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結界に挟まれた侍 7

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「若様、えらい事になってますよ」
「うむ。お小夜に叱られる前に何とかせねばと思っている」

 若利は真顔で頷いた。少し遅れてやってきた信太も、泥だらけだ。ふわふわの毛並みが泥でべったりとしており、一回り小さく見えた。

「独楽さまー信太の体が重いですー」
「でしょうね。あとで川にでも行って洗い流しましょうね」

 信太が「はいー」と頷くのを見て、独楽は若利を見上げる。

「良い区画ですね」
「だろう?」

 若利は泥だらけで誇らしげに笑って独楽の隣に腰を下ろした。独楽は湯呑にお茶を注ぐと若利に渡した。

「……若様、前に神雷結界の烏玉に神力を込めたのっていつですか?」
「二年前だ」
「二年……」

 独楽は神雷結界を見上げる。二年前に神雷を込めて、よく今までもったものだと独楽は思う。

「俺が神雷を習い始めた頃に、先代――――祖母は過労で倒れた」

 一度言葉を区切って若利は続ける。

「周囲からの嫌がらせが増えてきた頃だった。イナカマチ区画を守ろうとして、神力を込め過ぎて、そのまま」

 体力的にも限界だったのだろうと若利は言う。独楽も昨日、空腹と神力の使い過ぎで倒れたのだが、神力は身体にとっては気力や精神力のようなもので、限度を超えて使い過ぎれば体調を崩したり、昏倒したりしてしまう。
 イナカマチ区画は神雷を扱える者がほとんどいなかった。戦えるものはいただろうが、神雷で攻め込まれては太刀打ちできない。だからこそ、先代のイナカマチ区画主である真頼は、その守りを一手に引き受けた。その代償に、命を落とす結果になってしまったと若利は言う。

「俺たちは祖母ひとり祖母に背負わせた。二度とあんな事は起こさせぬと誓った」

 だから、と若利は真っ直ぐに独楽を見る。

「きみは無理だと思ったら、すぐにイナカマチ区画を出てくれ。俺はきみにそれを背負わせるわけにはいかん」

 確かにイナカマチを守る事が出来る人では欲しかったが、命を賭けさせるわけにはいかない。若利がそう独楽に言うと、

「別に背負っちゃいないんですけどね。結構ここ好きですし」

 と、独楽は指で顔をかいている。

「それは嬉しいが、なるべく早く神雷をまともに使えるようになるよう、頑張るよ」
「焦って急いでも上達しませんよ」
「いや、俺達の問題に、これ以上、他の区画の者に迷惑を掛けるわけにはいかないからな。せっかくうちに働きに来てくれたんだ、仕事外の苦労を増やすわけにはいかない」

 他の区画の者、と呼ばれた時に、独楽はすう、と胸が冷えるような感覚を感じた。そして少しだけ自分がガッカリしている事にも気が付く。
 どうして自分がガッカリしているのか分からず、独楽は自分の胸に手を当てて、首を傾げた。

「独楽さま?」

 そんな独楽の様子に気が付いた信太が、心配そうに見上げる。独楽は取り繕うように笑った。

「何でもないですよ……って、うん?」

 そう言った時、ふと視界の端で神雷結界が揺れた、ような気がした。独楽が目を細めると、錫杖を手に立ち上がる。

「どうした?」
「いえあちらの方の神雷結界に何か反応がある気がしまして。ちょっと見てきますね」

 そう言って独楽が走り出すと、

「あの方角は……お小夜が向かった方角だ。俺も行く」

 と、若利も独楽に並んで走り出した。その後ろをぴょんと跳ねて信太もついてくる。
 独楽は隣を走る若利に、

「若様、一番重要な人物じゃないですか。信太と一緒に大人しくしていて下さいな」

 と言った。護衛対象を危険があるかもしれない場所に連れて行くのはどうかと思ったからだ。
 だが若利はおどけたように、

「存分にモフって良いのか?」

 と言って信太に視線を送る。信太は目を丸くして首を傾げた。

「信太はモフられるです?」
「双方の合意を得た上でのモフりなら構いませんよ」

 お互いに軽口を叩いているだけで、どうやら若利には戻るという選択はないようだ。今までも魔獣を追い払っていたらしいし、敵対者に対して全くの無策という訳ではないのだろう。
 そう納得した独楽は、若利と信太と共に神雷結界の方へと向かった。
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