母ナキ鳥籠

蛇狐

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Capitolo.1

episodio.9「Camera bianca pura(真っ白な部屋)」

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「ジョシュア!」

 すっかり空が赤くなった頃。ようやく屋敷に戻ったジョシュアを迎えたのは、明るいメダルドの声。
ジョシュアがその声に気付いて振り返ると、メダルドは嬉しそうに駆け寄って来た。

「おかえりジョシュア!例のお友達?」
「ただいま、メディ。そうだよ」

 そっか!とメダルドはなんだか嬉しそうに笑う。

「よかったね!ジョシュア」

 自分の事のように喜んでいるメダルド。
この屋敷一、感情や表情が豊かでいつも周囲を巻き込んで楽しそうに笑っている。
メダルドが帰って来てから屋敷はもっと明るくなって、楽しくなった。幸せも増えた。
ジョシュアは釣られたようにぎこちなくその頬を緩ませる。

「うん。すごく、すごく楽しいんだよ。いつか会わせたいな」
「今度連れておいでよ!みんなで歓迎しよう!」

 それがいい!とジョシュアの手を取り楽しそうに上下に揺らすメダルドは、十六歳の割にどこか幼く見えた。
 「メディ!」とメダルドを呼ぶサラの声が遠くから聞こえた。
はーい!と返事をしてメダルドはそちらへと顔を向ける。

「どうしたの?サラ」
「ベルが呼んでるよ。行ってあげな」
「分かった!ありがとうサラ!」

 また後でね!とメダルドは笑ってから、走っていった。笑顔を向けてサラの横を通り過ぎ、近くの部屋へと入る。
 サラは呆れたように、だがどこか微笑みながらため息を吐いた。そしてジョシュアへと歩み寄る。

「おかえりジョシュア。楽しかったかい?」
「うん、すごく」
「それはよかったね」

 ふと、その目がメダルドが走っていった先を見つめた。

「……ジョシュア、言っておいた方がいいと判断したから伝えるよ」

ジョシュアは不思議そうに首を傾げる。なんの、話だろう。
サラの顔はいつもより真剣だ。

「あの子はね。ベルと同じで、昔吸血鬼に家族を奪われたのさ」
「えっ」

思わず、ジョシュアの顔が強ばる。
そんな。メディまで吸血鬼に?

「ただ、その記憶を無くしてる。医者によると、ストレスを感じて自ら無意識に封じ込めたらしい。ただ、そのおかげであの子はああして笑ってる」

 暗くなるジョシュアの顔を見て、サラはその頭を優しく撫でる。母が子を慰めるように、優しく。

「すまないね、こんな話をして。でも知っておくべきだと思ったんだよ。仲間として」

 そしてその頬に手を添えると、少し上を向かせて自身の方へと視線を誘う。優しい、暖かいサラの目。

「でも、これだけは勘違いしないでおくれ。お前を責めるつもりは一切ない。その吸血鬼とは種族が同じなだけで、他は何も関係が無いからね」

 ただ、とサラは憐れむようにその眉を顰めた。

「吸血鬼にもそういう奴が居るのだと……それは、分かっておいた方がいいだろうね」

 そう言うと、サラはもう一度だけ頭を撫でてその場から立ち去った。

 一人残されたジョシュアは床を見つめる。
吸血鬼は、みんな優しいのだと思っていた。ひっそりと少し血を貰いながら過ごしていて、迷惑をかけていないのだと。愚かにも、なぜかそう思いこんで。
だが、ここには吸血鬼に家族を奪われたベリザリオとメダルドが居る。その存在が、ジョシュアの心をチクリと刺激した。

「……オレは、まだ何も知らない。吸血鬼のことも、なにも……」

 馬鹿で無知な自分に、腹が立った。





 無駄に広く、真っ白な部屋。殆どなにもないその部屋には、ただ医療器具がぽつりと置かれ、壁には大きな窓があった。ただその向こう側は外ではない。大勢の研究員がこちらを見ているだけ。
 この部屋は嫌いだ。薬や血の匂いがして、殺風景で、そして……ここからは兄弟達の悲痛な叫び声が聞こえるから。

