7 / 24
7 傍に
しおりを挟むあの後、雪花は慌てて風呂から上がると、立待を彼の部屋へ運んだ。蛇の姿の立待であれば雪花も持ち上げる事が出来たからだ。
「立待様、立待様、しっかりなさってください……!」
「は、い……」
――駄目そうである。
くたりとした蛇の身体をタオルで包み、雪花は足早に立待の部屋へと向かう。
部屋へ入ると布団を敷いて、その上に立待をそっと寝かせた。掛布団に彼の身体がふわりと沈む。
立待は掛布団の表面の冷たさが心地良いのか、すり、と顔を動かしていた。それを見て雪花はホッと息を吐く。ここまで運んでいる間、立待がほとんど動かなかったので心配していたのだ。
「立待様、お水を持ってきますね。少し待っていてください」
立待にそう声を掛け、雪花はいったん部屋を出る。静かな屋敷内に雪花のぱたぱた走る音が響いた。
普段は立待から「走らないように」と言われているが、今は緊急事態である。台所まで来るとコップに水を注ぎ、雪花は急いで立待の部屋へと戻った。
「立待様、失礼します」
再び声を掛けて、そっと襖を開けて中へ入る。
「おう、悪いな」
「氷月様」
すると中には氷月がいて、立待も蛇から人の姿へと戻っていた。
立待の顔は赤い。氷月は彼の顔の近くに座って、団扇でぱたぱたと仰いでいた。人の姿に戻った立待を、恐らく氷月が布団の中へ入れてくれたのだろう。
雪花は氷月の反対側へと移動して座り、立待にそっと声を掛ける。
「立待様、お水をお持ちしました。飲めますか?」
「ええ。ありがとうございます……」
立待は薄っすらと目を開いて、よろよろと身体を起こした。雪花はコップを差し出しながら、もう片方の手を立待の背中に添えて身体を支える。
「…………」
立待は両手でコップを受け取ると、ゆっくりと水を飲み始めた。こく、こく、と立待の喉が動く。そうして時間を掛けて飲み干すと立待は、はぁ、と息を吐いた。
「……だいぶ落ち着きました。ご迷惑をおかけしました」
「いえ、良かったです。……ですが私のせいで申し訳ありませんでした」
「先ほども言ったでしょう? あなたのせいではありませんよ。私が勝手にやった事ですし。そもそものぼせたのは単純に私のミスです。……正直に言うと、もう少し平気だと思ったのです」
最後の方は呟くように立待は言った。それからやや間を開けて、
「……あなたが慣れない仕事で、だいぶ疲れているように見えましたので。私がいてはゆっくりと湯に浸かれないだろうと思って、それで」
言い辛そうな雰囲気で彼はそう続けた。
雪花に気を遣ってくれたがためにこうなったのは分かっていた。けれど今の言葉で雪花は、立待が自分のためにそうしてくれたのだと理解する。
「…………」
ああ、と雪花は思った。この方はなんて優しいのだろうかと。
こんなに優しい気持ちを向けてもらった事なんて、雪花はここへ来るまで一度もなかった。
もしもこれが、普通の人達が無意識に出来ている普通の気遣いだったとしても――誰かに優しくしてもらった記憶のない雪花にとっては、涙が出るくらい嬉しくて幸福な事だった。
目の奥が熱くなる。視界が霞み出す。ぐす、と雪花は鼻を鳴らした。
「ですから、あなたが気に病む必要はありませんよ……って、どうして泣いているのです!?」
じわっと目が潤みだした雪花を見て、立待がぎょっと目を剥いた。それから少し焦った様子で顔を覗き込んで来る。
「あなたが泣くほどの事ではありませんよ。ああ、ほら、目が赤くなって……」
「いえ、あの、あの……違……違うんです……」
しどろもどろになっていたら、立待は寝間着の袖で雪花の目を拭いてくれた。お風呂でのぼせて、体調の悪い人にしてもらう事ではなくて、雪花は慌てて「だ、大丈夫です!」と首を横に振る。
「立待様が、お優しくて。嬉しいなと思ったら、何だか泣けてきてしまって……」
「――――ッ、べ、別に、優しくはないでしょう」
すると立待は一瞬、虚を突かれたような顔に鳴った。
そして直ぐに顔が先ほどとは違う赤色に染まる。声も若干上擦っていた。冷静沈着な立待を見ていたので、今の様子は何だか新鮮である。
雪花がはにかんでいると氷月がクッと噴き出した。
「ハハハ。まーた立待が照れていやがる」
「――氷月様」
カラカラ笑う氷月を立待が軽く睨む。しかし顔はまだ赤い。氷月は面白そうに口の端を上げた。
「いやぁ、雪花がうちに来てから、面白いもんばっかり見られるなぁ」
「そういうのを敢えて言わないのが良い上司だと申し上げました」
「俺の神使は手厳しいねぇ」
立待はクク、と笑った後、
「まぁ、今日の所はもう休め。それと明日の朝もゆっくり寝ていていいぞ。朝食の準備はこっちでやるからさ」
と言った。
「いいえ、それはお断りさせていただきます。私の仕事ですから」
しかし仕事の話になったとたん、立待の表情がスッと変わる。いつもの真面目な彼の顔だ。
それを見て氷月は肩をすくめた。
「お前は本当に頑固と言うか真面目と言うか……」
「何とでもどうぞ。これが私の性分ですので。……ですがお言葉に甘えて、今日はこれで休ませていただきます」
それから立待はそう言うと布団に横になった。すると直ぐに彼の目はうとうとし始める。のぼせた事もあって、だいぶ体力が減っていたらしい。
「お水はもう大丈夫ですか?」
「ええ。もうだいぶ落ち着いてきましたから。……少し眠気も出てきたので、寝ます」
「分かりました。それでは……」
ここにいたら就寝の邪魔になるだろうから、部屋から出よう。そう思った雪花が立ち上がろうとした時、雪花の寝間着の裾を立待の手が掴んだ。ごくごく弱い力だ。
