R ―再現計画―

夢野 深夜

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第1章 楽園は希望を駆逐する

第5話 砕けぬ絆に乾杯(6~7日目) その2 ※ネタバレ注意

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 20時。
 織田流水が[カジノ]に戻ると、一角の[舞台]に人だかりができていた。

「アナタ、1時間も何していたの?」と、戻ってきた織田流水に深木絵梨が尋ねる。
「あ、あ~……ちょ、ちょっとね~」と、織田流水は目を泳がせながら誤魔化す。

 [舞台]を前に、風間太郎、美ヶ島秋比呂、狗神新月、峰隅進、白縫音羽、臼潮薫子、南北雪花、花盛清華、空狐の9名がいた。葉高山蝶夏、矢那蔵連蔵がいない。矢那蔵連蔵は葉高山蝶夏を連れて外の空気を吸わせに行ったようだ。

「いったい何の騒ぎなの?」
 織田流水は少し離れたところで眺めていた狗神新月と南北雪花に聞く。

「織田、ようやく戻って来たか。今から余興で一発芸大会をするところだぞ」と、水を飲む素面の狗神新月。
「順番決め中だよー。エントリーは締め切られたけど、飛び入り参加もOKだってー。織田流水の腹踊りが見たいなー」と、ソーダを飲む棒読みの南北雪花。

って……腹踊りなんて、したことないけどッ!? ……ハッ!? もしかして『予知』の話じゃないよねッ!? 絶対やらないからねッ!?」と、織田流水が焦って猛烈に拒絶する。
 そんな彼をおいて、一発芸の順番が決まったようだ。



「――僭越ながら、この風間太郎ッ! 先陣を切らせていただきますッ!」と、腰に手を当てて叫ぶ風間太郎。
「面白くなかったら承知しねぇぞッ!」「えー、見苦しい腹踊りなんて見たくなーい」
 美ヶ島秋比呂と峰隅進が野次を入れる。

「<忍者>がそんなことするかよッ!? とくと見よッ!」
 風間太郎がヴッヴンと喉を鳴らし、口元を隠して発声する。



「「「な!?」」」
 

「おいおいっ、相変わらずどうやって出してんだよッ!? お前はインコかぁッ!?」と、拍手喝采の花盛清華。
「今のって、声帯模写!? なんか前より上手くない!?」と、歓声を上げる臼潮薫子。
「す、すごいッ!? 本当にソックリだよッ!?」と、目を丸くする”当事者”の織田流水。

「はっはっはッ! 当の本人からお墨付きを貰ったぜッ! オレは常に進化しているのだッ! 崇め奉れッ!」
 3人に褒められ、上機嫌になる風間太郎。

「変装した上でやられたら、見分けがつかないかもな」「私はすぐに分かるけどねー」
「そこ、やかましいぞ!」
 狗神新月と南北雪花のコソコソ話に耳聡く反応する風間太郎。



「――二番手、美ヶ島秋比呂! オレは手品を披露するぜッ!」と、ジョッキ(中身は麦茶)を飲み干してテーブルにドンッと置く美ヶ島秋比呂。

「ヒューヒュー!」「待ってたぜーッ」
 口笛を吹く風間太郎と、歓声を上げる花盛清華。

「とはいえ、大掛かりなものはできねぇしな……よし、それじゃぁ――」
 美ヶ島秋比呂は空狐に近づく。

「花札を何でもいい、一枚貸してくれるか」
「えーッ!? いいよ」
 空狐が手持ちのリュックサックから花札を一枚取り出し彼に渡す。

「てめぇら全員よく見てな…………たしかにここにある花札、タネも仕掛けもございません――だが!」
 美ヶ島秋比呂は1枚の花札を指でパチンと弾き、”その場で消してみせた”。

