どうも、邪神です

満月丸

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冒険者編

最期の決断

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―――人々は、見た。


一度は晴れたはずの空が、今度は星どころか月も見えぬ漆黒に染め上がるのを。
そして今まで不動を貫いていた巨大な黒い樹木の一部が膨れ上がり、巨大な瘤のように肥大したそれは、徐々に花開くように四方へ割れながら、中に居た何かを外へと晒したのを。

それは、背から巨大で無数の触手を持っていた。
それは、巨大な大樹の如き8つの足を持っていた。
それは、牙の生え揃った丸い口腔と、奈落のような眼窩を晒していた。

触手の一つ一つに、嘲り笑う人の顔が貼り付けられ、肉腫の如き異様なそれは一対に集い、羽のように左右へと開かれる。

まるで、巨大な蛾のようなそれは、触手を羽ばたかせながら、天へ向けて咆哮をあげた。


「………なん、ですの、あれは…」

メルサディールの呟きに、答えられる者はいない。
ただ、眼前で羽化したあれこそが、この世界を終わりへ誘う何かなのだと、本能的に悟ったのだ。

不意に、蛾…虚公は咆哮を上げていた顔を、彼方へと向けた。
まるで嘲笑うかのような、表現し難い音を立て…、

カッ!と、口腔から熱線が放たれた。

それは彼方の山脈に当たり、一拍置いてから響き渡る大爆発。
先程まで鎮座していた山脈は、今ではもはや、燃え盛る死の山へと成り果てていた。

熱波を頬に照らしながら、あまりの威力に人々は呆然とそれを見つめた。

「なんだぁ、ありゃぁ…」
『あれが、虚無…化け物め!』

さしものネセレとフェスベスタですら、相手の規格外の巨大さの前に、思わず尻込みしている。無理もない。誰であろうと目の前で山をも超える異形を目の当たりにして、放心せずにはいられまい。
と、そこでハディが気づく。

「あ、あいつ…飛び立とうとしてないか?」
「…なんですって?」

ハディの言う通り、虚公は背の触手を2,3度ほど羽ばたかせてから、ふわり、と、その体躯を感じさせないかのように、緩やかに飛び立ったのだ。
それを見て直感的に危機を感じたメルサディールは、叫んだ。

「いけません!あれをこのまま野放しにしては、帝都や人々を襲い始めますわ!」
「ちっ、やるしかねぇか…おいフェス!その背ぇ貸せよ!」
『非常事態だ。仕方あるまい』
「全軍!構えなさい!あれを打ち取りますわよ!!」

皇帝の言葉に、戸惑いを残しながらも歴戦の戦士たちは、咆哮を上げて武器を手に空を舞う。
侯爵を始めとした魔法騎士達が、まるで地上から振り上がる炎の雨のように虚公を襲った。
幾発もの魔法が虚空を切り裂き、虚公の体躯へ命中する。

「我らも続けぇぇー!!」

そして、錬金術の恩恵を受けた騎兵部隊が、空を駆けながら虚公へと立ちむかう。
それはまさに、小さな蟻が巨象へ立ち向かうかのような、暴挙。

だがしかし。

触手に貼り付けられた顔から、笑い声が響いた。
それは嘲笑、悪意の笑み。
その不快な音と同時に、顔は黒い涙を流した…否、それは泥のようなもの。
真っ黒い胞子のような泥が雪のように降り始め、一つ羽ばたく度に嘲り笑う声を響かせながら、地上へと落ちていく。
そしてそれは、当然のごとく駆け上がってくる人間にも降りかかり…、

「なん…だ、これはっ…!?」

騎士の一人が、唐突に藻掻き苦しんで落馬した。落ちていくそれを皮切り、一人、また一人と、騎士たちは何かに首を絞められているかのような顔で落ちていく。
上がる悲鳴、潰れる何かの音。
メルはふらりと体を揺らしながら、息が苦しく急激に体力が減っている事に気づいて、杖に凭れ掛かりつつも現状を把握しようと歯を食いしばった。

「なにが…何が起こっていますの!?この、苦しさ、は…!」
「メル姉!?大丈夫か…!?
「ハディ、は、これを…感じません、の?」
「俺は何も…この、黒いの…まさか、これか?」
『それは虚無の因子だ!触れれば力を吸い取られるぞ!!』
「なんだって!?」

