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04.幸せ者の私
しおりを挟む 馬を小屋から見えない遠いところに繋ぎ止めると、私は土色の布を羽織って身を隠しながら小屋に近づいた。
隣にはなぜか、馬車で待っていてほしいとお願いしたはずのイライジャ様がついてきている。
「まだ王家の手の者は来ていないようだな」
「あまり近づかれませんよう。こちらで隠れておきましょう」
小屋から少し離れた小さな農具置き場で、私たちは身を隠す。ジョージ様たちが住んでいるところよりもさらに狭い小屋なので、イライジャ様と否応なく密着してしまっている。
見上げるとすぐそこに王子の顔があって、私はなるべく下を向いていた。
「いつ来るだろうか」
「わかりません。もしかしたら、今日中には来ないかもしれませんし」
「それは困る。ジョージには時間がない」
「侍女長のダーシー様がうまくやってくれることを祈りましょう」
それにしても密着度が高い。一人ならば何時間でも待つつもりでいたけれど、イライジャ様と布越しとはいえ触れ合い、吐息を感じる距離にいるのは……変な動悸がしてしまう。
「どうした、クラリス。狭いところは苦手だったか?」
「いえ……はい、まぁ……」
王子と密着してしまうから苦手です! とは言えずに、私はイライジャ様の視線から逃げた。
「意外だな。そんなかわいい面があったとは」
「そんないいものではございません」
「安心しろ。俺がそばにいる」
イライジャ様はそう言ったかと思うと、私の体に手を回し始めた。
まったく、そういうのが困るのですが!
今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られながらも、なんとかその場で耐える。
「しかし、いつも完璧なクラリスの弱点を見つけられたようで、なんだか嬉しいな」
「はい? 私は完璧などではございませんが。ただのメイド上がりでございますし」
「ただのメイドが王位第一継承者の側仕えにまでならないだろう。クラリスが努力しているのを、俺は知っている」
イライジャ様にふわりと頭を撫でられる。
年下に頭を撫でられて、どうして私は心地良さなどを感じているというのか。
「……王子はなぜ、私をお世話係にしたのですか?」
私は城に十六歳の時から仕えていた。つまり、イライジャ様が十二歳の時から。
でもそのときに接点などなかったし、どうして私をいきなりお世話係に任命したのかがわからない。
「クラリスが、先輩メイドにダメ出しをしているのを見たんだ」
「……はい?」
「よく言い訳しては仕事をサボってばっかりの噂好きメイドだったから、俺としても困っていたんだ。クラリスが注意している姿は、見ていて爽快だった」
「はぁ……」
そう言われると、そんなことが確かにあった。私は当たり前のことしか言っていなかったけれど、その日からメイド仲間から浮いた存在になってしまったことを思い出す。
私は別に、どうでもよかったのだけれど。自分の仕事さえちゃんとできるならば。
「それからクラリスを見つけるたびに気にするようになってな。私語はしない、仕事は超がつくほど真面目で、頭の回転も早い。だからお世話係にはクラリスになってもらいたいと思った」
「……買い被りすぎでは」
「そんなことないさ。家庭教師が嫌いで追い出した時には『私が教えて差し上げますからお勉強なさいませ』とその日からそなたもあり得ぬほどの勉強を始めるし。護衛をつけずに城を抜け出していたら、剣を習って護衛役まで務めてくれるようになった。政務に携わり始めると、今度は秘書官として手腕を発揮してくれている。俺の身の回りの世話も、全部しながらだ」
「側仕えとして当然でございます」
「一人で何役もできる人間はそういない。助かっているよ」
もう、王子の『助かってる』の一言で、私の心は満たされてしまう。
そう……あの時のわがままも! 無茶振りも! あれもこれもすべて! 帳消しにしてあげましょう。
がんばってきて、本当によかった。イライジャ様に喜んでもらえたなら、それが一番嬉しいのだから。
やはり、私は王子に甘いようだけれども。それでいいのだと、今は思える。
「いつか、もう一役お願いすることになると思うが」
「もう一役? なんでございましょう」
「そのうちに、な」
うっかり顔を上げてしまうと、イライジャ様の優しく細められたエメラルド色の瞳をまともに見てしまった。
生娘のように真っ赤になってしまってはいないだろうかと心配になる。……私は実際に、生娘ではあるのだけれども。
少し恥ずかしくはあったが、私は今度は目を逸らさずにイライジャ様を見つめた。その筋張った男の人の手で、私の髪が梳かれていく。
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
もう一役とイライジャ様は言っていたけれど、それを叶えてあげられることはないだろう。
なぜなら三週間後、私はイライジャ様の前から消えなければならない。
ジョージ様がパレードに出ると同時にイライジャ様が戻れば、否が応でも双子だということを民衆に認識させられるだろう。
駆け落ちをしようと言い出したのはあくまで私。良くて城仕えをクビだろう。
陛下の逆鱗に触れているだろうから、場合によっては王子をそそのかした、あるいは拐かしたとして投獄させられる可能性もある。
だから三週間後、イライジャ様が王家に戻るのを確認したら、私は捕まる前にこの国を去るつもりだ。
ジョージ様を助けることができ、イライジャ様が悲しまずに済むならば、このくらい大したことはない。
イライジャ様と離れるのは寂しいけれど……それは、私の問題なのだから。
この三週間、最後に一緒にいられるだけで、私は幸せだ。
「どうした、クラリス」
「いえ、私は幸せ者だと思いまして」
そう伝えると、イライジャ様は少し驚いたように目を広げたあと、優しく微笑んで。
「俺もだ」
おでこのあたりに、チュッと音を立ててキスされた。
私は──ただただ平静を装うのが、精一杯だった。
隣にはなぜか、馬車で待っていてほしいとお願いしたはずのイライジャ様がついてきている。
「まだ王家の手の者は来ていないようだな」
「あまり近づかれませんよう。こちらで隠れておきましょう」
小屋から少し離れた小さな農具置き場で、私たちは身を隠す。ジョージ様たちが住んでいるところよりもさらに狭い小屋なので、イライジャ様と否応なく密着してしまっている。
見上げるとすぐそこに王子の顔があって、私はなるべく下を向いていた。
「いつ来るだろうか」
「わかりません。もしかしたら、今日中には来ないかもしれませんし」
「それは困る。ジョージには時間がない」
「侍女長のダーシー様がうまくやってくれることを祈りましょう」
それにしても密着度が高い。一人ならば何時間でも待つつもりでいたけれど、イライジャ様と布越しとはいえ触れ合い、吐息を感じる距離にいるのは……変な動悸がしてしまう。
「どうした、クラリス。狭いところは苦手だったか?」
「いえ……はい、まぁ……」
王子と密着してしまうから苦手です! とは言えずに、私はイライジャ様の視線から逃げた。
「意外だな。そんなかわいい面があったとは」
「そんないいものではございません」
「安心しろ。俺がそばにいる」
イライジャ様はそう言ったかと思うと、私の体に手を回し始めた。
まったく、そういうのが困るのですが!