「「「おっ!?」」」
「――実は消える不思議な花札なんだぜ……!」

「おおおぉッッ!」
 得意げな美ヶ島秋比呂に、とばかりにが飛ぶ。
 酔っぱらいが多い仲間たちを前に、手品という”視覚的な芸”は分かりやすくてウケがいい。
 片手間で行った手品にしては、満点の回答だろう。

 方方から天晴れの声が飛ぶ。
「すげぇ手品だッ!」と、絶賛する花盛清華。
「序の口だぜ」と、返す美ヶ島秋比呂。

「インチキだわ!」と、と茶化す白縫音羽。
「手品だ!」と、言い返す美ヶ島秋比呂。

「カッコイイ~~ッ!!」と、黄色い歓声を送る臼潮薫子。
「初歩の初歩だぜッ」と、自慢げな美ヶ島秋比呂。

「チートだー!」と、野次を飛ばす南北雪花。
「手品だっての!」と、律義に返す美ヶ島秋比呂。
 素直な感想とふざけた感想が飛び交う中、美ヶ島秋比呂はちゃんと返事をする。


「――ウ、ウチの花札が、ウチの花札がぁ~~ッッ!! ”お気に”のなのに~~ッッ!!」
 空狐が突然ワッとウソ泣きを始める。
「落ち着けって、ほら返すよ」
 美ヶ島秋比呂はもう一度指を鳴らすと先ほど消した花札が現れて、それを空狐に渡す。
「…………」
 空狐はウソ泣きを止めて花札を見つめる。
「貸してくれてありがとよ」
 照れたように言う美ヶ島秋比呂。それを気にせず花札をマジマジと眺め続ける空狐。

「…………いや、もっとキレイだったような……ちょっと汚した?」

「いちゃもん付けんなよッ!? 借りたときと一切変わってねぇわッ!?」
「――あっ、ここにあった大谷翔平選手の直筆サインが消えてるッ!?」
「ありえねぇだろッ!? 野球選手がなんで花札にサインするんだよッ!? しかもなんか説明口調だしッ!? もっとマシな嘘をつけやッ!?」
 律義にツッコミを返す美ヶ島秋比呂に空狐は楽しそうにふざけ続けるのであった。

 閑話休題。

 その後も三番手、四番手と一発芸が披露され、一発芸大会は幕を閉じた。
 優勝かどうかの話が出たが、なし崩し的に消滅した。
 場が盛り上がり、楽しい雰囲気の勢いが増せば、それでいいのだ。


 宴もたけなわだが、『玉兎会』が始まって早3時間――皆思うように動き始めた。


 21時。

「あ? 風間はどこに行ったんだ?」と、ジョッキ(中身は麦茶)を飲む美ヶ島秋比呂。
「外の空気を吸いに、白縫と一緒に[医務室]に向かったぜッ。看護役の交代と、デザートを配膳する係としてなッ」と、花盛清華。
「ハァ? チッ、俺も誘えよ、あのエセ忍者め……小便行ってくるぜ」
「あ、オレ様もちょっと……」
「ハァ? 男女で連れションは非常識だろ」
「当然だろうがッ!? 一服だよ、一服ッ!?」
 美ヶ島秋比呂は手洗いに、花盛清華は喫煙所に向かう。


 別の場所では、[カジノ]に戻っては横になり、立ち上がっては外に出ていた葉高山蝶夏がとうとう音を上げた。
「……はぁ、限界だ……もうここにはいられない……悪いが、部屋に戻らせてもらう……」
「なにその見事な死亡フラグ。一級建築士かな?」
 彼に付き添っていた矢那蔵連蔵が軽口をたたく。
「…………いまつらい」
「はいはいごめんねぇ、ツッコミの余裕ないよねぇ。あとで薬とお水を持っていくから、ゆっくり休んでようね」
 葉高山蝶夏と矢那蔵連蔵が退室する。


