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しおりを挟む「う~ん…困ったわね…道に迷ってしまったみたい」
そう一人呟き、赤い瞳の少女は不安げな様子で、周囲をキョロキョロと見回した。この迷路のような路地に入ってからというもの、見慣れた通りへの道標がどこにもないのだ。安易に近道をしようとして迷い込み、失敗したことを少し後悔する。
困った困った、と慌てながらも、それとは違って内心は少しワクワクしながら、彼女は表通りへの道を探して歩き続けていた。生来、好奇心旺盛な性格なのだ。こういう状況でもわりと楽しめる程度に、彼女はタフだった。
日課になっている休日の冒険を終えて、屋敷へ帰る道すがらだったのだが、どうやら帰宅には遅れそうだった。実父のお叱りの言葉が予想できて、少しだけアンニュイになる。
「困ったなぁ、できれば日が暮れる前には家に帰りたいんだけれども」
そうは言うものの、長らく住んでいるはずのこの王都にも、彼女の知らぬの場所はたくさんあったようだ。
行けども行けども往来からは遠く、通りへ出ない現状に、さ~てどうしようかなぁと今頃になって心配になってきた時、
「こ、こんにちは、お嬢さん」
横合いから、声がかけられたのだ。
彼女が振り返れば、そこにはソバカスで気の弱そうな顔をした、ボサボサ髪の青年が一人、家の合間からこちらを見ていた。
この辺の人だろうか、と彼女は小首を傾げていれば、青年はおどおどと言った。
「お、お嬢さん、ひょっとして迷子かい?」
「あ、やっぱりわかっちゃいました?」
「そ、それだけ同じところをウロウロしてれば、ね」
何とも、進んでいると思いきや、同じ場所をうろうろしていただけのようだった。恥ずかしい場面を見られたと思った彼女は、「あはは」と誤魔化すように頬を掻いた。
そんな彼女へ、青年はにこやかな笑みを浮かべながら、手を差し伸べる。
「もしよかったら、お、俺が表まで送っていこうか?」
「え?いいんですか?」
「あ、ああ、すぐそこだし、ね」
彼女にとっては天の助けにも似た申し出だったので、一にも二にもなく青年について行くことにした。人の良さそうな青年は、少女を安心させるような笑みを浮かべつつ、横合いの道を進んでいく。
「き、君は、王都の子なのかい?」
「ええ、パン屋の娘だったんです。…あ、でも今はちょっと違うって言うか」
「ふうん、な、なんだか訳ありのようだね」
「あはは……」
現在の自分の置かれた環境について、少女は容易に他人へ話すわけにはいかないと、誤魔化すように笑った。それを見抜いているのか、青年はそれ以上は何も尋ねなかった。ただ、微かに笑うだけだ。
「え、えっと、お兄さんは仕事は何をしてるんですか」
「俺?俺はね、前は奴隷だったんだ」
「え」
「でもね、今は違うよ。今はちゃんと家があって、家族も居るんだ。とっても…幸せだよ」
しかし、その口調がどこか抑揚がない。どこか言わされているような感覚がした。
かなり重い話に戸惑う少女を尻目に、青年は思い出したように顔を上げた。
「そ、そういえば、君の名前を聞いていなかったね」
「あ、これは遅まきながら失礼しました。あたし、セーレって言います」
「セーレ、そっか、いい名前だね・・・」
青年はにこりと笑い、大きく前へ踏み出してから、くるりと振り返って、少女と相対した。
ふと、少女は周囲を見回した。
そこは路地裏、誰の姿も見えない、表ではない場所。
何の音も聞こえないそれに、彼女は何だか、世界からここだけ切り取られているかのような気になった。
「あ、あの…」
「うん、セーレ・・・と、とっても素敵な名前だよ。俺、君のことがすぐに好きになっちゃいそうだよ」
