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雨漏そら

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せいぎのみかた

知らない感情

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「どうせ当てなんて無いんですし……聖女様が普段行かない所とか普段やらない事をしましょう」
「普段とは違う事……ですか?」
「そうです。旅行の醍醐味はそれですから。とはいえ、僕はここに初めて来たからなぁ……あぁそうだ。甘いものでも食べませんか?」
 光太はそう言って笑った。手を繋いだまま手近なカフェに入り今流行りのデザートを頼んだ。席に座る瞬間、自分の手を覆っていたぬくもりが離れていく。思わずそれが名残惜しくて目線で追ってしまった。その瞬間、不思議そうな顔をした光太と目が合った。
「!」
「?」
 名残惜しい、だなんて。一体何を考えているのだろうか。レティシアは自分の思考回路に無意識に青褪めていた。光太は気にした様子も無くメニュー表に目を落としていた。ふと、レティシアの視界に恐らくデートで来ているのであろう別の席の男女が入ってきた。そうか、付き合っている二人と言うのはこういったカフェに入るものなのか。そこまで考えて、自分が他の人間から見たらどう見えるのかとはたと思い付き思わず動きを止めていた。レティシアの考えを読んだのか。それとも同じ考えに行き着いたのか。光太が小さく笑い声を上げた。
「なんか……デートしてるみたいですね」
 屈託なく笑った青年に、レティシアは言葉を失っていた。人生で最も縁の無いであろう言葉だ。
 心臓の鼓動が早い。顔が熱い。いや、顔だけでは無く体も熱い気がする。なんだこれは。
 聖女とは、神の嫁に選ばれた者のことを言うのだと言う。故に、レティシアは身も心も全て神のものである。神と彼女の間には誰であろうと割り込む事は許されない。本来であれば16歳になった時点で神の元へと嫁ぐ為に花嫁衣装に身を包んだまま聖なる炎に生きたまま焼かれる予定だったのだ。それをもっと正義を全うしたいと言うレティシアの申立によりその『婚姻』を引き伸ばしてもらっている状態だ。レティシアは今、愛すべき神を待たせている。故に、彼に対する自分のこの反応はおかしい。だってこんなの。リノアに見繕って貰った恋愛小説にあった恋をする少女達と同じでは無いか。そんなのあり得ない。あり得てはならない。これは一時の気の迷いだ。光太も冗談で言ったのだろうし本気で受け取ってはならない言葉だ。
 それでも、一瞬でも嫌では無いと思ってしまった自分にレティシアは胸中で神への謝罪を述べていた。
 動揺して味なんか分からないままカフェのオススメのスイーツを二人で平らげ、店を後にする。光太は何の躊躇いも無くもう一度手を握ってきた。先程手を取って貰った時より鼓動が早い。完全に意識してしまっている。顔が熱い。知らず、繋がれた手に目を落としてしまう。前なんか見て歩かないので光太が歩くまま着いて行く形になってしまった。足を縺れさせない様にするので精一杯だ。何か聞かれている気がするが頭が回らなくて返事が出来ない。
 頭がぐるぐるしている。
 デート……デートに見えるのか? これが? デートとは、逢瀬とか逢引とかそういう意味合いの言葉では無かっただろうか。でもこれは至って健全な二人の散歩である。散歩? 二人で散歩って健全な男女がする事で合ってるだろうか。いやいや。散歩ってなんだ。そもそも彼が街を見て回りたいと言うから一緒に回っているだけだ。それ以上でも以下でも無い。この繋げられた手ははぐれない様にする為の処置であってそれ以上の理由なんかないのだ。そんな事分かっている。彼もそれ以上の事なんて考えても居ないだろう。
「あらぁ……聖女様ったら。随分いい男連れてるじゃない。デート? 可愛いわねぇ」
 レティシアの耳に届いたのはどこか聞き覚えのある女の声だった。数日前に聞いた気がする。慌てて目線を上げると見覚えのあるシスターが意味深な笑みを浮かべてレティシアを見つめていた。足を止めた光太は不思議そうにシスターを見つめている。
「びっくりしたわぁ。まさか聖女様が……男と仲良くお手々繋いで歩いてるなんて」
 くすくすと笑うシスター。レティシアは慌てて光太から手を放した。光太は特に気にした様子も無く怪訝そうにシスターを見ているだけだ。
「……貴方、この前の」
「覚えててくれたの? 嬉しい。光栄だわ、聖女様」
 レティシアは素早く周囲に目を向けた。幸い彼らの事等気にせず通行人達は歩いている。シスターは随分楽しそうな表情をしているがその手にはスーパーの買い物袋が握られていた。どう考えても食料品だろうが、手にした本人が既に忘れている気配すらある。どうやら目の前に現れたレティシアと言う存在に欲望の目がちらついて忘れている様だ。彼女はレティシアを見る際なんだか金を見ている様に興奮している気がするのだが気のせいだろうか。
「顔の良い坊や。悪い事は言わないからその子に惚れるのは止めなさい。その子、あたしのターゲットだから首をねーお金と換金して貰わないといけないのよ。代わりにあたしが可愛がってあげる♡」