「――あっ、進ちゃん、危ないッ!」
「あ、ごめんね~。ちょっとフラついちゃった~……酔っ払いたちの酒臭さに、アタシもほろ酔い気分だわ」
「またそんな……余計な一言を言わなくていいのっ。そこは、素直に”ありがとう”でしょ?」
「あっ、うん…………ありがと」
 足がもつれた峰隅進を、見事にキャッチした臼潮薫子が、彼女の捨て台詞を叱る。峰隅進は臼潮薫子の真っ直ぐな言葉に顔を赤らめてお礼を言った。


「――南北はどこに行った? 少し目を離したらすぐに姿を消すな……」と、周囲をキョロキョロ見回す狗神新月。
「部屋に引きこもりに行ったんじゃないかぁ? もう長いこと部屋に入っていないし、限界が来たんだろぉ」と、ハイボールを呑む空狐。
「……胸騒ぎがする。少し探してくる」と、グラスを置き席から立ち上がる狗神新月。
「『予知』ができる<超能力者>に過保護なことだ……自分の身くらい守れるだろうに……」と、狗神新月を止めずに見送る空狐。


 また別の場所で、携帯端末を見る深木絵梨。
「あら、中川からメッセージが……彼女、[個室]で休むみたいね。料理でお腹が膨れたし、お酒が呑めないなら、個室で一休みするって。気持ちは分かるけど……相変わらずマイペースなんだから」と、ヤレヤレと溜め息を吐く深木絵梨。
「……んー、僕ももう、いいかな……」と、グラスを置き頭を押さえる織田流水。
「無理しないようにね。病み上がりなのだし」
「うん、大丈夫……あーやっぱり、ちょっと横になってくるよ……」
「肩を貸すわ」
 頭を押さえる織田流水は[カジノ]の一角である[リラックスルーム]で深木絵梨に介抱される。
 禁酒しているとはいえ、お酒の匂いが立ち込める中、長時間の飲み食いにどんちゃん騒ぎと、無理がたたったようだ。



 22時。
 看護の交代時間を迎え、深木絵梨が[カジノ]から退室し、白縫音羽が[カジノ]に戻ってくる。

 いまだ降りしきる雨音は聞こえずとも、窓ガラスに付着する水滴が外の様子を物語る。
 夜が深くなるにつれてBGMもいつの間にか、賑やかなロックから穏やかなジャズに変わっていた。

「――あら? なんだか人数が寂しくなったわね。加奈子の不在は聞いているけど、蝶夏と連蔵、新月、雪花と……清華もいないじゃない」と、セリフとは裏腹に楽しげな白縫音羽。
「葉高山は酔いつぶれて帰ったぜ? 主催者がいないから流れ解散だ。矢那蔵と花盛はもう帰った」と、焼酎を呑む空狐。

「そうなのね――――っとぉ、危ないわよ。もう少しでぶつかるところだったわ」
 白縫音羽は峰隅進とぶつかりかけたが、華麗に避けて彼女をガッチリと抱きとめる。
「あっ!? ……そ、そうだね、ごめん…………」
 峰隅進は珍しく素直に謝罪し、バツの悪い顔をする。

 ――だが、すぐに表情が変わる。

「――って、ちょっとぉ!? どこ触ってんのさッ!?」
 
「どこって……オッパイだけど? あらあら、少し大きくなったんじゃない? 成長期が終わってなくてよかったわねぇ」
「ちょっと、離してよッ!? この変態ッ! 痴女博士ッ! クレイジー猥褻パイオニアッ!」
「お、落ち着いて、進ちゃん!? 罵倒が意味不明だよッ!?」
 白縫音羽に抱かれたまま、苦情を言い暴れる峰隅進。そんな2人に臼潮薫子が慌てて間を取り持った。

 参加者が減っても賑やかさは変わらない。

 白縫音羽、空狐、峰隅進、臼潮薫子の姦しい声が響く中、織田流水は1人、横になり眠っている。

 その彼の近くには風間太郎と美ヶ島秋比呂が、前半と打って変わって落ち着いた呑み方をしている。深木絵梨が退室するにあたって、彼らが自発的に織田流水の傍に控えているのだ。



