが限界ですけど……でも、その……これから、よろしくお願いします」
「ああ。まぁ、ゆっくりいこうな」

 ヒューバートがそう言ったかと思うと、アリスの体はぐんと引き寄せられた。
 アリスの右手が奪い取られ、その掌の下……ちょうど手首のあたりにチュッと音を立てて口づけされる。

「ひゃあっ」

 思わずそんな声を出すっと、ヒューバートはくつくつと笑っていた。
 キスを要求してくる狼のような人が、本当にゆっくり進んでくれるのか疑問はあったが……。

「大事にするよ、アリス」

 その一言で、アリスは自分からヒューバートを抱きしめることができた。

 熱く疼く手首。

 そのキスの意味が欲望だとアリスが知るのは、もう少しだけ先のお話──
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