レビの言葉を肯定するように、下界に居る人間も皆が皆、バタバタと倒れていく。
天より降り注ぐ泥の雨。それを撒き散らす災害は、ゆっくりと天を漆黒に染め上げながらも、まるで入道雲のように動いていく。

一方の天空では。
気後れしていながらも、虚公へと辿り着いたネセレとフェスベスタが、同じく駆け上がってきた騎士たちと一緒に攻撃を放っていた。

「我らが槍は皇帝陛下のためにっ!」

「くたばりやがれぇっ!!」

騎士たちの重装突撃とネセレの無数の斬撃、そしてフェスベスタの火炎の息。
どんな相手でもただでは済まされないそれは、しかし次の瞬間、

キィンッ!と甲高い音と共に、騎士たちは一瞬でバラバラに千切れ飛び、ネセレの持っていたダガーナイフは一瞬で砕け散っていたのだ。

「なん…」

言い終わるより早く、ネセレはゾクリとした悪寒に身を引きつらせた。
嫌な音と咆哮に目を向ければ、背後のフェスベスタは触手に貫かれていた。
一瞬、頭が空白になった刹那、頭上から響く声。

「っ!!」

頭の上、その面前に、触手の顔達が嗤いながら、こちらを覗き込んでいた。

―――やばい

そう脳裏で呟いた直後、

顔達が放った、聞くに堪えない大絶叫が大空に響き渡る。

「がっ…!!?」

それは超音波の如く可聴領域を大きく超えた攻撃となり、至近距離にいたネセレに音の暴力をぶつけたのだ。
ネセレの両耳と口から血が吹き出て、一瞬で体がズタズタに裂け、落ちた。

「ネセレっ!?」

飛び立ったハディは、ネセレがやられた事に驚愕しながらも、落ちてくる彼女を受け止めた。

「ネセレ、ネセレ!?」
「ぐっ…ぅ、っせぇん、だよ…!」

悪態をつくも、鼓膜どころか脳まで揺さぶられ、血を流す姿は痛々しい。
先程の一撃はよほどのものだったのか、ネセレはか細い呼吸音を発している。

その合間、メルサディールはふらふらとよろめきながらも、杖を構えて詠唱を終えた。

「10レベルの風精……さあ…くらいなさいませっ!!」」

杖先からメルの二重魔法が炸裂し、2つの巨大な風の刃が、ハサミのごとく動きで虚公を襲う。
雲を裂いて翻る二本の刃は、交差して虚公の胴体へ深く食い込み、その動きを阻害させた。
その合間にも、息荒く次の魔法を唱えるメルだったが、

「…なんですって…!?」

しかし、一声の咆哮。
ただ咆哮を上げただけで、メルの刃は力を失い、微風となって散った。
そして切り裂かれた筈の虚公には、一切の傷がない。
レベル10の魔法であろうとも、傷一付けることが叶わなかったことに、さすがのメルも放心した。

「そんな、馬鹿なこと…ここまで、虚公との力量差が…」
「姫っ!?」

ふらりと倒れかかったメルを、彼方から駆けてきたラーツェルが抱える。見れば、メルは汗まみれで息荒く、皮膚にはびっしりと、泥に染まっていたのだ。
何故か他の者やラーツェルよりも、多くの泥が引き寄せられるかのように付着し、じわじわとメルを蝕んでいる。

「くっ!?」

なんとか泥をこそぎ落とそうとするも、それが取れることはない。メルの顔をゴシゴシと擦れば、メルは薄っすらと目を開いた。

「この、泥は、どうやらアタクシみたいな存在を、優先的に狙うようですわね…」
「なんと…!まさか、この泥の雨の一粒一粒が、あの怪物の…」

あまりにもレベルの違う相手だった。
一瞬でネセレとフェスベスタを無力化し、勇者であるメルですら手出しを許さない。

「…自分の力量不足が、恨めしいですわ…!」

忸怩たる様相で、メルは唇を噛みしめる。
癒やしやバフに特化したメルは、歴代の勇者のような強力な攻撃手段を持たない。精霊との契約で攻撃不足を補佐していたが、それも効かない以上、もはや打つ手がなかった。

