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第5章 3人と1匹

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「グスンッ、グスンッ」
「……グスッ」
 栞菜と灯里は顔を隠し、涙を流して、鼻をすすり、地面にへたり込んでいた。普段の利口さや元気溌剌さからは想像もできないほど心の乱れようであった。
 お互いに言葉を交わさずに、もはや喋るのもやめ、地面に倒れピクリとも動かない“友人”を見下ろしていた。

『……オロオロ、オロオロ』
 ローズはその傍でオロオロと狼狽している。

「…………」
「…………」
 2人はそんなローズをまったく視野に入れていないかのように、無視している。どんよりと重い空気だ。

「――これが」
 栞菜が口を開く。その声は泣いているために濁声だった。
「これが、克樹のなのかしら……」

「……なにそれ……どういう意味……ッ」
 灯里が肩を震わせて言う。顔を地面に向け、その表情は伺い知れない。

 栞菜はその様子を見て、表情を変える。
「……ごめん……口を突いて出てしまっただけで、深い意味はないよ。軽率な発言だった……ごめん……」
 栞菜は口を手で抑えた。

「……ううん、わかってる……わかってるよ……ッ」
 灯里は顔を上げる。その表情は大粒の涙があふれていた。

 灯里は膝をついたまま、克樹を抱き寄せる。

 克樹はなんの反応もせず、されるがままに抱き寄せられる。
「…………」
 灯里は克樹の今にも消えてしまいそうな弱弱しい呼吸を感じ取る。

「――、か」

 つい反射的に噛みついてしまったが、栞菜の表現は言い得て妙だと灯里は思った。
 克樹の願いは過去に戻り、恩人に感謝を伝えること。

 それが巡り巡って、自身が恩人の立場となり、弟を助けたのだ。
 彼の願いは、が目的だったのに――結果は、になった。


 なぜだろう――?


 彼の願いと異なる願いになった――”のではない”としたら?

 ローズは”過去が変わってしまう”と言っていた。

 だとしたら?
 過去が変わったのなら、未来は?

 克樹はもうすぐ命を落とす。

 そんな未来を変える。


 それが――だった。


「――ッ」
 灯里が突如、電撃が走ったかのように、パッと顔を上げ、ローズを見る。

『な、なにッ?』
 ローズは灯里の突然の反応に面喰った様子だ。

「――願いッ!!」
「……?」『――え?』
 栞菜とローズは戸惑う。

「”私の願い”だよッ! まだ使ってないヤツッ! 克樹の――ッ! ッ!」
「――!?」
『――!?』
 栞菜とローズは灯里の考えを理解した。
 栞菜が急かすようにローズを見て、ローズはすぐにピタッと両手の指を合わせた。



☆☆☆



「――ここは、どこだ……?」

 俺は見知らぬ花畑に立っていた。色とりどりの花々に囲まれた俺は、IQ5000を駆使してすぐに状況を把握する。

 自分は制服を着用しており、身なりに変化はない。生えている花々も白、黄色、ピンク色などの色鮮やかだ。
 そして、周囲一帯にひと気はなく、動物や昆虫など生き物らしい生き物はいなかった。

 このことから、俺は”非現実的な世界”にいることがわかった。

 なにせ――空がピンク色なんだぜ?
 ピンク色の空とか、『ジョジョの奇妙な冒険』でしか見たことがない。

 俺はハッと息を呑む。
「もしや……俺はのでは……? これが今流行りの、俗に言う”異世界転生”――ッ!?」

 なるほど。

 ……しまったな。

 こうなるならもっと異世界転生モノに親しんでおくべきだったぜ。
 まずどうすればいいのだろうか。
 俺の身体に異変は“本当に”起きていないのかを確認するべきだろうか。

 俺は腕を上げ、目の前で両手を拡げて手の甲を見て、心の中で叫ぶ。


 ――”シアーハートアタック”ッッ!!


「――ん?」
 手の甲を見ていると、その指の隙間から“何か”を見た。

「――あれは……橋? 川か?」
 俺はスタスタと歩いて向かう。

 到着すると目を見張った。
「なんじゃこりゃ――!?」

 橋は確かに架かっていたが、よく見ると金銀七宝で作られた橋だったのだ。
 橋は川を横断するように架かっている。
 向こう側の岸は、こちら側と変わらない様子だ。特に行く意味もないようだが……。

「しかし……どうしようか。渡るべきか、渡らざるべきか」
 思案しながら川を観察する。

 川上は流れが穏やかだが、川下はどうも急な勢いで流れている。
 その流れの緩急は目で見て分かるほど、ハッキリしている。
 どういう原理なんだ……?
 何を言っているのか分からねぇと思うが、俺も何を言っているのか分からねぇ。



 ――……つき! ……いくな!



