R ―再現計画―

夢野 深夜

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第1章 楽園は希望を駆逐する

第1話 C棟(1日目) その1

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 ピンポーン!

 いつの間にか自室でうたた寝をしていた織田流水おだりゅうすいは、呼び鈴を鳴らされて目を覚ます。
 この施設では一人ひとりに個室を割り振られており、プライベートを確保できる。部屋模様も家具や調度品、壁紙を含め自由に変更することが許されている。

 <外交官>の<再現子>である織田流水は、目をこすりながらその小柄な体躯を起こす。仲間うちでは2番目に背が低く、男性陣では最小の150㎝代だ。
「あっ服が……まあいっか」
 織田流水は寝間着に着替えずにベッドでごろ寝をしていたことに気づく。服がよれてしまっているが気にしないことにした。

 ピンポーン!

「――ぁいあい、どちら様?」
 織田流水は頭を掻きながらドアを開け、廊下に立っている目の前の訪問者――美少女を迎える。
 彼女の名は臼潮薫子うすしおかおるこ、<アイドル>の<再現子さいげんし>だ。
 彼女はマリンキャップを被り、暖色を基調としたホットパンツとオーバーオールを着ている。ちなみに将来の夢は、<アニメーター>だ。

 臼潮薫子が寝起きの織田流水を見て、苦笑を浮かべていた。
「こんな時に二度寝なんて……相変わらず図太い神経だね……」
「あー、いや寝るつもりはなかったんだ……手持無沙汰で何気なくベッドに寝転んでいたら、いつの間にかまどろんでいたみたいで……」
 欠伸をする織田流水に、彼女は「はいはい」と受け流す。

 彼女はマリンキャップを押さえて要件を伝えてきた。
「そろそろ待ち合わせ時間だから、食堂に集合するようにね? また寝落ちなんてしたら、他の皆に怒られるから。次はハタ君や忍ちゃんあたりが来るよ」
「――それは願い下げだね」
 面倒見の良い彼女にお礼を伝え、眠気覚ましに洗面所で顔を洗う。



 さて、彼が身支度を整える間に、物語の舞台について簡単に説明しよう。

 ここは地図に明記されていない絶海の孤島――ただし、文明から置いてけぼりを受けた無人島というわけでも、大富豪の所有する豪奢な別荘というわけでもない。
 ここは、日本政府が所有する離島である。詳細な経度緯度やアクセス方法など全てがトップシークレットにされており、国内ではごく一部の関係者を除き、その存在自体も知られていない。ここだけの話、SNSでその噂が流れた場合でも、人知れず火消しされている。

 そして、その島は植物の生い茂る緑豊かな森を中心とした自然エリアと、4棟の真っ白な建築物(いずれも鉄筋コンクリート造の6階建てビル)を中心とした人工エリアがある。

 自然エリアは海に向かって緩やかな下り坂になっており、海岸線はS字の砂浜が広がっている。人工エリアと海岸線を繋げる大きな通り道が、森を両断するように整備されている。外部から受け取った物資を運ぶような大型トラックが往き来できる、唯一の道である。また、森の中は人を襲うような危険な獣はおらず、昆虫類や小動物、渡り鳥が棲息する。

 人工エリアは人が隠れられるような木や岩がない、だだっ広い草原だ。そこに、オフィス街の高層ビルと比べても遜色ない建物が4棟――東西南北に位置し、そこに織田流水たちが住んでいる。関係者たちは4棟を<再現施設>(通称“施設”)と呼んでいる。
 隣接する建物を各階で渡り廊下が繋げており、上空から見下ろした様相はまさに正四角形のようである。4棟の建物と渡り廊下に囲まれた中央には、噴水や花壇や遊具などが設置された庭園がある。

