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高潔に、魔女は自分の在り方を貫く①
しおりを挟むこの身が杖と化してから二週間が経った。相も変わらず、元の体に戻る方法は手に入っていない。進展こそあったが、結局、自ら魔法を行使できないことがネックになっているのだ。
そんなわけで俺は未だ、彼女の忠実な僕というわけだ。授業や町の巡回などで様々な場所に連れ出されている生活を送っている。ただ、こんな生活も悪くはないと、最近ではそう感じ始めていた。
別に、従順になるように調教を施されたとかそんなことはない。彼女が自分にした仕打ちは忘れていないし、まだそのことを恨んでいたりもする。
それでも、この生活を悪くないと思い始めたのは、偏に彼女の自分への接し方を見て、だ。
そもそも、真実、俺が彼女の道具だと言うのなら、彼女がいちいち自分の言葉を聞く必要など無い。実際、他の生徒達が各々の杖に話しかけるところは見ていない。他の杖からの声は時折発せられるうめき声だけだった。もしかしたら、もう心が壊れているのかもしれない。
……それも、無理はないだろう。平和な生活を送っていたのに、突然、人間としての尊厳を奪い取られ、道具として果てしない時間を奪われ続けるのだから。
それに対して、彼女は誠実に自分と向き合っていた。全てを黙殺しても誰も何かを言うことはないというのに、こちらの話をちゃんと聞き、質問をすると答えを返す。彼女は自分を道具としてではなく、一人の人間として見ていると確信するには十分だった。
そして今、胸には一つの、彼女に尋ねるべき問いが生まれていた。
万能魔術補佐礼装、杖と化したこの身をこの二週間の間―――彼女が一度たりとも使わなかった理由を、俺は未だに尋ねられずにいた。
「それじゃあ、帰りましょうか。今日は巡回任務もないしね」
表の世界でも、この異庭領域でも、学生にとって学校の授業とは退屈なものらしい。
二週間が経ち、初めのうちは興味津々に授業を聞いていたが、最近では主人と同じように欠伸まじりに授業を受けている奏良はつくづくそう感じていた。もちろん表の世界の授業よりかは興味のそそられる内容なのだが、学生である以上、学校は面倒くさいものと認識してしまうのだろう。
そして、それは綾香も感じていたことだった。ウンと伸びをしてから、背に背負う奏良に声をかける。週に一度の巡回任務型の訓練もつい先日行ったので、今日はもう学校に残る理由も無い。
突然、入り込んでしまった非日常の世界で、代り映えのない日々を送ることに慣れつつある現状に危機感はあるが、そう焦る必要もないだろう。本来ならもっと慌てなければいけない立場にいる奏良は最近、どこか緊張感がない様子で過ごしていた。
『……うん?』
「どうかしたの?」
『いや、魔力の流れがなんか変な感じっていうか、何かで遮られているようなって感じなんだけど、もう授業ってやってないよな?』
二人が教室を出たとき、奏良が不自然な魔力を感知した。
「相変わらず、その感知能力凄いわね。全然気が付かなかったわ。……そうね。その感じだと誰かが結界を貼ったのかしら。でも、授業はもう終わっているし、そもそも結界なんて授業でも滅多に使わないわ。ロストがこの学校に出現したのなら警報が鳴るはずなのだけれど……」
『いや、あの時の敵が貼った結界って感じじゃないぞ。発動しているのは小規模のぺらっぺらな結界だ。多分、強度はそんなに無いと思う』
奏良の感知能力に感心しつつも、綾香は質問に答える。
魔法使いの討伐対象であるロストが校内に出現したのかと警戒するが、それは奏良が否定した。
前の巡回任務で奏良は小型のロストの姿を見た。ロストは“捕食”を円滑に進めるために規模こそ違うが、独自の結界を貼り、その内部、表の世界でも異庭領域でもない、二つの世界の境界線上に新たな空間を作り出すことができる。
杖としての能力でその結界も感知できたのだが、今、校内に貼られた結界とはどこか違うと奏良は感じた。結界が薄く、内部に空間を生み出すには強度が足りないと感じたのだ。
恐らく、今、校内に貼られた結界は単純に人目を避けるためだけのものだ。
