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乃恵の誘惑2

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「どうした? お前に何かするつもりはないって言ってるだろ」
「で、でも……」
 

 乃恵を見ると、彼女は胸元のバスタオルを握りしめて困り顔を浮かべていた。その表情を見て、宗介はようやく乃恵の立場を理解する。
 
 涼子の言いつけである以上、このまま立ち去るのは、それはそれでマズイのだ。もし、浴室を出てばったり涼子に出くわしでもしたら、言いつけに背いたと叱責される可能性は十分に考えられる。
 
 宗介はやれやれと思いながら一つ息を吐く。


「あ~……じゃあ、とりあえず風呂にでも浸かれば? ずっとそんな格好でそこに突っ立ていても寒いだろ」
「は、はい……。では、失礼させて頂きます」
 

 乃恵は小さな声で呟き、宗介から少し距離を取って湯船に浸かった。
 
 その後しばらく、互いに無言のまま時間だけが過ぎ去る。
 
 宗介はなるべく乃恵のことを考えないよう心掛けていた。だが、宗介だって男だ。同じ浴槽に同い年くらいの女の子が浸かっているのに、全く意識するなという方が無理な話。どうしても視線が知らず知らずのうちに乃恵の方へと向いてしまう。


(しかし、なんつうか、この子はこの子で少し不思議な感じだよな……)
 

 俯き加減で湯に浸かる乃恵を盗み見て、宗介はふとそう思う。
 
 特別美人というわけではないし、色気があるわけでもない。だが、その代わりに、人を惹きつけるミステリアスな雰囲気を纏っている気がする。放っておけないと感じる男もきっと多いことだろう。


「あ、あの、黒宮様」
 

 宗介がそんなことを考えていると、不意に乃恵が口を開いた。視線や思考が読まれてしまったのかと思い、宗介の心臓がドクンと高鳴る。


「う、うん? なんだ?」
「わ、私……やっぱり魅力がありませんか?」
「は、はあ?」
 

 予想していなかった問いかけに、宗介は素の声を出してしまう。


「む、胸も小さいですし、顔も子供っぽいから……だから、ダメなのですか?」
「い、いや、ダメとかじゃなくてだな……」
「涼子様には『若いんだから一緒に風呂でも入れば向こうから勝手に手を出してくる』と言われていたんです。でも、黒宮様は何もしてこないから……その……やっぱり私が悪いんじゃないかと思ってしまって……」
「そ、そんなことは……」
 

 あのオバサンは……と内心で毒づきながらも、宗介は返答に窮してしまう。
 
 乃恵に魅力を感じないわけではない。むしろ、心をざわつかせる何かを、彼女は確実に持っている(ちなみに、光にはその手の魅力は皆無)。
 
 けれど、宗介には、そういう行為ができない理由があった。そして、この場でその理由を語るわけにもいかなかった。
 
 宗介が頭を悩ませていると、乃恵は何かを思いついたように「もしかして……」と呟く。


「御堂様とお付き合いしていらっしゃるからですか?」
「えっ?」
 

 思いがけない方向に話が転がった。


「すでに恋人がいらっしゃるから私には手を出せない。そういうことなのですか?」
 

 どうやら乃恵は「宗介と光が恋人同士なのでは?」という推論を立てたらしい。
 
 宗介は一瞬の逡巡後、


「あ、ああ! そ、そう! 実は、そうなんだ!」
 

 と、首肯した。
 
 無論、百パーセント混じりっ気のない嘘。けれど、宗介もテンパっていたため、これ以外にこの場を切り抜ける方法が思い浮かばなかった。乃恵とはどうせ短い付き合いなので、嘘を吐いても問題ないだろう、という思いもあった。
 
 宗介が光と恋人関係にあることを認めると、乃恵は一瞬だけ複雑な表情を浮かべた。だが、すぐに笑顔を作ると「そうだったんですか。お似合いですよ」と祝福の言葉を贈ってくれた。その笑顔を見て、宗介の胸は少しばかり痛む。