 織田流水を含めた19名の人間は<再現子>と呼ばれ、その一角――<C棟>と呼ばれている建物で生活をしている。彼らは、外界と一切の連絡が絶たれたこの施設で、食事や睡眠、学業、娯楽、全てを政府に用意され、享受している。彼らは生まれてから一度も本土に上陸したことはなく、文字通り、この孤島で“生活”をしているのだ。

 ただ決して彼らの人権が無視されているわけではなく、希望すれば欲しいものを融通してくれるし、我が儘も常識の範囲内であれば許された。ルールさえ守れば権利や自由を認められているのだ。


 そのルールは二つ――《この孤島から出ないこと》と《再現計画に関する一切の情報を口外しないこと》。



「――あれ? 待っていてくれてたんだね」
 織田流水は部屋を出ると、廊下で臼潮薫子が待っていた。
「うん、まあ……りゅー君が最後だからね」
 臼潮薫子が気まずそうに告げる。
「えっ、ごめんね!? 皆もう揃っているんだ!?」
 織田流水はてっきり自分よりも遅い人間がいると思い込んでいたようで、呑気に身支度をしていた自身を恥じた。

 臼潮薫子は一転、明るい口調で続ける。
「とーっても珍しいことに! 加奈かなちゃんたち単独行動組も、香澄かすみちゃんたち夜更かし組も、そしてなんと言ってもせっちゃんまで全員が来ているよ! ……なのかな。普段からその生活態度でいれば良いのにね」
 クスクスと人懐っこい笑顔を見せながら、臼潮薫子は軽口を叩く。
「ぼくはあの”引きこもり”よりも遅いのか……?」
 落ち込んだように小声で呟く織田流水の心情を察してか、臼潮薫子は「気にしないで」と手を振る。彼女は笑顔で織田流水を先導して、集合場所である食堂に向かって歩き出す。

 彼らは清潔感のある廊下を進む。
 この<再現施設>の内装は、全体的に余計な装飾がない。壁紙は基本的に白地、床や天井も明るい色で統一されている。窓は基本的にはめ殺し窓で、その分、換気扇が広い範囲で搭載されており稼働している。せいぜい絵画や観葉植物、ウォーターサーバーが各所に置かれている程度で、もし一見すると病院のような印象を持つかもしれない。

 目的地に向かって進む最中、臼潮薫子は元気づけようとしてか、普段よりも饒舌に織田流水と会話をしていると――、
「――おっ! 漸く来たな!」
 食堂に向かう途中の廊下で、一人の少女と出会った。

 彼女の名は――和泉忍いずみしのぶ。〈探偵〉の<再現子>である。
 スカートやブーツなど全身を黒いゴシック調で揃えた、ウシャンカ帽子を被る少女だ。丸顔で可愛いらしい外見だが、その右手首に付けた手錠と腰に装着している十個の手錠が、非常に目を引く。余談だが、激しい動きをすると手錠同士がぶつかり合い、ジャラジャラと金属音が鳴るのが特徴的だ。
 そして、彼女の将来の夢は<政治家>である。

「丁度迎えに行こうとしていたところだぞ。まったく……相変わらずののんびり屋さんだな。部屋の中でずっこけて、頭でも打ってノビているのかと心配したぜ」
「どんな心配!? こんなにそんなドジ踏まないよ!?」
 和泉忍にツッコミを入れる織田流水に対して、彼女は腰に手を当ててニカリと笑う。

「よかったーッ! すれ違いにならなくてッ!」
「個室と食堂は寄り道しなければ一本道だからな。薫子かおるこは道草を食う性格じゃない」
 臼潮薫子と和泉忍が会話をしているのを余所に、織田流水はホッと胸をなでおろす。和泉忍は小動物のような可愛らしい見た目とは裏腹に、過激な行動を取る気質がある。和泉忍が来る前に部屋を出て良かったと安心していた。

