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イナカマチ区画の来訪者 2

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「ああ、しかし、いったん口にするとダメですね。本当にお腹がすきました……」

 独楽がげっそりとした顔で肩をすくめた。
 ここ二日ほど、水だけで過ごしていた独楽と信太だが、その理由は色々あれど、一番は先程の独楽の全財産から分かるように、金欠である。
 実はつい先日の事、独楽は長い事ずっと住み込みで働いていた先をクビになってしまったのだ。

「やっぱり、売り言葉に買い言葉で、そのまま飛び出して来たのがまずかったか……」

 頭の獣耳をへにょんと垂らして、独楽はため息を吐いた。信太も真似をするようにへにょんと垂らす。

「喧嘩の言い合いでは金銭のやり取りが発生しない分、難しい問題ですなー」
「何か違う気がしますよ。というか、信太は一体どこでそんな言葉を覚えて来たんですかね?」
「独楽さまです」
「わたしか!」

 独楽は頭を抱えた。幼い子は周りの大人が言う言葉や、やる事を直ぐに覚えてしまうと言うが、正にである。自分の言動に気をつけねばと独楽が思っていると、信太がくん、と鼻を鳴らして独楽を見上げた。

「それよりも、独楽さまー。お約束のお時間は大丈夫です?」
「いや、それが、実はあまり大丈夫じゃないんですよねぇ……」

 信太の言葉に、独楽は苦い顔をしながら、懐から一枚のチラシを取り出した。丁寧に折りたたんだそれを開いて目を落とす。そこには『イナカマチ区画の守り人募集!』と、達筆な筆文字で、人材を募集する謳い文句が書かれていた。
 先日、無職になった独楽と信太は、このチラシを見て、ここ『イナカマチ区画』へとやって来たのだった。
 イナカマチ区画と言うのは、今、独楽と信太がいるこの場所の名前である。最も、かつては『日本』と呼ばれる島国に存在してた小さな田舎町であったのだが。
 そんな場所が、村でもなく、町でもなく、敢えて区画と呼び名がついているのには意味がある。
 今から十年前、数多の世界で異変が起こった。次元も、空間も、時間も、何もかも違う場所に存在するその数多の世界で同時に、何の前触れもなく、世界の一部が消失する事件が起こったのだ。
 敵国に攻撃されたわけではない。もちろん、何かの実験や魔法の失敗が原因でもない。ただただ、ハサミで切り取ったかのように、その一部の地域だけが忽然と姿を消したのだ。
 そしてその切り取られ、離された世界の一部は、同じように切り離された他の世界同士と繋ぎ合わされ、一つの世界として形を成した。文化も、風習も、種族も、何もかもが似て非なる世界同士が繋ぎ合わされ出来た世界――――継ぎ接ぎ世界(パッチワークワールド)。
 突然この世界に生きる事を余儀なくされた者達は、そんな風にこの世界の事を呼んだ。何もかもが異なるこの世界で唯一、どの者達にも通じるようになった『言葉』で。
 つまるところ区画とは、切り離された世界ごとを指しており、この世界で『国』と同じ意味がある。最も国という言葉からイメージするような大きなものではなく、村や町、市くらいの大きさのものばかりだが。

「一週間前に運よく電話が繋がった時には、余裕を持って今日の昼過ぎ頃にお伺いしますってアポイントを取ったんですよ」
「そろそろお昼ですね」
「ええ、お昼です。余裕どころかギリギリです。何と言う絶望感。腹の虫まで泣いています」

 腹の虫を泣かせながら、沈痛な面持ちで独楽はチラシをペラリと裏返す。そこには手描きの地図が書かれていた。何やら赤丸で『面接場所』と印がつけられている事から、恐らくはその場所までの地図なのだろう。
 だが、如何せん大雑把であった。 
 面接場所を中心に、周りの区画の名称が書かれているまでは良い。それまでは良いのだが、地図の一部が中略されているのだ。
 独楽も最初は、途中の道を中略するくらいなのだから、多少距離はあっても一本道なのだろう甘く考えていた。
 実際に甘かった。
 一本道どころか複数に分かれた道を、地図を信じて真っ直ぐに進んだ結果がコレ(、、)である。歩けども歩けども山、山、山。とにかく山ばかりである。しまいには方向も良く分からなくなった独楽と信太が辿り着いたのは面接場所ではなく、山奥の古びた社だった。持ち合わせがないながらも、どうにかこうにか苦心して用意した食料も道中に尽きた。
 詰んだ。
 独楽は今日になって何度目かになるため息を吐いた。

「せめて空でも飛べる神雷(しんらい)があれば良かったなぁ……」

 神雷とは、この世界が生まれた際に発生した、エネルギーである神力(しんりき)を用いて起こす、術の事である。
 いわゆる電気エネルギーや、魔法のようなもの、と言えば分かりやすいだろうか。人はその神力を体の中に溜め、烏玉(がらすだま)と呼ばれる硝子玉のような道具を媒介に、火を放ったり、身を守る盾を作りだしたりと、不思議な力を扱う事が出来るようになった。
 だが不思議な事に、神雷が扱えるのは人だけで、動植物は神力を溜める事は出来ても扱う事は出来ない。
 それは独楽のような獣人にも言える事だった。
 獣人とは、人の姿、人と獣が混ざった半獣の姿、そして完全な獣の姿の三形態に変化する事が出来る。獣人は人の姿である内は神雷を扱う事が出来るのだが、半獣の姿、獣の姿になった途端、一切扱えなくなるのだ。何とも不思議なものである。

「空を飛ぶ神雷の烏玉は、大変お高いですー」
「お高いんですよね……何をするにも財布に打撃を与えて来るこの現状。打破したい」
「だはー」
「わたしを打破しようとしないでください。うりうり」

 じゃれつく信太の頭を撫でながら、独楽は「うーん」と首を傾げる。
 とにもかくにも迷子である。せめて食料だけでも何とかしない限りは、このまま飢え死にだ。生きるという事は、それだけで死と隣り合わせではあるものの、さすがに飢え死になんてひもじい死に方は、独楽は御免こうむりたかった。
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