 服に着いたベルトで体を拘束され、さらに頑丈な鎖で縛られてしまい体は動かない。動かそうとする気も起きないのだが、どうしてここまで縛るのだろう?
とはいえ、人間が自分たちを恐れているからなのだと、分かりきってはいるのだが。

 自分の体が固定されたベッドの上で、褐色肌のウノはただ天井を見つめていた。
今からされることは分かっている。というか、ほとんど毎日されている事でもう日常になっている。
それは他の兄弟たちも同じだ。いくら自分が代わっても、やはり全てを守ることは出来ない。一人の体では実験にならないのだろう。
 オレは長男なのに兄弟すら守れないと、ウノは悔しさで胸が締め付けられた。ごめん、ごめんな。と何度言葉で、心で謝っただろうか。
 しかし兄弟たちは感情が乏しい者が多く、別に当たり前のことだろ、とただその痛みを受け入れていた。




 いつから、こんな事になったのだろう。
なんて事は考えない。だって、生まれた時からだから。
 外の世界なんてほとんど知らない。任務以外では外に出ることもほとんど許されず、檻のような建物の中で過ごすだけだ。
任務だとしても、多くが戦場。そこには憎しみと血の匂い、そして肉の塊しかない。そんな場所で何が知れるだろうか?いや、人の醜い感情は知ることが出来たかもしれない。
 十三番目を探すため、チンクエやクアットロは外に出たようで、特にクアットロが喜んでいた。
兄さん、こんなものがあったよ。こんな所もあるよ。こんな人が居たよ。と、嬉しそうに教えてくれた。
 分厚い壁を抜けて、塀さえ飛び越えてしまえばすぐそこにある世界なのに、こうも遠い。
塀の中では空さえ冷たかった。

 やがて天井を見つめていたウノの視界に、研究員が映り込む。いつも通り、憎いような恐れているような気味悪がっているような、そんな風に顔を歪ませて。
 研究員たちで何かを話すと、左腕だけが拘束衣から解放され台に縛り付けられる。
 逃げないのに、なんて心で思ってただされるがまま、天井を見つめる。

 今日はどんな事をされるのだろう。薬か、切り落とすのか、捻るのか、折るのか、焼くのか、溶かすのか。冷静にそんなことを考える自分はやはり化け物なのだろう。

 ふと視界の端に鉈が映って、ああ、今日は切り落とす日か。とまた冷静に思って目を瞑る。
きっとあっという間だ。痛くない。自分に痛覚なんてものは無い。
いつも通りそう言い聞かせて、自分に暗示をかけて行く。……が、そんなものは全身に走った痛みで呆気なく消えた。
 今回の研究員は恐れたのか、上手く力が入らず一度で切り落としてはくれなかった。二度、三度、振り下ろされてもまだ、肘から下の腕はくっ付いている。
 痛みに叫び、耐えるように右手を強く握りしめる。
今日はハズレの日だな、なんてどこか冷静に思いながらも、その頭とは裏腹に神経が刺激される度全身を跳ねさせて痛みに喘いだ。
 早く終われ。早く終われ。意識さえ飛んでくれれば少しは楽なのに。
無駄に頑丈な自分たちはそれさえ許されない。





 あれからどれだけ経ったのだろう?何時間にも感じるが、時計が無いため確認もできない。
出血量が多いためか、朦朧としながらも切り落とされた左腕を見る。
 何度も失敗されたせいで無惨な姿になっていた。
切り落とされた箇所以外にも傷は深く、肉や骨が見えている。
そりゃ痛いか、とウノは虚ろな目でそれを見つめていた。

 じっとその腕を見つめて何かを待つ研究員。やがて、その切り落とされた腕から肉が生えてくる。
ずるり、ぐちゃり、と不気味な音を立てながら、腕はあっという間に元の姿へと戻った。
再生にも、切り落とされたほどでは無いが痛みは伴い、ウノはまた痛みに耐えた後、大きくため息を吐き出した。
 ああ、終わった、ようやく。