悠々と帝都へ向かう虚公を仰ぎ、メルはふらつきながら向かおうとする。
それを支えながら、ラーツェルもまた剣を片手に、呟く。

「行くな、と言っても聞かぬでしょうな」
「…あら、よくおわかりね」
「貴方のことはよく存じておりますので、姫」
「…ラーツェル、この戦いに負けるとしても、一人でも多くの民を、救いますわよ」
「…御意」

絶対的な彼我の差であれど、決して諦めること無く、主従は支え合いながらも、泥に侵食され始めた大地を踏みしめ、進んでいく…。


・・・・・


「…なんという」

散々たる有様に、ケルトは呟いて首を振った。
泥の雨が天から降り注ぎ、それは病魔のごとく大地を黒く腐らせていった。同じく、人も、次々に黒い泥に覆われ、苦しみながらのたうち回っている。ケルトもまた泥に覆われながらも、なんとか弱点であるらしい光の魔法で切り抜けていた。

…虚公は、一切の注意を、こちらに払わなかった。
ネセレが切りつけようと、フェスベスタが火炎を吐こうと、メルが魔法を放とうと、一度もこちらを見なかった。
ただ、嗤っていた。
蟻がドラゴンに歯向かうのを見ているかのような、あるいは認識すらしていないかのような、どこまでも無関心。
虚公にとって、ケルトたちなどその程度の存在なのだ、と、全身でそう語っていたのだ。

そして、ケルトは今、虚公ではなく高い空を見上げていた。

「…くっ、この、目は…いったい、何を写しているんだ…!?」

ケルトの片目、赤い瞳は、別の光景を映し出している。
次々と兵士は死んでいき、その魂は虚公へと引き寄せられ…それを、あの触手が嘲笑いながら貪り食っていた。
そして虚公の胴より、天へ向かって赤黒い何かが立ち上り、そこから天を割って、何かをのぞかせていた。

それは、巨大な瞳だった。金の虹彩に、縦割れの瞳孔。

見るだけで怖気が振るうような、根源的な恐怖を抱かせるかのような、悪意の瞳。

ぬらりと光を帯びたそれは、睥睨するかのように、気味の悪い無機質さをむき出しにしながら、ただこちらを見つめていた。

…むろん、その光景は、もう片方の目には見えない。あるいは、皆にも見えていないのかも知れない。
ただ、ケルトは本能的に悟った。

―――あれが、虚無なのだ。

あの巨大な瞳こそが、世界を食い殺そうとしている虚無、その具現化した何かなのだ、と。
あんな、まるで世界を割り開いてこちらを睨めつけているかのようなそれに、ケルトは震えが止まらなかった。
世界にすら匹敵する、巨大で強大で最悪にして災厄、その実態こそが、アレなのだ。
そして虚公など、所詮はあれの操り人形に過ぎないのだという事実に、宇宙的な恐怖を魂の底にまで刻みつけられた。

(なんという…なんという存在…リーン、貴方は、私にこれを見せたかったのか!?)

あの本体こそが、神々が戦うべき存在そのものなのだ。
だがしかし、それを定命の者であるケルト達が、撃退できるだろうか?
答えは考えるまでもない。否だ。
人が、火山の噴火を止めることができないように、どう足掻いても抗うことの出来ない事象が存在する。
あれこそが、まさにそれ。滅びという概念そのもの。

この大地は、もはや終わるしか無いのだと、ケルトは放心の中で悟ってしまった。

「……う……」

ふと耳に入ったうめき声に、ケルトはゆるゆると顔を下ろした。
視線をやれば、そこには…、

「……父上!?」

地面に這いつくばり、泥にまみれている、実の父親の姿があったのだ。
ケルトは無意識に駆け寄り、侯爵を抱え上げた。

「父上!大丈夫ですか!?」
「う…だ、誰、だ…?」

泥の影響か、意識が混濁しているようだ。朦朧とする侯爵は、黒く変色した腕でケルトの服を掴んで、息も絶え絶えに言う。

「だ、誰かは知らぬが…わ、我が妻に、伝えてくれ…約束を守れず、すまない、と…」
「っ…!!」

約束。その言葉を聞いて、ケルトは即座に理解し、同時に怒りにも似た焦燥に支配され、気づけは叫んでいた。

「ふざけないでください!こんな、こんな場所で勝手に死んで、その遺言を私に届けさせようって言うんですか!?貴方はまだ生きていかねばならないはずです!!」
「…ふ、随分と…言うではないか…」
「ええ、言わせていただきます!貴方にはまだまだ言いたいことは山ほどある…!放り捨てた私に、貴方の伝言係をしろなんてふざけた事、二度と言わないでください!」
「………」