「……そう。嫌な予感がするし、ひとまず見に行ってみましょうか。ソラ、場所はどのあたりか解る?」
『西館の周辺のどこかだ。もう少し近づけばちゃんと感知できると思う』
「分かったわ。ちょっと走るけどガマンしてね」
何が起こっているか薄々感じていながらも、二人はその現場へと急いだ。
『……やっぱり、か』
校舎の二階の窓、そこからの光景を見て、呆れたような声色で奏良が呟いた。彩香は苦虫を噛み潰したような表情でじっとその光景を見ていた。
校舎裏に貼られた結界は、注視しなければ魔法使いでも察知できないほどに自然と同化している。しかしその結界は視線を誤魔化す程度の効果しかなく、結界の存在を知覚した今、その内部ははっきりと二人の目に映っていた。
そこには、一人の少年が蹲っていた。時折発する呻き声が痛々しさを感じさせる。少し離れた場所には三人の少年が嗤いながら魔法の術式を構築していた。魔法の修行……なんて微笑ましいものではないだろう。これはどうみても……
『イジメ、だな。……ハッ!御大層なことを言っていても所詮は同じ穴の狢か。こんな程度の低いことをこっちの世界でもやっているとは思わなかったぜ。アンタもそう思わないかい?』
「あいつら、またあんなことやって……!ちょっと前に停学になったばっかりだっていうのに!しかも今回はわざわざこんな結界まで貼って!やっていることが陰湿なのよ‼」
『おおう……随分ヒートアップしてらっしゃる。熱くなる前に先生でも呼びに行こうぜ。これ以上好き勝手やらせるのもアレだしな』
見ていて気分が悪くなるような光景だが、正直、魔法使い達を同じ人種だと感じていない奏良は極めてドライにそう提案し、彩香の方を見る。
その時にはもう、彩香は窓から飛び出していた。
『は?……ああああああっ⁉⁉⁉』
「『盾』っ!」
当然、重力によって彩香の体は落ちていく。事前に知らされなかった奏良は情けない声で絶叫しているが、そんな事は当然、無視だ。
魔法を行使し、落ちる速度を調整して蹲った少年の前に着地すると、魔法を発動する上で最も簡易な方法。言葉を紡ぐことによる魔法の緊急行使を用いて、少年に迫る炎の球を受け止めた。
シン……とした空気が結界内に流れる。
『……っ!あのさあ!飛び出すなら一声掛けろよ!バッカじゃねえの⁉』
「ご、ごめん。つい……」
「……何、ペチャクチャと話してんだ。四條さんよ。随分とカッコいい登場だなあ、オイ。で、なんか言いたいことでもあんのかよ?あぁ⁉」
「ひうっ!」
そんな中で空気を読まない奏良の言葉が発せられた。突然のフリーフォールに相当ビビっていたようだ。奏良の抗議に気圧される彩香。
そんな二人に声が掛けられる。彼女が現れたことに動揺していた三人組のうちの一人からだ。逆ギレといっていいだろう怒号に彩香の体が竦み上がる。
……ってか「ひうっ!」って。思いっきしビビってるじゃん。お前のキャラを考えろと小一時間くらい問いただしたい衝動に駆られてしまう。せめて、俺の前ではそんな顔を見せないでほしい。そもそもビビるくらいなら素直に先生を呼びに行けばいいのに。
他人事のように奏良が彩香のことを考えていると、少し落ち着いたのか、一つ深呼吸をして彩香が口を開いた。
「……あら?言わないとわからないの?自分の愚行を一度、顧みてはどうかしら」
「お前、そんな事言うキャラだったか?……まぁ、いいさ。俺達はただ魔法の修練をしていただけだぜ?これのどこが愚行なんだ」
「どの口でそんな事を……」
「まあ、仮に、俺達のストレス解消にソイツを使っていたからってこんなことで退学にはなんねーよ?停学明ければ、今回の分も合わせてソイツにキッチリ叩き込まねえとなぁ」
「ヒイッ……!」
「俺たちがどうしたいか、四條ならわかるだろぉ……」
彩香の影に隠れる少年は不良の言葉に反応し、蹲りながらブルブルと震える。
それを見て、彩香はわずかの間瞑目した後、決心した様子で口を開いた。
「……あなた達に決闘を申し込むわ!私が負けたときは私を好きにしていい。そのかわり、あなた達が負けたときには、今後一切、悪意や憂さ晴らしで人を傷つけることをやめなさい!」
「ハッ!いいぜぇ!その勝負うけてやるよぉ!」