「その件はお断りした筈です。ボクの首は誰にも渡す訳にはいかない」
「一回目はね~逃げ切られちゃったし……二回目は行ける気がしない?」
「しません」
 きっぱりと言い切るレティシア。シスターは唇を尖らせている。随分物騒な思考のシスターが居たものだ。レティシアは頭痛がすると言いたげに頭を抑えた。そもそも彼女は本当にシスターだろうか。
「ひっど~い。坊やもこんな堅物お嬢様なんか選ばなくても……? 坊や……なんか顔良いけど……中身、違くない?」
 機嫌が良かったシスターの目が何かを疑うように歪んだ。レティシアは思わず光太の手を取りシスターに背を向けて一目散に走り出した。こんな人通りの多い場所で剣を振り回すわけにはいかない。
「あらぁなに? 追いかけっこ? この前の続きってわ、け……」
 がさりと。シスターは自分が持っている買い物袋を思い出して視線を落とした。眉間に皺を寄せ、ため息を吐いて舌打ちを吐き捨てた。
「肉買ったから諦めてあげるけど次は無いからねー!」
 逃走する光太とレティシアの背中にシスターの怒りの声が投げつけられる。レティシアは振り返りもせず走り続けた。
 脇目も振らず走り続けていたが、光太が腕を引く事でようやくその足を止めた。肩で息をした光太がレティシアを見ている。レティシアは特に呼吸を乱すことはなかったがバツが悪そうに目を逸らしていた。
「す、すみません! ボクったら急に走り出してしまって……大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫です。急に走られたので驚いてしまって。さっきの人は追い掛けてきていないみたいですしもう大丈夫では無いでしょうか」
「そ、そうですね……あんな事も言ってましたし」
 先程シスターが背中に叩き付けてきた言葉を思い出し苦笑しながら頬を掻く。
 なんとなく、人間では無いのは分かっていたがいざ改めて他人から光太と言う青年が人間ではないと突き付けられるのが怖くて逃げてしまった。自分も人間なんてとっくに止めてるのに。それでも、聖女として扱われる様になってきてから恐らく久方ぶりであろう『人間扱い』が心地よくて手放したくなかったのだ。余りにも利己的な自分の考えに不快感が浮上してくる。突然顔を顰めたレティシアに光太は小首を傾げてレティシアの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「いえ……大丈夫です! 『私』、そこで飲み物を買ってくるのでどうかここで待っていて下さい!」
 知らず、一人称が素に戻ってしまっている事にも気付かなかった。
 レティシア達はどうやらリヨンの中央市場であるレ・アール・ド・リヨン・ポール・ボキューズまでやって来ていた様だ。レティシアはとりあえず光太を敷地と敷地の境界線の役割もこなすスロープ横の見切り石を積み上げて石ベンチの様な形になった部分に光太を座らせる。
 レ・アール・ド・リヨン・ポール・ボキューズとはリヨンにおける中央市場で「リヨンの腹」とも呼ばれる屋内バザールである。多くの店を擁する市場なら飲み物の一つ位は売っているだろう。簡単な市場のマップを確認してフルーツ店でフルーツジュースを二つとついでにフルーツを一口大にカットして食べやすくしてカップに入れておやつ代わりに食べられる物も二つ購入した。久しぶりの一人での買い物だ。変に思われていないだろうかと少々緊張しながらの買い物だった。人の多い市場を足早に駆け抜けて建物から外へ出た。胸に紙袋を抱えて駆け寄ろうとして思わず足を止めてしまった。
 東洋人にしては通った鼻筋が真っ直ぐに天を突いている。鬼灯の様に赤い瞳には青い空を過ぎゆく白い雲が映り込んでいる。距離が離れているというのに青年の瞳に映った雲まで見えたのは一重に驚異的なまでの視力を持つレティシアだから出来る芸当だ。東洋人は他の人種に比べて幾ばくか若く見えると言うが、この青年も例に漏れずレティシアが思っているより年重があるのではないかと思う。いや、記憶喪失との事だから実際の年齢は彼自信も分かっていないのであろうが。ぼう、と見上げる姿は何も考えていない木偶の坊の様だ。空を横切る雲を見上げる横顔は確かに精悍さを持つと言うのに僅かに覗く気弱さにやはり見た目と中身が伴っていないのではないかと言う奇妙な疑念を抱いてしまう。レティシアの目はそんな青年の横顔に釘付けになっていた。通った鼻筋も、薄い唇も、存外に子供っぽくて大きめの瞳も。初対面で見たあの気弱さも。恐らく内に秘められているのであろうその精悍さも。時々見せる憂いのある横顔も。時折見せる意地の悪い笑顔も。

 全部、自分のものになってしまえばいいのに。

 その考えに至りレティシアは思わず顔を青褪めさせていた。何を言っている? 今何を考えた?
 一人の人間が欲しいと、今確かにそう思ったのか?
 あり得ない、あり得ない。そんな事あり得ない。だって、そんな事。そんな事を認めてしまったら。
 レティシアは初めて恋をしている事を認める事になってしまうではないか。
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