侯爵は皮肉げに笑いながら、地面に伏して力なく項垂れる。もはや声を出す気力もないのだろう。
そんな父親を前に膝を付き、ケルトは胸中に浮かんだ感情をすくい取りながら、顔を上げた。
…このままで終わらせて、良いはずがない。

「…ケルトッ!!」

頭上からの声に振り仰げば、そこには空から滑空するハディとネセレ。血まみれのネセレを見て、ケルトはハッとなって立ち上がった。

「ネセレ!!なんというひどい怪我を」
「アタイは、いい…フェス、を…」
「フェスベスタは…」

見れば、フェスベスタは既に虚公の触手から放り出され、地面に転がっていた。歯牙にもかけられていない。
向かいそうになるネセレを制して、ケルトは手早く魔法で癒やす。

「…なあケルト。あれ、どうにかできると思うか?」
「…………無理、でしょうね」

ケルトの言葉を、二人は静かな面持ちで聞く。

「メルさんの魔法ですら傷一つ無かった。…私達の武器や魔法は、メルさんよりも格下です。ならば、効くはずがない………効く道理が、ない」
「…ちっ、八方塞がり、かよ」

ぺっと血を吐き出すネセレ。容態は回復したが、未だにふらついている。
どうしようもないことだ、とケルトは思った。悪い癖だ、と思っていた諦め癖が首をもたげてしまい、首を振るが、打開策は浮かばない。
ただ、どうしようもない現実に、人間は首を下ろすことしか出来ないのだろうか…。

「じゃあさ、助けを求めてみようか」

出来ないはずだったのだが、ハディの一言に、二人は思わず顔を上げた。
ハディは、相変わらず笑みを浮かべて、自信満々に言う。

「俺たちじゃ無理なんだろ?それじゃあ、頼んでみようぜ。できる人らに」
「できる人、って…ハディ、それはまさか」
「そう。神さまに」

ぱちくり、と目を丸くする中、レビが呆れたようにため息を吐いた。

『あの老人の正体なぞ、ハディも薄々は気づいておったぞ。まあ、当人が隠したがるから空気を読んで言わなかっただけだが』
「へへー、俺って良い奴だろ?」
『はいはい』
「ちょ、ちょっと待ってくださいハディ!確かにカロン老…ルドラ神ならば可能かもしれませんが、彼は出てこれないのだと…」
「いいや、来るよ。爺さんなら」

確信を持った言葉に、ケルトは虚を衝かれる。
ハディは、頷きながらも続ける。

「ずっと一緒にいて、なんとなく分かってるから。爺さんはさ、きっと助けてくれるよ。あんなんでも、俺たちには優しかったんだから」
「それは…」
「それに、もう祈るしかやることないじゃん?だったら最後の悪あがきってことで、やってみようよ、みんなで」
「…けっ!最後の最後に神頼みかよ?チャンチャラおかしくってヘドがでらぁ」

しかし、もはやそれ以外に、成すべきことが無いのも事実。
三人は目を合わせて、誰ともなく目を伏せた。

…ただ、神へ救いを求めるために、祈りを捧げる。


※※※


「…潮時だな」

神界、三原神が集う冥府の間。
月の照らす円座の中央に置かれた水鏡には、これ以上もないくらい劣勢となった下界が映っている。
バタバタと倒れ伏す人間達、泥によって汚染されていく大地。空から何匹もの鳥達が落ち、動物たちも森と共に朽ち果てていく。
天へ広がった漆黒の泥は、吸血鬼の霧と同じ効果を持つのか、我らの力すら妨げる巨大な結界となっていた。