「食堂で待っててくれて良かったのに。もしかして何かあったの?」と、臼潮薫子が問いかける。
「んにゃ、何も。ただ……君が呼びに行くことは、私が呼びに行かないことと同義ではないだろう? 一人で呼びに行くよりも、二人の方が確実だ。それに、もし部屋で異常が起きていたなら、私は鍵がかかったドアでも容易に破れるからな」と、和泉忍は腕を組む。
「……君の中でぼくは自室で死にかけていたんだね……」と、織田流水は溜め息を吐く。
 危うく不法侵入された上で、乱暴に叩き起こされるところだったわけだと、織田流水はつくづく臼潮薫子に感謝する。

「もうッ、友達を呼ぶことくらい私にだってできるよッ! 今日に限っては、私はオニになるからねッ! そんなに頼りなかったかなッ?」と、臼潮薫子は手で角を作る。
「アッハッハッ! まあ薫子よ……薫子よ、まあ……アッハッハッ!」と、笑う和泉忍。
「そこは否定してあげなよッ!?」と、織田流水がツッコミを入れる。

 和泉忍はその大きな瞳で織田流水を捉える。
「いずれにせよ“卒院”し損ねる事態にならないように行動したくてな。折角の記念日に一人でも欠けていたらイヤだろう? なにせ、待ち合わせ時間に雪花まで来ているのに、コバヤシがいないなんて状態、この13ヶ月間の共同生活でとんと記憶にないからな」
「織田ですけどッ! ……って、その呼び名、卒院後も続ける気じゃないよね……?」
 織田流水の苦情に、和泉忍はまるで聞こえなかったかのように無視を決め込んだ。

 和泉忍は織田流水だけを、コバヤシ、と名前と関係のないあだ名で呼ぶ。
 何を言っても聞かなさそうな彼女の様子に、織田流水は言い返すのを諦め、いつものことだと気持ちを切り替える。

 和泉忍が言った“卒院”とは、この<再現施設>での生活を終え、本土に上陸し、日本社会に合流する行事――『卒院式』を指す。
 〈再現子〉はその生涯を終えるまで<再現施設>に過ごすわけではなく、満21歳に達したら日本社会に出て、その〈再現子〉としての能力を発揮して、国家を牽引する使命を与えられている。

 〈再現子〉はそれに備え、同じ境遇の仲間たちと共に一般常識や社会システム、倫理や流行、芸術や学問、そして各個人の〈再現学さいげんがく〉の教育を受けてきた。〈再現子〉は計400名程おり、20名前後に分かれて一学級を作り、数年毎にクラスメイトがシャッフルされ、その都度生活を送る施設と孤島も別に用意されたものに移住する。

 その生活はおそらく我々一般人から見ると、ある意味最高の環境かもしれないが、彼ら〈再現子〉からすれば徹底的に管理された牢獄のように感じていた。施設職員や〈再現子〉の世話人兼後見人――『肉親係にくしんがかり』が常に視界に入る範囲に居り、施設外に出られても島外には決して出ることを許されなかった。

 それだけでなく、運動で友と競ったり自己研鑽に励む時も、読書に耽り想像に胸を膨らませる時も、好奇心を満たすために科学実験を行う時も、気の合う仲間たちと寝食を忘れて遊ぶ時も、全て施設側の監視と『肉親係』の許可が必要だった。

 それは、幼少期には安心を提供してくれる心地の良いものだったが、成長していくにつれ徐々に疑問を持つようになり、十代も半ばになると、まるで首輪を付けられた飼い犬のようだと自身の置かれた環境を苦痛に感じる者もいた。モラトリアムを越えて自立した精神を得る頃には、煩わしく感じる者が大半だった。
過保護も長期間続くと毒になるのだ。心身を圧迫し、精神を摩耗し、人間を腐敗させるのである。
彼らにとって『卒院』は、それらから解き放たれることを表すものになり、ひいては外の世界を夢想させる合言葉となった。

 そして、とうとう長年の夢である、未知の世界に羽ばたく日が来たのだ。

 ――それが、『卒院式』である。

 それは、彼ら“再現子”にとって、まごうことなき祝事であった。
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