 23時。

 『玉兎会』は滞りなく終了した。空狐が言った通り、流れ解散で。

 残っていた面々のうち、峰隅進、臼潮薫子、美ヶ島秋比呂、風間太郎はC棟のそれぞれの個室に戻った。
 1人で“むい”の足止めをしていた時時雨香澄にも、携帯端末で『玉兎会』のお開きをメールで伝える。返事は来なかった。
 同様に大浜新右衛門の看護も終了した。深木絵梨と交代して最後の当番となった中川加奈子は、24時まで看護することになった。

 深木絵梨は[カジノ]に戻り、[カジノ]には白縫音羽と空狐と合流した深木絵梨の3名と、横になっている織田流水のみとなった。

 白縫音羽と空狐と深木絵梨の3名は名残惜しむように話す。

「――結果的にいい気晴らしになったんじゃないかしら?」と、白縫音羽。
「まぁなぁ。やっぱり適度なガス抜きは必要だぜ」と、空狐。
「もう1週間もテロ集団に軟禁されている状態だしね」と、深木絵梨。

「ね。思い詰めた誰かが、誰かを襲うかもしれないものね」と白縫音羽。
「なー。いい提案をしてくれたぜ。”アイツら”もたまにはいい仕事をする」と、空狐。
「ねぇ、そんなことより呑みましょうよ。もう我慢の限界だわ」と、深木絵梨。

 織田流水を視界の隅におき、[カウンター]に横並びで3人は座る。

「さて、おつまみはどうしましょうか」と、白縫音羽。
「余り物で済ませようぜ、足りなくなったらウチが作るからよ」と、空狐。
「素晴らしいわ。それじゃあ、遅めの乾杯といきましょう」と、深木絵梨。
 3人は各々好みのお酒を注いだグラスを持つ。

「ここからはアダルトな飲み会ね♪」と、白縫音羽。
「お前はいちいち発言が卑猥だなぁ」と、空狐。
「まあ、今日だけはいいんじゃない」と、深木絵梨。

 空狐がリモコンでBGMをより静かで落ち着くピアノ曲に変更した。
 3人は――キンッ――とグラスを合わせ、晩酌を始めた。



 24時。

「――ん、んー……んー?」
 織田流水は目を覚まし、身体を起こす。

 周囲の景色から自分がまだ[カジノ]にいることも、既に『玉兎会』は終わりを迎えていることも認識した。
 [カウンター]の洗い場に盛られた皿やグラスの量の多さから、いかに盛り上がったかが伺える。洗い物は明日に回したようだ。

「あら、王子様がお目覚めよ」と、白縫音羽。
「おぃーっす、よく眠れたか?」と、空狐。
「お水、用意するわ」と、深木絵梨。

 織田流水は、自分を含めて4人しかこの場にいないことを視認した。
 深木絵梨から水の入ったコップを受け取り、喉を潤す。

「――ん。んー、ありがとう、深木さん。これはもう解散した感じ、だよね? 三人は……?」
「ええ。私たちは役目を終えて、一杯引っ掛けていたわ」と、深木絵梨が笑顔でウイスキーをロックで呑んでいた。

「あ、ごめんね。すっかり眠りこけちゃって」
「武装テロ集団による軟禁状態という緊張感とストレスが一週間続いたんだ。怪我も相まって疲れが出たんだろう。気にするな」と、空狐が赤ワインを優雅に呑む。
 空狐はずっとお酒を呑んでおり、すっかり酔っぱらっているはずなのに、彼女の回答には淀みがない。