「気持ちの悪い……化け物が」

 研究員から吐き出されたその言葉は、何度も言われてきた。というか言われない日はない。むしろ一日に何度も言われる。
だが、慣れないものだ。チクリと痛む胸を誤魔化すように、顔を逸らした。





「兄さん?」

 追い出されるように部屋を後にして歩いていたところ、妹である三番目、トレが声を掛けてきた。
いつも通りハーフのガスマスクをその首に身につけている。

「ああ、トレ。おかえり」
「ただいま兄さん」

 笑顔でそう言う彼女を見て、ウノはどこかほっと胸を撫で下ろした。よかった、笑っている。

「十三番目の所へ行ったんだろう?ダメだったかい?」
「ううん、違うの。人間が一緒だったんだけど、まだ明るかったし……一旦帰ってきたのよ」
「そうだったのか」
「それより」

 ふと、トレがウノの顔を覗き込む。そして。やっぱり、と悲しそうにその眉を下げた。
風呂に入って着替えて、匂いも汚れも無いはずだが、バレてしまったか。
ああ、心配をかけてしまった。

「大丈夫だよ、ありがとう」
「一人で引き受けすぎよ、兄さん。疲れが顔に出てるわ」

 顔か、上手くやっていたつもりだったんだけれど。
さすが妹……いや、長女か。
 兄弟の中でもしっかりとしていて、下の子達の面倒をよく見ている。子供が好きなようで、特に子供のような七番目にはよく構っていた。

「平気さ。兄弟の叫び声を聞くよりはね」
「血が、足りないんでしょう?きっと下手なアイツが担当だった。いつもより顔色悪いもの」
「そう、だな。情けないが、血は足りないかな」

はは、と笑う兄にトレは複雑な感情で眉を顰める。
そしてその手を取ると、優しく両手で握った。

「情けなくなんてないわ、兄さん。兄さんのおかげで私達の番が減ってるんだもの。いつもありがとう……けれど、もっと頼って。一人で抱えないで」

 私もお姉ちゃんなんだから、とトレが優しく微笑む。
ウノは少し驚いたあと。そうだね、と嬉しそうに頬を緩めた。

「あと、足りないなら私の飲んで。さっき結構貰ったのよ。それぐらいは協力させてよね」
「はは、分かった分かった。じゃあ頂くよ」

 トレの手を優しく取ると、その指に歯を立て噛み付く。ぷつり、と肉が裂ける音がして、やがて美味しい血が口内に拡がった。
吸血による快楽を感じながら、トレは空いている左手でその頭を撫でる。

「私も力になるから……兄さん」





 一人になったトレはため息を吐いて廊下を歩いていた。
全く兄さんったら。また一人で無茶して。
少し不満げに頬を膨らませて先程までのことを思い出していた。

 兄はとても責任感のある人だ。二番目、ドゥエが拉致された時も、何も出来なかったと珍しく取り乱していたほどだ。
一人で抱え込みすぎるその性格は、どうしても心配になる。
いつか、いつかどうにかなってしまうのでは、と不死な自分たちには必要のない不安が胸を覆う。
兄さんを支えながら、二人で下の子たちを守っていこう。

 ふと、後ろから人が近付く気配がして、声を掛けられるより先に振り返った。
そこには、見慣れた職員の姿。

「あら、どうしたの?」
「いつもの部屋に来い」

それだけ言って、職員は近くの階段から下へと降りていった。
 ああ、あれか。
トレはつまらなそうにそう呟いて、その後を追うようにゆっくり階段を降りて行く。

「あーあ、気分じゃないのになー。楽しくないし」

 そして、部屋の扉が閉められた。






 爽やかな朝。空には雲ひとつなく綺麗な晴天だ。
庭の芝生に寝転びながらジョシュアはそんな空を見つめた。
 ここに来てから、何度もこうして穏やかな時間を過ごした。楽しかった。嬉しかった。
しかし、ふとした時に思い出すのだ。兄弟たちは苦しんでいるかもしれないと。
 何をされているのか、何をしているのか。それは分からない。戦場にはまだ行っているのだろうか?人を殺しているのだろうか?
 押しつけかもしれない。そうだとしても、もう誰かを傷付けてほしくはなかった。
望んで従う者も居るかもしれないが、それでも、それが幸せだとは認めたくない。もっと、幸せなことがあるかもしれない。こうして……ただゆっくり空を見上げるのだって、こんなにも心地よいのだから。