「で、でも、お前だって学校じゃモテる方だろ?」
 

 嘘をついた後ろめたさもあって、宗介は乃恵の方に話を振る。


「いえ、私は学校に通っていませんので」
「学校に通ってない?」
 

 意外な事実に宗介は訊き返す。


「はい。旦那様……いえ、佐々村家にこれ以上迷惑をかけることはできませんから」
「どういうことだ?」
「私、身寄りがないんです。小さい頃、母が亡くなったのをきっかけに施設に入れられそうになったんですけど、そんな私を拾ってくださったのが源一郎様だったんです」
 

 他人の子を引き取るというのが、都会人である宗介にはピンと来ない話だった。だが、ここは人口二千人ほどの小さな村だ。相互扶助の精神は宗介が住んでいる東京よりもずっと強いのだろう。まして佐々村家ほどの名家ならば、子供の一人くらいは余裕で養えるはず。故に、宗介が思うほど不思議なことではないのかもしれない。


「そうか。そんな理由があって、その年で使用人みたいなことをやっているのか」
 

 乃恵は小さく頷く。


「あっ、でも、不幸だなんて思っていませんよ。中学まではちゃんと学校にも通わせて頂きましたから。高校も旦那様は行くように勧めてくださったのですが、私がお断りしたんです。佐々村の家に少しでも恩返しがしたかったので。それに、美守様があのような状態になる前は、本当の妹のように可愛がって頂いていましたから……」
 

 乃恵は頬を緩めて、微笑みながら語る。その顔を見る限り、美守と乃恵は本当の姉妹のように過ごしてきたのだろう。そう考えると、美守が今の状態になった時、乃恵のショックは相当に大きかったはずだ。
 
 宗介は少し迷う。乃恵にとって美守はとても大切な人間だ。故に、彼女が狂い始めた時のことを、根掘り葉掘り訊かれたくはないだろう。
 
 だが、仕事で来ている以上、宗介も遠慮はしていられない。余計な邪魔が入らないこの状況は、情報収集という観点からすれば大きなチャンスだ。よって、宗介は乃恵に色々と訊いてみることにした。


「あのさ、話したくないかもしれないけど、美守に異変が起きた少し前のことを教えてくれないか」
「はい。いいですけど、何をお話しすればよろしいですか?」
「そうだな……異変が起こる前、美守に普段と違う様子はなかったか? 何か悩んでいたり、怯えていたり」
「……いえ、私の見る限りでは、普段通りの美守様だったと思います」
 

 宗介の質問に対し、乃恵は少しだけ間を置き、思い出しながら答えた。


「じゃあ、おかしくなる前に、家の中を大掃除したり、近辺で何かを取り壊したり、ってことは?」
「それも……私が記憶している限りではありません」
 

 呪いにかかる典型的なケースの一つに、祀っていた何かを知らずに排除してしまう、という場合がある。だが、乃恵の話を聞く限りでは、その線も薄そうだ。


「そうか……。それじゃあ、彼女の交友関係は? あまり顔馴染みのない連中とつるんでいたとか。あとは、恋人ができたばかりだったとか」
「それは……」
 

 宗介の質問に対して、一瞬だが乃恵の目が泳いだ。


「どうでしょうか……。私は学校も行っていませんし、ずっと美守様に付いているわけではありませんから。流石に美守様の交友関係までは分かりかねます」
 

 乃恵の言い分はもっともだ。
 
 だが、一瞬だけ垣間見せた僅かな躊躇い。
 
 ひょっとすると乃恵は何かを隠しているのかもしれない、と宗介は思った。
 
 その後も、宗介は乃恵から話を聞きながら時間を潰し、頃合いを見計らって彼女を先に風呂から上がらせた。
 
 乃恵が浴室から出ていったところで、宗介は大きく溜息をつく。


(色々と危ない目に会う日だな、今日は……)
 

 長湯のせいか、それとも盗み見ていた乃恵のバスタオル姿のせいか、ぼんやりとした頭でそんなことを思う宗介だった。



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