「冷静に考えると、そんな状況で宴会を開くなんて……酔狂の度を越えているわね」
 白縫音羽がジンのカクテルを呑み、笑う。

「宴会じゃなくて、決起集会よ。ただの宴会だと、葉高山くんに怒られるわ」
 深木絵梨が訂正する。

「あはは……けど、久しぶりに身も心も開放された気がするよ。これからどんな困難が待ち受けていても、きっと皆なら一致団結できるよ!」
 織田流水が明るく言った。

 目の前の3人は顔を見合わせて――、
「チョロいなぁ」「チョロいわね」「チョロくて心配だわ」
 ――織田流水をからかった。

「ちょっと!?」
 織田流水のツッコミに3人は笑った。



 25時。
 あのあと、織田流水も水で晩酌に付き合った。

 お酒の入った3人娘はいつもより舌がよく回り、時間はあっという間に過ぎ去った。もともと白縫音羽と空狐は饒舌な性格だが、それに輪をかけていた。

 深夜1時を過ぎたころにさすがに退室を申し出た織田流水は、1人、C棟の自室に戻る。
 その道中で思わぬ人物と遭遇した。

 場所は――C棟1階の廊下。

「――あれ? 狗神さん? こんなところでどうしたの?」
 ”まだ”いつもの軍服で廊下でうろつく狗神新月に、織田流水は声を掛けた。

「……ああ、織田か。お前こそこんな時間に何をしているんだ」
 狗神新月は落ち着きのない様子で織田流水に質問する。

「僕は今まで[カジノ]にいたんだよ。0時まで寝ててさ。起きてからは音羽ちゃんたちとお喋りしていたんだ」
「そうか」
 狗神新月はそう言って口を閉ざす。質問しておきながら、心ここにあらずといった様子だ。

「狗神さんは?」
「私か? ――う、む……」
「……何か用事があるなら手伝うよ?」
 妙に歯切れの悪い彼女に、織田流水は善意で申し出る。

「…………そr――」
「――追~いつ~いた♪」
 テンションの高い声が、織田流水の背中を叩く。

「――えっ、音羽ちゃん!?」
 織田流水は振り返り、その正体――白縫音羽に驚く。

「二人はよかったの?」
「ええ、私は十分。二人はまだ呑んでるわ」
 白縫音羽の足取りはハッキリしている。酔い覚ましの必要はないようだ。
「アナタにすぐに追いつこうと思っていたけれど、足が重くってね~。ちょっと呑みすぎちゃったかしら」
 白縫音羽は自分の桃色に染まった頬に手を当てる。
「そ、そうだね」
 織田流水はその色っぽい振る舞いにドギマギする。

「…………」
 狗神新月が警戒心露わで無言のまま白縫音羽を見ている。
「あら? 新月じゃない、こんなところでどうしたの?」
「…………いや、私は――」
「あ、話をする前に言いにくいけれど、お花摘みに行ってくるわね」
 白縫音羽はそう言うと、2人から何かを言われる前にスタスタとトイレに行ってしまった。

「足重いって言う割に、早いね……」
 織田流水は苦笑する。

「――夜の鍛錬をしていたんだ」
「え?」
 狗神新月が出し抜けにそう言った。

「夜の鍛錬をしていた」
 不意の発言のため聞き漏らした織田流水のために、もう一度言う狗神新月。

「そ、そうなんだ。お酒を呑んだあとにこんな時間まで運動するなんて……ストイックだね」
「私はお酒を呑んでいないぞ」
「あ、そうなの」
「ああ、それじゃな」
「え、ちょ、ちょっと!?」
 狗神新月が足早に去ろうとしたのを、織田流水は慌てて腕を掴んで引き留める。
 軍服の上からでも分かる筋肉質な腕に内心驚きつつ、女性らしいどことなく柔らかい感触に内心胸を高鳴らせる織田流水。

「……どうした?」
「え、いやいや、音羽ちゃんを待たなくていいの!? さすがに、そんな長時間じゃないだろうし、待っていようよ!」
「何を言って……チッ、そういうことか」
 狗神新月は遅ればせながら白縫音羽の奇行の“意図”に気づく。