その状況を眺めながら、私は諦観のため息を吐く。

…わかっていたことだ。
虚公が現れた以上、あれらが勝てるはずがない。勝てる道理などない。
世界の言うままに英雄を育てたが、それとて力不足に違いはなく、ただ予想通りの結末に肩を落とすしか無いのだ。

「…もう、駄目そうだな」
「……うん」

ティニマとヴァーベルも、劣勢なのを察して黙している。そう、虚公が出てきてしまった以上、もうどうしようもない。
万が一の可能性、虚公を羽化させる前に封印させることが出来たのならば、多少の時間は稼げただろう。それがあいつらの唯一の勝機ではあったのだが………成功しても、どうせ数年程度の時間稼ぎにしかならなかったかもしれん。
どちらにせよ、もはやこうなるのは自明の理だったのだ。
だから、私は嫌な役回りをこなすことにする。

「それでは、ゲンニ大陸を潰すぞ」

私の宣言に、二人は元より、補佐神たちも硬い面持ちで見てくる。やめてくれよ、そんな縋るような目で見てくるの。今だって、私達へ救いを求める声が届いてくるんだ。その声を聞きながら切り捨てるの、精神的にくるんだから。
だから、切り捨てるようにはっきりと断言する。

「もはや、どうしようもない。万全を維持し続けるのならば、ここで消す以外に手立てがない」
「本当にそうなのかよ?もう、本当に…」
「先程から催促してくる他の神々にでも聞いたらどうかね?奴らはなんと言っている?」
「…」

ま、答えられないか。
合理主義のエレゲルは確実に「さっさとやれ」とか言っているはずだ。そういう情なんて存在しなさそうな男だしな。ミシュレイア?知るか。私は事が始まってからずっと下位の神々との交信をシャットアウトしているので興味もない。
ぐるりと周囲を見渡してから、私は水鏡へと手を掲げる。

「それでは、厳選していた人間たちの移動を開始する。それから…」

「待って」

と、そこでティニマがストップを掛けた。
予想外のそれに目を向ければ、ティニマは水鏡を見つめながらも、硬い声で言う。

「ねぇ、それで本当にいいの?ルドラは、それでいいの?」
「…何を言っている。あらかじめ、そう決めていたことだろ」
「でも、あたしは納得できない」

ティニマは顔を上げて、こちらを見た。彼女らしからぬそれに、少しだけ気後れしたのだが、こちらも負けじと睨み返す。

「納得できないのは皆が同じだ。誰だって好き好んでこんなことをやりたくはない。だが、お前も分かっているはずだ。これ以外に手段がないのだ」
「違うよ、全然違う。これ以外の手段はあるよ。それをわかってて切り捨ててるだけだよ」
「…まさか、ティニマ。お前…」

答えないティニマへ、私は思わずため息を吐いた。
正直、それを蒸し返されると、ちょっと腹が立つ。

「我らが顕現して奴をぶちのめせばいい、と?だが分かっているはずだ。そのデメリットを。世界が滅ぶかも知れぬその危険性を」
「うん。虚無の進化が恐ろしいってのは、わかってるつもり。でもね、あたしはこう思う」

―――危険ばかりを避けて通っても、いつか必ず虚無には捕まる。

…そう言われ、私は渋い顔になった。

「確かに、リスクは避けるべきだと思う。けどね、その全てを避けてても意味がないんだよ。あたし達が死んじゃうような事態は避けるべきだけど、でも、それで大陸を見捨ててたら、いつか必ず世界は枯渇する」

ゲンニ大陸を見捨てて、次に虚無が別の大陸に来れば、どうするのか?そこも見捨てるのか?では、新たな大陸を作り出すべきか?そのエネルギーは尋常ではないのに?そうして陣地を失っていけば、虚無は必ず同じ目的の、しかし違う手法で世界を穴だらけにしていく。そんなことはわかっている。わかっているとも。

何度も巡った問いが頭の中をぐるぐると回り、ついには口から吐いて噴出した。

「ではどうしろと!?そう取り決めたのは神界の総意だろうに!!今更、何を蒸し返しておるんだ!!」
「リスクを承知で動くべき時もあると、あたしは思う。それにこの状況で言わないと、みんな耳も貸さなかったでしょ?」
「それは…そうだろうけどよ。でもティニマはどうするって言うんだ?」
「あたしが出るよ」

その言葉に、私は元よりサレンも驚きの表情をした。

「ま、待ってくださいティニマ様!そんな、ティニマ様が向かうなんて、危険すぎます!」
「大丈夫、死にに行くつもりは無いし。でも、そうだね。万が一を考えて………我が権能を、使徒たるサレンへと譲渡せん」

その言葉と同時、サレンの体に黄金の輝きが纏わりついて、消えた。
ティニマ、お前…。

「あたしの、大地と海に関する原初の支配権を、サレンちゃんに与えたの。これでアタシが死んでも、大地が死んだりしないよ」
「えぇええぇぇ!?ティニマさまあぁぁ!?」
「いやいや!でもよ!?」
「いいの、もう決めたから」

こ、こやつ…そんなことを考えてたのか…!
っていうか、マジで自分の力の源を与えよったぞ。思っててもできることじゃないだろ、普通。
つまり、今のティニマは原初神ではない。圧倒的アドバンテージを放り捨てるなど、愚行もいいところだ。

「しかし、そこからどうする気だ?今のお前は世界エネルギーすら使えん存在だぞ?」
「そこはほら、魔法でなんとかするし。魔法なら相手に効くんだしね~」
「…で、お前。原初神補正が無いのに、ちゃんと魔法を扱えるのか?」
「え、ええっとぉ~ほら!勢いってものがありましてね~!」
「………………はぁぁぁ…」

思わずため息を吐いてしまったぞ…なんなんだ、ホントに。
なんか、自分が悩んでたのが馬鹿みたいじゃないか。人にあれだけ自重しろって言ってたくせに、自分はこれだ。まったく…。

…気が抜けたせいか、ふと、今まで無視していた下界の声に、耳を傾けてしまう。

視線を水盆へ向ければ、全ての生有る者たちの魂の叫びが、絶え間なく響いてくる。


・・・・・・


「はぁ、はあ…この程度で、倒れるかよっ…!!」

泥を得て強化されたのか、内門すら破壊し侵入してきている魔物の大群相手に、ゲッシュは声を張り上げて叫ぶ。

「俺の後ろにゃぁ数万もの人間がいるんだ…倒れるわけにはいかねぇ!!この大地は俺たち人のもんだ!!てめぇら魔物にくれてやるもんかよぉ!!」

圧倒的不利な情勢でも、ゲッシュは咆哮を上げて魔物へと駆けていく。死を恐れず、否、死以上に人々を失うことを恐れ、それを打ち払わんがために立ち向かっている。

「そうよぉ…こんな程度で負けてたら、アイツに顔向けできないじゃないの…!」
「…うむ!」

ライドとミライアは、背中合わせに左右から迫る魔物を爆殺し、斬り飛ばす。

「リーン…!アタシ達人間を舐めんじゃないわよ!」
「俺たちは弱くとも一人ではない…例え死しても、決してお前たちに負けはしないぞ!!」

先に逝った友のように、死を覚悟してでも突き進むべく、二人は支え合いながら次なる魔物へと立ち向かう。

「そうだ、負けてなるものか!!」
「我ら誉れある帝国軍はこの程度で屈しはしない!!」
「皆のもの!魔王の軍勢に恐れるな!!我らには勇者メルサディール様が居る!!」
「高らかに叫べ!!我ら栄光なる帝国騎士団!!脅威の前に臆してなるものかぁ!!」

兵士たちは血に塗れ、されど未だに諦めること無く戦い続けている。
或るものは馬を駆け、迫り来る魔物を一匹でも多く引き付け、
或るものは城壁内に入り込んだ魔物から、市民を守って致命傷を負い、
或るものは軍旗を振って血を吐かんばかりに鼓舞し、剣を振るう。

「だ、大丈夫…だって、ダーナちゃんも頑張ってるんだもの!だから、ボクは一人でも多くの怪我を治すよ!それがボクに出来る、最善のこと!」

シーナは一人、梁に潰された人間を持ち上げ、血で白い毛皮を汚しながらも、人々を救護して回っている。

「ま、魔物め…!負けてたまるか!そうだ、負けてたまるもんか!!」
「そうだ!ここは俺たちの国だ!奴らに好き勝手されてなるものかよ!!」
「てめぇら剣を持て!俺たち帝国市民がただの木偶の坊じゃないってことを、神々に見せつけてやろうぜ!!」