「えっとえっと、あ、あなたは…」
「俺かい?俺はね…ニコライ」
名乗った青年は、光のない瞳を眇めながら、おもむろに少女へと近づいた。
その一歩、肌を撫でる良くないものを感じた彼女は、咄嗟に後ろへ一歩下がった。
―――刹那、翻る一閃
少女の髪を何本か切り払ったその一撃は、運のいいことに彼女の頬を切り裂く程度に止めた。下がらなければ喉を裂かれていただろう。
一拍遅れてそれを察し、鋭い恐怖にぶわりと冷たい汗が溢れ出た。
「あ、な…?」
「あれ?意外と勘がいいんだね。今の一撃で終わらせるつもりだったんだけど」
にこやかに物騒なことを呟く彼は、その殺気を隠すこともなく、ダガーナイフを弄びながら彼女を見ていた。その無感情な眼差しに、先ほどまでの会話の温かみなど欠片も感じさせない風情の声に、少女は驚き戸惑いながらも、生を掴むため、本能のままに踵を返した。
「逃がさないよ」
背後で声が響く。
二・三歩駆けだしたところで、不意に足へ鋭い衝撃を感じて、少女は無様に転んだ。
熱い痛み、思わず見たそこには、ふくらはぎに突き立つ、釘のようなもの。
それは細長いナイフだ。投げナイフ。
「逃げちゃダメなんだよ・・・そう、ダメ、ダメ、ダメ・・・ふふふ」
無雑作にナイフを投げた青年は、一切の感情の揺らぎを見せず、まるで散歩するかのような足取りでこっちへやってくる。しかし少女にとって、それは死を運ぶ足音だ。
「あ、ど、どうして…」
「あぁ・・・やっぱり駄目だなぁ。そういう顔を見ちゃうから、殺したくなくなっちゃうんだ。だからいつも、最初の一撃で、終わらせてるのにね・・・」
悲鳴を上げようとする少女へ手を伸ばし、口を塞いだまま掴んで引き寄せる。
そして青年は貼り付けたような笑みを浮かべたまま、もう片方のナイフを、振り上げた。
「大丈夫、すぐに、終わるから」
それは宣告だった。
逃げようのない現実に、もう駄目だ!・・・そう思った彼女が、思わず目を伏せた時、
「セーレ!逃げたまえっ!」
そう叫びながら誰かがやってくる足音を聞き、彼女は目を見開いたのだ・・・。
※※※
「…っ!?」
不意に意識が覚醒すれば、ニコライは思わず周囲を見回した。
息荒く、全身が汗でびっしょりだった。
「ゆ…ゆ、夢…?」
既に住み慣れた自分の部屋、暗闇の中だったが、他人の気配を感じないことに安心感を抱いていれば、一体何に恐れを抱いていたのか、自分でももう思い出せなかった。
しかし、未だに残る気味の悪い感触に、思わず小首を捻ってから、呟く。
「うぅん…お、俺、疲れてるのかな…」
夢見の悪さは良いものではない。意外とそれが尾を引いて、実生活にまで影響が及ぶこともある。一度、精神をリセットさせるべきだろう。
なので、いい夢に上書きされることを祈りつつ、ニコライは二度寝をしてしまおうと再び毛布を被り、横を向いた。
のだが、なんだか手に硬い感触がして、思わずそれを手繰り寄せる。
そして、それと目が合った。
眼差しを中空に固定し、微動だにしない女の顔。
否、女の首だった。
「…う、う、う、わあぁぁぁっっ!?!?」
「うわびっくりした!ってニコ君っ!?」
思わず叫んで放り出し、ゴンッと落ちるそれを尻目に、ニコライは出口へ駆け寄った。
そしてガチャガチャ言わせながら扉を開ければ、入り口前に佇む、首のないメイド姿の女と対面した。
寝起きにホラーなそれとお出迎えてしまったニコライは、目を見開いたままふらっと頭が揺れ動いて、
「あ、ちょっとニコ君!気絶しないでください!ちょっと!」
そんな声も遠くなる中、そのままニコライはバターンとぶっ倒れて気絶してしまったのであった。
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