 自分の口が重く、今すぐにでも立ち去りたいといった空気を感じ取って、わざと席を外したのだ。
 もしその状態で去ろうとすれば、織田流水が狗神新月を引き留めることを予測して。

「――喰えない女だ」
「え?」
「いや、なんでもない」

 ――ガラッ。
 突如、[医務室]のドアが開く。

「こんな時間になんで廊下で立ち話しているの?」
 ――中川加奈子が現れた。

「な!?」「え!?」
「ふぁぁ~あ」
 中川加奈子は両腕を上げ、伸びをしながら2人に近づく。

「な、なんで中川さんが[医務室]から!? 24時で役目は終わったんじゃないの!? も、もしかして、集中治療的な何かをしていたの……!?」と、織田流水が最悪の想像をする。
「貴様、残業なんてするタマだったか……?」と、狗神新月も同様の想像をしているようだ。
 一度に2人から質問を受けて、中川加奈子は両手を振って答える。

「あ~、違う違う。二人が思っているようなことは起きていないよ、平和。それはそうと、君たちはこんなところで何を……いや、それよりかは二人に聞きたいことが――」
「ねぇ! みんな!」
 ――中川加奈子のセリフを遮って、遠方から3人に声が掛かる。
 廊下の角にあたり姿は見えないが、その声には聞き覚えがある。

「え、この声って……音羽ちゃん? なんか、呼んでない?」と、耳に手を当てる織田流水。
「……ふぅ、行くしかない、か」と、諦めたような表情を浮かべる狗神新月。
「白縫までいるの? それならなんで……あ、いや……いったい何がどうなってるの?」と、珍しく困惑している中川加奈子。

 織田流水は困惑した中川加奈子と嫌がる狗神新月の、2人の手を引き歩みを進める。
 束の間の、”両手に華”の状態と、2人の手の柔らかさに心中喜ぶ織田流水。


 急遽、C棟1階の廊下で鉢合わせた3人は、同フロアの白縫音羽と合流する。
 彼女は、入り口のドアが開いている[男子トイレ]の前に立っていた。

「あら、こんばんは」と、中川加奈子を見ても特に驚かない白縫音羽。
「うん、こんばんは」と、こちらもとりあえず挨拶を返す中川加奈子。

「いや、呑気に挨拶している場合!?」と、ツッコミを入れる織田流水。
「なんで私たちを呼んだんだ? くだらない用件だったら許さんぞ」と、腕を組む狗神新月。

「やぁねぇ、私だってちゃんと弁えてるわよ。ただ――がいたってことを教えたくてね」

 え? と誰かが聞き返した。
 白縫音羽は何も言わずに[男子トイレ]の最奥に進むよう、3人に促した。

 [男子トイレ]は電気が点いている。おそるおそる4人は奥へと進んだ。





 ――そこには、見慣れた“人”がいた。


 その“人”は[男子トイレ]の最奥の壁にもたれるように座り込んでいた。


 外の暗闇が窓から差し込むが、[男子トイレ]の蛍光灯が対照的に明るく、床まで照らしている。


 [男子トイレ]には何の異変もない。どこか壊れているわけでもないし、何かモノが増えているわけでもない。

 普段通りのトイレだ。



 


 


 ただ、そこに“人”が倒れていた。


 口から白い泡を噴いている以外に、目立った外傷はない。


 いつもと同じ服を着ており、いつもと同じ装飾品を付けて、

 ただ――力なくグッタリとしている。



 その”人”の表情は土気色に染まっていた。目は薄く開いており、


 どう見ても。


 どう見ても。


 どう見ても――。







 <政治家>――大浜新右衛門は死んでいた。




 織田流水はのちに振り返ってこう思う。


 自分と同じ目的だからといって。
 自分に賛同してくれるからといって。
 自分の望むように動いてくれるとは限らない

 他人の胸の内は、決して見抜くことはできないのだ、と。

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