「オレは……オレのワガママで、兄弟たちを……」

 たすける。そう言おうとしたジョシュアの顔をメダルドが覗き込んだ。
目が合うと、楽しそうにニコリと笑う。

「みーつけた!また何か考え込んでるでしょ!」
「考え込んでなんて……」
「そんなに難しい事、一人で考えちゃダメだよ!」

 メダルドは隣に腰かけて、同じように空を見上げた。気持ちのいい風を感じるように目を閉じて、すう、と大きく息を吸う。
そしてジョシュアへと笑顔を向けた。

「一人だと難しいかもしれないけど、誰かと一緒ならもっと沢山のヒントは見つかるよ!だから、皆で考えよう?」

 ね!と無邪気に頬を緩ませてメダルドは伺うように首を横に傾ける。
 メダルドは不思議だ。いつの間にか隣に来て、すぐに人の心をぽかぽかと暖かくする。
そうだ。メダルドはどこかルカに似ているかもしれない。
ルカもこうして、オレの心を暖かくしてくれる。
二人とも、暖かい。

「ありがとう、メディ」
「いいのいいの!話の仲間に入れて欲しいだけだから!」

 笑いながらそう言うと、メダルドも芝生へと背を預けた。はあ、と気持ち良さそうに息を吐き出す。

「気持ちいいね」
「うん。気持ちいい」
「ここなら、毎日こうして過ごせるよ。だからジョシュア」

 ん?とその声に耳を傾けるように顔を向けると、その先でメダルドはどこか不安そうに眉を下げていた。
何かを言い辛そうに、だが勇気を振り絞ってその声を上げる。

「どこにも、行かないで」

寂しそうに呟かれたその言葉。ジョシュアはそれに少し驚いたあと、間髪入れずに「当たり前だよ」とぎこちなく口元を緩める。

「行く場所もないし……ここで、兄弟を助けたいから」

 そっか。とメダルドは零すと隠しきれない嬉しさを表情に出しながら、再び、そっか。と今度は笑いながら空に吐き出した。

「ならよかった!ボク、ジョシュア大好きだから!」

 子供のように足をばたつかせて喜びを表すメダルド。こんなに喜んでくれるなんて思ってもみなかった。
疎まれるはずの吸血鬼である自分がここまで歓迎されるなんて。

 大丈夫だよ。そう、兄弟に伝えたい。安心して、ここに来ていいんだよ。
この想いが、伝わればいいのだけれど。


元気コメ・スタイ?」

 突然声がして振り返ると、一人の女性が居た。人束だけ白くなった黒髪。首にハーフガスマスクを掛けて、胸元の服は下部の布が無く、胸の下だけが見えている。
 その格好にジョシュアは思わず顔を赤らめると、その女性は無邪気に笑った。

「照れちゃって。可愛いわね」
「そ、んなんじゃ……」

くすくすと揶揄うように笑う彼女に、少し納得のいかないように口を尖らせる。
 ところで彼女は何者だろう?突然気配もなく背後に現れたが。
そこで、ふと嫌な予感が頭をよぎった。まさか。

「気付いたようね、十三番目トレーディチ
「その、呼び方は……」

 女性は、にまりとその口角を上げる。

「そうよ。私はホムンクルスのダンピール。バンビーニの三番目トレ

 やはり。彼女もまた、ジョシュアの兄弟だった。女性も居たのか、と頭の隅で少し驚く。
 トレは歩み寄ると目線を合わせるように前でしゃがみこむ。そしてジョシュアの髪を優しく撫でた。

「お姉ちゃんが迎えに来たわよ、十三番目トレーディチさあ、一緒に帰りましょう?」




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