市民もまた動いた。
或る鍛冶屋は剣を持ち、或る商人はポーションを配って周り、或る主婦達は使い慣れた獲物フライパンを手に立ち向かった。

「くっ!な、なんていう攻勢…!こ、こんなの、帝都の方は大丈夫なんだろうね!?」
「大丈夫ですよ…!あそこには、ケルティオ兄上がいるんですから!兄上ならきっと、あそこで戦っているはずです…!」
「…ふっ!そうまで言われたら、ケルティオのライヴァルたるこの僕が逃げるわけにもいかないね!」

カーマスとコルティス達の前には、黒々とした魔物の大群が橋の元まで辿り着こうとしている。それを魔法の一斉掃射で抑えつつ、彼らは抗い続ける。

誰もが諦めていなかった。
誰もが明日が来ることを望み、戦っていた。
誰もが…誰もが、抗い続けていた。

なのに、私はもう、諦めている。
私だけが…、

…不意に、先程から聞こえてきた祈りの声の中で、聞き覚えのある声が響く。

「頼む、爺さん。助けてほしいんだ!」
「できれば皆を、我らをお救いください、ルドラ神よ…」
「グダグダしてねぇでとっとと助けに来いよクソジジイ!」

「…おじい様、どうか…どうか、我儘かもしれません。ですか、どうか……アタクシ達を、皆を、お救いくださいませ!…おじい様!」


―――刹那、鮮烈に駆け抜けた感情。それはいったい、どんな名だろうか。


その声を聞いている内に、自然に口が動いていた。

「…私が行く」

一瞬、自分でもポカンとしてしまった。
それは他の皆も同じだったので、思わず一拍遅れてから、笑ってしまった。
まったく…私は本当に、身内には甘いな。

「私が行くと言っとるんだ。ティニマ、お前は病み上がりなんだぞ?無理をするな。そもそも、どうやってあの遮蔽された下界に降りるつもりだったんだ?化身も降りれんぞ、あれでは」
「え?えっとぉ…………えへへへ~!」

おいこら、笑って誤魔化すな。これだからノータリンは…。

とはいえ、これで腹が決まった。今までは、三原神と神界全体で決めた事だし、あえてリスクを受ける必要なんて無かったし、賛同を得られるとも思ってなかったから、私もあえて無視していたが…。

子供らに助けを求められて、友が犠牲になろうとしているんだ。

ここで動かねば、神の名が廃る。

私は指でちょいっとやって、自分の全ての権能をヴァルスへ与えた。おったまげたヴァルスだが、どこか理解していたのか、あぁもうしょうがねぇ親父だなぁ~と言わんばかりにため息吐いて肩を落とした。すまんな、マイサン。

「…ティニマ、ヴァーベル」
「あ、ああ」  
「うん」
「もしも何かあれば、私ごと躊躇なく消し飛ばせ。これ以上の譲歩はできん。…いいな?」

私の念入りなそれに、二人は顔を見合わせてから頷いた。
それに頷き返してから、ヴァルスとエルシレアへ言う。

「悪いな、二人共。ちょっくら下界へ行ってくることになったから、後の諸々は頼んだぞ」
「はぁ…まあ、父上の事ですから、止めても無駄なのでしょうね」
「わかっております、主上。どうか、無事にお戻りくださいませ」

もはや何も言わずに送り出してくれるので、なんだかじんわりしてしまった。出来た息子夫婦やでぇ。…おっと涙が。
こっ恥ずかしいので、早々に背を向けて魔法を唱える。
時エネを用いた転移。目標は…下界の一角、ルドラ教会に封印した、カロン爺さんのボディだ。最後はゲンニ大陸への餞として置いておいたのだが、まさか役に立つとは思わなかった。

「ルドラ」

転移する間際。
ティニマとヴァーベルが、拳を振り上げて叫んだ。

「…ありがと!負けないでね!」
「絶対にぶっ飛ばして帰って来いよ!」

…脳筋とノータリンらしい声援だ。
だが、悪くはないな。

そう思いながら、私の本体は一瞬で下界へと落ちていき…。


―――そして、老人カロンは、目を開いた。



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