「立待様?」
立待の方へ顔を向けると、彼はどこか甘えるような眼差しで雪花を見上げている。
「もう少し、ここに……。あなたが傍にいてくださるのは、心地良い、から……」
彼はそう言うと、そのまま、すうと目を閉じた。本当に眠かったようだ。今の言葉も、もしかしたら若干、眠いせいで言ったのかもしれない。
一応、雪花はもう一度小声で「立待様」と呼びかけた。しかし彼の目は開かず、すうすうと寝息を立ててしまっている。
(これはどうしたら……)
立待が握ったままの寝間着の裾を見て雪花は心の中で呟いた。一応、身体を離せばするりと抜けるくらい掴んでいる力は弱い。
――けれども。
立待から傍にいて欲しいと頼まれた。自分がここにいて邪魔にならないかは心配だが、振り払って部屋を出るのは何となくしたくないなと雪花は思う。
「氷月様、どうしたら良いでしょうか?」
とりあえず氷月に聞いてみた。すると彼は「ん~」と軽く呟いて腕を組み、
「立待にしては、本当に珍しいなぁ。雪花。悪いが、もう少し付き合ってやってくれるか?」
苦笑気味にそう言った。
「私がここにいても、立待様のお邪魔にはならないでしょうか?」
「本人が望んだ事だから大丈夫だよ。……まぁ、眠くて頭がぼんやりしていたんだろうが。ふ、はは。こりゃ、起きた時が面白い……って、おっと。今のは立待には内緒な、内緒」
氷月は口の前で人差す指を立て、しい、と悪戯っぽく笑う。
「適当なタイミングで、また様子を見に来るから。付き合ってやってくれ」
「はい!」
「うん。頼むな」
そう言うと氷月は立ち上がり、雪花の頭をひと撫でして部屋を出て行った。
残ったのは眠る立待と雪花の二人だ。
「…………」
雪花は立待の隣にひょいと座る。そして彼の顔を眺めながら、
(……私にいて欲しいと望んてくださったんだ)
自分が必要とされた事が嬉しくて、ふふ、と微笑みながら。
雪花はしばらく立待の寝顔を眺めていたのだった。
18
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く
やしろ
BL
「ならば、私を野に放ってください。国の情勢上無理だというのであれば、どこかの山奥に蟄居でもいい」
広大な秋津豊島を征服した瑞穂の国では、最後の戦の論功行賞の打ち合わせが行われていた。
その席で何と、「氷の美貌」と謳われる美しい顔で、しれっと国王の次男・紅緒(べにお)がそんな事を言い出した。
打ち合わせは阿鼻叫喚。そんななか、紅緒の副官を長年務めてきた出穂(いずほ)は、もう少し複雑な彼の本音を知っていた。
十三年前、敵襲で窮地に落ちった基地で死地に向かう紅緒を追いかけた出穂。
足を引き摺って敵中を行く紅緒を放っておけなくて、出穂は彼と共に敵に向かう。
「物好きだな、なんで付いてきたの?」
「なんでって言われても……解んねぇっす」
判んねぇけど、アンタを独りにしたくなかったっす。
告げた出穂に、紅緒は唐紅の瞳を見開き、それからくすくすと笑った。
交わした会話は
「私が死んでも代りはいるのに、変わったやつだなぁ」
「代りとかそんなんしらねっすけど、アンタが死ぬのは何か嫌っす。俺も死にたかねぇっすけど」
「そうか。君、名前は?」
「出穂っす」
「いづほ、か。うん、覚えた」
ただそれだけ。
なのに窮地を二人で脱した後、出穂は何故か紅緒の副官に任じられて……。
感情を表に出すのが不得意で、その天才的な頭脳とは裏腹にどこか危うい紅緒。その柔らかな人柄に惹かれ、出穂は彼に従う。
出穂の生活、人生、幸せは全て紅緒との日々の中にあった。
半年、二年後、更にそこからの歳月、緩やかに心を通わせていった二人の十三年は、いったい何処に行きつくのか──
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

新訳 美女と野獣 〜獣人と少年の物語〜
若目
BL
いまはすっかり財政難となった商家マルシャン家は父シャルル、長兄ジャンティー、長女アヴァール、次女リュゼの4人家族。
妹たちが経済状況を顧みずに贅沢三昧するなか、一家はジャンティーの頑張りによってなんとか暮らしていた。
ある日、父が商用で出かける際に、何か欲しいものはないかと聞かれて、ジャンティーは一輪の薔薇をねだる。
しかし、帰る途中で父は道に迷ってしまう。
父があてもなく歩いていると、偶然、美しく奇妙な古城に辿り着く。
父はそこで、庭に薔薇の木で作られた生垣を見つけた。
ジャンティーとの約束を思い出した父が薔薇を一輪摘むと、彼の前に怒り狂った様子の野獣が現れ、「親切にしてやったのに、厚かましくも薔薇まで盗むとは」と吠えかかる。
野獣は父に死をもって償うように迫るが、薔薇が土産であったことを知ると、代わりに子どもを差し出すように要求してきて…
そこから、ジャンティーの運命が大きく変わり出す。
童話の「美女と野獣」パロのBLです
【完結】元魔王、今世では想い人を愛で倒したい!
N2O
BL
元魔王×元勇者一行の魔法使い
拗らせてる人と、猫かぶってる人のはなし。
Special thanks
illustration by ろ(x(旧Twitter) @OwfSHqfs9P56560)
※独自設定です。
※視点が変わる場合には、タイトルに◎を付けます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる