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アメリア=レッドストーン

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「ビビる必要はない」
 
 低い声がヴァルの耳に届いた。
 声の主は、テーブルの奥に座っていた男。
 黒のローブを纏い、フードを目深にかぶっている。
 ゴロツキ共のリーダーだろうか。
 他の男たちとは、雰囲気が明らかに違っていた。

「そいつはまだ半人前。ルーキーですらない。大した力は持っていないはずだ。だが……まあ、いいだろう。紋章を持っているなら、俺が直々に相手をしてやる」
 
 フードの男が席を立つと、ゴロツキ共はすぐさま彼に道を開けた。彼らの顔には、畏怖の念が滲んでいる。どうやら力関係は、かなりはっきりしているようだ。
 目の前に立った男は、ヴァルより一回り身体が大きかった。プレッシャーと共に、男は言葉をぶつけてくる。

「名乗れ、小僧。気が向いたら覚えてやる」
「俺はヴァル。ヴァルーブルーイット、伝説の勇――」
 
 ヴァルはそこで言葉に詰まる。以前なら堂々と「伝説の勇者になる男だ!」と宣言してのだが、道具屋の主人に甘んじている今、その台詞は言いづらい。

「なんだ? 最後まで名乗れ」
「いや、俺はその……」
「男らしくないな。言いたいことがあるなら、はっきりと言え」
「ええい、俺は――」
「こいつはな、伝説の道具屋ヴァル=ブルーイットだ! よく覚えとけ!」
 
 ヴァルが名乗りを上げる前に、野次馬の誰か横から口を出した。その瞬間、他の野次馬たちから大きな笑い声が上がる。

「おい、今言った奴、あとで酒場裏な! 絶対来いよ!」
 
 ヴァルが怒れば怒るほど、酒場内は盛り上がっていく。いつの間にか「道具屋♪ 道具屋♪」とコールが始まり、完全なお祭り状態。煽られているヴァルはたまったものではなかった。

「お前は一体なんなんだ……?」

 フードの男も呆れかえった様子。

「俺だって、なんでこんなことになってんのか訳わかんねえんだよ!」
「……ふん、気勢が削がれた。良かったな、少年。恥をかかずに済んで。とっとと俺たちの前から消えろ」
「ああ? 俺が負ける前提で話してんじゃねえよ! つか、ここまで煽られて、このまま引き下がれるか!」
「ふっ、やめておけばいいものを……。まあ、いい。相手になってやるから、かかってこい!」
「言われるまでもねえ! やってやるよ!」
 
 こうして、ヴァルとフード男のバトルが始まった。両者武器を持たない徒手空拳のみでの戦闘。ヴァルもこれで紋章を授かった勇者なので、一通りの戦闘訓練は受けてきたし、喧嘩の腕には少しばかり自信があった……のだが――。

「このっ! くらえっ! くそっ!」
 
 繰り出すヴァルの拳は、次々と空を切る。
 否、男がわざとギリギリのところで回避しているような気がした。
(こいつ、つええ……)
 ヴァルがそう思った時だった。

「ふん、やはりこの程度か。この実力で大口叩いた心意気だけは誉めてやる。だが、お前には他に何もない」
 
 ヴァルが大きく拳を空ぶった隙に、男は初めて攻撃に転じた。
 ソリッドなのに重い一撃が、ヴァルの頬に直撃する。
 ヴァルは近くにあったテーブルごと吹き飛ばされた。
 それを境に、店内のヴォルテージは更に上がる。
 先ほどまでの道具屋コールは、ヴァルが倒された瞬間から「薬草♪ 薬草♪」に変わった。こいつらは、どこまで悪ノリするのだろうか……。

「やっぱり愛されてるなー、ヴァル」
「黙ってろ、ロイド!」
 
 ヴァルは何とか立ち上がるが、男との力量差は歴然だった。
(こいつ……一体何者なんだ……?)
 雰囲気も実力も、ゴロツキのリーダー程度で収まる人物とは到底思えなかった。

「くそっ、よくもやってくれたな」
「もうやめておけ。お前では俺には勝てん」
「勝てるか勝てないかで戦うか戦わないかを決める勇者がいるかよ! 勝つまで戦うのが勇者だろうが!」
 
 ヴァルが吠えると、男の唇の端が少しだけ上がった気がした。

「若いな……。いいだろう、少しお灸をすえてやる」
 
 言うが早いか、男は一気にヴァルとの距離を詰めてきた。
 突然のことに身体が硬直するヴァル。
 男は、そんなヴァルのどてっ腹に前蹴りを放つ。

「ぐはっ」
 
 直撃を受けたヴァルは、再び床に倒される。
 そして、男はローブの下に隠していた剣を抜いた。

「丸腰の相手に刃は抜きたくないが、これも半分はお前のためだ。覚悟!」
 
 ヴァルは目を瞑る。
 しかし、訪れるはずの痛みは、いつまで経っても訪れなかった。
 代わりに、金属と金属がぶつかり合う甲高い摩擦音が耳に届く。
 恐る恐る開けたヴァルの目に飛び込んできたのは、背中まで伸びた燃えるような深紅の髪だった。

「大丈夫か、ヴァル」
「ア、 アメリア!」
 
 髪と同じ赤い瞳がヴァルに向けられる。
 ヴァルの前に立っていたのは、紅蓮の勇者として名を馳せているアメリア=レッドストーンだった。
 アメリアに剣を止められたフード男は、「チッ」と舌打ちをして距離を取る。

「やれやれ、久しぶりに故郷へ戻ってきた矢先にこれか。そこの男、剣を持たぬ私の友人に対する礼節を弁えない振る舞い――その身をもって償ってもらうぞ」
「アメリア=レッドストーン……紅蓮の勇者――ッ!?」
 
 その時、フード男に向かって氷の刃が飛んだ。
 男が寸でのところで剣で防ぐと、氷の刃はガラスが砕けるように霧散した。

「彼女だけだと思わないでくださいね」
 
 声の主は、大きな木製の杖を持った法衣を纏った男。口ぶりからすると、アメリアの仲間なのだろう。店の中で躊躇いなく魔法を打つ辺り、魔力の扱いには相当の自信をもっていそうだ。

「……これはさすがに分か悪いか」
 
 フードの男は、剣を仕舞う。

「行くぞ。引き上げだ」
 
 そして、ゴロツキ共に指示を出すと、足早に店を出ていった。
 彼らが出ていくと、酒場内には歓声が巻き起こる。
 冒険者たちは口々にアメリアの帰還を喜び、彼女の活躍を称賛した。

「ヴァル、立てるか?」
 
 アメリアは腰の鞘に細身の剣を収めると、ヴァルに手を差し伸べてくれた。
 切れ長で大きな目。それを縁取る長いまつげ。顎先はシャープで「可愛い」というより「美人」と表現される方が圧倒的に多いであろう顔立ちだ。昔から大人びていて、年齢より上に見られることが多かった。
 服装は、白を基調とし赤の刺繍が入った聖騎士団風の衣装を身に纏っている。アメリアの凛としたイメージとよく合っている、とヴァルは思った。

「あ、ああ……」
 
 助けられた自分が不甲斐なくて、ヴァルは自力で立ち上がる。
 ヴァルが立ち上がると、アメリアは少しだけ苦笑して手を引っ込めた。

「久しぶりだな、ヴァル」
「そうだな。いつ戻ってきたんだ?」
「ついさっきだ。あまり長くはいられないんだけどな。でも、こうしてヴァルに会えて良かった。お前には一度会って謝らなければと思っていたからな」
 
 アメリアから言われた意外な一言。
 ヴァルは彼女に謝罪されるような覚えは何一つない。

「謝る? 何を?」
「ヴァルの門出に顔を出せなかったことだ。お前は、一年前に私のことをちゃんと見送ってくれた。それなのに……本当にすまなかった」
 
 アメリアは深々と頭を下げる。そんなことヴァルは全く気にしていない。相変わらず変なところで律儀な奴だ。それに、ヴァルは旅立ってさえいない……。

「……そんなこと気にすんなよ。ラビリンスの攻略で大変だったんだろ。それに、俺――」
「アメリアさん、大丈夫でしたか?」
 
 ヴァルが本当のことを話そうとすると、先ほど魔法を放った男がアメリアの元へ歩み寄ってきた。

「私は大丈夫だ。あっ、ヴァル、紹介する。彼は私のパーティで魔導師をやってくれている者だ。本当は私一人の帰郷だったのだが、彼も私の生まれ故郷を見たいと言ってくれたので、一緒に来てもらった」
 
 魔導師の男はヴァルに対して軽く会釈をする。
 だが、その目は緩むどころかヴァルを敵視しているようにさえ感じられた。

「彼はヴァル=ブルーイット。私と同じく《戦勇の紋章》を持つ者だ」
「彼がアメリアさんのいつも話している……。では、これまでの実績は?」
「おいおい、ヴァルはつい先日旅立ったばかりなのだ。まだ実績なんてあるはずがないだろう――」
 
 アメリアが説明していると、外野から「ヴァルは旅立ってもないんだぜー」という野次が飛ぶ。引き続き「今は街の道具屋だー」という声も。
 アメリアが「えっ!?」と驚愕の表情を浮かべる。
 魔導師の方も、訝しそうな目でヴァルを見つめてきた。

「ど、どういうことだ、ヴァル? お前はもう十六になったはずだろ? どうして冒険の旅に出ていないんだ?」
「いや、実は――」
 
 ヴァルが事情を説明すると、アメリアは目をまん丸にして驚いた。

「そ、そんな馬鹿なことが――王様は一体何を考えているのだ……」
「俺もそう思うよ。でも現実なんだ」
「なるほど。そういうことですか。これで合点がいきました」
 
 魔導師の男が、唇を吊り上げてヴァルを見る。
 その目には、ヴァルを見下すような色が浮かんでいた。

「不思議だったんですよ。どうして《戦勇の紋章》を持つ彼が、あの程度の男にやられてしまったのか。最初は丸腰だったからだと思ったんですけど、いやはや勇者としての実績どころか経験までゼロだったとは。アメリアさんがよく彼の名前を口にしていたので、どんな人物なのかと興味を抱いていましたが、全くの期待外れですね。行きましょう、アメリアさん。どうやら、彼と話をするのは時間の無駄のようです」
 
 彼の言葉は非常にムカついたが、今のヴァルには何も言い返すことができなかった。
 彼の言ったことは紛れも無い事実だしフード男には手も足も出なかった。
 そのうえで、女の子であるアメリアに助けられたのだから、ヴァルにはもう立つ瀬がない。

「ちょ、ちょっと待て! 私はヴァルと話をするために――」
「いや、気を遣う必要はねえよ」
「え?」
 
 ヴァルが言うと、アメリアは驚いた声を上げる。その顔はどこか悲しそうでヴァルの胸は少し痛んだが、これ以上彼女と顔を合わせていたくなかった。

「あまり長くはいられねえんだろ。だったら、俺になんて構わず彼に街を案内してやればいい」
「ほら、彼もそう言っていますし行きましょう。まずは以前言っていた大噴水に案内してください」
「あ、わ、私はまだ――」
 
 アメリアは彼に連れられ酒場から出ていく。
 すごく自分勝手だと思うが、アメリアが去ってくれてどこかほっとしている自分がいることも事実だった。
 ヴァルは大きく溜息を吐く。すると、肩に誰かの手が添えられた。

「良かったのか、あれで? せっかくの再会だってのによお」
「ロイド……仕方ねえだろ。今の俺じゃアメリアと何を話していいのかも分かんねえしよ」
「でも、アメリアは――」
「はあ、なんか白けちまった……。俺はこれで帰るわ。メシ代は道具屋にでもつけておいてくれ」
「あ、おい――」
 
 ロイドはまだ何か言いたそうだったが、ヴァルは振り返らずに酒場を出る。
 とても楽しく食事を出来る気分ではなかったから。
 今の出来事はヴァルにとって予想以上に堪えた。
 ヴァルは夜空に浮かぶ三日月を見ながら、夜道を歩く。
 悔し涙が零れないように。


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