言葉と同時に二人の間に紙片が現出する。それは契約書。決闘の証明書、一度結んだ契約を絶対に順守させるそれが現れたということは即ち、決闘がもはや避けられないことを意味していた。
現代の魔法使いは何かの決め事に、決闘を用いる事が多いらしい。お互いの安全を保障する戦闘演習用の空間を作り出す魔法が確立したことが影響しているのだという。
もちろん、魔法使いの卵が集まるこの学校の中でも決闘というシステムは使われることが多い。双方の本心での合意が決闘システムの行使される条件なので、脅しなどでは決闘には至らない。
普段は魔法使い同士の争いは御法度。万が一にでも優秀な魔法使いが事故で亡くなってしまうと、家や派閥などで騒動が起こりかねないからだ。だが、決闘は別。双方の合意があって、事故が起こることはない。だからこそ、普通は魔法使い同士の争いを厳しく取り締まるところを、決闘だけは進んで止めることは無く、どのような結果になっても個人の自己責任という形らしい。
そんな、敗北者に命令という形の呪いを刻み込む決闘を彩香は三人組に叩き付けたのだ。
決闘は校内にて自由に使っていいと解放してある生徒専用訓練場で直ぐに始めることになった。三人組のすぐ後ろを歩く彩香の足取りは果てしなく重かった。少しの震えを触れている背から感じる。
『……アンタ、マジで何考えているんだよ。わざわざこんな危ない橋を渡らなくても先生に任せればそれで十分だろ。誰もアンタを責めやしない。それとも何だ。あいつ、お前の知り合いか何かなのか?』
「……いいえ、まったく。話したこともないわ」
決して、彩香を心配したからではない。純粋な疑問から奏良は口を開いた。
『なら、どうして……』
「決まっているわ。このままだとあいつらは絶対、同じことを繰り返すわ。それに、あそこで目を逸らしていたら、私が私だと誇れなくなる。他でもない自分自身に、そして……ううん、何でもないわ。ともかく!魔法をあんな風に悪用しているのを見過ごせないってだけ!」
彩香は気丈に振る舞う。
自分の体が恐怖で震えていると気付いているだろう。そして、それが俺に伝わっていることも気付いているはずだ。それでなお、こんな振る舞いをする意味はよく解らない。
……分からないことだらけだけど、彼女が本当に彼らの行いに憤り、名も知らない誰かを助けるために自らの身を窮地に追いやったことだけは理解できた。
『……よくわかんねえ。そんな事の為にここまで出来るもんなのか。……まあ、いい。それで、アンタは俺を使うのか?いや、使うんだろう?あんだけ無茶な条件だ。万が一にでも負けちゃいけない。杖を使わなきゃ、アンタはへっぽこ魔女だからな』
だが、そんな事はどうでもいい。遂に自分を使うのか。問題はその一点だけだった。
底なしの善意からの行動だとしても、自分の欲に従って、人の魂を弄ぶのか、と。所詮はその程度の人間だったのかと失望に近い感情を抱いていたのだ。
「へっぽこってゆーなっ!……コホン!答えは当然NOよ。こんなことで、ソラは使っちゃいけないわ」
『……っ!』
そんな奏良の期待とは裏腹に、彩香は恐怖で震える体を押し殺して、自分の決断に微塵の後悔もない、そう思わせるほど高らかに、にーっと笑った。
奏良はその高潔な笑みを見て絶句する。
(どうして……どうして、そんなに綺麗に笑えるんだ。アンタは、俺の人生を奪った醜悪な魔女なのだろう?なら、なんで、俺を使わない。自分の欲のままに振るってくれたのなら、こっちだって遠慮することなく、アンタのことを恨めたのに。魔女なら魔女らしく振る舞ってくれよ。……クソッ、なんでこんなに胸が痛む!俺は間違ったことを言っていない!アンタが間違っている、はずなんだ……!)
今にも口から飛び出そうになる疑問や恨み言、そして葛藤を彼は遂に口には出さなかった。
いつの間にか、彼女の足は止まっていた。少しの怯えと、それを物ともしないような高潔な意思をもって眼前に立つ敵を睨み付ける。
「準備はできた。それじゃあやろうぜぇ、四條……」
「ええ。その腐った性根、私が捻じ伏せてあげるわ」
とうとう、彼女は無手のまま、決闘の幕は上がった。
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