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伊達に酔狂 1

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 広場に魔獣の群れが現れた翌日。夏祭りの開催日である今日の空は青々と晴れ渡っており、絶好のお祭り日和である事を告げていた。
 だがそんな晴れ晴れとした空とは正反対に、若利と小夜の表情は暗い。二人は若利の屋敷内の独楽の部屋を、心配そうな目で見ていた。

「独楽先生、部屋から全然出て来ませんね、若様……。ご飯も食べていないみたいだし、大丈夫かな……」
「うーむ、ご丁寧に神雷結界まで引きこもっておるし……」

 困ったな、と二人は揃って腕を組む。
 実は昨日の広場での一件から、独楽が部屋に閉じこもったまま出てこないのだ。
 食事もいらない、と言って引きこもっている独楽を心配した小夜が、それでもと、いつでも食べられるようにおにぎりや、稲荷寿司などを部屋の前に置いても、全く手つかずの状態で残っている。もちろん持って行った時に声もかけたのだが、それでも反応はなかった。

「一食、二食抜いた程度では何ともないだろうが……あの大食らいが急に何も食べない、となると、倒れでもしそうだ」
「どうしよう若様、独楽先生、死んじゃうの!?」

 小夜が泣きそうな顔になって若利に聞いた時、スー、と独楽の部屋の障子戸が開いた。
 若利と小夜が独楽が出て来るかと期待して目を輝かせていると、中から出てきたのは子ぎつねの信太だった。
 心なしかしょんぼりとした様子の信太は、障子戸を器用に閉じ、とてとてと歩き出す。若利は小声で信太の名を呼んで、手招きした。信太はぴこん、と耳を立てると、二人の所へやって来た。

「若さまー、小夜さまー」

 信太は二人の前まで来ると座って、尻尾をぺたんと床につけて、ついでに耳までへにょんと下げて二人を見上げた。

「信太、独楽の様子はどうだった?」
「独楽さま、信太がお外へ行きましょうって言ったら、お布団をかぶって『嫌です、私は引きこもるんです』って言ってました」
「子供かあいつは。……しかし、存外元気そうだな」 

 信太の言葉に、若利は少しだけほっとしたようで、肩の力を抜いた。

「信太ちゃん、信太ちゃん。独楽先生、昨日の夜からご飯食べていないから、お腹すいてない?」
「独楽さま、はらへりです。お腹の虫が鳴いているのを、信太はしかと聞きました」
「腹の虫は正直だな」
「…………でも」

 信太は視線を落とす。

「……なぁ、信太。独楽は一体何を気にしているんだ?」
「独楽さまは…………獣人って事を、若さま達に知られた事を、気にしているのですー」

 信太は昨晩の独楽の姿の事を言う。ほんの少しだけ声が小さい。恐らく、あまり話したくない話題なのだろう。
 だがしかし、そんな信太の様子とは裏腹に、若利と小夜は「へー」と、普段通りの様子で頷いた。

「ほうほう、あれが獣人か。うちの区画にはおらんから、初めて見たなぁ」
「元の世界にもいなかったよねぇ。小夜、漫画の世界だけだと思ってたー」
「うむうむ、わしもだ。甘栗なら詳しそうだがな」

 獣人と聞いた若利と小夜は、きゃいきゃいと何やら楽しそうである。二人の様子は『知らない事を知った時の喜び方』に良く似ていた。信太は意外な二人の反応に首を傾げた。

「あれ?」

 二人がどうして楽しそうなのか信太には分からなかった。信太が予想していた反応とはまるで違うものだ。そしてその反応は、信太がその目で何度も見て来た者達のどの反応とも違っていた。 
 二人は怖がらない。怯えない。むしろ好意的なものさえ感じられる。偽ったものではなく、本心で、だ。

 信太は人の感情に敏感だ。だからよほど上手く隠されない限りは、相手がどう思っているのか分かってしまう。けれど不思議な事に、若利と小夜からはそう言った感情が感じられない。
 分からなかった。不思議だった。もしかしたら上手く伝わっていないのだろうかと思った信太は、もう一度言ってみた。

「獣人です」
「うむ、獣人なのだな」
「モフモフなんですね!」

 そして返って来た反応は、やはり先程と何一つ変わらないものだった。

「今度、ぜひモフらせて貰いたいものだ」
「フサフサしてましたもんね」
「セクハラです?」
「どこで覚えたのだ、その言葉」

 若利と小夜はワクワクした様子で話す。信太はいよいよ困惑して、二人に聞いた。

「若さま達は、獣人って知らないです?」
「話には聞いているが、実際に見たのは初めてだ」
「…………説明に困ったです?」

 若利が獣人についてどんな話を聞いているか信太には分からない。だが、自分が知る前提と違った為に、説明に困ってしまった。
 信太が「それがどうした」と言わんばかりの二人に、どう話そうかと考えていると、

「獣人というのは、人と獣の性質を両方併せ持つ種族の事でござるよ」

 と、若利達の背後から、信太の説明を補足する言葉が飛んでくる。若利が振り返ると、そこには見回りから戻って来たばかりの天津が立っていた。
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