「……?」
 空耳か? 何か聞こえたような?

「……ん?」
 橋を挟んだ向こう岸に人影が立っていた。
 さっきまで誰もいなかったはずなのに……誰だ?

 逆光なのか、人影は真っ黒で顔どころか身体も見えない……輪郭が分かる程度だ。

「……んん?」
 目を凝らすがまだ見えない。

 近づいて見るしかないのか。

 他に当てもないため、仕方なく橋を渡り始める俺。



 ――……ごしゅじん! ……ってきて!



 幻聴を振り払い、橋を渡り続ける俺。

 不思議なことに橋を進んでも進んでも、その姿は一向に晴れない。

 段々と足早に駆けて行く俺。

 動悸が激しくなってくる。

 人影がもう少しで見えそうだ。

 あれは――。

 あれは――。



 は――ッ!



「……ぅッ!?」
 手を伸ばせば届く距離まで人影に近づいたところで、ふと俺は頬に違和感を覚え、立ち止まる。

「な、なんだ!? なんだ、これは!?」
 俺は頬を叩かれている感触を覚え、その正体を特定しようとするが、触れるのは自分の頬だけだ。

「ううぅッ!? なんだこれッ!? 気持ち悪いッ!」
 俺は――。
 俺は――。

 俺は――。


 気色悪さを我慢して顔を上げ、人影を見る。
 相変わらず逆光のように顔も見えないままだ。

 でも――手を伸ばせば届くまで近づいて見えた……気がした。

 その人は、大人の男性だ。筋肉質でもない、瘦せぎすでもない、長身でも短身でもない、街中ですれ違ってしまえば記憶に残らないような、平凡な人だ。

 でも――なんだか見覚えがあった。


 ――――。


「え? なんて言った? 何か言ったの? もう一度! もう一度だけ!」
 頬の違和感に抗いながら、“人影”に呼びかける。


 ――――。


 また何か言ったけど、何も聞こえない。
 でも1つだけ分かった。



 その人影は――笑っていた。




 ――克樹! 目を覚まして!



☆☆☆



「プハッーー!?」
 俺は跳ね起きた。何か突き飛ばした気がするが、気にしていられない。

 こ、今度は何が起こったんだ!? さっきの人影は!?

 慌てて周囲を見ると、“3人”いた。
 今度は顔も、身体も、しっかりと見える。

 正体は薄々分かっていたが確信した。
 俺は、“その人”に抱き着いた。

「“あの時”、助けてくれて、ありがとうございましたッッ!! 本当に感謝してます! 俺はずっとアナタの後を追って――!」

 やっと、感謝を言えた! やっと感謝を――!

 感謝……を?

 あれ?

 なんだか感触が柔らかいな? 筋肉かな?

 とくに――俺の身体を押し出すような、デカいクッションが2つ付いているようだ。 

 俺は”確認”の意味を込めて、”その人”の全身を両手でまさぐる。


「「――ど、どこ触っとんじゃあぁぁー--ッッッ!!!」」


 次の瞬間、俺は思い切り頬を殴られた。

「ぶべらぁッ!?」





「――俺に非があるのは認める。急に異性に抱き着かれたら驚くもんな。理解できる。分かるよ。でもよ……2人してグーパンするのはおかしくねぇか?」
 俺は両頬を赤くしてクレームを付ける。

 どうやら俺は“その人”と間違えて栞菜に抱き着いてしまったようで、生還の感動も冷めやまぬ内に、2人に殴られたのであった。

「うっさいッ! それで許されるだけ感謝しろッ!」
「そうだよぉ! このエッチぃ! スケベぇ! 臨死ドライブスルー変態テイクアウトぉ!」
「……理不尽な」

 俺たち4人は向かい合うように地べたに座っていた。

 状況を確認したところ、灯里の“願い”で俺は完治したようだ。
 怪我が治るだけでなく、衣服の汚れなどもなくなるサービスっぷりだ。

 俺たちはいまだ制服のままで、”過去に戻る前”にいた神社にいる。

「――逆転の発想というか、ナイスアイデアだったな。ありがとう」
「ね。本当に助かったわ。ありがとう。私からも感謝するわ」
 俺と栞菜にお礼を言われた灯里は照れ臭そうに髪を触る。

「ん。まぁ、偶然思いついただけだからねぇ、気にしないでぇ」
 灯里は普段の口調に戻っていた。
 なんだか日常に戻ってきた感あるな。

「ただ……願いを使わせちまって悪かったな」
「そうね……」
「そんな、本当に気にしないでよぉ。元々、灯里は叶えたい願い事なんてなかったしぃ」

「それでも、改めてお礼をさせてくれ。願い事を俺のために使わせちまった埋め合わせをするぜ」
「そんなこと……あ、ならぁ――灯里、行きたいところあるんだよねぇ」
 灯里はさっきまでの遠慮がちなリアクションと打って変わって、身を乗り出す。

「お、おう、そうか」
「そう、なの……うん……ふ、ふ、ふたりで…………いや、3人でッ!」
「――え」
 灯里は栞菜をチラリと見て言った。当の栞菜は不意打ちをされたようにビックリしていたが――栞菜は灯里の肩をポンポンッと叩く。

「やれやれ、いいよ、一緒に行こうか」
「…………」
「? まあ、今日の打ち上げみたいになるし、いいな」

 栞菜がジロリと俺を睨む。
「またこの男は能天気なことを……」

 え、なに? 何か悪いこと言ったか、俺?

『ううぅッ、本当に良かったです~! 皆さん無事で、本当に良かったです! 灯里さんの発想の勝利というか! ううぅッ、ありがとうございます~!』
 ローズが灯里にガブリと噛みつく。

「痛ったぁ~いッッ!?」
 灯里が運動部ならではの反射で飛び退く。

「あっ……出た。ローズの“甘噛み”」
「あー、アレね。“甘噛み”という名の“ガチ噛み”ね」
「あれ、普通に痛いんだよな~」
 ローズが灯里に平謝りしている姿を見て、俺と栞菜は微笑んだ。



「――さて、最後に”栞菜の願い事”を叶えて終わりかな?」

「うん。栞菜ちゃん、オチを任せたぁ」
「……う~ん、と言われてもな~」
 栞菜は考え込んでしまった。

 そんな様子の栞菜を見て、俺は邪な気持ちが出た。
「――なあ、当ててみようぜ」
「――いいねぇ」
 俺の提案にニヤリと笑う灯里。

 こういう時は本当に気が合うぜ。
「“動物に警戒されず、敵視されなくなる”、とかぁ? アニマルカフェとか、動物園の触れ合いコーナーで無双できるよぉ」
「生き物が好きなコイツの性格なら、ありえるな」
『いやあの……持続的な願いは無理です~』
「あぁ、そうだったねぇ。しょんぼりぃ」
「じゃあ……“美味しいものを腹いっぱい食べたい!” とかどうだ?」
『それなら余裕です』
「えぇ~ッ!? イイなぁ~!」
「俺もそれにするべきだったかなぁ。腹いっぱい食いてぇぜ!」
「あ……でも、太っちゃう……」
「はぁ? もしかして、ダイエットしなくちゃ、とか考えてんのか? お前は必要ないだろ」
「――えっ、それってぇ……」///
「どうせ筋肉になるんだからよ」


「…………」

 な、なんだ、急に。灯里の目が死んだような……?


「はぁ、私はね――別に願いを何にするか悩んでるわけじゃない」
 栞菜が口を開く。

「――2人は自分の願いを叶えたとはいえ、なんというか……私だけ個人的な欲望を叶える願い事は言いづらいわ」

「「?」」
 俺と灯里は顔を見合わせる。

『なんだか、気が引けているようですねぇ』
 ローズは見透かすように栞菜の心境を語る。

「そんな……こんな機会、二度と来ねぇんだから、好きに言っちまえよ。俺なんて過去に戻ったんだぜ?」
「そぉそぉ。気兼ねなく、ねぇ」
「…………」
 栞菜は俺と灯里のアドバイスを聞いているのか聞いていないのか、リアクションがない。

 栞菜は唐突に――。

「――ことはできるの?」

「え?」「は?」『……?』
 俺も灯里もローズもいまいちピンときていない。

「……どういうことぉ?」
「何言っているんだ、お前。頭、大丈夫か?」
「――アナタには言われたくない」
 栞菜にギロリと睨まれる。

『えぇと、そのココロは?』
 栞菜がところどころ切りながら話し出す。

「……例えば、私たちが過去に戻って、克樹くんが“弟”さんを助けたわけじゃん? その時に、どういうわけか、克樹くんが直接“弟”さんを助けて、事故に遭ったじゃん?」

 ふむふむ。

「もし、本来の過去と違う結果になったのだとしたら、わけじゃない?」

「「…………」」
 なるほど?

「その着眼点はなかった……」
「さすが栞菜ちゃん、視野が広いねぇ」
 俺たちの感想をとりあえず聞き流し、栞菜が切り出した。

にして欲しいの」

「……を?」
 栞菜が頷く。

「うん。そうすれば、事故車から事故の被害を無くせるし、弟さんの服の汚れとか軽傷を無くせるし。あの罪のない男性の損害を無くせるんじゃないかって……“あの事故”で、誰も悲しんでほしくないなって……」

 …………。

「あ、あれ? やっぱり私、おかしいこと言ってる?」
 栞菜は俺たちのノーリアクションに困惑する。

「いや――むしろ、お前の立派なに感心した」
「ええ、本当に。心の底から感服すると、案外何も言えないものなのねぇ」
 俺と灯里は手放しで栞菜と称賛した。

「……ッ。やめてよ、これは私が最後に叶える番になっただけで、順番が違えば違う内容の願いをしていたんだからッ」///
 栞菜は眼鏡を押さえて、露骨に動揺していた。顔が仄かに赤いのはご愛敬だな。

『……事故の痕跡を無くす――車の破損状態や道路の痕跡、人体に残る微々たる損傷。そうしたものをなかったことにするんだね?』

「――えッ、できるのッ!?」
 栞菜はメチャクチャ驚いていた。当の本人なのに。

「お前が一番驚くのかよ」
「え、ええ、まあ」
「…………」
 灯里は俺と違って何も言わず、傍観していた。

『じゃあ――』
 ローズはピタッと両手の指を合わせる。




『――はい、終わったよ』

「えッ、もう!?」
 栞菜は再度驚いた。

 コイツ……驚き癖が定着したか?
 でも、まあ。

「――過去に戻ったり、瀕死の重傷から復活したり、紆余曲折試行錯誤五里霧中絶体絶命な体験をしてきたが、最後は案外アッサリめ……ってのもなんだか味気ないけれど、後味は悪くないな」

「ねぇ。一件落着ぅ~?」
「「――首肯点頭!」」
 灯里の呼びかけに、俺と栞菜は声をそろえて応えた。

 摩訶不思議な体験も終わりが近い。

「さて――と、そろそろ帰路につく……か?」
 俺はローズを見てギョッとする。

『うえええぇぇんッッ!!』
 ローズは号泣していた。

『皆さん、本当にご立派な願いをして……感激しましたッ! ううぅ、ローズはもう感極まって――ッ』
「危なッ!?」

 ――ガチッ。

 歯がかみ合う音がした。
 ローズが栞菜に噛みつこうとして、栞菜が寸でのところで躱したのだ。

「「……あ」」
 俺と灯里の声がハモる。

「危ないなぁ、もうッ! いいよッ、私には“甘噛み”しなくてッ!」
『え……でも~ッ』
「いや、本当にいいから――って」

 栞菜の両脇を俺と灯里が捕まえる。

「……ちょっと、何の真似?」

「べっつに~♪ ただ、お前だけ“それ”を味合わないのはどうかと思っただけさ~♪」
「そぉそぉ。せっかくだしぃ、1人だけ仲間外れってのも気分悪いじゃぁん? だからぁ――」
 俺と灯里が口をそろえる。


「「気前よく、“甘噛み”しちゃえッ!」」
 ローズが満面の笑みを浮かべる。

『はいッ!』
「なにその今までで一番いい返事ッ!?」

 栞菜が振りほどこうとするが、男子生徒と運動部に捕まえられたインドア派に、抗う術はなかった。


「ちょ、ちょっと待ってッ! 本当に待ってッ! 本当に要らないからッ! 遠慮とかじゃなくて、本当に――――ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ッ!!!???」


 深夜の神社の境内から、暗闇を貫くような絶叫が響いた。
 こうして――俺たちの、誰にも言えない夏の日が、終わりを告げた。

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