今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られながらも、なんとかその場で耐える。
「しかし、いつも完璧なクラリスの弱点を見つけられたようで、なんだか嬉しいな」
「はい? 私は完璧などではございませんが。ただのメイド上がりでございますし」
「ただのメイドが王位第一継承者の側仕えにまでならないだろう。クラリスが努力しているのを、俺は知っている」
イライジャ様にふわりと頭を撫でられる。
年下に頭を撫でられて、どうして私は心地良さなどを感じているというのか。
「……王子はなぜ、私をお世話係にしたのですか?」
私は城に十六歳の時から仕えていた。つまり、イライジャ様が十二歳の時から。
でもそのときに接点などなかったし、どうして私をいきなりお世話係に任命したのかがわからない。
「クラリスが、先輩メイドにダメ出しをしているのを見たんだ」
「……はい?」
「よく言い訳しては仕事をサボってばっかりの噂好きメイドだったから、俺としても困っていたんだ。クラリスが注意している姿は、見ていて爽快だった」
「はぁ……」
そう言われると、そんなことが確かにあった。私は当たり前のことしか言っていなかったけれど、その日からメイド仲間から浮いた存在になってしまったことを思い出す。
私は別に、どうでもよかったのだけれど。自分の仕事さえちゃんとできるならば。
「それからクラリスを見つけるたびに気にするようになってな。私語はしない、仕事は超がつくほど真面目で、頭の回転も早い。だからお世話係にはクラリスになってもらいたいと思った」
「……買い被りすぎでは」
「そんなことないさ。家庭教師が嫌いで追い出した時には『私が教えて差し上げますからお勉強なさいませ』とその日からそなたもあり得ぬほどの勉強を始めるし。護衛をつけずに城を抜け出していたら、剣を習って護衛役まで務めてくれるようになった。政務に携わり始めると、今度は秘書官として手腕を発揮してくれている。俺の身の回りの世話も、全部しながらだ」
「側仕えとして当然でございます」
「一人で何役もできる人間はそういない。助かっているよ」
もう、王子の『助かってる』の一言で、私の心は満たされてしまう。
そう……あの時のわがままも! 無茶振りも! あれもこれもすべて! 帳消しにしてあげましょう。
がんばってきて、本当によかった。イライジャ様に喜んでもらえたなら、それが一番嬉しいのだから。
やはり、私は王子に甘いようだけれども。それでいいのだと、今は思える。
「いつか、もう一役お願いすることになると思うが」
「もう一役? なんでございましょう」
「そのうちに、な」
うっかり顔を上げてしまうと、イライジャ様の優しく細められたエメラルド色の瞳をまともに見てしまった。
生娘のように真っ赤になってしまってはいないだろうかと心配になる。……私は実際に、生娘ではあるのだけれども。
少し恥ずかしくはあったが、私は今度は目を逸らさずにイライジャ様を見つめた。その筋張った男の人の手で、私の髪が梳かれていく。
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
もう一役とイライジャ様は言っていたけれど、それを叶えてあげられることはないだろう。
なぜなら三週間後、私はイライジャ様の前から消えなければならない。
ジョージ様がパレードに出ると同時にイライジャ様が戻れば、否が応でも双子だということを民衆に認識させられるだろう。
駆け落ちをしようと言い出したのはあくまで私。良くて城仕えをクビだろう。
陛下の逆鱗に触れているだろうから、場合によっては王子をそそのかした、あるいは拐かしたとして投獄させられる可能性もある。
だから三週間後、イライジャ様が王家に戻るのを確認したら、私は捕まる前にこの国を去るつもりだ。
ジョージ様を助けることができ、イライジャ様が悲しまずに済むならば、このくらい大したことはない。
イライジャ様と離れるのは寂しいけれど……それは、私の問題なのだから。
この三週間、最後に一緒にいられるだけで、私は幸せだ。
「どうした、クラリス」
「いえ、私は幸せ者だと思いまして」
そう伝えると、イライジャ様は少し驚いたように目を広げたあと、優しく微笑んで。
「俺もだ」
おでこのあたりに、チュッと音を立ててキスされた。
私は──ただただ平静を装うのが、精一杯だった。
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